はてなキーワード: 尊厳とは
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
あぁ、わかるよ。とにかく愛されないんだ「俺たち」は。
ちなみに、製作者はフォレスト・ガンプをどう思っていたんだろうな。結論から言うと、彼らはガンプを愛したが、知的障害者は愛していなかった。監督のロバート・ゼメキスはDVDの副音声でこう言ってる。
監督が求めたのは、自分の意思がなく、状況をただただ受けいれるだけの純粋無垢なキャラクターだった。90年代の映画にしてはちょいと古くさい知的障害者像だ。
じゃあさ、「フォレスト・ガンプの時代に現実の知的障害者たちはどうだったの?」っつー疑問が浮かぶわな。そこで調べたんだが、1950年~1990年のアメリカは知的障害者にとっても激動の時代だったことがわかった。
劇中、フォレスト・ガンプ少年はIQの低さから公立小学校への入学を拒否されかけたのだが、ママが校長にファックを決めたおかげで難を逃れた。
愛する息子を守るため、裏技に手を出すのも当然だ。当時、知的障害者は施設にぶち込むのが当たり前だった。そして、施設はひどいなんてもんじゃなかった。
1965年にウィローブロック州立学校という知的障害児の施設がリークされた。
潜入リポーターが残した記録によると、4000人しか収容できないにもかかわらず、6000人にものぼる障害児が押し込められ、服を着ていない人や、ほとんど介助されず放置状態の人など、人間が生活する環境とはとても思えない状況だった。
とにもかくにも、この時代に知的障害であると判定をされたら終わり。その先に人間の尊厳はない。
1950年代には知的障害者の親たちが施設への批判を始めたという動きもあったらしいので、ガンプのママが知っていても全然おかしくない。
ちなみに、映画では校長から特別支援学校への入学をすすめられ、ママが「そんなところでタイヤの修理方法を勉強させません」なんて言い返している。
個人的には、史実に基づいたやり取りなのかという点でちょっと疑ってる。
というのも、当時の特別支援学校には簡単には入れなかったらしいからだ。教育を受けられる障害者は全体の5人に1人程度。軽度だからほいほいと入れるのだろうか。
それに、修理工の授業なんてあったのだろうか。卒業後、施設にぶち込まれるのであればそんなもの必要ないわけで。ここは有識者のコメントを求む。
血の日曜日事件のアラバマ州が舞台でありながら公民権運動をスルーしたことで、白人礼賛の保守映画と認定されがちな本作であるが、1960年代は黒人だけでなく障害者にとっても革命的な時代だった。
1963年には脱施設化の転機である「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書(ケネディ教書)」が発表され、
1972年には、Wyatt vs. Stickneyの訴訟で、軽度の知的障害のある人たちは入所施設に収容されるべきではないという判決が出された。
公民権運動だって知的障害者に大きな影響を与えた。アメリカの障害当事者団体の中で一番強力な権利擁護運動団体といえば「ADAPT」だ。(まあ、身体障害者向けの権利団体なんだが)
設立者のウェイド・ブランクはガンプのお膝元アラバマ州で公民権運動にかかわっており、その運動のノリでADAPTを設立したってわけだ。
個人的には、ガンプがキング牧師に会わなかったことより、ウェイド・ブランクにスカウトされてないほうが疑問なわけだ。
アメリカ全体が脱施設化に向けて動きはじめたのはいいが、「じゃあどうやって地域で暮らすの」というのが目下の問題だった。
ガンプは走りたいから走っていたが、現実の知的障害者たちはそういうわけにはいかない。
結局デモなりなんなりで、「地域で暮らしていいよね!」、「俺たちにだって権利があるよね!」と市民の了解を得るしかない。
というわけで長い年月がかかったわけだが、1990年に「ADA法(障害を持つアメリカ人法)」という決定的な法律が成立した。障害による差別を禁止する公民権法だ。ダン中尉、政府のおっぱいは限界です的な裏事情はあるものの、いよいよ連邦政府が障害者の権利を認めたのだ。
「マイレフト・フット」、「レナードの朝」、「ギルバート・グレイプ」、「フィラデルフィア」。
