はてなキーワード: 党首とは
そもそも選挙という形式さえ実施されれば民主主義が実現するという発想自体がおかしいのではあるが、
その「選挙で選ばれたから何やってもいいい」の体現者たるトランプを見てると、
しみじみとりあえず選挙しろしろと外野で囀るだけではろくなことにならないよなと思う
そもそも選挙をまともに機能させるために公職選挙法などのルールがちゃんと守られないといけないし、
すると選挙監視の人手も必要、カネの出入り、飲食供与等々のチェックを誰かがやらねばならない
(自民党の党首選ではそこまでやって結果を公表してるのだろうか? それでなければ「自民党は党内選挙をやっているから民主的な組織」とはとても言えない)
さらに加えて、現代ではSNS経由の世論工作などから、海外からの工作まで気にしなければならない
そんなこと、共産党なんていう貧乏政党の中で公職選挙並みのチェックができるとは思えないし、
おそらく共産党が一番懸念してるだろう、外部からのカネで釣る票操作を排除することもできないだろう
別に選挙という部分のみが民主主義の制度の全てではなく、選挙で選出する部分はそもそも公職選挙の部分が厳密に管理されることをもって請け負えばよく、
ありとあらゆる団体の組織運営が投票という手段でなければならないとも思わないので、それぞれの団体がそれぞれの方法で運営すればいいのになというのが
あそこまでアメリカ政府が機能するための仕組みを物理込みで破壊しまくったトランプが未だ健在なのを見てると、
何でもかんでも選挙すりゃいいという思考停止のブクマコメントが山盛りで積みあがる現状は民主主義の危機なのではないかと改めて思う
それはそれとして
共産党は赤旗に怪しげな論者の論説、コラム、インタビューを掲載しがちなことは、朝日や読売、ネット記事や個人のSNS発信、匿名投稿に負けず劣らずだと思うので
まずそっちの改革しろよというネット世論が沸き上がったら、そこには諸手をあげて歓迎したい、みんなもっと赤旗読んで批判しよう
お前たちはこれをあざ笑っているが、お前たちは民主主義ということが分かっていない。
お前たち衆愚が集まったところで実のあることは何一つ出て来やしない。それはブクマカどもを見ればわかるだろう。愚の骨頂とはあれらのことだ。クソをいくら集めてもできるのはクソのヤマであってそんなものをありがたる必要はない。
理性的な人間が理性的な判断を下せば、必ずや同じ判断に到達できる。そして人類は遅かれ早かれ必ずや同じ思想、即ち共産主義に到達する。なぜならばそれが最も合理的だからだ。正常な知能で合理的に判断すれば、数式に必ず解があるが如くこの地平にたどり着くことができる。到達できない?それはお前が愚昧であるか、精神病者であるからに他ならない。前者は到達者が教導し、真に自由な状態に引き上げてやる必要がある。それは反動に対する苛烈なさばきも含まれるであろう。後者は病人であるから徹底的な治療が必要となるだろう。いずれこの浄化を経ればお前たちも理想の血にたどり着ける。感謝するがいい
これは自然科学と全く同じ。人類はまだそこに伸びる手を持っていないが、いずれ必ずや全世界の理を表現する数式を手に入れるだろう。これと全く同じことが社会で、政治で起きるのだ。我々に隷属する史学も、人類の発展は必ず同じ段階を通していることを証明している。故に人類は政治も正しい道と理論を通り、必ずや正しい共産主義に至る手を獲得するだろう。だからこれを科学的社会主義と呼ぼう。
これを指導するためには正しい理論を学ぶ集団が必要だ。それこそが共産党に他ならない。そしてその領袖こそが、人類で最もその手に近い、全く民主主義の体現者なのだ。
ここまでくればもうお前たちにも分かるだろう。正しさは絶対であり、それを体現した者が指導することこそが正しい民主主義なのだ。その思想を忠実に学び、理解できぬにしろ忠実に実践する、それこそが民主主義であって、お前たちの言う「ハナシアイ」「投票」は意味がなく、愚か者に付き従うだけの反動行為に他ならない。我々は今寛容の心を以てお前たちを教導してやっている。しかし愚劣な反動が我々に攻撃を仕掛けた時、その心をいつまで保っていられるかは、保証できない。一刻も早く正しい科学的な道に立ち戻ることだ
質疑応答の前のスピーチの日本語版:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12791264458.html
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ということなんですが
また、中央委員会がそういう声をちゃんと聞いてくれて党員資格を回復する、
どれぐらいあるんでしょうか
松竹さんが立候補されて党首に選ばれる可能性というのはどれぐらいあるとお考えでしょうか
