はてなキーワード: 秋元康とは
一位が指原で幕を閉じたんだけど
外部の人たちは多分理解できなかったと思う。
なんで指原なの
と
指原で大丈夫なのか
指原で本当にいいのか
と不思議だと思うんだよね。
でも実は
指原一位はファンが強く望んだことだし
そして
今回の一位は指原じゃなきゃいけなかった
とファンはそう思ってた。
だからこそ15万票も集まったんだよね。
一部の熱狂的なファンだったりなんかの組織票ではさすがにここまでの票数はいかない。
ファンの総意が指原だったんだよね。
実はファンは指原一位を歓迎しているんだよね。
AKB48とはなんなのか
まあ
いろんな側面から語られるんだけど
一つの側面として
「変化」というのがある。
この変化は
無理やりだった。
無理やり変化を押し付けてきたんで
メンバーもファンも
「おい、いいかげんにしろよ。どんだけメンバーにつらい思いさすねん」
と、いつもいつも思ってて
でもこの「変化」が
たくさんのストーリーを生んできた。
そしてそのストーリーにぼくたちファンは酔いしれてきたんだよね。
嫌いな人たちは「これ、いつまで続くの」と思ってるんだろうけど
ここまで続かせた一つの理由が「変化し続けた」ことにあると思う。
そしてね。
いつしか
この「変化し続けなければいけない」は
ファンの間の中にも深く深く浸透していったんだと思う。
最初は無理やり変化させられてきて
まあ、それは今現在もそうなんだけど
こんだけ変化させられてきてるから
いつしか
この「変化し続けなければいけない」は
意識するしないにかかわらず
秋元康がよく言うんだけど
そしてAKB48のおもしろさをもここに感じるようになってきていた。
そういう意味ではいつもいつもぼくらは秋元康に踊らされてるんだけどね。
今回の選挙に話をもどすと
それは
今もしているこのグループにとって
新たなストーリーの始まりであるこの選挙は本当に本当に大事だった。
最初は
世間一般的にも
ファンの中でも
だけど
はたしてそれでいいのかという強烈な思いがぼくにはあった。
この二人の戦いだったら
それがはたして第2章の幕開けでいいのかと本当に思ってた。
一応一言いっておくと
ぼくは
本当に大好きなんだけど
AKB48全体を考えたときにこの二人の争いにしていいのかと強烈に思ってた。
そしたら速報で指原が一位だった。
最初はぼくもめちゃくちゃ驚いたんだけど。
それはないわ
と心底思ったんだけど。
でもよくよく考えると
これが一番いい手に思えてきた。
そしていつしか
AKB48のためにはこれしかないとすら思うようになってたんだよね。
もちろん速報前からそう思ってた人もいるだろうし
だから速報が一位だったんだろうけど
速報後に気づいた人もいると思う。
この手があったかと。
そういう意味で指原が速報一位じゃなかったら本番も一位でなかった可能性があるとすらぼくは思っている。
外部の人にAKB48の選挙は変化していると思われているのかどうかはよくわからないんだけど
実は上位陣というのは
ちょこちょこは変わってんだけど
相対的にみるとほとんど変化していない。
それは上位陣の圧倒的強さというのもあるんだけど
でもそれでいいのか
という想いは多分ファンの誰しもが思ってたと思う。
でも崩せないんだよね。
崩せないぐらい強い。
でもそこをなんとか崩していかなきゃいけない。
そんな想いのなかの速報指原一位だった。
多分その崩さなきゃいけないというみんな想いが指原の肩に乗っかっちゃったんだよね。
指原ならひょっとして崩せるんじゃないか。
と
きっとみんなその想いを指原に託したんだよね。
これは大島優子にとってもよかったと思う。
大島優子が高すぎる壁であり続けると
大島優子の目の前に「卒業」という二文字がかなり明確な形で現れたと思う。
多分ファンはうすうすだけどそのことをも感じ取っていた。
優子には勝ってほしいんだけど
だけど卒業だけはしてほしくない。
複雑な想いがあったんだよね。
でもそこに指原が現れた。
指原は恰好の素材だった。
指原が勝っても誰も傷つかないし
そして何よりものすごい「変化」を起こすことができる。
これこそがAKB48であり第2章の幕開けにふさわしいんだと。
結果として指原が一位だったんだけど。
これはそんなファンの想いがあったとぼくは思ってる。
そしてね。
この結果は来年以降にすごくつなげることができるんだよね。
ものすごい厚く高い壁の上位陣を崩すことができれば
来年本当に自分たちが「押している子」をセンターに持っていくチャンスにつながる。
「押している子」がいる人たちにとってはなんとか上位陣の壁を崩したかった。
だから一つの山を崩すことができた来年以降が本当に楽しみなんだよね。
来年以降の希望が見えたという意味で本当にいい結果だったとぼくは個人的に思ってる。
最後に
なんかこう書いてくると
指原が当馬みたいなんだけど
これ誰も書かないだろうし
ファンの人も大声を上げないだろうけど
実はね。
AKB48ファンはみんな指原のこと好きなんだよね。
大好きなの。実は。
このことをぼくは確信している。
指原は
歌もうまくないし、ダンスもへただし、顔もとびっきりの美人ではないんだけど
へたれなとこもあるんだけど
それら全部をひっくるめて
実は指原のことが大好きなんだよね。
キャラがあるんで、ファンも大声では言わないんだけどね。
でなきゃ、なんだかんだ言ったって15万票も集まんないよね。
だからいろいろ言われるだろうけど
一つ間違いないことはファンが指原を選んだということ。
そしてもう一つ間違いないことはファンは指原を絶対に支えていくということ。
ぼくはこの結果で本当によかったと心の底から思ってる。
さっし~一位おめでとう
ただのAKBオタより
秋元康がゲスだなんてことは日本に暮らす人の大半が既に知っていることで、
本人も半ば認めている。
問題はなぜみんながゲスだと思っているのに彼を潰せないのかということだろう。
http://news.livedoor.com/article/detail/7561976/
何度でも言わなければならない。
以前クールジャパン費用で手前の所の商品のラッピングバス国外で走らせたとか
いろいろやっている秋元ですがそれだけならまだなにとち狂ってんだ手前で
すませようと思えばすませる事が出来るがもっと許せない事もやってる。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51695919.html
http://madoaketai.blog.fc2.com/blog-entry-173.html
GKB騒動のアレだ。
流石にこれは駄目だ。
自殺を防止しようって費用をポッケに入れて堂々とどうでございは駄目だ。
このゲス野郎がクリエイターとして能力が高かろうが高名だろうが
かかわり無くゲスだ。
はてなブックマーク - 国内クリエーター結集を=クールジャパン推進で―政府 (時事通信) - Yahoo!ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130403-00000133-jij-pol
秋元康が出てきたら脊髄反射的に「あいつばっか儲けやがって」って考えるんですね。それ以上思考進まないんですね。アホなんでしょうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130403-00000133-jij-pol
この記事について一言。
この記事を見て秋元康はクリエイティブ職の人間を理解していないとハッキリわかった。
語弊なく言うとしたら生きるためにはお金を得なきゃいけない。
だけど大金出して「どうせ金が欲しいんだろ?」という相手と、
予算が少ないくらいだけど「一緒にいいものを作ろう」という意気込みを感じる相手。
多分世に言われる面白いものを作るクリエイタの大半は後者につくと確信を持って言える。
製作者を値踏みするような態度で、
ほんとに一緒にいいもの作りましょうってクリエイタがなるか、という話だ。
無報酬なのは価値がつけれないから、そこからクリエイタのチャンスになるとか詭弁を言うだろう。
なぜなら僕も元クリエイタであり今はディレクションとプロデュース側の人間だから。
この業界の人間は本当にそういうクサイものに対して嗅覚が鋭い人間が多い。
彼がプロデュースしてるものの盛り上がりがイマイチなのは何故か?
