はてなキーワード: ショッピングモールとは
東京なんかに観光に行っても楽しくないよ。上海やニューヨーク、シンガポールと同じようにただ都市の生活があるだけだよ。
ショッピングやグルメに興味なければ行く意味ないよ。服なんか見ても買う気起きないし、混んでるだけで行ってもつまらないよ。
同上
というか、そういう公園なところ普段行かないじゃん。東京観光だからって無理していくことないよ。
ただの寺があるだけだよ。普段寺に興味がないのに無理して浅草行くこと無いよ
あそこ全体がショッピングモールみたいなところだよ。東京でしかやっていない企画展? 科学展? それ東京である必然性なくない?
それ東京である必然性なくない? ヨーロッパあたりの絵画を持ってきているだけだから、それならヨーロッパ行ったほうが良くない?
ショッピング興味ないのに無理していくことないよね。そもそも普段スーパーとかで乾物や魚買うのに無理して変なところで買う必要なくない?
・車社会なので駅前商店街よりも駐車場の大きいイオンなどショッピングモールに行く
・三重中京大学が2013年で廃校(推測だが、それに伴いバイトの確保ができず駅前のファミリーマートが撤退)
・三重交通のバス路線の縮小 それに伴い車を乗れない高齢者が来れなくなる
普通に「正論おじさんがいるから人がいなくなった」わけじゃないと思う。もちろん、正論おじさんがいるから来ない人はいるだろうけど、上記の事で来なくなった人に比べたら少数だろう。
まぁ、上記の事で少なくなり、トドメを指したのが正論おじさんって話ならわからなくもないが、廃れた理由を正論おじさん1人に押し付けるのは流石に暴論。
自分は東京近郊に住む一児(3歳)の父。保育園は自宅近所に運良く入れたので通勤ラッシュに子連れというのは経験ないが、休日は電車に乗るし、バスや新幹線にも飛行機にも乗る
お出かけも新宿、渋谷、池袋、銀座、お台場にも行くし、ショッピングモールにも行く。一般家庭くらいのお出かけはしていると思う
なのによく聞く『子供にキレる奴(独身もしくは年寄り)』と言うのに出会わない。お年寄りは笑顔かあやしてくれるし、電車やエレベーターで泣いていても誰も気にもしてくれない(良いか悪いかは別だが)
住んでいる地域も古い町でお年寄りも多く住んでいるが、やはり無い
自分がベビーカー押しているからかと思ったが、170cmしか無いしマッチョでも太ってもいない。150cmの妻と子供だけでも出会わない
やっぱそういう弱い者いじめする奴って表情とかオーラみたいなのを見ているのかな?絶対に勝てる戦いしか挑まないまさに勝負師!自分もどうにかして狙われるオーラだして絡まれたい。そして牙剥いてキョドらせてみたい
休日のショッピングモールとかにいるお洒落した小学生が凄い可愛くて驚く
少し前までの小学生ってミニモニ参考にしたみたいなちょっとケバいというか無理してる感じなコーデが多かったけど最近やたらとこなれた連中がいて何こいつら最強すぎってなる
自然体かつめちゃお洒落でコクがあるのにキレがあってさっぱりこってり加点たっぷり減点なしって状態
肌キレイで体つきも人形みたいなのにそこまでやられたらもうどの年代も勝てないじゃん
せいぜいおっぱいの大きさでエロアピールぐらいしか勝負できない
いつの間にこんなことになったんだろう
成長速度の成長速度が成長しすぎているA(超スゴイ)にも程がある
強すぎる
怖い
『自動車や、それを用いた交通の仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
運転する人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした』
・交通ルール、事情をいままで知らなかっただけでそもそもこの世の中自体が良識と注意力に委ねられているだろう。
『ましてやもらい事故、不意な飛び出しなんかに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれない運転」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな』
・急に強盗に入られるのも一緒。自分に落ち度なくても運が悪いのはそりゃどうしようもない。
『地方や郊外に住むとなったら、もう「乗らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラが車前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらず運転することを「強いられているんだ」って感じ』
・人は皆生まれてくるところを選ぶことはできないから生きていくところを選べるようになるしかないよ
『そういう「運転しない自由」「自動車社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共交通が衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ショッピングモールに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢運転者問題もそうだけど、車前提でインフラや制度設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつは運転するな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?』