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A) 何と言っても27万人の党員がおりまして
でも私は直接に自分の支部に所属している党員以外と、そういうことを語り合うことが許されてないものですから
分からないところが多いですけれども少なくともSNSなどでの共産党員、
もちろん私を批判する投稿もたくさんありますけども同時に私に理解を示してくれる投稿もそれなりにある
歓迎すべき変化だと思います
けど同時にそれ以上に、今回、除名ということに踏み切った
共産党にとってこうやって本を出して
この何十年間なかったことなので本当にそんなやり方でいいのかっていう風に思っている人の方がたくさんいるとは思います
ただそれが大会に集まってくる人達の多数の声になるかは、なかなか難しいところはあるかなとは思います
党首公選が実現したとして私が立候補して志位さんに勝てるかという話ですけれども
私は勝つ勝たない、ということよりも
党首公選をすることを通じて党員の中で活発に議論を起こすことが一番大事なことだと考えていて
私と志位さんってそういう点でいうと先ほど述べたようにそんなに大きな違いは無いんですね
そこに修正を加えざるを得なくなった、その志位さんの苦渋と言うか難しさを私も感じていてそこに行こうとしてる
でも共産党員の多数は日米安保も即時廃棄で自衛隊なんか絶対認められないっていう人が多数で
でも政党としてそれでいいのかっていうことを
政党の党員としての自分の考え方を鍛えていくと言うか発展させていくっていうことを期待して
立候補を表明しているということです
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Q) 公選制になれば共産党のより原理主義的な主張を持った人間がむしろ代表に選ばれてしまう可能性が高い
ということは松竹さんの考えとは相容れないというか
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A) そういう大事な問題が共産党の中でほとんど議論されてこなかったっていうことが一番大きな問題で
でも同時に共産党員は本当に憲法9条を大事にして日米安保を廃棄して自衛隊を解消したいと思ってるけども
同時に共産党の党員としては共産党が政権に就くということも真剣に考えてそこを議論すればね
共産党としてどういう態度をとるかっていうことについては
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その非公開の場で何が起きていると思われますか?
というふうにおっしゃったと思うんですけれども
公選制にしたら共産党がもっと議席を増やすことができるようになるでしょうか?
というのはここずっと、だいたい共産党の獲得議席数っていうのは
あまり変わっていないように思うのですが
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その中央委員が選ばれたら
中央委員200人ぐらいの方が別室に移動して
どういうことが行われているのかっていうのは
今後はきっと取材させてくれっていう風になると思いますけれども
集まった中央委員会の前で年長者みたいな方が出てきて委員長として誰々さんを推薦します
副院長は誰々さんですっていうことを読み上げて
そういう点でもいろんな改革は求められていて
中央委員の推薦で選ばれたとしても
いろんなやり方があってそういう点では現実にあって少しでも党員、国民の目にも見えるし党員の権利も保証される
それと公選にしたらどんな結果が出るかっていうことについては
本当にその共産党の中で27万人の党員を巻き込んで徹底的な議論が行われるんだったら
例えば戦後の共産党を作ったのは宮本顕治さんという方で何十年も党首をやった方ですけど
その宮本さんは実は共産党が分裂した時期に少数派で九州の方に左遷されて
全国の党組織であげられるくらい追い詰められたんだけれども
すごい少数派だった方が党首にまでなった
もしかしたら私がそれだけの議論すればやることになる可能性だってあると思います
そしてそうやって共産党っていうのは
政党なのに国民の目にはすごくモノトーンな多様性のない政党として写ってるっていう事が
そこが共産党の支持がに席が増えないという点で
そこを克服することにもなると思います
公選制を導入して共産党の中にいろんな考え方の人がいるということが国民に伝われば
今この自民党政治が続いてそれを何とかするために
だから本当にここは共産党が変わることによって野党の協力がもうちょっと進んで欲しいって感じている国民は
やっぱり少なからずいると思うんですね
