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はてなキーワード: マッサージとは

2024-09-06

授乳しんどすぎる 

子供が生まれてもうすぐ1ヶ月になるけど

母乳飲んでくれなくて辛すぎる

わんわん泣く赤子の頭をつかんで口に乳首放り込むの、疲れる

ちゃんと深く加えられてないから、乳首だけ吸われて痛いし、乳首だけ吸っても乳は出ない

出ないからやっぱり赤子は頭を左右にふって泣く

産前から乳頭マッサージ頑張ったし、産院では誉められるくらい母乳量は多い

今でも搾乳したらコップ一杯は取れる

溢した分も含めるともう少し出てると思う

でも飲まない

どうしたらいいんや

粉ミルクや搾乳を哺乳瓶で足すたびに落ち着いて飲む姿に涙が出る

早くこの子も私も落ち着いて母乳を飲める、飲ませられる関係になりたい

そんなの親のエゴかな?さっさと諦めて完全ミルクにした方が楽なのはわかってるけど諦められない

※なんかしんどいが爆発してワーッとなって書いたチラ裏に一晩でこんなに反応あって驚き

ミルクとか母乳とか議論の種になってて申し訳ない…

母乳育児希望理由としては、私自身が粉ミルク育児をする自信がないか

今でも母乳疲れた赤子待たせて調乳する間ギャン泣きで、母乳飲んでくれないことも相まって余計にダメージデカイんだよね

ましてや粉ミルクなんて作るの時間かかるから、待たせる時間が長いぶん、泣き具合も半端じゃない、絶対いつか近所迷惑通報されるってレベル

赤子が怒り狂ってるのが伝わる

飲ませ終わったら搾乳、哺乳瓶と搾乳機洗い、それらの除菌、搾乳の保管…やること多すぎだし、ミルクの装備で外出なんてとてもじゃないけど無理、粉ミルク育児をやれるビジョンか見えなくて軽く絶望してる

それと、赤子と少しでも引っ付きたいんだよね

どれも親のエゴです

赤子は小さめだから、とにかく母乳を絶やさず絞ってね、大きくなったら飲めるようになるよ!と、産院の母乳外来でも、桶谷式でも言われたので、とにかく今が頑張り時かなと少し前向きに考えることにしている(希望を持たないとしんどすぎる)

ちなみに買って正解だと心から思えてる育児グッズはカネソンの搾乳保管袋と、コンビ電子レンジで煮沸消毒するやつ

調乳(搾乳の温め)➡️飲ませる➡️洗う➡️除菌、の流れがすごくスムーズ

みんなの体験談見たら元気が出ました

赤子が大きくなったら、試しまくった哺乳瓶と使い倒された搾乳機見て笑い話ができるんだろうな、それまでもう少し頑張ろう

追記というか後日談

赤子は無事2ヶ月目になりました。

あれから乳首カバー助産院母乳指導を経て、直母でガシガシ飲むようになった!

射乳反射の感覚は未だにわからんけど、ごくごく飲む姿、やっぱり世界一かわいいよ!

三週間前、完ミになるかもって悩みすぎてコストコ粉ミルクバカ買いしたけど、まだ開けてません

もったいねえけど、そのうち何かに使えるかな

本当に何かあったときのお守りって感じ

2024-09-05

血行の悪いところは皮膚がカサカサになる。

手足の血管は一箇所詰まっったところで、周囲の毛細血管から血液供給されるので、

直ちに壊死することはない。

だけど、相対的に血流は悪化しているので、その周辺では新陳代謝が遅くなり、

皮膚がカサカサになったり角質化したりする。

手足の皮膚を触りまくってみて、あきらかに質感が違う部分があったら血管がつまりつつあるかもしれない。

このつまりを解消するには、ハンディマッサージャーによる振動刺激が有効だ。

血管のつまりは、症状のある部分の上流にあるので、広範囲マッサージャーを当てるのが良い。

但し、この技法は、身体組織を軽く壊し、それが修復されるときに治る現象を利用するのでやり過ぎないように気をつけたい。

2024-09-04

Amazonで買って翌年以降も使ってるもの

おまけ 買ったけど微妙だったもの

首肩が痛い

寝違えと肩凝りの中間くらいの痛みがじわじわ長期間続いている

これは整形外科でええんか?