理由は一つ、採算度外視で無茶して盛り上げようとするクリエイタが彼につかないからだ。
商業が根付いたオペレータでしかないクリエイタはもはや冒険心を失っている。
そんな人間が作ったものに誰が心を動かされるっていうんだろうね。
結論。
デジタル化が進み、商業作品とアマチュア作品のクオリティ的な差異はなくなりつつある、みたいなことをよく聞くけどどうも、うーん...ピンとこないんだよなぁ。
差異なんかありまくりでしょ?とか思うんだけど、まぁ...数値化とかさ、「見える化」っていうの?できるもんじゃないからねぇ...
モヤっとするよね...
たとえばボカロ?いや、別に悪いとは思わないけどね、うん、良いとも思わない。
ジャンクフードみたいな感じだよなぁ...いや、だから悪いってんじゃなくて、うん、ポテチ美味いじゃん、ねぇ...
ポテチは美味いし、個人的なこと言うと好きよ。でも毎日は食いたくないじゃん。
...まぁ、そういうこと言ってもさぁ...誤解というかねぇ、怒られそうというか...
空気読むならば、うーん、そっとしておいたほうがいいんだよね。きっと......
それでも何かこう子供たちにメーセージをさぁ、なんというか...
「ジャンクフードばかりじゃなくて、もっと野菜とか食べないとダメだよ」
みたいなさぁ...言いたくなるよ、大人(笑)としてはね.....
そういうこと言うとね「ポテチはじゃがいもだろwwwww野菜じゃねーかwwwwwwいい加減にしろwwwwwwww」
ってなるのはわかってるのよ。そうですよ、イモは主食っていう文化もね、世の中には存在しますよ、ええ....ポテチばっかり食ってて悪いことなんてないですよ。
それでもですね、「いや~それだけじゃなくて緑の野菜もね...」とかね、言いたいんですよ。食育っていうのかな。
「え??あんなまずいもの誰が食うの????」誰得?とかンゴwwwwとかですかね...いやよくわかりませんけど、わかりますよ。
葉物なんて今高いですしね。いや、そうそう、あんなものは昆虫の食いもんですよ。
ポテチこそヒトの食い物ですよ、ええ....
でもね...いやいや、なんっていうのかなぁ、えーいろんな食い物が世の中にはあってですね.....ノーノーノーあなたが子供舌だって言いたいわけじゃないんです...えー、うー、えー、
(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!えー、(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!(予測変換ででてきた?)
うーん....何言ってんのか自分でもわかんなくなってきたよ。食いもんの話じゃなくて音楽の話がしたいのにね。
でも、食いもんの話、続けるわ。まぁたとえ話っすよ。
イギリスって料理不味いって度々話題になるけどさぁ、まぁ実際不味いよ。うん。
で、なんであいつら不味いもんばっか食ってて大丈夫なのかってさ、微妙な調査の結果、まぁたぶん、
奴らの道徳心の中で、「欲求を満たすために手のこんだことをするのは罪悪」っていうがあるらしい。
そういうのに対して食い物大好き日本人としてはさぁ
「ええーなにそれ??不味いものばっか食い続けるより、ちょっと工夫して美味しいもの食べれた方が断然良いのに」
「別にうまいもん食ってなくても食ってりゃ死なねーよ!」って感じなんじゃないかな。と
まぁいろんな考え方、世の中にはあるって想像できるけどさぁ...
