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はてなキーワード: 違和感とは

2024-06-08

anond:20240608111050

女性は「男性向け」の世界も割と知ってるけど、(特に女性と関わり合いがない)男性は知らないか

たまたま見た「女性向け」の世界違和感を持つらしい

日本で』『女に』というクソデカ主語を用いているから、それに当てはまらない女性から違和感を持たれて当然なのに。

小さい子を狙う痴漢大勢いると言っても、全員が全員被害に遭うって訳ではないじゃなし。

この人の経験あくまで、この人が特に美人で狙われやすいゆえの経験であって、世間一般女性が必ず同じ目に遭ってる訳じゃない。

特にナンパを断る時に気を遣わねばならないってのは謎。

まあ私はそもそもナンパに遭った事がないけれど。

ナンパ?っつーかキャッチに遭った事ならあるが、怖いので走って逃げたし愛想を良くするという発想がなかったよ

何つーか、女なら全員体験してて当たり前みたいな言い方をしたら

そりゃ反発を食らって当然なのに、それをセカンドレイピスト呼ばわりするのはどうなのよ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/bambi_yoshikawa/n/n7035883b5e2e

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


立憲民主党

立憲民主党

選挙応援看板を無断で100枚以上設置したろw」

守谷市

「こんな看板許可してないぞ。撤去するように連絡取るわ」

立憲

「(バレたか)4日には撤去します…」

立憲

「4日やけど撤去はまだええかw」

守谷市

「…もうこっちで撤去しよう」

立憲の梶岡議員

6月6日に開催した政党演説会について、告知看板の一部が電柱等に設置されていた事について、設置を行なったボランティアスタッフ認識が誤っており、支部長として深くお詫び申し上げます

守谷市から要請に応じ、該当箇所の撤去を進めておりましたが、市による一方的強制撤去により、立憲民主党要請に応じなかったかのように報道されている事は極めて残念であり違和感を覚えずにはいられません。

反省すべき点は改め、引き続き政権交代必要性を訴えてまいります

マウント

俺今までずっと親に呼び捨てで、それが普通だと思ってたけど無意識上下関係植え付けられてたんだな。

家族が全員あだ名で呼び合ってて違和感感じてたけど謎の違和感がやっと合致した

2024-06-07

27歳の、まだ十分に生殖能力のある女性が、手術無しで性別変更を認められてしまった。

コメント欄でもあるけれ 、どこの人精神的にも十分女性だと思うんだけどなー。本当に心が男だったなら、女子高で女子と一緒に着替える事に罪悪感なんて感じないと思う。寧ろ喜んで一緒に着替えたがるでしょ。(その反対で、女子トイレに入りたがる『トランス女性』はまさに心も男。)

