はてなキーワード: 塩分とは
https://twitter.com/ore825/status/1064067808944779265
「無水油鍋」
ニンニク2片をごま油大さじ3で炒め白菜250g、豚バラ200g乗せ酒大さじ3、白だし大さじ1入れ蓋をしてクタッとするまで弱火で煮るだけです
これ、最初に水を加えてから水分が飛ぶまで煮込むのと、何が違うんでしょうね。
まさか旨味成分が水分と一緒に蒸発してしまうなんて思ってませんよね?
白菜とかの野菜は水分量が豊富なので、はじめにさほど水を使わなくても野菜の水分だけで十分鍋として成り立ちますよ。というだけのことなのに、どうしてそれがうまい!になってこんなにも沢山の人が騙されてしまうのかが不思議で仕方ない。
だって、野菜かじって出てきた水分を飲んで、「出汁うめぇ」とはなりませんもんね。
このレシピに100ccの水入れて同じ水分量になるまで煮込んだものと食べくらべしてみればすぐに分かることなんですけどね。無水関係ないって。
鍋という見た目と作りやすさがバズった理由なんでしょうけど、どうせ同じもの作るならポリ袋使ったほうがはるかに効率的です。
レシピ(1人前)
土鍋を弱火で長時間煮込むより、湯煎したほうがはるかに効率的。
しかもこれ低温調理なので、白菜が煮崩れしないし、豚肉を鶏肉に変えればヘルシーでしっとりジューシーに出来上がります。
煮込んだくたくたの白菜が好きって人は煮込めばいいし、白菜の歯ごたえが好きって人はこっちのほうが絶対におすすめ。
ここまで徹底して外からの水分除外してみ?野菜から出た水分一切蒸発させないようにポリ袋に閉じ込めてみ?
鮭鱒・エビ・カニの消費量ランキングに登場したら、それぞれ1ptずつ増加させる
確かにアスタキサンチンを多く摂取していると思われる都道府県は花粉症患者率が少ない傾向がある。
同時に当然ながらスギヒノキ花粉量が少ない地域も花粉症患者率が少ない傾向があるが、注目すべきはスギヒノキ花粉量が多ければ比例して花粉症患者率が上がるわけでないという点。
ただアスタキサンチンを大量に摂取している青森県民が意外にも花粉症患者率ランキングではトップ10入りしていない点が気にかかる。
青森県では塩分摂取量が全国1位であるという不名誉な面もあるので、そこが影響しているのかも知れない。
沖縄県ではそもそも影響を無視して良いレベルでしかスギヒノキが植えられていない。
結果としてアスタキサンチンの影響は多分ゼロじゃないけれどアレルギーに対して特効薬レベルの効果はないんじゃないかな?という結論に至った。
各地方によって食文化も違い、アスタキサンチンと同様な抗アレルギー物質を摂取している可能性も十分にあり、アスタキサンチンのみで判断するということは学術的に微妙であるのは言うまでもない。
今回は綺麗な空気と栄養を考えた食事が健康を支えるのであるという、何だか当たり前のような気がする結論がアスタキサンチンで限定すると出てくるということで締めたいと思う。
今は手術もして、成功して、退院して、休職中で自宅療養しながらもリハビリ出勤の話も出てくる、そんな回復度合い。
死んでてもおかしくなかったので、今こうして家にいて、無理はしちゃいけないにしろ、お酒飲んだりご飯を食べたり外を歩いたり車を運転したり旅行に行ったりできてること自体、小さな奇跡の積み重ねなんだと思う。
それでも、病気の段階によって人の抱える悩みは少しずつ変わってゆくのだな、ということが実感として感じられる。私は聞いていることしかできないのだけど。
最初からずっと夫の意識はあるので(手術のための麻酔時と就寝時以外は入院中もずっと普通に話せた)、未だにそんな大病だったのかしら…と思うときもあるのだけど、6時間にもおよぶ手術をしたんだから軽い病いではないことは確かだ。
