はてなキーワード: 醜悪とは
ああいうものを真に受けて、喜んで見ている「女子さん」(女子ではない)に物申します。
キラキラ番組に出演出来る美人の恵まれた女性の生き様を見た、脳みその貧しいおバカ女子さん達が
「アタシも種だけもらって凄い男性の子供を育てたい!社会もそうなっていくわよね!(チラッチラッ)」
どうせ実行する度胸も、凄い男性との縁もない口だけ星人オバタリアン共が群がって忖度待ち仕草する様がキモすぎます。
ほんと勘弁してください。
同レベルの女同士で「わかるー」をやりあって、男性や社会の配慮を口開けて待ってる場合じゃないんですよ。
その中で何をして生きていくんですか?
そのために必要なことは何ですか?
それを他人に過ぎない男性だの、概念でしかない社会だのが、背負ってくれるハズ。何とかしてくれるハズ。などという夢をいい加減捨ててください。
ネットで火柱があがるちょっとHなイラストなんかより、キラキラドラマの方がよほど社会にとって害悪だと思うんですよね。
そういったものは法で裁けないだけにタチが悪いんです。
自分の頭で考えて、自分で判断し、責任を負い、自分の人生を生きる。という
至極当たり前のことすら出来ないアンタ方「女子さん」を量産していますしね。
あのさあ、外交大好きの岸田バカ政府が中国と話つけてなかった不始末を国民の努力でなんとかさせようとしないでもらっていいっすか?
クニが旗振ると途端に嫌気さしてくるんだよなあ
つーかジャップの海産物なんて忌避されて当然だろ。放射性物質含んだ汚染水垂れ流してんだから。食ったらガンになるよね?
ご自慢の東芝製(笑)ALPSで処理したら安全ですとか言いたいんだろうけどさ、ジャップにALPS使いこなせんの?どうせ金がない!コストカット!とか言ってメンテサボるだろ?で、それを隠蔽。フィルター壊れたまんま垂れ流してるそれは汚染水だろ。もう壊れてんじゃないの?
フクシマの海産物食うか食わないかって、ジャップ東電を信用してるからどうかの話なんだけど、それを愛国者笑たちは科学を信用してるかどうかにすり替えてるよね?自分たちの醜悪さに気付こうね?あっ無理か虫ぐらいの知能のネトウヨには
よそはよそ、うちはうちって分けて考える。
日頃「彼女ほしいなぁ~」なんて思っているが、「でも出会いがないし...」とかいろいろ言い訳を考えて生きてる人間の話。
絶対「陰キャ乙ww」とか「チキンだなぁ」とか言われるのはわかってるけど、ここに書こうと思う。
とある日、というかさっき。電車の発車を待っていたときのこと。2人がけのよくあるシートで一人日向ぼっこしてたら、発車間際に「隣いいですか~?」ととある女性が乗ってきた。別に断る理由がないのでうなずく。「これって△△(行き先)に行きますか~?」って言われたもんだから「行きますよ~」と軽く会釈したら「急いでたもので~」って返事をしてくれた。服装は白いレースの...ああいうのなんと言うんだろうか。正直ドキドキしまくって服装なんて見れなかったから忘れた。
まぁそんな感じで(?)相手から話しかけるなんてほとんどなかった人間としてはずっとドキドキしてたわ。
いきなり話しかけるのはなんなんだ??なんか新手の宗教か?噂のP活かなんかか?と自分の中の警戒度はMAX状態。しかも声はウィスパー系で、香水はキッツい感じではなく、紙パックのカフェオレを飲んでたからいろいろ甘すぎて脳内のみでなくあらゆる感覚が麻痺ってたのは間違いない。
脳内では「おい!こんな機会滅多にねぇぞ!うまく話しかけろ!」という感情派の自分と「明らかにヤバそうな匂いがするぞ!変に話しかけんな!」という理性派の自分が戦っていた。
だから、電車の出発後はずっと外の雲を眺めていた。ふと自分の服と顔が写りこんだ。すごく自分の顔が醜悪なものに見えた。こんな人間に話しかけても...って思わなかったのだろうか。自己嫌悪の渦がぐるぐると這いずり回っている。
