はてなキーワード: 孤立とは
法治国家を否定するラディカルな思想を持つ人がいても、おかしくはない。
しかし、日本が人治国家になったら法律は無用=法務を専業とする弁護士も不要となり、自らの存在意義を否定する「矛盾」に陥るのではないか?
オウム事件とこの集団対応は、この「前例のない事件に対しては前例のない体制で」でやってきた。それだけの大事件であり、特異な集団であり、特異な思想だったからです。
で、今回の支援要請につき、国が応えられないなんてありえない筈、と確信しています。
・その必要性があり、決して憲法に違反するものではなく、法令に違反するものでさえないのだから。
・日本が、テロと闘うならば、そのテロ行為の背景などにも対応していくことによってこそ、「闘う」といえるのだから。
助けてください。
社会は常に変遷して行く。かつてない状況に出会ったら、新たな対処方法を確立する必要がある。そこまではOKだ。
しかし、最初は手探りの試行錯誤ゆえ不具合が生じた場合、後でちゃんと不具合を修正できるのか?
滝本弁護士の独断で、関係者の利害を調整することなく、物事を強引に進めてしまった場合、その結果重大な人権侵害などが起きても、ちゃんと回復できる仕組みも併設されているのか?
新規の対応で失敗しないためには、ちゃんと保険もかけているのか?そこを注意深く観察する必要がある。
デリケートな問題を扱うにしては、十分な議論を尽くすだけの「慎重さ」が欠けていないか?
万一、間違った前例を作ってしまった場合、後戻りできなくなるのでは困る。
歴史を振り返ると、人類は多くの失敗を繰り返している。(同じ失敗を繰り返すのは、単なるアホでしかない。)
「前例がない」場合こそ、十分に時間をかけて話し合い、慎重に対処すべきという「共通認識」が必要だ。
民事および刑事の係争は、法律というルールに基づいて解決を図るべきだ。
なぜ、滝本弁護士は、他の利害関係者と対話の機会を持たないのか?独断と偏見で話を進めていないか?
司法試験の勉強をしたなら、少なくとも一度は日本国憲法を読んだことがあるはずだ。
1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。
そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
なぜオウムだけは差別して、議論の輪から外しても良いと言えるのか?(言っていないなら問題ない。)
「好き嫌い」という感情ではなく、「真偽」という論理、すなわち法律(ルール)に基づく説明ができなければ、法曹としては失格だ。
パブリックコメントを発する以上は、他者からの質問に答える義務がある。(質問を受け付けないのなら、それは単なる独り言でしかない。結果、他者も聞く耳を持たず、自身が孤立する結果を自ら招くだけだ。)
滝本弁護士には、公開の場で質疑応答を行なうだけの「誠意」を見せて欲しい。
「テロ」といえば昨今の「テロ等準備罪」を巡る議論を思い出す。
「日本では犯罪を実行したことを罰するのが原則です。それに対して、共謀罪は犯罪の計画に合意したこと自体を罪ととらえ、犯罪を実行する前に処罰しようというものです。深刻な犯罪を未然に防ぐことが狙いです」
「過失」を巡る法理の分類は、歴史的に「旧過失論」「新過失論」「新々過失論」(危惧感説)などが挙げられる。
テロ等準備罪は、危惧感説に基づく新しいタイプの法律と言える。日本では、藤木英雄先生が先駆者として有名だ。
藤木英雄(1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本の刑事法学者。元東京大学法学部教授。
戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである。
藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任を拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。
危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統的犯罪や交通事犯に対する過失責任の限定を意図していただけに、画期的な転換といえる。