90年代ハリウッドでは障害を肯定的に捉える映画がたくさん作られた。フォレスト・ガンプもこの延長線上にあることは間違いない。
革命的なのは2000年代のファレリー兄弟だろうな。いよいよ障害者ご本人が登場しちゃうんだもん。
さて、冒頭のロバート・ゼメキスの話に戻る。彼は障害を肯定的に捉える映画の企画が通りやすい状況を苦々しく思っていたのかもな。
「だって俺、興味ねーし」っていう。
結局ADA法に逆行するような、意思のない愛されキャラのフォレスト・ガンプが作られたし、世間もそれに乗った。
まあ、素の「俺たち」は苦々しく思われているわけだ。
「知的障害者」だって苦々しく思われてる、それは同じだ。それでも権利を主張してきたし、いくつかは勝ち取ってきた。
今じゃグループホームなんかで暮らしながら、地域生活をエンジョイしてる知的障害者もいる。
日本の話だけど、この前バリバラに地域で子育てしてる知的障害者の夫婦が出てたぜ。ハロー・1950年代、これが2019年だ。
だから、俺は無能な「フォレスト・ガンプ」をやめて、こいつらを参考にすることにした。権利があるんだって言いつづけてやるさ。
当然のように、俺たちにはその権利があるんだ。
エログロナンセンスだとわかって見に行っても、女として生理的に無理だったところがあった。
「いい子じゃないとわからせたくて、父が仕掛けた監視カメラに向かって股を開いた」
父親に性的な目で見られる・自分を性的な存在として父親にアピールする。無理。父親と性を隔離しようという本能に反する。
自分を監視する父親へのあてつけとして、男を連れ込んでセックスして見せつけるなら理解できる。その場合、性的対象は父親ではなく相手の男だから。
自分達は植木屋の味方であると示すため、看護師達が師長を罵倒するシーン。
「厳しく叱られた」「患者に殺された同僚看護師を無下に扱った」というような仕事上の不満ではなく「どうせ処女」「ヤリマンの方がマシ」「院長はミニスカナースとヤリまくってる(=意中の男に性的対象とされていない)」という女性としての尊厳を傷つけるような罵り方を、同じ女性がしていたことが辛かった。
・『女の性欲』の否定
一目惚れして追いかけ回していたメイが欲情し「子作りしよう」と言うと途端に逃げ出すアキラ。
結局男は、女が性欲を表に出すと引くんだよね。振りむいてくれたヤッター!って2人で男根神輿に乗って歌うラストだったらよかったのに。
倫理的にどうかと思うような台詞もあったが、この3点はあまりの気持ちの悪さに耐えられなかった。
脚本・演出の青木豪は男性であり、どうしても理解できない・埋められない男女の感覚差はあるだろう。
台本に書いてあればどんな台詞でも言わざるをえない役者は大変だと思った。
男女関係なく、アキラがメイの話を全く聞いていない事も引っかかった。
口説いていい感じになるシーンで突然「部屋に篭るからダメになる、毎日外に出て太陽を浴びるべき」と語るアキラ。
メイ、そんな話してた!?メイは医学部を出た後大学病院で研修医をしていたようなので、別に引き篭もりではない。何の話だ。
高嶺の花をゲットするために、何かきっかけがほしい。吊り橋効果。それはわかる。
しかし、自分に都合のいい障害として父(院長)を設定しひたすら攻撃するだけで、メイの事情や心情は全く聞こうともしない。
最初から最後まで、アキラが相手を全く尊重しない勝手な男としか思えなかった。だから元嫁も逃げたんだろうな。
topisyuさんのこの記事を読んで色々思い出したので書いてみます。
「現在、上司からモラハラを受けています。モラハラを、受けている時の気持ちの持ち方は、どうされましたか?https://topisyu.hatenablog.com/entry/2019/01/26/073000
基本的な考えは1.「あなたは悪くない」2.「彼らの機嫌をとる必要はない」3.「モラハラはあなたの尊厳に対する侵犯行為なので受け入れる必要はない」です。
なお、これを行なってもモラハラそのものは解決しません。それは、人事部なりコンプラ部に委ねましょう。これから書くのは、なんらかの解決を見るまでの間どのようにあなたの心を守るかの話しです。
