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はてなキーワード: 公立とは

2023-08-02

派遣SEをしてたころ、派遣先の親会社から当時の支部都内女子御三家から東大卒のリケジョが配属されてきた

派遣先の親会社出身者の方がむしろ仕事量も管理量も多くて深夜残業徹夜も連日してるようなプロジェクトで、新卒の子が一体なにをするんだろうか、と思っていたけど、場所の中でも比較的暇なチームでお手伝いのような簡単案件作業をいくつか担当して、もちろん深夜残業徹夜もすることなく2年ほど働いて親会社管理部門に異動していった

出自が美しいと将来も安泰で羨ましいわ!と、地方公立高校地方国立工学部卒の現場作業員の私は思ったワケ!毎晩始発で帰宅する23連勤からのようやくの午後半休の日に高そうなお菓子持ってお高そうなノースリーブワンピースで現れた名前もお綺麗なお嬢様!!!

疲れのせいだけじゃない眩暈がした!!!

自分人生詰んでんなー!!!こっからこれ以上に上がれることないんだなー!!!って痛感した

その仕事はもうやめたけど都内年収400万もいかないけど一人暮らしを続けてもうすぐアラフォー突入する

暮らしは上向かないし、徐々に下降してるけど、今更どーしようもない

都内まれ教育熱心な親に育てられてたら違う人生だったかも!しかたないけど!

でも顔はどうにもならんわけよ

お嬢さん、めちゃくちゃ日本猿そっくりだったから親しみと揶揄いを含めてなのか陰で「子猿」と呼ばれてた

猿と呼ばれるけど順風満帆か、顔でいじられたことはないけど低空飛行のアラフォー独身か、どっちも嫌だねぇ

2023-08-01

anond:20230730133442

ワイがポスドクのころはもっともらってたわ(700万〜)

