はてなキーワード: 秋元康とは
聞いた結果どうもしないというのはそもそも「知りたい」内容ではないだろう。
例で出したサッカーの試合結果なら、勝ったか負けたか引き分けたかが気になるんだよ。
そして誰が得点したか、キーパーがヘボかったのか、君は色々思いを巡らせ、また知りたくなるのさ。
虚ろに「へー」と返事したところで、脳みそはフル回転さ。
「知りたい」の先に何もないということはないし、何もないのに「知りたい」という気持ちも起こり得ない。
え?
その「色々思いを巡らす」を「どうかする」の中に含めるの?
別にそんならそれでも良いんだけど。
そうすっと元増田に対する
どうもしないということはないよね。
気にならないなら、人に尋ねたりはしない。
この難詰もやっぱり変じゃない?
「なんとなく感想を持つとか思いを巡らすためだけの質問」というものを認める以上
あなたはいったい元増田に対してなにを詰問してるのかわからなくなる。
「知りたいから聞いただけー」「聞いて思いを巡らすの」で終わっちゃうじゃん。
もし君が、自分の言いたいことがうまく伝わってないのだとしたら、もう少し例えを変えるなり詳しくするなり説明してくれ。
示唆的に質問してるつもりだけど何故伝わらないのかわからない。
1行にまとめると
楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
反論キター!と、思ってテンション上がったけど、反論がバカ過ぎて残念だ。とはいえ、とても重要なことを気付かせてくれた。それについても書く。まずは反論から。
アイドルの曲が消耗品だって? ちゃんと現実をみてるか? AKB48が2010年の8月に発売した「ヘビーローテーション」が、年を越した2011年に何枚売れたか知ってるか? 12万枚以上売り上げて年間ランキングの52位だぞ。当然、握手券なしでだ。
消耗品という意味を理解していない。ちゃんと読んで理解してほしい。おれが言ってんのは「10年後、20年後も売れるか?」ということだ。それについては、以下の増田が書いているから読んでくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20120623033908
あなたは「自称アイドル」ならば、世間でもアイドルとして通用すると思っているのか?
評価というのは本人がするもんじゃなくて、周りがするもんなんだよ。世間一般にはビートルズはロックバンドで通っているだろ。現に2010年にClassic Rock Roll of Honour Awardsにノミネートされているだろうが。AKBを何度も引き合いに出して悪いが、彼女らがロックグループですって言っても通じない。それと同じだ。うん、前の記事でも書いたけど、別にAKBは嫌いじゃないよ。彼女らは彼女らで頑張りゃ良いと思う。
日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないんだよ。いつだって「娯楽」だったんだ。大衆娯楽なんだよ。
いや〜、本当バカだね。まず、芸術は娯楽の延長なんだよ。逆に言うと、娯楽から派生していない芸術なんてないんだよ。音楽だって娯楽。絵だって娯楽。小説も娯楽。じゃあ、娯楽が芸術化する要因は何かというと、それは技術だ。アート(芸術)の語源はtechné(テクネー)やars(アルス)といい、それは「技術」として訳される。それが技術的に素晴らしいものだったり活動を広義の意味でアート(芸術)と呼ぶようになった。
で、日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないというならば、日本が音楽を評価したことは一度もないのか?
あるだろ。近代で言えばレコード大賞。過去はよく知らん。しかし日本の伝統音楽が残っていることを考えると、「技術的に優れている」と評価されたから伝承されてんだろ。
安室奈美恵が売れたのは、曲そのものが良かったということと、安室奈美恵の歌唱力とダンスだろ。安室奈美恵の曲を手がけた小室哲哉は、本当にすごいアーティストだよ。書くの面倒だから、Wikipediaの記事をコピペする。
業界人の評価
「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった」(GOH HOTODA)[62]。
「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった」(坂本龍一)[† 18]。
「昔は入って行けなかった領域にも、コンピューターを使ってどんどん入って作っていく。本当に奥行きが深い」(森進一)[66]。
「コードの解釈がすごく独特なのに、明るい響きであり、踊りながら歌うのにピッタリ」(マーティ・フリードマン)[67]。
「小室さんは、リズム感覚でいって、最後にメロディの良さを置いている。それがすごくオシャレだなと思う」(YOSHIKI)[68]
「東洋人が好むコード進行が全くなく、アジア人には聞き慣れないものを大胆に取り入れて、それをヒットさせていた。それが不思議だった」「ヒップホップをやりながらもきちんとピアノで曲を書いている」「電子音楽とバラードの両方を行き来できている」「抒情的なバラードの感性とダンス音楽の感性の両方を兼ね備えている」(J.Y.Park)[8]
「テレビ等で流しづらい音楽をたくさん世に出したことで後々のミュージシャンがやりやすい様にしてくれた」「コンピューターで人間味の部分を消そうとしても、小室さんが鍵盤を弾いているパートは絶対に加工できない・真似できないな、と思う」(中田ヤスタカ)[69]
小室哲の曲は単に「娯楽」の領域を越えた「アート」だ。「分かる人には分かり、分からない人も楽しめる」という素晴らしいアートだと思う。それに加え、安室奈美恵の歌唱力とダンスがミックスされ、大ヒットした。いま安室奈美恵ほどの歌って踊れるアーティストって、どれほどいるんだろうね。
CDが売れない昨今、安室奈美恵の「Checkmate!」というアルバムは33.6万枚売れた。まぁ、確かに昔ほどは売れていないが、それでも上位の売上げだ。しかも安室奈美恵はデビューして20年経つが、上位の売上げを維持している。これはなぜか?
