はてなキーワード: 王将戦とは
いわゆる地球規模コピペ、または地球代表コピペは以下である。初出は2008年7月。
初出: 第49期王位戦 Part20, https://game14.5ch.net/test/read.cgi/bgame/1216889897/839-
2ch名人(将棋系2chまとめサイト)旧版のまとめ: 地球規模で考えるんだ, http://blog.livedoor.jp/i2chmeijin/archives/1671778.html
つまり羽生がお得意先の王位戦で年下の深浦にタイトルを奪われた挙げ句翌年挑戦者として臨んだリベンジマッチでもボコられたので、2chでアンチ羽生が勢いづき、それに対抗する羽生ヲタが吐いた意味不明な妄言が地球規模コピペである。
羽生善治は1980年代半ばから2010年台半ばまで文字通りの第一人者として君臨したのだが、それでもタイトルの保有率は約5割、タイトル戦登場時の獲得or防衛率は約7割である。羽生が予選やタイトル戦で負けるたびに羽生衰えた論が賑わうは、かつての2ch将棋板の日常風景であった。
なぜか深浦が地球代表となり(それはいい)将棋星人羽生に立ち向かうストーリーになった(どうしてそうなった)。
残留争いにあった深浦は勝てば自身初の名人挑戦となる久保王将(当時)を後手番で倒し、見事A級残留を決めた。
同時に、久保が負けたことでA級順位戦は史上最大の6者による名人挑戦者決定プレーオフに発展したので、この立役者となった深浦が「もう地球代表でいいんじゃないかな」という風潮が生まれた。
プロ棋士をテーマに据えたラノベ。犬も歩けば天才に当たるプロや奨励会員の中にあって、なお人外に強い棋士が「将棋星人」と呼ばれている。
「りゅうおうのおしごと」は棋士関連のおもしろエピソードや2chネタがふんだんに盛り込まれているので、将棋星人も地球規模コピペが由来であるのは間違いないだろう。一方で、超天才棋士を将棋星人と呼称するのは「りゅうおうのおしごと」による翻案である(と思われるが他の古い例があるかは知らない、調べてない)。
王将戦予選おしかった、最後の最後に頓死とかある意味伝説。加藤一二三も言ってるけど、あれはなんと言うか、栄光の藤井ロードに影を落とすレベルの出来事だわ。
去る12月20日・21日に行われた第31期竜王戦七番勝負第7局は広瀬章人八段の勝利に終わり、
4勝3敗で広瀬八段が羽生善治竜王から「竜王」のタイトルを奪取しました。
これに伴い無冠となった羽生善治氏の肩書きが「九段」となることが連盟から発表されました。
なんで肩書きでこんなに騒ぎになっているのか?と訝っている方や、
そもそも仕組みが分からんという方のために、将棋棋士の段位・肩書きの付け方について解説していこうと思います。
以前も増田で書いたような気がするのですが、将棋棋士の段位は四段からスタートし、複数ある条件のいずれかを満たすと昇段します。
のうちいずれか1つを達成すれば晴れて五段に昇段です。
多くの棋士はこういった昇段規定に従って四段~九段の段位を肩書きとして名乗ります。なお、原則として降段はありません。
先程「多くの棋士」と書きましたが、例外があります。全ての棋士たちの中から勝ち上がり頂点に立ったタイトルホルダーたちです。
将棋界には数ある棋戦(大会)の中でも特に権威ある8つのタイトル戦があり、「8大タイトル」と称されています。
これらのタイトルを勝ち取ったわずかな棋士だけが段位ではなくタイトル戦の称号を名乗ることが許されるのです。かっこいい!
ただし、タイトル戦の称号を肩書きとして名乗っている間(タイトルを保持している間)も昇段規定は適用され続けるため、タイトルホルダーも内部的には段位があります。
従って、今回の羽生九段のようにタイトルを全て失った場合、内部的に保持している段位を名乗ることになるわけですね。
さて、数ある棋戦の中で上記の8大タイトルを制した者だけが特別な称号を名乗るということはお分かりいただけたと思います。
更にその上で8大タイトル間にも序列があり、それによって肩書きが変わることがあります。
8大タイトルの細かい序列はスポンサーとの契約金で決まるとされているため、契約内容によって序列は変動しますが、
基本的に「竜王」と「名人」が特に格上であり、肩書きとしても他タイトルより優先されます。
以下が現時点の8大タイトル(序列順)とその保持者・段位一覧です。
現在の将棋界は8大タイトルを何人もの強豪棋士が分け合う戦国時代とされています。
今期は豊島将之八段が王位と棋聖の二冠を手にし「豊島将之二冠」と称されるようになりました。
このように、複数タイトル保持者の肩書きはタイトル保持数(漢数字)+「冠」とするのが通例です。
しかし、複数タイトル保持者が「竜王」「名人」のいずれかを併せ持つ場合は「竜王」「名人」の肩書が優先されます。
一応は竜王が格上とされているので「竜王・名人」と称されますが、名人戦を主催する新聞社の紙面では「名人・竜王」になるとかならないとか…(大人の事情)
以上が棋士の肩書きの付け方になりますが、ごく一部イレギュラーなパターンがあります。
将棋界の最高峰タイトルである「竜王」と「名人」は、タイトル保持者が失冠してから1年間「前竜王」「前名人」を名乗る資格が発生します。
私もつい最近まで知らなかったんですが、これらは準タイトル保持者として扱われ、通常の段位持ちに比べシード権など待遇も変わるそうです。
↑初タイトルの竜王を失った後に名乗るも、その4ヵ月後に棋王を獲得し、以後27年間タイトル保持を続けたので超レアな肩書き。
永世称号とは、8大タイトルのうち叡王を除く7つのタイトル戦において、連続または通算で規定の回数以上タイトルを獲得した棋士に与えられる特別な称号です。すげー難度高い実績解除みたいなもんですね。羽生九段は現行棋戦の永世称号をただ一人コンプしてます(永世七冠)。
これらの永世称号は原則引退後に名乗ることができますが、連盟に認められれば現役から名乗ることができます。
【ここまでのまとめ】
さて、前置きが長くなりましたが本題です。
今期竜王戦で敗れて無冠となった羽生善治氏の肩書きには以下の選択肢があります。
①「九段」
②「前竜王」
③永世称号の襲位
これが最も自然なもので、実際羽生氏本人もこの現段位を肩書きとして名乗る意向とのこと。
羽生氏が九段に昇段したのは1994年のことなので、九段昇段から実に四半世紀を経て初めて名乗ることになるわけですね。
Twitterとか見てると「『前』などという未練がましい肩書きを望むのはバカな政治屋か経営者だけ!羽生さんともあろう方が選ぶわけがない!」みたいな人がぼちぼちいたので、その手に持ってる板でググればいいのになぁって思いました。
既に述べていますが、羽生九段はかつて初タイトルの竜王を失った後、次のタイトルである棋王を獲得するまでの4ヵ月間ほど「前竜王」を名乗っています。
従ってこのレア肩書きが再度生まれるかどうかは(一部の)将棋ファン的にはそこそこ注目どころだったんですよ!!(そうか?)