ふと右を見たらあの人日傘持ってるしなぁ...とおもって陽の光に当たったら申し訳ないと思ってブラインドを下げた。
電車の中ではスマホをいじらずにただずっと前を向いていたので余計焦った。絶対社交的な人だ...って思った。話しかけるチャンスは絶対にあった。けど話しかけられなかった。
自分の脳内は戦い続けた。まぶしいのにブラインド越しの太陽を見続けた。ぜったい挙動不審になってる。外の景色はどうでもよく、自分は高速でなり続ける心音を聞き続けた。自分もあの人も遠いとこから来てるわけだからここで交流しても後が続かない。けど社交的な友達だったらぜったいLINE交換してるやつだ、と考えていた。
落ち着こうとするために途中まで読んでた小説を開いた。運悪く読みはじめてから3ページで物語が終わった。まだあると思ってたら解説と本の紹介ページが長かったからそういう事故が起こった。それに脳内でパニクりながら、本のカバーを新しい本に変える作業をした。その時間だけは隣を気にしないで済んだ。
あと10分、どうしようか。「△△まであと何分ですよ~」くらいは言おうか。いやそんなもん路線検索すれば一瞬ででるだろ。こっちから言う必要がない。まだ前を見続けている。うわー...と思いながら路線検索アプリを開いていた。調べてしまった。うわー...
自分の降りる駅が近づいてきた。キャリーケースで塞がれているので退いてもらうようお願いしんといかん。その後に到着時間でもぼそっと言うか。「ただの通りすがりのものですよ~」感でも出しておくか。
電車を降りるとき、「△△まで1時間ちょっとで着きますよ、旅行楽しんで。」と言った。相手は「ありがとうございます~」と言っていた。
電車から降りた、その後「うわ~ぜったい俺ちょろいやつやんけ」ってすっごく罪悪感が沸いた。男だったらやってたのかな、とか話しかけてたらどうなってたんだろうな、とかいろいろ考えて今に至る。優しくされたら俺も優しくしようとしてしまうの、ほんとしょうもない。
すごく後味が悪い。苦しい。という虚しさを抱えながら今、とある温泉にいくシャトルバスに乗っている。温泉にはいったら少しは忘れるだろうか、そしてやっぱり自分は女性付き合い、無理だ...今思えばぜったいあの人いい人なんだろうな...って頭のなかで反芻し続けている。前に行った合コンと比べれば。
最後に、もし自分の横にそんな人間がいたな、と思われるかたに対してはこんなことを書いてごめんなさい。ほんと自分はしょーもないなって感じます。
もちろんこんな記事を見ることがないように祈る。今や謝る場面がないので贖罪としてこの記事をアップすることにします。すべて自分が悪い。
コメントに対する返答
・「となり座っていいですか、行き先を聞くのは普通のことだ」→おっしゃるとおりです。変に勘違いしてキョドっている自分が悪い。相手はなにも変なことをしていないんです。
・「見ず知らずの他人に話しかける時って、無意識に相手を選んでるんだよね。優しそうかどうかで。...(中略)...温泉楽しんで。」→そう考えれば自分は話しかけやすい人だったのかな、って今気づきました。なんかこのコメントでほっとした気分になりました。ありがとうございます。今温泉からでてきました。想像以上に良い景色であったのも相まって気分が上がってます。
・「この記事を見てたら動機がしてきた。」→ですよね。自分でも読み返したくない文章ですけどコメントいただけるだけでうれしいです。頑張って生きましょう...
そうだ。気にすることじゃない。自分の美意識が許すなら書くし、許さないなら書かない。
お前がそれを読んでどう思うか?
お前以外の奴がそれを読んでどう思うか?