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Q) 統一地方選に関連した話です
松竹さんの件があって非常に共産党についてメディア露出が増えているわけですね
でも志位さんは先日の演説で
みんなで力を合わせて打ち破ろうと。
こういった紙面が赤旗さんにも大きく出ている
共産党に松竹さんの件をめぐる動きがそのどういう影響を与えるのか
二つ可能性あると思っていて
無党派層が離れていく面がある一方で
その党内はもう運動量が増えて
地盤が引き締まるということがあるかどうか
今回の件でどういった影響があるところになってるかこれが一つ目の質問です
もうすでに除名されてしまってるわけですけど
その辺り、どういったご予定でいらっしゃいますでしょうか
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A) 率直に言ってこのまま進めば工藤さんがおっしゃった
そういうことは私も想定もしていなかったというか
出版社には選挙の終わった5月に出すか、あるいはその選挙の影響を避けるために1月にするかみたいな事を相談しまして
1月だったら多少何かあっても選挙の本番には影響ないんじゃないかなと思ってたら
予想を裏切るようなことになった
言っては仕方ないんですけども
何か別のところで言いましたけれども
現実味のないことだなって
抱えているということですね
私としてもどうしても今度の地方選挙で通ってほしい
知人とか友人とかいまして、その中には若手で初めて共産党に入って
挑戦しようっていう風に思ってくれた人もいて
っていうぐらいのことは思うんですけど
これも為す術がないということで
苦しんでいるというのが率直なところです
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Q) 志位さんが書記局長に選ばれたけど
あの時は党内でもほとんど知られない
少なくとも ものすごく状況を変えようとした
そういう知恵はあった
これは志位さんのリーダーシップでやったのか
それともと党内には異論があったのか
それも全く聞こえてきませんけども
この苦しい局面を思い切って展開しようとして
どんな知恵があるという風に思ってらっしゃるのか
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A) 率直に言って短期的に統一地方選挙のご質問とも関わりますけど
大逆転の秘策みたいなのは
田原さんが「志位さんと松竹さんと僕と3人で食事でもしようよ」
「志位さんと松竹さんの対談を実現するから」みたいな、その場で握手でもして何とかならないかね
みたいなことも言っておられましたけども
私に逆風が吹いてると言うか
それを打開するためにも
本当にこういう状況、こういう共産党でいいのか
っていう訴えをして そこで根本的に変えていく
本当にそれぐらいの覚悟でやっていけば
その先に何か見えてくるんじゃないかなという
期待をしているという状況です
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共産党は政策も共感できないし、庶民の味方とか言いながら子供が昼寝してる時間に路地まで爆音選挙カー走らせて叩き起こしてくるからダメ。こないだの大雪の日には凍った路地に選挙カーが入ってきて、それを避けようとした人が何人も転倒していた。路地に選挙カー走らせる前にまずは党の低迷を支える独裁党首を何とかしろ。
https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12758045747.html
あくまで「松竹氏の言ってることが正しければ」という条件は付くし、今でもそうなのかは知らないけど
しかし
そこで議員団事務局長が不破氏の行動を擁護するために持ち出した議論がある。それに議員団が心から納得したのかどうか分からないが、とにかくその場を収めた議論である。 それは、党規約上、党首(委員長)というのは「機関」であるというものである。
幹部会の会議を主宰するような位置づけだけの人ではなく、独自の権限を持っている「機関」であって、別の機関が何かの決定を行っても、党首は別の決定をできるのだということである。
というのは良くも悪くもスゴイと思う。
多分、議員団事務局長としては「アカン、このままじゃ党の決定に背いたとして不破氏が処分対象になってしまう・・・せや!代表は独自の権限を持っている「機関」ということにしたろ!!」みたいな感じだろうけど、自分はモニターの前でそうきたかァ~~~ッッッ!って言いたくなったよ。
それにしてもなんで不破氏が法案を初めて見たのが本会議場という状況が発生したんだろ?