「金払ってまでうまいもん食いたくない」とかね、
まぁこういうのは極端としても、
「家庭でカンタン中華の素みたいなのがあるんだから、高い金払ってまで中華料理食いに行く必要あるの?」とか
「ちょっと工夫すればサイゼリアより旨いイタリアンなんて簡単に作れるよ。プロとアマに差異はない。だからイタリアンのシェフに存在意義はないよ」とか
うん、まぁね...まぁなんというかさ、こういう言葉を頭のなかで想定してみて、反論?なんとなく想像できないんだよなぁ、うーん・・・。
でも、ぼんやりと日本人としての「常識」ってやつ?から考えてみて、「中華の素」と「中華料理」、「サイゼリア」と「本格イタリアン」、「金払ってプロの料理を食べること」と「アマチュアが見様見マネで自炊すること」は区別が付いてる自分がいる。なんでなんだろうな、うまく書けない。クオリアなんつって(笑)
「別に耳が聴こえてりゃ音楽なんて聴かなくても死なねーよ」とかもね、そりゃあるでしょ。「生きるために必要じゃない」とか。わかる。わかるよ。生きるために必要なことって何かな。たとえば、まぁ食べることだよね。うん、わかるわかる。食ってりゃ死なないから、それが美味いものである必要なんてないよ。うん、わかるわかる。他に何が重要かな。衣食住は基本として、他には?清潔に暮らすってことかな。体を洗うためにお風呂は重要だね。うんうん。でも体を洗うのに必ずしもお湯って必要じゃないよね。水で十分だよ。いやほんとだよ。必要なものだけでいいんだよ。音楽は必要なものではないよね。
ほんとにそうだよ。でもさ、毎日じゃなくてもいいからうまいもん食いたいし、水風呂もなるべく勘弁して欲しい。音楽もなるべくサイコーなものが聴きたいのですよ。
あのね、確かに音楽は無料で聴けますよネットは。旧譜から新譜までそりゃもう大量に。。でもさ、ぶっちゃけて書くと、クオリティ的にぜんぜん満足出来ない。あんなので満足できるかよ。特に最近のものだよ。いろいろ理由があるんだけど、あのー「アマチュアでもプロ並」とかいうけどね、いや、なんかね、アマがプロの真似してるだけでツマンナイのが多いというかさぁ...プロはプロでこぢんまりと宅録だしな。せせこましいよホント。
悪いって言いたいんじゃないんですよ。満足できるかっちゅー話ですよ。
昔さぁ秋元康プロデュースでねずみっ子クラブっていたんだけどさぁ、要するに「大人っぽい小学生」とかを集めたグループだったんだけど、そこにいる子たちが「大人っぽい」というより「大人のコスプレが似合う子供」って感じでなんかいまいちだった。実際、失敗してるし。いやロリでいいんだよロリで!っていうのが通用しない時代だったしね。
アマはアマでいいじゃない。甘々でいいじゃない。その上でプロの仕事があるっていうさ。ロリもBBAもみんな好き。それでいいじゃない。みんな違ってみんないい。ロリもBBAも違いがわからないなんて人がいたってさぁ、まぁ、いいんじゃよ、はぁ~。。。(何が言いたいんだよクソが)
...いろいろあっていいんだけど、いろいろない気がする。いろいろある気はする。とにかく多いなっていう、そんな世の中ですよ。
「昔はよかった」なんつってね。そんなんで満足できるなんて、そりゃうらやましいっすなぁってなもんですよ。
水風呂の中でポテチ食べるなんてずいぶん文化的な生活じゃないですか。あと若さを感じるしね。
でもさ、それせめて水風呂じゃなくてプールにしてくんない?とかまぁいろいろ思っちゃうんです。露天風呂にしてくれとか。
まぁ、論点はズレまくっていくわけだけど。。。
秋元康が峯岸事件について語ったポッドキャストがアップされた。
これを友人とも共有したいと思った。
しかし実際は連絡はしなかった。彼と連絡を取るのをやめて一月経っていたし。
それは良いのだが、俺はこいつが本当に糞なやつだということがこの病気が発端でわかった。
ペットは親戚に預けることに。洋服、娯楽用品、洗面用具等すべてまわりが手配。
病気の原因は本人の不摂生にあるのにそれを反省した素振りを見せない。
病気になる前にみんな彼に注意をした。
「運動をしたほうが良いよ」「野菜を食べたほうがよいよ」などなど。
それをなんだかんだ理由をつけて拒んだ。
「いや、時間がないんだよねー」「ジムいくお金がないっていうかー」
そのくせペットなど飼い始める始末。
自分ひとりではなにもできず、親に助けてもらってる現状。
でもこれはいいことだと俺は思っていた。
人間とことんまで落とされると、そこで切れて、また這い上がろうと努力する。
悪いところは改善する。
考えは変わる。
ホリエモンでさえ一時期に比べ丸くなったと言われた。
そういうものだと思っていた。
だがコイツは違った。
SNS上では愛想いい。人に心配される、同情を買うようなポストを投げる。
いいね!がそこそこつく。
挙句の果てには、迷惑をかけている親のケアについて不満を言う。
こんな制限かけてくるんだぜー、ホントなんでなんだよー、と。
親が制限かけるのは当たり前だろ。自己管理できない子供はルールで縛るしかないだろ。
お前自分の立ち位置理解してんの。相当ダサいことになってるよ。
もうお前には当分会わないけど、この機会に言っとくよ。
それをまわりの人はどう思っていると思うんだ。
お前の見舞いに行って、「最近風邪気味だった。体調管理は大変だ」
車椅子のお前と討論する気もないし、そんなことの為に見舞いに来たんじゃない。
友人だからと人の気分を害しても気にしない、ありがとうも言えない、
俺は多分がっかりしたのだと思う。
相当がっかりした。
AKBのビジネスモデルはCDに握手券をつけて売ること。つまりアイドルと擬似恋愛をする権利を売るというものだ
メンバーに彼氏がいたら擬似恋愛にならない。このビジネスモデルの崩壊を招く
そもそも「擬似恋愛ができる権利を売る」ことが倫理的に許されるのか
悪質なのは,恋愛経験のないオタク系の男子をターゲットにしていること
彼らは純粋なため簡単に騙される
女の子に触れたこともほとんどない。握手しただけでメロメロになり,
いくらでもお金を使うようになる
そのような幻想を抱かせ,お金を巻き上げるという手法は詐欺に近いものがある
