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2.クルーズ船での発生状況について
・2月3日に横浜港に到着したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」については、延べ3,894名について、新型コロナウイルスに関する検査を実施したところ、陽性が確認されたのは691名(うち無症状病原体保有者延べ380名)。
(※)なお、本件については、WHOの各国の発生状況の報告において、日本国内の発生件数とは別個(その他)の件数として取り扱われています。
Japan 268
[WHO] Situation report - 43 Coronavirus disease 2019 (COVID-19)
03 March 2020
Of those, 706 cases are linked to the Diamond Princess cruise ship, according to the health ministry. Another 284 were infected on land. Twelve patients have died.
(706例はダイヤモンドプリンセスクルーズ船に関連している。さらに284人が陸上で感染した。12人の患者が死亡した。)
厚生労働省の対策班のメンバーの1人、北海道大学の西浦博教授は、北海道全域で先月25日の時点で感染した人は、およそ940人に上る可能性があるとする見方を示しました。
[NHK]北海道全域で940人がすでに感染の可能性 専門家が試算
https://www.google.co.jp/amp/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200302/amp/k10012310251000.html
[CNN] It's likely there are more coronavirus cases in the United States than the numbers show
(米国では、数字よりも多くのコロナウイルス症例がある可能性が高い)https://edition.cnn.com/2020/02/28/health/coronavirus-uncounted-cases-community-spread/index.html
[CNN] Worried about coronavirus? Hear out this doctor's message
(コロナウイルスが心配ですか?この医師のメッセージを聞いてください)
内陸部の都市に住んでいる。山は遠くにしか見えない。近くを流れる川は直線距離にして200メートルくらいか。しかし海からは相当に遠い。活断層からは外れているし、ダムははるか上流だし、超巨大地震がきても津波に襲われることは無い場所だ。
大雨による川の氾濫、堤防の決壊、可能性を挙げるならこれくらい。ただこれとてこの60年起こっていないし、上流の治水も排水ポンプの整備もできている。
それでも我が家はハザードマップで0.5~3メートル浸水の領域にあるのだ。
数年前、特別警戒警報が俺の街に発令された。50年に1度とかいうやつだ。近隣の町に次々避難指示が出て、はたして俺の町にも避難指示が出た。近くの小学校がその場所だという。
でも俺たちは避難しなかった。だって上の階に行けば事足りるわけだから。近所の住民も動きはない。巡回車は避難を呼び掛ける。仕事だからな。市職員の彼らもそこまでの危機感は無かったろう。
結果として上流で一部の堤防が切れたのと、治水の行き届かない支流部は水に浸かった。といっても怪我人が出るとかいうわけではない。
ダム職員の奮闘があったとはいえ、50年に1度レベルでこれである。この先同じかそれ以上のものに3、4回遭ったとしても、せいぜい床下浸水程度だろう。
配布されたハザードマップで俺たちの危機意識は確かに高まった。色の濃いところは本当にヤバそうだとは思う。しかし俺の家には何事も起こらないし大丈夫だと俺はタカをくくっている。
怖いのは火事だけだ。
武漢が悲惨な状況になったのは、元々、武漢の人が大気汚染で呼吸器を痛めていたのが原因では。
実際、武漢以外の都市であんなふうになってるところないじゃん。
未だ検査リソース足りてないだけの数字を真に受けて現実を見て見ぬ振りしてる奴がいるのか
今だからこそ人工呼吸器とかで重症患者の面倒も見てるけど、韓国やイランの感染ペース+重症化率からするとどう考えても一瞬でそんなリソース埋まるだろ
医療崩壊した状態では重症化≒死と考えると1000万人が感染したら100万人が死ぬかも200万人が死ぬかもわからん
病死だけじゃないぞ、最悪の事態になった際は貿易や物流、経済活動そのものにどれだけのインパクトがあるのかわからん、自殺者や餓死者の数だって今後どうなるものか
街中に死体がごろごろ、病院は死体の山、火葬場フル稼働でも死体の焼却が追いつかない、若者も容赦なく死にまくってて、病院に行けないせいで一家全員
『フェイクニュースだ!』って言いたいところだけど、信じたい情報を探せば探すほど生々しく悲惨な現実味ばかりが帯びてくる
インフルエンザで家族全員が死ぬことがあるか?火葬が追いつかなくなることがあるか?
