はてなキーワード: 浪人とは
・父
・母
・第一子 (以下,私)
・第二子 (以下,二号)
2002年生まれの大学3年生.幼稚園から大学の学科まで私と同じ.
・第三子 (以下,三号)
大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.
・理系の,
・国公立大学に,
・予備校などには頼らず,
・現役で合格すること.
これら全てを満たせば学部を卒業するまでの生活費も学費も払ってくれるという.
私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.
同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.
が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校を中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれた環境にいるということを私は知っていた.
そして私は父の出した条件に従うことにした.
・A大学
通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・B大学
通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・C大学
通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験は得意科目の配点が大きい.
A大学にどうしても通いたかった私は,合格の可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.
私はC大生になった.
入学一週間後には,自分が大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.
シラバスを読む限り1年生の講義は高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.
1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.
やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.
私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センターの数学で65%しかとれないくらい勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.
やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義を毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.
堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.
その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京で一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人も視野に入れているという.
一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.
私は理解できなかった.親の方針って,絶対的なものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.
親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.
与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ.
はっきり言ってこれは逆効果だった.
医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.
結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.
だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善し大学へ通えるようになった.
真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.
通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語の先生に相談したら週1でレッスンをしてくれた.
特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.
進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.
その部屋には布団とトイレと監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集も勉強もできなくなった.
数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.
入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.
入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.
昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.
夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.
二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.
三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.
春からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.
中流家庭に生まれて三食食べることはしてもらい屋根のある家でダラダラ過ごした
勉強は全く好きではなかったし幸い塾に行くほどのお金も無かったので家で漫画読んだり気合いでねだって買ってもらったパソコンで雑誌のゲームを打ち込んで遊んでた
夏休みなどはじいちゃんばあちゃんの家に預けられて朝から晩まで山や海や川や草むらで遊んで過ごして当然宿題できずに終わるというのを繰り返した
学校の勉強は嫌いだったけど教科書を読んだら分かる内容なのでダラダラと近所の公立高校へ進学
コンピュータが楽しくなったので大学へ行ってコンピュータで遊ぼうと思うが受験勉強をしなかったので大学に不合格
年末くらいからは観念してちゃんと勉強して国立大学の情報に滑り込み