AKBという名前からもわかるように,秋元康はこのような秋葉原のオタクをターゲットにした錬金術を思いつき,実行した
ファンがそれでもいい,自分が幸せならばそれでいいと考えている間は良かった
しかし,峯岸が坊主になったことで不幸になるオタク達が出てきてしまった
自分でやったこととはいえ,峯岸本人も決して幸福とは言えないだろう
そしてAKB48という錬金システムのおかしさに気づき始めた人が現れ出した
夢を売ることが商売だったのに,夢どころか不快感,嫌悪感を人に感じさせたらアウトだろう
もうこんなことは終わりにしよう。AKB48という夢は終わったのだ
東京の秋葉原という同じ場所で、コミュニケーションヘの過剰適応の同じ沸点から、一方は身体性を破壊し、人間を「削除」する方へ、他方は身体性を回復し、生を励まし合う方へ分岐していくできごとがあった。一方は二〇〇八年六月八日秋葉原の路上で起こった二五歳の若者による無差別殺傷事件であり、他方は○五年から秋葉原の専用劇場に拠って活動を開始したAKB48である。
若者は一九八二年青森市に生まれた。教育熱心で上昇志向の強い両親の期待に応えて成績優秀な「いい子」に成長した。しかし高校時代から成績が下降し、同級生が多く四年制大学に進学するなかで波は短大で自動車整備工の訓練を受けた。卒業後は派遣社員として職を転々とした。自分が「派遣切り」にあうという思い込みで工場づとめをやめ、「勝ち組はみんな死んでしまえ。そしたら、日本には俺しか残らないか。あはは」といった荒涼とした書き込みをされて、唯一の居場所を失った感覚も犯行へと彼の背中を押した。
AKB48は、ネットを通して人気が広がり、テレビでブレークしたが、更にその先に、ファンと共につくる身体性を伴う共同体が、当初から目指されていた。プロデューサー秋元康のデザインに沿って、歌も踊りも人並ていど、可愛さもほどほどの普通の女の子が一所懸命練習して成長していく姿がファンの目近に可視化されたから、ファンは感動して見守りながら俺もがんばるという一緒意識が生まれた。ファンの身体性を伴う参加感覚は、新曲を歌うメンバーを選出する「総選挙」で投票したり、選出のための「じゃんけん大会」の場に居合わせた力、全国で聞かれた「マラソン握手会」にかけつけることで高められた。「会いに行けるアイドル」の身体性を伴う自己提示と、ファンの側の身体性を伴う参加とが協働して、身内感覚にあふれるローカルな共同体が構築されたと言える。
AKBの峯岸みなみが、恋愛禁止条例を破ったせいで丸坊主になりました。(参照])
しかし、20歳の女の子が奴隷みたいに自分の髪を切り落とす事態をみても、一部のファンは「よくやった(by小林よしのり)」「非処女!ビッチ!」「ざまぁ」「自業自得」「ルールを破ったんだから、このくらい当然」と言っている人すらいます。
若い女の子が髪を切り落とさざるを得ない性質の悪い体罰じみた状況は、明らかに異常ですよね。なぜ彼女はそこまで追い詰められてしまったのか?長年のアイドルファン視点で解説します。彼女が髪を切り落とすのは『日本型のイジメ体質』のせいなどではありません。そうしなければ、ファンが彼女を許さないからです。
日本のアイドルファンの中に「処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドル」を求める気持ちがあります。日本のアイドルは、擬似恋愛の対象として成立してきました。だから、『恋愛禁止』はアイドルをする上で守らなければならないお約束だったのですね。実際、「恋愛しません」と宣言しているのに、「イケメンちんぽ!しゅきいい」と約束を破っているのですから、激烈に怒るファンがいるのは当然です。だから、峯岸みなみは禊として髪を剃らざるを得なかったのです。それくらいアイドルファンの中にある処女性信仰は根強い。
しかし、もう処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドルは成立しなくなってしまっているのではないでしょうか?時代が変化し、「恋愛しません」というフィクションには限界がきている。AKB48は、既に賞味期限の切れている疑似恋愛というフィクションを守ろうとするあまり、秋元康以外の全員が不幸になっています。
かつてのアイドルは「恋愛禁止」のお約束が成立していました。アイドルは処女性を持ったみんなの恋人だったのです。
でも、実情はどうだったか?
当時のアイドルたちが大人になってから書いたエッセイ・回顧録・暴露本を読むと、「堕胎して死んだ赤ん坊を持ち歩いていた」「忙しいスケジュールの間をぬって、逢瀬を重ねていた」「同期の男性アイドルと関係があった」と書かれています。
つまり、恋愛禁止は昔も守られていなかったのです。考えてみれば当たり前のことです。アイドルになるような積極的な女の子に恋愛を禁止するなんて、どだいできるわけがないからです。そもそも、秋元康自体が恋愛禁止を掲げながら、高井麻巳子を喰ってるしな!
ただ、昔はその嘘がつき通せた。裏切りが露見しなかった。
携帯カメラを持っている一般人なんていない。秘密を知っている友人がいてもTwitterに書き込めなかった。芸能人そのものの人数が少なかったから、事務所がコントロールできた。処女性を前提としたアイドルは、過去だから成立し得た一過性の徒花だったのです。
ところが、現代では、「恋愛禁止」の嘘を突き通すのは並大抵のことではありません。
一億人が高解像度のカメラを持ち歩き、死角はどこにもない。男性遍歴を知るかつての友人がTwitterでリークし、一瞬で拡散されてしまう。アイドルになってから恋愛禁止を守ろうとしても、過去のプリクラ・ハメ撮り・書き込みをすべて消去することはできない。アイドルになる前に、アイドルとして殺されてしまう。
つまり、いくら嘘をつき通そうとしも「処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドル」というフィクションは成り立たなくなってしまっているのです。
このように、「みんなの恋人」アイドルは成立しなくなってしまっています。賞味期限が切れて腐臭を放つフィクションをかたくなに守らせようとすると、どうなるか?