単に世間的な女らしさに抵抗のあるレズビアンしか見えない

この人は今後子供を産みそうだし、そして多分逆のパターン男性器付きの戸籍女性も続々誕生するんだろうね

何という事だよ

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6503525

心と体の性が一致しない「性同一性障害」。

従来は戸籍上の性別を変更するには、事実上生殖能力をなくす手術が求められていたが、最高裁判所は2023年、これを違憲とする判断を示した。

これを踏まえ岩手県内でも性別変更を申し立て自分らしく生きる道を切り拓いた人がいる。

一関市会社員大滝洸さん(27)は、5月、生殖能力をなくす手術なしで女性から男性戸籍上の性別を変更することが盛岡家庭裁判所に認められた。

大滝さんは「積み上げが認められたのがうれしかった。16歳で(ジェンダー)クリニックに通おうと思った自分にとても感謝」と話す。

大滝さんは、1997年に埼玉県さいたま市双子姉妹の姉として生まれた。

中学生のころから女性である自分性別と心とのギャップに気付きはじめ、地元女子高へ進学するころにはより違和感を覚えるようになったという。

大滝洸さん

「みんな女子がいて、その空気感自分おかしいみたいな。服をみんなで着替えるのに罪悪感を感じてトイレで着替えるとか、そういう感じになっていった」

大滝さんは家族内緒で専門の医療機関に通い、18歳で「性同一性障害」と診断された。

しかし、大滝さんは生殖能力をなくす手術をすることは考えていなかった。

大滝洸さん

戸籍女性であることは変わらない。これを事実として受け止めてどこまでやるか…」

大滝さんは大学卒業不動産建設会社就職し、2023年10月から一関市支店営業担当として働いている。

その転勤後間もなく大滝さんに一つの転機が訪れた。

最高裁判所性別の変更をめぐり生殖能力をなくす手術が求められることは違憲だとする判断を示したのだ。

大滝さんはその時の気持ちを「すごいと思った。司法に何も期待してなかった。奇跡だと思った」と話す。

この最高裁判断を受けて大滝さんはすぐに盛岡家庭裁判所性別変更を申し立てた。

社会生活で不便だと感じたことのリストなど必要書類をたった一人で準備した。

大滝洸さん

「手術するという要件がなくなり、初めて自分事として考えた。権利を得ることから始めないとちゃん人生を送れないんじゃないかと思った」

そして、大滝さんの誕生日でもある5月22日、ついに戸籍上の性別男性に変更することが認められた。

大滝洸さん

「(自分に)正しかったよって言えるかな。将来は明るいでしょう。最初から人生を悲観する必要はない」

裁判情報を発信した大滝さんのSNSは同じ悩みを持つ人などの共感を呼び、130人ほどだったフォロワーは1000人を超えた。

裁判所の判断から3日後、大滝さんは盛岡市で行われた性的マイノリティーの人などによる催し「いわてレインボーマーチ」に参加した。

スピーチパレードを通じて胸を張って堂々と生きる大切さを訴えた。

大滝洸さん

「そんな道もあるよと選択肢を示したかった。大学卒業までに手術して身を隠すというモデルもある。(手術を)後でするのであっても、自分人生選択で急いでほしくない」

かつての自分のように不安に思う若い世代自分の姿を見せたいという大滝さん。

悩める人に希望の光を示しながら、自分らしく歩んでいる。

手術なしで戸籍上の性別変更が認められた事例は岩手県内では初めてとみられる。

大滝さんは5日、戸籍抄本の表記が「長女」から長男」に変更されたことをSNS公表していて、岩手めんこいテレビ取材に「これを見るためにやってきた」と喜びを語った。

姑が、ナチュラル思考が異常に寄りすぎている。

姑が、ナチュラル思考に異常に偏っている。

以前は多少の違和感程度だったのが、今年に入ってから極端にエスカレートしている。

我が家は、安くておいしいものを重視し

スーパーの特売の野菜が大好きだし、インスタントラーメンアイスも食べる。

しかし、姑は自然食品にこだわり、ちょっと高めの八百屋

無添加を重視した高級スーパーのもの推してくる。

コンビニ弁当を食べると嫌な顔をされ、

ラーメンスープを飲むと「塩分が多すぎる」と言われる。

流行グルテンフリーにもはまっていて、

外食に誘われてもラーメン屋やイタリアンリクエストしづらい。

「よつばの~、よつばの~」と言ってくるが高すぎてそもそも買おうと思わない

お舅さんは好物の麻婆豆腐を食べるたびに「そんな辛いもの味覚障害だ」と

まるで人格否定のような批判を受けている。

とにかく、自然派無添加思考信者にはうんざり。。。

独身女性なのに写真を飾らないのは変」というやりとりはあったのか

相棒女性一人暮らし宅に「写真立てが無い……妙ですね」て言ってて、しゃ、写真、立て…………???となった女性一人暮らし


約500万のインプレッションを稼いでいるこのツイートだが

実際にこのようなくだりは存在しなかったのではないか?という疑惑がある

あれだけ再放送の多いドラマで熱心なファンも多い作品であるにも関わらず、「どの回だっけ?」 「そんなのあった?」 「ググったけど分からない」というばかりで具体的にどの回だったか誰も分からないのだ


X以外の場所で有志に質問してみたところ、それはおそらくseason2(2003年放送)の「ベラドンナの赤い罠」 ではないか、という指摘があった

https://thetv.jp/program/0000001095/1/

これは常軌を逸したヤンデレファザコン女性犯人の回で、

家の中に女性とその父親写真がたくさん飾ってあるのに母親写真が一枚もないことを右京さんが奇妙に思い、それが事件解決ひとつきっかけになる、というくだりがある

それをながら見して聞き間違えた上に「寂しい女の一人暮らしなら写真を飾って少しでも華やいだ部屋にするものだ、そうしないこの女性はどこかおかしい」というニュアンス脳内補整してしまったのではないだろうか