でも国公立40代大学教授でも税込み年収1000万くらいだから夢ないよなあ

2023-07-31

anond:20230731103637

1.日比谷有楽町周辺に集まっている西洋式演劇劇場

もちろん西洋文化

2.国立公立美術館博物館

2016年に東京都美術館で「若冲展」が開催されて、私元増田も行ったが4時間待ちだったことを未だに覚えている。

伊藤若冲は生まれから死ぬまでずっと京都活動していた絵師

3.大企業が行う文化活動メセナ事業

サントリー運営している東京ミッドタウン内のサントリー美術館

東武鉄道創設者が作った根津記念館など。

サントリー大阪企業根津嘉一郎は山梨出身

4.大相撲歌舞伎落語・能・狂言などの伝統芸能

すべて東京江戸)で生まれ文化ではない。

5.秋葉原文化サブカルチャー

6.漫画アニメ産業

手塚治虫兵庫出身

自前の文化なんかひとつもないのにドヤ顔で「これが東京が持ってる文化だ!」は憐れすぎて笑えるんだよな。

東京が持っている文化を細分化してみた

1.日比谷有楽町周辺に集まっている西洋式演劇劇場

東京けが持っている文化、それも文化の中のメインストリームと言えば演劇なのではないか

帝劇日劇(今は無い)、東京宝塚日生劇場などが該当する。

有楽町の近くには銀座繁華街もあり、演劇繁華街文化を楽しむことが出来る。

有楽町観劇もしくは映画を観てから銀座へ向かう、という楽しみ方は東京人にしか出来ない。

ちなみに帝劇は数年後に取り壊されて再開発が行われるらしい。

2.国立公立美術館博物館

台東区にある上野恩賜公園美術館博物館の宝庫となっている。

東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館東京美術館上野の森美術館民間)など。

2016年に東京美術館で「若冲展」が開催されて、私元増田も行ったが4時間待ちだったことを未だに覚えている。

ちなみに若冲展の動員数は近年では過去最大だったらしい。

また上野公園の近くには東京芸大キャンパスがあり、文字通りに文化の街となっている。

3.大企業が行う文化活動メセナ事業

メセナ事業とは、企業資金提供して直接的な見返りを求めず、文化芸術活動支援することである

東京には大企業が多いので、必然的企業運営する文化施設が多い。

サントリー運営している東京ミッドタウン内のサントリー美術館

東武鉄道創設者が作った根津美術館など。

4.大相撲歌舞伎落語・能・狂言などの伝統芸能

伝統芸能に関しては、東京一極集中状態と言っていいのではないか

大相撲本場所は年6回開催されるが、両国国技館の開催が3度で、大阪名古屋博多は1回ずつ。

落語についても、落語協会と落語芸協の2大体制は今後も変わらないだろう。

能と狂言についてはよくわからない。

5.秋葉原文化サブカルチャー

はてなであれば皆さんご存知の1980年代から始まったオタク文化である

黎明期においては、演劇美術業界などのメインカルチャーから見向きもされてこなかったが、今は立派な日本の「文化」として認識されている。

転換点の一つとして、2014年に政府クールジャパン戦略採用したことだろうか。

政府に一目置かれるほどの文化に成長するって、なかなか出来ることではない。

6.JR中央線沿いの漫画アニメ産業

秋葉原オタク文化と被るかもしれないが、あえて分けておく。

漫画家やアニメクリエイター人材も、東京一極集中状態である

中央線沿線中野杉並武蔵野周辺には漫画家が多く住んでいて、アニメスタジオも集中している。

anond:20230730144628

高卒地元大企業工場やら信金やらの安定企業就職して30手前に結婚してその頃には年収400貰って寿退社の風潮は過去のものなので2馬力子育て休日イオンロードサイドのチェーンで外食、繁忙期に国内観光旅行子供高校までなるべく公立に行って欲しいそんな家庭が普通の日本人

はてなーなら生ける屍のようだと絶望する地方普通の一生を送る人々。

2023-07-30

田舎出身音楽に打ち込みたかったが不遇な日々を送った話

地方文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。

特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。


昭和末期に地方山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般特に演奏作曲に強い興味があり、

自分作曲した曲を五線譜に書いて小学校音楽先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカ演奏したりしていた。

しかし周囲にクラシック音楽理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。

まだネットなどもなかった時代である


やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。

その中学校では全生徒が何らかの部活動強制加入させられたが、選択肢運動部数種類と吹奏楽部しかなく、

かつ吹奏楽部男子部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。


しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。

教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。

しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。

自体レベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。


音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。

しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。

小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。

幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれ音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。

音大ではないにも関わらず、そこの楽団からプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。


俺は初めて、自分環境面で恵まれていなかったことを実感した。

これは住む場所問題だけではなく、家庭環境問題でもあるだろう。しか小学生のうちから子供バイオリンやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、

俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎格差であった。


結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。

今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。


もし俺が打ち込もうとしたのが、地元伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方アドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。

ただ、俺の興味の対象と、住んでいる場所の相性が悪すぎたのだ。

田舎者がクラシック音楽に興味を持つのが不相応だったのか、もっと別のことに興味を持つべきだったのか、それは分からない。

うちは四つ下に妹がいたか保育園幼稚園の送り迎えは自分夏休み仕事になってた

母親仕事に出るのを見送って、二度寝してる父親を起こして、妹の朝食と着替えを手伝って、毎朝送って毎夕迎えに行った

少なくとも、妹の通ってた田舎地元公立保育園幼稚園も、夏休みお盆の一週間くらいしかない認識

でも一人っ子の夫は都内私立幼稚園に通っていて、小学校と同じで八月はお休みじゃないの?という。はっきり記憶にあるわけではないらしいけど。

義父母に確認してみようかな…

夏休み完全に休みになる園とかとてもじゃないけど通わせられないよ…どう面倒見るんだよ…

2023-07-28

公務員試験面接で落ちた

民間いっこも受けてないのに。併願ゼロの1本勝負だったのに。大学卒業したら無職マンです。

落ちた理由はなんとなく分かる。自分面接官でも落としてる。緊張感がない。一生懸命さもない。専願のくせに「どうしても受かりたいんです」顔ができない。でも緊張はしてるから頭は真っ白で、集団面接でも答えに詰まって空気が終わってた瞬間が2回はあった。

それなりの学力はあるはずだし、割と器用だし、採用さえされれば想定よりはいい働きを見せると思うのですが。それを上手に表に滲ませるのが下手なんだろうな。私はこういう人間ですって言語化するのも苦手。自己アピールができないやつが面接に受かるはずがない。バイト増やそうとして受けた面接も2連続で落ちてる。今やってるバイト2つは、どうしようなく人手不足だったからとにかく人が欲しくて採用されたんだろうな。想定よりはいい働きを見せている(多分)から辞めさせられずに済んでいる。人手が足りてないだけかも。

