はてなキーワード: アダルトチルドレンとは
いやしらんけどさ、
こういうのはてなー()には多いみたいだけどさ、
んで、どうすんの?アダルトチルドレンだったら?鬱だったら?アスペルガーだったら?
証明書貰ってきて役所行って、ドヤッ、って出して、金くれよ、ってやるの?
親につきだして、ほら、俺様は障害者様だ、はたらけねーんだよ、死ぬまで養えクソババア、って?
障害者じゃないけど頑張ってもなかなか出来ない、でもやるだけやろうっていう人生と、
障害者だからいいや、諦めるわwwwって人生と、どちらが良いのか。
でさ、障害者ってなんなん?
勉強できる出来ないとか障害?
運動できる出来ないとか障害?
それが一定以上出来ないと障害?
障害とただの怠けとどう違うの?
っていうとガーガー言うバカが大量に出てくるだろうけど、
自分は鬱で、こういう症状で、これが原因で、あれをこうすれば治ると思っていても治せない。
これもうつ病といえるのだろうか。
僕は自分をアダルトチルドレンだと思ってるけど果たして本当にそうなのかと思う。
自分をアダルトチルドレンにして逃げ場をつくりたいだけなのではないかと思ってしまう。
他人との接し方が年を経るにつれてわからなくなってきた。
親に言いたいことを言えない。誰にも言えない。
完璧に出来ない、他人が自分より優れてる、幸せそうなことに嫉妬するけど努力出来ない。
僕は自分をなんらかの精神的病気に当てはめて気を楽にしようとしてるだけなのかもしれない
でも本当に精神的に問題があるという可能性も捨て切れない。
仮に精神的病気だとしてそのことを親に話すのはおかしいのではないかと思う。
自分はこういう病気でこういう症状でそれはあなたの責任で僕はこのように改善したいと思ってますから
こんなことを言えればもう病気じゃなくて八つ当たりの部類に入ってしまうのではないかな。
でもこんなことは当然言えない。だけど言いたい気持ちはある。
書いてるうちに自分でも言いたいことがわからなくなってきたし意味不明な文章だなと思う。
僕が言いたいのは親に自分は病気なんじゃないかということを言いたい、
でもそんなことを自分から言い出すのはおかしいし言ったところで何の解決にもならないんじゃないかといいうこと。
自分の伝えたいことが上手く書けませんでした。なんとか読み取ってもらえれば嬉しいです。
ネタバレありありだよー。とにかくシナリオが悪いしなんつーか着地点が気持ち悪いんだよね。
もちろん脚本上の要請から来るところもあると思うんだけど、それにしたってその脚本があんまりだと思うわけ。
純粋な憎しみに燃え上がって人を凍らせて殺した→封印とかならまだ分かる話なんだが、エルサのミスは本人の言うとおり完全なる事故、射撃の命中率的な意味でコントロールに問題があるのであって解決策は明らかに日常的にぶっ放す練習をさせて精度を上げていくのが正解だったのに封じ込め一択とかマジキチ。
どこでどうなったらそんな判断になるんだ政治家向いてないぞ。
実際エルサは完全に萎縮してるし、そのビビリが却って力を増幅させているのは明らかだ。
1年2年ならともかく18になるまでその調子で育てたとか子どもの様子も見てなかったのか。お前ら本当に親か。今流行りの毒親か。
住めよ。せっかく建てたんだから。住み続けろよ。
王国が氷漬け?知った事か。「知った事か」と歌い上げて建てた城じゃねえか。なめてんのか?
本家雪の女王見習えよコノヤロウ。たまにお出かけするけど普通にあそこに住んでるぞ。城主以外は召使いすらいないんだぞ。手違いでついてきちゃったショタを軟禁してるだけだぞ。
唐突すぎるし意味がわからん。呪いだったらまだ「愛はすべてに勝つ!」的な感じで理屈がつかないでもなかったが「生まれつき」なんだろ?
何?自分の能力を愛してなかったから暴走してたとかそういうアダルトチルドレンこじらせた感じだったの?でもそんな描写なかったんじゃね?
これが一番きもちわるい。
これ何の物語だかわかってんのか?
社会とかコミュニティには受け入れられない力を持った人間が、そこから叩き出されて孤独を受け入れると同時に、自由と自分自身のアイデンティティを全力発揮する楽しみを謳歌する物語だろうが。
少なくとも目玉シーンまではそういう話だっただろ。
何が「みんなで歌おう」だアホか。その「みんな」がそいつを蹴り出したから生まれた歌を「みんな」で歌ってどうする。ヘドが出るわ。
「最終的には(コミュニティのために)異分子受け入れエンド」だというこの映画そのものと似た構造のキモさがあるぞ死ね。
ジェンダーとかフェミニズム界隈では評価されてるって話だけど、ぶっちゃけはっきり快挙と言えるのは白雪姫とかのトラディショナルな一目惚れプリンセスは完全否定してみせたという点くらいで、本質的なとこがジェンダー以前の問題なんじゃないのこれ。
あ、逆? 本質的にジェンダー以前の問題であるところを最終的に「能力を抑えることを覚えてみんなのために暮らしましためでたしめでたし」ってオチに持ってかれる、その所以がジェンダーだって話?