そう勘違いしたとしても2003年放送のものであれば画質的にかなり昔の回であることは明らかで「昔のドラマってこんな酷い台詞があったんだね」と受け止めるのではなく「ちょっと待って!今こんなこと言われたんですけど!ショック!!」と言う風なリアクションを取るのは色々違和感があるが

聞き間違いやうろ覚えのまま批判的なツイートを垂れ流す人ならそのくらいのことをしてもそれこそ妙ではないのだろうと思う


ツイートを見た人の中には、

写真カメラで撮ってプリントするのが一般的だった時代の初期回の再放送ではないか

「以前は置いてあった写真立てがなくなっている、といった何かしらの前提があるのではないか」と推測している人もいたが

中には2024年の今、相棒の最新シリーズ放送されていると勘違いした上で右京さん(とテレビ朝日ドラマ班のスタッフ)があまりにも古い価値観女性への偏見を垂れ流していると思い込んでカッとなり批判している人も多数見受けられる

また、「私は自分家族写真は飾っていないけど推し写真は飾っている」とグッズ自慢をする者、

コナンくんや金田一もよく変な認定するよね」と探偵あるあるを語る者もいるが

もうひとつ意見、それは元ツイートは『相棒』ではなく『臨場』の一場面ではないかというもの

2010年5月26日放送された回で、刑事たちが亡くなった女性の部屋を捜査するとあまりに殺風景で中でも写真類が一枚もなく違和感を覚えるシーンがあるそうだ

原作小説が描かれたのは2002年でそれを踏まえるとそこまでおかしなやりとりではない


ここまで伸びているツイートだが投稿者特に訂正や補足をするつもりはないようだし、「ベラドンナの回ではないですか?実際のやりとりはこうですよ」だとか「相棒ではなくて臨場だと思いますよ」といったツイートはおそらく全く伸びず

「右京さんが酷い発言をしていた」ということだけうっすらと皆の記憶に残り、何かの折に「でも確か相棒って独身女性への偏見助長するドラマなんでしょ?w」と嘲笑されるのだろう


半年ROMれ」と共に「ソースを出せ」という言葉も失われつつあることを感じることが多い

「確かめる」という行為コスパが悪く、「調べる」というのは必死になっていて馬鹿馬鹿しいと冷笑される行いで、

信頼に値するものは「広まっているかどうか」で、広まっているんだから真実なんでしょう、と受け止められてしま

ガレだって普段あんなに嫌われているのにふとした拍子に信じ込まれしま


嘆かわしい!……といいつつ、「写真立てのくだりって再放送の度に突っ込まれてるよね~」というようなツイートも見かけたので本当に存在している回なのかもしれない

我こそは相棒マニアだ!という方、該当回があれば教えてください

鳥山明の口ってあるよな

なんかこうドーナツを4等分したみたいな形の口の中が全部白いやつ。

そういえばあんな口の形になるやつおらんよなって思いながらみると違和感仕事し始めるからオススメ

2024-06-06

anond:20240606141849

本当は増田も年下からタメ口で話されるのを納得できてない(あるいは違和感がある)状態で、無意識のうちに増田も年上にタメ口で話したら嫌われると思ってるのでは?(邪推)

てにをはが正確じゃないだけで馬鹿に見える

高校文芸部で、大学理系だけど研究室論文の誤字脱字に厳しいところだったので、まともな教育を受けた人間校正に厳しいのが当たり前だと思ってる。

ツイッターなどは書いたら訂正できないシステムなので、ギリギリまで一文字文字を見直すけど、それでもミスったら仕方ないと諦めていた。

だけど、増田みたいに何度でも訂正できるところで、「てにをはレベルの、少し読みなおせば違和感を持つようなところをいくつも間違えたまま放置している奴は、それだけでバカに見えるし、いい加減でやる気がないのが伝わってくるからそもそも読もうとも思わない。

たまに仕事でもそのレベル文書を恥ずかしげもなく出してくる奴がいると、ヤバいのに当たったなという気持ちで混乱する。

 

日本の(特に理系の)教育はまったく文章を書かせないので、官公庁クラス書類でもこんなのありかと思うような酷いもの存在する。

自分たまたま論文力を鍛えてくれる研究室で「どこまで細かくなるべきか」を身体で覚えさせて貰ったけど、日本技術者計算図面完璧でも、ドキュメント日本語になると「てにをは」はおろか酷い誤変換タイポ放置しまくるような人もいて、こんなことやってると信用を失くすぞと心配になってくる。