お前は、差別者のことを書いてる作品を、お前の美意識に従って醜悪だと考えた。
それはお前の「美意識」であって、倫理とか正義とか正解ではない。
そのことを端的に表すのが、not for meという言葉だ。誤魔化しではない。
そうでないと言うならば、お前は日頃ツイフェミどもがむちゃくちゃな論理でやっているように、漫画作品が社会に影響を与えて差別が減ったり増えたりする、ということを主張し、立証せねばならない。
だがやめておけ。それは不可能だ。そんな事実が単に無いからだ。
あっ、そうそう、美意識の問題なんだから、美にそぐわないと主張することは自由だ。
「こういう差別者にそぐわない表現をされるとエンタメとして冷める」みたいな批判はあり得るし、むしろ積極的にやっていけ。ポリコレ主張みたいな自分が正義で相手が悪みたいな話にしなけりゃそれでいい。
ドルオタの例示も、もし実際にあったら、そういう感じで殴られることになるだろうな。妄想だから何とも言えんが、単に面白く無さそうじゃなないか?
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。
モリカケ問題も徹底追求すべきだと思った。安倍射殺で有耶無耶になっているが、今でもそう思っている。
トリチウムもWHOの飲料水基準を大幅に下回っている。トリチウム以外の放射性核種も、最近の調査で35%が安全基準値を下回っており、それから排出して行く。処理途上の汚染水がおよそ65%あるが、それらはALPSで再処理を続け、安全基準を下回ってから放出すると説明されている。
https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/oceanrelease/
これを「汚染水放出」などと呼び大騒ぎするのはさすがに無明すぎるのではないか?
まして、中国の日本人学校に投石、投卵などの嫌がらせがあったことについて「日本が汚染水を放出したのが悪い」みたいな論調を見ると、全く支持できない。
北朝鮮のミサイル発射実験を理由に朝鮮学校に嫌がらせをする奴はクズだが、ミサイルよりも無害なアルプス処理水放出を理由に日本人学校に嫌がらせする奴もまたクズなのは間違いない。
同様に、北朝鮮のミサイル発射実験を理由に朝鮮学校に嫌がらせをする奴はクズだが、日本人全体がクズなのではないし、ミサイルよりも無害なアルプス処理水放出を理由に日本人学校に嫌がらせする奴や、海産物禁輸をする中国政府もまたクズだが、中国人全体がクズなのではない。にも関わらず中国人観光客や在日華人にヘイトを募らせる右の馬鹿どももまた醜悪だ。
利他的で自責的な人間など存在しないという事をざっくり語ろうと思う。
人間の精神のあり方は、コストのやりくりが如何にやりやすいかで優劣が定まる。
となる。
利己的というのは自己完結した行動でコスト回復がどれくらいできるかという事であり、利他的とは他人に依存して何かをすることでコスト回復できるという事である。
利他的は度が過ぎれば相手に対して求めるコストが高くなり孤立する。要はめんどくさい人である。
利己的も過ぎれば同様である。よく自分勝手と言われるものである。
自責的というのはトラブルが起きた時、それを自身の課題と受け取れるという事であるが、これには高いコストを要する。
他責的と言うのは自責の逆であり、低コストだが度が過ぎると精神的成長が見込めなくなるなどデメリットが大きい。
例えば、利他的10割、自責的10割というビルドを組んだとすると、コストの回復のしようがない。
相手に与えた恩というものが与えた分だけ帰ってくるという事は無い。あまり知られていないが、人間には他人の苦労を正確に認識できないという特性がある。
そのため相手から見た自分の恩も、自分から見た相手の恩も過小評価されるのだ。
そうして恩を与え合った時、自分視点で見た時の帰ってくる恩というのは主観で10%程度の物であり、これで消費コスト分を回収するのは不可能である。
この場合に起きる不具合として、「自分ばっかり頑張っている」と考えてしまうバグがある。事実はそうではない。そうではないが確実にこれは態度に出て、日常生活に支障をきたす。
一方で利己的で他責的というと、これはもうよく見るものなので詳細まで語らないが醜悪なものである。彼女達はコストはあり余っているが、どこか余裕の無いようにも見える。