・残念ながら口にしないだけで社会は死ねって言ってると考えていいでしょう。でもその現状は資本主義に基づいた合理化、効率化の結果なので不満があるなら違う環境にうつるか、自分が環境を変えられるようになるしかないかと。
『「お前は車の恩恵を受けていないのか?荷物配送やバスやタクシーも使うなよ」
→それはプロドライバーの仕事じゃん。運転の技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えば飛行機の運行がプロのパイロットだけに許されているように、自動車の運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う』
・違う環境になれば違う結果を呼ぶのは当たり前。あともしも運転はプロドライバーだけがすればいいと考えたなら人類には早すぎるではなくてヘタクソは運転するな、になるわけで。
『もちろん、現状の自動車社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的には信号の右直分離・歩車分離の徹底や、エンジン起動時の免許・ドライバー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動運転社会に転換してしまったほうが良い』
・車の安全装備の高水準化、交通整備システムの徹底などに関しては全面的に同意。関係ないけど完全自動運転って事故が起きたとき誰が悪いのかで揉めそうで実現すんのかなぁと思う。
『そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料道路の中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「交通社会」に持ち込むべきものではないよね』
・自動運転技術の成熟した未来がきたらもしかしたら自分で操縦するという行為は安全性の観点から任意の趣味でしか行えなくなるかもしれないが、当然今の社会にはまだまだ運転技術が必要なシーンは多くそして適切に運転している人々からすれば危惧されるのは心外でしかないと思う。
車の運転って難しすぎない? なんで社会で許されてるの? - 拝徳
http://tokunoriben.hatenablog.com/entry/2019/05/18/211416
最近必要にかられて免許を取ったんだけど、まさに同じようなことを感じた
自動車や、それを用いた交通の仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
運転する人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした
ハンドルをちょっと切れば、アクセルをちょっと踏み込めば、すぐに死ねるし簡単に人を殺せる、
そこにシステムとして、フェイルセーフがほとんど効いていない感じがある
(最近ようやく普及してきた自動ブレーキや車線逸脱防止システムで、多少フォローが入るようになったけど)
皆が教習所で習うように、常に適切な注意と判断と譲り合いの心を持って運用すればまだしも
現実は「制限速度+10kmがちょうどいい」だとか、あんまり道交法をしっかり守る人ほとんどいないし
いくら安全運転の意識があっても、運転中ちょっと注意を失えば即大事故リスク
さらに、ネットに上がるドラレコ映像を見ていても、路上には一定数の割合でヤベー奴がいるし、
ましてやもらい事故、不意な飛び出しなんかに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれない運転」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな
そんで、こういった怖さ/リスクは都会に住んでいる限りは「乗らない」って選択肢を取ることで多少回避できるけど、
地方や郊外に住むとなったら、もう「乗らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラが車前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらず運転することを「強いられているんだ」って感じ
あとこのたぐいの議論で、ブコメなんかで出てくる反論がいくつかあるけど、
なんかどうもピントを外してるなと思う。いくつか例に出すと
①「そういう怖がりな(or 運転技量がない)奴は運転しないでくれ」
→じぶん個人的には極力そうするつもりだけど、上に書いたように日本の大部分の地域では
そういう「運転しない自由」「自動車社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共交通が衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ショッピングモールに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢運転者問題もそうだけど、車前提でインフラや制度設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつは運転するな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?