大学私立フル無視公立1本勝負で前期落ちた。後期でなんとか受かったが、成績開示してみれば合格最低点だった。そういう運は強い。公務員試験だって、なーんにも勉強してないのに筆記試験は受かった。受かるわけないと思ってたから、バカばっかりじゃんと思った。面接でどうせ落とすなら最初から不合格で良かった。

民間受けてない分、ESとかガクチカとか全然対策できてないし、面接練習ももちろんしたことない。公務員なめんなよ。どーすんだよ来年から!とりあえず落ちたことを親に報告しないと…

小さい頃から勉強はできたけど、努力したことがなかったツケが今回ってきてる。中学生の頃に塾で受けた英語模試全然ダメダメちゃんで、高校行ったら英語の成績落ちるんだろうなと分かってたのになんの対策もしなかったから今も必修の英語を再履で落としてる。高校生の頃から少しずつ太ってることに気づいてたのになにも気をつけなかったから高1の頃から13kg太った。自分必要努力を積み重ねることができてない。できてないなと振り返る暇があるならやれよ!自己肯定感だけは妙に高いから、こういうダメ自分も愛せちゃう自分を嫌ってる方が自分のために努力できる人になるんじゃないか?根がポジティブからうつ病にもならない。今までに何度か危ない瞬間はあって(コロナ禍の大学生活が上手くいかなくて気がついたら周りの人間関係が出来上がっていた時とか、周りが就活してる中公務員試験勉強ひとつも進められなかった時とか)、悩みを素直に人に相談できるタイプじゃないし、ストレス自分の中に溜め込み続けたらなにかしらの精神病になってしまうんじゃないかと思ってたけど、寝たら忘れるし些細なご褒美でご機嫌になる楽観的な性格のおかげで、定期的にハゲるだけで済んでいる。大学卒業までにうつ病にならなかったら、多分死ぬまでうつにはならないし自殺もしないだろう。

今のこのモヤモヤした気持ちも寝たら忘れるんだろうな。実際、書いてるうちに落ち着いてきてしまった。もうちょっと焦って欲しい。

ああ…親に報告しなきゃ……

2023-07-25

anond:20230725192722

小中高と田舎公立だったが

小学校でこそいじめられたりしたけど、中学になるとみんな部活に忙しかったり

ヤンキーみたいなのはしろ先生と戦ったり不登校になったりでそんないじめがあった感じではないんだよな

高校は、進学校なのもあるけど、やはりいじめがあった感じはしなかった

まあ私が知らないだけかもしれないが(特に女子)

あんまり中高のいじめってイメージわかないわ

公立中学校勉強バカにする圧よりも恋愛バカにする圧の方が弱者男性の生育に寄与していると思った

2023-07-24

振り返ってみれば公立中学校に入って1~2歳しか違わないクソガキに先輩面されながら苦痛しかない部活を3年間続けたのが人生の敗着だったな

まり小学校の段階からやり直さないとこの人生のバッドエンドは回避できない

終わってる

2023-07-23

anond:20230723212628

2018年お茶の水女子大トランス女性の受け入れが一番大きいだろう。

あの時、反発する側が持ち出したIFだったはずの「心が女と称するおっさんが女湯に入りたがったらどうする」が、本当に入れろと集団で求めているように受け取られた。

増田でも何度も「なぜそんなに女湯に入りたがるんだ」と批判書き込みがされて、そのたびに「批判側が言ってる空想から」と説明したよ。あまり効果なかったけど。

あと、その直前の「レインボートイレ」。

当事者がだれも求めてないのに、LGBT問題に詳しいと称するコンサルタント自治体企業に食い込んで暴走始めてから

税金差別を盾に我が物顔で浪費したがる集団と思われるようになって「そんな無駄金使うな、少しはわがまま我慢しろよ」と言われ出した。

この誤解を解消する手順を踏まずに、「理解促進法」なんて拙速に通したのがとにかく最悪の展開。

結局、政府バイデン政治的ポーズしか気にしてなくて、当事者が実際に生きやすくなるかなんて意識の外だったということでしょう。

ガイドライン機能していれば、複数医師が1年かけて診断した「本物」となりすましは別なんで、後者はどんどん逮捕しちゃってください、と言えたんだけどね。

追記

ブコメ "男女で分かれていないトイレを求める声は当事者から聞いてたよ"