これはインフルじゃないんだよ、インフルとは比較にならないほど危険なウイルスなんだよ、いい加減現実見ろよ
たった数週間か数ヶ月の間に日本もこんな、いやそれ以上の地獄に変わっていくんだぞ
そして中国と決定的かつ絶望的に違うのは、経済活動ストップしてまで都市封鎖+移動規制+経済支援や配給で数ヶ月耐え忍ぶ、
なんて強硬策を行う能力も体力も体制も今の日本、安倍政権には一切期待できないこと
これから日本だけで何百万人、下手すると千万単位の日本人が犠牲になるかわからない
そこにはテレビでよく見る芸能人もいるかもしれないし、自分や自分の大切な家族すらいるかもしれない
そんな状況で俺には何を楽観してるのかがわからない。。。
感染しても軽症で風邪くらいの症状で収まってしまって気づいていない人がいて、それが市中感染を広げているっていうけど
じゃあ、それってもう風邪じゃん。
新型インフルエンザのときには、もう怖がらなくていいみたいな感じになって、職場の人も罹患したけど、いつものインフルみたいな感じになったじゃん
もう普通の生活に戻って、重傷者だけCOVID-19の検査して、普通病棟で入院すりゃいいんじゃないの?
なんでこんな対応ずっとしているの?
専門家は一体何を恐れているの?
教えてよ
致命率がって言っても検査で発覚した人を分母にしてるんでしょ?
無自覚なキャリアを含めたら季節性インフルエンザくらいなんじゃないの?
楽観的にみたらインフルエンザより少なくて、楽観的に見なくてもインフルエンザ程度でしょ
ちなみにバンバンうつる感染症の麻疹だと12だいうから桁違いだね
未知という点ではインフルエンザより警戒や対策をしなきゃいけないのはわかるけど
都市を閉鎖したり、学校を閉鎖したり、経済活動を止めるほうが副作用大きいんじゃないか?
たまに回転寿司に行く。
回転寿司は、一種エンターテイメント要素があって面白い。「寿司屋」とはまた違った外食ジャンルだと感じる。
以前は近所に「くら寿司」があって時々行ったが、潰れてしまった。今は、少し遠くの「スシロー」に行く。「スシロー」はネタが美味しくてなかなか良い。
回転寿司は、家族連れに人気がある。他の業態に比べ、店内の他家族の様子がわりと目に入ってくる。待合席もそうだし、食べる席も回転レーンで仕切られているが、割合、隣の席とかが目に入りやすい構造なのだろうか。それほど、人間観察に注力していないのだが、いろんな家族の様相を目にするものだ。
「くら寿司」は、行ったことがある人はわかるだろうが、皿がカプセル状のカバーに覆われていて、「カパっ」と外して取る仕組みになっている。
以前、隣の席のお父さんが、どうにも「カパっ」と外すのができないらしく、何回も2連になっているカプセルごと、自分のテーブルの上に撃沈し、「うぉー!」とか叫んでいた。お母さんと子どもは、あきれている感じで「あーぁ」と傍観ムードである。取れないのなら、家族に頼んで取ってもらえばいいのに、そのお父さんは、毎回、奇声をあげて、カプセルごと撃沈、撃沈を繰り返していたが、きっと家庭内でも同じような光景がいろいろあるのだろうな、と思われた。きっと、お父さんは意固地になって繰り返し、物品をぶっ壊すタイプではないかな。
「くら寿司」はテーブル毎にお皿の「吸い込み口」があるが、「スシロー」は食べ終わった皿をテーブルに積み上げておく方式だ。その皿の置き方にも家族毎のスタイルがうかがえる。
4人家族でBMI数値がどの人もかなり高めのヘビー級家族が着席して、オーダーもするし、回転レーンからもばしばし取って、序盤からトップスピードで食べまくっていた。あっという間に会計をしていたが、テーブルの上は、案の定、食べ散らかされていて、まるで空爆を受けた都市の残骸の様相である。
BMI数値高め家族にとっては、回転寿司は、「格闘のステージ」でもあろう。お店にとっては短時間で皿の枚数も多いので、「いいお客」と言えよう。
反対側のテーブルには、また違った雰囲気の家族4人連れが着席。お父さんは、経理課の係長といった雰囲気で、お子さん二人は小学生だが二人ともメガネをかけていて、宿題とかちゃんとやりそうな感じの子だった。
わけあいあいと食事をされていたが、食べ終わった皿をきれいに揃えて積み上げていた。全てが同じ黄色い皿(スシローでは100円皿)。家族内で統制がとれていて、「食する寿司は100円皿のみとすること」というルールがきっちり守られている感じである。最終的に、黄色い皿が同じ高さにきれいに揃えてあったので店員さんも数えやすそうだった(多分10枚づつ揃えていたのではないか)。
こうして見ると、家族の雰囲気、個性はそれぞれに異なって興味深いものだ。自分たちではあまり意識しないのだろうが、外から客観的に見ると、やはり各家庭の持ち味がそれぞれ表層に出現している。
ひるがえって、自分たちは他人から見るとどのように映るんだろうとも考える。自分では平凡で標準的、とくに存在感を感じさせず、印象が薄いのではないかとは思うが、他人から客観的に見ると、何か特徴的な様相があるのだろうか。
妹家族の1歳の誕生日会をやるから行かなきゃいけないという70代の両親。
妹の旦那の両親が関西から来るから…滅多に来れないから…ってコロナウイルスに感染したくないし、不安だけど仕方なく行くと。
妹家族に、こんな状態だから延期したら?と言ってもコロナウイルスの未知なことが多いことを理解してもらえず…結局、中止しなかった。
イロイロなイベントが中止したり、休園したりしている中で妹家族の1歳の誕生日会は不要不急なのか?
