2015-06-03

[]よくある質問

今回は言論関連。

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.雑な言論封殺されます。彼らには寛容さがないのでしょうか。

別に封殺はしていないと思うぞ。

ただ雑であれば「雑だ」と指摘される。

そして、それは至極まっとう指摘だ。

言論自由であるなら、それに対しての言論もまた自由なのだから

はいえ、一部の例外を除き、基本的に真の強者は寛容だ。

でも、その強者でも許せないものがある。

雑なのに、雑じゃないように振舞うこと。

そして、雑なくせに攻撃であることだ。

争いは同じレベルしか起きないというクリシェがある。

その論でいうなら、これは争いではないし、かといって虐殺でもない。

ロクな装備もなければ、訓練もつんでいない愚か者がただ討ち死にする自然の摂理だ。

自覚のあるなしは関係ない。

「僕は装備もなければ訓練もつんでいないけれど攻撃するよ。でも、反撃はしないでね」というのはムシのいい話だ。

無知は恥ずべきだ。

無知であるものを笑うのは、もっと恥ずべき行為だ。

だが、無知であることに無恥な人間は、時に火傷をしないとその痛みに気づかない。

痛みすら感じない鈍感な人間はそのまま死ぬだけだ。

……雉も鳴かずば撃たれまい。

Q.言論への反応の中には、その人の過去の背景を考慮して善し悪しを決める人がいます言論のもの判断することはできないのでしょうか。

例えば、某研究者とかが「嘘はいけない」といったとして、反面教師として汲み取れる側面はあるかもしれないけれど、ほとんどの人は言論のもの評価しない、しにくいよな。

フィクション登場人物名言集で、その中の何割かは本当は言っていないのに、信じる人が続出してしまったというエピソードもあるな。

要は「説得力」ということだ。

それが正当か、といわれれば私としては「半々」というしかいね

言論自由だが、社会帰属する私たちはそれによって起こりうる責任を持たなければいけない。

はい放棄することも可能で、実際にネット住人の大半はそうしている。

だが、誤解してはいけないのは「自由」なのではなく、「自由のものは許されている」ということだ。

故に言論のもの評価されやすいともいえるし、一笑に付される可能性も高まる

何にしろ私たちはそれを正当な評価かどうかに関わらず享受することになる。

もちろん、それら評価に対してのレスポンス自由だ(黙することの美徳もあるようだが、あれは迷信だ)。

君のような人は自身言論を「大したもの」か、「取るに足らない」ものにしたいようだが、生憎それは君の判断担保されるものとは限らない。

そして言論担保されない以上、「よく分からない人間言論」という前提は無くならないんだ。

うん……まあ、シメに入ろう。

人格とは総体的に、そして相対的判断され、言論もかくありき。

いずれ言論者の人格普遍的でないにしても、判断材料としては不変だろう。

自由であることは同じだが、正当な言論には正当な言動がつきものということだ。

……私かい

傭兵、今はしがないサラリーマン

ブレーカーを取り扱っている、いわばブローカーさ。

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