これは、コストが減る事に対する耐性が無いゆえに、可処分コストが少ないからである。
どちらに偏っていてもやる事は似たような物になる。
大事なのは両者のバランスである。が、自分を変えよう!といった事はほぼ不可能であると言ってもいい。自責と他責のバランスはまだ変化させることができるとして、利己的と利他的の変化については至難の業であると思う。
最初から利己的である人間は簡単で、自責に変えても他責に変えても良い。1~2か月ほどかかるかもしれないが、何かトラブルが起きた時に「自分がなんとかできたかもしれない」とか、「これは相手が悪いな」とか考える癖を付ければ良いだけである。
それで自責と他責のバランスは変化させることができる。変化にどれくらいの時間を要するかは周囲の環境とそれに対する自分の立ち振る舞いに依存する。
利己的と利他的のバランスを変化させる事はとても難しい。これは、それまでの人生を反映するからである。
人生の中で自分を殺す事があったり、道徳を信じる事があったりするとより利他に寄る。
逆に自身の望みを叶えようとしたり、面白い事をやっていると利己に寄る。
利他的というのは異常な状態と言っていい。普通の人は道徳に従う事があっても信じる事はない。道徳を信じたくなる時というのは、理不尽から逃れようとしている時に限る。
利己的な目的の為に相手に優しくするというのが普通の事であり、優しくした結果、相手から良いフィードバックを得た。というのは一見道徳的な話に見えるが良いフィードバックを得られる相手を選んだからである。
道徳に殉じた利他的な人間が利己的に戻るというのは難しい。どうすれば戻れるかは今後の課題とする。
のビルドが最も理想的であると思う。利己的に回復しながら、自責にコストを費やし、たまに他人のせいにして生きる。それくらいが良い
本当に駄文かつ長文なのだけれど、どうにか意見を聞かせてほしい。
これまで彼女らしい彼女が居たことがない。中高と男子校であり、親しい友人といえば男ばかり。大学でも男としかつるんでいなかった。
おかげで今の今まで「女性の友人」というものが皆無であり、職場で女性と話していてもなんとなく目を合わせて話せない。
というか、社会人になってからというもの、他人の顔色を伺う癖がつきすぎて誰と話してもそんなに親密になれないのだ。
そんな自分だが、先日職場の懇親会で隣席が女性になった。彼女は20代半ばでかなり活発明朗な女性である。
積極的に話しかける彼女になんとなく話を合わせていると、懇親会終わりにそのまま飲みに行くことになった。
正確には複数人で行く予定だったのだが、その複数人が皆々「家族が」「やっぱり」「面倒」などなどの理由で抜けてしまい、結局二人きりになってしまった。
これは申し訳ないなと思い、「どうしましょうか?」と聞けば、「え、行かないんですか?」と返される始末。
結局二人で終電の迫る夜中まで飲んだが、当たり障りのない会話をしたのみで、最終的にLINEを交換したのみの一夜であった。
きっと彼女もあまり楽しくなかったであろうと思ったのだが、それ以降ちょくちょくLINEが来る。
内容は「今日はどこどこを回る予定です」だとか、「今日は~部に寄ったのに居ませんでしたね!」といったものだ。
なんとなくで返事をしていると、先日「〇〇に行きたいんですが、一緒に行きませんか」と来た。
正直に言うと、こうした経験のない男性。もとい自分という生き物は女性に遊びに誘われたというだけで舞い上がってしまう性分であり、結局誘われるがままに遊び散らかしてしまった。
それはそれで楽しかったのだが、ここで大きな問題が立ちはだかる。
彼女の事は明るく、一緒にいて楽しい女性だと思う。が、同時に自分が彼女に一緒にいて楽しい経験をさせてあげられたという気がどうにも微塵もしないのだ。
というか、遊びに誘われたくらいで舞い上がって「え?これ脈あり?」とか考えている時点で自分はおかしいのだろうか。
というか、活発明朗な彼女からしてこれは普通の男友達の一人なのであって、恋愛対象とかそういう話ではないのではないだろうか。
もしかして、自分はとんでもなく気持ちの悪い勘違いをしてしまっているのではなかろうか。