だったらわかるんだけど。男主人公だったらどう考えても魔王として覚醒して城に住み続けてみんな凍え死ねーっていう話になりそう。っていうかそういう作品あるっぽくね。ライブアライブとかあのへん。
増田の親御さんは、自分の外側を覆う殻ばかりを強化させて、内面の軸がない人だったんだろうね。
親御さんは躾のつもりだったんだろうけど、実際は、自分が正しいと思っている生き方を、子供にやらせることで、自分の人生は正しい、自分は間違っていないということを確認したかっただけのように思える。
この場合、子供は親の自己確認のための道具でしかない。子供が将来自立して生きていくための「躾」と、親の自己確認のための道具にさせられることとは違う。
今は、自分の好きなようにして、自分を満足させてあげれば良いよ。感情は大事。
「自分がなんなのかよく分からない状態」の人は、社会的善悪や正不正の『基準』を強烈に求めるようになる。自分の考えがないから、意見がない。だから『世間体』や『常識』で自分の言葉を語らなきゃいけなくなる。『世間体』と『常識』に基づく「正義」は一時的には圧倒的な力を持っているから、それを基準にして生きてる者にとっては、最大の威力となる。そういう人は、「世間体」や「常識」が実は実体がなくてふやけたようなものだという意識は全くない。むしろ絶対に全人類がひれ伏さなければならないモノだと思っているから、使用の仕方も相当に横暴である。
アダルトチルドレンは、自己が確立していないため、「他人は、他人。自分は自分。」という当たり前の区別ができないことがあります。
特に、我が子の場合は、独立した人間としてではなく、我が物のように考える傾向があります。
しかし、自分の本心が見えないため、我が子を自分のモノ扱いにしていることに気がつきません。
自分と子供の間の区別ができないと、自分がやらなくてはいけないと思い込んでいる、良い人を演じなければならないという強迫観念をも子供に押し付けます。
決して子供のためにと思ってしている行動ではないのですが、第三者からみると、教育熱心か、過保護にしか見えないので、子供が苦しんでいても、なかなか、その苦しみが他人には理解されません。
見下してるというより それはただ単に
親から見て「良い子」になりたいってだけの話だろう
親から見た「良い子」と
状態になり、さらに
状態で苦しみ 生きづらくなったりする
15歳くらいまでに
幼稚な人格のまま 老人になっていく
たくさん苦しめられることになる
安全な場所にひきこもったり 閉鎖的なネットワークで内弁慶になったり
という行動パターンになっていくことが多い
「みんなボクちゃんを見て見てぇー」
「ボクちゃんはこんなにルールを守ってる良い子だよ」
「ボクちゃんはとっても良い子だよ」
「だからボクちゃんをみんなで愛してー」
そういう幼稚な人格の人物は
通常「キモイ奴」と思われ
誰からも愛されない
http://anond.hatelabo.jp/20140315113205
今朝は母と軽い言い争いをした。
母はなんでも我慢する。
言わないで、我慢して震えてる。
私はそれが嫌だ。
辛そうな疲れたかんじで、少しも笑ってない笑顔で「ウン…わかった。わかったよ。もういい。」っていう。
その姿を見るたびに腹立たしい。自分に酔ってやがる。
母はいつもいつも「あなたのため」といって、自分を犠牲にして何か世話を焼きたがる。
私が勉強で1位になったり受験に合格したときは、私よりも泣いて大喜びしてくれた。
でも勉強しろとあまりにも煩く、満点取らなかったらクラス最高得点でも怒られたし、禁止事項も多く、人を見下す発言が多い。
そしてよく「お前は母の半身で大切だ。愛してる。お前の人生はお前のものだけど、母の人生でもあるんだよ」とニコニコして言う。
だから私も母に甘えて抱きついてニコニコしながら、内心いつだってビクビクしている。
精神的束縛だ。
こんなの、居ない父(居たとしても[愛情]が欠落してるような人間)へのさみしさを私で紛らわせてるだけじゃないか!
しかしそれは私も同じなんだ。慢性的な孤独感と空虚感、罪悪感、焦燥感、自信のなさをどうにか紛らわせたくて、母に異常に擦り寄り甘えるのだ。
共依存。
まったくもって、共依存。
わたしたちの共依存には、同居してた父方の祖母の話も必要かな。
祖母は習字教室の先生をしていて、私は幼稚園ときから家の一角に通っていた。
書いた字を見てもらうため順番に並ぶのだが私は「家の子だから」と順番を後回しにされ、私だけ毎週「クズ・おばかで落ち着きがない子・のろまむすめ」などと皆の前で罵られていた。
この人、外ではとても上品そうでいい顔をする。そして典型的な悪の姑。父が不在の家で、母はいつもこの人に虐められてた。たとえば、母が風呂に入ってる時故意にお湯を止められたりとかね。
しかも祖母はアルツハイマーになり性格のクソさ&介護のクソさが日々激化していった。
母の気丈に振る舞う姿をずっと近くで見てて、糞ババアから私が守らなきゃって思った。
ちなみにボケ防止という名目で既にボケ始めてからも数年は習字教室運営は続行された。年々減る生徒。ボケる祖母。タゲられる頻度が増す私。
泣いて辞めたいと毎週母に訴え、忘れもしない、結局2年後の小6冬、罵りに耐えきれず書初練習を途中で放棄したことにより私の習字という苦行は終わった。
私は素直で明るいピュアな優等生というのがポリシーであったが小5くらいには祖母に対して怒りで満ちていてた。第5日曜のオツベルの象な感じ。
高学生のときには痴呆の進んだ頭の回転の早い祖母と激しく罵り合うことが頻繁にあった。本気で殺したいと思うほどに憎く、汚らわしく思っていた。
そんな感情を抱く自分も同じくらい穢らわしくて、もうピュアには戻れないんだろうなって悲しくてよく泣いた。
このとき通っていた進学校の勉強に私は全く着いていけなくて、アイデンティティが砕けまくりで、唯一の癒しの部活を禁止されたりして、遅刻を繰り返して、ゲームに没頭して、自分を諦めていて、勉強しなさいという母に祖母と喧嘩するのと同じテンションで言い返するようになっていた。
この頃から、我慢する母にも怒りを感じ始めた。
母は日増しに疲れていった。
なぜ?なぜこの人はただ耐えるのか。
何度も聞いたけど「耐えるが勝ち」みたいな答えでよくわからない。だってそんなに不幸そうな顔するのに。イライラする。私のせいだ。守りたかったこの人を傷つけてるのは私自身なんだ。
でも母はひたすら耐えてひたすら傷つく。なんでよ?痛いって言ってよ。
私は「辛いなら言って。力になりたい。」といつもいうのに、母は「うん」といいながら全然言ってこない。
悔しい。
私は一体なんなのだ。
イライラする。そうこうしてるうちに、さらにヒートアップしてしまう。止まれない。私には止まれない。耐えたくない。母みたいになりたくない!感情が爆発させる。母にも感情を爆発してもらいたいという希望も込めながら。
母は私を怯えるようになった。
私はいつも怯えて生きてるというのに。
鬱のような。でも鬱じゃないような。
大学1年で一人暮らしのとき、ある日突然涙が止まらなくなって動けなくて、本格的にメンヘラの仲間入りを果たした。
ホームシックだと思う。共依存が抜けないんだ。自立しようなんで思ったことを1度もなかったもん。
薬も飲んだし過食したし不眠したし過眠したし引きこもったし大学もたくさんサボった。鬱とか非定型うつだとか色々考えたけどどれもしっくりこなかった。
アダルトチルドレンだけは当てはまった。親にも言った。伝わらなかった。全く伝わらなかった。
へーそう。だから何?親のせいにしたいならすれば?って言われた。
信じてなくて、どうでも良さげだった。鬱とかACとか相談するたび、朝の星座占いぐらいに信じてなくて、聞き耳もたれなかった。
もう何をいってもダメだ。だめなんだ。
もう私が親から離れるべきなんだ。
ここ最近一番死にたくなったのは、母のためにUターン就職して、ブラックなとこで心身共に疲れて結局すぐ退職して近所の雑用バイトを始めたとき「べつに地元に拘らずに東京で一人暮らしで働いてもいいじゃん?」といけしゃあしゃあと言われたことだ。居てくれたほうがいいって言ってたくせに。
何言いたいか分からなくなったよ。
いいや、とくになにか主張したいんじゃない。
ただ、言いたかっただけなんだよね。
性格悪いよね。こどもだよね。でもこれが私なんだよ。
なにもかも味気なく感じる。ジェットコースターとか乗るときだけ、マジに心が動くってかんじかな。
悲しいな。
想定してる相手が家族以外の誰か・他人として捉えてるみたいだけど、この増田(http://anond.hatelabo.jp/20140128210522)の話の流れから察すると、認められたかった相手・認めて欲しかった相手は増田の親か親族なのではない?