危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者や検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件で採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。
日本ではまだ、危惧感説に基づく国民の合意形成が十分になされている状況とは言えない。(テロ等準備罪も始まったばかり)
従って、滝本弁護士が、「テロと闘う」という大義名分の下、かつてない法的判断を要求するつもりならば、日本国民に対する説明の義務が伴う。
滝本弁護士が単なる思い付きや感情論で言っているだけなら、後世に悪影響を残す有害な前例を作ってしまうかもしれない。
ハッタリではなく、滝本弁護士が藤木英雄先生の業績を踏襲し、発展させる意気込みがあるなら、一概に有害とは言えない。
従って、公開の場で議論を尽くされなければならない。
どのような方法で公開討論を進めていくべきか?日本国民全員で検討する必要がある。
(滝本弁護士には「オウム問題を風化させたくない」という思いがあり、さらに法治国家を否定しているわけじゃなければ、この結論に至るだろう。)
天井が高くて、夜9時でも照明が煌々と明るい、そこそこ広めの店舗だ。
私は今、妊活をしていて、中々結果が出ない中、今後の身の振り方を考えているところだった。
ブライダルチェックをした病院に不妊治療を申し出るか。冷え性を治すためにマッサージをするか。漢方を試してみるか。
そんな漠然とした気持ちでドラッグストアに寄っただけだったので、目的のものもなく、しばらく店内をうろうろしていた。
介護用品などが並んだ商品陳列棚の列に入った時、80〜90歳くらいのおばあちゃんが目に入ってきた。
ぎりぎり自分の身の回りのことが自分で行えているのだろう、という雰囲気だった。
私は、その姿を見て何故か胸が苦しくなった。
そのおばあちゃんの身の上のことなんて何もわからないくせに、自分勝手に推測をした。
『おばあちゃんは、自分が使用する尿漏れパッドを自らドラッグストアに買いにきた』
『でも、おばあちゃんの年齢くらいなら、認知症を患い始めてもおかしくないし、そうでなくても尿漏れを簡単には受け入れられないはずだ』
『そういうものは、家族が購入するんじゃないだろうか?独居老人なのだろうか?』
『もし独り身なら介護が必要かどうか行政に相談をしているのだろうか?そういう考えになるのだろうか?』
『このままだったら誰にも助けてもらえずに、孤独死なんてこともあるかもしれない』
結局、自分の買い物については、何も考えられず、居ても立っても居られなくなり帰宅することにした。
けれど、店の出口にさしかかって、レジでおばあちゃんがお会計しているのを見てしまった。
おばあちゃんは、どうやらお金が数えられないようで、レジのバイトの男の子に、トレイに出したお金がまだ足りません、と事務的に指摘されていた。
少し時間がかかって、多めのお金を出したおばあちゃんは黒いビニル袋に入った大きい荷物を持ってレジを去ろうとした。
そこで、片手に持っていた杖を床に落としてしまった。
ほんの一瞬、手を貸そうかと思った時には震える足腰でしゃがみ、おばあちゃんは杖を拾った。
わたしは、見ているだけだった。
勝手に見ず知らずのおばあちゃんを憐憫のまなざしで見て、『もしこのおばあちゃんに手を差し伸べていたらどうなるのだろうか』と夢想した。
私にできる精一杯優しくしたとして、精々手を取って荷物を代わりに持ち、家まで見送るくらいだ。
その先、家族のように振る舞う資格はないし、そもそも求められていないかもしれない。
私の祖母は、今軽度の認知症で両親に介助されながらデイサービスに通っている。
家ではリハビリパンツを履くように促さなければならないので、母親の労力は相当のものだと思う。
どんなことをしたって自己満足は得られないだろうと結論づけて、私は逃げるように店を去った。
駅前のドラッグストアから自宅のマンションまで、およそ10分の道のり、ただ意味もなく悲しくて頭が混乱していた。
帰宅して玄関のドアを閉めた途端、私は嗚咽を漏らして泣いてしまった。
家には誰もいないので、大きな声を上げた。こうしないと、自分の気持ちを収めることができなかった。
何故か涙が止まらなくて、初めてはてなに登録してこれを書いている。