 

文章の粗さは知識の抜けや態度の不安定さと同じくらい他人の信用を損なう問題だということを、少なくとも自分ちゃんとした教育を受けたと証明したいならもうちょっと意識した方が良いよという話。

 

(※ちなみにこの文章だと、読みなおして「馬鹿」と「バカ」表記の揺らぎが気になるくらいの躾け方をされた。今回はあえて気づいた上で放置しておくけど。)

2024-06-05

お金持ちと結婚したいわけじゃない

お金持ちと結婚したいわけじゃない、生活できるだけで充分(自分専業主婦前提)って言ってる人の謙虚さアピって違和感ない?

anond:20240605091903

田舎で育った若者が集まってくる東京少子化対策というのが違和感あるんだよなあ。

東京から人口流出が無ければ少子化対策なんかしても東京さらゴミゴミするだけじゃないか

たまに詐欺メールフォントで見破る話見るけど、最近フォント(Webフォント?)で漢字部首の書き方おかしいの見かけない?

しんにょうとかさんずい、ごんべん、『貨』のヒの部分が突き抜けてたりとか、『直』の目とLがくっついてたりとか

気にしないようにすると逆に詐欺メール違和感放置しそうになるんだけど、あのあたおかフォント何なんですかね。拒否する方法ある?

発達障害増田

英語を使ったことを揶揄したのではなく、

英語を直訳の日本語にしてそのまま使ってたので、

違和感すごくて笑っただけです

日本人技術者はそういう言い回しをしないのでバレます

同じように機械翻訳も、英語学習した人からすると言い回しおかしいのでバレます

まりニワカの半可通であることが全方位にばれているのです

anond:20240605043006

口がうまいってのは、単語だけ拾って会話してちゃ成立しなくて

相手の心情まで読み取って誘導してるって意味で書いたんだが

おまえの解像度の低さからすると単語だけ拾えればうまく立ち回れると思っちゃうんだろうな

二次元人を見たかのような違和感がすごいわ

単語だけ拾ってる奴があんな風に人を転がせるわけないだろ

馬鹿に思われるからその思考を押しつけてくるな

anond:20240605032322

異常者があたおかとか言ってもなーーーーw

他人に「本を読め」とか言うんだったら、お前はまず人間語をマスターしなよ

どころどころAIみたいな違和感があって気持ち悪くてしかたないんだよなw

anond:20240605014634

あれがAIって言われても違和感いからやめてくれ怖いなあ

2024-06-04

どうせAIの絵もイラストレーターのものになるのに…

素人は狙いの絵を出すためにいわゆる"ガチャ"を引くことになるし、そもそも狙いの絵がなんなのかすらわかっていない場合が多いんだよ

イラストレーターだと持ってる技術知識で狙いを定められて違和感なく修正もいける

あとはまあAIでポン出しした程度だったら見分けがつくようになるってのもあるだろうて、AIポン出しを気づかないのは過渡期だからでしょ

ポン出しじゃない奴?それはそれですっごーいそれAIで出したんですか?が褒め言葉になるよ

娘は今6歳

娘は今6歳で、小学一年生

可愛い盛りで、目に入れても痛くないとはこのことなのだと日々実感している。

仕事帰りには「おと~ちゃん」と俺のもとに引っ付いてきて、なかなか離れない。

わず俺も微笑んでしまう日々。でもこの先少しずつ離れていくと思うと切なくて…

そこで今しかできないことを体験しようと思い、それは俺への呼び方について。

娘は俺のことを基本的には「おとーちゃん」と呼び、俺は違う呼ばれ方もされてみたかった。

娘にこの話をするとゲーム感覚で「いいよ!」と言ってくれたので、毎日俺への呼び方を変えることになった。

翌朝、「パパ!」と呼ばれると俺は一瞬ビクッとしたがすぐに例の取り決めを思い出すと納得し、少しこそばゆい感じもしたが悪くない。

翌日は「おとーさん」だったら「おとん」だったり「パピー」だったりした。

その都度新鮮な気持ちになり、そしてどの呼び方でも愛情が込められていて、思わずニコニコしてしまった。

だがある日夢を見た。

夢の中で娘は俺のことを「パパ」と呼び、娘はいつも通りで、俺は家の中に居た。

しかし家の中は現実間取りとほんの少し異なり、それはトイレ位置だったり、キッチンのコンロの位置であったりした。