家庭が貧しくなっていたので授業料をまけてもらってたのに留年でパー
専門に上がったら大変楽しくなったけど研究はできないし就職活動もしてなかったので教授先生にお願いして地元企業に放り込んでもらう
学生の間力を入れていた同人誌作りを続けていたらコミケで今の妻と出会いすぐ結婚
奨学金もすぐに完済して子供も健康に育ち長男は特に勉強せずに国立大学入って留年
そこは似るのかよ
あとはこのままずっとヒラ社員で社内システムの管理仕事して引退の予定
意識が著しく低い
実家は太くも細くもなかった。統計年収の中央値、300万くらいは年収がある家だった。
田舎の有名企業の工場でブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり。家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。
勉強は田舎の公立小中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。
高校進学の時、親は地元の偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。
まず、この高校に進学するときに約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。
周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分が大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。
そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。
ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学金20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。
親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取りで20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。
その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。
でも、この世帯年収で特別に生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMacを自分のバイト代と親の援助で買うことができたのに。
だから、大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。
けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。
親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らしの最初の資金だけは援助してくれた。
それ以降は、昼間バイトして夕方から大学で勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパートの家賃も払うという生活をしていた。
でも、大学はお金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費も生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。
そして今、大学で出会った人と結婚して、子どももいて東京に暮らしている。
区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子どもの学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。
こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。
しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。
知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。
実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。
それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしまう世界が存在する。
これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。
だからもしかしたらこの結論が分からないかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。
だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。
もともと俺もワーホリに行きたいと思っていたので、それについていくつもりだった。
そんなこんなで、彼女はギリギリで就職した。俺は今年30歳、ワーホリの期限だ。
別れたらワーホリに行こうと思っている。
浪人して旧帝入ったとき、大学の帰りによくインドカレー屋とか行ってた
自分が食いたいって思って行ってたわけじゃない
インドカレーなんか大学入るまで食いたいとか思ったことないし、まずインドカレー食うって発想すらなかったんだけど
なんか仲良くなった奴が皆インドカレーとか好きらしくてさ
そんな好んで食うほど美味いか?って当時は思ってたけど
でも大学出てクソみたいな中小企業入って、そこでできた知り合いとかとつるんでると分かったんだよ
「いやインドカレー美味いよね?俺全然エスニックとか行けますけど?」みたいな雰囲気が大学の同期には確かにあったんだ
突き詰めると、いわゆる文化資本?の差なのかもしれない
高校とか中学の同級生と会ったとき絶対インドカレーなんか食わないし、部活といえば野球サッカーバスケテニスぐらい
受験頑張って国立のいい大学に入っても結局就職失敗してるから何も意味なかったんだけど、
ヒエラルキーの上の方にはああいうタイプの奴がいるということが分かったのは結構いい勉強になったなと思ってる
俺はそういう珍しい趣味についていけなかったけど
これだけでも大学入って良かったなと思える
成人式に行くときに着るスーツはあったし、別に浪人して受験がというわけでもなかったし、行こうと思えば行けたと思う。
年末にあった同窓会に一人で行き、一人で帰ったことを色々気に悩んでいたら、親から誰かと一緒に行かないと恥ずかしいんだと散々吹き込まれ、年始から一緒に行ける人を探すも無理で、まあ、行くこと自体をあきらめた。
同窓会の帰りはボッチでバスに乗って帰ったんだが、そのバスを待っているのをのちに妻となる女性は自分の迎えを待ちながら遠目で見ていたらしい。
