はてなキーワード: 承認とは
日本は、1945年9月の敗戦によってポツダム宣言を受け入れて、朝鮮半島の統治権を放棄した。
そして戦勝国であるアメリカとソ連に「あとはご勝手にどうぞ」と任せてしまったけど、別に韓国(と北朝鮮)なんて国家承認する義理なんて無かったんだよね。
1950年代になって韓国と北朝鮮が東西冷戦の最前線になってしまったので、アメリカの要請によって仕方なく韓国を国家承認しただけ。
それがなければあんな国と関わりたくなんかないよ。
韓国は、日本やアメリカにとって北朝鮮と中国とソ連を抑えるための「不沈空母」であり、日本から見て利用価値が高いから認めたにすぎない。
「不沈空母」を失わないための村山談話や河野談話だったのであり、慰安婦に謝罪すれば北と中国の防波堤になってくれたので安い買い物だった。
旧統一教会という組織も、その韓国像そのものを具現化したようなものだったので、日本も仕方なく付き合って来たに過ぎない。
しかし、長期的には韓国という国は北朝鮮を併合すると思うし、その時は中国とロシアが当然反対してくるだろうし、日本はどうするべきなのだろう。
ミーティングでプロジェクトチームからの報告を私が担うことになり、みんなで考えた文書を提出した。
→伝え方が悪かったとされ、誤解を与えてしまった。
今度行う施策について、3月までゆっくり切り替えていきますが、全員ができそうな部分は早めに取り組んでください、と伝えた。しかし、
→移行期間を行わずに新体制に移行します。マニュアルよんでね。旧方法やる人は許さん。
というニュアンスで捉えられてしまった。なんで。怒った口調で言ったわけでもないのに。
それについて、「伝え方が悪い」とか、「誤解を招く表現してたんじゃないんですか」とグチグチ言われた挙げ句、新しい施策のうちわたしの介入したところを白紙にされそうになった。
こんな感じでやりますよ、じゃあ施行しよう。という段階で、詰めの甘さを指摘され、後出しでこれってだめなんじゃないですか。というのは急にもほどがある。
そもそもが有識者(詳しい情報を提供してる業者)の意見を聞いてそうなった部分もあるのに、考えてないだの思考停止だの言われた。自分たちより詳しい人たちとか、経験から導いたこととかを疑えってのはそれはそうなんだけど、「根拠は?」「根拠は?」と詰められて疲れてしまった。根拠はあるけど書籍に乗ってたとか導入事例があるとか、他社のやり方に習ったとか全部駄目で、完璧を目指さないと気がすまない某チームメンバーと対立してしまった。
新しい方法の導入についてだけど、きっちりやりたい一方、なるべく失敗しない方法で簡便を目指したい、というわたしの意見も手抜きとか意識低いとかで棄却された。
ミーティングでも「わかんないよ」と言われた。やってみればそんなに難しくないことですら、説明書が1から10まで書かれてないとだめだし、説明書がどんなに詳しく書かれていたとしてもそれを読んでくれないというのは薄々気づいていた。
ちなみにこのプロジェクトを指示した人物からはひたすらプロジェクトの完成を急かされ、呼び出されては怒られを繰り返した。
チームメンバーも敵だし、新しいやり方をこれから覚えてく人も敵に見えた。これをやりなさいと命令した人も。
ちなみに報酬もないしこれをやったからといって昇進するわけでもない。どこにモチベを見い出せばいいのか。
といってたどり着いた先が業務を簡略化し心理的負荷を下げれば救われはするかな…
だったんですが上記のそのスタンスすら根底から覆されようとしてるのを感じ、もうモチベーションもなにもかもが粉々に砕け散った。
そもそもがチームメンバー同士の会議で資料を事前に送っているのに読みもしないでミーティングを行い、初めてみた情報に対して怒りを顕にするような会議しかできないってのがおかしい。昔から思うけどそれで会議って言っちゃう人があまりにも多すぎる。そして一回決めたことを理由をつけてひっくり返すものだから、答えが決まらない。
また、理由を1から10まで決めないと気がすまない人も多い。もちろんなにかを選択しなくてはならないときに理由を挙げる大事さは分かるんだが、結局のところは選択肢AとBどっちが好きか?の問題でしかない。