それは安室奈美恵というアーティストが消耗品じゃないからだ。「アーティスト」としての技術を着実に身につけていったから、未だに根強い人気あるのだ。
これ、売れなくて悲鳴を上げているのは、アーティストじゃなくてレコード会社やその周りなんじゃね?ということ。アジカンもテレビに出れば売れるということは分かっているだろう。でも、出ないということは「別に売れるために音楽をやっているわけじゃない」という理由ではないだろうか。それに宇多田ヒカルがPVを全部公開したり、アルバムを勝手に出されてTwitterでキレているのをみると、「あっ、こいつもう売れなくて良いんだな」と。他に例を挙げるとすれば、GLAYは控訴を起こしてまでレコード会社を離れた。このことを考えると「アーティスト」は「好きな音楽を作りたい」という当たり前の原点回帰をしているだけじゃね?
そう考えると「音楽業界の衰退」は長期にわたって売れる「アーティスト」を無視したビジネス至上主義による自滅ということになり、「アーティスト」が好きなおれにとってはなんとも「ざまぁwww」な話だったりする。
ただ、一昔前に比べて「アーティスト」を探すのが面倒になったけどね。だけど、それも今の時代Groovesharkとか使えば、良い「アーティスト」は簡単に見つかるようになったから、さほどアーティストの発掘に困ってはいない。
だけど、やっぱり実際にそういうアーティストがどう思ってるのかは気になるところだな〜。「昔も今も売れていないアーティスト」じゃなくて、「昔は売れていたけど、今は昔ほど売れなくなった」というアーティストの意見が聞きたい。GLAYが増田に書けば良いと思うw
http://anond.hatelabo.jp/20120622221514
この増田を読んで、音楽大好き人間のおれからすると、「あぁ、こういう人が音楽業界をダメにしたんだな」と思った。
アイドルの曲が消耗品だって? ちゃんと現実をみてるか? AKB48が2010年の8月に発売した「ヘビーローテーション」が、
年を越した2011年に何枚売れたか知ってるか? 12万枚以上売り上げて年間ランキングの52位だぞ。当然、握手券なしでだ。
それに、そもそも、ビートルズはアイドルだぞ? 『4人はアイドル』というアルバムがあるのを知ってるか?
日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないんだよ。いつだって「娯楽」だったんだ。大衆娯楽なんだよ。
「芸術」になりえないほど、日本人にとって音楽というのは身近なものなんだよ。カラオケが一番良い例だ。
日本人にとって「音楽」とは、聴いて、歌って、騒いで、楽しむものなんだよ。これほど、音楽を楽しむ民族はいないんだよ。
それが西洋の価値観がもっとも優れていると勘違いした増田のような人間が「音楽」=「芸術」だと言い、
勘違いした「アーティスト」を生んで、どんどん大衆から音楽が離れていったのが今の日本の音楽業界の現状だろ。
AKB48とかアイドルがなぜ売れるか? それは今だにアイドルだけが大衆娯楽であろうとしているからだよ。
安室奈美恵がいい例。彼女が売れていた時期の曲は、まさしくカラオケソングだった。歌いやすく誰でも聴ける大衆娯楽だった。
その後、R&Bテイストを取り入れて「芸術(アーティスト)」化していく。音楽玄人の評価は高まるが、一方で売上は減少した。
先日、アジカン後藤が、テレビで秋元康と対談し、テレビに出ない理由を「音楽番組がバラエテイ化しているから」と答えていた。
なるほど。いかにもアーティストらしい答えだ。でも、その昔、バラエティ番組にX-japanが出ていたことを、彼らはどう思うのだろうか。
当時、ヘビメタなんぞ、まったく受け入れられていなかった日本で、なんとか自分たちの音楽を大衆に伝えたいと考えて、
バラエティ番組に出演していたX-japan。アイドルなんてダサイと言われた時代に、叩かれながらも必死こいてCDを売り、大衆受けを目指すAKB48。
正直、今の「アイドル」達は、今の「アーティスト」様なんかより、よっぽど熱いしロックだろ。
今の「アーティスト」は、ぶっちゃけ、自分たちの音楽が好きな人だけしかいない、せまくてゆるい世界で、外に出ず活動してるだけだ。
それでも食っていけるのは、先人が必死の思いで音楽業界を築いてきたからだ。そして、今その音楽業界も崩壊しようとしている。
でも、「アーティスト」たちはどうすることもできないだろうよ。彼らには、何とかする「熱さ」が欠けているからな。
最近AKB48が何かと話題だ。先日あった総選挙なんかはいよいよ全国盛り上がる国民的イベントの様相を帯びてきて当団体の人気を示すものになっている。一方でその商法などなど問題点が多いこともかねてから指摘されて久しい。ちょっと自分用メモ程度にまとめていくのでよかったら参考にしてください。
いや、別に言うまでもないことだけど総合プロデュースの秋元康氏、AKS窪田氏、Office48芝氏が電通らメディアを巻き込んで立ち上げたアイドルプロジェクトになります。このへんキーワードにしてググるだけでもいろいろ出てくるので興味のある方は調べてみればいいんじゃないかなと。各メディア巻き込んで且つ、所属メンバーの事務所を分散したまさに"総占拠”。素敵ですね。(※参考 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120607/233074/)