それ以外は現実とほぼ同じで(それでも飼っていない犬が居た。ゴールデンレトリバー名前は「シロ」だった)、妙に現実感のある夢だった。

というか非常に現実感が強い夢だった。夢から覚めても夢の内容をしっかり覚えており、覚めた時には夢と現実境界線曖昧に感じるような。

寝ぼけ眼でリビングへ降りて行くと娘が居り「おとーちゃん、おはよ」と言った。俺は違和感を覚えたが、娘は俺のことを「パパ」と呼ぶんじゃなかったか

ん?ああそうかと例の取り決め、それが一周したことを思い出すと娘の「おとーちゃん」呼びに対する違和感はなくなった。

…ように思うんだが、それが未だに少し違和感があるんだ。

俺は確かに「おとーちゃん」と呼ばれてるはずで、あのとき俺のことを「パパ」と呼んだ娘は夢の中の娘で、あくま現実の話じゃない。

それでもあのときの娘の方が本物のように感じられてしまう。

…以前どこかでこれに似たような話を聞いたことがあるような気がする。

から同じような経験したことがある人が居たら教えてほしい。

anond:20240604133711

もともと業スーとこのスーパーしか使ってないカードなのと、本文に書いたとおり違和感いくつもあったので

昨日、警察署に行って相談して警察官引き連れて現場まで行って店長と話して件の会計機も調べて

確定はしてないけど物証らしきものもそこにあったので書いた次第です

スーパーセミセルフレジスキミング被害

スーパーセミセルフレジスキミング被害にあったので備忘録代わりに投稿しま

まず事実列挙

・まぁまぁ規模の大きいローカルチェーンのスーパー(100店舗以上展開)

会計だけ自分でやるタイプセミセルフレジ

使用したのは楽天カード3Dセキュアや第二パスワードは設定済み)

不正使用されるも承認がおりなくて金銭被害はなし

  

スキミング現場

いつものようにクレジットカード会計機に差し込んでIC認証で支払おうとしたら即座に読み取りエラー

過去にもたまーに読み取りエラーが出たことはあったが差し直せば大丈夫だった

今回は3回差し直したがダメで、ここでまず違和感ポイント

  

・読み取りエラーが出るのが微妙に速い
エラーの後カードを抜くと「カード差し込んでください」の液晶表示に戻るはずが戻らなくてエラー表示のまま

  

仕方がないので会計機右側面にある磁気ストライプ読み取りスリットに通すと無事精算できたんだが

ここでまた違和感ポイント

  

カードをシュッと通した次の瞬間にレシートが出てきた。明らかにクレカ会社通信してるとは思えない

  

おそらくだIC読み取りで決済は出来てるがレシートを出さずエラー画面を表示するようにプログラムも改造されてる

そして磁気ストライプスキミングしたらレシートが出てくる

作り込みが甘いが違和感に気づいても後の祭り

  

スキミングされてからカード再発行までの時系列

5/27 スキミングされる

5/28 モノタロウ使用され不承認

5/29-30 米国Amazonで何度も使用されるがこちらも不承認

5/30 深夜に楽天から重要楽天カードから緊急のご連絡 というタイトルメールが届く

5/31 メール記載楽天カード信用管理部に電話して「これこれの買い物したか?」の確認

 対応事務的だが丁寧で親切だった。確認カード再発行手続きの案内。

 再発行はチャットサポートから質疑応答形式で数回クリックするだけで完了

6/1 カード番号変更と新カード発行完了メールが届く(カード到着まで1週間かかるらしい)

岸田さんの発言違和感

政治詳しくないけど、最近岸田さんがよく言ってる「信頼を取り戻せるよう努力する」という言い方の違和感の正体が分かった。

これ「誰のために?」と聞かれたら「自分たち」なんだよな。自分たちのことしか考えてないんだから目線が合わない。

ワシとしては「国民のために」「何をする」のか聞きたい。

小学館側の報告書なんかおかしくないか

セクシー田中さんの両社の報告書を流し読みしたが、日テレ側に書いてあった故・芦原先生に関する行動や心境の記述が、小学館側では何故か触れられていない。

具体的には以下。

7 話のプロットラリー中の同月 16 日に、本件原作者から A 氏に対し、ベリーダンスのショー観覧の誘いがあり、本件原作者、C 氏、A 氏、F 氏が同席した。本件原作者と A 氏はここで初めて会ったものである