②「お前は車の恩恵を受けていないのか?荷物配送やバスやタクシーも使うなよ」
→それはプロドライバーの仕事じゃん。運転の技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えば飛行機の運行がプロのパイロットだけに許されているように、自動車の運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う
もちろん、現状の自動車社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的には信号の右直分離・歩車分離の徹底や、エンジン起動時の免許・ドライバー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動運転社会に転換してしまったほうが良い
でも、おそらくそういうものには一定の感情的な反発があるだろうし、そううまく運ばない気もする
結局のところ、「車は、身体を拡張し、自由を与えてくれる装置である」
「自動車を操る楽しさ」「走る歓び」とかそういうやつ
そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料道路の中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「交通社会」に持ち込むべきものではないよね
なんかアメリカ人が、あれだけ乱射事件を起こしながら「銃を持つ自由」を手放さない、みたいなとこに近いのかもなあ
もちろんこういう状況は日本だけではないんだろうけど
都内の休日のショッピングモールのマクドナルドで外を見下ろせる席に座って行き交う人を見ていると
ものすごくたくさんの人々が家族連れで子供連れですごいなぁと思う
都会は地元よりは独り身でも全然過ごしやすいけどこんなにもみんな家庭を持ってるのかと驚く
誰かと付き合うことはあっても結婚するという感情になったことはないしましてや子供なんてまったく考えたこともない
みんなどうやってその決断が出来るような人間に育ってきたのだろう
20代ならこんな考え方もまあありなんだろうけどとっくに適齢期も過ぎた
両親にも愛情持って育ててもらったし大学も出て普通の企業で働いている
どこかで間違ったのか何か分からないがこんなにも多くの人ができていることができない
あながち件の人が言った「女はトチ狂わないと子供なんか産まない」だったかなんだかは間違いじゃないと思う
結婚出産してたくさんのことを諦めてきた友人たちの愚痴は結婚して子供を得た喜びを上回るように感じてしまう
キャリアを諦めた子もいるし趣味を捨てた子もいるし体を壊した子もいるし
それはもちろん独身の私に幸せアピールより愚痴をこぼすのは配慮してくれたが故なのだろうが
それにしても結婚して子供をもうけるというのは美醜はあまり関係ないのかもしれない
行き交う人々を見て思う
本日午後ショッピングモールに行っていた。エレベーターに近づくと、そこに幼稚園くらいの男児を連れたお母さんがいて、ぐずる男児に手を焼いている様子。以下はその親子の会話。
男子「やだーやだああ」
母「なんでー?なにがいやー?」
男子「やだぁやぁぁぁだぁぁ(涙声」
母「(エスカレーターに)乗るのやなの?」
男子「のるとのぼるぅ」
母「???」
母「???」
男子「のぼっちゃうよぉお!(助けを求める表情でおっさんである俺を見る」
母(気まずく恥ずかしげな表情)
俺(愛想笑ですれ違ってエレベーターで2Fへ)
――ホント子供はわけがわからない。でもなんだかかわいくてちょっと笑ってしまった。お母さんもなんだか優しそうで、少し笑いをこらえてたっぽい。2階には習い事でもあったのかな。まさか歯医者とか? 無かったと思うけど。子供はふっしぎだなー。
50をとうに過ぎたおじさんが何故やまポンに出会ったのか。
やまポンとの出会いは偶然だった。
先週のことである。近所のモールに家族で行き、妻子の買い物が終わるのを広場で待っていたところ、若い女の子たちが集まってきたのだ。何かイベントがあるのだろう、折角だからと見ることにした。
正直に言うと、私はBee Boysのことをこの時までよく知らなかった。もちろん地元なので、そういうグループがあるということは知っていたが、実際に見るのは初めてだった。
