はてなキーワード: アドレナリンとは
私の推しはサッカー好きだ。しかもかわいい、頭がいい、に加えて重度のサッカー戦術オタクで、あらゆるサッカー番組に引っ張りだこらしい。私にはやべっちFCくらいしかわからなかった。内田篤人と仲良く喋ってるのもすごいんだと。へえ。
推しが言ってることはさっぱり理解出来ないけど好きなことを仕事にして随分楽しそうにしているので出演した番組は見られる分だけ全部見た。サッカーに興味は湧かなかった。でもどんどん周りの人を唸らせる推しのことは尊敬した。日常にちょっとだけ支障をきたす程度にサッカーに時間を割いてるらしい。寝てる?寝てなさそう。
2年追いかけてもサッカーへの解像度はさっぱりあがらなかったけど、どうやら推しがこのワールドカップでビッグ仕事を掴んだという話があった。20試合もゲスト登場する?アイドル仕事と並行できる?心配ではあったけど本人は大層な夢を叶えるところでアドレナリンがギンギンのようなので応援することにした。
迎えた日本×ドイツ戦。なんと選手の名前がわかる!シルエットで誰が誰だか見分けもつく。あ、あれは推しがプッシュしていた選手、あの人は今年推しがインタビューしてた人、あの人はあの番組にゲストで出ていた!オフサイドもプレスも、監督が指示を出さないと勝手にフォーメーションを変えられないことも、そういえば聞いた気がする。知らない間にどうやら自分のサッカー知識は試合を楽しめるくらいには身についていたみたいだ。すごい。私でもサッカーが楽しめるなんて!私の推しはこどもちゃれんじだったのか。
あなたのお陰でサッカーを楽しめたよ、なんて言ったらどれほど喜んでくれるかとても簡単に想像がつく。きっとたくさんそういう人もいるだろう。体を壊さないように、この時間を楽しんでほしいと切に願う。次の試合も楽しみだ。
影ちゃん、たくさん知られててすごいな・・・彼女はインスタのストーリーズで全試合のMVPを発表している(集中力とスケジュールどうなってるの?)のですが、全部見てるすごさだけじゃなくて自分がお世話になってるAbemaの宣伝もしてるんだな…と気づいて泣いた。ちなみにレターも書くしオンライン握手会もいくんだけど夜中に自分がサッカーを楽しめてることに感極まってしまったんだ。気持ち悪いポエムですまんかった。
アラフォーにして500万円程度しか貯金が無かったことや、倒産した会社の後片付けをしたり、弱った心理に漬け込まれ立て続けに数人の詐欺師のような輩に騙され貯金も底をつき、少し借金もしてしまった。
人をすぐ信じてしまうわけではないが、人の信用を無くさないよう物事をやり切る根性だけはあったので、会社員時代は有利に働いていたそれも結果として悪い方向に動いてしまった。
コロナの悪い雰囲気の中だったこともあり、正直この世と人生を恨んだし結構キツかった・・
そんな中、子供もいるので自然と家計も含めた全負担が妻にかかる状況になっていたので流石に職探しをすることにした。妻は失敗を咎めずやりたいことをやれば良いと何も言わずに応援してくれた。感謝。
人は窮地に追い込まれたときと権力を得たときに本性が出るというが、妻は中々根性あるなと思う。
自分は受験に大失敗したFラン大学出身ということもあり学歴コンプが強く劣等感に苛まれた半生を送ってきたのだが、その負の感情を少しでも緩和してくれるのが専門知識を貯めること、つまり勉強だった。
社会人生活の中でも、要領も覚えも悪い頭に鞭打って勉強だけは続け、何であんなに頑張るの?等と言われながらも職場でアウトプットすることを心掛けていた。当然失敗も沢山ある。
ただ、その積み重ねとキャリアがこのタイミングで功を奏し年齢的にもキツいと思っていた転職活動は5社程度からオファーを貰うことが出来た。
最高で1500万円近いオファーもあったが、結局知り合いから何社か仕事を貰うことが出来たのでオファーを断り会社を作り経営している。感覚的に5年位は自分の市場価値は下がらないと踏んだので社長というキャリアにチャレンジした。
今のところ、まだ2期目の途中だが役員報酬とは別に3000万円以上の現金が貯まった。まだ口座の金額を見るたび怖くなる。
運の要素も大きいが、なけなしの資本金30万円で始めたので学歴底辺としては悪くはないだろう。
今回、貯金ほぼゼロからのスタートでもあまり不安にならなかったのだが、その背景にあるのは勉強を続けてアウトプットを続けたことと人の信用を大事に仕事をしてきたことだと思う。
金は無くとも自己資本力を積み重ねていれば自信になるし、ある程度のやり直しは効くということを身をもって学んだのだ。
難しい大学入試解けるような頭の良い輩は元々の自己資本力が高いのだろう。自分も同じスタートラインに立っていれば、もっと豊かな人生を歩めていたのだと思う。
しかし、筋肉が裏切らないのと同じくらいに知識も自分を裏切らないので、これからも現状に胡座をかかずに知識の習得とアウトプットを続けていこうと思う。知識も使わないとやせ細る。
勉強を続けられるのは才能という人もいるが、やり方次第ではそんなことはない。
単に失敗や出来ないこと、知らないことが恥ずかしいと思えれば人は自動的にその解決策となる知識を習得しようとする生き物なのだ。
まず自分の人生の恥部を思い出したりアドレナリンが出るような妄想をしてみよう。
とか
ふぉぉおーヤバい間に合わない、あと30分しかない!全然出来てない、だめだっ・・!