当事者が共用を増やしてと求めていたら、2017年に、いくつかの府県が「LGBT専用トイレ」を推進するって言い出したんですよ。レインボーカラーに男女半分ずつのマークを付けて。

橋下徹トランスジェンダー専用のトイレ更衣室を設けていくことには賛成。」 https://twitter.com/hashimoto_lo/status/836089493136396288 

デパート空港公立高校でも何か所かレインボーマークトイレが作られました。

さすがに当事者が専用施設が欲しいわけじゃない、誤解を生むと申し入れてなくなりましたが、SNSなどではLGBT要求したと思われて批判されることになりました。

はてなってヤンキー嫌い多すぎるだろ…

ヤンキーに虐められてたの?俺はヤンキーと仲良かったけど明るいし楽しい奴ばっかだったけどなー

大人になったら、きちんと働いて家族を守っているカッコいい父親になってる奴が多いし

公立中学動物園とか言っている奴が大勢いて引いたわ。どんだけ虐げられて生きてたんだよw

自分コミュ力不足のせいで上手くやれないのを学校のせいにしてんだろうな。しょうもない奴らだわ

anond:20230723192318

逆の人生書いてみたけど、つまらんぞ?

成功けが人生じゃないって分かるよな

小さい頃から医師になりたかった。

医学部合格し、医師としての夢を叶えた。

高校受験頑張った。結果が出て、目標高校合格した。

大学受験頑張った。見事合格し、理想大学で学ぶことができた。

一年浪人して頑張った。その努力が報われ、次の受験合格を勝ち取った。

私立大学生命科学科に所属しながら仮面浪人した。並行して努力し、公立医学部にも合格した。

不本意な職について働きながら勉強した。その後、再び受験に挑戦し、目標医療系の職に転職した。

割と早く大学で知り合った彼女結婚して子供も生まれ、家庭と仕事の両立に成功した。

医学部に受からないまま30歳を超えた過去を乗り越え、新たなチャレンジに挑戦した。

生きてる意味が見出せずにいた過去から立ち直り、愛する家族と共に幸せ人生を送ることができた。

成功した人生を送り、感謝幸福に満ちた毎日を過ごした。

小学校受験がわから

私は地方で育ち、大学進学同時に上京した田舎者なので都会のお受験事情について明るくない。

なので、娘の保育園ママ友との小学校受験についての会話は基本聞き役をしている。

先日、いつも通りの会話で、あるママさんが「小学校受験してゆくゆくはマーチかに進学して…」っておっしゃられた時、

(保育園から塾行って、小学校受験して、目指すところマーチって志低くないか!?)

と、内心思ってしまった。

けれど、やはり都会の受験事情田舎と異なると判断して黙っていた。

からぬ、都会の受験事情がわからぬ。

小学校から私学に行くならより高みを目指すのでは!?マーチも悪くないけど、良いと思うけど!

というかやっぱり田舎公立が良いみたいな風潮あったけど、本当に都会は「公立はやめておきますフフ🤭」みたいなご家庭が多いですわね!?

すまんな、娘、我が家小学校受験考えてなかった!3歳から考えるのは遅過ぎるって今日鼻で笑われてしまった!!