自ら尿漏れパッドを買うおばあちゃんへの憐れみでも、社会的孤立を防止できない行政への憤りでも、将来遠距離介護をしなければいけないかもしれない両親への不安でもないと思う。
偽善者以下。
煌々と明るい夜のドラッグストアで、たまたま大勢のお客さんの前に照らし出された、普段なら見えかった影のような部分に、違和感と恐怖のようなものを感じている。
だれか、これの正体を知っていたら教えてほしい。
学生の時も、社会人になっても、孤立はしていないけれど仲の良いみんなで集まろう、という企画には呼ばれない人種として生きてきた。
これから1人で生きていくぞと自分を奮い立たせる気持ちと、もういっそ終わりにしたほうがいいのではという気持ちがぐちゃぐちゃに混ざっている。
自分はこの日の夜、うかつにも実家のある呉に向かって車を走らせていた。
昼を過ぎたあたりで、フロア中のスマホがけたたましく緊急エリアメールの受信を告げる。
初めは安佐北、佐伯、安佐南。避難準備、災害対策本部設置、避難勧告などと、ほんとうに10分おき位に緊急エリアメールのアラートが鳴り響く社内。江波、舟入、宇品・・・会社がある南区にも、豪雨の濁流が近づいてきているのを感じ、同僚たちは落ち着かない雰囲気で顔を見合わせていた。
自分も仕事そっちのけで市のホームページの緊急情報にかじりついていた。
仕事が終わったのが18:30。いったん荷物をまとめるため自宅に戻る。しかしすでに平和大通りは激混み。段原の同僚から床下浸水したとかなんとか連絡をもらい戦々恐々。普段なら10分もかからない自宅についたのが20:00。
荷物をまとめて呉に向かうことにした。
口田は明るいうちからすでにとんでもないことになっていたのをツイッターで見て知っていたし、それこそ四年前の災害も市内北部で起きたことだ。そして呉市内(中央付近・中心部)に住む両親や姉とのラインでは、二人はいたって普通で、市内ほど緊急エリアメールも届いていないようだった。
とにかく市内から逃げるのが最適解だとその時は思っていた。
しかしその目論見もあえなきさだめとなる。
会社を出た時点ではまだ生きていた広島呉高速道路がついに全域通行止めになっていたのだ。こうなったら焼山経由か31号線で帰るしかない。
家を出る前に確認しておけばよかったと歯噛みした。
(第2の判断ミス。高速が止まったことに気づいた時点で引き返しておけばよかった。)
東雲あたりに到着したころには21時になっていた。普段から混む場所ではあるが、自宅から一時間もかかったことはない。
車のガソリンが切れそうでイライラしていた。今にもエンプティが点滅しそうな領域。
目につくガソスタは全部閉めていた。そりゃそうだ特別警報発令中、ガソスタ店員だって避難してるにきまってる。
雨脚は弱まることはなく、車の天井をたたく雨粒の音でカーラジオもオーディオも聞き取りにくいほどだった。
渋滞に巻き込まれてる間も緊急車両はそこらじゅうでひっきりなしにサイレンを鳴らしていて、数分おきには路肩によけるような状況だった。西区、安佐北や安佐南の署名が書かれた消防車が目立ち、不思議だと思った。なぜなら自分が走っている道は市外へ向かう道。市外から応援が駆けつけてくるならともかく、広島市内の緊急車両が市内を手薄にしてまで市外を目指すなんて妙だ…。この先でなにかがおきているのか…?
「坂で土砂崩れ」
「瀬野川氾濫」
このときにようやく自分が向かっているところは安全じゃないと気づいた。なんだか予想以上にとんでもないことがおきている。
そもそも呉にたどり着けるルートは完全に失われているようだった。
その時にはすでにバイパスに乗っており、引き返すことができない状況だったうえにガソリンも切れる直前だった。
とにかくいったん海田に抜けて、ガソリン入れてから考えよう!と思った。
渋滞中、ガソリン節約のため空調を切っており土砂降りのため窓も開けられない蒸し暑い車内で、あわててツイッターなんかで情報取集すると、呉も地元もひどいありさまだった。
見慣れた景色が土砂や濁流にのみ込まれている様子は、どこかリアリティに欠けて見えた。
そしてガスメーターのエンプティマークは点滅していたけど、頼むから持ってくれ!という気持ちで覚えのあるセルフ24hのガソスタをところどころ勃発している通行止めにイライラしながら目指した。
悲痛な願いは届き、蛍光灯と値段表示でらんらんとかがやくガソスタにたどりつけたときは半泣きになった。
ガソスタの床には、流木やゴミが散らばっており、一時は冠水したのかも、と思い背筋が凍った。