対面会議の重要性は、まず文字でのやり取りを終えてから承認を得たり、会話じゃないと得られないやりとりをするのが本質なはず。だけど、ときに権力や知識を振りまいて感情的に物事を言うことでこっちからの意見を封じ込めたいという意図を感じることもある。
基準として、リモートや文面、Slackで完結しない会議は(それが必要なことがあるとしても)そういう要素があると思う。
ようは対面での会議は「怒られ」を象徴する。という認識になってきた。
わたしは昔からまあ部活動の運営とか技術系とかに関わってはいたんだけどそういう要素もあったので、これは弊社に限ったことではなくどこでもあることなんだろう。なので転職すれば直るかというとそうでもないと思ってる。(むしろ悪化するまである)
ようは定期的に精神力と睡眠時間・余暇を削って怒られるための文書や資料を作る、怒られるための準備をするってのがほんとに耐えられなくなった。怒られるのが嫌っていうと甘えに聴こえるかもですが、私が欲しいのは具体的な意見であって感情的な意味もない叱責や人格そのものの否定ではない。
ここ数ヶ月のわたしは
・いろんな人からの板挟み
・定期的に怒られるイベント
そういうストレスが蓄積して、今回爆発した。
川に飛び込み、ロープで絞首を行い、家にあるありったけの刃物で手足を刺した。普通の人であればこなせる仕事をこなせず反省もしないバカ(つまり私)に制裁を与えてやった。死んだら人や家族、職場に迷惑がかかるから。死なない程度に。誰かに気づかれたら心配されるから傷も隠した。(2人程度にはバレたけど)そして唯一の言葉の吐き出しができるツイッターにて、アカウントを「あれ」に乗っ取らせた。
あれっていうのはざっくりいうと不注意の多い自分に代償として生まれた概念で、分かりやすくいえばなにかを迷うシーンでありがちな「天使と悪魔」のうち「天使」に属するが手段を選ばない奴で、正義のためなら暴力や兵器すらも使うタイプのやつ。
つまり、「お前(わたし)はダメ人間なんだよ!」というスパルタを私から分離した超攻撃的な人格が私の中にはいて、自傷行為を引き起こす。
これを分離しすぎるとセルフネグレクトが起こるし、近づけすぎると自傷になる、とても扱いにくい奴をわたしは心の中に飼ってる。
まあ、この「あれ」に精神が乗っ取られて自傷行為が起きる、という認識だ。
今回、様々な環境要因もあり、「あれ」に精神を乗っ取らせてしまった。SNSの人格すらも乗っ取られた。
こう書くと中二病に見えるかもなのだが、事実自傷行為中の記憶がないし終わったら泣いててひっかき傷だらけの自分がいて理解ができない。怖い。
となると身近なツールで「あれ」との対話を残す、とか「あれ」の存在を私以外に客観的に見てもらうのはリスクが伴うけど対処法にはなる。
なので、鍵のアカウント化してああいうやり取りをわざと残した。ということになります。
今はアカウントは戻し、当時のやり取りは消しましたが、こういう現象があるということもご理解ください。
そして、SNS等で不安を与えてしまい申し訳ありませんでした。お声がけしてくださった方もありがとうございます。
どこにでもある普通の家庭にも歪みはあり、そして歪みは弱い者に全て皺寄せされるものだ
俺はその"弱い者"だ
基本的に発言権はないし何をするにしても上位者の承認が必要だった
上位者のお気に召さなければ却下され、いじめられ、上位者のやりたいことを強要された
ある日俺の承認欲求は爆発した
学校は退学した
暫くの後引き籠もりでもどうにか通える学校に入り、辛うじて卒業はできた
だが学校を出たところで人格がまともになる訳もなく、バイトをやっては辞めるを繰り返していた
学校でできた友人がいい奴で、今は実家を出て長期出張でほとんど帰らない友人の家に身を寄せている
正直俺はもう人生を終わらせたい
が、こんな失敗作に良くしてくれた友人に仇で返すような行為は友人の心に傷を負わせてしまう気がする
死んでしまえばもう何もかも関係なくなるが、友人には幸せになって欲しいのだ
何もわからない
何も考えたくない
行政法学において、許可、認可などは明確に別のものとして定義されてるけど、実際の法律では許可、認許、特許、免許、承認、認証などなどの語が出てきて、厳密に使い分けられてはいないから勘違いしちゃったのかな?