今思うと私は知らず知らずのうちにマウント合戦に片足を突っ込んでいるのかもしれない、娘、なんか、ごめん

2023-07-22

anond:20230722090326

少なくとも令和の日本では、「幸せになるかどうかは自分次第」なんて綺麗事絶対に言っちゃいけないと思う

今はもう、親ガチャに当たりの上級国民じゃないと何処に行っても辛い思いをする

自分貧乏母子家庭から公立医学部に行ったけれど、周りとの格差を痛感して物凄く惨めな目に遭ったもの

飲み会の席で親の職業を言わされる羽目になったんだけど

母親看護師だって大勢の前で言われて薄っぺらな感心をされ、死にたくなった。

その場にいた他の学生母親はみんな医者で(父親医者母親は元看護師、という組み合わせすら皆無だった)、

本当に上層階級パワーカップルが当たり前なんだと思ったよ。

看護師には助けられてるとか立派な仕事だとか言われたところで、下に見ているのがありありと分かって、本当に惨めだった。

看護師って大変だよねえ私にはとても出来ないって、そりゃあお医者様になれた女性からしたらそうだろうね

医療現場には医師を頂点とする厳然たるヒエラルキーがあるもの

私が子供を産んでも子供には同じように惨めな思いをさせるに決まっているから(その前に結婚出来ないだろうけど)子供は産まない。

anond:20230722114228

から地方公立から東大勢は遊ぶ暇がないほど働く官僚になるんだよ

anond:20230721190358

でも実際親ガチャで決まるのは事実じゃん

地方公立からガリ勉して東大に入っても大企業新卒入社しても

みんなが当たり前のように買っているブランド物やお高い飲食店お金が出せず

周りのキラキラ上級国民についていけなくて辛い思いをするのが現実なんだから

親の資産や生まれ育った環境の差は覆せない

anond:20230722090326

segawashin 小中高と地元公立、塾も予備校も行かず国立医学部入ってなんとか生きてる俺から言えることは、SAPIX特に必須じゃないぐらいしかない。「どうすれば良かったんだよ」に対する答えは「一生懸命勉強する」かな……。


あのエントリ読んでいきなり自分学歴自慢始めるの頭おかしすぎて声出して笑った

親がDVして勉強すると罵られた俺が救われた時の体験

https://anond.hatelabo.jp/20230721191432

この増田を読んで、自分人生を振り返ってしまった。

俺の父は母に暴力を振るう男だった。母は母で、そのストレスを俺にぶつけた。

父はじゃれ合ってるだけ、と言ったし、母はじゃれ合ってるだけ、と言っていた。俺も、心の片隅で、人を殴る程度、じゃれ合ってるだけだろ、と今だに感じることがある。

両親は、勉強にたいしてコンプレックスがあった。『勉強なんか何の役にも立たない』が口癖で、

かといって、スポーツ等の習い事に金を出してくれるわけではなかった。

家で宿題をやろうものなら、2人は半笑いで『馬鹿宿題なんかやっても無駄』だの、『俺は宿題を一度もやらずに卒業した』だの言って、俺を罵った。

友達大事しろ』などと言っていたが、実際に家に友達を連れてきたら、友達連中に対して、チビだの、不細工だの言って笑っていた。

俺が大事にしているものを嘲り笑う時だけ、両親は結託した。

家に帰りたくなかった。当然のように成績はどん底だった。家は団地の4階だったが、両親に見つかる玄関を通りたくなくて、何度もベランダを伝って部屋に出入りしていた。

中学の時の担任は、そんな俺に言った。

「市が運営する施設がある」と。

土曜、家に帰りたくなくて、友人たちの、遊園地行きにくっついて行ったのだ。親に無断だったから、教師の人たちが車を出して、夜なのに探し回ってくれていた。

21時ごろ、駅前保護された俺に対し、車の中で担任先生は俺に、そのような提案をしたのだ。傍から見ても、俺の状態はひどかったらしい。

結局、それは実現しなかった。両親から逃れるための施設に入るためには、両親の許可必要だったからだ。

何より、俺が『施設』に入りたくなかった。恥ずかしかったのだ。家に帰りたくはないが、施設に入って、学校に通う。そういう俺を想像したくなかった。

そんな状況だった。だが、ある日事態は突然、好転した。

そして、とても、とても胡散臭いテキストがこれから書かれるけど、一応聞いてくれ。

結局、俺を救ったのは、共産党の家だった。

俺の、中学の先輩の家だ。地元じゃ結構有名な家だった。(本業は、習字先生か何かをやっている人)

担任は、どういう手段を使ったのか知らないが、そこに話をつけた。

そこからは、早かった。

俺はあるおじさんとおばさんの家にとりあえず入ることになった。2人は優しかった。

両親には市から指導が入った。俺は塾に行かせてもらえることになった。学校では、『親戚のおばさん達の家にいる』といったような話ですんなりと話せた。

どういうルートか知らないが、俺に対する金も、おじさんおばさんは市だか県だかから貰いはじめ、俺の口座を作ってくれた。

勉強を許された俺は、無事に公立高校に通う事ができた。『高校卒業したら、市役所に入れてやる』とまでおじさんには言われた。

高二の時に、両親の離婚が成立し、結局、俺は父との二人暮らしを選んだ。(親権だのなんだのも、共産党の介入があったらしい)