という気分になったら、今から勉強する知識がその救いになると自分を言い聞かせるだけ。簡単。
目標を持ってプラスを増やすために勉強する場合、常に意識する大きな期待値が無いと続かない。更に自分へのご褒美とかやってると雪だるま式にコストも増える。
これが危機感をトリガーにマイナスをゼロにするつもりで挑むと割と続く。必死になるからだ。
最近、会社経営も10年後の常識なんかを想像しながら自分の会社はまだこんなことも出来ていない、マズい!と妄想しながら事を進めるとあらゆることが早く進むことがわかったし、事業のタネも自然と出てくるようになった。
月:日勤 8:00~17:00
火:日勤 8:00~17:00
水:夜勤17:00~24:00
木:実質休み
金:深勤 0:00~ 8:00
土:休み
日:日勤 8:00~17:00
これって木曜日の0:00に業務が終わってその日の24:00には出勤しないといけないんだよ
そう考えると水曜日の夜勤明けにすぐに寝ると大体の場合、木曜日の朝に目が覚めるから
なので、水曜の夜勤が終わった後は木曜朝のそれなりの時間まで起きている必要がある
まずこれが辛い
次に金曜の深夜勤明けも難しくて、徹夜で仕事してよっしゃ終わった寝るか!ってすると
そうすると土曜の朝らへんに眠たくなって土曜で何とか立て直さないと日曜の日勤に遅刻する
1.金曜の深夜勤明けても寝ない、何とか夜まで頑張って夜になってから寝る
2.金曜も徹夜して土曜の昼からなんとしても寝ない、何とか夜まで頑張って夜になってから寝る
おすすめは1
2の場合土曜日の総起動時間が長いので疲労、睡眠不足が蓄積し、日曜の朝の寝坊率が極めて高まる
※もろちん夜勤日勤シフト者に底辺労働者が多いのも原因の一つではある
深夜勤明けに何とか眠らずに夜まで時間を潰す一番いい方法がパチンコ屋に入ることだからだ
聴覚的にすげーうるさいうえに視覚的な刺激も高く演出が来るとアドレナリン、ドーパミンが出る
もう疲れて死にかけている脳をなんとか騙して夜まで頑張らせるのにうってつけなのである
そうこうしている間に身体も脳もボロボロになってシフト者はいなくなっていく
はっきり言って日勤夜勤シフトするくらいなら限定夜勤のほうが100000倍マシ
死ぬよ
PCR on Twitter: "40代女性がBA.5対応のワクチン接種後に亡くなった件の詳細(ワクチン分科会副反応検討部会より) https://t.co/NNV2dat5Be"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/a2487498/status/1591010952333660161
ワクチン5分後失神?アナフィラキシーだ!。バイト医師には判断が付かなかったかもしれんが、
アナフィラキシーに一家言あるブクマカは、アナフィラキシーに違いないと断言しまくってたやん。
接種前から息苦しい?ピンクの血痰がでた?これはアナフィラキシーではない!アナピロキシーでもない!