勘違いしてない。党派性もまったく入っていない。行政手続法の立法経緯の議論と極めて分断化された建付けをちゃんと確認していないのは皆さんの方でしょう。(あなたが一番知識がありそうなので、代表してあなたに回答しておきます)
処分とは、公権力の主体たる国・地方公共団体が行う行為のうち、その行為によって直接国民の権利義務を形成し、またはその範囲を確定することが法律上認められているものをいう。法令上、許可、認可、免許その他名称の如何を問わない実質概念である。
ただし、この先が細かい。今回の議論に関係しそうな部分だけ指摘すると、
要するに行政手続法は行政手続の一般法ではない。対象を極めて限定している。もっとも、一般原則としての適正手続の要請に配慮して、行政主体が自発的に審査基準(法5条)や標準処理期間(法6条)を事前に定めることが禁止されるわけではない。したがって、実務の運用で審査基準、標準処理期間を定めている例があるから、行政手続法の対象になるはずという逆推知は機能しない。(長野県のくだりに対する回答)
これらを踏まえて、宗教法人法について考える。申請はそれに続く認証に利益を付与する処分としての性格が認められなければ、行政手続法にいう「申請」には該当しない。そこで規則の認証の性格が問題となる。認証それ自体は、一定の行為や文書の成立・記載が正当な手続によってなされたこと(事実)を行政が確認する行為に過ぎない。直接国民の権利義務を形成し、またはその範囲を確定するわけではない。したがって、原則として処分には該当しない。
もっとも設立手続の認証(宗教法人法12条1項)は、法人として権利能力が認められるのに事実上必須の手続といえるから、直接権利を形成すると評価し得るかもしれない。一方、名称の変更の認証(宗教法人法26条1項)は、宗教法人の権利義務を直接形成するわけではない。また、いずれも処分性があると評価し得るとしても、申請に対する拒否処分に過ぎないと考えるなら、適用対象外とされる。
以上より、宗教法人の名称変更の認証が、行政手続法にいう処分に該当するとは考えにくい。もちろん終局的には裁判所の判断を仰がなければ、誰にも断定できないわけですが。(註2)
行政手続の透明性という利益だけに着目すれば、文化庁のやり方が好ましいものとはいえない。実際、1997年の時点で統一教会が不受理を違法として裁判を起こしていたら、(抗告訴訟か国賠訴訟かという問題もあるが)国の不受理は違法と判断された可能性もあると思う。そこを強調するのもひとつの「リーガルマインド」だろう。
しかし、悪徳商法まがいの献金集めで多数のトラブルを起こしている宗教法人が、その悪名を隠すために名称変更をしようとしている場合、国民をさらなる被害の拡大から守る必要性がある。名称変更申請の不受理が一義的に違法とまではいえず、他に阻止する手段が存在しない。このような必要性と許容性が認められる条件下で、統一教会の名称変更の利益と国民が霊感商法から守られる利益を比較衡量して考える。これだってひとつの「リーガルマインド」じゃないかな。
以上、細かい知識は大切だと思います。「リーガルマインド」などという薄いマジックワードに頼る論証では、学部の定期試験すら厳しいのではないだろうか。頑張ってね。
註1 適用除外の場合でも、行政運営における公正の確保と透明性の向上を図るため必要な措置を講ずる努力義務が規定されている(法46条)。しかし、法が適用除外とした趣旨から、法を下回るレベルの手続条例が定められても、当然に違法となるわけではない。その意味で手続法は、いわゆるナショナルミニマムを定めたものではない。(塩野宏)
註2 仮に違法と判断されるとしても、その根拠が、行政手続法、憲法、法の一般原理いずれに違反すると考えるかは論点となる。元官僚を名乗る元増田は、行政手続法違反と主張している。
我仍然不清楚為什麼中國共產黨如此反對佩洛西訪問台灣,但美國可能已經決定,無論如何,這將是有效的。
春秋時期的五霸不會接受地位較低的對手的使節,如果使節的地位較低。
我想這是一種意識,即對方的地位=忠誠度的高低。 反過來也是如此。
當秀吉與中國明朝談判時,他的回答是'我承認你是日本的國王'這樣的話。