入院当初はなんでこんなことに…からはじまって、今は仕事に復帰することへの不安と、昼間ひとりでいることで外とのつながりがないことをとても不安がっている。
私はただ聞く。
私はもともとただ話を聴くことがすごく苦手で、アドバイスをしてしまっては「そういうことじゃない、解決策なんか自分でも分かってる!」と怒られた。私の周りには似た者が集まるせいか、アドバイスして欲しい時しか愚痴らないので、しばらくただ話を聴くということが難しかった。
食事も多少塩分に気をつけるくらいなので、調味料を全部減塩にして、野菜を意識的にとって…といろいろ工夫はしているけど、そんなに厳しい制限ではないのでゆるゆるとやっている。
私には趣味があって、それでかなり発散しているところはあるんだけど、病気の段階によって変わってゆく夫の不安を聞いて、貯め込む自分が時々しんどくなる。世の中にはこんな程度どころでない悩みの人々がいることは重々承知しているが、軽い悩みをたくさん抱え込むことによってだんだん重くなってくることもあるのだと知る。
寄り道がしたい。
もちろんどこそこで買い物して帰るから遅くなる、と言えばいいよ行っておいでよという答えが返ってくることも分かってるし、それは病気でなくても同居人がいるのなら事前に伝えるのは当然のことなので当たり前なのであるが。
(つづきは後ほど)
と書いたもののそんな大した話ではなくて。
今までも普通に仕事帰りに予定があれば伝えていたし、ふいに寄り道したくなればそうメールして伝えれば特に制限されたこともない。
でもここまで回復するまでに、私は彼からいくつかの本音を聞いてしまっている。
手術後に原因不明の利き手のしびれと痛みが取れなくて、しばしばイライラしていた。しかし私は無事に夫が退院できて、生活ができていることが楽しくて、少し浮かれていた。ちょっと調子にのっていたのだ。
そしてイライラした夫から、元気だった頃に私が趣味で遠征していたことをよく思っていなかったのだと言われた。
反対されたことなどほとんどなく、いつも笑顔で送り出してくれていたのだが、そうではないときもあったと知った。夫はそれを言ったあと、しまった、という顔をした。今でも時々思い出しては「イライラしてたからってあんなこと言ってごめんね」と言われるし「これからも気にしないで行きたい時は行っておいで」とも言ってくれる。
お言葉に甘えて一度、行ってみた。
それは思っていた以上に楽しくて、ひとりで眠ることもふいに予定を変更することも、夜ちゃんとホテルに着いてこんなことやあんなことがあったよと夫に電話で話すことも、すべてが楽しかった。調子に乗ってまた行こうと思うほどに。
それでも彼から本音を聞いたことはたぶん忘れないだろうし、それを根に持ってどうこうしたいわけでもない。
ただ、そう思っていたということを覚えているだけだ。
だからなんだよ、とこれに目を留めた人は思うだろう。
ただ、今私に溜まっている小さな愚痴の数々のかたまりを、ポロッと出しておきたいだけです。
回復度合いで変わっていく小さくも大きな不安を、ただ聞くことしかできない私が、抱えきれなくなってすべてが嫌になる前に、ただ出しておきたいだけ。
汚い話です。閲覧注意です。
単なる記録なので見ないでください。
昨夜、妻となんで子どもって鼻くそ食べるんだろうねーって話になって、夫婦で出した結論が、
・クセだから
となった。が、ネットで調べてもなかなか信頼のある情報に辿りつかずモヤモヤっとなったので少し調べてみた。
まず、鼻くその正式名称は「鼻腔内固形性粘着物質」(鼻科学会推奨)らしい。ただし推奨なだけで固定の名詞として扱われないので、会議や論文によって名称は様々。英語の場合「booger」。
鼻くその基本成分[1]は、
塩分36mg
タンパク質12mg
カロリー5cal
もちろん、脂質・コレステロールは0!