この認識は絶対に間違えてはならない。というか、仮に間違えたら私は恐らく後悔と気恥ずかしさの無間地獄に落ちるに違いないのである。
飲み会で同僚に質問されていた彼女曰く、「恋愛とかしたことないんですよね。」とのことだ。
ここ数日、彼女からのLINEが来るたびにドキッとしてしまう自分のなんと年甲斐のないことか。これが30代前半とは泣きたくなる。
1年ほど前、施工管理の仕事をしていた頃、なぜ仕事が上手く行かないか悩んだことがある。
今になって、原因がはっきりした。
俺の性格のせいだ。
能力自体は高いと自負している。言われたことはすぐに覚えるし、家に帰って復習だってした。自主的に図面も描いた。
研修の際、会社の都合で日程が大幅に遅れてしまい、課題を解決するのに皆相当な残業をする必要があった。
その際、俺は課題解決にかかる時間をなるべく短縮するようなマクロを組んだ。
数値さえ記入すればあとはマクロがやってくれる。
それが良い事だと思っていた。
上司にそれを指摘された際には、どうせ短い期間で理解できるわけがないのだから、と自己を正当化した。
今ではそれが醜悪だと分かっている。
当時は自覚が無かった。
結果的には同僚の学習機会を失って、自分だけ学習したのだから差し引きでマイナスだったと、今では思う。
あとは自分語りになる。
謝ると、皆それを許してくれて、応援までしてくれた。
俺はそれが怖かった。
俺は、謝られると、それを相手の支配権を握るチャンスだと考えて、そのチャンスを破棄する。
自分が謝った時、相手はどう思うだろう、と考える時、やはり相手は自分の支配権を握るチャンスだととらえているのだろうと考えてしまう。
事実そうでないことは分かっている。
謝った時、相手が自分の支配権を握ろうとして、優しくしてくれているのではないかと、そう思ってしまう。
終わっている。
蟲すら羨ましい、蟲は何も考えないからだ。
俺ももう、何も考えたくない。
1年ほど前、施工管理の仕事をしていた頃、なぜ仕事が上手く行かないか悩んだことがある。
今になって、原因がはっきりした。
俺の性格のせいだ。
能力自体は高いと自負している。言われたことはすぐに覚えるし、家に帰って復習だってした。自主的に図面も描いた。
研修の際、会社の都合で日程が大幅に遅れてしまい、課題を解決するのに皆相当な残業をする必要があった。
その際、俺は課題解決にかかる時間をなるべく短縮するようなマクロを組んだ。
数値さえ記入すればあとはマクロがやってくれる。
それが良い事だと思っていた。
上司にそれを指摘された際には、どうせ短い期間で理解できるわけがないのだから、と自己を正当化した。
今ではそれが醜悪だと分かっている。
当時は自覚が無かった。
結果的には同僚の学習機会を失って、自分だけ学習したのだから差し引きでマイナスだったと、今では思う。
あとは自分語りになる。
謝ると、皆それを許してくれて、応援までしてくれた。
俺はそれが怖かった。
俺は、謝られると、それを相手の支配権を握るチャンスだと考えて、そのチャンスを破棄する。
自分が謝った時、相手はどう思うだろう、と考える時、やはり相手は自分の支配権を握るチャンスだととらえているのだろうと考えてしまう。
事実そうでないことは分かっている。
謝った時、相手が自分の支配権を握ろうとして、優しくしてくれているのではないかと、そう思ってしまう。
終わっている。
蟲すら羨ましい、蟲は何も考えないからだ。
俺ももう、何も考えたくない。
この増田というかこれについた反応やブコメを見て思ったんだけど、適当な定義で強い言葉を振り回してる人間多すぎ
「人間扱いしていない」 だぞ?
人間扱いしていないっていうのは、ためらいや罪悪感を持たずに人をぶっ殺すとか、人身売買とか、完全な無視(存在の否定)とかそういうのだろ
人間扱いとは
だの
だの
若い女性に初対面で「おっぱいおっきいね。何カップ?」とか「彼氏いるの?」とか聞いちゃうキモいおっさんだって相手をセックスの対象としてみてるんだからこの上なく人間扱いしてるだろ。
逆に、電信柱とかカクレクマノミに対してナンパしたりセックスしたがるやついるか?
なんで性欲向けたら人間扱いしてないことになるんだ?
初対面のおばあちゃんと話すとき、そのおばあちゃんがどこからどうみても一般庶民おばあちゃんだったときと英国の女王だったときで対応変えないやついるか?