そもそも「前竜王」の肩書きはさほどネガティブなものではなく、以前はそれなりに使われていました。初代竜王の島朗九段、現連盟会長の佐藤康光九段も竜王失冠後の1年間「前竜王」を名乗っています。
(まあ敗北が前提の称号なのであんまりカッコがよろしくないというのは分かります)
しかし、近年は資格のある棋士でも「前竜王」を名乗ることはなくなりました。
一説によると、1998年度に竜王と名人を失い「前竜王・前名人」を名乗る資格を得た谷川浩司九段が双方を辞退し、通常の「九段」表記を選択したことが影響を与えているのではないかと言われています。
さすが光速流は度量が違うぜ。
原則引退後に名乗るものなので最も可能性は低かったものの、最も浪漫溢れる選択肢でした。以下、羽生九段の持つ永世称号一覧です。
称号 | 棋戦 | 永世称号獲得条件 | 羽生九段の戦績 |
---|---|---|---|
永世竜王 | 竜王戦 | 5連覇 or 通算7期 | 通算7期(2連覇) |
十九世名人 | 名人戦 | 通算5期 | 通算9期(3連覇2回) |
永世王位 | 王位戦 | 5連覇 or 通算10期 | 通算18期(9連覇) |
名誉王座 | 王座戦 | 5連覇 or 通算10期 | 通算24期(19連覇) |
永世棋王 | 棋王戦 | 5連覇 | 通算13期(12連覇) |
永世王将 | 王将戦 | 通算10期 | 通算12期(6連覇) |
永世棋聖 | 棋聖戦 | 通算5期 | 通算16期(10連覇) |
永世七冠 | ぜんぶ | ぜんぶとる | ぜんぶとった |
さあ好きなのを選べ!!!
(おまけ)
「名誉NHK杯選手権者」←羽生九段しか持ってない激レア称号(NHK杯通算10回優勝)
「国民栄誉賞」←すごい
「将棋星人」←すごい?
羽生善治といえばやはり言わずと知れたレジェンドであり、無冠に後退してもなおこれほどまでに豊富な肩書き候補を持つという点が、人々の厨二心もとい興味関心をかき立てて話題となっているのではないでしょうか。
さて、今日のところは以上です。
最後に、
広瀬章人新竜王、8期ぶりのタイトル獲得おめでとうございます!
インターネットの片隅から両者の今後のご活躍を祈念しております!
あ、はてなの皆さんには良くも悪くも本年はお世話になりました。よいお年をお迎えください。
実を言うと「十段」という肩書きはかつて実在しました。昔、将棋棋士の最高段位は八段だったんです。
そこにタイトル戦として「九段戦」が設立され、その勝者が称号「九段」を名乗ったのですが、その後「段位としての九段」も定められ、両者が並立する時期が続きました。
その後「九段戦」は「十段戦」になり、称号「十段」が生まれ、その「十段戦」が発展解消という形で最高峰棋戦「竜王戦」が生まれたのです。
こういった経緯があるため、羽生九段がすぐに「十段」を名乗れるかというと、連盟内部のみならずかつての「十段戦」主催者(読売新聞社)など関係各所との調整が必要になるので難しいかもしれません。
将来的に新たな段位として定められる可能性は無きにしも非ずといったところか。でも響きがかっこいいね!
これは肩書きの付け方①でも述べましたが、
棋士はタイトルを保持して称号を名乗っていても昇段規定が適用されているので、タイトル保持中も規定を満たせば昇段します。
従って「六段から七段八段をすっ飛ばして九段へ」という認識であれば誤りです。
「七段・八段だった時期はあるが、名乗る機会がなかった」というのがより正確です。
あくまで「既に持っている九段を名乗る」のであって「無冠になったから九段昇段」ではないので。
昇段日 | 段位 | 適用規定 |
---|---|---|
1985年12月18日(15歳) | 四段 | 13勝4敗:史上3人目の「中学生棋士」 |
1988年4月1日(17歳) | 五段 | 順位戦C級1組昇級 |
1989年10月1日(19歳) | 六段 | 竜王挑戦 |
1990年10月1日(20歳) | 七段 | 前年の竜王位獲得による昇段 |
1993年4月1日(22歳) | 八段 | 順位戦A級昇級 |
1994年4月1日(23歳) | 九段 | タイトル3期獲得 |
23歳九段ってのもなかなかとんでもねえですが、実は今の最年少九段昇段記録保持者は渡辺明棋王(当時21歳)です。まあ昇段規定の改定も多少影響してますが。
単純に注目度が高い案件だったので話題作りもあるでしょうけど、
一発どーんと発表しておけば今後の報道における敬称表記も混乱しないのでまあよいのでは。
まあ一般的にはそれでいいんですけど、実際の棋戦運営にあたっては肩書きがそのまま棋士の序列になるのでひとまずは何か決めないといかんのですよ。
例えば今回の三択①「九段」、➁「前竜王」、➂永世称号襲位の場合、
序列は上から➂➁①となります。この序列に従って対局時の上座下座を決めたり、上手下手(うわて・したて)を決めたりするわけですね。
これに加えて、前竜王や永世称号襲位者は一部棋戦でシード権が与えられたりもするので、連盟的には「今更肩書きなんて必要ない」というわけにはいかないんですね。
連盟の内部事情はあまり分かりませんが、インターネット上では見出しでネタバレを避けた説が囁かれていますね…
いやそれにしても「当連盟所属棋士・羽生善治」とか単に「棋士・羽生善治」とかいろいろ書きようあったでしょとは思った。
そういえば以前「団体職員」という肩書きでTVのクイズ番組に出演した十八世名人(当時八段)がいてぇ…一体何内俊之なんだ…