ふんずけてパンク、なんてことにならないよう、細心の注意をはらって車を進めた。
救急車も給油していた。
さて、ガソリンも入り車内空調にようやく電源が入り曇りまくっていたフロントガラスもクリアになったところで0時過ぎ。
1.市内の自宅に引き返す
2.そのへんで車中泊する
ぶっちゃけもう運転はしたくなかったので車中泊をしたい気持ちもあったが、すでに一部冠水していた海田町にとどまるのはおそろしい。すぐそばには荒れ狂う瀬野川もある。
帰宅してしまえば鉄筋マンションの6階の自宅は流されることはないだろう。かといって市内の状況もわからない。マンション付近が浸水していたらジ・エンドだ。この時ばかりは、リバービューに憧れて部屋を選んだ自分を恨んだ。
それにどこかでまた通行止めで立ち往生する可能性もないとは言えない。
これ以上判断ミスするわけにはいかない。いろいろと取れる限りの情報を収集し、迷った末に、市内の自宅に引き返すことにした。渋滞に巻き込まれている間に対向車線を確認した限りでは、下りはそんなに混んでるように見えなかった。(逆にどこかで通行止めしてるんではないかと不安でもあった。)
運転時間はぶっ通しで6時間にのぼろうとしていたけど、この判断が間違っていないと信じて、がむしゃらに車を走らせた。幸い通行止めも渋滞もなく、恐ろしいほどスムーズに広島市内に帰ってこられた。
驚いたのは、緊急車両が市内に向かう車線を逆走しながら市外へと向かっていたところだ。当方は片側三車線の最も左を走っていたので何事もなかったが、なんの警告も交通整備もなく逆走しているのをみて世紀末を感じた。。
(それくらい市外へ向かう道は混んでいたというのはある)
市内に帰ってくると拍子抜けするくらい渋滞もなく浸水もないようだった。緊急車両よりタクシーが多かった。
最悪週末は一歩も部屋を出られない覚悟を決めてコンビニでアホほど買い物をし、自宅に戻った。
この時すでにコンビニの水のペットボトルの棚は空白が目立っていた。
自宅につくと、おそらく間違っていなかった判断に安心し、疲れていたので風呂も入らずに眠った。
皆さんに忠告。
叩かれる部分も大いにあると思うが、2つの豪雨を体験したので素直に書いてみる。
広島市安佐南区、安佐北区を襲った平成26年8月豪雨では安佐南区でも大きな被害が出た地区に住んでいた。
そして、現在は安芸郡に住まいがあり、平成30年豪雨を経験した。
幸いにも私自身は何も被害を受けることなく、身近に起きた災害を経験した、という程度のものである。
夕方遅くから夜中にかけて、二度雨のピークがあったのを覚えている。
このときは、まさに「バケツを引っくり返したような」「滝のような」と表現されるような雨で、家の中に居ても危機感を覚えるほどの降り方だった。
多少心細さを感じながらも、土砂降りの中外の様子を見に行くのも面倒くさいし、避難勧告も出てないし、ということで、かすかに聞こえる太田川の警報を聞きながら寝入ってしまったのである。
なお、当時、広島市の対応の遅さが指摘されており、その後、まめに避難勧告が発令されるようになったように思う。
そして、馬耳東風がごとく、避難勧告が出ても気にもとめなくなってしまった。
前日から降り続く雨。
台風の影響で九州のあたりから雨雲が迫ってくるのは知っていた。
いつもよりも天気予報を気にしつつ、15時以降いよいよ雨が強くなっていった。
しかし、平成26年に体験したような「バケツを引っくり返したような」「滝のような」雨ではなく、多少雨足が強い程度の雨だと認識しており、危機感というほどのものは感じることがなかった。
ただ、雨はここ数日降り続いており、累積した降雨量は相当なものだな、とは思っていたので、この降り方が続くと何かしら起きるかもしれないと予感した。
17時半頃から、あれよあれよと言う間に避難勧告、避難所開設、避難指示、特別警報が発令された。
午前0時をまわる頃には町内のあちこちで水が溢れ、土砂が流れ大渋滞を引き起こしていたようだ。
しかし、土砂降りの中、一人暮らしの女が身支度をして夜中に避難するのは心理的にハードルが高い。
家がある場所はなだらかな坂だから浸水の心配もない。大した川もなく、山からも離れている。
何事も起きそうにない。
えー避難…?この土砂降りの中避難所まで歩いて…?大したことなかったら…?
てか避難してる人とか居るの?