まさかここまで人気になるとか思ってもなかったんじゃないかな。とかとか言ってみるものの別に個人的にAKB自体を負の塊のような見方はしてなくて、むしろ不況やら自然災害やらでなんだか閉塞感漂う日本の世の中に明るさをもたらしている側面は少なからずあると思っていて、その点は少なからず本当に意義のある団体だと思うんです。
ただ一方で最近になって様々に問題点を指摘する声が多くなってきたのでちょっと整理。もちろんマスメディアはAKBを扱うのはタブー的になってしまうのは理解されるところなのでね。あそこまで様々に数字持ってる団体と関係が悪化するのなんて、そりゃその数字で飯食ってる業界からしたら下手に触れないのは理解できるわけで。まあそれはともかくとして、
最も頻繁に取り沙汰されるのがこの握手券商法に関して。これでCDを売ってもCDは廃棄にいって音楽としての価値は微妙なのに握手券欲しさにCDが売れてオリコン1位常連に。これって音楽業界的にどうなの、的な話が多い昨今ですね。(※参考 http://matome.naver.jp/odai/2133826050573002201)
で、結論からいうとこれに関してはいろいろと分けて考えなきゃいけないなあと。個人的にはよく言われるほど悪いこと一辺倒ではないのかなとは思ったりします。
音楽業界からするとCDが売れること自体はもちろんいいことなわけで、AKB団体自体や関連事務所らもそれを喜びます。また資源にやさしくないので握手券だけ売ればいいじゃないか的な、批判が多かったのだけれど、これも個人的には業界利益を考えると必ずしも合理的では無いと思っていて、ここで書いたレーベルやまたプレス(要するにCDという商品それ自体を実際に作るところ)にも利益をもたらすことになるので「たとえ無駄でもCDを作って売ったことにする」ことをやめるというのは業界だけの部分合理性を考えるとそう簡単にやめよう、とはならんのがわかります。(というかその辺の音楽業界全体に利益がわたって、悪い顔されないようにしてるあたりが前述の秋元さんはじめとするマネージャ陣のしたたかなところかなと。)まあ、もちろん環境的によくないというのは事実なので、それなら環境団体NPOみたいなのが頑張って反対するくらいの話にしかならんでしょさしあたり。
よって「CDの過剰生産」自体は何を問題とするかによるけれどもちろん必ずしも悪といえないということになります。論点として環境・資源的視点 対 商業 に凝り固まってるきらいがあるけれど、音楽業界の延命治療的な側面(まあ穴掘って自分で埋める公共事業的なもんですね)を置き去りにするとこの話はあまりに短絡的になりすぎるかなと。(もちろん新しいビジネスモデルを構築できずに苦しんでいる音楽業界をこのような形で延命治療するのはいかがなものか、という批判はここにおいて非常に真っ当且つ建設的なものだと思います。ここは後述)
で、音楽業界の目的として、やはり「よりよい音楽を消費者に提供する」のが一応建前上の至上命題ということになってます。で、そのためにはもちろん健全な利益を出して業界自体のサステナビリティを保っていくようなのは手段の一つとして認められるところなので(この辺出版業界の押し紙的な話と非常に似てますね)、この商法が音楽業界が「よりよい音楽を消費者に提供する」目的には経済的には音楽業界に資している一方で、他のアーティストの露出機会を食ってしまっているという機会費用的な側面を考え合わせるともしかすると我々の音楽文化はよりよいものにはなっていないのかもしれません。カラオケで歌う曲とか良い感じの作業用BGMが継続的に提供されるだけで嬉しいんですけどね。最近そういった状況が実現できているかというと正直微妙でしょ。AKBの曲ばっかりヘビーローテションするのも飽きちゃった。
また、メンバーがその他業界に今後展開していく(お芝居、グラビアとか)にあたってパフォーマンスが非常に下がることが予想されます。これも個人的には実はあまりよく思ってません。やっぱりどうしても彼女らにそういったパフォ-マンスの質を求めるのはかなり難しいからです、ただでさえ忙しくて稽古はできないし、またグラビアとか見てもお世辞にもルックスが他のグラビアやってる人達よりいいとはいえないあたり、別に彼女らをDISりたいわけではなくて、やっぱり専門で分業を行うことがより豊かなものを生み出せることがあるのでこの場合も然りなのかなと思ってる次第です。
いろいろ漏れやダブリがある記述なのはさておき、ファンは幸せなの、つまり消費者の側はどうなのかね、っていう話。これもあまり言い始めるときりはないからなあ... ただガチャとかの話に似て、一人で何百枚購入とかして破産寸前までいったり依存的な精神状態になったりするのがいたりするけどそれ自体はこの団体に関連するものに一切を責めれないですよね...(コンプガチャの件も規制理由は射幸心煽るなとかだし)会いにいけるのコンセプト自体はファンを喜ばせるのに成功してるんじゃないでしょうか。