今期の彼の調子を鑑みれば今回の竜王戦、敗れはしたものの好調広瀬八段相手に最終局まで持ち込んだのはある意味驚きだなというのがいちファンとしての個人的な感想です。ただ、全盛期と比べるとさすがに衰えは否めませんが、まだまだ強豪の一角であることは間違いないです。
参考に12/26時点のレーティング上位10名置いておきますね。
最年少は16歳(藤井)
最年長は48歳(羽生)
平均年齢は29.2歳
順位 | 氏名 | 年齢 | レート | 今年度増減 | 前年同月比 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 広瀬章人竜王 | 31 | 1927 | 93 | 153 | 今期絶好調で唯一の1900台と1位をキープ |
2 | 渡辺明棋王 | 34 | 1874 | 104 | 79 | 昨年の不調から完全に復活 |
3 | 豊島将之二冠(王位・棋聖) | 28 | 1872 | -7 | -8 | 二冠を獲得し戦国時代を一歩抜け出すか |
4 | 永瀬拓矢七段 | 26 | 1852 | 1 | 1 | そろそろ初タイトルが欲しいところ |
5 | 藤井聡太七段 | 16 | 1851 | 55 | 115 | きみほんとに高校生?周回プレイしてない? |
6 | 羽生善治九段 | 48 | 1837 | -10 | 14 | 将棋つよつよおじさん@無冠 |
7 | 佐藤天彦名人 | 30 | 1834 | 51 | 24 | 名人3期目だがそろそろ複数タイトルも… |
8 | 千田翔太六段 | 24 | 1825 | 55 | 39 | 今期8割超の高勝率男 |
9 | 斎藤慎太郎王座 | 25 | 1818 | 26 | 12 | 今期は初タイトルを獲得し飛躍の年に |
10 | 稲葉陽八段 | 30 | 1793 | -48 | -20 | 一昨年の名人挑戦者も今期は苦戦 |
2018年 1月 7日 ● 久保利明 豊島将之 ○ 第67期王将戦 2018年 1月27日 ● 豊島将之 久保利明 ○ 第67期王将戦 2018年 2月 3日 ○ 久保利明 豊島将之 ● 第67期王将戦 2018年 2月12日 ○ 渡辺明 永瀬拓矢 ● 第43期棋王戦 2018年 2月19日 ● 豊島将之 久保利明 ○ 第67期王将戦 2018年 2月24日 ○ 永瀬拓矢 渡辺明 ● 第43期棋王戦 2018年 3月 6日 ● 久保利明 豊島将之 ○ 第67期王将戦 2018年 3月11日 ○ 渡辺明 永瀬拓矢 ● 第43期棋王戦 2018年 3月14日 ● 豊島将之 久保利明 ○ 第67期王将戦 2018年 3月20日 ○ 永瀬拓矢 渡辺明 ● 第43期棋王戦 2018年 3月30日 ○ 渡辺明 永瀬拓矢 ● 第43期棋王戦 2018年 4月11日 ○ 羽生善治 佐藤天彦 ● 第76期名人戦 2018年 4月19日 ○ 佐藤天彦 羽生善治 ● 第76期名人戦 2018年 5月 8日 ○ 羽生善治 佐藤天彦 ● 第76期名人戦 2018年 5月19日 ○ 佐藤天彦 羽生善治 ● 第76期名人戦 2018年 5月29日 ● 羽生善治 佐藤天彦 ○ 第76期名人戦 2018年 6月 6日 ○ 豊島将之 羽生善治 ● 第89期棋聖戦 2018年 6月16日 ○ 羽生善治 豊島将之 ● 第89期棋聖戦 2018年 6月19日 ○ 佐藤天彦 羽生善治 ● 第76期名人戦 2018年 6月30日 ○ 豊島将之 羽生善治 ● 第89期棋聖戦 2018年 7月 4日 ○ 菅井竜也 豊島将之 ● 第59期王位戦 2018年 7月10日 ○ 羽生善治 豊島将之 ● 第89期棋聖戦 2018年 7月17日 ● 羽生善治 豊島将之 ○ 第89期棋聖戦 2018年 7月24日 ○ 豊島将之 菅井竜也 ● 第59期王位戦 2018年 8月 1日 ○ 菅井竜也 豊島将之 ● 第59期王位戦 2018年 8月22日 ○ 豊島将之 菅井竜也 ● 第59期王位戦 2018年 8月30日 ○ 菅井竜也 豊島将之 ● 第59期王位戦
自分用のメモであるが、経緯が分かってない人が多すぎるのでここに記しておく。
・三浦に3連敗
・連盟に不正疑惑記事を書かれると大変な事になると話を持ち込む(ただし自分がリーク元である)
・あいつを降ろさなければ竜王戦に出ないで大変な事にしてやると連盟を強要(論理が逆転)
・秘密会議に羽生を呼びつけなんとか言質をとりつけその後の根拠とする
「過去に三浦九段と対戦した5人前後の棋士から、調査依頼があった」→渡辺と久保だけ
「休養を三浦が言い出した」→「竜王戦は開催されなくなった。それを承知してくれるか」と島が発言したため
「離席は2時間40分(青野)」→自分の手番でと喧伝されたが実際には相手の手番も含む、休憩を除いた全対局時間(10時間31分)の中のそれ
→一棋士に過ぎない渡辺にその権限はない。権限がないことをした以上、強い責任が生じる
→証拠もなしに、三浦に棋士として最大の侮辱を与えた。昔であれば切腹ものの屈辱。
これは絶対にやってはならないこと。渡辺に切腹しろとは言わないが、自主的に引退ぐらいはすべき案件
→この事件は渡辺がいなければ発生しなかったことになる。この点で除名相当
7月26日 久保が三浦と対戦、30分の離席(実際は6.3.3分)
8月8日 連盟が長時間の離席を控える旨の通知書を全棋士に送る。