仮にそうだとしたら、幼少期からの人格形成の際、親からの愛情や肯定など十分に受けれないと人格に歪さが出たりするようだよ。
増田がどうかは分からないけど、比較的一般的に認知されてる分かりやすい例としてはアダルトチルドレンだの境界性人格障害だの、そういう括りの病的とまではいかないまでも分類上存在するものとして。発達心理学とかそういった分類の。
http://anond.hatelabo.jp/20131208145024
こだわりの強い彼氏さんにいつも付き合っておられて大変そうだな…と思いました。
おつかれさまです。なかなか周囲にも独りぼっちの感覚をわかってもらえず、
つらい思いをされているのではないでしょうか。
受動的アスペルガー持ちの男性の場合、〝外〟である周囲に対しては社交的に振る舞う半面、
100パーセント全開の自我を出してとても我が侭にふるまう(ように見える)という傾向があります。
このため、アスペルガー持ちの男性をパートナーに持つ人(多くはADHD)は、
http://communicative.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4727204&parts=1&num=5&width=360&fsize=12
「共依存」や「アダルトチルドレン」などでぐぐってみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=Un1tOn_nVLc
↑の動画の途中まで見て、自分の家と自分がまさにこれだ・・・と思った。
こうゆう事だったのか・・・。
とゆうことはあれか、私はアダルトチルドレンとやらなのか・・・
そうなのか・・・
なんでこんなことも出来ないんだと 周囲がキレる らしい。 ワラッタ。
つまり、本人がそれが出来るようになるまで、幼少期をやり直すとしても だいたいオトナになるまで20年分の時間がかかる人もいるだろう。
大人からすれば 3ヶ月もあれば出来るんじゃない?出来ないのは甘え。と考えて
コイツは病気じゃない 甘えだ!と キレるから どんどん治らなくなるらしい。
だってあなた、オトナになるまで20年ぐらいかかってますよねと・・・まぁ、僕らはそれよりももっと遅いだろう。なぜなら、マイナスからのスタートなんだから。
そして、手遅れだろうと自分でも思う。
だから、なるべく、周囲に迷惑をかけないように、ひっそりやっていくしかない。
自分でなんとかするしか無い、周囲は善意の邪魔しか出来ないというのは、自分が一番良く感じる。
ものすごく、ありがたいんだけどね。
韓国って、可哀想だと思うんだよね。第二次大戦から朝鮮戦争で、
よその国の思惑にシッチャカメッチャカにかき回されて、
国家自体が分裂症的様相を呈している。
この辺りはもっとずっと昔から始まってると思う。大ざっぱだけど、高麗辺りから国家としての劣化が始まって李氏朝鮮を経てどんどんダメダメになっていったというか…。
南北朝鮮って、物心ついたころからずっと寄ってたかっていじめられ虐げられ続けたせいですっかり人格の歪んでしまったアダルトチルドレンのようだ。その辺りが、方向性は違えどネトウヨやはてサを引きつけてしまう要素なのかも。
いじめられたのも虐げられたのも当人だけの落ち度ではないし、断然いじめた側が悪いに決まっているんだけど、それでも自分の中の欠陥や歪みを改めて更生するには自分の自覚と努力しかないんだなあ、と、自戒も含めて思う。
子どもの頃から22、3まで、いつも自分のなかに二人の人がいるみたいに感じていた。
でも、小説とかで読んだような、完全な人格の入れ替わりがあるわけではなくて、
何かの物事に対して、「そうしたい」という気持ちと「でもそうすべきではない」という気持ちが葛藤していて、それが両極端なのでまるで二人の人がいるみたい、というくらいだ。
例えば恋をしても「私はこの人が好きだ!」という気持ちと、「私はこの人が好きなわけではない、好きになるべきではない、恋とかすべきではない」という自分。それが常にけんかしている感じだった。
23、4のとき、ふと気づくと、そうやってバトルしている二人の人を、「あー、またけんかしてるわ」という感じに傍観しているもうひとりがいるのに気づいた。
って、ことは、その3人目に気づいている自分って何、4人目? とかよくわかんないことを考えていた。
いつのまにかそういう極端な3人の人、みたいな感覚はなくなったけれど、
やっぱり何か物事を考えるときに、両極端なことを考えてしまいがちである。
愛着障害について読んだけれど、両極端、白か黒かでグレーがないのは愛着障害者にありがちとかいう。
あるいはアダルトチルドレンてやつでもなんかそんなことがあるらしい。
今でも続くこの白か黒か両極端なやつって、直せるんだろうか。
はてな匿名ダイアリーで、13日と14日に書いた2つの記事が100ブクマ以上になってた18歳ニートです。
今回も、「僕の言いたいことは書いてる途中にでてくるかな?」と思って書きます。
記事の内容は、
2日連続で100ブクマ超の記事を書いてみて思ったことや・気づいたこと・分かったこと・発見...みたいな内容です。
まず、僕がはてな匿名ダイアリーで書き始めたのはごく最近のことで、今月から書いてたりします。
「はてな匿名ダイアリーだったら割と不特定多数の人に見てもらいやすいかも!」っと思って書き始めました(笑)。
「少なからず俺はだいたい全部の記事を見てるよ」や「とりあえず読んで面白いか、有益な情報でなければ何もしない」的なコメント頂き、
マジメな感じが伝わる記事を書けば割とコメントがもらえる場所のような気がします。
本題に入りますが、
100ブクマ超の記事を書けた2つの記事内容は「自分の考え」を書いたら100ブクマ取れました。
1つ目の記事は、アドバイス的なコメントやコメント主さんの体験談などを多くもらい、
2つ目の記事は、批判コメントが多いけど、1つの記事よりブクマ数もツイート数もいいね数もトラックバック数も多いです。
僕にとってはこんなこと初めてで、「言いたいことを言ってみたら自分に返ってきたこと」がとても嬉しかったです。
以下、ここから途中まではただの発見なので、はてな匿名ダイアリーで書く人向けかも。