明日も仕事だし…、雨で交通乱れてるだろうから早起きしないと…zzz
(そして、幸いにも家付近は全くと言っていいほど被害がなかったのであるが)
【アプリ】
Yahooの天気アプリ、Google Mapは、いつも頼りにしている。
雨雲レーダーはかなり正確だと思う。
Google Mapの渋滞情報は、時々嘘をつくが、混雑しているところにわざわざ突っ込もうという気にはならない。
【テレビ】
でも情報が散漫で、ローカル情報をガッと集めたいときにはまどろっこしい。
【ツイッター】
結局ずっとツイッターで調べていた。
テレビでは被害が大きいところの情報がメインだから、地域、地域の情報が手に入る。
道路の状況とか逐一報告してくれるアカウントがあって感謝している。
見る専だったけど、これからは共有できるお役立ち情報をつぶやいてみようと思う。
【雑感】
避難勧告、避難指示、特別警報が発令されても、場所や家によっては全く被害が出ないこともあり、自分で勝手に甘く見積もってしまう。
休日で家に居たら、土砂降りの中わざわざ出ていったりしないが、家の中に閉じこもっていたら切迫感がない。
大雨の際には「田んぼや用水路を見に行かないでください」と仕切りに言われるが、いつもは穏やかな川が、8分目くらいまで水かさが増しているのを実際に見ると「やべえな」という感想がわく。
なんだかんだでネットが一番役に立つが、情報が散逸しているので、災害時の共通のポータルサイトみたいなのを誰か作ってくれないだろうかと思う。
テレビ局や新聞、自治体が独自に作っているのもあるけど、写真、動画、口コミ、つぶやきレベルの情報や超々ローカル情報、そういうのを集約するの。
デマとか、不確定のものも出回るだろうけれど、情報の取捨選択は受け取る人に任せて。
逐一どこが開通したか、いつ復旧しそうか、抜け道はあるか、混み具合はどれくらいかを調べないと、渋滞のドツボにはまってしまう。
あと、ネットに不慣れな人たち、どうにかならないだろうか。
町内放送でなんやかんや言ってたが、土砂降りの最中では全く何を言っているのか分からない。
そもそも、町内放送は平常時でもご老人たちに聞こえているかはなはだ怪しい。
【追記】
補足だが、安佐南区のときも安芸郡のときも自宅周辺は全く被害がなかった。
避難勧告等は区域全世帯に向けて出されるものだが、比較的安全と言われるポイントに住んでいる場合はどうしたらいいのだろうか。
「〇〇地域に住む、☓☓世帯に避難指示が発令されました」これは私も含んでいるはずだ。
しかし同じ区域内で目と鼻の先で起こった被害は凄まじいものだった。
そして、逆に今回、「無事?」と心配してくれた他地域の人の方が、私の自宅周辺よりも被害を受けていたりする。
テレビで全然情報が流れない地域で浸水していたり、自宅裏が崩れていたり。
結局、自分のところは大丈夫という希望的観測、楽観的確信によって、自分は3度目の災害時に痛い目を見るのかもしれないと思っている。
沈没船の国民性ジョークのように「みんな避難してますよ、避難してないのあなただけですよ」と言われると、ようやく避難しようと思うのかもしれないが、それも情けなくぞっとするものがある。
それと今回実感したのは、復旧の早いこと早いこと。
陥没した道路も、土砂や岩が流れ込んだ道路も思いの外迅速に開通する。
梅雨が開けた猛暑の中、また夜を徹して作業をしてくださる土木関係の方、復旧に尽力してくださる自衛隊や自治体の方には本当に感謝している。
気象庁は早くから警告を出していたし、NHKもその情報を流していたと思う。
素直に警告を受け止めて、危機感を持つようにしなければと戒めている。
↑日本人とは言ってない
時給400円で深夜まで奴隷労働 「メイド・インジャパン」は外国人技能実習生の犠牲の上に成り立っているhttp://b.hatena.ne.jp/entry/342894528/
「助けて下さい」技能実習生が”手紙”で日本政府に訴えhttp://b.hatena.ne.jp/entry/329265267/
岐阜縫製のベトナム人女性が相談できない理由、孤立する技能実習生(1)”奴隷労働”でも「相談先ない」http://b.hatena.ne.jp/entry/320813017/
愛媛のアパレル工場“蟹工船”中国人研修生http://b.hatena.ne.jp/entry/20959910/
京都の繊維工場に時給「25円」で月400時間労働させられたバングラの技能実習女性http://b.hatena.ne.jp/entry/139778470/
熊本の縫製会社で人権侵害や強制労働http://b.hatena.ne.jp/entry/24881874/