10月3日 A級戦 三浦に敗北。渡辺は「三浦の研究手に嵌められて負けた」と発言、感想戦もそこそこに帰宅
10月4日 テレビ(?)で見ていた黒幕※に「三浦のカンニング疑惑」を教えられる。
10月4日-8日?のどこか 文春記者、情報を掴んだと10/20発売の文春に記述
10月 5日 渡辺提案で竜王戦の金属探知機導入が決定 (サンスポ)
10月 5日 12月14日より、電子機器は対局前にロッカーに預ける、対局中は外出禁止、等の規定を施行の旨公表
10月 7日 三浦とは対戦したくないと、島専務理事にねじこむ (電話連絡)
10月 8日 渡辺は文春記者に、「これが最後の将棋になるかも」メール送付 (週刊文春12/28)
10月10日 秘密会議 千田を連れて、羽生や谷川にカンニング疑惑を説明
10月12日 三浦、挑戦権を剥奪される (判断主体は理事会or常務会)
10月12日 連盟 処分発表 、渡辺ブログで「大変な事態、詳細は各種報道に任せて、ここでは省略。」
10月14日 竜王戦 前夜祭
10月15、16日 竜王戦第一局 、天竜寺にて80年ぶりに開催(青野理事の功績大)
10月20日 週刊文春に、渡辺の独占告白が行われ、三浦の疑惑が大々的に報道される
12月?日 竜王戦防衛直後、第三者委員会報告の前に、渡辺「告発した事は後悔していない。」旨発言(週刊文春12/28)
※10月4日、渡辺にチクった黒幕は、報道関係者(朝日新聞)、棋士(週刊文春)の二説あり
12月10日頃 上州将棋祭り2017(2017年1月3日、4日)ポスターから三浦の写真削除
12月27日 三浦会見:「竜王戦は中止になりました」・上州将棋祭りの三浦降板は連盟の一方的措置(三浦)
12月27日 日本将棋連盟(以下連盟)会見:休業は三浦側から言い出した、強要はしていないと反論するも「中止になりました」云々には言及なし
12月28日 連盟ウェブサイトに上州将棋祭りの三浦降板は連盟の都合によるものと公示
1月3日 上州将棋祭りに三浦が特別出演(あいさつのみ)、記者会見
1月7日 王将戦開幕前日、「対局者※の意向もあって金属探知機の検査は見送られた」(毎日) ※郷田と久保
1月17日 第三者委報告概要ドラフト版が連盟ウェブサイト上に発見され、公開版との異同が指摘される
1月17日 竜王就位式で渡辺明竜王が事件についてコメント、謝罪・陳謝等と報道される
将棋ファンの皆様方にご迷惑をおかけしました。申し訳なく思います」
1月18日 谷川、連盟会長辞任会見(新理事選出まで留任)あわせて
三浦の復帰戦は2月13日竜王戦対羽生戦と公表、ただし三浦側からは諾否についてコメントなし
1月19日 連盟理事会、谷川・島の退任承認と2月6日の臨時総会招集を決定
1月20日 連盟の新動画配信サービス告知される(2月1日A級順位戦―三浦は不戦扱い―からサービス開始)
1月23日 月例報告会、理事総解任請求書提出も臨時総会議題とするかは理事会預かり(スポニチ)
1月25日 理事補選立候補(定数2)締め切り、佐藤康、井上が立候補
1月29日 羽生理恵ツイッターで夫の秘密会議出席経緯やメールの真意を発信
2月2日 谷川入院、病名不明、棋王戦第1局前夜祭(4日)、臨時棋士総会・理事会(6日)は欠席の見通し
「渡辺竜王が島常務を脅して三浦九段を失格にするように動いたというのは報告会で島常務から聞いた話」
https://pbs.twimg.com/media/Cv_VWvvUkAAmTAt?format=jpg&;;name=large
・明らかに事実を歪曲してでも不正に持って行こうとしている意図が当初告発に見られ、それについての三浦九段の反論を封殺していること(検証データの恣意的な選別、一致率の対象手の妥当性など)
・連盟が渡辺主導での処分後、もう調査しないと主張しクロでの幕引きを図ったこと
http://shogiweblog.net/archives/565
・三浦をこき下ろしまくった文春記事を渡辺がブログでわざわざ追認していること
「週刊文春に掲載された記事内容は、個人的にはおおむね間違っていないように思います」
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/1f691f8dcad02d9173e57e1699717db7
【結論】
もし渡辺が不正かどうか調査だけしてほしいと思い告発したのならば、完全に上記内容と矛盾する。
本当にしっかり調査して、将棋界のため出来るなら白であってほしい立場の人間が取る態度とは正反対の行動ばかりである。
全てにおいて、とにかく三浦を黒認定してさっさと幕引きしたいという意図つまり悪意しか感じない。
第9条
会員が次のいずれかに該当するに至ったときは、総会の決議によって当該会員を除名することができる。
(1)本連盟の名誉を毀損し、又は本連盟の目的に反する行為をしたとき
タイトル戦での詰み逃し率
渡辺 0.0%(82戦)
森内 2.9%(105戦)
羽生 2.8%(536戦)
NHK杯での詰み逃し率
渡辺 14.8%(27戦)
森内 12.5%(32戦)
谷川 7.3%(55戦)
中原 6.7%(60戦)
加藤 7.4%(5戦)
大山 13.9%(72戦)
こんにちは。ほんの思いつきで書いた「観る将」入門記事( https://anond.hatelabo.jp/20170623083815 )が怒涛のブクマをいただきましたこと、厚く御礼申し上げます。増田で1000どころか20もついたことないのに!