たくさんのファンが待つ中、ステージに出てきた男性たちの中に、ファンの目を見ながら各方向にブンブンポーズ(名乗りの時にするポーズ)をする人がいた。それがやまポンだった。ステージ上のやまポンはなんと、少し離れたところから見ている私に笑顔で手を振ってくれたのだ。若い女の子たちに手を振るべきであろうイベント会場で、当時まだファンでもない、今後ファンになるかも分からないくたびれたおじさんにだ。なんだこの子は、と思った。何故こんなおじさんにも笑顔で手を振ってくれるのだろうか。思わず手を振り返した私を見た彼は、一層目を細めて笑い、視線を外した。私の手はしばらくそのままだった。あまりにも可愛かったからだ。ステージの最中、私の目線はやまポンに釘付けだった。
ステージの後は握手会があるらしい。CDを買うと参加できるとのことで、少し迷ったがやまポンと握手をすることにした。列に並んでいると、意外と男性がいることが分かる。場違いな空気を感じていた私はここで少し安心した。
目の前の人が終わり、いよいよ自分の番が来る。一歩前に出た私は、私だけを見ているやまポンの笑顔に恥ずかしながらノックアウトされてしまった。「初めてだったが楽しかった」「手を振ってくれて嬉しかった」「また来たい」。目映い笑顔にドギマギしながらもなんとか伝えると、やまポンはニカッと笑ってこう言った。「ありがとう、またきてね」と。
テーマカラーは銀、特技は盗塁、そして本名は山本龍臣。山本龍臣、という名前だけを聞けば確かに野球部にいそうだ(これは偏見かもしれないが)。しかし彼は笑顔がとても可愛い青年なのである。あの日から私は毎日やまポンのことを調べてしまっている。すっかりやまポンの虜だ。あの時は「ファンになるかも分からないのに」と思ったが、あのお手振りはなかなか効果があったらしい。
そして「またきてね」というあの優しい声を聞くために、私は今週も何の用もないショッピングモールへ行ってしまうのだろう。趣味もなく枯れた人生だったが、やまポンに出会えたお陰で週末の楽しみができた。ありがとう、やまポン。これからよろしくね。そして私のようなおじさんたちも、一度Bee Boysに会いに行って見てほしい。きっと良さが分かるだろう。
今日は雨だった
アメリカンが好きなのは、コーヒーが冷めてもあまり酸っぱくならないからだ
少しづつ本を読む、今日も賢くなれただろうか、面白かっただろうかと自問してみる
気づくと14時前になっていたので、冷めたコーヒーを飲み干して車で街に出た
昼食を食べたくなったので、ショッピングモールへと車を向けた
買い物をして帰るつもりだったが、やる気もなくなったので帰宅してふて寝した
起きるとのどが痛い
プロパン代を気にしつつ熱いフロに入る
本を読んでも楽しめなかったり、おなかが減ってすぐイライラしちゃったり、自分の思い通りにならない自分に怒り散らしたり
何にもやれんて社会不適合者になったり、話が続かなくて笑顔で寡黙になってみたり
でも時々面白いなってものをみつけたり、楽しいなと思えるコミュニケーションができたり
そんな何にもない日常も悪くないなと思えるようになってきたし、そんな自分も嫌いじゃないかもと感じるようになってきた
まあ、ぼちぼちでいこうや
原因は妻は買い物をしたいので、俺に子供の面倒を見ろと言ってくること。
それが気に入らない。
俺の一人の時間は2か月に1日、平日に休んだ時ぐらい。
朝は朝食を作るし、帰宅後は子供と風呂に入り着替え、歯磨きは俺がやってる。
大体の日曜は、俺が朝食を用意し子供に食べさせた後、子供と実家に行く。温泉に入り、夕食を食べてから帰宅する。
午前中から夜まで妻を一人にしている。
俺の言い分は毎週一人の休日があるのだから、自分の買い物ぐらいその日に済ませと言いたい。
でも家族でショッピングモールに行くと、必ず一人で買い物したいと言い出して、俺が難色を示し険悪な雰囲気になる。
結局妻は俺に悪態をつきながら、一人で買い物に行く。
ほんとむかつく
俺が嫁と出会って今年で15年目だ。
当時も現在と変わらず田舎県田舎市に住んでいるんだけど,家でネットを見ていて「田舎市 サクラ 花見会」で検索かけたら
スレを読み進めているとどうやら次の日曜日に田舎市の花見スポットでオフ会をするらしく,参加者を募集していた。
俺は,2ちゃんのオフ会とやらに,どんな奴らが来るのか興味を掻き立てられたので,参加宣言をすることはせず,集合場所とされた田舎公園の桜の木をウォチすることにした。きっとネルシャツ,ケミカルウォッシュのジーンズ,ダンロップのシューズにリュックを背負ったキモオタたちがこぞって集まるのではないかと。