然而,它在今天的國際社會中是否有任何意義,令人懷疑。
然而,這是一個困難的問題,因為如果它放棄了霸權意識,中國/中國的想法也會消失。
中國的等級制度或地位可能是一種身份,就像日本的神道教和武士道。
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もし日本で安楽死が認められる様になったら、実際どの位の人が申し込むのだろうか。
尊厳がある死として安楽死が認められているスイスでは、年間1000人(!)もの人が安楽死を選んでいる。
スイス連邦統計局他のサイトへによると、国内の自殺ほう助による死亡者は増え続け、2017年末では1000人を超えた。65歳超が大半だが、若年層も増えてきている。この数値には国外居住者が含まれておらず、実際の数はさらに多くなるとみられる。
https://www.bfs.admin.ch/bfs/en/home/news/whats-new.assetdetail.11348852.html
調べてみて衝撃だったのが、実際に日本人がスイスで安楽死を選択し最後を迎えていたことだ。
2年後の18年、インターネットで見つけたライフサークルにメールで連絡を取り、診断書と自殺ほう助を希望する手紙を送った。承諾の返事をもらうまで、時間はかからなかった。
既に自殺ほう助の承認を得た患者でも、医師がこの面談で患者に健全な判断能力がないと判断した場合、承認が取り消されてしまう。
記事を読むと両親を説得とあり、どうやら医師の面談を受け、医師から許可を得られれば団体所有の建物内で自殺ほう助を受けられるとある。
俺はまだ辞めないが、去年入った新人が辞めたのでなんとなくだだらと書く。
残業は月20hくらいで手取りは28万くらい。残業次第で変わるので手取り額ってあんま当てにならんよね。高収入というほどでもなく低収入と言ったら怒られるくらいの微妙な層。
はてなに書いたらそれだけでアンチ湧くレベルのFラン理系。クソみたいな学部論文からのクソを具現化した修士論文で一応院卒。謙遜とか自虐ではなくマジで就活が嫌だったのでなんとなくで院に行き、マビノギに明け暮れてろくに研究室に顔出さずに論文出して教授からはノーコメントをもらい発表会で他大学のせんせから「この研究、何?」と言われたくらいには意識が低い。
就活やる気起きなさすぎてうだうだしてて、当時の彼女に未来が無いと振られてしゃーなしで学内専攻行ったらそれが富士通で適当行ったら通った。俺はハリボテが得意なんだ。
雑用。エクセルひたすら編集したりjava書いたりbash書いたりマクロ書いたりRHELいじったりpostgres弄ったり客とだべったりパートナーとだべったりオフショア折衝したり。
大学時代はクソだったが仕事は流石にそうもいかんのでちゃんと毎日出社して自分のこと仕事はこなしてる。お金は欲しいので。
管理職になりたくないので一生下っ端みたいな仕事してたい。マネジメントは一応資格とったけど二度とやりたくねえ。
パートナー会社、大抵は良い人だしスキルもあるんだけど、この世に俺以上のカスがいるのかと思わせられるクラスのカスがいるしそんな人間のマネジメントさせられるのももう面倒でいやだ。
「勉強!勉強!」みたいなキラキラSEではなく仕事で必要になったら「ほなクラウドの取説読むかあ……」みたいな意識低い系。
というかインターネットに住んでるITマンすごいね。仕事おわったら酒酒シコ酒ゲーム酒でしょ。それが正しい人間の生き方だよ。
みたいな昭和カンパニー的な感じはない。申請事項と申請フローはクソ多いので面倒。
うちはBtoGなんでせいぜい二億くらいの小規模案件多いから部長本部長決裁で適当に説明にして承認もらえるけど、BtoBで銀行とか企業相手にしてるところは社長決裁とかあってヤバいらしい。
よく退職エントリで見る開発PCが低スペック!!!みたいなのは意味わからん話。稟議出して購入手続きすればCPUメモリ増し増し40万くらいのマシンが社内価格で20万くらいで買えるので。FCNT別会社になったはずなんだけど、まだpc安くてよかった。win11のマシンが欲しくて今年頭に買ったので最近の話ね。
有給はフルで毎年20取ってる。みんな取ってるから俺だけ勝手に休んでる訳じゃないぞ。