小林よしのりのように(参照)恋愛禁止を求め、アイドルに処女性を強要するファンは、ファンでありながら、好きな女の子の不幸を望むことになります。
まず、年頃の女の子にとって「好きな人と恋に落ちる」のは普遍的な感情です。おそらく止めようとしても止められるものではありません。昔も今も守られてきていないのですから。アイドルだって人間だから好きな人とご飯が食べたい、一緒に歩きたい、その先も進みたいでしょう。
疑似恋愛を求め、処女性を強要し、思春期の女の子に恋愛禁止を望むのは、要するに「人間たるな。アイドルを演じる奴隷たれ」といっているのと同じです。それは「疑似恋愛に酔いたい」という自分の欲望のために、彼女たちに、日本国憲法ではありえない自己犠牲を強要しているのです。
好きな女の子が夢を諦めたり、髪を切り落とさざるを得なくなる「条例」に何も感じないのは、ファンとはいえません。その約束はもう守れない時代になっているのです。
さらに、疑似恋愛型ファンは、ファン自身も絶対に幸せになれません。
まず、どんなに入れ込んでも、握手に通いつめても付き合えません。自分でも付き合えるなんて思ってないでしょ?(指原みたいな例外はあるが)アイドルはむしろ恋愛に積極的な部類の人間です。約束を守っているように見えているだけで、たいていは約束をやぶっている。だから、嘘に気がついた時に疑似恋愛を求めるファンは傷つくだけです。魔法は必ず解けます。なら、最初から恋愛の対象として考えない方が、幸せなのではないでしょうか?
「恋愛しない可愛い女の子」というフィクションには必ず終わりがきて、ショックをうけるだけです。
「疑似恋愛型アイドルには限界がきているから、やめるべき」というと、「歌も上手くないし、ダンスも微妙。顔もそこそこの子が売れるには、処女性幻想、疑似恋愛幻想って付加価値がないとダメなんじゃないの?」との反論があるかもしれません。
しかし、現に疑似恋愛を抜きにしてもアイドルは成立します。なぜなら、アイドルのファンは疑似恋愛を求めるファンだけではないからです。「頑張っている子を応援したい」気持ちでアイドルを好きになるファンはいくらでもいて、彼らの需要は非常に大きいのです。
たとえば、Perfume。ルックスはそれほどではないけれど、パフォーマンスの上手さ、楽曲の魅力、物語の魅力でファンを獲得しています。
たとえば、ももいろクローバーZ。ルックスもダンスもそれほどではなくても、「全力でカバーしている。(僕は今一番好きなアイドルです)
彼女たちの人気は、疑似恋愛を抜きにした「応援したい」需要で成立しています。
実際、Perfumeの子たちにスキャンダルがあったときは、一部をのぞいてそれほど騒がれませんでした。人気も全く落ちていない。仮に、ももいろクローバーにスキャンダルが起きても「お…おう…」と若干の生臭さにひく人はいても、AKBのように激烈な反応は起きないはずです。
最近では勢いがあるのは「応援したい」型のアイドルです。なぜなら、老若男女の需要を取り込めるから。実際、私の家族は全員ももいろクローバーZのファンです。
だから、AKBも恋愛禁止っていうもう時代遅れのフィクションに拘泥するのはやめて、「頑張っている姿を応援したい」需要に特化していくべきです。
AKBには、百田夏菜子をはるかにしのぐ運動能力を持つ子がいる。世界大会に出場するくらいのダンスの実力を持った子もいる。アーティストより歌が上手い子もいた。多様な個性を持つ彼女たちが、死ぬ気で夢に向かって頑張っている姿は、ファンを取り込む普遍的な力があります。彼女たちの魅力をそのまま伝えていくべき。
疑似恋愛をやめても、「そこそこ可愛い子が死ぬ気で頑張っている」だけでアイドルは成立するのです。それこそ、SKE48はかなりももいろクローバーZに近いタイプの人気がある。
「処女アイドル」という時代遅れの腐臭を放つフィクションに拘泥しても、関わっている全員が不幸になるだけ。彼女たちが『人間として』アイドルを続けられるように応援するのが真のファンではないでしょうか。
まず、アイドル。恋愛をしてもいいけど本気で隠して欲しい。隠して欲しいのは、生臭いから。できるだけ隠すように努力するべきです。芸能人専用の絶対にバレないラブホテルとか、芸能事務所合同でつくってほしい。トイレで暗証番号を押すと、扉が開いて、ホテルに入れるみたいな。
それでも、昔の友人の嫉妬でリークされたり、コンビニ強盗のような格好に変装をしているのにフライデーされることはあるでしょう。その時、ファンは「まぁ、しょうがないよね、女の子だし」と寛容になるべきです。「そのかわり、もっと頑張ってよね」でいいじゃないですか。処女性を押し付けるのはやめて、夢に向かって頑張っている女の子の物語を楽しみましょうよ。
ファンが寛容になり、「恋愛をしてもいいよね」という風潮が生まれれば、秋元康だって恋愛禁止条例を取り下げるかもしれない。廃止しないまでも、ペナルティも軽くなるでしょう。カビの生えた「恋愛禁止条例」に拘泥して騒いでも、得をするのはスポーツ新聞と秋元康だけ。ファンとアイドルは傷つくだけ。
恋愛禁止条例なんて守る必要はない、支持する意味もない。なぜか。
そもそも、秋元康自体が恋愛禁止を掲げながら、高井麻巳子を喰ってるからだよ!教祖だけが破っていい掟の正当性なんてあるわけないだろ!
秋元康の狙いはアイドルの破壊。アイドル冬の時代の再来なんだよ。推測だが。
秋元康はAKBビジネスが成功しようが失敗しようがどうでもいいはず。おニャン子はじめ数々の成功で、お金は十分に稼いでいるだろうし(ギャンブルで借金まみれという噂もありますが)出資は別のところにやらせているんで、失敗しても秋元の懐は痛まない。
こういう人間が再びアイドルビジネスをやる理由、これは名誉欲に他ならない。
こう思った理由があって、一昨年のレコ大で高橋みなみあたりが言っていたんだが、秋元は自分が取ったことの無いレコ大をどうしても欲しかったそうだ。
まあ成功した人間が、次に名誉を欲しがる、というのはよくあるパターンだからね。
じゃあ秋元は何を狙っているのか。秋元は一度「女性が芸能界を目指す際にAKB以外の選択肢が無くなるようにしたい」 って発言している。
つまり、AKBの前にアイドル無し、AKBの後にアイドル無し、って状況を狙っているんじゃないか?