発見としては、
・自分の考えを書くと、自分とは違う考えの意見や体験談、情報が集まる。発信元の自分に、思いもよらないヒントをくれたりする。
・記事をツイートする人はだいたいフォローとフォロワーの割合が1:1くらいの人が多い。たまにフォロワーが多い人に拡散されることも。
・記事をブックマークされたら、トラックバックのコメントを見るだけじゃなく、
本サイトの「はてなブックマーク」で、記事のURLを貼って検索し、記事の個別ページを見たら、ブックマークしてくれた人のコメントも見れる。
・「これが言いたかった!」っていうのが特に無い曖昧な文章を書いたら、いろんな受け取り方をしてる感じのコメントがもらえる。
なので、どこに反応してくれたのか自分でも分からない。でも、言いたいことが無い文章でも書いてよかったと思う。
100ブクマ超の記事が書けてみて思ったことはたくさんあるんですが、
僕のような若者も、いつもは「はてな匿名ダイアリー」でトラックバックしてコメントしてる人も、見てるだけの人も、
とりあえず「自分の物語」や「自分の考え」などを文章にして書いてみるのもなかなか良いと思います。
少し前に16歳女性の人が匿名ダイアリーに書いてたのを見ましたが、
はてな匿名ダイアリーのユーザーが低年齢化してもいいから「若い人の考え」や「今までの人生の物語」を書いてみてほしいです。
若い人であれば年齢が分かるようことを明かして書くと、誰かが「私のあの頃は○○だったよ」みたいなことを言ってくれたりします。
文章が上手い下手とかどーでもいいことだと思います。
おもしろい文章を書こうとすると反応されないかもしませんが、誰かの物語ってのは、他の誰かにとってはおもしろいと感じる文章になると思います。
それと、この文章を書いてて気付きましたが、
100ブクマ超の記事を書いた時もそうでしたが、僕は文章を「本気」で書いています。
100ブクマ超の記事に「僕は本気になれない」系のことも書きましたが、いつの間にか何時間もかけて本気でこの文章を書いていることに気がつきました。
いつの間にか「自分のことを本気で書いている自分」に気づいています。
ここで話は終わるかと思いきや、文章を書いてて興奮してきた感じがあるので、自分についての話をします。
僕はニートな18歳ですが、今までだいたい引きこもって哲学をしてる感じの人間です。
誰かとたくさん話をしてきた人生じゃないし、周りの人には「暗い子」だと思われてると思います。
僕が誰かと会話をすると「そうです!」や「うん。」くらいで、言葉をつなげてしゃべるのに慣れてません。
しかし、心を許した人(昔の同級生1人や小学4年生くらいのイトコ)には帰り際に「あばよ。」って言っちゃう陽気な面も持ち合わせています(笑)。
誤解されることも多い人生でしたが、特定の誰かが自分の良いところを言ってくれるのは僕の自慢です。
この文章を書いてたら、「変化があんまり無かった自分の人生に何か起こしてみようかなぁ。」という気持ちになりました。
もしかしたら、僕の母さんにこの文章を見せるかもしれません。
今までの経験からあんまり期待できず、あっけなく終わりそうですが。。。
それと、僕のやりたいことの1つに「両親と和解する」ってのがあります。
仲は悪くないと思うのですが、2ちゃんねるの「カーちゃんJ( 'ー`)し」と「たかし」の関係みたいな感じかもしれません(笑)。
「両親とこういう関係になりたい!」っていう未来はまだ明確に想像できませんが、
お互いに相手の心がなんとなーく分かれば、「言う必要がない言葉」が自然と出なくなるのかなぁ?と思います。
親に対する「そうじゃないって!」を無くして、「あの子はあぁだったんだなぁ」っていうのを親に知ってほしいのかもしれません。
ただ知ってもらえるだけでいいのかもしれません。
なんか難しいですが、僕と両親と祖父母の「親子3代の物語」ってのは、
両親と祖父母が生きてるうちに決着をつけて、自分の中に答えを見つけておきたいものだと思っています。
話が少し変わりますが、
今の僕はニートな身分なせいか、いろんな人に正論っぽいことを言われます。しかし僕にはそれがすぐできません。
そんなことは頭では分かってるけど、正論っぽいことを言われたら、何も考えれなくなって、言葉がでません。
正論っぽいことを言われれた後で「ホントにそれが正しいのかなぁ?」といつも考えます。
学校の先生や親の「正論や綺麗事」ってのは、どこかに気持ち悪さを感じるので嫌いです。
こんな正論や綺麗事っぽいことを受け入れてばかりだと、何も感じない鈍感な人間になりそうでヤバいと感じています。
幼稚な考えかもしれませんが、誰かに対してつい「YES」って言っちゃう自分が嫌になったこともあって、
これからもやりたくないことには「NO」って言える人になりたいです。
以上、ここらで話を終わろうと思いってたのですが、まだ言いたいことありました。
この文章は途中から、「両親に伝えたいこと」に近いものだと思います。
僕はこれからもニートでいるかもしれません。怖い人たちに間接的に「働け」って言われて、嫌々働いて、やらされた感アリアリで生きるかもしれません。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、僕は今まで本能的に自分を守る行動をしてきたと思います。
勇気を出して後先考えず、学校も途中で行かなかったし、人の集まりに誘われたときは全部断ってきたし、今でも働きたくないし。。。
もしかしたら、ホントは働きたくないんじゃなくて、怖い人たちに威圧されてやらされるのが嫌なのかもしれない。よく分からないけど。
僕がこうして引きこもってばかりだと何も始まらないことも分かってるけど、僕は「将来どうなりたいのか?」だけはある。
ダラダラ人間でダメダメなヤツだけど、向上心だけはある。ニートな今でも自分を向上させたい。
すごく曖昧で、何を言われても何も反論できそうにないけど、絶対に自分の人生を生ききるし、今でも、自分のペースで「より良くなっている」と信じてる。
ここで、急に話は変わります。
僕の母さんが言う「同級生の○○ちゃんは○○になったんだってー。」みたいな僕と誰かを比較するのはもういいからー。