モラハラをする人はあなたを自分のコントロール下に置くために、罪悪感を植え付けようとします。
「自分がダメな人間だからこうなった」「自分が〇〇していれば問題は避けられた」とあなたに思わせる事ができたら彼らにとっては大成功です。
topisyuさんはモラハラ上司の自己肯定感を高めて問題に対処してましたが、これは揺るぎない自分を持っている人以外できないのでお勧めしません(topisyuさんも万人にはお勧めしませんと書いてますね)。
注意しないと1.の思考パターンに陥ります。自分の機嫌は自分でとるものです。それができないモラハラをする人に問題があります。
1.と2.をまとめると3.の言葉になります。私はモラハラ上司に苦しめられていた時に繰り返しこの言葉を思い起こしました。
通常であれば職場の人間関係を平和なものにするためにある程度の譲歩をお互いするものですが、モラハラをする人に対してはこの方法は機能しません。あなたの尊厳を守る事を最優先に考えましょう。
他にも、モラハラをする人は密室(物理的にも精神的にも)で事を行おうとするので周りの信頼できる人たちに話すことや会社の然るべき部署に相談すること、自尊心を保つために他の人に親切にすることや真面目に仕事に取り組むことなどもできます。
自分の場合は、発足したばかりのHRチームがうまく機能せず(会社設立数年のベンチャーだったので、その時点で彼らが扱うにはハードルが高すぎたのでしょう)退職を選択することになったのですが、上記の事を行った結果、モラハラ上司と社長以外のメンバーからの私の仕事に対する大絶賛と、退職を惜しむ数々のコメント、1人の人として私を好きでいてくれる人たちの声に送り出されて次の職場に移ることができました。
これは嫌な記憶を引きずらない助けになりました。
明石市長の舌禍問題について。当初の過激な言い分への批判一色模様から一転して、
神戸新聞NEXT|総合|部下に「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」 明石市長の暴言詳報
↑の市長の発言詳細が明らかになると、「悪いのは7年仕事を放置してた無能職員であり、市長はむしろ正しい。立派」みたいな意見が続出していて愕然とした。
当の市長そのものの是非については、正直それほど強い感心はない。個人的には、どんな背景があるにせよ「(市民の家に)火をつけてこい」って発言はあまりに酷すぎると思う。が、市民の安全を想う明石市長の言葉の熱意に感銘を受けたり、あるいはこれまでの功績を評価して、明石市長を支持したいという立場を取る人たちを別に否定するつもりもない。
それよりも気になって仕方がないのは、この発言の是非を巡る議論に際して、パワハラ発言の被害者側である職員が「7年間何もしてなかった無能怠慢職員」だと決めつけられがちなことで。
市長を擁護する側は言わずもがな、批判する側からも「無能職員を働き者の市長が叱責した」という前提に立ったコメントが散見されて、「いやいや、そもそもこの記事だけじゃ実際の職員の働きぶりがどうだったか分かんないじゃん。ちょっと待ってよ」と。
市長「そんなもん6年前から分かっていること。時間は戻らんけど、この間何をしとったん。遊んでたん。意味分からんけど」
おそらく、前掲の記事のこの辺のやり取りであったり、
「ややこしいの後回しにして、楽な商売しやがって」
市長のこの辺の言葉であったりとかが、職員は7年何もすべきことをしていなかった、遊んでいた、面倒な仕事を後回しにしていた、給料泥棒……みたいな印象を与えるのだろう。
でもこのやり取りは、あれだけ過激な言葉を使うほど興奮状態だった市長が、上の立場から一方的にまくし立てていたであろう状況なわけで。そんな一方的な発言だけを見て、市長と職員の働きぶりが有能・無能だったと決めつけてしまうのはどうにも不公平に思えてならない。
市によると、事業は10年度に国が始め、約200メートルの区間約1900平方メートルに42人の地権者がいた。
国から用地買収の委託を受けた市は職員3人で、12年度から個別交渉を開始。早ければ16年度末に完了する予定だった。
市によると、交渉は「住み慣れている」「権利関係が複雑」などの理由で、一部の合意が大幅に遅れた。