日テレ報告書22Pより。C氏は小学館側、A,F氏は日テレ側)

本件原作者は本件脚本家の 1 回目の投稿があった直後の 2023 年 12 月 25 日に関係者食事をした。食事の際、本件原作者は以下の内容を関係者に話した。

・ A 氏は最初から本件ドラマについて改変ありきで進めていたのではないか疑問に思う。

・ 1 話から 8 話までは自分が大変な思いをして修正したものであるのに本件脚本家の手柄にされており、自分脚本として作った 9,10 話が駄作と言われているのが許せない。

(中略)

関係者は、本件原作者他とグループ LINE をしていたが、本件原作者投稿後、本件原作者から「こんな騒ぎにしてしまって申し訳ありません」というメッセージが来た。

関係者が「謝ることはないですよ、言いたいことがやっと言えてよかったですね」というメッセ―ジを送ったところ、本件原作者は「ありがとうございます。」とメッセージを残した。

その後、本件原作者グループ LINEメッセージを全て消した

日テレ報告書43~44P)

これらは先生心理を紐解くヒントになる重要出来事であるにもかかわらず、日テレ側では調査できているのに小学館側が載せていないこと自体が、何らかの意図があると感じる。

先生から制作サイドへのベリーダンスへのお誘いは、先生からの唯一の歩み寄りだったはず。同行した小学館関係者は、この時の先生心理説明できるはずでは?

また小学館側は1~8話の制作過程は詳細に記載しているが、9話、10話に関しては、先生執筆することに決定後、それに関する記述ほとんど無くなる(クレジット問題を除き)

原作者が書いたからそこには何も問題が生じていなかったというスタンスだろうか。上記関係者の内容やブログを見る限り、執筆した為に生じた苦悩があったことは明白であると思う。


全体的に、小学館側は芦原先生代理人代弁者という立場仕事をしていた自覚がないようにみえ文書になっている。

芦原先生強硬姿勢になる原因を作ったのは日テレ側の制作プロセス問題だが、原作者日テレ側が直接やり取りしない体制合意した以上、それを制御できる立場にあったのはパイプ役の日テレ側の窓口・編集者だけだった。

にもかかわらず、強硬姿勢になるまでの間に小学館側が何らかの具体的なアクションを取ったり、先生の苦悩を慮る配慮をしていた様子が見られない。または報告書の中からカットされている。

日テレ側が負担問題押し付けてた結果生じた事件であるということを強調したいが為か、恣意的な、ドキュメンタリー感ある報告書になっているように感じる。



あとついでに。

(2) クレジットについて

本件ドラマの第 9 話、第 10 話の脚本を書いたのは芦原氏であり、その著作者は芦原氏であるから、芦原氏が単独クレジット表記を求めることはおかしなことではない。

小学館報告書68P)

この主張はヤバくないか

関わっていないと断定して外部の人間クレジットは外せという要求は、明らかに著作権範囲を超えた越権的行為だ。

スペシャルサンクスに書かれてる人間全員何もしてないだろ!消せ!とか言ってる人間いたら、どの立場でも顰蹙買うだろう。

(補足:前提として、制作サイドが提案したクレジット案を原作サイドが全て拒絶して9話に脚本家はどの役職でもクレジットされなかった。10話はオールクレジットという手段で認可された。小学館側はこれを妥当とする主張)


 ・クレジットとは本来敬意を示す箇所であり、直接携わっていなくても表記するケースは慣例として幾らでもある

 ・脚本家は9話は第5稿、10話は第4稿まで提出していて、その中のアイディアが決定稿に使われていると主張している

 ・日テレ側は脚本家が9話と10話に関わったことを認めていて、脚本家名前クレジットするつもりだった

 ・氏名公表権の観点から、(利害を人質に)他者クレジットを消させる行為は、違法である可能性がある


これらのことを考慮せずに、制作側ではなく、取引先でしかない小学館が、一方的判断してクレジットに口を挟むことを是とすることが強い違和感がある。

小学館クリエイターファースト精神であるのであれば、クリエイター尊厳を軽視するようなことを主張すべきではないだろう。

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