妻からは妻も別に誰かと連れ添ってきていたわけではないし、そういう人のほうが多いから成人式は誰かと連れ添っていく必要なんてなかったと後に聞いた。
俺には兄貴がいるんだが、3回浪人して成人式行っていないから、ストレートで大学進学を決めた俺に対しての当てつけみたいなものもあったのかなーと後からは思う。
テレビのニュースとか見ると、新成人おめでとうって感じでみんながみんな幸せな成人式を迎えて楽しんでるみたいな感じだけど、別にそんな人ばかりじゃないよという話。
正確には「自分の置かれてる現状に対してロクな根拠もなくプレッシャーを感じないでいられる事」と言うべきだけど
その性質を持って生きるのは悪くないんだと思いたい
自分は高校を卒業した後と大学の学部を卒業した後にそれぞれ2年と1年通ってない期間がある
必要なお金は自分で払うならいいって言われたから入学金+最初の授業料をバイトで稼ぐという事で1年稼いで大学に行く予定だった
でも行く予定の大学に落ちたから1年浪人して2年かかったけど…最初の1年目は受験をやってない場合でも2浪扱いになるのか…?
まぁ親は学費は違うけどお金を払ってくれない物は一つも無かったし
Androidのスマホも2度買ってくれたし通信費も全部払ってくれたし今も通信費を払ってくれてる
今までずっと一人暮らしをしていなくて親に生活費を払ってもいない訳だけど、でも恵まれてる家庭だって言われたら理不尽だと思ってる
授業料免除や半額についての基準まで言わないと駄目なんだろうか?
なんというか大学行くやつは自分が恵まれてる事に感謝しろって意見がムカついて仕方ない
こっからは高校を卒業して2年目の話になるが、多少お金に余裕があると感じたからデリヘルを利用してしまった
本番出来る店の中で何とかお金が大丈夫なラインを探したが結局10回近く利用してしまったと思う
フリータイムの分払わずに済むから家に呼べたらって考えてしまった事がある
一応は東京の国立の大学に入る事は出来たが終わってる人生だと少し思う
そして大学に入った後もなんとか年5回くらいは利用した
それで親には学費払うから!って言って大学院に進む事も決めてしまったからデリヘルを利用し続けられたんだと思う
就職活動してた場合の方がデリヘルに行く余裕は出来なかったと思う
学部4年目もそこまでキツくない発表だったからデリヘルに行けたんだと思う
デリヘルについては知り合いに知られてないとは思う
そして1年またバイトで稼ぐ期間を設けて別の東京の国立の大学院に入る事が出来た
ヘルスで本番無しを1回は利用したけど…何と言うか馬鹿にされるが愛が無いのがキツいと言うかそう思ってきて利用出来なくなった
研究に関しては自分には好きな分野があってそれにずっと熱中するのは好きだし大学院も今の所楽しい
修士の研究テーマも多分これでいいというものを定める事が出来た
ここまで見直してみてやっぱりバイト先だけは恵まれてるかもしれない
何処とは言えないが運輸会社の仕分けのバイトが作業が楽とは言わんがキツくは無い
作業がそこまで難しく無いから作業中に研究の事を考えるのも良かった気がする
深夜や早朝を何度か切り替えたけどでも他の用事とも被らずに出来た
塾講師はそんなに纏まった時間とれなさそうだし覚えなきゃいけない作業がいつまでもありそうだし
仕分けの方が良かった気がする
就職も決めてない、何となく研究者に行けないかって今も思ってる
なのに4月から2年目だけどまだ学振について分かってない事がある
大学は入ってよかったな、と思う。浪人はちゃんと勉強しとけばやる必要無かったなと思う。
でもバカのままだったら浪人はすべきだと思う。高校は学業優先にしとけばよかった。
大学の名前はバイトから就職から何するにしても、優位に働く。日東駒専ちょい上あたりだけれど、十分。大企業は無理だけど、そこら辺の中小企業や飲食店なら無双できる。浪人かどうかは聞かれない。
サークルはぶっちゃけ入らないほうがよかったかな~という気持ちがある。ガチすぎるサークルで、公演が年3回。
これやるなら、SEとかイラスト関係の会社、ライター系にバイトでもぐりこめばよかったかなと思う。
手に職付けられる技術を身に着けて副収入を得られる基礎を得れば、割と自由に生きられる。
ホストとか夜職系は、若い男は全く価値が無い上に、青春を潰すことになるので25歳あたりにするのが一番賢いな。SEとかイラスト関係の会社、ライター系で効率よく稼ぎつつ、日払いの夜職が一番経験積める気がする。
自分は全部中途半端で、ライターや絵をダラダラやって24歳~29歳の5年間、マッチングアプリしたりして潰してしまった。コロナもあったけど。金稼げばよかったな、と。
それできつくなったら、SEとかイラスト関係の会社、ライター系に中途採用が良いんじゃないかな、と。
やっぱり海外だろうか。ライターとしてしっかりメディア運営と受注できる体制を作りつつ、海外でワーホリ、そこから業務委託契約でゆるーく働き二足わらじが良いんじゃないかと思ってる。
去年の3月、後期の合否発表があった日をよく覚えている。
ずっと部屋にこもって、たぶん君は一日中泣いていたんだろう。
夜になって、突然家を出て行った。
心配性の母はおろおろして、私たち兄弟はあんたの"入りやすい"性格を思い出して頭を抱えていた。
探しに行こうとコートを着始めた父をなだめて、兄弟で末っ子の捜索に出た。
田舎だからひとっこひとり歩いてないしそもそも3月の夜なんてくそ寒いし、
イライラしながら歩いたりチャリ乗ったりして町内(笑)を探したけど、どこにもいなかった。
何やってんだよ…と何度目かの電話をかけたら、長い呼び出し音の後にやっと出た。めちゃくちゃ鼻詰まった声だったわ。
どこいるの、って聞いたら、「川」と返ってきた。
以前、高校の近くの川に飛び込んだら死ねるかな、みたいな暗いこと言ってたのを思い出し、あーーーーーねってなった。
はやく帰ってきなと言って電話を切った。本当は心底ほっとした。
しばらくして君は帰ってきた。
何を言っていいかわからなくて、親が生きてる内はやるなよ、とだけ伝えたら、ちょっと泣きながら「うん」って言ってくれた。
翌日、予備校を決めて、仲の良かった高校の友達も何人か浪人することを知って、なんとか気持ちが戻ったようで安心した。
挫折を知らなかった君は、初めて結果を出せなかったのが悔しくて恥ずかしくて仕方なかったんだろう。
今ではあの日のこともちょっといじれるくらいにはなった。笑い話になって、まあ、良かった。
いつもちょっとオーバーで繊細で、生意気だけど心優しい弟よ、この1年がんばってきたこと全て出し切ってね!
応援してるぜ!
年末から地元に帰って、小さいコミュニティの忘年会新年会と銘打った女子会、ぶっちゃけただの飲み会にちょこちょこ参加した。
で、ある飲み会でとある奴が親の愚痴を延々言うのよ。もうすぐ三十路の女が。
しきりにウチは毒親だからって言うんだけど、おめー地元の私立大を院まで親に金出してもらってんじゃん。一年浪人して。そのお陰で地元のJTCに総合職で勤めてるんでしょうが。
子の望む進路に出資する毒親、ってそれは毒親の定義として合ってる?