確かに1歳の誕生日は1度しかないけど、どうしても両家の両親と祝わなきゃならないものか?
ウチは家族だけでやったよ。
アンタだけの親、アンタの子だけのジジババじゃないんだよ!
こうやって、危機に瀕してみると、
過去に持ち上がられた主要都市の首長で、評論家みたいなことをしている人々よりは、
現役で、地方の首長をされている方で、SNSで優秀そうな発言していると、やっぱ、
扇動家って、良くねーなーと。
過去の政治家でも、こういう有事?で、活躍できた人よりは、むしろ無力さというか、なんというか、選挙運動や議論は上手かったのかも知れないが。
鶏は江戸時代から食用となり品種改良や料理本が出るようになった
戦国時代にはキリスト教徒のポルトガル人が西日本へ来航し、カステラやボーロ、鶏卵素麺など鶏卵を用いた南蛮菓子をもたらした[42]。江戸時代初期の寛永4年(1627年)にオランダ商館一行が江戸へ参府した際には道中でニワトリと鶏卵が用意されたという[43]。
江戸時代には無精卵が孵化しない事が知られるようになり、鶏卵を食しても殺生にはあたらないとして、ようやく食用とされるようになり、採卵用としてニワトリが飼われるようになった。寛永3年(1626年)に後水尾天皇が二条城へ行幸した際には鶏卵を用いた「卵ふわふわ」が出され[44]、寛永20年(1643年)の料理書『料理物語』では鶏卵を用いた各種の料理や菓子が記されている[45]。また、江戸初期には海外交易が盛んとなっており、朱印船によって軍鶏、チャボ、烏骨鶏が日本へと移入された[41]。
江戸時代中期以降、都市生活者となった武士が狩猟をする事が少なくなり、野鳥があまり食べられなくなり、代わって鶏肉が食べられるようになった。文化年間以降京都や大阪、江戸において食されるようになったとの記述が「守貞漫稿」にある[46]。料理書において鶏肉・鶏卵が登場し、1785年には「万宝料理秘密箱」という鶏卵の料理書も出版されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%AF%E3%83%88%E3%83%AA
実のところ、武漢からの流入タイミングとして中国と日本ってほぼ同じタイミングで新型コロナは流行しているはずなんだわ。
あっちは結構日経の半導体工場とかもあって人の行き来は多いんだわ。
前年の12月に発生したコロナウイルスの時はどこの国もつーつーでしかも共産党は案の定隠していたからな。
コロナウイルスが発覚した時にはとっくに手遅れなんだ。
ってことはこのグローバルな状態では中国でも日本もアメリカも飛行機やら船やらを介して簡単に入ってきていたってこと。
■新型コロナウイルスのパンデミックが決定的となった今すべきこと
人類の3割程度が感染したと言われるスペイン風邪ほどの流行にはならないと思いますが、それに近い流行になると思います。
現時点での報道では8000人程度と言われていますが、実際は数十万人は感染していると思われます。
中国政府が隠蔽しているというのではなく、潜伏期間も長く、感染力も強く、これだけ被害が拡大してしまっては正確な数値を測ることは難しいのです。
当然全員が重症になるわけではなく、ただの風邪程度の症状でおさまる人がほとんどで、無症状の人もけっこういるでしょう。
誰に選ばれた代表でもないですけど社会を構成する一個人として、コロナ騒動に関する所感を表明します。
なぜなら、今、生活・人生・命が脅かされているからです。私たち一人ひとりに関わることであり、右とか左とか、性別は関係ありません。
情けないことに私には医療の知識がないので科学的なことについては語れませんが、理不尽に対しては人一倍敏感なので、思うところを述べます。
①予防する上で、対応が後手後手であった事
大きく括るとこの3つです。
皆なんだかんだ勉強したり働かないと生活が前に進まないから、怖いなと思いつつマスクをして学校行ったり会社行ったりまだしてますけど、それどころじゃなくなることもあり得る。
そこまで事態がまだ悪化してないだけなのでは? あるいはもうそうなりつつあるのに見えていないだけの可能性もある。