交渉を担当した市幹部は「最後の建物を放置していたのではなく、1カ月に1回以上は地権者と交渉していた。正式書面で金額は示していなかったが、概算額は提示していた。市長が激高した時期は契約前の最終段階だった」と話す。
市長は「7年間何しとってん。楽な商売しやがって」と怒鳴ったが、別の職員は「金額提示をしていないことを、全く着手していないと思い込んだのではないか」と推測した。
一方でこちらは、遅れて公開された職員側からの弁明記事。もちろんこれはこれで職員側からの擁護的な言い分であるわけだから、これだけを鵜呑みにして「なんだ職員側は十分頑張ってんじゃん」と判断するわけにはいかないだろう。
しかし、調べてみると用地買収の実務について知識のある人たちから、「職員が7年仕事してなかった」って取り上げられ方に同じく疑問を持つ声がチラホラ見受けられる。
明石市長の「パワハラ」案件について、自治体としてできること・できないことから考える - Togetter(例えば、この方の一連のツイートとかは知識の無い自分にもわかりやすくて参考になった。)
というか、用地買収手続きの実態とかが全くわからないにしても「複雑な事情があって難航していたんじゃないか」とか「縛りの多そうな役所の仕事だし、職員の立場ではどうにもならないこともあったんじゃないか」とか、いろいろ想像は付きそうなものだし。それを「7年何もしてなかった」とまで言ってしまうのはあまりに短絡的じゃないかなあと。担当職員が何度か交代していたというから尚更、みんながみんな揃って全くやる気の無い職員だったなんて考えづらいし。
たぶんこれが、民間企業での上司と部下のやり取りだったらこうはなってなかった気がする。
・お役所仕事の非効率さや、公務員の働きぶりそのものに負のイメージが持たれがち
・当初の報道で、市長の立派に見える発言部分が報じられていなかったことに対する反動
……などなど、いろんな要因が重なってこういう流れになっちゃったのかなあと。
まあもちろん、実際いざ蓋を開けてみたら、やっぱり職員がただ面倒な仕事を後回しにしていた、どうしようもない怠慢職員だったって話になる可能性もある。(市長の叱責の翌月には買収がまとまったって話もあるようだし)
しかし、もし職員が自分の出来る範囲できちんと尽力していたのだとしたら、今の彼らの心情を思うと何ともやり切れないなと。ただでさえ、逆らえない上の立場の人間からあんなキツイ言葉を投げかけられた上に、仕事の実態を知らない全国の人々から、無能だ怠慢だとレッテルを貼られ、「こいつが悪いんだから言われるのも当然」なんて言われるんだもの。まるで「いじめはいじめられる側にも原因がある」って被害者側が叩かれるみたいに。理不尽にもほどがあるような。
それに、例え仕事が滞っていた原因として職員の落ち度が少なからずあったとしても、「何もしてない無能」とまで言われることはないんじゃないかと。
今この世のどこか(というかたぶん明石市)に、市長の言葉と此度の件で、自分の仕事を全否定されて尊厳も名誉も踏みにじられた職員がいるのかもしれないと思うと、凄く居た堪れない気分になってくる。
今後、市長の発言の是非そのものだけでなく、用地買収経緯の実態が明らかになることで職員が「何もしてないわけではない」ということが明らかにされて、彼らの名誉が回復されていく展開が訪れるか。そうならないのであれば、彼らが実のところ本当に同情してあげる余地が全くないほど、「7年何もしてなかった」怠慢すぎる職員であってくれることを願うばかり。
相手の女性が言う父の家出の理由は、母には全く心当たりがないと。
そしてメールは続く、「パパの家出はお芝居かもしれないのです。」
母による大胆な推理だ。
母との喧嘩で尊厳をいたく傷つけられた父は、いたたまれなくなったのだろうと。
たしかに父はプライドが高い。そんな父は母に打ちのめされた事を認められないかもしれない。
父の家出から1か月半が過ぎたものの、いつまでたっても真相は見えてこない。
遠くから眺めることしかできない私の前で、状況は拗れ続けるばかり。
母からのメールに書かれていた「お芝居」という単語は、実は私の頭の片隅にもずっとあったのだ。
