これまで手伝わなかった親族が、高齢者の介護方針に口を出す状況を表す言葉。
これまで疎遠だった親族が、
近辺の親族と医療関係者の間で時間をかけて培われた合意に反して、
医療チームに患者の延命のための積極的な手段を追求するよう主張したりする状況を表す言葉である。
しばしば怒りっぽく、自己評価が高く、明晰と自認し、情報通を自称する[1]。
安らかな終末を阻害するとされる。
医療関係者によると、「カリフォルニアから来た娘」は高齢患者の生活やケアから遠ざかっていたため、患者の悪化の程度にしばしば驚かされ、医学的に可能なことについて非現実的な期待を持ってしまうことにある。 また不在であったことに罪悪感を感じ、再び介護者としての役割を果たそうとする心理もある[2]。
2015年に出版された『ザ・カンバセーション』(原題:The Conversation)では、アメリカの医師アンジェロ・ヴォランデスは、これを「罪悪感と否定」であり、「必ずしも患者にとって最善であるとは限らない」としている[3]。
この言葉は、1991年に米国老年医学会誌に発表された、ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たち老年医学者の集団によって「無能な高齢者の意思決定:『カリフォルニアの娘』症候群」と題する症例報告で、初めて注目された。ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たちは、精神的無能力(意思疎通困難状態)な患者の気難しい家族に、医療スタッフがどのように対処するかの方策をこの論文内で提示した[4]。
医療スタッフは、患者の意思決定に関する情報を家族に提供することが重要である。
家族と医療スタッフは、患者の意思決定に関する合意を形成するために協力する必要がある。
家族は、患者の意思決定を尊重し、患者が自分自身のケアに関する決定を下すことを支援する必要がある。
いずれも遠方で介護に参加しなかった親族が来訪し、介護や終末の計画を感情的に変更しようとする表現となっている。
当のカリフォルニアでは「ニューヨークから来た娘」又は「シカゴから来た娘」と呼ばれている[5]。
カリフォルニアから来た娘症候群はカナダでは、「オンタリオから来た娘」と呼ばれる[4]。
日本の医療や介護現場では「ぽっと出症候群」という言葉が知られている[6][7]。健康保険組合連合会「離れて暮らす親のケア vol.42」におけるNPO法人パオッコの資料では「遠くに暮らす子どもは、年に1、2度突然やってきて、治療法がどうだとか、こうだとか言うんだよね。普段の状況を何も理解しないまま」という医師談が紹介されている[6]。
台湾では「The Daughter From California Syndrome」が紹介された際、特定地名の意味合いを消して「天邊孝子症候群」(空の向こうの孝行息子症候群)として組み込まれた。
最も合理的な判断をするべきというのは医療業界のロジックで、 市民側としては、非合理だとしても自己決定のほうが良いけどな。 患者がカリフォルニアの娘を信用するなら
その結果、植物状態になった上に胃瘻でゾンビのように生かされて、税金食い潰すだけの糞袋になるんですよねえ 当の娘は殆ど見舞いに来なくて衰弱死するのを待つだけみたいな悲惨な...
自己決定を歪めてまでそうするメリットがあるなら、 現場の裁量でやるより、法律でやりたい
裁量でやられると患者側も、 自己決定を守るために疑り深くなる 自己決定権を奪い合うための、イタチごっこのコストがかかる
カルフォルニアの娘を納得させておかないと 本人や家族の意思決定権に医療従事者は逆らえん 人間寿命でぽっくり逝くのが幸せよ
カルトに騙されるタイプだな
逆逆 本人がいらないって言ってるのに感情的になった娘が延命させる
営業マンが重要なステークホルダーを抑え忘れて失注するみたいな 取引先が悪いわけではない
なんでそうなるかというと、単純にその子供が金払うからだよ
金払うのならもっと最初から参画しているしコストを気にするよ 実体験として、金も払わない人間の方が偉そうで「最上の」処置をしないと批判する
死亡退院ならそう
その点、イパネマから来た娘っていいよな
親の面倒を見るくらいの世代だと ・「娘」は息子よりも結婚で家を離れることが多い ・女性の分野であるケア労働を人任せにしていることに罪悪感を感じる ・女性の教育レベルの低さ ...