法案に興味ないから党での議論に参加していなかったというのなら代表としてはおかしいし、病気とかの事情があって議論に参加できなかったのなら本会議の前に誰か法案の説明をしてあげろよと思う。
過去の国政選挙はだいたい「選挙区は民主党系、比例区は共産党」。吉良よし子議員にも入れたことがある。ただ、立憲民主党が立ち上がったときは御祝儀で両方立憲民主党に入れたし、れいわ新選組が立ち上がったときは一票入れた。「俺の一票が国会議事堂のスロープになった」と思うと誇らしい。ロシア非難決議に対する対応とかで「どうしようもねえなこいつら」と思ってはいるけど、国会に何人も重度障害者を送り込んだ実績があるので完全に嫌いにはなれないんだよな……
政治的スタンスとしては、象徴天皇制支持、日の丸君が代に愛着あり、日米安保支持だが、どうせ今すぐに共産党が政権獲ることはないだろうし、と思って少しでも生活をマシにしてくれそうな党に入れていた。共産党が恒常的に第二党になり天皇制や自衛隊への攻撃を強めてくるようになったら流石に別の党に入れるだろうけど、現状の勢力ならまあ天皇や自衛隊の脅威にはならんだろうな、という判断。
過去の地方選挙はだいたい共産党一択。地方選挙なら共産党がいくら勝とうが天皇制や自衛隊に直ちに影響があるわけではないので、安心して共産党に入れられていた。
で、前置きが長くなったけど、昨今の共産党について。正直、かなり失望している。
失望のその1は表現規制問題だ。かつて共産党が表現の自由のために戦ってくれた経緯があるのは知っているし、そこは感謝しているが、最近の共産党は表現規制派のフェミニストに乗っ取られてしまったかのようだ。『温泉むすめ』へのバッシングには何人もの共産党の地方議員が参加していた。地方とはいえ仮にも公職にある者が、たかだか地域おこし用のご当地萌えキャラ程度のものに「ゾーニングすべき」などと堂々と言ってきたのだ。『月曜日のたわわ』だってそうだ。他にもいくらでも事例は挙げられる。そしてとどめが、一昨年の衆院選だ。
不安定な雇用に振り回される萌えオタクの俺は、安定した雇用や充実した福祉と天秤にかけて、俺の嫁たちを選ぶことにした。まっとうな仕事がないのは俺が人文系などというカネにならないことでは定評のある学問を専攻したからであり、自己責任であると諦めもつく。一念発起して資格を取るなり起業するなりすれば一発逆転ができるかもしれないのにしていないのも、最終的には俺が怠惰なのが悪いのだ。しかし、彼女たちがいったい何をしたというのか。たかだかスカートに皺が寄っていただのといったくだらない理由で、彼女たちがあそこまで攻撃され、貶められてよいはずがない。金がないのは耐えられる。でも俺たちの文化が貶められ、排除されようとしているのは耐えがたい。
失望のその2は、まあその1とも絡んでくる話だが、Colaboの件だ。モリカケサクラであれだけ特定の民間人との癒着や公的リソースの私的流用や公文書の黒塗りを批判してきた共産党が、Colaboをあそこまで庇うとは思っていなかった。まだ知らんふりしてColaboを詰めてくれた方が全然よかった。暇なんちゃらが「共産党と強いつながりのある~」って枕詞を使ってたときは「まあそりゃ事実っちゃ事実だけど下品な攻撃だなぁ」と思っていたんだけど、あそこまで全力で都の不明朗な会計を庇い始めるのは予想外すぎた。本当にあったのかよ強いつながり。俺はお前らが行政の透明性をうるさく追及する党だと思って、そういう政党が議会制民主主義には必要だと思って、だからずっと貴重な一票を入れてきたんだぞ……
そして失望のその3。今回の党首公選問題だ。たかだか党首公選すべきだと本を出し記者会見をした程度の党員をあそこまで攻撃するのはドン引きするほかない。「気持ちはわかるけどすぐには難しいっすね~。貴重なご意見あざーっす」で済ませていればすぐに鎮火しただろう問題をここまで燃え広がらせているのは、すべて共産党自身が招いたことだ。
俺は党首公選が絶対に必要だとは思わない。それは2つの理由からだ。理由のその1は、紙屋研究所の人が書いていたように、公選のみが民主主義だということになったら、じゃあ国会はどうなんだ、という話になってしまうからだ。当たり前だが首相は国民による直接選挙ではなく、国民に選ばれた議員の互選である。それでも、安倍晋三や菅義偉や岸田文雄は競争的な選挙で選ばれた政府の長であるということになっている。ならば、別に政党内部でも間接民主制であって悪いわけではない。すべてを直接選挙に還元するのは議会制民主主義の否定だ。
けれど、問題は、それで20年以上も同じ人物が党首の椅子に座り続けていることだ。いやもちろん、指導者の在任期間が長いことそれ自体が直ちに問題になるわけではない。たとえばドイツの首相は非常に長期にわたって在任することで知られており、アンゲラ・メルケルは16年にわたって首相府に君臨してきたが、ドイツが民主国家ではないと言う人はいない。しかし、ここは日本だ。たいていのアメリカ大統領が経験する8年間の任期を勤め上げたら憲政史上最長の長期政権になってしまう国だ。かつては1年単位でコロコロ首相が代わり、選挙に負けたら与野党の党首が腹を切らされ、ポスト○○は誰だという話でワイドショーがもちきりになる国だ。麻生太郎も野田佳彦も、そして最初の組閣時の安倍晋三も、選挙に負けて党首を辞めさせられてきた。選挙にはめっぽう強かった再登板以降の安倍晋三は、コロナで失政をやらかした(と国民から思われた)ために首相を辞めた。じゃあ、志位和夫は? 共産党の党勢を爆発的に伸ばしたわけでもなく、有能な首長を何人も輩出したわけでもなく、山本太郎や福島瑞穂のように事実上の個人政党を統べているわけでもない彼は、なんでずっと党首の椅子に座っていられるんだ? ヘルムート・コールが25年にわたってCDU党首を努めたドイツであればいざ知らず、安倍晋三ですら10年も自民党総裁の椅子を温めることができなかった日本において、それはあまりにも異様で非民主的に「見える」光景だ。