厚生労働省“ブラック企業リスト”が見せたアパレル業界の深い闇http://b.hatena.ne.jp/entry/338534491/
鉄道おじさんは都合の悪い自身の黒歴史だと感じたのか、今はどこを探しても魚拓にすら残存していないのですが、13年近く前も鉄道おじさんはまとめ的なサイト日記の様なものをやっていたんですよ。当時も実は彼はゲームやパソコンやカメラを保有していて、多少消極性はありましたが、今とは比較にならない位の資料付きで、冷静に社会批評を繰り返していました。
高校のオートバイとその免許の単独所持禁止は非行防止の観点からだとか、ゲームソフトの値段がどれも同じなのは社会的な要請であって、若者が余計なトラブルに巻き込まれない様にするための知恵だとか、かと思えば、低賃金長時間労働のポスターを大サイズで全面貼りして、これらの風景は、無機質で社会性に欠け、非常に殺風景な風景だと一蹴する記述すら見られました。
言葉こそ冷静に語っていましたが、当時の彼は実録付きで社会批判を公然とやっていましたし、一方でサブカル批判は、全くしておらず、むしろサブカルの優位を仄めかす記述も目立っていたのです。彼がにわかにサブカル批判に転じ出したのは数ヶ月前辺りからで、それは変質がはっきりと解る程、視点が変化した事が解りました。それは、恐らく彼が社会で孤立している焦りから生じたものだと考えられます。
つまり、彼がまだ若い内は、ネットオタクとしての言論行為をやっていたのが、段々と進歩と年齢を重ね、社会に受け入れられなければならない自身に焦りを感じ、逃げ場所を求めた結果として、サブカルと一蓮托生の日本とその未来という構図を考えざるを得なくなったという訳です。
しかも、彼のこの変心は、オタクでいられなくなりそうな自分の、隠れ蓑としての立ち位置だと思われますので、果たして、本心なのかも疑問な所です。丁度今は色々とネットでの論議のやり取りが大忙しですから、彼の考え方を知る、良い機会になっています。ただ、実際には、吐き気半分と言える程、仲間との辻褄合わせに、連日混乱している様が見て取れる事が、残念なのですが。
描いてツイッターでアップしてRTやらいいねやら貰えるんだけど何だか物足りない
数値の問題なのかすら不明 だって基準がないからその人が思うように思うしかないんだもの
フォロー0の無交流にしてはほどほどの数字を貰えているんじゃないかとは思う 自信はない
そこでこれは一体どういうことなのかと考えていた
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理由①ガス欠
キャラが大勢いるジャンルでマイナーキャラ推しなので定期的に描いてるのは自分だけ
確実にツボを突いた自分の作品は最高なわけだが独り善がりになってきている気がして辛くなってきた
オレの心がお前の推しはそんなこと言わないと叫ぶ
はじめは萌えブーストがあって周りが見えてなくて気にならなかったんだけど
私にとって同人活動は 自分で描いて 人の描いたものを見る の2つで成り立っている
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理由②とにかく交流下手でぼっち(ただしわりと自分の意思でやってる)
RTやいいねの数値は(私的に)悪くないがいかんせんに生身の人間と関わりがない
だからなんというか虚しさの残りかすがすごい溜まってる
それでも人に話しかける気はない コミュ障のサラブレッドゴミヒューマンとは私のことだ
マイナーキャラも自分一人が好きでいればいい というタチなのでダイレクトに布教する気もない
というか絵文字いっぱい並べてワーキャー言っているの怖い
キャラの話をしているかと思えば原作からかけ離れた僕の考えた最強に萌えるホモの話してて超怖い
お前が推してるそのキャラは偏食でオムライスなんて食わんぞと言いたい お前には何が見えているんだと
でもそんな意味不明な周りが楽しそうにしてると猛烈に寂しくなる
同じアホなら踊りたいけどもう一人の私(原作厨)が肘鉄かけて止めてくれる
まぁ集団の中で孤立してて寂しくて貰った評価を素直に受け取る余裕がない感じ
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理由③熱が冷めた
絵を描く~ツイッターにアップする~評価される の3ステップで一番楽しいのは
一番初めの 絵を描く だと思う 最初からクライマックスというか
だからそれが終わった時点で熱が冷める(悪く言えば飽きる?)のかもしれない
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ツイッターだとこういった長々と文章で書けないけど吐き出す場所があるっていいね
PS.推しの故人率が増えてつらい