そして、カナダのサスカチュワン州立大学のScott Napper教授はCBCの取材で、子どもが口にものを運ぶのは自然な事で、鼻くそもそのひとつと言っている[2]。
であれば、主成分である塩分を子どもは好きなのか?という謎が出てきたので、色々漁ってると1999年広島修大論集で、現 東北大学脳科学センター坂井信之准教授らが、「発達初期における風味嗜好とその形成」というアメリカ心理学会の一部の訳を載せている。[3]
そこでは、甘味や苦味は幼児が母胎にいる時に既に形成されているが、塩味については後天性だと言うことを示している。
つまり、生まれたあとの環境によって、食塩による感受性が変わって、塩味を好むか好まないかが決まってくる。
ということは、この食塩に関する感受性が幼少期で亢進(なんか医学系の論文では増すことを亢進と書くらしい)している子どもが、たまたま興味本位で口にしたものの1つが鼻くそで、その主成分である塩分が見事にその子の嗜好とヒットしたということ。
なのかな??
検証の仕方もわかんないしね。
とてもムダな時間を過ごせたという満足感で終わり~完~
[1] http://www.howtobeadad.com/2011/4728/booger-nutrition-facts
[2] https://www.cbsnews.com/news/eating-boogers-may-boost-immunity-scientist-suspects/
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
「この世界の片隅に」のドラマ版が今週日曜最終回を迎えた。自分にとっては呉旅行に行く前日に見てドハマリし道すがら原作コミックも買い、舞台となった街を散策できた思い出深い作品だった。
映画版では尺の都合から削除せざるを得なかったリンさんとの物語もしっかり描かれ、さらに原作であまり描写されなかった近所の人々にもしっかり焦点が当てられ、よりボリュームのある物語に仕上がっていたと思う
各話も緩急を付けて見どころを設けすずさんと周作さん、二人の関係性も深く描くことに成功していた
アイスクリームのシーンは二人の仲睦まじさが伝わり絆が深まる姿を丁寧に描いていて「砂糖の配給が停止になって、闇市で配給の50倍の金額で取引されてる時期にアイス食うのはいくらなんでも不自然すぎる」という違和感もまぁ気にならないレベルに収まっていたと思う
いままで現代編については否定的な意見もあったが、最終的には今現在そこにいるすずさんを描く形に集約し映画とは違った余韻のある良い最終回を迎えたと思う
途中どうしても見ることができなかった回はあったが
概ねドラマとして大成功の部類だろう。ネットでの評判も上々でツイッタで感想を検索しても「泣いた!」「感動して目が腫れ上がった」「ラストにはほっこりした」と大絶賛だ
実に素晴らしい作品になったと思う
…これが「この世界の片隅に」でなければ
実のところ第一話が始まってから猛烈な違和感を感じてこれは本当に「この世界の片隅に」なのか疑うくらいだった
最初の違和感は兄洋一の出兵が決まったシーンでの家族のやり取りで母親であるキセノが涙を流したことだった、ここで泣くのは「この世界の片隅に」としては違和感があった
それ以降でも北條家へ嫁ぐことが決まった前日に不安を母親に漏らし泣き始めるすず
2話以降でも、広島産業奨励会館前で周作が子供の頃ばけもんに誘拐されたとき一緒にいた少年だったことに気がついてすずは涙を流し
それ以降も母親との別れを告げるすずの甥に当たる久夫が帰り道涙を流し、洋一の戦死の報を受けて石一つしか入ってない骨壷を抱きかかえて母親が号泣し
毎話毎話何かにつけて涙を流していた
自分にはこれが猛烈に違和感に移り最終話前の話まで見るのを止めてしまった
原作で涙を流したシーンはギャグとしてオチに使った空襲で義父円太郎がすずさんと晴美さんを庇ってそのまま寝てしまった回を除けば