僕の弟と話してみても思うけど、弟が僕と弟自身を比べてるのが何か悲しい。
僕は中学生になる頃から、勉強もスポーツも同級生に負け始めた。
小さな「1位」を何度か取ってたけど、中学の終わりごろには勉強もスポーツもほぼ誰かに負け始めて、気づいたことがある。
「勉強もスポーツも勝てる気がしないから、『心』で勝負しよう!」と、わけのわからないことを(笑)。
「勝負」って感じじゃないけど、言葉にすると「自分だけの絶対的な領域」を持っておけばいいと直感的に感じていた。
エヴァンゲリオンでいう「A.T.フィールド」のようなものかも。
勉強やスポーツで良い点を取ればいいと思ってたころは、「誰かが作った価値の中」で生きてるようなもんだな。って今思う。
点数が悪かったテストを親にバレないように隠してた時もあったので、これは異常なことだと今は思うし、
母さんと顔を合わせるとつい笑っちゃうのは、おかしいからでなく、僕が最近知った「自分は機能不全家族の子供なんじゃね?」とも思った。
ウィキペディアを参考に見ると、自分は「家庭内での子供の役割」の「ヒーロー」「スケープ・ゴート」「ピエロ」のような特徴があった。名前はカッコイイ(笑)。
自分は「アダルトチルドレン」っていうやつなのかもしれない。これって僕の同級生を見る限り、割と日本に多そうな症状だと思った。
話は戻ります。
比較するのをやめることができた自分は、カッコよく言ってしまえば、自分が作った土俵の中で自分と戦い始めたのかもしれません。
テストの点数だとか、頭が良い悪いとか、親に迷惑がかかるとか、、、そういうのは本当にどーでもいいことだと思う。自分の心を無視してるし。
僕は、自分だけの「何か」を見つけてから、自然と「他人と自分を比べる」のをやめれた気がする。
ついでに、ちょうど1年前に読んだ「7つの習慣」って本のおかげもあるかもしれない。
今では完全に「全ては自分に原因がある」思考になっていると思う。間違った解釈をしてるからもしれないけど。。。
そういうわけで僕の勝ち方ってのは、絶対に勝てる自信がある勝負で1位を取るスタイルになったと思う。
それと、「大きな1位」を取ってる人ってのは、実は「小さな1位」をコツコツ取り続けた人なんじゃないかと思った。
たぶん僕はこれからも、ほかの誰かにたくさん負けることがあるけれど、自分には勝ち続けられる人でい続けたいと思う。
僕が母さんたちと話したりするたびに思うことがって、
「母さんの言いたいことはとりあえず受け入れるけど、もし自分が親だったらこうする。」ってのがある。
親の言うことが間違ってるとも思わないし、正しいとも思わない。
「それは母さんの考え」として受け取るようになった。その上で、「僕が親だったらこうする。」ってのがある。
これは反面教師で学ぶ自分が「将来自分が親になって子供を育てたい願望」から生まれた物の見方で、親を持つ子供の立場で見て欲しい部分。
僕のこの願望は、小学生のイトコの家に1ヶ月くらい住まわせてもらった時に生まれた願望。
僕は恵まれているんだと思うけど、
「両親がいて、小学生(子供)を持つ明るい家族の一員になる体験」は僕にとってはすごく重要な体験だった。
うまくは分からないけど、「子供を持つ誰かの家族の一員になって暮らしてみる」ってのは、新しい考え方が増える体験の1つだと思う。ハードル高すぎだけど。
「家族っていいなぁ。自分もこういう家族つくりたいなぁ。」と思い始め、親と子の関係や子育てについて考え始めたり、将来結婚する気になったのもこの体験から。
少し話を戻しますが、
今の僕は、親から色々言われることもあるけれど、僕が親に反論することはあんまりなく、ただ聞いて受け入れるだけ。
全ては親になった時の自分が、僕の次の世代のために僕の親から学んでいるだけ。もちろん良いところも学んでいると思う。
なんだかんだで、自分の家族は絶対に自殺するようなことはして欲しくないなぁと思う。
ということで、まとめ的な感じで終わろうかと思います。
最初はタイトルの「2日連続で100ブクマ超の記事を書いてみて思ったこと」で30行くらいで終わるかなぁと考えていたら、
いろいろ話を膨らませすぎて、またまたタイトルと関係ないことを書いてしまいました。
この文章を書いて思ったことは、
こんな文章が書けるとも知らず、自分の人生を掘り下げていって、言いたいことが頭に浮かんだら書く。っていう感じで書きました。
親にこの文章を見せるとなるとちょっと恥ずかしいことだけど、もしかしたら人生の1つの区切りになるんじゃないかと思っています。
僕は常日頃から、キャラじゃないことをやってみたり、いつもと違う道を通ってみたりするのが好きです。
何も起こらなくても、親に僕の考えを知ってもらえば何かスッキリするかもしれません。
ラブレターは書いたことありませんが、この文章は自分のために本気で書きました。
僕が本気になれることは「文章を書くこと」っていう発見もしました。
「最終的に世界を旅する教育者みたいな感じになるだろうな~。」と思っていましたが、インターネットで「文章を書く人」にもなりそうです。
それと、ニートな僕は、自分のことを客観的に見ることがあまりできず、自分のことを書き出す作業を1年間くらいしてきました。気が向いた時にですが。。。
自分のことや自分の感情を自分はあまり知らないので、履歴書に自分のことが書けなかったのは悔しい思い出です。
自分の今の状態をできるたけ認知しようとしているので、とにかくもっと自分のことを知りたいのだと思います。
僕はこの文章を書いてるときの状態は初めてですが、どんどん文字が打てる状態になっているのは自分でも驚きです。
しかし、この文章は途中から興奮状態で書いたものなので、あとで見返したら恥ずかしく感じるかもしれません(笑)。
それと、文章に「」をたくさん使っちゃってるのはたぶん、「これを伝えたい!」ってのがたくさんあるからだと思います。
最後に言いたいことは、
自分の考えや自分の物語を文章にして誰かに公開してみたら、いろんな発見をして、どこかで急に大きな発見をするかもしれません。
100ブクマ超の記事でもらったブックマークしてた人のコメントにもありましたが、
「自分の考えをぶつけてみたら案外いい反応を示してくれるかもね。」っていうのがあるかもしれません。
