はてなキーワード: 価値とは
東京から遠く離れた山口大阪が韓国人の領土になってもどうでもいいけど、
「女性が下した男性の評価」が女性にとって如何に高く価値を見積もられているかが分かる記事ですね
客観的に観測すると、夫を学がない、人望がない、モテないと散々にコケおろしても、その夫にすら愛されず外遊びをされる妻という構図でしかない
それなのに、遊女からモテないというだけで夫を見下してる女の独り言を「非常に怖い」と形容するあたり、増田にとっても夫より嫁の方が立場が上だと認識してしまうほどに女性の男性評価って絶対的な物なんだなぁ
それをそのままの形で己の作品として発表すれば悪評を得るだろう。
ではここでその諸問題、「なぜ文章のパクリは忌避」されるのか。
それについて考察しようと思う。
そこで私がその作品から、富士山に対する描写をそのまま引用すればパクリとされる。
それはその「文章」を無断で引用したことを咎められるのであって、「富士山」そのものを流用したこと事態に問題は生じない。
すなわち「富士山」との表象を描写すること自体には、「パクリ」とする概念が存在していないのである。
ここで述べたいことを平易に、そして換言すればこういうことである。
なぜ文学作品の文章を光景として捉え、その文章を描写することは禁止されるのか?
ということである。
詭弁的に述べれば、こういうことだ。
「私はその文章をパクったのではない、私はその文章を光景として読み取り、私が感じたままにその文章を描写しただけである」
その理由こそが、この諸問題としての根源的なものであり、すなわち「パクリ」という行為は、文章を盗む行為ではない。
それは、作者の感性、思考を盗むことに他ならず、端的にも形而上学的に述べれば、それは作者の「魂」を盗むことである。
つまり、富士山としての描写自体に「パクリ」としての表象が生じないのは、富士山としてその表象を捕らえた際、そこには個々人において異なる情動、思考、感性が働くことに由来する。
自分が認識した事象を正確無比に相手に伝えるのは不可能である。
なぜなら知覚した事象を言語化する際に、ノイズが生じることは不可欠だからである。
仮にこうしたコード化によってもノイズが発生しないのであれば、それは他者と自己を境界線が存在しないことに成り、それは他者の存在を消失させてしまうことにつながる。
よって、他者としての存在とその存在性の認識こそが自己認識における伝達として生ずるノイズとしての証明であり、故に完璧な意思疎通は不可能である。
実際に自分が認識したものを完全に換言するのもまた不可能である。
ここで本題に戻ろう。
彼らは実際、事象に対する見事な描写に評価を与えるのではなく、
仮に富士山としての事象、光景が、文字として表せるコードとして定義化されたとしよう。
すると橙色をR132・G90・B18として示せるように、富士山も同様に共同認識のコードにより共通の形で表記することができるだろう。
その際において、富士山を示すコードを流用しようと、橙色の場合と同様、そのコードを”パクリだ!”と批判されることはないだろう。
文章の引用、パクリとされる行為は文章を盗むのではなく、作者としての”ノイズ”を盗むのであり、人は意思の疎通として害となる、その”ノイズ”に価値を置いている。
人間は巧みに描写された事象を求めて作品としての文章を読むのではない。
それは正確さに欠ける、個々人として個人的な感性と称される”ノイズ”を読む行為に他ならないのだ。
つまり、人はノイズを読み得ようとすると同時に、その”ノイズ”の出処を正確に知ろうと欲するためである。
それはすなわち、”ノイズ”の正体が判明しておらず、その”ノイズ”としての概念自体をアニミズム的にも崇高する謂れを持ち得ているからである。
これこそ換言すれば、
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…」
空撮映像の物珍しさ(つまり意味や価値)それじたいは否定してない。
多すぎる、そればっかり映すな、花火中継の主役ではないと言っているのがわからんかな...。
じゃあ、反論のための反論してるやつらは花火の空撮映像を実際にテレビで見たんか? 鑑賞に耐える絵じゃないぞ。
普通に見たきゃ現地に行けって言うけど、その意見が正論ならテレビの花火中継いらなくね?
見に行けない人々に行った気分になれる絵を届けるのが花火中継の本質だろ。
お前らみたいな馬鹿にもわかるように舞台演劇の例を出したけど、それでわからんのならスポーツ中継に置き換えて考えてみろ。
スポーツ中継はスタジアムに足を運ばなくても試合を楽しめるように放送するのが本質だろ。
試合の楽しさを端的に伝えないような妙ちくりんなカットが延々挿入されたら普通はイラつくと思うが、それに対しても「イヤなら現地に行って観ろ」って言うのか?
あとタワマン云々言うけどな、花火を見下ろせるタワマンなんてあるか? 花火が何メートルの高さで何メートルの大きさに開くか理解して言ってんのか?