もちろん、党内で綿密な議論を重ねた結果、たまたま有為な人材が連続して選出されているのだ、という主張をすることは可能である。自民党の世襲政治家の皆様も、有能な人材がたまたま息子だった、と言いたいことだろう。我が国には職業選択の自由があるので、それは一概に否定できることではない。そこで、党首公選が絶対に必要だとは思わない理由のその2になる。共産党の人びとがここ最近力説されているように、憲法には結社の自由が定められており、なおかつ、政党は党員による直接選挙で党首を選べ、と規定している法など存在しないのだから(政党内部の民主主義に関する法がないにもかかわらず多くの政党が党首選挙を採用しているのは、日本が成熟した自由民主主義社会であることの証左だと思う)、そんなもんは共産党の自由なのである。究極的な話になるが、神のお告げで党首を選ぶ政党があってもよいし、レスラーが立ち上げた政党であればリングで党首を決めたっていいのだ。嘘をつかずに「我が党は格闘や神託で党首を決めています」と言ってくれさえすれば、あとは国民の方で判断すればいい話なのだから(現に、「○○の息子でございます」と名乗った上で自由選挙で選ばれている世襲政治家は大勢いるわけで。そして世襲政治家であっても当選が保証されているわけではないことは、偉大なる田中角栄のドラ娘が見事に証明してくれた)。
レスリングやイタコで党首が決まる政党であっても、俺たちの利害を適切に代弁し、国民の自由を保障してくれるのなら一票を投じてもよい。非民主的な発想かもしれないが、少なくとも俺はそう思う。だから共産党にとっての真の問題とは、そのようにして擁護してくれる人の数を年々減らしていったことにあるのではないか。俺は、あんたらがフェミニストと手を組んでゾーニングだの何だのと喚き散らしたりしなけりゃまだ共産党に票を入れてただろうし、松竹伸幸を強引に追い出したりしなけりゃ、結社の自由戦士になって共産党を庇ってもよかったんだけどね。
共産党は「左翼政党」ではなく、あくまで「共産主義者の党」なわけで。
共産党に「左翼政党」としての役割を期待していた人々にとっては納得できないかもしれないけど、資本主義の国で共産主義を標榜するという特殊な事情から、そう簡単に「党首公選を採用します」とはいかないというのが共産党の言い分なんでしょ。
日本共産党が今、党首交戦制を公に主張した党員を除名した件で各方面から激しい批判を浴びている。
批判の道筋はもっともな内容であるけれど、日本共産党がそういう組織運営を行ってきた政党であることは、多少知識のある者なら昭和の昔からみんな知っていることだ。
それが朝日新聞や東京新聞まで批判の論陣を張る大きな流れになっている。
結論から言うと、広範囲な左派・リベラル圏の主導的地位をめぐる大綱引き合戦が起こっているのだろう、と思われる。
戦後の左派ムーブメントは大きく、共産党系と非共産党系に担われてきた。朝日などが推す左派リベラル系の運動は、どちらかと言えばより間口の広い非共産党系人脈に軸足を置いていた。共産党は場合によっては共闘相手にもなったが、新左翼などにとっては不倶戴天の敵だった。要は本流じゃなくクセの強い独自路線の傍流だった。
それが今、左派リベラル圏の軸として期待されてきた立憲民主党あたりがどうもあてにならなくなって、その分共産党系の比重が増してきている。そんな状況に対して、非共産党系の支持者から「左派リベラル全体を仕切りたいなら、党内体制どうにかしろや。今のままじゃ認められん」という声が起こっているのだろう。
上記の2つは異なる問題なのにごっちゃにしている人がとても多い。なにより共産党自身がごっちゃにしている。
今回の件で共産党が批判されているのは、党首を公選しないことに対してではなく、それを主張した人間に対して除名という処分を下したことに対してなのに、「党首を公選しろと言われている。これは共産党に対する攻撃だ」ってブチギレてる。
そこじゃねえんだわ。
松竹氏なり、共産党に批判的な人は「非民主主義的」だというような形で共産党を批判するがこれは当たり前のことだ。
民主主義、というか公正な選挙のために言論の自由が重要なのはこれは当然のこととして理解できると思う。では言論の自由、表現の自由、内心の自由とはなんだろうか?「家の中で叫ぶ自由」「誰も見ていないところで絵を描く自由」でないことはこれもまた当然だ。すなわち、出版したり、インターネットで公開したりする自由が必要となる。
では、出版の自由のためにはなにが必要だろうか?編集を自由に行える必要がある。印刷を自由に行なえる必要がある。作った本を自由に流通させる必要がある。物流倉庫を自由に運営する必要がある。小売店を自由に経営する必要がある。DTPに使うコンピューターを自由に開発できなければならない。ソフトウェアを自由に開発し販売したり頒布したりできなければならない。つまり、結局のところ「言論の自由」というのは「あらゆる商業活動を行なう自由」であり「私有財産の肯定」であり資本主義だ、ということになる。