僕にとっての「思わぬ展開」がこの文章を書いてたら起こったことなので、
自分の考えを文章にしてぶつけてる途中に、その文章に自分が反応を示すのかもしれません。
全部「かもしれません。」です。
知ってほしい人に公開するとどんな事になるか分からないような「自分の考えを書いた文章」、
自分にとっての爆弾になるかもしれない文章を書いてみるのもたまには良いなぁ。と思いました。
それと、最後に母さんへ
この文章はインターネットで公開するために書いた文章だけど、途中から母さんに向けて、母さんに見せるために書いた文章になった。
今の僕は母さんとかと話しても、話にならずに僕は絶対に負ける。正論っぽいことを言われて何も言えずに終わる。
文章にして伝えるのもいいなぁと思って、ここでお願い。
特に目的もない旅行をするために、僕に100万円をください。これは僕が何も計画をしてない数字です。
僕は1年前くらいから「母さんに『100万円頂戴!』って頼もうかなぁ。」と思っていました。
家族のことをあんまり考えてないアホ発言だけど、僕は20歳になる前に「ウユニ塩湖」っていう場所に行きたいと思っています。ついでに世界旅行も含めて。。。
本当は自分が稼いたお金で、一人で行くつもりだった。けど、今の自分は自分でお金を稼ぐ気があんまり無く、嫌々やってる感じになったことに気付きました。
「ネットビジネスで稼ぐ!」って言ってたけど、それは本当にやりたいことじゃなかったと気付きました。
今でも覚えてることは、僕が初めて「63円」を稼いだとき、僕は「うおぉすげぇ!」って思って、「母さんたちに報告したら褒めてもらえるかなぁ。」と思って聞かれて言った時に、
母さんじゃないけど「そんなんで飯食えるん?」的な言葉を言われて悔しかったことです。
今までは悔しさをバネにしてきたけれど、そこから悩みに悩んで、「なんか違うなぁ」ということに気付きました。
何を言われても「僕が親だったらこうする。」っていう学びになるので、とりあえず話は聞いてます。
本当にやりたいことだと思ってたことが、「本当はやりたいことじゃなかった」ってことが何度もある僕は、
ネットビジネスも実は本当にやりたいことじゃないことに気づいたところです。
でも、「最終的にはインターネットを使った仕事をしてるんだろうなぁ~。」と思います。
話は少し変わりますが、
怒られることがトラウマレベルで怖い僕は、母さんたちの顔色をうかがって今の家に来てしまったんだなぁ。と気づきました。
僕は「別に、ご飯が食べれなくなっても住む家が無くなってもまぁいっかー。どうにかなるさー。」的な考えを持っています。
後のことは考えないですし、もしものことが起こったり、たとえ借金10億円を背負ってしまったりしても、「別にいいじゃん。」と思います。
全てを受け入れて、起こってしまったことに対して、「どうすればいいのか?」を考え始めると思います。
死にかけて考えるタイプかもしれません。僕はこれでいいと思います。
そんな頭なんですが、「でもそんなこと言っても、結局は母さんたちが食べさせてくれると思ってんでしょ?」的なことを言ってくる同居人には返す言葉も無いです。
たぶん今僕は、嫌な上司といっしょに住んでる気分です。
正論っぽいことや綺麗事に加え、嫌味や皮肉と威圧感で、今までと同じくらい生きにくいなぁ。と思っています。
母さんたちの言葉には、
「お前もこう思え。」「母さんたちの顔色をうかがえ。」「人の気持ちを考えろ。」みたいなものを感じます。
これは、僕の心を無視しているからこんな感じの言葉が出てくるんだろうなぁ。と考えています。
母さんじゃない人も混じってますが、人生で久しぶりの愚痴を言いました(笑)。
こんな僕でも、僕自身と僕の両親、人との関わり合い方については、真剣に向き合い続けていたりします。
100万円頂戴!の話に戻りますが、
もし僕に100万円をあげたとしても、その分を返す気は無いですし、違う形で返す気も無いです。
ただ僕は100万円あったら一人旅をして、自分勝手にわがままに生きたいだけです。親に会いに行きたくなったら会いに行くだけです。
親として「子供にこうなってほしかった」ってのはあるかもしれませんが、
これからも僕は母さんの期待を裏切り続けると思いますし、これからも迷惑をかけ続けると思います。
むちゃくちゃかもしれませんが、僕は、僕と関わる人がより良くなると思ってこんな考えになったんだと思います。
「普通は親孝行するもんでしょ?」とか「常識的にこう」とか聞いてられないです。感謝の感情が生まれてから「ありがとう」を言うつもりです。
話は変わり、僕のやっておきたいことの1つに「両親と和解する」があります。
実は母さんだけでなく、僕は離婚した父さんに今年中に会いに行く約束をしています。いつ行くか決めていませんが。。。
話す内容も考えてないですし、話せる自信も無いのですが、僕は「自分のルーツ」を知りたいとも考えています。
知ったことかー!ですが、僕は僕の家族の歴史を知っておきたいです。
僕は自分自身のことを、家族の中で誰よりも現実的な人間だと思っています。
考え方はコロコロ変わりますが、「あるべき姿」「在り方」のようなものを見つけようとしています。
それと僕は、僕が知っている一般的な社会で生きていける自信は無いですし、生きていこうとも思いません。
誰かが僕を、その人の枠にはめようとしても、今までどおり僕は表面的に従って、内側では反抗し続けます。
学校に行ってもどこに行っても一人になるタイプなのですが、これからもインターネットとかで自分の生き方を発信していくと思います。
なんだかんだで、自分のためにもなってるし、賛否両論あるけれど、誰かの為にもなってると思うし。。。
僕は「より良くなる」と思って、こんな文章を書きました。
めちゃくちゃですが、自分で書いたことや口に出して言ったことは、あとで「やっぱり、あれは違ったなぁ。」と思うことが多々あります。
「今度聞かれたらこう言おう!」ってのが早めに見つかればいいなぁ。と思って、たくさんのことを書いてます。
そして、僕はいつでもいいから母さんとマジメな話ができたらなぁ。と思っています。