あまり焦点があてられないのは個人的には少し不思議に思うのは、少女ら側の労働負担に関してです。これだけの人気団体になったのだから、多少は忙しくて当たり前、というのは至極当然で、まあ有名税だ贅沢な悩みを吐かずに頑張れ、というのは一理あるとは思うのですが、これも程度問題なので、例えば最近とあるメンバーが体調を崩して入院したけれどもなんとか復活してライブで笑顔を見せた、みたいな話もあったじゃないですか。どうなんですかね、健康な15やそこらの少女が過労で体調を崩すような労働環境が果たして健全なんですかね。
また、より個別の話をするなら、ここにおいて握手会の商法は最も糾弾されるべきだと個人的には思っています。なぜならちょっと知ってる方なら知ってる話しなんですが、握手会これずっと立ちっぱなしでベルトコンベア的に次々流れるファンの人々と握手をすることになってるんです。一人10秒とかで。これ非常にきついですよ。もちろんこれだけで体壊した、というわけではないんですが、自分も一度参加させてもらったことがあるんですが、大したコミュニケーションができる場ではなかったように記憶してます。(※偏見を拝するために書いておくけど、そこまで熱心なファンではないけど社会見学的なノリで行きました)あれだったら、もっと抽選くらいにして一人あたりのコミュニケーションを高めたほうがいいとは思うのですが、もちろん握手券の拡販のためにはそれができないジレンマを抱えるため、そのような案は検討されなくなるのは言うまでもありません。本当にファンならこの辺声をあげたらいいのにと思うけどそういう話ってないんですね。
それでありながら個別の有名所、例えば前田敦子さんや大島優子さんらでも個人の給与が推計で3~4千万と出てますね。末端メンバーになるとまさにワーキングプアに近いような言い方をされることが時々ありますね。これだけ稼ぎだす団体がこのような利益配分というのは少し胴元が持って行きすぎに見えるんですけどどうなんですかね。これで夢を売るとか言っても無理だと思うんだけど、アメリカンドリームな壮大な夢を見ないのは日本のお国柄かしらね。
とりとめもなくメモしたんだけど何かしら参考になれば幸いです。以上見たように、個人的には世の中を明るくしたり、共通の話題としてはすごくいい、けど、音楽業界がその微妙な体質を無駄に延命するのに加担してしまっていたり、本業以外に今後侵食することで他のコンテンツの質が下がることが予想されること、またメンバーの人達の労働環境に大いに改善部分が見られるあたりは問題なのかなと思っています。
もちろん繰り返すけど世の中を楽しくするあれってことで総合的にはいいと思ってるんですけどね。総選挙の大島さんの笑顔の写真は良かったですね。
それは、画面の中だけでなく、リアルにおいてもだ。公演、ライブはもちろん、握手会など近い距離でも、僕らは彼女らを感じられる。
日常をただ、平々凡々と暮らしていたのでは出会うことさえ、許されなかった弩級の美少女に。
僕は、彼女に憧憬を好意を覚える。彼女らは資本主義世界でプロダクトされた理想の美少女で、彼女らはマスプロダクトされた彼女らについてのプロダクトを以て、僕に彼女らを伝えてくれる。
好きだ、大好きだ。愛してる。
まるで、この世の理、万有引力に導かれるかのように。不思議な話だ。
現実世界では、近づくことさえ、許されなかった彼女らに、恋することが許される。
彼女らがアイドルになってくれたおかげで。彼女らは僕らの想いを拒絶しない。
しかし、彼女らのファンは残酷な真実に気づくだろう。画面の中で、ステージで、輝く彼女らを見て。
いや、むしろ、無数にいる彼女らのファンや握手会で自分の後ろに立つ係員を見て気づくかもしれない。
もっと、自然に、もっと、普通に。例えば、クラスメイトのように、近くで出会えればよかったのに。
でも、僕は気づく。もともと、彼女らは特別で、本当は、出会えなかった。
だから僕は、彼女らがアイドルでいてくれたことに感謝しなくてはならないのかもしれない。
【秋元康の罪】
今や、過熱したアイドル業界を牽引するAKB48を始めとする48グループ。
古くはおニャン子クラブの時代から、アイドル業界を手のうちに収める彼には、その業界を発展させたという功績がある。
そして、罪もある。
AKB48の最新曲『真夏のsounds good!』でその罪について検証しよう。
この夏を代表するであろうこの曲のPVは彼が指揮したらしく個性的な設定が付与されている。
その最高指揮を執るのが、彼、秋元康だ。
軽快な曲、爽快な歌詞とは裏腹にPVの物語性にはダークなものが感じられるだろう。
AKB48を卒業することが予定されている前田敦子を助けようとする渡辺麻友。
「もういいよ行って。行きなってば先に。私たちは私達が変わるためにここに来た」
次々に倒れていくメンバー。
そんなダークな情景を見せたあとに、PVは青空の下で彼女らが踊るものになる。
真っ白な水着。真っ青な海と空。清々しいほどに爽やかで、それが先ほどの情景と対比される。
これほどまでに綺麗な未来が、つまり、新生AKB48が生まれ得るのだと期待させる。
それはPVの終盤、渡辺が前田を連れていくシーンだ。行く先は、先程、白い水着を着て、砂浜で踊っていたメンバーの下。
生まれ変わるなら、彼女らは前田を迎えるべきではないし、前田はそこを目指すべきではない。
渡辺もそれを助けるべきではないし、助けているということは、前田が抜けた後の新生AKB48の可能性を否定しているとも言える。
