はてなキーワード: アドレナリンとは
性自認は完全に男性だし、自分が男性であることに対する違和感は全くない。
これまで男性として育ってきてしまったからかもしれないが、今更手術を受けて女性になろうと思うほど逼迫した思いも抱えていない。
恋愛対象は両方だと思う。
多くの場合好きになるのは女性だが、男性を好きになったこともある。
ちなみに全く女性にはモテない。女性にモテていたらこんな拗らせた思いを抱えることもなかったのかもしれない。
変な悩みを抱えずに男性として生きれていたと思う。
女性になって、女友達と一緒におしゃべりして、お化粧してお出かけして。加工だらけの写真をインスタにアップして。
素敵な男性に愛されて、子供を産んで。間違ってもはてな匿名ダイアリーなんて読まない。
その自身の願望の表れの一つとして、私は一人称が全然統一できない。
使い分けは意識的ではないのだが、ふとした瞬間に「私」と言ったり「僕」と言ったり「俺」と言ったりする。
「私」という一人称がふとした瞬間に出てくるのは、自身の女性化願望の現れの一つであると自覚しているし、
自身を男性として表現したいときには「俺」と言っているように思える(もちろんフォーマルな場面で「私」という一人称を使うからといった理由も存在する)。
この文章もそうやって書いていく。
そんな私だからフェミニストの女性をみると腹が立って仕方がない。
いや、違う。もっと本心で、正直に言ってしまえば、もうちょっと拗らせている。
50%の確率で、「私から見れば運よく」女性に生まれることが出来たのにも関わらず、
彼女たちは、女性であることが辛いと言い、いかにも男性や男性社会に加害されているかのように嘆くのである。そんなのずるくない???
ただ単に「女性に生まれた」ことだけを嫉妬しているわけではない。
そもそも、フェミニストの女性が「生きにくい」というのは「女性だから」ではないだろうと思っている。
単純に、「現代社会」が我々のような「メンヘラ体質」にとって生きにくいだけなのだと思う。
男性だろうが、女性だろうが、現代社会は息苦しく、辛い世の中なんだ。
そりゃ僕だって表立って、「女性ばっかりずるい、女性になりたかった!」と声を大にして言いたい。
でもそんなのダサいし、みっともないし、誰からも共感されない。Twitterなら炎上まっしぐらだと思う。フェミニストが秒で寄ってくると思う。
これだって炎上するんじゃないかとビビりながら書いてる。誰も読まないよね、こんなブログ。だから大丈夫。
俺はそんなのは嫌なんだ。不特定多数のみんなから共感されながら、「うんうんわかるよ、君も辛かったね、君は悪くないよ」って言われたい。
肯定してほしい。他者からのいいねが欲しい。そう思ってしまうのが現代社会の生きずらさでしょ?
一方で女性は違う。
生きずらい自分の目の前に「フェミニズム」という、いかにももっともらしい思想が落ちていて、共感してくれる人もいっぱいいる。
「生きずらい自分」が悪いのではく、「女性を大切にしない社会」が悪い、と責任転嫁して、自分を守ってくれすらする。いいねだっていっぱいつく。
そりゃ目の前にそんな都合のいい思想が落ちていたら飛びつきたくなるだろうと思う。
そこに「社会を変革する」なんていう大義名分がついていたら、他者を攻撃する自分のことだって肯定できるだろうし、
「自分は社会に対して貢献しているんだ」という達成感や誇らしさすら得ることが出来る。アドレナリンやらオキシトシンやら、脳内麻薬ドバドバだと思う。
そう、私も女性だったら多分フェミニストになっていて、男が悪い、社会が悪いと騒ぎ立てていたと思う。
きっとそれは無自覚的に快楽だろうし、弱い自分を肯定してくれさえもする。自分でも自分を肯定できる。
もちろんフェミニストの彼女らがそれを認めることはないだろうし、自分が女性だった場合にもそれを認めるなんて屈辱的なことは絶対にしないと思うが