晴美さんが亡くなった時限爆弾の回と終戦のときだけでそれは意図的にそうしているのだ
戦中においては、自分たちが正しいことをやってるからこそ理不尽な暴力には屈しないって共通した考えがあったからこそ人前で泣くことはせず(時代的に人前で泣くと反戦を疑われてしまうって事情もあった)
その日常を支えていた信念が飛び去ってしまい、自分たちの耐えてきた日々が誰かを犠牲にした上に成り立っていたことに気がついてしまったからそこで涙を流し
戦後は居なくなっていった人たち会えない人のために自分が笑顔の入れ物になりたい、なによりも泣いたら勿体無いという気持ちから泣くことを止めるのだ
それは作中物交で漁村に向かう帰りの道すがら刈谷さんと話す中で
「生きとろうが死んどろうが もう会えん人が居って ものがあって うちしか持っとらんそれの記憶がある
「晴美さんとは一緒に笑った記憶しかない じゃけえ笑うたびに思い出します」
という会話でも明らかで
辛い時代の中戦中耐えてきた理由、それが飛び去った後また泣くのを止めた理由
そこは物語を描く上でいちばん重要なポイントで原作を読んだ人や映画を見た人なら違えることはない
翻ってドラマ版だ
ドラマは泣く、事あるごとに泣く、誰もが皆辛い時には涙を流す
ドラマで泣いて泣いて泣く理由が一般視聴者向けにわかりやすい表現にしたから、とか実写にするにあたって原作や映画の通りだと不自然に見えるからという改変なら良かった
脚本担当が原作をあまり理解していなくて、分かりやすいドラマに組み直した結果だったのなら許せたかもしれない
脚本家は原作の内容を理解してそのテーマもわかった上でそれに対してダメ出しして改変したのだ
「泣いてええよ、我慢せんでええ、ここはあんたの家なんじゃけえ、我慢したらおかしくなるよ」
ここで理解った
脚本家はテーマを違えてたわけでも、分かりやすい安易な改変をしたわけでもない
テーマについて理解したうえでそのテーマに、「この世界の片隅に」が「この世界の片隅に」である根幹にノーを叩きつけてるのだ
はっきり言えば脚本家は「この世界の片隅に」が嫌いだったのでは無いかとさえ思う、少なくとも作品の重要なファクターの一つについて否定的だったのは間違いないだろう
結果的に見ればドラマは大成功の部類で多くの人の心に残る名作となった
でもこれは「この世界の片隅に」ではないし、「この世界の片隅に」を否定する物語だ
もちろんそれが必ずしも悪いわけではないし原作が好きな人にもドラマ版に満足してる人もいるだろう
ひょっとしたら原作が嫌いだったからドラマ版の改変でようやく自分の求めてるものが出てきたって人もいる
少なくとも真逆のことをやって多くの人の心をうった名作を作った脚本家の実力は極めて高い
環島っていうのはこれ↓
https://taiwanisshu.asia/taiwanisshu-web/
環島用のルートが制定されていることもあって、日本からの観光客もやっている人が多いが
本やブログでは「自分頑張った!」的な内容ばかりで、よくわからないことだらけだったので参考になればいいなと思いメモ。
ちなみに行ったのは先月。
トラブル等もあったので8日間くらいかけて踏破(ただし、2日間は電車になってしまった)
あと、個人の感想なので、信用しすぎないでほしい。
なんだかんだでものすごく悩まされたのが天気。
現地のテレビの天気予報を見ても、晴れと曇りと雨と雷のマークが1カ所の中に全部出ているなんてこともあり全部役に立たない。
対処方法としては、「朝早くスタートして、夕方前にはゴールしている」ようなスケジューリングを組むこと。
朝は比較的天気が安定しているけど、夕方になると毎日のように激しい夕立がある。
暗くて大雨よりは明るくて小雨の方がまだマシ。
自転車道といっても車道のサイドに自転車専用レーンがついているだけなので、夜の雨は怖すぎる(そして気分も落ちる)。
ブログとか読んでいると「毎日快適に走れました!」みたいなことを書いているけど、思ったより…