なるべく平易に、軽く、それでいて軽薄にならないように書いたつもりでしたが、「本当にこれで分かりやすいか?」「飯の話しかウケないんじゃないか?」などの葛藤もあったのでこの反響は素直に嬉しく思います。
Twitterを見ると将棋漫画の作者様や本職の将棋ライター・観戦記者の皆さんに怒涛のごとくシェアされており、極度の緊張で1日8時間しか眠れません。
さて、29連勝ですね。何が何やら分かりませんが、ともかく未知の領域です。
対局の雑感や今後の展望を語るとともに、前回の記事にいただいた質問等、私に分かる範囲でお答えしたいと思います。
仕事の合間に中継をチラチラ見ていました。夕方頃には増田四段が勝ちやすそうな局面に見えたのですが、その後の藤井四段の角と桂を生かした反撃が鮮やかでしたね。
私のへっぽこ棋力では増田優勢に見えても、プロ的にはまだまだ難しかったということなのでしょう。
増田四段も持ち味を見せましたが中終盤にかけて藤井四段の強さが際立ったといった印象です。はてなの皆さんはもちろん増田推しでしたよね?残念でした~。
竜王戦本戦は比較的持ち時間が長い(各5時間)ので、昼夜2回の出前チャンスがあります。
藤井四段→昼:豚キムチうどん 夜:五目炒飯品切れのためわんたんめん変更
増田四段→昼:ミニとんかつ定食 夜:ヒレカツ定食ライト(+肝吸い)
不本意な注文変更を強いられた藤井四段に対し、増田四段が気合のカツ連投で藤井四段の作戦変更を咎めていく展開となりました。
しかし藤井四段が得意の麺類に切り替えて頑強に抵抗したため、最終的には増田四段にミニ+ライトという軽い打撃のツケが回ってきた格好です。
歩は将棋で最も重要な駒だが、歩のみで勝つことはできない。同様に、ジャブだけで飯対決には勝てないのだ。
ちなみに私が確認した中で藤井四段は本対局を含めこれまでに出前を22回、うち15回麺類を含むメニューを注文しています。特に多いのはうどん(6回)や日本そば(6回)などの和麺であり、みそ煮込みうどんなど熱々系の注文も辞さない構えです。
これは「鍋焼きうどんも好きなのですが、熱いので、冷めるまで待っていると15分ぐらいかかる」とうな重に転向した加藤一二三 九段とは対照的ですね。
いつも対局料とか賞金見ると将棋界のお金の回り方がよくわからなくて、スポンサーってどのくらいいてスポンサードすることでどれだけ利益があるのだろう
スポーツにも囲碁・将棋にも言えることですが、競技へのスポンサードは広告だけでなく文化振興という意味合いも少なからずあるので、スポンサードすることでこれくらい利益がありますというような定量化が難しい側面があります。
分かりやすい例としては出版関連事業でしょうか。報道各社は主催する棋戦の観戦記等を出版したり、本紙に棋譜を掲載しています。またマイナビ女子オープンを主催するマイナビも棋書を多く出版しています。
このような事例はスポンサードしたことによって直接的な利益を得ているとも言えるでしょう。
ちなみに日本将棋連盟の「棋戦一覧」( https://www.shogi.or.jp/match/ )から各棋戦の「詳細情報」を見ると主催者(スポンサー)が分かります。
主要タイトル戦は全国紙主催や地方紙の共催が多いですね。他には囲碁・将棋チャンネルやNHKなどの放送局、リコーなど民間企業、加古川市や倉敷市など自治体主催のものもあります。
日本将棋連盟の収益が実際どうなってるのか気になる!という方は財務諸表(https://www.shogi.or.jp/about/information_disclosure.html )などを眺めてみるのも面白いかもしれませんね。
「プロ入り28連勝の棋士を5敗もさせる3段リーグとかいう地獄があるのか」
そうなんですよね。前回もさらっと説明しましたが、三段リーグは年に2回開催され、奨励会三段たちが各18局を戦って上位2名が四段昇段・プロデビューを果たすという地獄のリーグ戦です。
これまでに60回開催されたものの未だに全勝で突破した三段はおらず、現時点では16勝2敗(5名)が最高成績です。
中には11勝7敗で辛くも昇段した者(2名)もいれば、14勝4敗という好成績を挙げながら昇段を逃した者(4名)[注1]もおり、年齢制限と相まってこの辺りも地獄とされる所以でしょう。
三段リーグで5敗してるってことは、やっぱこの連勝中に飛躍的に強くなってるってことだろうか。それともいまの三段に化け物の卵がひしめいているのか。
これはどちらとも言えるかなと思います。前回の記事でも触れましたが、棋士の力のピークは30代半ばまでとされており、例えばそれを過ぎた棋士が絶賛修行中の三段とまみえれば敗れることもあるでしょう。
新人王戦では都成竜馬三段(現四段。イケメン)が奨励会員でありながら優勝を勝ち取った例もあります。インターネット対局や棋譜データベースの発達で研究の障壁が下がった点も無視できません。
このあたりは現役棋士・大平武洋六段のブログ( http://oohira243.blogspot.jp/2017/06/blog-post_36.html )が現場の肌感覚として参考になる気がします。
ただ、その一方で藤井四段が急速に成長しているのもまた事実だと思います。ここで彼の奨励会時代の成績を見てみましょう。奨励会ウォッチャー情報の継ぎ接ぎなので多少ずれがあるかもしれませんがご了承ください。
段級位 | 勝敗 | 規定 |
6級 | ○○○●○○●○○○○昇 | 9勝2敗 |
5級 | ○●○○○○○●○●●○○●○●●○●●○○●●○○○●○○●○○○●○昇 | 9勝3敗 |
4級 | ○●●○○○○○○昇 | 6連勝 |
3級 | ○●●○●●●●●●B○○○A●○○○○○○昇 | 6連勝 |
2級 | ●●○○●●○●○○○●●○○○●○○●○●○●●○○●○○○○○●○●○昇 | 9勝3敗 |
1級 | ○●●○○○○○○●○○○○○昇 | 12勝3敗 |
初段 | ○●○●○●○●●●○●●●○○○○○●●○○●○休○○○●○昇 | 12勝4敗 |
二段 | ●●○●○●●●○●○○●○○○○○○●○●●○●○○○●○○○昇 | 14勝5敗 |
三段リーグ | ○●○○○○○●○●○○○●○○●○ | 13勝5敗・1位 |
