はてなキーワード: ロジックとは
https://x.com/GPi3j/status/1820302553265098832
そもそもトレードロジックの説明なしに、話を聞いてはいけないわけだけど、そんな基本すら知らない人間が日本では多数派だから地獄だね。
番組に関係ないところで命に関係するような誹謗中傷をして、番組で尻拭いさせろっていうのは非常に虫のいい話だわ
なんかナイナイ岡村を引き合いに出してるやついるみたいだけど、
あれは番組内での失言なので発言直後に謝罪コメント入れたりという対応をしなかった局にも責任がある、
というロジックがギリ存在するからなんとかマイク前に座らせてもらえただけのこと
他局だけど、ジャンポケ斉藤の不倫のときは1回目は生謝罪させてもらえたけど、二の矢が報じられた後は強制降板だったからな
しかも「◯んでくださーい」とか、岡村の女性に対するキモい見識やジャンポケ斉藤の不倫と違って直接的に命をどうこうするような話だし
番組に関係ないところで命に関係するような誹謗中傷をして、番組で尻拭いさせろっていうのは非常に虫のいい話だわ
なんかナイナイ岡村を引き合いに出してるやついるみたいだけど、
あれは番組内での失言なので発言直後に謝罪コメント入れたりという対応をしなかった局にも責任がある、
というロジックがギリ存在するからなんとかマイク前に座らせてもらえただけのこと
他局だけど、ジャンポケ斉藤の不倫のときは1回目は生謝罪させてもらえたけど、二の矢が報じられた後は強制降板だったからな
しかも「◯んでくださーい」とか、岡村の女性に対するキモい見識やジャンポケ斉藤の不倫と違って直接的に命をどうこうするような話だし
二年前の増田にコメントする。人治主義に関するあなたの見解は正しいと思う。
人治主義的な世界じゃなく法治主義的な世界の方が、自分の内側にある理屈にだけ向き合えばいいから戦々恐々としなくて済む。同調圧力でお気持ちをゴリ押しできない分、説得のコストは必要になってきてしまうけど、「みたいな奴増えたよな?」のように誰かの合意を求めてどこかに呼びかけて、運良く賛同を得られたときだけ説得力を持てる、みたいなバクチに頼らなくていいから、生存に確かなグリップ感が出るはずだ。
しかし二年後の日本は…、残念ながら人治主義に陥っているらしいんだ。
エルフ先生の炎上問題を調べていて気づいたんだが、批判派のほとんどが理由を説明しない。
説明してるわずかな人たちの理屈は、いままでポスターを性的だと非難していたフェミニストの言い分とそっくりだった。
かつて否定したロジックを自分たちが採用する理由の説明は一切なく、そのまま転用していた。
そうしたダブルスタンダードを嫌ってかは分からないが、ほとんどの人が理由を説明せずに
「おかしいやろ」「いや流石にダメだろ」「感覚狂ってる」「コレ擁護するやつおかしい」
思うに、人々は生存の確かなグリップ感よりも、炎上する誰かをみんなで笑ったり、他人の顔色をうかがって自分が孤立してないかを恐れたりするスリルを選択したんじゃないか。
戦々恐々とする日々に、社会とつながっている一体感を得たいのかも知れない。
人気ブクマカのコメントを見ていても、露骨な詭弁術や矛盾、人格否定やハラスメントが増えてきた。
耳目を集めるためにリスクを犯す快感が、この傾向を加速させてると思う。
我々はどこに向かっているのか。
もちろんそれは極論で現代において個人的にはあらゆる暴力に反対したいし、気に入らないことがあれば暴力で解決したらいいってことがまかり通ったらもうなんでもありになってしまうというのはその通りなんだけど
暴力すなわち民主主義そのものへの攻撃というロジックはどうなんだと。
代議制にしてもそれを普通選挙で選ぶというのも民主主義を担保するための制度にすぎなくて民主主義そのものではなく、民主主義というのは国民に主権があるということと理解してるんだけど、
政治家が好き放題やってむしろその民主主義を担保するための制度を壊して行った時に(負けたら不正選挙だと騒いで支持者らが議事堂を襲撃するのを煽ったり、選挙に勝てば何やってもいいと三権もメディアもワガグンも国有地も官僚機構もアンコンしたりすることが想定される)、民主主義を担保する制度が信頼を失って政治が国民のものでなくなり、民主主義的手続きのもとで公正な意見表明、主義主張の実現ができないとなったときに、そのとき「民主主義を守る」立場からの暴力が選択肢として出てくるのは必然じゃないかと。
色々な意味で民主主義が危機に瀕していることが多くの国民の目の前に明らかになっているもとでの事件であって
暴力を振るった人間を個人的に民主主義に挑戦したテロリストとして抹殺するということだけで本当にいいのかと思う。
はっきり言ってジェノサイドジョーと呼ばれてる現職大統領の「暴力は良くない」も、いよいよ金権腐敗が明らかな自民党政府の言う「民主主義への挑戦を許してはならない」も意味の無い空文句だし「暴力で社会は変わらない」なんてのはただの嘘だし
結局「今のシステムのもとで民主主義は確かに保障されている」という"前提"を政治の側がしっかり表明し、示していくことでしかテロを非難して暴力を排除していくという論理展開が立てられないはずだ。
日本語のXを見ているといま現在ある選挙制度(実際はそこにも明らかな問題点がある)を守ることだけが民主主義みたいな話が当然のようにまかり通ってるけどそれは違うよね。
長年統一教会にがっつり支配された自民党政治のもとで司法の場でも立法府の場でも統一教会被害者が圧倒的に不利でその声が潰されてきて、不公正な政治的忖度のもとで名称変更まで認められた。
そのもとで起こった安倍殺しに「言論で戦え」「ちゃんと民主主義の手続きを踏め」と、そうはっきり山上に言える人が日本のどこにいるのかという話。
石丸の理想や理念は「ロジックを積み上げればユートピアが完成する」であろう
ゼロかイチか、白か黒か、論理的に正義正解を定義しそれを積み上げることが善である
昨今デジタル時代に情緒的な伝統的慣習の板挟みとなり人生に不満を抱えている人にはウケる論理。
バブル崩壊により社会が自信を喪失し新しい価値観を模索していた時
一方でそうした社会の変化を受け入れがたい人たちもいる
世界はふわっとしたもの、アナログ情緒的なのりしろが確保された社会が好き
多少理不尽な事もある、納得できないこともあるが、人生の大勢を揺るがすほどではない
結局それが効率的で、幸福量は最大になるんちゃうの?しらんけど
みたいな一派、だが多数派
俺にはこの対立に見えた
なんで?