(ただし、クロワッサン症候群のようにある日突然にフェミニズムの流行りが終焉を迎えて、彼女らには何も残らない……なんて日が来ることもあり得るなと最近は思っていたりもする。ざまあみろろツイフェミども)。
でも、俺は男だ。
自分を守ってくれる安易な思想が落ちていない。「ミソジニー」? いや違うな、俺は女性が嫌いなわけじゃない。
ていうか、むしろ女性が大好きだし、大好きだからこそ女性になりたいとすら感じているのだから。そういう意味では私は自分を原理主義的な「フェミニスト」であると思っている。
だから言い訳なんてできない。俺の生きずらさは、現代社会に適応できない俺が悪いのであり、誰も共感なんかしてくれない。
もしも、このブログを読んで、少しでも同じ悩みを抱えている人がいたら、共感してほしい。それだけで俺は心から救われます。
女性にとって、自分を救ってくれる「フェミニズム」があるのに、僕にとってそれはない。そんなのずるいじゃないか……。
毎日その不条理をかみしめて生きてる。毎日女性に嫉妬しながら生きている。
だから俺は毎晩、「朝起きたら美少女に生まれ変わってますように」と願いながら眠りにつく。
(別に可愛くなくてもいいけど可愛いに越したことはないよね、うん。でも女性はお化粧が出来て、ある程度顔がよくなくても擬態できる。それもチートだと思う。俺だって化粧してかっこいい男になれるなら毎日化粧するわ。でも今はまだ男性用化粧品って種類が少ないのよね~)
一昨日も昨日も明日も明後日も寝る前に祈る。もちろん今日も。でもそんな日は絶対に来ない。不条理すぎると思う。
今の俺の最後の希望は、俺がまだ若いこと。今はまだ20代前半で、これからある程度は稼いでいける見込みがある。
今に金持ちになって弱者男性を脱却して、女を見返してやるんだ、なんて、女になりたいのにもかかわらずそんな女への復讐を胸に抱きながら今日は眠りにつく。
最後に。
長文乱文失礼しました。
ここまで読んでくれた人、あなたのおかげで今日はいい夢が見れそうです。
本当にありがとう。
コメント読んだ。
ありがとう。誰も読まない、誰も目にとめないことがいちばん嫌だったから、批判的でもコメントくれてうれしい。
批判コメント結構、むしろもっとじっくり議論したいまである。私もこの拗らせた悩み解消したいからね。
だから日常ではそんな価値観を隠して生きているわけで、こんなネットの片隅に愚痴をこぼすことくらい許してほしい。
さて、コメントを読んで足りなかったなと思ったところを補足する。
まず私は「女性に権利を与えるべきだ」「女性を尊重するべきだ」という根源にある主張はまず理解できるし、同調しているんだ。
むしろ女性の方が生物として上位種であるとすら考えている。男性である自分に劣等感すら覚える。
なんで上位種である女性に生まれなかったんだと心の底から思う。
これは論理的というよりも感覚的にだ。なんで、と聞かれても思ってしまうのだから仕方ない。
そういう意味で自分を原理主義的な「フェミニスト」だと思っている。
「女性の方が優れているのだから、女性を尊重するべきだ」という肌間隔があるからだ。
そのうえで、表層的な一つ一つの事象、例えば「女性の管理職の割合が低い! 男女平等のために割合を上げろ!」とか
「月経で辛い女性が多いんだから、生理用品は無償配布しろ!」とか
そういうのにもほとんど同意する。まあわかる。全くわからない例もあるけど、ここには書かない。
でも彼女らの本懐はそこにはない気がしていて。
例えば上に挙げたようないくつかの事象とか、さらにそれ以外にも彼女らが抱えている様々な一つ一つの「女性特有の」悩みももちろん抱えているんだと思う。
どこまで行っても生物学上は男性の俺にはわからない悩みだっていっぱいあるんだと思う。大変だね、救ってあげたいと心から思う。
でもそれらを社会が解決したところで彼女らの要求は増えていく一方だと思うんだ。
それは本質的に彼女らが「メンヘラ体質」で「弱者気質」だからだと思う。女性だから悩んでいるんじゃなくて、弱者だから悩んでるんじゃないの?