俺が,定時の15分前から田舎公園の桜の木傍でウォチを続けていると,俺の想像通りの服装で男性が現れた。むしろ期待以上というか・・・。
その後しばらく経ったが,誰もやってこない。スレでは沢山の参加者が「ノシ」していたというのに,哀れである。
何も事件が起きない。つまらない。もう,帰ろうかと思ったが,幹事氏がレジャーシート,ジュース,お菓子,バレーボール,バドミントンを準備し来ているのに気付いた。
しょうがないので,俺が幹事氏に声をかけ,幹事氏が用意してくれたペットボトルで120円とやらをすることにした。
そうして20分くらい,現在の趣味とか,はまっているスレとかの会話をしていると,もう一人の参加者がやってきた。
まさかの女である。そしてそこそこ小柄でかわいい。ただ,胸はない。
そして,女も加わり,120円を続け,幹事氏の用意してくれたバレーボールやバトミントンをし,2時間くらいで散会となった。
当時,俺は,出会厨ということばも知らないし,出会厨でもない。
幹事氏はたまたま俺の勤務先の傍に住んでいることが分かったので連絡先を交換したが,女とは連絡先の交換などしない。そもそもこんな所に,のこのこやってくる女は面倒な奴に違いない。バレーボールやバトミントンで乳も揺れないのである。
そうして,それから数日経ったある日,俺は田舎市から街々市のできたてのショッピングモールへ行った。街々市にこの手のショッピングモールが出店したのは初めてで,物珍しさから客でいっぱいだ。
雑多な人ごみの中,黒と白のロリータファッション(ゴスロリというらしい)でキメ,それ系のお店から出てきた女が俺に声を掛けて来た。
おれにはゴスロリの女の知り合いはいない。「誰だお前,宗教の勧誘か?」と不審な目と警戒心でゴスロリ女を見ていると,「一緒に花見しませんでしたか?田舎市で。」というではないか。
あ,あのオフ会の女か。あの女がゴスロリだったとは意外性にもほどがありすぎる。
当時,お一人様で暇だった俺は,女に誘われて飯を食いに行くことにした。そもそも女嫌いな俺だが,ゴスロリ女と飯を食うなんて人生初めての経験だし,これまた何かのネタになる。
紳士な俺は,ファミレスへとゴスロリ女にいざなわれ,ひとしきり喋ったあと,散会となった。そして紳士は女の連絡先など聞かないものである。
それからまた数日後,街々市で開かれた路上音楽イベントに俺はやってきた。そして,いろんな楽団が音楽を奏でる中,あのゴスロリ女がクラッシック音楽団でパーカッションを担当しているではないか。オフ会女がゴスロリ女でパーカッションを奏でている。
こんな物珍しい女はいない。そして,音楽が終わると,楽団が去っていた方へ向かい,女が一人になったのを確認して今度は俺から,女に声をかけた。
そしてまた飯を食いに行った。紳士は,そこそこオサレなお店を選択した。そしてもう一軒,オサレなバーにも行った。
有耶無耶の内に,街々市の歓楽街にも行った。ゴスロリ女をいただきにかかったのである。
ちなみに紳士な俺,先のオフ会の幹事氏と同じく童貞である。20数年,大学卒業し,就職しても童貞を守り続けたのだ。
俺は,ゴスロリ女を連れ込んだまではいいが,ど緊張のあまり,砲台が下を向いたままである。
何しに来たのか分からない。
でっかいショッピングモールに入ってるジムに行く。サンドバッグ叩いといてー。って言われた。異常に高い位置にあるサンドバッグを叩いてると、トレーナーの人に君は無理かもしれない。。。って言われた。どうやらラグビー専門の事務らしい。ラグビーをするには横にも縦にも小さすぎるとのことだ。そのジムのオーナーの外人で身長190近い女は俺をバカにしながら他のスタッフに、あいつ店に入ってきた瞬間おどおどして財布だして、くそだせえw と言ってきた。僕は心が折れて、もういいです。と言って店を後にした。ショッピングモールは暗かった。前にインド人ぼ老婆が歩いてた。インド人の老婆は俺を警戒してた。たまたま行く方向が同じなだけなのに不審者扱い。とうとう走り出して逃げて行ったので俺も走って追いかけた。階段を上ると地下鉄のホームだった。茨木行のホームでたまたまそこにいた女二人に「久しぶり!」って言ってナンパしたらなぜか向こうがおー久しぶりって言って俺の名前を言った。何で知ってるんだろうと怖くなった。そのまま二人と話しながら階段を上っていくと公園に出た。