台湾の北側は台北、新竹、台中、高雄など大都市が集中しているので、信号が多い。
自転車用の停止線はあるけど、原付も共用だから原付に思いっきり囲まれる。
台北から反時計回りで出発したんだけど、初めは川沿いの完全な自転車道だったから快適だった。
その自転車道を出た後はなかなかひどい。
環島用の道路は基本的には標識があるので迷うことはないんだけど、ごく稀に工事をしていて通れない。
そして、回り道がどこなのかが書いていないことが多い。
(書いてあるのかもしれないけど、地図はなく文字だけなのでわからない)
また、三貂角灯塔近辺の道は環島用の標識のとおりに行くと、漁村へ寄り道するだけなので
線路を跨がなければいけないところは立体交差になっていることが多く無駄な坂が発生。
荷物をいっぱい積んで走っている身としては辛い。
毎日毎日、セブンイレブンかファミリーマートかハイライフ(台湾のコンビニチェーン)にお世話になっていた。
トイレも貸してくれるし、疲れたならアミノバイタルを買えばいい。
塩分のタブレットも売ってたし、場所によっては空気入れを貸してくれる。
何よりいいのが、コンビニは基本的にはガラス張りなので自転車の盗難を見張れること。
町の食堂は「台湾きたな!」っていう気分にはなるけど、牛肉麺ばかりなので飽きる(偏見かも)。
これ以外だと50嵐やCOCO都可のようなドリンクスタンドにもお世話になっていた。
環島の自転車道と並行して電車が走っているので、どうしても疲れるようであれば電車に乗ればいい。
輪行バッグなしでも電車に入れられるけど、対応している電車が日に数本しかないので事前に調べておいた方がいい。
(ググれば詳しく書いてあるブログに行き着くはず)
自転車留めが車両の中にあるタイプ、自転車を詰める貨物車があるタイプ、一般車両にそのまま入れるタイプ(自転車留めはない)など様々。
予約時に自転車があることを事前に言えればいいが、言えなかった場合でもどうにかなった。
環島用道路近辺のホテルは自転車の扱いに慣れているのか、みんな室内に停めさせてくれた。
長期で行っていると、汚れ物がたまる。
(雨でぐしょぐしょになっていることも多いし)
それなりに大きな都市は24時間営業のコインランドリーがあるから、そこまで衣類の予備は必要ない。
環島用道路を大荷物乗せて走っていると声をかけられることがある。
ただ、日本人だと思われていないので、魔法の言葉「我是日本人(Wǒ shì rìběn rén)=私は日本人です」を唱えるといい。
また、対向車などに「加油(Jiāyóu)=ファイト!」と言われたり、サムアップされたりする。
台湾の方々はとても人懐っこく、親切。
ものすごく助けられた。
個人旅行で行っていたのだが、某G社がサポートする環島用のツアーに参加している人とかち合うことが多かった。
傍目から見て、「とても甘やかされていて、こんなので1周したと言えるのか…?」といった様相。
まず、彼らは荷物を持たない。
着替えなどはサポートカーに積んでいるし、そもそも自転車のリペアグッズとは無縁。
大雨が降れば、自転車に乗らずサポートカーが適度な位置まで運んでくれる。
疲れた時も同様、運んでもらって進めばいいじゃない!という感じ。
ある程度のロングライドができる体力があり、パンク交換などリペアの最低限の知識があるのであればツアーでなくても問題なし。
宿はBookingなどで予約すればいいし、地図は標識とgoogleマップでどうにかなる。
致し方ない車体トラブルが起きれば駅まで徒歩で行き、電車に乗って大都市の自転車屋さんに行けば済む。
ツアーは体力がない、ウェブリテラシーがない、だけど「環島したよ!」って自慢したい人が参加するものだと思う。
ちなみに、ツアーに参加すると太るらしい。
1日8時間自転車に乗ると約2000kcal、基礎代謝が1500kcalだとすると1日3500kcal以上摂取してやっと太ることになるのだが…察してほしい