体重110kg の人を接種会場であちこち歩かせたら息苦しくなります。
健康体重の人でも50kgの重り背負わせて歩かせたら、(*´Д`)ハァハァしちゃいますよ。
アナフィラキシーと聞くと、皮膚にでる蕁麻疹や、心臓や意識への障害ばかり考えがちだけど、
呼吸器系がやられることもあるんですよ。
以下の資料にも呼吸系の症状に血痰も書いてある。
https://www.nakayamashoten.jp/support/books/73680-p83.pdf
報告医2)が、皮膚および粘膜病変を認めなかったから。
https://anaphylaxis-guideline.jp/pdf/anaphylaxis_guideline.PDF
を読むと分かるけど、80~90%のアナフィラキシーで、皮膚や粘膜に異常が起きるの。
こんなに急峻で重篤な症状なのに、皮膚や粘膜になんの病変も無かったら、
客観的にみたら、あの女性はたまたまあの日あの場所で急性心不全を起こした。
ワクチンを打ってなくても亡くなっていただろう。ということになるけれど。
薬物注射によるアナフィラキシーで死亡してしまう場合の経過時間がだいたい5分と言われていて、
卒後20年超、放射線科ストレートで患者に挿管だの心肺蘇生だのやったことありません。卒後しばらくしてBLS研修を受けたことはあるけど。
造影剤でごくまれにアナフィラキシー起こすので検査室の片隅(操作卓のそば)にアドレナリンとかポララミンとか入った救急カートは置いてあるけど、幸いなことに今までそれを使う機会はなかった。
さすがにアナフィラキシー初期対応でアドレナリン筋注、ぐらいは知識として知っている。でも同世代で知らない・やったことないって医師いると思うな。検診とかで食ってるような人。
なのでこの事件については起こりうるだろうな、とは思っている。アドレナリン静注しようとしたとこ、事患者家族に"『アナフィラキシーには対応したことはありません』。"とか説明したらしい
先日Twitterで三次創作に関するアンケートを見かけ、苦い出来事を思い出したので供養。
三次創作とは、二次創作を元にして作られた創作を指す。小説を絵にしたものか、絵から小説を書いたものが殆どを占めている。
私が三次創作に関わった経験は、以下の3つである(時系列の古い順に並べている)。
①人の小説を元に絵を描いた
②私の小説を元に人が絵を描いた
③私の絵を元に人が小説を書いた
今回記す苦い思い出は②だ。
ある日、漫画より小説向きなネタを思いついた。否、この言い方は正確ではないかもしれない。きっと画力のある人なら漫画でも魅力的に表現できるのだろう。けれども悲しいことに、その時の私には自分の画力では到底不可能に思えたし、事実として不可能だった。
だから、文を書いた。たった3000字程度の短編とも呼べない処女作。くどい言い回し、違和感のある文章、何度も何度も出てくる表現。今その作品を読み返してみるとなんとも酷いものだ。だが、初めて文を書きあげることが出来たということに、途方もない充足感で満たされた。
折角書けたのだから、人にも見てほしい。アドレナリンがドバドバの状態で勢いでTwitterに載せた。
結果としては、普段載せている絵の1/3くらい反応が貰えた。その殆どは義理ではあったものの、義理ではない反応も貰えて素直に嬉しかった。自己顕示欲を十分によしよししてもらって満足してその日は眠りについた。
朝。依存症なのですぐにスマホを開いてTwitterをチェック。通知がいくつか来ている。もしかして昨日載せた小説への反応だろうか。わくわくして通知欄を開いた私の目に飛び込んできたのは、信じられないものだった。
小説への1件の引用RT。「許可も無しにすみません…元ネタです」と添えられている。なんだこれ。どうやら何かのツイにリプライの形で繋げたものらしい。訳も分からずタップしてツリー元を見る。
そこにあったのは、私の小説の1場面を描いた絵だった。
まず頭を占めたのは困惑。続いて怒り。
1つ断っておきたいのは、私はそれまで三次創作はされると嬉しいだろうと考えていたことだ。にも関わらず、実際されてみたらこうなった。それは何故か。結論を言うと、この一連の行動が大嫌いな相互Aによるものだったからである。