前田もAKB48を抜けた後の自分の可能性を否定しているのかもしれない。
つまり、秋元氏は彼女らに新生AKB48の可能性を彷彿とさせるPVを提示しながら、その可能性をPVの中で否定しているのだ。
アイドルグループは予定調和でなく、突き進んだ結果であるべき、ジャンケン大会のようにガチであるべきだという秋元氏の思想とは反するようにも思える。
しかし、よく考えて欲しい。
私にはそうは思えない。
彼は、凋落したことのない、紛うことなき、この時代の寵児であり続けたし、今ではその世界の重鎮だ。
彼に単なる根性論など通用しない。
努力だけではだめだと、成功するには運も必要だと、グーグルプラスで語った彼には美辞麗句に賭された、文字通り飾り物の世界ではなく、本当の世界が見えている。
だから、単純にがんばれば、努力すれば認められるというメッセージを発さないのだろう。
それは、彼の信念に反するから。
そう、彼の思想はこの世界を精緻に写しだしたものであるように思えるし、それに僕は同意する。
だが、この思想が彼の罪を生んだ。
つまり、それは、その一種リアリティ溢れる思想、イデオロギー性を伴った作品を彼女ら、世界で認められうる美少女らに歌わせ、演じさせてしまったというところ。
僕らは、アイドルに夢を見ている。
小難しいことを、批判めいたことを歌ってほしくはない。
社会批判。その歌詞、そのメッセージ性は痛いほどに、僕の胸に届く。
しかしそれを彼女らに歌わせることで、彼女らは政争の具のような体裁を見せてしまう。
なんの色付けもされていない、ピュア=純真な女の子を僕は見たいのにも関わらず。
別の例では、秋元氏は純真な、つまり、彼女らが思っていることを彼女らが歌っているという構図の作品を生み出すことに成功している。
それが、SKE48(KⅡ)の『お待たせsetlist』だ。
選抜総選挙で高柳明音は、秋元氏にこう叫んだ。「私達に公演をやらせてください」と。
彼女らは、それまでリバイバル公演(他のチームの公演楽曲で公演する)ばかりを行い、自分たちのオリジナル公演が行えなかった。
だから、彼女らSKE48(KⅡ)とファンの思いを高柳は秋元に代弁した。総選挙の会場で熱を込めて語った。
秋元氏はそれに呼応するように公演楽曲を書き、オリジナル公演を与えた。
『お待たせsetlist』には、SKE48(KⅡ)の思い、そして、ファンの思いが込められている。その歌詞は秋元氏が書いたものだが、聞く者にとっては、彼女らの気持ちそのものが歌われているように感じられる。
僕は、彼女ら=色付けされていないプレーンな彼女らを望んでいるのではないか。
そこには、如何に崇高な思想やイデオロギーであっても介在するべきではないのではないか。
だからこそ、僕らは秋元氏が秋元氏の思想、イデオロギーを彼女らに歌わせ、演じさせることに強烈な違和感を覚えるのである。
さて、散々彼の罪を述べてきたが、彼の功績は大きい。夏に控える前田敦子の卒業に関して、彼はこのように述べている。
「相変わらず表現は下手だが、その分、ストレートに伝わってくる。時々見せるはにかんだ表情は、あの頃の“あっちゃん”のままだ」と。
彼女につまり、この世界で美少女と認められたアイドルにバイアスをかけることなく、アイドルというひとつのステージを卒業させる。
そのことには頭が下がる思いだ。
さて、そのようなイデオロギー性の濃いアイドルの対極にハロープロジェクト系列のアイドル、モーニング娘。やスマイレージといったアイドル勢がいる。
一時程の勢いはないが、それでも業界内で存在感を放っている。そんな彼女らはイデオロギー性から解放されたアイドルといえる。
彼女らの歌う曲の歌詞や、日常を何の疑問も持たずに歌いこなすものであり、楽曲名からさえ強い思想は感じられない。『プリーズミニスカ ポストウーマン』(スマイレージ)『ピョコピョコウルトラ』(モーニング娘。)といった曲名からは、いわゆるおバカな空気さえ感じられる。
純粋な気持ちを歌っているかどうかで言えば、アイドルを眺める視点では、こちらの方が、彼女らの気持ちが歌われていると想像できる。
まさか、つんくがうぶな乙女の気持ちを持って生活しているとは思うまい。
【つんくの罪】
そんなつんくにも罪はある。
それは、作品そのものではなく、それらを歌いこなす際の彼女らについてである。疑問に思ったことはないだろうか。
彼女らの楽曲は、つんくが曲詩ともに担当する。48グループの秋元氏が詩のみの担当であることとの差がここに出ているのかもしれない。
よくよくハロプロメンバーの歌い方のくせを聞いていると、そのくせが似たものであることに気づくはずだ。
そう、つんくの歌い方のくせに似ている。と。
つんく自体、アーティスト時代の歌い方のくせは強いものだった。
それ自体はなんら問題がないのだが、その歌い方のくせを彼女らに楽曲提供することで一種押し付けているのではないか。
ピュアな彼女らの、女の子らしい歌い方を黙殺してしまっているのではないか。そう感じられて仕方ないのだ。
ここでも、僕らは嘆くことになる。彼女らの気持ちを彼女らの歌いたいように歌っているものが欲しいのに。本当の彼女らが欲しいのに。
資本主義に浸け置きにして、彼女らの骨を抜くのはもうやめてよ!そんな不自然な美少女見たくないよ!