社内の連絡手段はメールがlyncかteams。lyncはもうすぐ終わるらしい。lyncとteams両方生きてるせいでどっちもアプリ立ち上げとかないといけなかったのではよ終われ。
ファイル保存はネットワークドライブと皆様ご存知projectWEBだったけど、ネットワークドライブは、boxに移行し、そのboxはろくにつかわれないままonedriveとshrepointになった。
projectwebはなんだかんだで便利だった。エクスプローラー感覚でできるファイル管理とチケット管理とタスク管理できるシステムはUI古く見えても便利だったよ。
仕事は全部テレワーク。最近「でもやっぱ直接会うのって大事だよネ……!」とか上層部が言い出したので、たまには出社するようにとのことらしい。課会で「マネージャーとチームリーダーが出社したことでチーム内コミュニケーションとする」という空報告が決まった。
幹部社員崩れの老害社員は1人いる。正確にいうと仕事はできるしいうことも正論だがお小言が多くコロナ前にあった飲み会の場では「俺の若い頃は〜」という話を延々と続け、俺とはソリが合わない上に体臭がきついので俺は嫌っている。耳ほじった手でキーボード触んな。
今まで4人面倒見たけど全員離れて行った。
本人の希望ではなく会社都合で別部署になったのが2人、本人の希望で別部署行ったのが1人、そしてYouTubeに本腰入れるためと言って入社一年目で辞めたのがこれ書く契機になった1人。
別部署行った子も「わたし文系出身だからSEの仕事合いません…」っつって営業に行ったのでまあわかる。向き不向きあるしね。変数名にint OkyakusamaNunberと付けてきたのも良い思い出。せめて綴りは合っててくれ。
君と夏の終わり、将来の夢、rm -rf /*したテスト環境忘れない。
それはそうとYouTuberよ。
そんな「父さんな、YouTubeで食っていこうと思うんだ」みたいな台詞現実で聞くことになるとは思わなくて三回くらい聞き直しちゃったもんね。
いや俺もVtuber見てるからYouTuber自体に理解が無いわけでは無いのよ?
でもさあ。「チャンネル登録者1000人の大台に乗ったんです!いま踏ん張らないと!」とか言われてもさあ、1000人クラスでよく会社辞める決心ついたな……としか思わんじゃん?
仕事に不満はなかったというが立つ鳥跡を濁さなかっただけなのかはよくわからん。振り返ってみてもそんな旧態依然としたオールドカンパニー、待遇激悪、未来なしみたいな会社じゃ無いと思うんだが。
チームメンバーみんな「えっ辞めるんだ……1年経ってないのに……」っていう戸惑いの後に「YouTuber???????」っていう戸惑いあったもん。オンライン会議のマイクの向こうから伝わる、必死に言葉選んで「ゆ、ゆーちゅーばーやるために会社辞めるの?」という問いかけにちょっと怒り気味で答えた君の勇姿美しい。
楽なのは絶対に意地の張り合いとかチキンレースのない人間関係なのにな。
『規範から外れたアウトローな俺』がかっこよくて、そういう自分を見せつけて他者から承認を得たい、だから他者に加害して『規範から外れたアウトローな俺』を演出するのか?
なら『規範から外れたアウトローな俺』っていうのが死ぬほどダサくて竈門炭治郎みたいな誠実なやつのほうがかっこいいぞ、みたいな感覚が社会一般に浸透したほうが良いのかな。
保育にちょこっと関わる仕事をしてたことあるけど女児でも意地の張り合いや私のほうが○○だもん!みたいなのはあったけど、誰かにちょっかいかけたり加害行為をしてそれを自慢気にする、というのはほとんどなかったな。男児だけ。
知らず知らず男らしさ、女らしさ、みたいなものを大人が態度で示したり、いろんな表現物に落とし込んでいて、それを摂取していった結果なのかね。
ヒーロー物を見て強さに憧れるのは分かる。自分もそうだったし。
ただヒーロー物や仮面ライダーを好む女児もいるしプリキュアだって戦ってるし。
規範から外れたものをかっこいいと思う感覚がどこからくるのか、それを実践しても良いと考えて行動に移し、さらにそれを互いに競い合う、みたいなことになんでこうも男女差が出るのか不思議。