地方自治の目的理念は「住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として」だよ。
なにを根拠に、どうしうロジックで行政の中の人は政治に干渉してはならないと考えているのか。
もうちょい詳しく書いて欲しいな
ただの無党派の30代です。
そして、改めて政治について色々と考えるきっかけになったわけだが、各所SNSではエコチェンが流行っており、所謂政治クラスタに蝕まれていく感覚があり、これはヤバいと感じるので、ここで現況を個人的な意見として整理し、現実逃避から決別し、また四年後に都知事選を楽しみたいと思う。
・現職の強さ
・プロジェクションマッピングや、ソーラーパネルなどネガティブに感じる施策はあるが、結果としてマイナスにはならなく、子育て支援が手厚く、女性票を多く集めた
・公開討論では、結論を煙に巻くスタイルで、また築地の人の声を伝えた田母神氏について「お友達は選んだ方がいいですよ」と切り捨てていたのが印象に残った
・また、テレビでの公開討論の打診があったようだが、それは断られていた様子。選挙後に断ってないと言っているようだが、真偽は不明
石丸伸二
・石丸旋風
・ネット活用の方が注目されがちだが、夏の暑さの中、誰よりも街頭演説しており、エネルギーを感じた。ネットとリアルが融合し二位という結果をもたらした。
・選挙後にマスメディアにインタビューされ、その応答が話題に、石丸構文が生まれる。
・これは石丸氏が安芸高田市長時代におけるマスコミへの対応の延長であり、これまでも記者やインタビュワーに中身のある質問、前後関係を踏まえた質問を求めてきた。そのような文脈を把握していない多くの人からはかなりネガティブに捉えられているが、ニコニコニュースやAbemaからの適切な質問に対してはしっかりとした応対をされていたので、そこに一貫性はあったかなと
・ただ、支援者の中でも意見が分かれるところで、そういった石丸氏を知らない人が多い中で、あえてといっていいのかわからないが、素人質問をするメディアに対してもっと上手く対応すれば良いのにという声も見られる
総括すると、当たり前に大きなマイナスがない(メディアに報道されない)限り、現職は強い。
特に面白く感じたのが、両者、コミュニケーションスタイルに大きな違いがあり、前者は何か言ってるようで何も言っていないスタイルであっても、その話し方や声のトーンから聞き手に柔和で温厚な印象を与え、後者は、話の中身やロジックを突き詰めるがあまりに前後関係や文脈を把握してる人から理解はされるが、多くの人はそこまで情報収集できないので、頑固で冷徹や印象を与え、それが政治家として人々に評価されるのだなと感じた。
現実問題として議会との混乱を起こさず、都政が仕事として回るかどうかが争点となり、それがこの結果に出たと思われる。たとえそれが利権の温床になっていたとして、それは現在の政治にとって必要な対価なのだろう。
最後に
しがない労働者にとっては、政治は今はまだエンタメとして非日常的に楽しむしかなく、政治に本気になればなるほど、政治クラスタに染まるしかなく、エコチェンされ、もはや自分の脳では考えられない人になるだろう。恐ろしや、恐ろしや。
今回、究極の中立として期待されたのが安野たかひろ氏と勝手に評価している。今後も政治活動を続けるのかどうか、今後には注目したいところである。
小池氏、石丸氏にはどちらも日本をより良くするために応援するし、本質は人の是非ではなく、仕組みや施策の是非である。仕組みに欠陥がある以上、誰がやっても欠陥になる。そこに焦点が当たらない限り、政治の世界は変わらないだろう。
そして、現実問題政治を変えられるチャンスはこのような選挙によって定期的に回ってくるが、その間隔は遅く、変化に時間もかかる。
重要なのは、コントロール可能な自分が現実と向き合い、自分の身の回りの暮らしを良くしていくしかないということだ。それをどうにかするのが政治だが、これは鶏の卵の問題なので、私は自分を変えた方が早いと思うというだけだ。
今の政治を見ていて本当に働くのがバカらしくなる時が多々あるが、結局私には働くことしかできないのである。
たくさん働いて、たくさん納税するのが、労働者である私にできる現時点で1番の政治活動だと思う。
次の選挙を楽しみにしていましょう。
みんな、そして自分も含めて、どうか誰かの悪意に染まらずに、自分の人生を生きていくことを祈ってます。
じゃ、行ってきます!