売上や規模で言えばAKBの前にアイドル無しの状況に持ってこれた。じゃああとは後から抜かれることの無いよう、アイドルというものを破壊しつくしたいんじゃないか。
実際、今回のこの件でAKB系ならずアイドル全体に嫌悪感を持っている人が多く表れている。
あと、今のAKB系のファンはそのあと他のアイドルを好きになる可能性はかなり低い。
なぜなら、AKB系のファンは疑似恋愛の対象として見ているタイプのファンが多いから。
アイドルファンって疑似恋愛の対象として見る人とパフォーマンスを純粋に見る人の二つに分かれて、前者は中高生、後者はもうちょっと上の世代か小学生が多いんだけど、前者のタイプってこれを最後のアイドルにする勢いでファンをやるんだよね。
だから今好きなグループのファンを辞めるとき=アイドルファンを辞めるとき。後者の様に別のグループに手を出すことはあり得ない。
だから、幾人かの人が指摘している通り、AKB系の終わり=アイドルの終わり、となると思う。こうなる確信もある。
なぜなら、かつてのアイドル冬の時代を開いたのは誰なのか、ってことなんだ。
アイドル冬の時代というといろいろ定義があるみたいだけど、1988年~1993年のここをアイドル冬の時代と定義することにする。
この時代を迎えた要因は大きく3つが指摘されていて
・小泉今日子の「なんてったってアイドル」によるアイドルのメタアイドル化
これなんだけど、このうち2つに秋元康はかかわっているわけだ。秋元康はアイドルファンという鉱脈の上で焼畑農業をしている。
だから再びアイドルを壊される前に秋元康を追い出せ。これしかない。
峯岸みなみが反省の意を込めて丸坊主にし、それを事務所・運営公認で公式動画で配信されている件について。
峯岸みなみの動画は一般的にみて「痛々しい」と思わざるをえない。たぶんそれが普通の感覚だろう。もし彼女が自分で勝手にやってきたとしてもこれはさすがに「ノー」である、髪が伸びるまでは謹慎させ表舞台に立たせないなどの判断を下すべきだろう。それどころかカメラを構えて泣いている彼女を撮り公式動画としてネットで公開するということになっているわけである。これについてはほとんどの人が”気持ちの悪さ”を感じたのではないか。
アイドルが坊主頭にして反省することは法律で禁止されているわけではない。しかし私はこれを「自傷行為」だと考えるし程度の差はあれどリストカットをしたり指を詰めたりと変わらない行動だと感じる。いかにそれが芸能界の厳しさであったとしても、結果としてそういった行動をさせてしまったシステムや運営としての責任を考え、どうにか世間に見せない方策をとるべきだった。
これを彼女が自分でやったことなどと言って論点を誤魔化すのは、どこぞの宗教団体が「実行犯が勝手にサリンを撒いた」と言っているようなものである。
実際この動画がどういった経緯で撮影され公開されたのかは定かでは無い。秋元康のOKでやったのか、支配人のOKでやったのか、事務所が勝手にやったのかはわからない。
暗黙の了解としての”恋愛禁止、それを破ったら処分”というルールを持たせている運営は組織としての責任を持って、”破った場合の対処方法”を彼女と一緒になって考えるべきだったのではないか。
また、彼女本人について言えることといえば、彼女の精神状態についての仮定である。
私はこう推察する。
法律に違反しない以上、彼女が男性と交際しようが丸坊主にしようが、その行為への賛否であり彼女への評価は彼女のファンがそれぞれ決めることである。男遊びが激しくても別に気にしないよ?というファンもいるだろう。
まず、峯岸みなみはバラエティを得意とする結成当時からのメンバーであり、個としての人気は総選挙14位と、トップのメンバーとは言い難いものの、仕事や待遇、地位の面ではそれなりに確立されているものだと考えられる。現在20歳の彼女は13歳のころからAKBとして活動しており、一般人としては学歴や職務技能等の金銭獲得能力はそれなりに低い。現在の年収は明らかではないが、500万~1000万程度はあるのではないかと推察される。
先日ISSAとの交際報道で脱退し、さっぱり音沙汰がなくなった増田有華とは少し事情が違う。増田有華は目立った特技もなくかつ総選挙26位というあまり重要なメンバーではなかった。報酬の額もそれほどでもないだろうし、ルックス的にも”バラエティ顔”の峯岸みなみよりもイケメン男性にモテるタイプだろうし、役者としての能力もあるようだ。AKBをスッパリとやめて他の人生を考えてもそれほどの違いは無い。前田敦子の場合はレジェンドオブAKBとして今後もやっていける自信があっただろう。最近脱退が相次いでいるSKEなどのメンバーも同様で、人生について天秤にかけているのである。
しかし峯岸みなみの場合は、本当に「今AKBを辞めてテレビから消えたら本当に何も残らない」という一発屋芸人並のメンタルだった筈だ。
何も残らないわけではないにしろ、金銭面で大きな落差が生じるのは確実である。それゆえの丸坊主行動、というか、もしも丸坊主じゃなくて例えばどこぞのお偉いさんに対する肉体接待で許されるなら、そこまでもできたのではないかろうか。
そもそも前田敦子のケツ出しなども含め、彼女達の一部では”遊びたい”という意味での鬱憤は相当に溜まっているハズだ。恋愛禁止という暗黙の了解があったとしても、本質的な欲求として、必ず一定の割合でそういう子は出てくる。青春という一度しか無い時期に遊びたいからリスクをおかして遊んだ、でも金銭含めて地位を失うことは受け入れがたい、であれば”丸坊主にして話題にもなり、再度チャンスを”という判断は個人としてわかりやすい。
これは反省とかそういう意味ではなく(そもそもナニに反省すればいいの?)、彼女にとって最も合理的な行動なのだ。
そもそも彼女達の大事な人生を奪ってまで恋愛禁止として人気の有無に関わらず厳しいルールにするのか、それとも恋愛を解禁し、万が一の場合でも処分を含めて辞退等を許さず、あくまでファンの賛否に委ねるのか、そういったことを運営としてしっかり態度に出して行かなければならないだろう。
一応、いっておきたい。
AKBの恋愛禁止というシステムは秋元康がつくったものではなくファンがつくったものだ。
かるーい、「アイドルとして恋愛はダメだよね」っていう認識はメンバーにも運営にもあったっぽいが、
なにか罰則があったわけではない。それは、やめていった大島麻衣なども語っている。
そんな状態であったときに、1人のメンバーが恋愛問題をおこした。
この問題について、秋元康と運営はスルーをするつもりだったが、
ファンは怒り、そのメンバーの解雇を秋元康と運営にせまったのだ。
そして、その恋愛問題をおこしたメンバーに対して、ファンは徹底した、いやがらせをする。
http://stat.ameba.jp/user_images/20100324/11/fujiengineer/c0/cf/j/t02200293_0240032010464747576.jpg
流出した彼氏とのプリクラを再現するというクソみたいないやがらせだ。
ここまでいやがらせがエスカレートしたら活動は難しく、もう彼女を解雇するしかない。
これが、AKBの恋愛問題でのはじめての解雇であり、恋愛禁止の始まりだ。
秋元康はこの恋愛禁止というルールについてどう考えていたのか?