桜が咲いていて観光客もいっぱいいた。青い服を着た男30人のヤンキー集団が白い服を着た男30人のヤンキー集団と対峙してた。これから集団で喧嘩するようだ。その集団の横にはだんじりが置いてあった。喧嘩がはじまりお互いのチームが突っ込むとすんでのところで身を引いたりしてびびってた。結局殴り合うことはなくスクラムくんで押し合いしてた。くだらねえ。その様子を撮影してた野球少年の木村と一緒に見てた。木村は手にタトゥーがいっぱい入ってた。ミズノのタトゥーも入ってた。木村もヤンキーになってしまったのかな。喧嘩を見てるとその集団に押されて後ろにいた赤ちゃんの上に乗っかるような形で転んだ。赤ちゃんは泣いてめっちゃデブの赤ちゃんの母さんとチビのお父さんが俺と木村を睨みつけ、俺は怒られたくなかったから赤ちゃん大丈夫かなと心配してる様子を親に見せつけた。木村はなにもしなかったので、木村だけ怒られた。赤ちゃんは心配した俺になついた。めっちゃ謝ってたら彼女が俺の手を握ってくれた。やっぱりこいつは味方してくれるんやな。嬉しかった。その後解放された俺と彼女はまた地下のショッピングモールの階段を下って行った。俺は彼女の前ではかっこつけたいので、ショッピングモール楽しも!!と明るく振舞った。
いろいろ思うところもあり、正直な感想を。
尽力されていた方には、候補者ご本人含め敬意を表します。お疲れ様でした。それとは別に、戦い方全体の話として今回(前回もですが)負けた陣営に3つの違和感がありました。
なぜ情報が漏れたのかという、組織のガバナンスの問題もそうですが、タレント候補ってそんなに求められているんですかね?職能が必要なんじゃないですか?警察書の一日署長じゃあるまいし。その後で「この人を応援して下さい」みたいに言われても、ちょっとそれどうなんだと思ってしまいました。
まるで、商店街の近くにショッピングモールができたので「そっちに客を取られる」と商店主が集まって、「商店モール」として対抗する感じですよね。
大資本のショッピングモールが支持される理由は様々ですが、以下のような強みはガバナンスの強さによる経営の強さです。
・施設管理の強さ
→楽器店や書店など、売り上げの低めの店は全体で下支えしている
今回の「野党共闘」の選挙は誰が責任をもって仕切っていたんでしょうか。わかります。思想信条の異なる各党がこれはマズいと共闘すること自体が異常事態だということもわかりますが、いかんせん看板が見えませんでした。
ビジョンを示せということは酷かもしれません。
しかし、今回はお二人とも経験者、「プロ」だったはず。しかし、日頃からそういうことを考え抜いているように到底思えませんでした。(いい人だとは思います、私の期待が高すぎるのかもしれません)
出てきたスローガンにゲンナリしたのは私だけではなかったと思います。「大阪から新しい世界を切り開く」とかいつもの聞き慣れた政治家のポエムそのものでした。世界ってどこすか。
時代は情報化、国際化しているにもかかわらず、やれ大阪都だの取り戻すだの、両陣営とも沈みゆくタイタニック号の船上で椅子を並び替える話のようにしか感じませんでした。
この情報化社会という産業革命以降、最大のパラダイムシフトに対して、何の受け止めもない(これは両陣営とも)のはどうなんでしょうか。
地方の武器である生活コストの低さとための大きさ、規模の小ささを生かすのは、そこでしょう。
具体的に書いてみます。例えば
・名古屋にも水をあけられている大阪だが、人の行き来や単価の高い精密分野、電子部品では航空等もあり、地の利を生かして「アジアの中心としての、輸出入の新興」を推進する。
・海外や東京から「外貨」を稼ぎ、大阪の文化の中で豊かに暮らしてもらう。都心からの移住推進する「オフサイト都市推進」田舎の自治体では成功例もある。内部の経済循環だけでは少子高齢化も予算規模も維持不能。プライドを捨て取り組むべき。
・日本全国の中小企業やベンチャーに門戸を開き、全国に先駆けて、府や市の業務や住民サービスを情報技術で合理化し、充実する地方自治体のモデルを作る「市役所2.0」「府庁2.0」→ 予算削減と住民サービスの向上を両立させるには、情報化、自動化しかない。
みたいなことだって挙げられるはずです。
それらを支える為の福祉や文化振興、教育、として魅力のある街作りだって打ち出せるはずです。
まあ、それももはやどうでもいいです。
お似合いな酋長になった。