私がもつAの印象は、「未成熟な成人オタク」だ。ネット1年目の中学生のような痛いノリの呟き、言葉の誤用などなど。とにかく言動が受けつけなかった。また、彼に対して個人的にモヤッとしたことが以前あり、それが嫌悪感に拍車をかけていた(というか認めたくないだけで多分これが主因)。
そんな奴が、許可もとらずに、いきなり三次創作をしてきた。不器用なりに作った料理にドブをぶちまけられたような気分だった。
思うがままに言葉をぶつけられたらどれほどよかっただろうか。残念なことにAと私には共通の相互がそこそこいた(これは私がAをブロックできなかった理由でもある)。世間体を気にする弱いオタク、嫌がる本能を宥めすかしてAに感謝のリプを送る。ダッセえ。
Aからの返信。「勝手に描いてごめんなさい…嫌だったら言っていただければ消すので…」
言えるわけあるかバーーーーーーーカ。心の中で悪態をつきつつ適当にAをヨイショして会話を終わらせた。
Aは毎日TLですこぶる元気そうに呟いている。今まで何度かブロックのボタンに手が伸びたことはあったが出来ずじまいだ。そんな自分に嫌気がさし、今日も床につく。
「平日は子育てのこと全部やるからさ、仕事から帰ってきたら残ってる家事だけお願い」
子供が生まれてもうすぐ1年、少し目を逸らすとハイハイでどこかに駆け寄っていく。
早いなあ、もうすぐ誕生日だしなにかお祝いでもしないとな。
一日家で面倒見てくれている嫁にも気晴らしが必要だ、考えないとな。
夏の暑さが少し落ち着けば、なぜか仕事はもう少し忙しくなる、通勤電車に揺られ帰ってくるのはいつも22時だ。
気のいい上司は子供が生まれてから、私に対してより一層気遣いの感じられる言葉を掛けてくるようになった。
「今日も遅くまでありがとうね。ああ、その仕事ならこっちでもできるし、今日は早く帰りな」
「子供が小さいうちは家事と育児に関わっておかないと後々大変だよ」
「ほら、テレワークならもう少し早く終われるし、通勤もないから奥さんに喜んでもらえるんじゃない?」
夜中にメールを返してくる上司のことだ、何時まで仕事をするつもりだろう、自分こそ早く帰って休んでくれ。
甘えて仕事を投げ渡し、週に1度は自宅で仕事をすることができるようになった。
それでも仕事が終わるのは19時過ぎ、結局自宅でも定時に上がるのがこんなに難しいなんて。
「月末だしいつもより早くあがって奥さんと子供にたまにはなにかしてあげな、定時前にあがっていいよ」
朝にZoomのミーティングで告げられた上司からのありがたい通告、
今日はやけに仕事が少ない、昨日納品した資料はなんと完璧で戻りもないらしい。
珍しい、四半期に1度あるかないかの穏やかな日、素晴らしいことにテレワークで通勤もない。
溜まっていた残業の超過時間を消化することも兼ねて早めにあがるか。
「仕事早くあがれるからどこか出かけようか、今なら空いてそうだしさ」
LINEで伝えると意外にも早く「いいよ!どこいこっか?」と快諾の返事が返ってくる。
「あの店のアイス、今日30%オフで食べられるらしいよ。前食べたいって言ってたし行ってみる?」
このとき失敗したのは子供の昼寝の時間だ。ベビーカーで寝ると思っていたが期待に反してまったく寝ない。
ショッピングモールでそんなに頻繁に降ろしたりしなければ細かいタイミングで寝てくれるだろう、そんな思惑が外れた。
家に帰れば、眠い眠いと騒ぎ出す、これは不味いな。いつもの寝る時間まで持たないかもしれない。
子供を入浴させるためにお風呂に湯を張り、米を炊く。昼間の食器はとりあえず洗剤につけて流しの隅に、あとで夕食後にまとめて洗おう。うわ、朝干した洗濯物取り込んでないな。
お風呂からあがれば子供の晩ご飯タイムだ、ようやく食べられるようになった硬めのお粥をメインディッシュに頬張る。
食べ終わればもう半分寝ている、昨晩寝かしつけたときは全然寝ないと嫁が悩んでいたのに。
今日は平日だが余裕があるしそれほど疲れてもいない。 「もう眠そうだから俺が寝かしつけてくるよ」
「子供がすぐ寝る日に寝かしつけできてよかったね」
…?
一瞬のことだがうまく言葉を飲み込めない、アドレナリンの出る仕事と比べると平時はこんなに頭が回らないのか。
どういうことか考えてしまう、少し苦い表情が顔に出てしまった。
「え?なにか悪いこと言った?」
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。