というか毒親と思ってるなら子供部屋おばさん卒業すれば良いよね。親が口うるさいの、良い年した娘がいつまでも実家にへばりついてるからじゃないの?
伯父「○○君も大学生か!小さい頃よくだっこしてやったんだぞ!がっはっはー」
俺 「覚えていますよ」 伯父「どこの大学に行っているんだ?」
伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」
親父「無言・・・(瞳が潤んでいた)」
伯父「おい、信大生こっちこい(息子の××を呼ぶ)」
向こうでも大学の話をしていたらしい××が鼻高々でやってきた。
××「(馴れ馴れしく)○○、久しぶりー、元気!」
「あっ、叔父さん、こんにちは、俺、今年から大学生になりました。」
親父「そうか、大きくなったな」
××「信大に行っているんですよー(勝利者宣言)○○君はどこに行ったの?」
俺 「東工大w」
ニヤついている伯父を尻目に、一瞬にして××の顔色が変わった。
伯父「○○に勉強教えてやれよw」
××「(しばし、絶句)・・・みっともないからやめてくれよ親父」
伯父「?」
動揺しまくりの××は伯父を速攻連れだした。
久しぶりに無口な親父の晴れ晴れとした顔をみた。
帰り際、充血した目をした伯父と目があった。
まともな結婚をするためにはある程度いい大学に行ってそこで見つけた彼氏と長く付き合うのが近道っていう理屈は分かるんだけど
じゃあ大学入試の現役で良い大学に行けたかっていうと、当時の自分の実力では厳しかったし
社会ってレールを外れると一気に詰むよなって言うけれど、
本当に一気に詰んでしまって取り返しがつかないのは新卒就活時の失敗だけだと思う
一旦新卒で正社員就職出来さえすれば、あとは病気や事故で身体を壊しても休職で済むし
ところが新卒就活の失敗だけは取り戻す手段がなく、ここで正社員就職出来ないとその後も一生非正規にしかなれず、女なら結婚も出産も出来ない
大きな挫折を味わったとか病気をしたとかではないんだけど、気がついたらニートになっていた、という感覚に近い。
普通に元気があり、どちらかというと内気だけど人並みにコミュニケーションは取れるし、頭もそれなりにいい子だと思っていた。思っていたというか、それは今もそうだ。
小中高と不登校にもならず、普通に友達もいて、成績は常にトップクラス、大学もいいところに行って、留年もせず四年になった。ここまでは良かったんだけど、就活をする段になって「俺には無理だ、もう疲れた」と言い出した。
曰く、どこの業界のどんな仕事にもいっさい魅力を感じず、就職活動に打ち込むことができない。一応何社か受けてはみたが、面接で全部落とされた。落とされてもショックはなく、むしろホッとしている。働いてまで今後生きていきたくはない。
トーンがマジだったので叱り飛ばすこともできず、とりあえずやりたい職業とか考えてもうちょい就活を続け、受かったところに行けばいい、無理だったら就活浪人してもいい、と伝えた。結局その年はどこも受からず、大学だけ卒業した。
翌年息子は就活をしなかった。やってみたら?と言ってもウーン…なんて言うばかりで、全然動かない。働いてお金稼がないと飯は食わせないぞ、なんて言おうかとも思ったけど、「働いてまで生きていきたくない」と言っていたときの声色が思い出されて、そうしたら自殺してしまうのではないかと怖くなった。
息子、鬱病とかなんだろうか?本人曰く働きたくないと感じ始めたのは中学生くらいからで、そのスタンスがブレたことはないらしい。人生にあまり意味を感じず、自分の楽しさを優先するのが良い生き方だと思うが、仕事をしてかつ楽しく生きることは自分にはできないので、働くくらいなら死ぬという結論になる、というようなことを言っていた。
とんでもねえクズ野郎だ、という気がするんだが、お前たちが産んだんだから責任を取れ、と言われるとうまく反論ができない。ただ現実問題として我々が死んで貯金も尽きたら息子は詰み状態になるわけで、働いてほしいという気持ちはある。純粋に老後を楽しみたかったしあわよくば孫の顔を見たかったという思いもある。それなりに優秀だと思っていた息子がいきなりニート化して、期待を裏切られたという気持ちもある。