そんな思いにかられて、すべてに思想やくせのないアイドルを探す。いることはいるのだ。
例えば、SUPERGiRLS
例えば、YGA
天下のavex、そして吉本興業のプロデュース。資金力も申し分ない。ルックスも申し分ない。でも、なかなか売れないのだ。
吉本興業に至っては、NMB48という48グループの力を借りて、アイドル事業に参画する始末。
比較的頭のいいオタクは統計データを、頭の悪いオタクは偏見を元に人間を判断する。
どちらにしろ個々の人間をじっくり観察することはしない。非効率、あるいは面倒と感じる。基本的に自分のことにしか興味が無いのが原因。
だから、すぐにレッテルを貼る。そこが狙い目。良いレッテルは、作れる。
オタクはIQの高低に問わずEQ(自己や他者の感情を知覚する能力)が低いので、
相手の表情やしぐさから性格を読み取れない分、外見からわかる「属性」で人の性格を判断している。
黒髪、すっぴんあるいは薄メイク、清楚な服装などは、目に見えるのでEQの低い人間にも判断材料にしやすいが、同時にいくらでも「作れる」部分。
性格が悪い女が性格を良くすることより、外見だけオタク受けのいいように作って「性格がいい子」と誤認されるほうが圧倒的に簡単。
本性は、できるだけ喋らないようにすればバレない。ここでもオタク相手の方が好都合。
非オタクの男は、聞き上手な男の方がモテることを知っており、女相手の時には聞き役をしようとする。
同時にその行動は、地雷女を引かないための情報収集の役割も担っている。
オタクはそうではない。ひたすら自分の話を聞いてほしがっている。自分を認めてほしがっている。それしか頭に無いと言っていい。
だから、聞き役を演じれば、気分良くひたすら自分の話、趣味の話をし続ける。
ニコニコしながら、聞いているふりをしていれば良い。
意見を述べる必要がない。だからボロが出にくい。性格の悪い女にとって、非常に騙しやすく好都合。
なにより、ほぼ全てのオタクが「黒髪」「処女」「清楚」「童顔」「色白」「インドア」などの同じ記号に惹かれるため、
マニュアル通りにしていればほぼ全てのオタクに対応でき、効率的で、簡単。
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/09(水) 09:21:00.71 ID:vYvDeB870
必死すぎるとか言ってるけど
お前らの大好きなアイドル声優のことだぞ?
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3402426.html
このレスは非常に的を射ていると思う。
現在、オタク男から金を吸い取るための装置としての女(アイドルや女性声優など)が居て、
その上には女をプロデュースしている狡賢い男が居る。換金システムのコア。わかりやすく言えば秋元康。
女が狡賢くなってセルフプロデュースの術を身に着ければ自力でオタク男から金を吸い取ることは可能。
非オタクの男が、オタク女から身体だけ頂くのも簡単。「萌え属性」を身に着けて良いレッテルを貼られ、聞き役になってやるだけ。
オタクは男女共に薄っぺらでチョロい。オタクはEQの高い人間の餌。
http://anond.hatelabo.jp/20120226162506
この文章は、秋元康の事務所で働いていた
知らなかった。
ガチンコのドキュメントストーリーに思えるものを見せて隆盛を極めたのがモーニング娘。
だから、秋元康に対してやいのやいのブーイングを飛ばしてしたり顔になっているのは、完全に運営側の思う壺。
本当に嫌いなら、何も言わない方がいいし、AKB商法を非難する=AKB48のファンであると何も変わらない。
AKB48が恋愛禁止っていうのは、「プロレスは真剣勝負」と同じものだと考えるべき。
AKB48のファンには二種類ある。本気でAKB48のメンバーは彼氏を作っていないと思っているのと、そのルールが本当にあるという前提で乗っているのがいるわけだ。
米沢、平嶋がやったことって言うのは、つまりプロレスラーが「試合の結果は決まっています」ってカミングアウトしちゃう行為で、他でもないメンバー自身が明かしちゃいけないのよ。
作ってもいいけど、彼氏がいることは墓場まで持っていかなきゃいけない。
なお、Perfumeは総合格闘技。いろいろなものが決まっているはずのアイドルに、本当にシュートを持ちこんじゃったから革命だし、後にも先にもこういうアイドルは出てこないだろう。
アイマス関連の反論で言い尽くされてるけど。
投票権ビジネス自体は未開拓な、割と目のある商法かもしれないけど、コアなヲタ向けのゲーム・アニメなんかには全く向かないってこったね。