間違いなく馬鹿馬鹿しいと感じていた。それは、彼が、書いた「恋愛禁止条例」という歌詞でわかる。
http://www.youtube.com/watch?v=N4gwVJuQfH8
http://j-lyric.net/artist/a054ab5/l024232.html
私が思うに、AKBの運営というのは決して悪い運営ではない。ファンにとって。
この間も全てのコンサートを無料でYoutubeに放映するなど、つねにファンサービスを気にしている。
ファンの望みをつねに考え行動している。確実に「ファン>メンバー」なのだ。
今回の件も考えて欲しい。
単純にメンバーを守るのであれば、「数人の友達と一緒に過ごしていた」など
ただ、ファンはそれで満足するのであろう? 残念ながら絶対にしない。。
ファンをつねに第一に考えるAKBの運営は、こういうときもメンバーを守りはしないのだ。
AKBはそうやって人気を作ってきたのだ。
私がAKBのオタをやめたのも別に何かあったからではない、ただ飽きたからだ。
飽きれば捨てる。そんな残酷なファンの望みは何なんだろうか。
友達のAKBオタのここ最近のアップダウンっぷりにちょっと呆れてたんだが、
丸刈り会見みて、あまりにも完璧なダメージコントロールに戦慄したんで、
このトンでもなく黒いショービズ界のアイドルに対する非人間的扱いも含めて、軽く。
まず、週刊文春にAKB48の峯岸みなみと、GENERATIONSの白濱亜嵐とのお泊まりがすっぱ抜かれる、
ってのがあるけど、これどう考えても事務所が抑えきれなくなったって話で、
徐々に対策してるのが見て取れる。
http://news.livedoor.com/article/detail/7198155/
http://www.youtube.com/watch?v=-jbgnAG8jE0#t=178s
週刊文春発売 →1/31
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2306
んで、丸刈り謝罪会見 →1/31
http://www.youtube.com/watch?v=UlzrIgacADU
これなー、たぶんギリギリまで事務所かばおうとしてたんじゃないかな。
彼女が可哀想って言うことじゃなくて、「アイドル」としての利用価値として。
具体的に言うとCMとか、企業タイアップとか、超具体的には「峯岸みなみ」の価値がたぶん金額で出てる。
ただ、俺の友人であるAKBオタの様子を見てても、1/30の「恋愛は応援されない」云々は、
で、あまりといえばあんまりにもフツーのオタの反応見てさ、事務所も腹くくったんでしょ。
(傷害や強要にはたぶんならないけどね。本人が自分でヤッタって言い張るだろうから)
「AKBの峯岸みなみ」には、フツーに億の価値があるわけだろ。
ってことは、引退は本人が望もうがおそらくあり得ないし、
かといって、飛ばせるほどポジションが軽くもない、
なので、もしかしたらソフトにいけるかなーという淡い期待も込めて小出しにしつつ
「遊んでるんじゃなくて、結構真剣に恋愛もしたい普通の女の子なんだよ?」という色をつけつつ
丸刈り会見で落とすと。
秋元康の恋愛禁止言ってねえ云々は元々色々あるんだろうけど、この流れは見事すぎるだろ。
だってさ、どう考えてもこのご時世で、女の子が丸刈りしてYouTubeでてりゃイジメにしか見えんだろ。
この丸刈り会見を無視して、週刊文春にだけ触れるメディアは絶対に居ないだろ。
てことはだ、「恋愛禁止はおかしいとおもう」→「週刊文春が原因」→「丸刈り会見」の流れで、
『いや〜、峯岸みなみって子は、アイドルとしての自覚が足りないんじゃないですかね?』とかいう
コメンテーターが出てきたら俺は無条件でそいつのファンになるよ。
これで峯岸叩くヤツは人間じゃないよ。
んで、この後の流れは「カウンセラーへの通院も含めてバックアップしている」とか運営発表が出て、
どんなにゲスいワイドショーでも坊主頭の女の子の練習風景おっかけて叩く流れにはならんだろうし、
髪が生えてくるころ(半年〜1年くらい?)に、禊ぎを終えたっつって戻ってくるだろ。
パーフェクトなダメコン。
……でもな、これって峯岸みなみって言う20歳の女性にして良いことなのか?
金銭的価値があるのは判る。
アイドルはトイレに行かないとか、恋愛しないとか、そういう偶像を商売にしてるのもわかる。
でもな、やっぱ基本的人権すら守られていない感じがするこの対応だけは、許しちゃいけないんじゃないか。
いくら本人が叩かれても、莫大な損失を抱えることになっても、越えちゃ行けない一線だったんじゃないのか。
もう刈り上げちまった髪は戻ってこないけどさ、
散々書かれているところアレなんだけど、・・・坊主になったらなにか変わるわけ(笑)?え?気持ちが変わる?
体罰と一緒じゃん。
AKB48というブランドに縋る少女たちは、その強大な権力の前では成す術もなく従うのみ、っていうか。
見捨てないでください、AKB48なしじゃ生きていけないんです、どうにかなりませんか、と・・・そこまで信仰しているわけじゃあるまい。
峯岸さんって名前は聞いたことあるし、テレビでも見たことあるんだから、AKB48から脱退したってやっていけるでしょう。なんのコネもないなんてことはないよね?