どうしたらいいんだろうか。自殺するなんて口だけだと思って、甘やかすのをやめたらいいのかな。それで本当に死なれたら立ち直れるのかな。
私は当時の全国模試で偏差値65〜70適度の学力だったが、両親が教育虐待系の親で、親から私は馬鹿だの無能だの知的障害だのなんだの言われてたり馬鹿に人権は無いと、私の食卓は床だったりしたので弟は私を馬鹿な人間で足蹴にしていいと思っている。
自分はそんな姉よりいい学校に行けると思って、自分の力量に合わない中〜高を受験して全て失敗している。
まあ難しい学校だから落ちても仕方ないよね挑戦だったね程度で済まされるなら無能とは思わないが、当時の実際の弟の偏差値は良くて45。挑戦ではなく記念受験の域。
高校受験に至っては滑り止めの私立に落ちて、公立も落ちて危うく高校浪人するところだった。
地方なので私立は滑り止めの学校という認識で、落ちたなんて話を聞いたことないくらい受かって当たり前の学校だったのでびっくりした。
結局学校側が頑張ってくれて枠の空いてる私立にねじ込んでもらったらしく高校浪人は免れた。
私立の偏差値の高い大学じゃ無いことに文句を言っていたが、学校の先生からお前の学力で行けるのはこの程度だと言われたそう。
大学は4留して8年大学に通った。卒業できるかヒヤヒヤひたが今年の夏に卒業できた。
4留もしたので奨学金制度は停止されて200万×7年分奨学金なして払うことになった。
4留したもの遊んでたりバイト戦士をしていたのならまだ救いがあったがそうでは無い。ずっと勉強していたのに4留した。
ご飯食べに行こう〜とか買い物行こう〜とか私や家族が誘っても勉強あるから、、と殆ど勉強していた。(頭に入ってないので勉強と言えるかどうかは怪しいが)
就職したら一人暮らし始めるのにお金かかるよ?バイトして貯めてお金貯めなくていいの?と聞いても、バイトすると勉強時間なくなるから……と一切バイトもしてこなかった。
就職先は一応決まっていて留年を待ってくれているが、国家試験に落ちたらどうなるかは分からないらしい。
もし仮に就職できたとしても一人暮らしのための初期費用を弟は持ってない。
親ももう退職してしまったし出せないと考えると出すのは私になるが、学費半分と、予備校代、6年分の弟の年金を払っているのでこちらもそこまで余裕がない。
せめて仕事は本人に合ってて欲しい。
以前どこかで「男児を産んだのが原因でフェミっぽい友人に縁切りされた」といった話を読んだ事があるんだけど
友人だったAから数年遅れて色々頑張って、やっと待望の子供が生まれた。
息子が生まれてA含めて皆からおめでとう~って言われてたんだけど、数ヶ月後ぐらいにAに用事があってラインしたらいつまで経っても未読。
電話してもずっと話中で全然通じない。共通の友人に様子を伺ったら、申し訳無さそうに「Aはあなたをブロックしたみたい」と言われた。
その時は自分が気づかない内にマタニティハイになってて失礼やらかしたとしか思えなくて、友人を介して謝罪の意思は伝えたが返答は無かったらしく
一体何がいけなかったんだろう、何を言ってしまったんだろうと凄い後悔したしモヤモヤしていた。
Aのブロックの原因が「男児を産んだ」事がきっかけだったと知ったのは、それから数年後の事だった。
Aと付き合いが続いていたという別の友人(B)が、Aの言動が原因でつい我慢出来ず言い返して揉めた際に
私の事も言われたらしい。(その後はBはAから直接縁切り宣言をされてブロックされたという)
いわく、「何年も頑張って産んだのが男児(◯ス◯キ)でショックだっただろう、と思ってたのに本当に嬉しそうでビックリした」
「(男の子を生んで心底喜ぶ様な)馬鹿だとは思わなかった。見損なった」という言い草だったらしい。
BはBでAとSNS上でも交流があったが、いわゆるフェミ的なツイートやRTが回って来たり、◯◯が駄目だ、誰々を叩こうみたいなのに
同意を求められるのが本当にうんざりして、「あなたのやってる事は自由だけどそれに私まで付き合わせないで欲しい。
ネガティブは言動ばかりで見てて心も重くなる」とAに言って、喧嘩になったんだとか。
正直ショックだったけど、それがAの考えならその事について文句を言う気は無い。
でも、それとは別に凄いモヤモヤするのが、Aには確か二人子供がいて、上の子は男の子なんだよね……