俺もこの増田の旦那はクソだと思うが、この文章からでは「サイコパス脳で相手が嫌がることを意図的にやってる」のか「ADHD脳で相手が嫌がっているであろう気持ちをまったく想像できない」のか「相手が文句いってこないなら問題ないだろうと思ってガンガン甘えてきてる」のか検討がつかない。まぁおそらくは3番目に近いと思うが。
きっとこの増田、こういった不満をため込んでも旦那さんとの関係がギクシャクするのが怖くて不満の1割もクチに出してないんだろうなって思うよ。そうやって何も言わないとどんどん相手が図に乗って増田をどんどん舐めてくるんだよ。たしかにこの相手はもともとこういった脂質があるかもしれないが、ここまでひどくなるのは増田がちゃんと自分の不満を表明しないで図に乗らせたのも一因なんだよ。これで突然耐えきれなくて離婚!ってなっても、相手は反省するどころか「不満だったらなんでもっと早く言わなかったんだ」「突然離婚とか意味不明」って増田の行動に責任展開しはじめるだろう。
わかるよ、喧嘩慣れしてない人には喧嘩するのはエネルギー使うしハードル高いんだろ。でも言わないと相手には何も伝わらない。おそらくこの内容を旦那に伝えても最初は1,2割しか伝わらないだろうが、それならこれの10倍以上のエネルギーで相手に自分の不満を伝えないと。「仕事は男女平等で両方正社員なのに家事の負担は女だけ」とかまともに考えたらダブスタに決まってんだから、旦那が当たり前だと思ってる生活がいかに間違っているかをちゃんと言葉にして伝えないと、相手は増田が黙っているのをいいことに「これで問題ないんだ」って思ってさらに理不尽な要求を望んでくるよ。旦那の会社の愚痴話も、仕事での人間関係のストレスが酷すぎて誰かに悪口いって解消しないと気持ちが落ち着かないのかもしれない。ま、それを嫌がる増田に聞かせるのも甘えだと思うが、少なくてもなんで相手がこんなひどい話つづけるのかって理由がわかればすこしは納得もできるだろ。(でも嫌なら拒否っていいんだぞ)
まぁここまでやっても最後は結局離婚になるかもだけど、相手とのガチ喧嘩裂けてお互いが相手を憎んだまま離婚するより、お互いが大声で泣くくらいの大ゲンカを繰り返して関係改善の努力をしてからの離婚のほうが増田も「やるだけのことはやった」って踏ん切りつくと思うよ。
いくら周りでmetooとか女性差別反対とか声が増えても、自分自身の尊厳は自分で戦って勝ち取らないと取り戻せないんやで。大変だろうけど旦那と腹を割って話していままでの不満を全部ぶちまけてきなよ。離婚考えるのはそのあとでもいいだろ。
『作者の姿勢とコミュニティによるツールの神格化が不便さに追い討ちを掛けている』
神格化ではなく、「諦め」。
自分以外の他人に対する尊厳を傷つけないように考えあぐねいた結果が、自分勝手に不便さの文句を言いたい本能を飲み込んで諦めたという、成れの果てだと思う。
作成者にしても、誰しも必ず大なり小なり知名度を広めたり、それで金銭が稼げることを夢見ると思うが、それ以上に利権問題が面倒なので、夢を見る事を諦めてる人が作成側の陣営に揃って居るか。
または自分の能力で作れる物が限られて当たり前なのだから、そこの所の問題を放置したままでも、文句を言わなかったり、それなりに使ってくれる人が多い界隈に投げ込むのは、当然の流れだと思う。
MMDは「自分にとって使いにくいものでも、他人とっては使いやすいもの」の考え。
それを作成者側も使い手側も同様に保ってきたから、精神的苦痛を作成者が受けない分だけ、金銭を求めない配布が可能だった。
二次創作関係はモデルで商売が出来ない場合が多い。もし金銭を取らなければならない程の負担が発生するのなら、最初からモデルすら作らない。
そしてMMDは「自分はこの分野は得意だが、あの分野は苦手」という部分を、Blender周りの環境よりも、さらに細分化して分担しているようなもの。
一貫して満遍なく操作する能力が有る、又はそういったマルチ的な思考が得意な人はBlender。
得意不得意にバラつきがある人は、作業ごとに自分の得意な分野だけ参加、または点的な長所を発揮しやすいMMDを選ぶ。
という様に、自分の特性とツールの特性が合致する使い分けをしているだけに過ぎないと思う。
Blenderで出来る事の方が人として凄いのだから、そこまでBlenderを愛するが故にMMDに正面切って苦言を言う位なら、周りの評価などに構わず、Blender布教の為の人柱として献身的に活動するべき。