鍼とかマッサージじゃなくて普通病院で診てもらいたいんやが

2024-09-03

発達障害社会問題になった理由

社会が高度化したか発達障害が目立つようになったってよく聞くけど、昔の本を読むと商店の店主、あるいは花とか柴とかをどっかで刈ってきて売り歩くのが多かった。あと百姓

そういう仕事不安定だし苦労も多かったろうけど、発達障害ならではのキツさは少なかったんじゃないかと思う。

一人でいつでも始められるってことで社会に出るハードルが今とは比べ物にならないし、ミスしても再出発がたやすい。

偏屈いけ好かない奴と爪弾きにされても別の土地へ行ってまた何か売ればいいし。

逆に言えば当時でも大店の下働き親方の下について働く仕事なんかだと問題起こしまくりだったろう。

  

もの仕入れて人のいるところで売れば多少金は稼げたのに、今では金を稼ごうとすれば面接し、時間厳守で出勤し、職場の人とうまくやっていかなくてはならない

そのかわり仕事は安定してるし生活は守られる

大多数の人にとっては安定してるほうがいいだろうけど、このハードルのせいで一歩も踏み出せないという人にとっては棒手振りみたいな商売がよかったと思う

今それに近い仕事ってなにがあるんだろうね。

自宅でやってるマッサージ師とか美容師なんかは近そう。

メルカリなんかもそうだな。

あとはハンドメイド作家イラストレーターとかも社不系主婦に広まってるらしいが個人でなにか作って売るという意味で近いと思う

初めてすね毛を剃った

そしたらすんごいスベスベなの。俺の脚ってこんなに滑らかだったんだなって。

しばらく触ってて気がついたけど少しむくんでるっぽいだよな、

リンパマッサージのやり方も調べるか

2024-09-01

マッサージ屋さんの人と話があってめちゃくちゃ嬉しかった。騙されてしまいそうな感じで好きになってしまいそうだ。繁盛している店は憎いねえ。

改めて絶対自分ホストに手を出しては行けないと痛感。

結婚できないなあ。

2024-08-30

普段Youtubeで何見てる?

  

かつてはVTuber配信者を見てたんだが、飽きてしまった。

  

なので最近

をローテしているのだが、それにも飽きてきた。

  

YouTuberとか以外にみんな何見てんの?料理とか虫動画

近づいてるんだかなんだかよくわかんない台風

矢のような雨が降ったと思ったらスンと止んだり、けれどぬったりとした湿気がまとわりつく8月締め日の金曜。

今日は朝9時から人生であまり経験することがないハリソン世界住宅ローン契約)に足を踏み入れてきて、246は地面師も溺れるような冠水してるし、仕事ではなんかみんな余裕ないのかな、みたいな塩対応やら激おこされるし、カーテンも無いし花を入れる花瓶もないか港町スーパー銭湯にやってきた。

デカい湯船に浸かってサウナに一回だけ入って、マッサージ意識飛ばしてやってきましたお食事処。

公共私的空間グレーゾーンスーファミゼルダみたいに何台もの配膳猫がぐるぐると哨戒するエリアを潜り抜けて着席注文。

グラスもよく冷えた生ビールを「油淋鶏ソースの冷やしトマト」を舐めながらいただいていると、隣の席に初老の男女と、直毛がそのまま伸びた芝刈りくん13日目くらいの朴訥とした青年の3人グループがやってきた。

それにしても油淋鶏ソースってなんなんだ。油淋鶏主体たる揚げ鶏は不在だけどこれアレだ。油淋鶏の肉抜きだ。玉ねぎサラダポン酢薬味がかかったものを「オニオンスライスの鰹のたたきソース」として提供してるようなものか。マーケティングだ。

隣席の芝刈り青年のはだけた作務衣の胸元からは青々とした光進丸がセイルオンしており、Kちゃん、と母親らしき女性から呼ばれていた。

Kちゃんはその世話の焼かれ方や呼びかけに「僕はチーズに目がないです」と目を合わせずに繰り返している様からちょっとしたハンディキャップを抱えている御仁のようだった。

かいに座った父親らしき男性女性からMさん」と呼ばれており、どうやらこの3人グループ血縁関係ではないようだ。

飲み屋ママとハンディキャップを持った息子、と常連さん、といった関係性なのか、何も考えずにはたから見たら3人家族の睦まじい団欒に見えたがどうやらちょっとイレギュラーな店外デートのようだった。

車で来ているため風呂上がりにビールを浴びたいであろうところを小瓶のノンアルコールビール乾杯するMさんママさん。その横でアツアツのチーズ揚げを手づかみで食べ嗜められるKちゃん

Mさん握り寿司を「食べたいです」と屈託なくおねだりするKちゃん。キレてるのか照れ隠しなのか「いいよいいよ!もう全部食えよ!」とMさん。「ちゃんとごちそうさまを言うんだよ」と訓告するママさん。KちゃんMさんは浴室で男2人きりでどのような会話を交わしたんだろうか。盛りそば握り寿司セットや韓国冷麺やよくばり天丼デザートを注文するたびにスキャンされるMさんリストバンドうまいな、とポツリと呟くMさん。きょとん、としているKちゃん。その景色を横目に見ながら、私は単品650円生搾りレモンサワーの3杯目のレモンを絞りながら、「飲み放題1800円なら単品にしなければよかった」と愁嘆した。