話さなくてもいいから、お互いに親子関係を見直すきっかけを作れればなぁ。とも思います。
母さんが僕に言いたいことがあったなら、いつでも文章でも直接会ってでも連絡ください。
母さんの言葉を聞いて、また呆れることもあると思いますが、それでも僕は全部受け入れて話を聞き続けます。
僕がどう思うかではなく、母さんが思ってることや、言いたいことを言って帰るだけでもいいです。
僕は、「母さんが本当はどう思ってるのか」があるなら聞いてみたいし、僕は「自分が本当はどう思っているのか」を伝えておきたいです。
この手のテストはポジティブ発見器であって偽陽性についてはあんまり考慮していない。
でも原因はともかくかなり当てはまっているのなら、相当生きづらさを感じているのでは。
実際にアダルトチルドレンでなかったとしても、そういう人のための治療法が効いたりする。
精神科の診断と治療なんかは、ほぼこういう操作的診断基準に基づいている。すなわち原因よりも症状や状態を重視するやりかた。例えばうつ病のチェックリストに当てはまれば、本当にうつ病かどうかはとりあえず置いておいて(というかそもそも分からない)、うつ病として治療が始まって経過観察される。
こういうチェックリストで「ほとんど該当しない」という人が実在するのか知りたい。
「ほとんど該当しない」人がいるとしたら、その人が今どんな生き方をしているのか知りたい。
例えば、これはアダルトチルドレンのチェックリストなんだけど、10個くらいは皆当てはまるんだろ?と思ってしまう。
http://www.kokoro-str.jp/category/1427220.html
かくいう自分は18個該当した。でも、親に虐待されたような記憶なんてない。自分がおかしいことを信じられない。
うつ病のチェックリストだってそうだ、皆ひっかかるんだろ?「うつの可能性があります」って出るんだろ?
ほとんど該当しない人が本当にいたら教えて欲しい。
単に頭悪くて人生負けが込んでて自分の存在する意味があやふやになってるやつは
たとえそれが社会的にネガティブなものでもいいから、なんらかの自己規定を求めるもんなんだよ
使う側から言えば消耗品、作る側から言えばいかに小手先で目新しさを演出するかの勝負
必然的にどんどん(表面的に)過激なほうへ、社会的タブー感が残ってる方へ
少しでも新鮮味のあるズリネタ求めて流れていく
メンヘル小娘がやれうつ病だのボーダーだのアダルトチルドレンだの「病名」自慢したがるように
俺ってロリコンだぜー。陵辱エロゲ愛好者だぜー。学生時代にいじめられて心が折れたからこうなったんだぜー
スゲーだろーふきんしんだろー、っていいたいんだよなキモオタは
ガチの気違いとか異常者の深刻さはない、ただの甘えだって本当は自分でもわかってるところまでそっくり
母子相姦モノのAV観たからって母ちゃんを狙ってるとは限らないように
お前らがロリコンポルノを好むのも消費行動上の選択に過ぎないんだよね
とくにオタクってのはもともとそういうたかが買い物チョイスにすぎないことを
空虚な人生の時間を埋めるために惰性でオナニーばっかしてるから、
すこしでも表面的にタブー感のある商品を探して流れていってるだけ
そしてそういう消費行動を通してしか社会とつながれない視線でもって
そこらを歩いてるガキを眺めて退屈を紛らわしてるだけ
現実の女に失望したからとかじゃなく、最初から最後までたったひとりで、使えそうなズリネタを物色してるだけ
キモオタの人生というのは、女だの社会の風潮だの硬直した良識だのとの闘いなんかではない
そしてそこには敵対するにせよ協働するにせよ他者との関係というものがない
ただ退屈なオナニーがあるだけなんだ。本当はお前らが一番よくわかってるよな
AVやエロ漫画のステレオタイプな記号的イメージの並べ替えなんだよね
実体験という土壌を持たず、限られたリソースにしかアクセスできない
キモオタのイマジネーションは加齢につれてどんどん枯れ果てていく
なんとか自分(のちんぽ)を奮い立たせなくてはならない
だからせめて「フツー」のAVとかより世人が眉をひそめそうなモノにとびついて自己暗示をかけなきゃならない
これはすげえエロいものなんだ、俺はまだまだ飽きちゃいないんだと
なあ?
自分たちで自嘲的に言ってるような変態でもない。ただの暗くて孤独で暇な人にすぎない
ただしかし、子供リュックにつめてお持ち帰りしようとする一部のキモオタが
自分の貧しいおつむで思いついた範囲の「タブー侵犯」をやってみたのだろう
やっちゃいけないことだからやりました、という裏返しの常識の奴隷というわけだ
ロリコンがどうの以前に知恵が足りないやつは時として危険だというだけのことだ
逆にきみは人種で差別をする場所には行こうとしない。黒人であれ、中国人であれ、白人であれ、先入観を持つ場所には行こうとしない。
その人の過去の生き様を学歴でしか判断できない場所にきみはいる
地方の偏差値の高い高校を出て、早慶に行く人間が、同じ借家に住んでいる。
そういって、仕事ができないきみは同い年の上司に陰で笑われている。
東京に出て、社会人になって、地元の時よりもたくさんの人と出会うことになったときみは言う。
その人がどんな人で、どんな考え方をするのかはちょっと話をすれば見えてくるよと思い込んでいる。
でも、きみは日本人を語るアダルトチルドレンだから、直接的な質問は怖くてできない。
だから、ちょっとずつ、ちょっとずつしか相手のことを知ることはできない。それを、他人は演技がうまいからさとうそぶく。
人を知るのにはとても長い時間がかかり、その人と仕事をするのは将来大きな事故になるかもしれないと怯えている。
何年も努力をしてきたか、何年も地道なことをしてきたか、そしてそのようなグループと過ごしてきたか、
そういってきみはいつも過去を見て、今目の前にいる人のことを、自分の周りの人びとを、いつも君を支えてくれる人に
ひとかけらの眼差しも投げることはない。
きみを見ているたくさんの人に気づくこともなく、振り返らなかったあの人にいつまでも意固地になっている。
きみは口に出してはいないけど、心の中で、学歴を判断基準にしていることが顔でわかるから。
「何歳で東京に出てきたの?」⇒浪人して大学入ったこと気にしてんのかな、こいつ?
