テレビを見ていて、震災だなんだと出てくれば、そのストーリーはただただ綺麗事ばかりだ。震災で失ったものは、物と人だと、けれど毎日前へ向かって進んでいくのだと。
私は「被災者」と自称するのがあまり好きではない。その理由も含め、書いていきたいと思う。
東日本大震災が起こったその日、テレビでやるようなドラマティックで素敵なことなんて、そうそう起こらなかった。
あたりの店では揃いも揃って食品類の値上げをした。購入者側は買って食べなければ生きていくことができないが、あちらは高い値段でも売ることが出来るからなのだろう。小さな袋に入った菓子の詰め合わせが、¥1200。店主も生きるための術だ、とその時は割り切っていた。
とある避難所では、一人一つと決められ配られていたおにぎりを、一人何個も持っていく人が居た。
知り合いに貸した石油ストーブは、復興しようとしている今でも返ってきていない。
なにも、被災者が皆そろいもそろってこう言ったことをしていたと言いたいわけではない。ただ、テレビの「ドラマティックで感動的なストーリー」だけがある訳ではないと、知ってほしい。
被災者 という言葉が好きではないと書いたが、この原因もまたとある被災者たちによるものだ。
支援物資は本当にありがたいもので、避難所などに沢山届いた。避難所で生活するのはひどく苦しいものだが、支援物資が山ほど、それこそ選び放題と言えるほど届いていた。次第に避難所生活をしている一部の人々は「何かを無償でもらうこと」に慣れ、それが当たり前になっていった。
ニュースなどで「まだ仮設住宅へ移れていない人々がいる」と聞いたことはないだろうか。避難所で生活していた知り合いは、自ら仮設住宅へ移ることを拒んでまで、そこてま生活を続けていたが、それにはこんな理由があるのだという。
避難所の方が、支援物資が届くから。無料でそれを、貰えるから。
私はひどくぞっとした。甘やかされて、こう考えたのだろうかと感じた。
家が流されたという証明書を持って床屋に行き、「無料にしてくれ」と訴えた女性がいた。「被災者だから」と言って、他の生徒の分として渡された支援物資を、盗んだ同級生がいた。
私は当時学生だった。震災から半年ほど経ったある日、学校宛にクリアファイルの支援物資が届いた。中には当時人気だったキャラクターや国民的な人気を誇るキャラクターのものもあり、じゃんけんで分けることになったことがある。ここまではなんら変わりないことだと思うが、その時同級生が話した言葉に、幼いながらに驚いたことを私は覚えている。
「家が流されたから、おれ最初に選びたい」「家が流されたから、あたしあれがほしい」。
家が流されたから。その理由で、自分がほしいクリアファイルをその二人は受け取っていた。
その時から、私は自身を「被災者」と自称するのが恥ずかしくてならない。被災者と自称すれば、私は「被災者だから優先してほしい」とワガママを言っているような気分になるからだ。
何も、被災者がみんな、こう言ったことをしていたと言うつもりはない。本当に感動的なことだって起こったし、自分ではなく他人を優先していたような人だって、沢山いた。私もこの目でちゃんとそれを見てきたし、ちゃんと分かっている。
それでも、私は「被災者」として、このようなことがあったことを伝えたい。感動的な出来事ばかりだったかのように報道するテレビ局に腹が立って仕方ないのだ。あなたが会った被災者は本当に可哀想で仕方のないようなひとだっただろうか。