仕事となれば、極力工数を減らした環境で一括して行うスキルが否応なく求められるが、趣味だけでやってる人間は工数の指定などないのだから、自由にやっていい。
それを自分がこうしたいから、そのソフトはダメだという事を言う、自分本位の人間の主張は本当の「大衆」の利益でなく、自分以外の財産を楽して得たい人間の、単なる身勝手な我儘しか考えられてないのが主体だと自覚を持った方が良い。
自分以外の誰かが望むことは、人それぞれだと言うこと。
人の財産を楽して得たい人が居れば、楽はしたいけれど他人の財産を奪う様な形では活動したくない人も居る。
その場合、人を傷つけない事を優先している人の主張に軍配が上がる。
意図的に他人を蔑ろにして誰かを傷つけに走れば、必ずそれは自分にも帰ってくる。筆者が言う人も、それで自分に返って来ただけの事。
そうならない人は、他人にちょっかいかける不名誉な行動で、自分にも傷が返って来るなんて馬鹿な茶番をする時間よりも、自分がやりたいことだけに注視したいから、そっちに手間を割かないだけ。
神格化とは全くの別物。
仕事では決められた枠で納品しなければ社会的に認められないが、趣味は社会的な土俵に無く許されることだから、操作規格が不揃いだろうとも、使い手側が文句を言えることだろうか。
本来なら文句を言われる必要の無い人間が、他人から「自分の為に、又は自分と同じ考えの集団にとって利益にならない物だから、自分達の利益になる様にしろ」という謂れの無い身勝手なケンカを吹っかけられては、嫌悪感を露にすることが当然の事ではないだろうか。
自分以外の世界の人間や生き物は自分を楽させる為に、生を受けて生きてる訳ではない。
不便は他人に補わせるという考えの人から「物だせやオラァ、アァン?」と来られれば「ふざけんなオラァ!」と返り討ちに遭うのは当然。
迫られた側が言葉で拒絶するだけで、画面向こうから手が飛んでこないだけ有難いと思う。
ましてMMDは趣味から発生して、現在進行形で仕事に疲れ果て、趣味オンリーという憩いを求める人の受け皿として支持されているのだから、商用の概念を持ち込もうとして弾かれたなら、それだけ仕事に疲れている人が多かっただけ。
ブラックな世の中に疲れて来る人達の憩いの場に、ブラックよろしく使い手側の利益優先の考えを持ち込めば、人が血走った目で睨んでくるのは、想像に容易い事だと思う。
という様に、拙宅は筆者とは異なる方向でMMD側が反発する理由の想像が付く。
もし仕事以外の趣味100%でやってる人間の主張なら、それは身勝手100%の不満でしか無い。
仕事もコミでやりたい人はアレコレと不満を言う事になる前に「仕事も込みで出来る環境を求める自分にとっての最適環境はMMDじゃ無いな」と。諦めの心を持てば良かったと思う。
すれば不満に思う気持ちも、わざわざ抱かなくて済んだろうに。
諦める他に道が無いなんて暴論だ、と思うなら「望めばなんだって叶う」という思い込みがあるから。
望めば何でも叶うのは正論。ただし、それを成す為に時間を掛けるのは自身であって、他人じゃない。
言いたいこと終わりです。存分に殴って下さい。
『obj形式などで配布されたら、どれだけのソフトで利用できたことだろうか』
MMD側でも同じことを思っていると思う。
「これだけMMDが普及してきてるんだから、世の中の3Dデータの全部がなんでx形式やpmx形式で配布されて無いんだ…(加えて、全部が必ずMMDでも使えるような物じゃ無いんだ)」と。
しかし実際は、不完全にしか自分の作品にインポート出来なかったとしても、自分が使える範囲に使える状態まで持っていければ、御の字と思っている。
筆者の様に何でもかんでも「面倒な事は配布側でやってくれ」とは思っていないので、文句さえ言わなければ作成者側も気楽にポンポンとデータを放り投げてくれる。データを投げてくれるだけ有難いと思う。
欲しいと望む浅ましさは同じだが、それを口にせず、あくまで他人が気持ちよくデータを投げてくれるように「他人は他人」と弁えてる人間と、自分の欲求のままに他人に何かを求める「他人と自分の境を保ってない」考えの違いだと思う。