もしそこまで大げさな話じゃないって言うのであれば、根拠をきちんと納得できるように説明してほしいんですよ。
都市を完全に封鎖するって、オオゴトだと思うんですよ、内戦下のサラエボレベル。
中国のデトロイトって言われるような工業都市、経済的に大事なエリアを何が何でも封鎖するって事は、あの中国共産党がそれだけ危機感を持たざるを得ない状況になったってことですよね。
それを受けてその時点で中国からの渡航者を入国拒否した国は結構あった。そこで日本政府は二の足を踏んで、断固たる措置を取らなかった。チャンスはあったはず。
確かに中国は日本との経済的結びつきが強い、メーカーも物流も観光も中国抜きでは考えられない部分がございます。それでも考えを変えないと。
歯止めをかけないで、水際対策も何もないですよね。
検査をすべき人にしないまま帰らせる、隔離を一定期間しないまま放出
飛行機の帰国者にしても客船の下船者にしても、お願いベースでご協力を依頼する形、
他の国では国の権限で人権をある程度制限した上でとっている処置がまるで日本では見受けられない。
中途半端に人権を尊重しているふりをして結局公共の福祉を損ねている。
一定期間隔離して安全性を確かめる必要があるのは素人にだってわかる。現に他の国の政府は強行している。
そこで個々人に断られたら機能しないようなら、対策として成り立たない。
ちゃんと頭で考えればわかることが判断できない組織が多すぎる。ルールに自縄自縛になっていませんか。
結局自分の頭で考えて責任を持って決断を下す事から逃げてるんですよ。これは政府だけの問題じゃないと思います。
私が仕事で関わった官公庁の対応を通して得た感想を述べますが、政府の方針に沿ったルールを増やしていくだけで、防疫について何ら根本的な対策を立てない。
そのお触書を下に丸投げして責任を押し付けている。結局どの組織も責任を取りたくないだけで、自らの職務領域で行使できる本質的な対策を考えない。
頭に血が上りすぎて、政治に対する怒りと行政に対する不満がごっちゃになってしまいました。すみません。
本当に現場で命を賭して頑張ってくださっている人には頭が下がるし、みんなそれぞれの立場で板挟みになってるとは思うんですけど。でも現場の頑張りとはまた違う話。
政治に求められている役割っていうのは、法律とか経済とか学術だけでは前に持っていけないことを利害調整して問題解決していくことにあるはずです。
でもそれができてないから、極端に言うと不信感しか残らない、頼れない。
何のために国民が税金を納めて政治を託しているかというと、我々1人1人では対処できないようなことを運営してほしいから。
大いなる力には大いなる責任が伴う。政府には個人ではなしえない権限と責任があるはずで、それが及び腰になっているのは無責任なのでは?
国家は国民の健康で文化的な最低限の生活を守る義務があるはずですよね。それが今脅かされている。最優先で解決すべき問題のはず。
ここまで危機管理・対応ができていない時点で、日本社会にとって国難、未曾有の事態ちゃうんかと。地震とか台風とかそういったものに匹敵する事態。
政府が旗を振って最優先で解決しないといけないし、一方で社会の知見、国際社会と協力して解決に当たるべきだと思うんですよね。
今回のウィルスは人類共通の敵ですから国際的に協力して対応してるわけですが、悪意を持った主体に対してこんな体たらくで対応できるんでしょうか。
このままオリンピックを迎えられるような状態に持ってていけるんですか。
抱え込んで結局出来ませんでしたとなる前に、助けとか協力を求めたほうがいいんじゃないですか。
もっと民間とか学術とかそれぞれの知見や経験を持っているような人々に協力とか仰いで、なりふり構わず問題解決に動かないといけないんじゃないですか。
それぞれ縦割りの組織の論理でなんとかしようとして結局うまくいってないんじゃないですか。
そりゃ利害調整は大変だと思いますけど、何をしないといけないのか客観的に見極められる人材はいるんですか?