つまり、「民主主義」と「資本主義」は全く同じものだ、ということになる。共産党が「表現の自由」を極度に嫌うのも当然で、それは反共産主義的な発想だからだ。
つまり、党首公選、すなわち民主主義の導入を共産党に導入せよと要求する、というのは共産党は共産主義を捨てろと要求していることと同義となる。これは反党行為そのものだと言える。
プロレタリア独裁とは結局突き詰めて考えれば個人独裁にならざるを得ない。「資本家」を排除するというのは、結局民主主義と言論の自由の排除なのだから。そこでは意思決定の全てが不透明で、個人のあやまりが増幅されやすく、相互不信の嵐が吹き荒れることになるが、それでも現代の哲人政治と平等な社会を目指すのが共産主義者の仕事ではないだろうか。それが可能かどうかっていうと、僕は不可能だとは思うけど、
松竹氏は、結局共産主義とはなにか、ということをすっかり忘れているのだと思う。朝日新聞などは「激しい路線対立があったころならまだしも」などというようなことを言っていたが、結局、これこそが今の共産党の最大の問題なのだと僕は思う。多くの党員がもはや共産主義者ではなくなっている。最大限強権的な運営をしなければ、もはや党は維持できないのだろう。
日本社会党中央執行委員長、議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説のさなか、暴漢の凶刃に倒れられました。
私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。
ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。
かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。
私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
淺沼君は、明治三十一年十二月東京都下三宅島に生まれ、東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田の北沢新次郞教授や高校時代の河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義の洗礼を受けられたようであります。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動の実践に情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります。
すなわち、同十四年農民労働党の書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党を巡礼されたのであります。
君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和十一年の第十九回総選挙に東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります。
戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一回国会が召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会の運営に努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行の確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります。
翌二十三年三月、君は、日本社会党の書記長に当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります。
かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身が社会党のシンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史上永久に特筆さるべきものと信じて疑いません。
君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります。
淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。
君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。
「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。
君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。
私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。
ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。
選挙前に、850万票なんてトンチンカンな目標を立てたけど笑っちゃうくらい全く届かず、日本共産党の比例票は、440万票→416万票と、目標の半分以下!
その上で「党首選挙実施主張した党員除名処分」問題によって、次の国政選挙は、さらに半分以下になるんじゃないの? つまり、207万票くらいか。もう完全に終わったな日本共産党。