「競争嫌い」というヲタ特有の感性から離れたところじゃないと成り立たない。かといって「好きな物には無尽蔵に金を注ぎ込む」ってのは
これまたヲタ特有の行動なわけで。
「投票権ビジネス」がAKBまでなかった(成功しなかった)ってのは、「趣味に金使う&競争に忌避感がない」っていう客層は実は凄くレアで、
身近に感じられるもので人気がありインパクトの強いもの、という条件で高校野球を選択したんだよ
もしドラは高校野球のストーリーじゃない。マネジメントのストーリーだ
マネジメントには結果が大事と書いてある以上、中途半端では意味を成さないからだ
本当はあの野球部には逸材が揃っていた、だけどすべてマネジメントのおかげにするためにあえてその設定は表に出さなかっただけだ
今書くとしたらちょうど最近イノベーションを起こしたAKB48にするべきかもね
彼女達も当然逸材ぞろいだろうけど、ミスチルを上回るほどの逸材がいるのかというと否だろう
そこそこのアイドルを集めてその中で競争させ、顧客一人に数十枚~数百枚買わせるという手法でイノベーションを起こし歴代1位を塗り替えたのは素直にすごいと思う
特にチームKが好きだ。
去年だから、チームの発足からはかなり時間が経っている。AKBといえば劇場だぐらいの知識はあったので、とりあえずYoutubeやニコニコあたりでライブ映像を見まくった。CDやDVDを買うにしても、曲が多すぎてどれから手を付けていいかさっぱり分からなかったからだ。
で、「生歌」とタグがついている動画を見て、ああやっぱこれだけ踊ってたら生歌じゃないよな、と思って、生歌を聴いてみたいと思うようになった。
普段はあるバンド(全員男)を聴いていてライブに行くのが楽しみ、ライブのアレンジが楽しみでしょうがない、という感じなので、録音音源=その場のアレンジがなくて残念だと思ったのだ。ライブならやっぱ、一言のかけ声みたいなやつでもいいからその場で出してる声を聴きたいから。
Youtubeで生歌で探した結果、右におすすめとか関連動画って出るじゃん?あれにモーニング娘。が出てきたのだ。今現在のモーニング娘。
すごい!と思った。特に高橋愛と田中れいな。ファンが作った動画だったしコメントもファンが書いてたから、それ読んでテンション上がって余計すげえな!と思った。
AKBは生歌あんまりない、ということを知って残念だった。ものすごくものすごく残念だった。
俺はライブ=そこで歌ってる、だから、ダンスしてる姿も見たいけど、やっぱり自分がいる場所で同じ瞬間に、その場で出してる声が聴きたいから。
酷なことを求めてるなとは思う。
スケジュールは詰めまくりで、あれだけ人数がいて、あれだけ踊りまくって、なおかつうまく歌えというのは、惨いと言ってもいいと思う。なんか、ごめんなと思う。
AKBとモー娘。の動画をランダムに見ながら、色んな思いがわき上がってきた。アイドルに触れるのはほぼ初めてなので、ちょっと距離を置いた視点だったかもしれないけど、まだ十代〜二十代半ばぐらいまでのこの子達の将来が幸せであってほしい、というようなものに総括される思いだった。
AKBにはある種の痛ましさがある。今しかないのだ、今だけなのだというような、女性アイドルなら仕方のない刹那感。そして背後の操作が非常にうまい。楽屋裏も込みで売っている、そしてそれを皆暗黙の了解で呑んで今を追いかけている。
モー娘。にはそれがあまり感じられない。戦略上それを見せないということかもしれないが、タフでストレートなパフォーマンスだ。その場で見せられるもののみで勝負しているように見える。
また、モー娘。にはやはり「世間一般の目線は全盛期は過去であった」がつきまとう。あまりそこに悲しみがないのが不思議だが、世間の目やメディアの目はそうだろう。斜陽ながらも戦う王者だ。いや本当に、シングル曲のタイトルとかはマジでかわいそうになるぐらい酷いけど、ライブの彼女らは本当にかっこいい。乱れることもちょっと外すこともある、生の声の力はすごい。
AKBは今もまだ「これから」だ。後発が先発よりも優れているのは常に大前提(だと個人的には思っている)なので、もっと伸してくるだろう。まだ彼女らは挑戦者だ。展開も先発の成功/失敗に学んでがんがん行ける。バラエティや冠番組で見る彼女らは、側面をもっと見たい知りたいと好奇心をかきたてるし。
AKB vs モー娘。のバトルを見られたらすごくいいんだけどなと思っている。
楽曲面だけを見ればAKBがかなり勝っていると思うので、モー娘。のプロデュースをもっと頑張ってほしい、その上でアイドルの二強状態をものすごく見たい。
モー娘。というかハロプロ全体をざっと見ていて思ったが、本当に、本当に、残念なのである。つんくもうちょい考えろ。なぜだ、なぜお前は同じ男なのに分からない?