MMDで問題を起さずに黙々と活動する人達は、自分が使いやすいデータでなくても「作成者にとってはこれが作りやすい、又は配布しやすい形だったんだろうから仕方ないや」で文句を言わずに自分の出来る範囲で、使い物になるレベルへのインポート作業を熟す。技術的からも、権利的からも問題で出来なければ最初から諦める。いつかできる日が来ると夢見て、それが現実になる日が来れば「棚ぼた」だ。
もし筆者が言う様な事をMMDの作成者側に求めれば、たちまちMMDは気軽にデータを借りれる環境を保てなくなり、やがて素材の供給が停滞し、勢いは無くなって行く。
現にそういう人間の人口が増えるに連れ、MMD用のデータ配布側では配布制限が顕著になってきているのが目立ってきている。現行の作成者が物を作らなくなっても、どんどん新しい創作人口を増やせば問題無い、というのは人を人間でなく物として使い捨てにする考え。
新しく入って来た人口もそんな考えで使い潰されていけば、やがて真っ当に物を作る人口が空洞化し、MMDは他の界隈と同じように違法商売の温床になる。
そうなれば、漫画村やanitubeなどのサイトと同じく国規模で害悪認定されるだけ。
それを何となく感じ取っているから、MMDの界隈は「作成者のやりたいようであるべき、周囲から何かを求めない」という姿勢を崩さない様に、原作者とデータ化する作成者に多くを求める考えの人間が発生したり雪崩れ込んでくる危険性に警戒し、多目的なオープンさを求める外圧に対し嫌悪感を持って、独自性を死守するのだと思う。
ゴミ自身がゴミをスケッチすると美化しがちなのだが、たまたま山田洋次という超インテリが、他人事の冷徹さを持って見事に写生したのが寅さんだ。
でも、寅さんが生まれたころよりも社会制度が整ってきたので、ゴミがしっかりと分別され、臭気が漏れぬようフタを閉めるようになった。
その点は違いとしてあげられるだろう。
そう考えると、はてなにいる中流階層が「これゴミ、くさいしきらい」と言うのはあたり前だと思う。
そもそも、ゴミを見なれていないので、これはよく描けたリアルなゴミですなと感心するだけの鑑賞眼がない。
ただ、男はつらいよという作品自体は、そう遠くない未来に強く求められるようになるんじゃないだろうか。
このまま、生産性という名の分別ルールが拡大しつづけると、多くの人がゴミとされる。
かつて、寅さんを「くさいしきらい」といった人間もそうなるのかもしれない。
そして、ベーシックインカムかなんかで細々と暮らす彼らのそばには、寅さんがいる。
寅さんはとても哀しい目をしているけれど、さくらがいて、舎弟がいて、いろんな人と関わりあっている。
それは、人とのつながりと自由意志という、人間として死守すべき最後の尊厳を感じさせてくれる。
とうに自分が失ったものを、寅さんを通して再発見していくんだ。
ぼくも、そうやって寅さんにハマった口だ。
いずれ、みんなそうなるだろう。
今後新たに生まれるであろう弱者男性の将来の逆転の可能性すら潰すとか徹底してるわ
え? あのCMは強者男性を批判しているんでしょ? ってアホのフェミニストは見当違いのことを言うだろうけど
動画で言えば弱者男性ってのはいじめっ子の集団に追いかけられてた小さな男の子のことだ
あの時は社会的に強い立場にあるお父さんに助けてもらえたからよかったものの
お父さんに助けてもらえないのが普通だし(昼間は働いてるしな)
土下座で済めばいいが
大概はしこたま殴られて痛がっているところを笑われるか
下手したら公開オナニーくらいさせられるかもしれない
嵐が過ぎ去るまでの辛抱だが怒りは簡単には消えない
頭の良い子なら勉学に励んで優秀な大学に入って社会的に将来はマウントが取れる可能性がある
俺は狂った
何回殺したことか
なんかバーベキュー焼いてるゴツい男が強者男性のステレオタイプらしいが
バーベキューってどちらかと言えばマイルドヤンキーの代名詞じゃ……まぁアメリカのCMに言っても詮無きことか
実際の強者男性は高級レストランで高い酒飲んで高い料理食ってホテルで女喰ってるよ……過去に何も責任を取らずにな
正しいことをしようと言って弱者男性を救済するふりをして強者男性の一切の罪を消し去ろうとするCMは嫌いです(正しくなるから過去は水に流せってことだろ?)
個人的にフェミニストがオタクの文化を攻撃してる時の万倍はキレてる
尊厳に関わるよ