「フェイスブック教えて」⇒お前の大学、友達で分かったけど隠すことないのに
「へー、東大の院を出たんだ?!」⇒研究内容とか聞かないで黙っちゃったよ、どうしよう…
いつも、僕たちは学歴で差別をするところをきみのためだけに用意しているんだよ。
今読んでる本。
こういう家庭で育ったからこういう男と付き合ってしまう、という
いわゆるアダルトチルドレン的な話。
でも「私のことをすごく愛してくれるから」という点以外に魅力を感じられなかった。
心の何処かで相手を見下していたし、裏切るのも裏切られるのも平気だった。
夫は、冷たくて不誠実な人なのに、
どうして私にとって特別な人なんだろうってずっと疑問だった。
今まであんないい人たちにも、嘘を付くことに酷い罪悪感を感じたりはしなかったのに、
何故か信用ならない夫と信頼関係を築こうとしている自分がいる。
その答えが全部書いてあった。
私の母は2つ下の妹だけをかわいがっていた。
親としてやるべきことはだいたいきちんとしてくれていたし、
与えられる物や世話で特別差を付けられたりはしなかったけど、
愛情は注がれなかった。
子どもの頃の事を謝ってくれた。
好きな物や嫌いな物は、全部母と同じにした。
母の好きな酢の物、ほんとは私は好きじゃないって最近やっと気づいた。
こっちを見ない、信頼できない人と、
それがわかって、どうすればいいんだろう。
独身なら、それでいいと思う。
数年後には資格を取得して、経済的にいつでも自立出来る状態になる。
私が変わったら、夫も変わらざるを得ないかもしれない。
そうしたら今よりいい関係になって、うまくやっていけるだろう。
そうでなければ、変わった私から見たら、
きっといらない夫、父親になってしまうだろう。
●21の大学生。男。
●ずっと良い子として生きてきた。親の要求に従う良い子、出来の良い子。
ま、能力の問題があるから、良い子として出来る範囲でしか行動しないし、親もそれを望んでいた。
そして、兄が不登校・引きこもり、弟が非行に走ったり、親は離婚しているのだが元母親がクレイジーだったために、
自分は良い子でいなければならなかった。もともと性格的に悪い子でなかったからそうなったのだ、と言えばそうかもしれないが。
それから、父子家庭で、兄に虐待まがいの暴力的支配を受けて育ったために、
兄の機嫌を損ねないような「良い子」
父に気に入られるような「良い子」
として生きてきた。
●虐待をされないために嗜好・思考を兄に同調・迎合させるように生き、その過程で感情の表出が薄れ(泣くと殴られる)、
さらに教師である父に気に入られるために、極めて常識的な・普通な、そして出来の良い子としての役割を与えられている、そんな人間として育ってきた。
家庭環境はめちゃくちゃで、血のつながらない母・姉がいたり、うつ病の祖母がいたりで、
プライベートも極力隠しながら生きてきた。
権威に媚びるし、常識を逸脱しないようにたえず自分を検閲するし、感情は薄いし、自分のことは話せないし(聞かれたら死ぬ・人生おわると本気で思ってた)
、「いかに自分が「普通の人」として生きるか」が絶対であり、会話においても・人間関係においても、それをコントロールしようと努めてきた。
それが絶対だった。
●結果大学に入り、コミュ障・ぼっち。当然童貞。 ルックスは普通以上なだけに質が悪い。なんで彼女いないの? 知るかボケ…。
●すっげーつまんない人生生きてた。2ちゃんで誰かを叩いて、自分は普通だ・良い人間なのだという確認作業に追われる日々。
自信?皆無だし、 自分だいっきらいで自己否定感半端無いし、生きててもつまんない。自分から動かなければ余計な気を遣って・精神エネルギー浪費する必要もないから引きこもり、、、。
●初めは、そういうのが自分はクズだからって思ってた。自分がクズで無能で愚かで浅はかで、常識の欠落した人間であるからこうなのだ、と。
じゃあ、無理じゃん、一生このままじゃんって。
●でも、授業とか本とか某知恵遅れとかで、AC(アダルトチルドレン)の存在を知った。
そこから本気で自分の過去と向き合って、いかに育ちが・兄が・父が今の自分の思考・行動に影響を与えられてきたか知り、
思考・行動が自由になった。(自分の感情・気持ちがあるからそれ優位)
…っていうけど、そうは問屋が卸さない。これ容易なことではない。柵って深くて、なかなか逃れられない。
しかし、父や兄・自分の育ってきた環境に疑いの目を向けて、それを相対化したことで、「絶対視」がはずれ、悪いところが目につくようになった。
そしたら出てくる、出てくる。悲しくなった後、不満、怒り、嫌悪感。 ふざけんなってぶっ殺したくなったし、 今までの自分がいかに愚かだったかという自分に対する嘆きのようなものも。
●まー結果的に反抗期ですよねw 父親みたいな型にはまった考えなんてクソ食らえ!!! つまんねー。ださい。 無価値。
一方で、父が育ててくれたことに対する感謝と尊敬は常にあるけど。
兄の過去の行為はまぁ許せる。次殴ってきたら絶対にゆるさないけど。もうそんなに弱くないから。
●僕みたいな人はね、一度過去・自分の常識と向き合ってみるといいよ。徹底的に。 メンヘラがハイパーメンヘラになるから、ただでさえいない友達失うかもしれないけどw
自由になれる。 自分ベースで考え・行動することって楽で素晴らしい。ま、100%自分だけのそれなんてないけどね。
でもその占める割合が変わる(変える)だけで、人生変わると思う。
でも、親の呪縛(AC)から逃れることが出来ないでドツボにはまる人もいるみたいだから、安易には勧められないのだけれども。
●1つ言うなら、テレビ見よう!! 超、良いから!! (ネット捨てようっていっても無理でしょ?w
芸能人って頭ぶっ飛んでるから、明るいし、平気で家族とか過去の、自分だったら絶対に話せないようなこと話したり、常識に囚われていなかったり。(価値規範が自分の気持ち)
ネットだと同じような人間ばっかりじゃん。内輪の慣れ合いじゃん。そこにある価値観なんて、クソみたいなものだったりする。(だからこそクソ居心地が良いんだけど。)