直接的すぎるんだ、モー娘。の歌は。いくらメロディーラインが美しくてもタイトルや歌詞で萎える。ど真ん中っていうのとそのままっていうのは違うんだよ…そしてなぜかやや古い。古典や青春の輝きぐらいまで古くなくて、絶妙に「思い出すと恥ずかしい」レベルの古さをなぜかずっと保っている。いくつなんだよお前は。
秋元康はそのあたりめちゃくちゃにうまい。ストレートなテーマを、その単語を使わずに思わせる、そういうのが本当にうまい。青春時代を鬱屈して過ごしました、かわいい女の子に憧れてしょうがなかったけどそれだけでした、そういう思いをワンクッション置いてぶち当てましたみたいな、まあ共感するのだ。有り体に言うと。
それが意図的なものだったとしても、気持ちよく乗っかってしまえるなら関係ないし。曲に乗らないでも詩として成り立っているというか。
俺は勝ち負けを笑いたいんじゃない。弱肉強食の世界だって言うのは分かるけど、ファン同士でワナに引っ掛けてライバルのアイドルを落とすようなのは嫌だ。
いい曲が聴きたい。アイドルにしか歌えないいい曲っていうのは確実にあるから、アイドルが歌うその姿に見惚れたい。歌に入れ込みたい。プロデューサーにはこっちの心をくすぐってほしいし、その歌にどっぷりハマらせてほしい。仕事の疲れいやしたい。
いつまで彼女達のことを、このアイドルグループの中で見られるのかなと思うと、涙が出そうになることがある。女性アイドルは後から後から幼い後釜が出てきて、活躍できる期間は大体短くて、そのことを思うと悲しくて仕方がない。
聞けば誰でも知ってるようなお嬢様大学の子と2対2で合コンしたんだけど持ってる一発芸が全然お嬢様じゃなかった
清水ミチコの声真似(かなり似てた)でAKB48の「会いたかった」を歌う芸を持っていた
しかも曲の合間合間で、清水ミチコが秋元康にあたしもAKBにいれてよと頼むミニコントまでセットになっている
秋元康役はもう一人の子が絶妙のタイミングで曲に割り込んで歌とコントが展開していく
曲が終われば間髪入れずに二曲目に突入して「ポニーテールとシュシュ」を清水ミチコで歌いあげる
やはり合間合間にミニコントがセットになっていた
今度はAKBに入れてあげるから一発やらせてよと秋元康が清水ミチコを口説き落とそうとするコントだった
まさか一曲目と二曲目が繋がっているとは・・・
結局、コントの中の秋元康は清水ミチコに振られた挙句、裁判まで起こされた
素晴らしい完成度だった
脚本は二人で書き上げたそうだ
ちなみに秋元康役の子は、ワハハ本舗の梅垣義明みたいに鼻に枝豆詰めて飛ばすという芸を持っていた
テーブルの端に置かれた空のグラス3つそれぞれに鼻から枝豆を飛ばして入れてた
あれはそうとうやり慣れてる感じだった
この二人は最終的に俺の連れをベロベロに酔わせてお持ち帰りしていった
俺は一人しっかりとした足取りで帰路についた
AKB48のオールナイトニッポン1月14日
1月20日から渋谷でAKB48のコンサートが行われ、それを全国の映画館で中継することになっている。
それについて大島いわく
うちのお父さんは映画館4日間ともチケットもう取りました(さーすがー すごーい)。
見に来れないからさ、身内もう来れないじゃない(うーん。来れなーい)
「だからあチケットお父さん今日4日間取ったよ」と連絡が来ました。
よかったー。どっか栃木県のどこかでお父さん現れるかもしれない・・よろしくみなさん
驚いた。そしてちょっと感動した。
つまり、あの大島優子であっても、自分の実父のための席を用意することができないということだ。
たとえ大島の父であっても、チケットの抽選で優先的に扱われることはないということだ。
そういうことを、彼女はさらっと語った。
ファンは大島が父親に席を用意しても許してくれるだろう。しかし、AKBというシステムはそれは許さない。
そして大島も(北原、田名部も)それが全く自明のことと受け入れている。
どんなにビッグになっても、AKBは「会いに行けるアイドル」。それがAKB存在の原理だ。
AKBはファンと直接繋がっている。間に代理店とかギョーカイ人とかは介在しない。
そして全てのファンは平等。
この原理の前では、大島の父親も一人のファンでしかない。たとえ実の娘であっても、アイドルに会いに行くためには、同じ試練をくぐらなければならない。
「ファンを大切にする」という観点からは、この態度は圧倒的に正しい。
アイドルはファンにとって擬似的な恋人である。彼女一人対彼氏数万であっても、それは恋人関係に他ならない。
恋に嫉妬はつきものであるが、なぜ数万人の「彼氏」達は「彼女」を愛し続けることができるのか?
それは、そこに「彼氏としての機会(チャンス)は平等」という幻想があるからだ。
外の世界はアンフェアでいっぱいだ。出自、コネクション、外見。さまざまなセレクションが努力をあざ笑う。
だがAKBの世界は違う。努力は必ず報われる。CDを100枚買って握手を100回すればきっと名前を覚えて貰える。
特別扱いされているファンはどこにもいない、努力すれば「チャンスの順番」はきっとくる。
だからメンバーの恋愛はご禁制だし、特定のファンとの非公式な接触はご法度。
たとえ大島の親であっても特別扱いはできない。
実に正しい。
恐るべしAKB。
恐るべし秋元康。