通算208局132勝76敗(.634)
ご覧の通り昇級・昇段ペースはかなり早い部類ですが、プロデビュー後の彼ほど圧倒的ではない、というのはお分かりいただけるでしょうか。
3級まではあっという間でしたがここで少し足踏みをします。6連敗してるんですよ!6連敗!【アルファベットの補足:成績が悪いと「B」を取り、Bを保持した状態で再びBを取ると降段級、という仕組みです。規定の成績でA(通常の状態)に復帰します。】
初段・二段あたりが顕著ですが、昇級・昇段直後に少し黒星を重ねたのち、ぐっと勝率を上げています。カテゴリが上がるごとに成長曲線を描いてきているというわけですね。
二段で白星を重ね始めた頃から新たな成長曲線を描き始め、その勢いのまま三段リーグを突破し、プロデビューしたとすれば…?今の大ブレイクも決して不思議ではないのかもしれません。いや十分不思議だけども。
"三浦弘行九段の騒動で揺れる将棋界に一時の安寧をもたらしました。"三浦九段は冤罪被害者である事を今や将棋連盟も認めているのでここだけ訂正して欲しい
この件に関しては記事の本題から外れていたので詳細への言及を避けただけであり、三浦九段へ嫌疑をかける意図がないことは当該段落から十分読み取っていただけると思っています。
したがって文章自体の訂正はしませんが、三浦九段への処分は明確に不当であったという事実はこの場で申し添えておきます。(「訂正」ではなく「補足」してほしい、という趣旨ならば理解できます。)
ほんとだ……え、ほんとだ!すごい!気づかなかった!ちなみに18の下は17連勝(佐藤天彦、佐藤康光、丸山忠久)なのでたぶん偶然です…たぶん…。
これはニコニコ(ドワンゴ)がというより、インターネット環境それ自体の普及がもたらした現象であると言えるでしょう。もともと観戦記などで棋士の食事が話題にあがることはありましたが、
ネット中継が始まると盤上・盤外問わずあらゆる情報がコンテンツとして逐一伝えられるようになりました。中でも画像情報は非常に訴求力が大きい。その流れにぴったりハマったのが食事・おやつではないでしょうか。
各々の将棋スキルが観戦の満足度を左右していた将棋中継において、初心者も上級者も一緒になってあれが旨そう!これが旨そう!と楽しめるものができたということは、昨今のブーム形成にとって非常に大きかったと私は思います。
このあたりは観戦記者・松本博文氏の記事( https://cakes.mu/posts/12986 https://cakes.mu/posts/16722 )が参考になります。
どちらも圧巻の記録ですね。四冠時の18連勝(2005~2006)を例にすると
日付 | 勝敗 | 先後 | 氏名 | 棋戦 |
9月10日 | ○ | 後 | 藤井猛 | 第64期順位戦 A級 3回戦 |
9月12日 | ○ | 先 | 佐藤康光 | 第46期王位戦 タイトル戦 第6局 |
9月16日 | ○ | 先 | 佐藤康光 | 第53期王座戦 タイトル戦 第2局 |
9月21日 | ○ | 後 | 佐藤康光 | 第46期王位戦 タイトル戦 第7局 |
10月1日 | ○ | 後 | 佐藤康光 | 第53期王座戦 タイトル戦 第3局 |
10月6日 | ○ | 後 | 鈴木大介 | 第64期順位戦 A級 4回戦 |
11月25日 | ○ | 先 | 谷川浩司 | 第64期順位戦 A級 5回戦 |
12月2日 | ○ | 先 | 井上慶太 | 第77期棋聖戦 最終予選 1回戦 |
12月11日 | ○ | 後 | 中村修 | 第55回NHK杯戦 本戦 3回戦 |
12月14日 | ○ | 後 | 郷田真隆 | 第64期順位戦 A級 6回戦 |
1月12日 | ○ | 先 | 佐藤康光 | 第55期王将戦 タイトル戦 第1局 |
1月16日 | ○ | 先 | 久保利明 | 第64期順位戦 A級 7回戦 |
1月19日 | ○ | 先 | 佐藤康光 | 第55期王将戦 タイトル戦 第2局 |
1月24日 | ○ | 後 | 先崎学 | 第19期竜王戦 1組 ランキング戦 1回戦 |
1月26日 | ○ | 先 | 佐藤康光 | 第55期王将戦 タイトル戦 第3局 |
1月30日 | ○ | 先 | 村山慈明 | 第77期棋聖戦 最終予選 2回戦 |
2月1日 | ○ | 後 | 佐藤康光 | 第64期順位戦 A級 8回戦 |
2月12日 | ○ | 先 | 谷川浩司 | 第55回NHK杯戦 本戦 準々決勝 |
◎王位戦・王座戦・王将戦(全棋士参加棋戦を勝ち抜いた1名とタイトル防衛戦)
以上の5棋戦で驚異の14勝(!)を挙げています。ちなみにそのうち8勝を挙げた相手が佐藤康光ですが、当時の彼はA級に所属し、棋聖のタイトルを保持し、王位・王座・王将の3棋戦全てを勝ち抜いて羽生四冠への挑戦権を得た強豪中の強豪です。
その他の棋士たちも皆当時の一線級ばかりです。もう何が何だかわかりません。一体何なんだよ。将棋星人かよ。
次の対局は前回と同じ竜王戦決勝トーナメント2回戦!勝てば77万円!
https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/30/hon.html
相手は佐々木勇気五段(4組予選優勝)です。ジュネーブ生まれ埼玉育ち、ピュアで熱い好青年です。レーティングは1779で全棋士中14位。(2017/7/1)
昨年藤井四段が最年少(13歳2ヶ月)で奨励会三段となってちょっとした話題になりましたが、実はそれまでの最年少三段記録保持者(13歳8ヶ月)が彼、佐々木勇気です。
1回戦の増田四段と同じく16歳でプロデビュー。竜王戦4~6組予選は若手の登竜門であり、若手有望株はやはりデビューが早い傾向にありますね。
そうした経緯もあってか、彼自身藤井四段に対しては胸に秘めたものがあるのかもしれません。
叡王戦(藤井聡太四段vs梶浦宏孝四段)では定刻前の対局室に現れて並外れた存在感を放ち話題になりました。おそらく彼は秘めてもバレるタイプですね。(参考: http://www.nicozon.net/watch/sm31378949 )
そしてこの二人がいつ戦うのか?という話になるわけですが…なんと明日です!