坊主にしてくれ、って随分とおかしな話ですよ。坊主にしたら、なにか解決するんですか。
このタイミングで秋元康もよく許したよね。ほんと、見ている側は気持ちよくないよ。
それに秋元康と相談して決めたことです、ではなくて私が独断で決めましたと言っているあたり、秋元康の鬼畜さが見えるよね。
全責任は、峯岸にある、と。
彼女が決めたことなので、他の誰にも責任なんかねーよ、知ったこっちゃねーよ、と。
けれど、彼女の決めたことであるとかどうこう以前に、これって見せしめじゃん。
とかなんとか言いながら。
これって秋元康と峯岸さんが世間にもっと体罰問題を考えて欲しくて、放り込んだニュースじゃないかなーとか思った。
どうにもAKB48のスキャンダルっていうのは、こう・・・数か月前から計画されていたことのようにしか思えないんだよね。
だって、このタイミングで坊主って、あまりにも酷すぎじゃない?AKB48ヲタじゃない人も快くないよ?
たぶんAKB48はグループとしての梃入れの為にいくつかスキャンダル記事を常に用意していて、その時代、その時期に応じた方法で罰を与えているんだと個人的には思っているので。
今回は、「体罰問題をより多くの若者に考えてもらうためにひと肌脱いでもらえないか」と秋元康が峯岸さんに頼んでやったことじゃないかな、と。
たぶん、世の中にいる多くの人が、この制裁の受け方について疑問を抱いたと思う。考えることになると思う。それっておかしいじゃん!って声を上げることになると思う。
http://d.hatena.ne.jp/mala/20120830/1346309790
高木浩光はセキュリティについての啓蒙活動を行なっている。残念ながら日本においてこのような才能のある人間は高木浩光だけと言っていいだろう。malaもセキュリティ(特にJavaScriptが絡むやつ)についてはスペシャリストなのだろうが、いかんせん枝葉すぎる。重箱の隅をつついてるに過ぎない。部分的に特化した能力を持ってはいるものの、セキュリティ全般というとそうでもないだろう。
そもそも、高木浩光は個々の事例などどうでもいいのだ。個々の問題に言及することは手段であって目的ではない。セキュリティ全般の啓蒙が第一の目的なのだ。逆にmalaは、目先のことしか見ていない。全体を俯瞰して見れないのだ。これは年齢の問題もあるだろうが、やはり根本的な生まれついての人格の問題でもあると思う。高木浩光は非常に貫禄のある名前だが、malaはひどい名前だ。親が泣いてる。せっかく子供に素晴らしい名前(たぶん圭介とか)を付けたのに、こんなDQNネーム以下の名前を名乗るなんて。クリトリスにピアスをするよりも悲しいことだろう、親にとって。
大体、高木浩光は貫禄あるよね。なんか。よく分かんないけど貫禄ある。産総研っていうすごいところに勤めてるし、国のために戦ってる感じがする。それに比べてmalaの勤めてる会社はNHN JAPANだ。LINEという完全にセキュリティ的にアウトなプロダクトを中心に、NAVERまとめやアフィブログの運営を行なっている。セキュリティについて何か言っても説得力ないよ!
とは言え、malaはライブドアに勤める前に産総研に誘われたって前に読んだ気がする。うろ覚えだけど。ということは、malaは権威よりも自由を取ったというわけだ。おそらく日本赤軍の重信房子あたりに感化されたのだろう。しかし悲しきかな、自由を取って一般企業に勤めた代わりに、言論の自由を失った。逆に高木浩光は国家機関に所属することで、言論の自由を手に入れた。高木浩光が三島由紀夫だとしたらmalaはチャットモンチーだ。
高木浩光はすげえよ。あいつはすげえ。ヒールを演じてるんだよ。セキュリティを啓蒙するには劇場型にするしかなくて、劇場型にするには自分がヒールになるしかない。ネットで批判されてもいいから、自分が嫌われ者になってもいいから、日本のために立ち上がろうとしたんだ。あいつはすげえ。これはAKBで秋元康がやってるのと全く同じ戦略だ。風貌も似てるしな(笑)
それに引き換えmalaはなんだ。自由の戦士気取りか。お前は確かにネットで人気があるよ。はてなブックマークではお前の信者がわんさか褒め称える。でもな、その先に何がある。一時的な賞賛が得られたからって何になる。もっと未来を見ろよ。俺達の未来は輝いているべきだろ。
アイドル業界に詳しくない人は驚くかもしれないが、根っからのアイドルオタクは秋元康が嫌いな人が多い。
なぜか?
まず、秋元康という人は、実は王道を好まない。アイドルにアイドルらしいことをさせるよりも
アイドルにアイドルらしくないことをさせたがる。その方が面白いと思っているのであろう。
おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」でSEXのことをズバリ歌詞にしたりするのが良い例で、
根っからのアイドルオタクにとっては、こんなものはアイドルが歌う曲として認めらないのだ。
AKBも初期の頃は、「援助交際」「孤独」「自殺」「いじめ」といったネガティブなテーマな曲が多い。
しかし、こういった異端の曲は王道があって、そのアンチテーゼとして初めて評価されるもので、
当時はアイドル業界が冬の時代で王道が不在だったためまったく売れなかった。
AKBは、その後、王道路線に変更することでブレイクするが、正直、秋元康としては不本意なのだろう。
もう一つ、秋元康は、アイドルは消耗品だというスタンスを貫いている。
AKB自体、芸能界に入るための学校という位置付けにして、アイドルは卒業しないといけないものとしている。
この秋元康のスタンスは現実的に正しい。例えば、AKBの前は、モーニング娘がブームだったが、
当時、モーニング娘のファンだったアイドルオタクたちが今でもモーニング娘を応援しているかと言えば違う。
辻ちゃんなり、加護ちゃんのファンは、彼女たちがアイドルというフォーマットから外れればファンを辞めるのだ。
アイドルオタクは、アイドルを消費して、そのアイドルが消耗したら、また違うアイドルに移るのだ。