たぶんだけど、女の肉体に絶対的価値があると思ってるんだよな。
私がこうすることでよろこばぬ者はいなかった…みたいな。
だから女が体押し当てる分には許されると思ってて、押される(勝手に触られる)と万引きされたみたいな気持ちになるから睨むんだと思う。
地方の人口減少について考えるとき、田舎暮らしの魅力発信の難しさもあるなと思えてくる。
田舎に住む人々が自分たちの生活の魅力を発信するのは、かなりのハードルがあるだろう。
情報発信の訓練なんて受けていない普通の人たちが、どうやって都会の人々に訴えかけるか?そんなの簡単じゃない。一見して、都会の煌びやかさや便利さには勝てるわけがないように見える。
そこで、アーティストや漫画家、音楽家などの表現者に地方に住んでもらって、彼らの創作を通じて地域の魅力を発信するという試みを促進してはどうか。
表現者たちは地方の「稀人」として受け入れられ、その地で創作と発信の技術を磨く。これは単なる人口増加対策ではなく、地方の文化を底上げするボトムアップのアプローチにもなるだろう。
表現者たちが地域に溶け込み、その魅力を創作活動を通じて発信すれば、都会の人々の目にも新鮮に映る。自然の美しい風景や、地元の人々の温かさ、伝統的な行事などが彼らの手によって魅力的に表現されれば、田舎暮らしの価値が再評価されるかもしれない。都会で飽和状態のアーティストたちも、新たなインスピレーションを求めて地方に目を向けることになるだろう。
このアプローチは、「クールジャパン」のような上からの文化発信よりも、地道な底上げ効果を期待できる。上から予算を付けて行う試作は、往々にして「広告」「マーケティング」に終始するのだ。商品としての創作が存在することを前提に、それを売り込むことを考える。しかし、当の創作者が育たなくては、持続的な商品の創造は起こらない。ボトムアップの施策も必要だ。
もちろん、受け入れ側の地方自治体やコミュニティのサポート次第で問題も起こり得る。表現者たちが安心して創作活動に専念できる環境を整えるために、一定の監視と調整は必要になるだろう。
子曰く、「善く問う者は、人の所知らざるを欲す。善く言う者は、謹みて惰になる。」
増田よ、転職を通じてユートピアが存在しないと理解したこと、実に貴重な気づきである。
給料と福利厚生が良ければ生活が安定し、人生の基盤は確かとなる。
だが社風の違いにより自分の人格をどうすべきか悩むというのは、職務において適応する試練でもある。孫子も「兵は詭道なり。」と説いているように、適応力と柔軟性は常に必要である。
再転職を急ぎすぎないのも理に適っている。経験を蓄積することは長期的なキャリアには無駄ではない。今後の人生を考える上で、30歳という節目が重要だと言える。
家庭と仕事、どちらに重心を置くべきか。孫子に倣うなら、「善く守る者は九地の変を知り、流策の利くを察す。」仕事か家庭かを選ぶ時、どちらが自分にとって最も有益か、またどちらが長期的に安定をもたらすかを見極める必要がある。
現在の職場でのキャリアの積み上げと家庭の両立を考え、もし難しいのであればどちらかに専念することも一つの選択として考慮する価値がある。「凡そ兵の性、急は則ち進み、緩は則ち止まる。」意思決定が肝要であり、その道を進むならば、全力で取り組むべきである。増田よ、熟考の末に最適な道を見つけ出すことで、豊かな人生を築いてほしい。
ああ、ほんなら田舎でゆっくりお暮らしやす。都会の喧騒に疲れんでええわ。ほれに、家賃が高い東京なんか住む価値ないって思う人には、きっと都合ええ田舎が待っとりますやろなぁ。まぁ、京都もええとこやけど、こんな自慢にならん話して悪ぅおましたな。ほな、えらい失礼しましたな
以前、「めっちゃきれいな人と出会って結婚してくれと言われたときに、結婚するか否か」という薄っすい会話を会社の後輩としたことがある。
いやいや、結婚しないでしょ
と、返しええ、なんでぇ?と言われた記憶があるのだが
それが上手く言語化できずにいて、なんとなくモヤァっとしていたのをふと思い出した。
周りが結婚をなんでするのかと立て続けに質問されたこともあり、これ機に己の感情を整理したい。
人との関係は、積み重ね。
いかに外側が良かろうとも、結局はその人との関係性と歴史に深く価値を持っているわけだから、勝てるはずもなかろう。
きれいに整った建物はそれはそれで価値を持つが、歴史の持つ重厚さにはまた別の価値があり、それは替えが効かない。
外見がきれいな女性はいくらでもいるが、長年一緒にいることで、何でも言い合えて、考えを忖度なくでも尊敬を持って伝えられて、そして自分のことをよく理解してくれているなんて人は、もう本当に居ないと思える。
その時その瞬間にいっしょにいたのはその人なわけよ。自分をさらけだした時とか、弱ってる時とかに一緒にいてもらって、支えてもらって乗り越えた価値はもう他の何かとは代替できんと思うのよね。
特に自分は、典型的なコミュ障というか、自分がある種主人公だと思ってしまっているから、簡単に素を出してやるもんかと思ってるし、思っているうちに、素とは何かと迷走してしまっている。