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

anond:20240829163911

旦那さんにマッサージしたいなー、足裏とか手(ハンドマッサージ)とか。

お疲れだってうから肩とか背中とかやりたいけど、ヤクモク(語弊)があからさまだと引かれちゃうしな。

もし触れ合い不足が原因ならこれで多少は落ち着くかも? 性欲増加しそうな気もするけど。

anond:20240830013843

エロ漫画ならあるけどな。女が女を責めるやつ。性感マッサージ系だったっけな。

2024-08-28

anond:20240828103144

メロメロならちゃんと男らしく女性にかしずいて女を家で立たせないようにしろよな

家事育児料理マッサージは男の義務

女より早く起きて朝起きた女のベッドにお茶と朝食を持っていき、女のための朝風呂を沸かして花を飾って女の髪を乾かしてホテルより綺麗にベッドメイキングして掃除洗濯済ませろよ

これ以外は愛してるとかメロメロとは言えません、口だけ

2024-08-25

夫婦家事育児負担について

増田は恐らくかなり体力があるタイプ。   

大学までレスリングをやってたし、社会人になってからMMAを始めて試合とかも出てるし結構頑丈。

増田には3歳の子供がいる。共働き増田フルタイム、夫は時短勤務。

増田会社フレックス勤務可能なので、

保育園の送り迎えは持ち回り。

だいたい月の半分はお迎えと送りを増田がやってる感じ。

家事は9割増田育児は8割増田増田フルタイム勤務で専門職ということもあり収入は夫より300万くらい多い。

夫は増田より8歳年上ということもあり、体も心も増田より繊細で、仕事育児で目一杯と言う感じ。

増田は恵まれた体なので夫に配慮するのは当然だと思ってたんだけど、

この前夫に「最近育児仕事オーバーワーク気味で辛い。鬱かもしれない。」と言われた。

これまで増田は夫になるべく負担をかけたくないと思って頑張ってきた。

子供が生まれから3年、リフレッシュ時間必要ということで、毎週月曜、水曜、金曜の夜は

夫はフリーで家にいない。フリーの日は16時に仕事を終え、映画に行ったりマッサージに行ったり碁会所に行ったりしているらしい。

(ちなみに増田にはフリーの日はない。半年に1回部下達と飲みに行くくらい)

まだ足りないの?これ以上に家事育児分担を増やさなきゃいけないのか? 

と思ったら突然不公平感を覚えるようになって

やる気が出ない…親に相談したら「大いなる力には大いなる責任が伴うと思って頑張れ」と言われた。

産後2ヶ月半で職場復帰したとき全然やれる!

って感じだったし、やれたんだけど、

今はなんか虚脱感があってなんかこう…つらい。

こんな時間になっても寝られない。

2024-08-24

anond:20221025191436

鞭は嫌だけど、マッサージの痛気持ちいいはわかるからそれの延長なのかな

2024-08-22

anond:20240821053550

どんまいマッサージでもうけて美味しいもん食べに行っておいで。

2024-08-21

教え子の母親マッサージして捕まった選手

経産婦がタイプなんかな

わかるわ

いいよね、おばさんの体

2024-08-20

マッサージ店開いたら一部の店員が誤解して監視カメラつくようになり

雇う時に性的マッサージしませんいうのに

おっぱじめないでほしい。

anond:20240820110554

マッサージガンみたいなやつが流行するのはそういう理由なんだろうね

電マをどうやって処分したらいいのか

電動マッサージ器を性具として使うのはやめてください!

純粋健康器具として使ってた人間無駄に恥ずかしい思いをするでしょ!

疼痛の改善を期待して電マを買ったのだが、あまり効果がないので処分したい。

だがその方法がむずかしい。

不燃ごみとして捨てるのはだめだ。

ごみ集積所に持っていくところを近所の人に見られたら誤解される。恥ずかしい。

リサイクルショップで売るのも不可だ。

「電マ売りにきたwww」ってあとで店員に笑われるにちがいない。

有料でアダルトグッズを回収するサービスがあるらしい。これはいい。恥ずかしくない。

しかしだよ。本来アダルトグッズじゃないんだけど。電マって。

なんでお金を払ってわざわざ恥ずかしさを回避しなければならないのか。

から電動マッサージ器を性具として使うのはやめてください!

ほんと迷惑

2024-08-19

エロいマッサージ店に行ったのに

マッサージされるとリラックスしちゃって萎えるんだよね

チョコザップの実態

安く、気軽に行けるのが売りのチョコザップ。

しかし実際に入会して行ってみると、メンテナンス全然なってないため、宣伝でうたっているほどの気軽さはない。

故障で使えないマシンや、古びて触りたくないようマッサージ機、常にメンテナンス中のドリンクバー

マシンも1店舗に4種類ぐらい。予約しなくてはならないサービスも予約されてないのに勝手に誰か使っている。

たまに場にそぐわない不審者のような人が入ってきたなと思えば、それがスタッフらしい。どれだけ人件費を安く済ませているんだろう。

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