変えないやついたらそっちの方がやばいだろ。
相手の属性で振る舞い変えるなんて日常のあらゆる場面で誰でもやってるし、それは「人間扱いしてない」ことにはならない。当たり前の話。
美人(イケメン)と不細工で態度変えないやつはいても、そいつが常に相手の属性で態度を変えないわけじゃないってこと。
いや大抵の場合、相手の人格を無視してようが軽視してようが否定してようが、人間としては扱ってるだろ
人格を無視してたとしても、相手を目覚まし時計やオムライスのように扱ってるわけじゃないんだから
相手の人格の存在そのものを認めていなければ、人間扱いしてないと言えるかもね
ここまで読んで「ごちゃごちゃ屁理屈こねんな。そういうことじゃないんだよ」って思ったやつ。
もう一回よく考えてみて
なんでこんな攻撃力高い言葉を自分の都合で勝手にハイコンテクストな定義をつけて、あまつさえそれを他者に向かって投げつけてんの?
そっちの方がよっぽど醜悪だろ。
「性欲を向けない」でも「属性で態度変えない」でも「人格を尊重」でもいいけどその定義はどこでコンセンサス取ったの?
いいか?
「若い女性というだけで性欲の対象として見る」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「性別や年齢や国籍、美醜など、相手の属性で態度を変える」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手の人格を尊重しない」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手を人間扱いしてない」 って言葉の意味は 「相手を人間扱いしてない」 ってことなんだよ
わかった?
有害な男性性に背を向ける、というのはそういうことじゃない。全然違う。
自分を「男性」とカテゴライズして、自分の思う「男性性」から得られる特権を当たり前のものとして享受することを止めようということだ。さらに言えば、目の前の人を「男性」や「女性」とカテゴライズするという発想から、まず自由になろうということだよ。
だから、
「暴力でいろいろ解決する発想から放たれる」はまあ、いい。有害な男性性の典型だからな。ただし、専守防衛を旨とし自衛のための最低限の戦力を保持することは、国際法の観点からこれを違法とまではされないらしいから(※)、自衛のための最低限の戦力は保持して、殴りかかってきた相手を怯ませるくらいの力の行使は許されるとして、あとは逃げるための脚力くらいは鍛えておけ。暴力的なこの社会で暴力から身を守るには、いろいろと努力が必要だ。
「性的に消費」は、内容によるけど、表現の自由の範囲内のことなら自分が疚しくない範囲で好きにしたらいい。ただその場合も、対象が「女性だから」興奮する、とか考えてはいけない。興奮する対象であるかないかだけが重要で、対象が男性か女性かなど些末なことにこだわっていはいけない。それはフェミニズムではない。Ok?(※※)
「女性にモテたいという願い」は、いけない。とりわけ「女性に」というところがよくない。冷静に考えてほしいが、あなたは生物学的・社会的に女性であればどんな人にでもモテたいのか。生まれつきそう願っていたのか。あなただって、小学生のころは「●●ちゃんに好かれたい」とか、あるいは中学校くらいでは「アイドルの〇〇ちゃんサイコー」とか、そういう対象を個人に絞った願望をもっていたのではないか。それが「相手を人として扱う」ことの第一歩だったのだ。その基本を踏み外してはいけない。いつからか、現実の対象に絶望したあなたは「女性」という仮想のカテゴリー全般に仮託して自分の願望を語るようになってしまった。それはよろしくない。従って、「女性」というカテゴライズを行った上で、これに「モテよう」という目標は、差別的で醜悪なものとなってしまう。だが、目の前にいる「誰か」に好かれたいと願って努力することは、極めて真っ当であり、なんならその姿は美しい。たとえば尊敬する先輩の期待に応えようとしている後輩、偉人の言葉に突き動かされて地球の裏側までボランティアのために邁進する人、そんな人の姿は誰もが応援したくなるはずだ。