https://www.shogi.or.jp/news/2017/06/72_12.html
将棋連盟ライブの他にもニコニコ生放送やAbemaTVで中継されます。日曜日なので視聴者数がすごいことになりそうですね。
いい機会なので将棋よく分からない…という方も少し覗いてみてはいかがでしょうか。おすすめ時間帯はお昼前と夕方です。昼前にはどういう戦いになるかがおおよそ定まり、昼食予想でコメント欄が賑わいます。
また夕方以降は一手一手が形勢を左右するスリルがあり、飯だけでない真剣勝負の一面を垣間見ることができるでしょう。
本当は昨日書き上げるつもりでしたが、プレミアム残業フライデーで無理でした。
藤井四段の連勝はいずれ止まります。それは明日かもしれないし、ひょっとしたらあと何ヶ月も続くかもしれません。それまでの間、将棋界の外をも巻き込んだ狂騒を楽しみたいと思います。
ちなみに私の今日の昼食はベーコンを大量に入れたペペロンチーノでした。シンプルで奥深い棒銀のような料理ですね。では。
[注1]14勝で昇段を逃した4名は全員その後のリーグで四段昇段を果たしているため、14勝できるほど強ければいずれは上がれるとも言えます。4名の中にはあの豊島将之八段も!
7月2日(日)に行われる 佐々木勇気五段 対 藤井聡太四段 の対局についてご案内します(将棋の内容には触れません)。
(映像中継)
ニコニコ → http://live.nicovideo.jp/watch/lv301153320
アベマ → https://abema.tv/channels/shogi/slots/9BWPPL1bc1x4CX
将棋プレミアム → https://www.igoshogi.net/shogipremium/live/
囲碁将棋チャンネル(CS) → http://www.igoshogi.net/shogi/special/30ryuou_sasakifujii.html
竜王戦中継サイト → http://live.shogi.or.jp/ryuou/
将棋連盟ライブ中継(アプリ) → https://www.shogi.or.jp/lp/mr201704/
竜王戦決勝トーナメント。藤井四段にとっては勝ち上がりの2局目。このトーナメントで優勝すれば、渡辺明竜王への挑戦権を得ることになります。もし竜王挑戦となれば一気に「七段」へ飛びつき昇段します。
対局料(ファイトマネー)として、勝っても負けても藤井四段は52万円(佐々木五段は57万円)もらえます。勝てば次戦の対局料77万円が確定ということに。
(賞金や対局料がこれほど詳細に公開されているのは竜王戦だけ!)
→ https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/30/hon.html
佐々木五段は関東所属、藤井四段は関西所属と分かれています。この場合、上位者の所属で対局が組まれるのが原則。
佐々木五段はジュネーヴ生まれの埼玉育ち(なお、金井六段はウィーン生まれの埼玉育ち)。母校である都立白鴎高校は将棋の特別募集枠があり、三枚堂達也四段も卒業生です。
昨年12月には棋王戦の挑戦者決定戦まで駒を進めた、現在22歳の若手強豪。プロ入りは16歳1ヶ月という史上六番目の若さでした。
→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%8B%87%E6%B0%97
6月10日に行われた藤井四段 対 梶浦四段戦(叡王戦)では、対局開始の際に対局室の隅(藤井四段側)で見学していた結果、各局のニュース映像にことごとく映り込むという珍事も(開始1時間前には入室していたらしい)。ニコ生コメントでは「座敷童」「穴熊」などと呼ばれていました。
ある時、駅からスキップして会館に向かう姿を将棋連盟職員に目撃され、その話を聞いた森下九段がニコ生にゲスト出演した際にエピソードを明かすと、解説者の糸谷八段の笑いが止まらなくなったことも。
→ http://www.nicovideo.jp/watch/sm31378949
タイトル戦では和服、通常の対局ではスーツというのが一般的(まれにノーネクタイの棋士もいる)。
しかし、挑戦者決定戦やテレビ対局など、勝負時の対局に和服を着る棋士もいます(佐藤康光九段とか)。
佐々木五段もこれまでに棋王戦挑決やNHK杯などで和服を着ており、注目局であることから和服を着てくる可能性も?
上位者(佐々木五段)が駒袋を開けます。そして、「王」「玉」のうち「王」を上位者が取り、交互に駒を取りながら並べていきます。なお、加藤一二三九段は相手に目もくれずに高速で並べ終えます。
終局後に駒を片付けるのも上位者です。
振り駒で決めます。先手の方がわずかに勝率が高く、得意戦法にもよりますが、先手を好む棋士が多いようです。
駒を一度きれいに並べ終えた後、上座(佐々木五段)側から「歩」を5枚、記録係が取ります。5枚の歩を表→裏→表→裏→表というように交互に重ねて取る几帳面な記録係も中にはいます。
通常は対局者にも見えるように対局者の脇で振るのですが、前局は報道陣が多く、藤井四段の背後のスペースで振り駒をしていました。
上位者である「佐々木先生の振り歩先(ふりふせん)」となり、「歩」が多ければ佐々木五段の先手。「と」が多ければ藤井四段の先手。立った駒や重なった駒はノーカウント。そのため同数となった場合は振り直します。
午前10時の開始。タイトル戦は9時、それ以外は10時開始というのが基本。
対局開始の合図は記録係が告げます。発声は「時間になりましたので~」と「定刻になりましたので~」の2パターン。ニコ生では「帝国」とコメントが流れます。
対局者の周囲に報道陣が大勢いる映像や写真を見て、対局中ずっと報道陣が側に張り付いていると勘違いする人も稀にいるようですが、報道陣の入室が許されるのは開始5分程度です。
昼食注文は10時40分頃、夕食注文は16時40分頃。注文時に消費時間の計時は止まりません。対局中に出前メニューが渡され、その場で職員に注文し代金を支払います。注文の順番は上位者(佐々木五段)から。両者同じ物を注文するのは避ける傾向にあります。
藤井四段が持つ財布の一つはマジックテープ調で、その時ニコ生では「バリバリ」のコメントで埋め尽くされます。なお、食事代は各棋士の自腹(タイトル戦を除く)。