父は、まともになっていた。暴力も振るわなくなっていたし、俺のことをバカにするようなことはなくなっていた。

好意的に見るなら、実の子と離れ離れになった期間が、父を変えたのかもしれないが、

俺としては、父の獣性のようなものが、母と上手くかみ合ってしまった、というような気がする。父が母を狂わせ、母が父を狂わせていたのではないかと思う。

市役所には入らなかった。

採用担当党員だし、生活保護担当党員から、どうとでもなる』とおじさん達は笑っていたが、どうにもしっくりこなくて、俺はそのルートには乗らなかった。

俺を保護したおじさんとおばさんの使っていた手は、籍を入れず、おばさんは生活保護を受け取り、結局夫婦のように暮らす、という手段だった。

生活保護担当党員なのだから、何も文句はでないらしい。だが、とにかく俺は、そういうのが、なんとなく不正であると思ったから、やめた。

結局、今はちゃんと、サラリーマンをやれている。共産党の力は借りていない。

おじさん達の家で暮らす間、俺は新聞赤旗の代金を回収する手伝いもしたし、なんなら、未だに赤旗が届く。

選挙にも、たまに協力しろ要請がかかる。個人感情としては、恩もあるがやはり、『あまりよくない団体だな』と思っている、そういう距離感だ。

底辺から救われ、建て直せたタイプ人生だと思う。

俺を救ったものは、なんだったのだろう。教師か、共産党か、おじさんとおばさんか、改心した父か、俺に執着しない母か、当時俺と友達でいてくれた人達か。

あるいは、『運が良かった』の一言、つまり自身幸運が俺を救ったのか。

なんとなく俺は答えを出している。

俺を救ったのは、社会の余裕、ファジーさ、雑さ、あるいは多様性(嫌いな言葉だが)というものなのではないかと思っている。

ズルをして、生活保護を掠め取るような人達が、俺を救ったのではない。

ズルをして、生活保護を掠め取るような人達が、生きていられる社会の余裕が、俺を救ったのだ。

世の中には、太い流れがある。普通にルールを守り、普通価値観で、普通に利益を生み、普通に人に迷惑をかけないように。そういう太い流れが。

だが、その太い流れに乗らなくても、生きていていい。そういう、ファジーさが、俺を救ったのではないだろうか、と思っている。

何の役にも立たないかもしれないが、こういう事を書けるのも、こういうことを読めるのも、また一つの社会の余裕、雑味だと思う。

雑な社会が救うものもある。

2023-07-21

娘よ、パパは小学校が嫌いだった。

今年、娘が小学生になった。都内公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。

娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度先生が嫌いになっていった。

平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較若い住民が多く、大きな電機メーカー工場などが集積していたので、所得教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。

その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。

カルチャーショック

この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。

1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子女子関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。

2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。

こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。

小学校先生たち

3年生当時

30歳前後/女性

とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスいじめられている子がいて、僕は転校生クラスヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。

4年生

40代後半前後/男性

この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋趣味将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。

5,6年生

30代半ば/男性

この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザー理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。

決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語算数理科社会通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。

ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。

それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。

全く意味がわからなかった。

学校簡単テストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。

ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかい広告問題全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。

何故嫌いになったのか

当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。

まず第一に、制度問題日本公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用無駄な不平等を生み出している。

そして先生問題先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。

しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。

考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校教員大学教員になった奴はいても小学生相手をしている奴なんて殆どいない。

そんなことを考えると、子供私立小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。

娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。

2023-07-20

anond:20230720215351

田舎公立小学校中学校無双定期テスト毎回1位か2位かどっちか)だったが、高校進学校に入ったら普通に中の上ぐらいやったで

中学教師に「○○高校は頭のいいヤツばかりが集まるからいくら増田でも最初からトップにはなれないぞ」って聞いてたから、別に挫折も何も感じなかったが

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