もっと方針を明確に打ち出して、指摘をどんどん吸収してブラッシュアップしていかないとまずいんじゃないですか。
果たして適切にマネジメントできてるか素人目でも不安になる。問題を抱え込んで爆死してない?っていう。
国民に対してホウレンソウもできてないしPDCAも回せてるように思えないし、
超絶優秀な人々であることは承知していますが、それでも頼りないです。
しっかりしてほしい。ついていけるだけの方針と根拠を説明してほしい。説明責任を果たしてほしい。
対応が場当たり的で、根拠が不透明、適切な処置がなされているとは思えないようなグダグダした説明。
原発の時も似たような違和感を抱いたのですが、パニックを起こしたくない心理からなのか
国民の危機感を中和させるのに躍起になっているように映る。正常性バイアスを助長したいだけのような印象を受けます。
侮っているのか、内心焦ってるのを隠してるのか、それとも半ば諦めてるのか、政府の発表に危機感を感じない。本質をぼかしたまま声明を出す癖がある。
ミスをミスとして認めず、追求を交わすことに全力を尽くしている。リーダーシップというものをどう捉えているのか?
エラーが起こるのは不可避、想定が甘かったこともあると思う。何かが起きてしまった後にどう動くかで真価が問われます。
失敗を認めてもう一回想定を修正して後動きますって伝えてくれれば、こっちはそれに同意するかどうか別として、状況を把握できるんですよ。
そうしてくれれば国民が疑心暗鬼に襲われず各自で対応をとりやすくなるのに、メッセージを発信しないから皆不安なまま。
ミスや失敗を認めることは、自分の生涯を懸けて守ろうとした国の社会や人々がボロボロになることよりも恐ろしいことなんでしょうか。
であるとすれば、個々人というよりも組織風土や文化に問題があるのかもしれませんね。ちゃんとコミュニケーションとろうとしてますか。
昨年の台風のときは、政治家の対応こそお粗末でしたが、気象庁からの情報提供や指示はタイムリーかつ的確だと感じていました。
なので、命の危機こそ感じても、個人的に不信感は少なかった。皆さんは今回、どうお考えですか。
私は日本死ねとは思わないです。私は生きたい。大切な人たちにも生きてほしい。
これまで希望とか特に持って生きてたわけではなかったけれど、もう一度日々を安心して過ごしたいし、将来を設計できる世の中に戻って欲しい。
今回は、政府に望むことを書き連ねました。次は、社会として我々が何ができるのか考えたいので、皆さんご意見ください。
“そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この 憲法はかかる原理に基くものである。”<<
“【生存権、国の生存権保障義務】 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び 増進に努めなければならない。”<<
“政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。
われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。”
北海道在住。
近くに深夜1時までやっている銭湯がある。
秋のもうだいぶ寒くなった頃、12時過ぎに自転車で銭湯に向かっていた。
車社会の都市の郊外にある銭湯だ。通りは広く、人の往来はほぼない。
歩道の向こうに昔ながらの「黒いゴミ袋」がドンと置かれていた。
街路灯は少ない。
初めはなんでこんなものが置いてあるのか疑問だった。
すでに有料ゴミ袋となって久しい。
自転車で、それなりの速度で通り過ぎるとき、それがあぐらをかいて座り込んでいた小柄な人間が着ているウィンドブレーカーだと気が付いた。
男は微動だにせず、歩道の真ん中で、ゴミ袋みたいな背中でうずくまっていた。
当然帰り道も同じ道を通る。約1時間後。午前1時過ぎ。
黒いウインドブレーカの男は、さっきと全く変わらない位置で黒いゴミ袋のようにみえた。
通報したほうがいいという意見もあるだろう。こういうネットではなおさらそうしたくなるだろう。
だが俺はしなかった。
だか俺はしなかった。面倒だからだ。
男は完全にやばい状態だ。寒い外で1時間全く姿勢が変わっていない。
私はそのまま帰って、日常を過ごした。
薄情さはちょっとした積み重なりだ。
いくらでもネットから批判したまえ。あそこにいたの私だけなのだ。
そしてもし貴方があそこに携帯持たず明日朝一で大事な仕事を抱えていたりそうじゃなかったりして、「黒いゴミ袋」を自転車のスピードで過(よ)ぎるとき、何をどうするか、考えてみてほしい。