この日は日曜日(藤井四段に配慮して日程が組まれたようです)。ふだん対局が行われることのない日曜日ですので、ちょっと注意が必要です。
というのも、会館のある千駄ヶ谷周辺は日曜日に定休の店が多いからです。おそらく「みろく庵」への注文になるでしょう。藤井四段は注文時に長考することが多いのですが、今回は選択肢が少なくノータイムの可能性も。中華を頼もうという心づもりでいると、足をすくわれる恐れがあります。
昼食休憩は12時~12時40分。夕食休憩は18時~18時40分。
対局者が席を離れるため、「ひふみんアイ(将棋用語で、相手の盤側から局面を眺めること)」のチャンスです。過去、休憩中に藤井四段の「ひふみんアイ」が多く見られています。藤井四段は10分足らずで食事を終えて対局室に戻ることも多く、視聴者は目を離せません。
前局では、相手が着座している際に藤井四段が「ひふみんアイ」をして大きな話題となりました(真後ろではなく、斜め後ろから距離を取った上でのアイでした)。
持ち時間は各5時間です。時間を使い切ると1手60秒未満での着手。
各5時間+休憩(40分×2)=11時間20分。朝10時開始なので、両者が同じように時間を使えば21時20分頃から秒読み……となりそうですが、ちょっと違います。
というのも、計時は60秒未満切り捨てだからです。3分59秒で指せば、3分で指したのと同じ事になります。60秒未満で指せば消費時間はゼロになり、持ち時間は減りません。
時間を使い切るまで両者合わせて120手を指し、1手につき平均30秒が切り捨てられると仮定すれば、1時間は違ってきます。
また、残り10分ほどとなった際、最終盤に時間を残すため一手60秒未満での着手を繰り返していくことも多くあります。記録係が、残り10分前から「50秒~」と読むのはこのためです(読み上げの仕方は対局者が指示するので、この限りではない)。
一方、早指し棋戦は「チェスクロック(秒を切り捨てずにそのまま減らす)」の使用が普通。最近ではB級2組以下の順位戦もチェスクロック使用になりました。棋戦の持ち時間は減る傾向にあります。
前局の増田四段 対 藤井四段の終局時刻は21時24分。この時、両者の残り時間は合わせて42分でした。大熱戦であれば、秒読み将棋が続き、終局が23時を回る可能性もあります。
当日はフジテレビ「Mr.サンデー」(19時~23時09分)に加藤一二三九段が出演予定となっており、都議選速報と合わせて対局の速報もあるかと思われます。
勝者は7月8日(土)に阿久津主税八段と対局。その勝ち上がり者は7月16日(日)に久保利明王将戦。さらに、7月27日(木)に松尾歩八段戦となります。
同様の例としては皆無。それはそうで、負けても対局料が手に入るのにそれをみすみす捨てる馬鹿はいない。
ただ、寝坊やスケジュール管理のミスといった過失による対局放棄はある。
近年の例で言うと、2010年に郷田真隆九段(現・王将、タイトル通算6期の超一流棋士。9月に公開対局での二歩で話題になった)が寝坊で竜王戦の予選を不戦敗になった。
この際の郷田に対する処分は1.対局料の不払い、2.竜王戦参稼手当100万円の半額を返納、3.ファンへの奉仕活動1日 だった。
類似の例としては、日本将棋連盟の分裂寸前にまで至った「陣屋事件」というのがある。
1952年2月に行われたタイトル戦の王将戦第6局で、挑戦者の升田幸三八段が会場となった神奈川県弦巻温泉の旅館「陣屋」に到着したが、「玄関のベルを押したが誰も出てこなかった」ことに腹を立てた、と言って対局を拒否、第6局が不開催になったということがある(ただし当時陣屋の玄関にベルはついておらず、これは枡田の虚言。これをきっかけに陣屋は、玄関に呼び出しのための陣太鼓を置くようになって、陣屋名物となっている。また升田は陣屋に向かわず秦野温泉の別の旅館に籠って対局を促しに来た関係者にも会っているので、過失ではなく明確な故意による対局拒否)。
事の真相は明らかになってないが、将棋界の間ではまず間違いなく以下の理由だったと言われている。
王将戦は当時から現在に至るまで七番勝負で四勝先取したほうが勝ちというシステムだが、この当時はどちらかが四勝以上してもさらに継続する、というシステムだった。そして決着がついた後の対局は、シリーズに勝ったほうが負けた方に対して自分の駒(香車)を落とすハンデをつけて指すことになっていた。このシリーズは第5局までに升田が木村義雄名人に4勝1敗で勝利を決めており、この第6局は升田が木村に対して香車を落とすことになっていた。
名人というタイトルの重みは現在でも特別だが、この当時はそれにも増して大きいものだった。単に将棋界最強というだけではない、ある種の宗教的な権威があるものと言っていい。その名人が、対戦相手に香車を落としてもらうなどということは、名人の品格を著しく傷つけるもので、いかにルールとはいえ誰も見たくない(この感覚は、羽生善治がコンピュータ将棋に角を落としてもらって対局する、という場面を想像してもらえばいいかと思う。対局に関係ない第三者でさえ屈辱を感じるというようなものだ)。もちろん王将戦が始まる前、この事態は当然予想されていて、香車を落とすことに強く反対していたのが升田、一方で「名人が第7局を迎える前にシリーズに負けることはない」と言ったのが当の木村義雄名人で、木村の一声で沙汰止みになってしまった(昔から今に至るまで、将棋界というのは将棋の強い側の声が通るのだ。そして当の本人がこのようにその報いを受けてしまう)。升田は「将棋を守る」ために、バレバレの嘘をついて対局を拒否したのだろう、と思われている。
真意はさておき、タイトル戦を故意にすっぽかしたことには変わりないからこれは一大事で、当初将棋連盟は升田を一年間の出場停止処分にしようとした。これは現代の目から見ても重さとしては妥当だと思う。ただ、日本将棋連盟は関東と関西の将棋指しの団体が合一してできたという経緯があり、東西の対立まではいかずとも派閥意識というのは当時強かった。関西の棋士である升田への処分に対しては関西の棋士たちが反発し、すわ東西分裂か?という事態になった。最終的には木村名人の一存に委ねられ、升田は一切お咎めなし、という結末になった。