そもそもフェミニズムなんかなくても、昔から強い女性は社会進出していた方はいたわけで、「女性だからできない、虐げられている」には少し疑問符がある。
女性だとか男性だとか関係なく、ただ単に、弱者の自分を守ってくれる、弱者の自分を救ってくれる、それが彼女らの本懐だと思うんだ。
だから、別に女性だからとか関係なくて、きっと彼女らが男性だったら、その時は「弱者男性に女をあてがえ」って言ってたと思うんだ。
男性だからとか、女性だからとかじゃない、弱者だから救われたい、それだけなんだよな。
だから彼女らを救ってくれる「フェミニズム」が目の前にある事実がうらやましい。俺だってそんな浮き輪があるなら飛びつきたい。
これ、実際のところ一番やばいよね
女性のための活動という動機の一点で持ってある程度の求心力は保っていたけど
「萌え絵には発狂するけど、仲間内にヤクザが福祉に入り込んで子供をシャブ漬けにするスキームには騒がない連中」ってさ
もう終わりじゃんそれは
必死にcolaboアンチ叩いてアドレナリン出してるうちはこの矛盾からは目をそらせるのかもしれない
でもさあ
一旦ふと冷静になって
「私達って左翼団体の福祉ネットワークにヤクザが入り込んでシャブ漬けセックスしてたのを党派性でスルーしたんだよね」
もうそれはね
で、残るのは本当にやばい連中
日常のストレス発散のため、目の前のキモい萌え絵とオタクを脊髄反射で叩き続ける昆虫みたいな奴らしかいなくなるよ
「現在娘をもつ親の率直な気持ち」が、「ロリコン二次元オタクの率直な気持ち」より優先されるべきとは限らない。
また別の理屈としては、欲望を充足する創作物は身近に沢山あった方が、実在の人間で欲望を発散することが減るというのもある。
そしてもちろん、それらの欲望充足作品はアクセスしやすい方がよく、つまりゾーニングなどで無駄な手間や「この作品は社会に疎ましがられている」といった罪悪感を持たせるのは悪手である。
欲望充足作品を手軽に楽しめる社会の方が社会は平穏になるし、それには、堂々と色んな場所に陳列や広告があった方がいい。
稀には作品に影響を受けて現実で事件を起こすパターンもあるが、そういう人間が一人出る一方で、何十万人もの人間が作品のおかげで欲望を発散させて事件に至らないですんでいるのだと考える方が道理だろう。
ちょっと前に、子供が他のラブドールをロリコンショタコンに勧める時に「事件を起こさないように」みたいな書き方をした人がめちゃくちゃ叩かれてたが、あれは全くおかしな話で、実際娯楽にはそういう機能があるし、今自分はそんなことをするつもりがなくても10年後20年後に欲求が暴走する可能性はあるんだ。
それがあんなに叩かれたのは、ある種の欲望はそれを抱いたり口に出すこと自体が悪という、世の中のよくない正義感のせいだ。
暴れたり戦ったりしたい欲求を持つ人が当然いること、スポーツやアクション映画に闘争欲求を発散させる機能があることとなんら変わらないはずなんだよ。
スポーツや映画で興奮した人間が喧嘩をすることはたまにあるが、だが、同時に何百倍もの人間がスポーツや映画のおかげで日常で喧嘩をせずにすんでいることの方を評価するべきだ。
スポーツや映画が手軽に見れなくなったら、それに興奮して暴れる人間を10人減らせたと思いきや、アドレナリンを持て余して日常で事件を起こす人間はそれ以上に増えるだけだろう。ロリコンやショタコン向けの作品(エロとは限らない)も一緒である。
「キャパを増やす」という考え方、ちょっと違うと思うので考え方を変えたほうがいいと思う。
ネットでは自身の活動力をゲームになぞらえてHPとかMPが削れるみたいな表現する人が多いけど、その捉え方は感覚的に違う。
インターネットの人は自分含め陰キャが多いので、「人と長時間話すとMPが削れる」みたいな感覚をもっているけど、常にコミュニケーションの場に身をおいて生きている人はそんなことなくて、むしろ一人で部屋にいるときに消耗したりする。(周囲を見ていると、最近それがテレワークで可視化されていると感じる)
また、バイタリティがある人は別に強い肉体持っているわけじゃないし、むしろ不摂生な人がすごい活動量だったりすることもある。
バイタリティすごい人じゃなくても、本当に好きなこと(ゲームとか)だったら簡単に徹夜もできてしまったりする。
トラバにもあったけど、ドーパミンとかアドレナリンとか、そういう脳内物質がどう分泌されているかとかそういう話なんだろうな。
とにかく、HP/MP的な捉え方をするには、人によって特性があまりにも違いすぎる。キャパを増やすというよりは「自分が消耗することを避ける/消耗を減らす」という考え方をしていくといいと思う。
仕事があってなかったら変える(これは簡単じゃないが)とか、人混みが疲れるならそういう場所は避けたり混んでいる時間には外出しないとか。
自分の場合、雑音とか視界に入る他人とかが気になるせいで、映画館やカフェなどの場所ですごく消耗するというのに最近気づいた。そういう場面で人より消耗すると気づいてからは「なんで自分はキャパがないんだろう」という考え方はあまりしなくなった。
避けられない・避けたくないことについては、鍛える・慣れるか、投薬等で対応できるならそのアプローチをする。
自分は人とコミュニケーションするのが本当に疲れるタイプだったけど、流石に何年も仕事をしてきて、昔よりは消耗度合いは減った。
投薬については特性によるけど、他の人と比べて自分が疲れやすいと感じるなら心療内科で相談してみるとなにか気付けるかもしれない。