下の子は女の子で、女の子が産まれて嬉しい!とはよく言ってたけど、長男が産まれた時もAは喜んではいる様には見えた。
確かに下の子が産まれた時の方が喜びアピールが凄かったけど、女の子が欲しいとはよく言ってたからそういうものだと思っていた。
でも、Aの言動や思想(Bから幾つか教えられたけど、正直ドン引きした……)と、Aの上の子の存在を思うと
他人事ながら凄く心配になる。確か来年には中学生になる、多感な時期だ。
そういう時に、男だからと、下の子と差をつけたり当たりがキツイ言動があったりすると、正直それは虐待にも近いとすら思う。
縁切りされた私には何も言えないし出来ないけど、心が重くなる……
というのも、母親が典型的な男尊女卑&長男教の家庭で育ち、やれ女には学歴なんて必要無い大学だって金の無駄だ
長男様が家業を継ぐ為にお前ら(母・叔父)も仕事辞めてサポートしろ、とにかく長男に従え一切逆らうな、
みたいな感じで家にいた頃から成人してからも凄く苦労してきた人だったのも理由なんだと思う。
だから私自身は特に進路も何も口出しされなかったしノビノビやれたんだけど、その分兄が露骨に冷遇されていた。
幼い頃から「何で母親は兄に対してやたらと口うるさいし、厳しいんだろう?」と幼いながら思っていた。
兄は私の目から見ても、真面目でどちらかと言えば大人しい方で、何も言わずに勉強して成績も上位をキープしていた様なタイプだった。
一方私はどちらかと言えば適当なタイプで、勉強もスポーツも大して出来ないし、高校の頃は周囲に影響されてギャル化してよく夜遊びもしていた。
けれど、いつも本当に細かい所やどうでも良い様な事で、母に厳しく注意されたり怒られていたのは、常に兄の方だった。
私は色々遊んでても、遊びすぎで成績が落ちても「次から気をつけなさい」ぐらいで特に怒られはしなかったのに
兄はちょっと成績が落ちた(90点代~100点が、一教科だけ80点後半だった)みたいな事でも「こんなに成績を落とすなんて!お前は努力が足りない!もっと勉強しろ!」
とか、私の部屋に聞こえるぐらいまで大声で怒られていた。
そんな母が怖いのか、父も空気になったり、母に同調してやんわり注意したりと、兄にとっては凄い居づらい家だったと思う。
私も兄と二人の時は普通に接するけど、母の雰囲気が怖くて、兄が理不尽な事も怒られたりしていても、何も出来なかった。
私にとっては母はおおらかで良い母親だったと思う。それだけに兄への態度が何でこんなに厳しいんだろう?って思っていた。
大学進学の時も、兄は奨学金で大学行け、小遣いはバイトして稼げ!って感じで一切援助も何も無かったが
私は浪人しても良いとすら言われていたし、学費どころか一人暮らしのお金も全部出してくれていた。
さすがにこれはどうかと思って、母にそれとなく聞いたら「(兄は)男だから良いの。男なら自分の力で大学ぐらい行かなきゃ」って言っていた。
結局兄は大学卒業・就職してから一気に疎遠になった。電話にもいつも出なくなり、恐らく着信拒否されているか、番号を変えられたんだと思う。
連絡すら取れないから、両親が亡くなっても葬式にすら来ないんだろうなってぐらいには縁が薄くなってしまった。
母は「どうしてこんな事になったんんだろう?ちゃんと別け隔てなく育てたのに…」って言っていて、さすがに正気を疑った。
でも母の中では差をつけている自覚が本当に無い様で、便りも何も無い事を本気で嘆いていた。
恐らく母は、男尊女卑家庭で育って苦労した鬱憤を、本来は伯父や母方の祖父母にぶつけるべき不満を
兄という「男」に対してぶつけていたんだろうなって思う。悪く言えばただの八つ当たりだった。
結局母は、自分が男尊女卑家庭で育って散々苦労したのに、兄に対しては同じ様な苦労をかけさせてしまった。
虐待…とまではいかないと思いたいけど、差別の再生産ではあるんだろうな。
Aの家庭環境はそこまで詳しくは知らないけど、もしかしたら普通の家庭に見えても中では凄い嫌な思いをしたのかも知れない。
それが原因で男嫌いのフェミになったのかも知れないけれど、そんなAが子供を厳しく(理不尽に)育てたら
そんな育て方をされて歪んでしまって異性憎悪を拗らせても不思議では無いと思う。母の様に。