「女性を女性として扱う以前に、人間扱い」という心構えも、よくない。「女性を」と始まっている時点でもういけない。あなたが心がけるべきなのは、相手を「男性/女性」とカテゴライズしてしまうその発想自体だし、何なら自分自身のことも「男性/女性」とカテゴライズするのをやめたらいい。それは、「中性的に振舞え」ということではなく、あなたの自認が何であろうが、それを、あなたが何かをし何かを考え装い行動する際の足かせにしない、と考えるということだ。あなたの行動が、結果として、この社会で一般的とされる男性的な行動であるとしても女性的とされる行動であるとしても、そんなことはどうでもいいことだ。そして。あなたが自由であるように、他の人も自由である、そう考えるということだ。
「目の前のあなたは女性であるが、私はあなたを女性ではなくて人間と考えますよ」とか、そういうややこしい操作を頭の中でするのは止めてくれ。そんなことを考えているうちはあなたは全く自由ではない。それよりも、ただ「目の前のあなた」それ自体を、一人の人として見つめよう。その結果、その「目の前のあなた」がたとえば最高だと思ったら、ただ「あなた最高ですね」と言えばいい。「ねーちゃん、おっぱい大きいな」とか「エロい」とか「美人だね」とか「好きです」とか、そういうジェンダーロール的に学習したようなセリフを吐くのは一端止めよう。「男」として振舞うのは、止めよう。そういうことだ。
どうだろう。少しは理解いただけただろうか。
(1) このエントリはマジか、ネタか。あなたはどちらだと感じたか。
※念のために言っておくが、この一文はジョークだ。「個人の生き方には国際法の常識は適用されないのでは…」みたいなクソレスがつく前に言っておくけど、そんなことは100%分かった上でジョークを言ってるんだからな?
酒々井町で生まれ育った私がストックホルム貴族達の有色人種虐殺計画について知るきっかけは、一橋大学商学部在学中にストックホルムのビジネススクールに留学した時であった。
ストックホルムの貴族達は表向きは慇懃無礼なふるまいをしていた。しかし、その裏で彼らは有色人種を根絶し、白人至上主義を推進する陰謀を企てていたのである。
彼らの影響力は広範で、その計画を阻止しようとする者は圧力や嫌がらせに晒されることも少なくなかった。
私がストックホルムのビジネススクールで知り合った人々も、貴族たちの影響下にある者たちであった。彼らの言葉や態度には、明らかな悪意や傲慢さが感じられた。
その後、神戸大学医学部医学科と医学研究科にて研究を行うもストックホルムの不興を買うことを恐れた学会によって追放された。
私が医局を追放される前(思えばあの頃から教授たちは私の査問の準備をしていたのであろう。いつも私に良くしてくれた講師がやけによそよそ態度を取った時期である)、彼女と電話した。彼女から泣きながら言われた言葉は「あなたは頭がおかしくなってる」であった。その一言で彼女は電話を切った。
彼女を喪い、数年後私はサナトリウムに閉じ込められ、外界との交流を奪われた。
しかし、知ってしまった限り動かねばならない。ストックホルム貴族達をはじめとした白人至上主義者どもの醜悪な計画を挫かねばならない。
世界がまだ小さく黄色い肌の人間しか観たことがない子どもが黒人を見て驚き口にするのは当然のことです。
増田は母親から教えられた「そんな事いったらダメ」になんら疑問を抱いていないわけだ。
なぜ母親はそのように教えたのか自分自身で咀嚼し思考はしなかったわけだ。
子供を産んだ今も「「そんな事いったらダメ」を正しい処世術と認識してるわけだ
そこははっきりと認識してね
肌が黒いことを醜悪と認定し当人も劣等感を抱いているという前提
そして毛色の違う人間は自分の生活圏から廃除すべき、しても良い
子供にも関わらせないようにしたいと考えてるわけ
そうでなければまずは母親の前時代的な教えに憤りの表明があって然るべき
ホロコーストのような政策に反対表明さえすれば差別主義者ではないと
「他人の身体的特徴をパブリックな場で言及すると面倒事に巻き込まれる
平等正義が社会通念の世相なので関わらないのが一番、それが賢い生き方」
とでも教えてやればいいんじゃないですか?
お子さんは立派ないじめっ子に育ち明るく楽しい学校生活も送れるでしょう。