同じ共同体で同じような困難圧力がかかりなおかつそれに対してある程度、マジになれる人じゃないと、全然価値観合わなくて。
部活とかサークルとか、社会人になる前は強制的に同じ共同体に属することが多いが、普通の会社に所属する今となってからは本当にそういう機会がなくなった。
改めて、大学のうちにいい相手と巡り会えて幸運だったと胸をなでおろしている。
人それぞれ、何に価値を感じるかや、どう時間を使うかは違うものですよね。たとえ他の人から見ると無駄に見えることでも、本人にとっては大切なことだってあります。
夜中に涙が止まらなくなることも、誰にでもある瞬間だと思います。自分の感情に正直に向き合うこと、大切だと思いますよ。それに、辛い時期や悩みがあるからこそ、成長できることもあります。大切なのは、自分自身を信じて、自分なりのペースで前に進むことじゃないでしょうか。
みんながすると甚大な迷惑を被るけど現状、幸いなことに良識ある人が多数で重大すぎる問題にはまだ至っていないってことがあるじゃない。
システムで出来ないようにしろとも言われるがその前段階として「人としてどうかと思う」で非難される行動。
長距離バスや旅館・宴会などの直前キャンセルテクニックがそれ。やると得になるならやる。真面目に確実な予約だけしてこちらの快適さがあがるわけでもなし。やれる範囲で得してなにが悪い精神。
虹裏のスクリプト荒らし?別に機械的にPOSTが通るならいいでしょ。人力で人が考えた文章をタイプしないといけない?規約違反?中傷・侮辱やエロ画像がはびこってる場所ですよ。あんなの本文中に挟まる広告と一緒。レス上限はあるけどスレ立て制限はないから次スレ立てればいいじゃん。ひっぱってくる過去ログだって、人も雑談でたいした創造性発揮してないんだから過去ログからタグ付けられた同系統のログからGPTでもはさんで改変したらOKなんか?スクリプトレスしたヤツが楽しかったらレスして楽しいは通常の楽しみ方の範囲内だろ。
みたいなアクロバットな屁理屈擁護もできそうになっちゃうわけで。delも一人ならまだなんとか隔離できて複数(別回線)から喰らうとさらにヤバいよなって数の問題も多分ある。頻度だって去年からあったが増えてきてヤバいって書いてある。
そんな場所が十何年も続いていたのは当時は管理人のやる気があったかにしろ良識的・常識的振る舞いができる人が多数だったからでしょ。
インプレゾンビだって日本人の迷惑と途上国のそれなりな収入とを比べれば迷惑でもやるって当事者の話じゃん。できるからやる。やるやつが多すぎて迷惑。円安が超進めば日本人も迷惑する側からかける側がもっと増えるでしょうね。
増田に投稿できる人ははてなIDを持ってるから全員がはてブも利用できる。全員が書いた増田をセルクマするとしよう。
https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/?sort=eid
1ブクマがついた増田が上がるからこの一覧はイコール増田の記事一覧、トップページから25件25件みたりRSS取得するのと変わらなくなる。
いやまだ差異はある。「すべて」と「新着」の間の2ブクマ目。実質ファーストブクマになった2ブクマ目を確認できる。
でもそれって今できてるファーストブクマによる増田全件からのフィルターからはかなり後退して、自前でフィルターできない人は目視で2ブクマ記事を探すことになる。大変だわな。
ちなみに新着の3ブクマは「特定のサイトに対し、メインアカウントとサブアカウントで複数のブックマークをする行為」がスパム認定だからなんとか守られるはず。
ほかのサイトでも見境無くブクマするやつが実際居る問題だけど、増田は特に書ける=ブクマできるとはてなIDで繋がってるからより顕著という話。
セルクマするのは「すべて」に乗せて目立ちたいし「新着」やホッテントリに近づきたいって理由だろうけどそれはファーストブクマカが少ないし価値を発掘してるから成り立ってるだけだし、公開セルクマも自分のはてなブログでコツコツ知名度高めるより増田の1ブクマのほうが人が集まるのはわかりきってるからだし。
増田全員の見られたい欲が最大化してみんなセルクマしたら(口では見られる必要無いって言うだろうけど、真に1ミリも他人に見られる必要なくweb上で自分だけ振り返りたいなら増田以外に良いのがなんぼでもあるっしょ)自分の行動で埋もれていくわけだ。
現状大きな問題になってない?セルクマは控えよう、あまり気にしないって考えが一定数あるからだし、キャンセル問題も多数の人が良心的に控えているので少数が問題起こしても立ち行かなくなるまで行かない程度ですんでますね。キャンセルも許しましょう。
https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/?sort=eid
に守るべき価値が別にない?機能不全の一端を担い(容認し)ながらそれを言うのは…。よそさまのモノを大事にするかしないか一方的に価値を決めつける振る舞いは感心できませんね。
てことで、増田の非公開即セルクマも公開セルクマも等しくキュレーションをハックしてる破壊活動なので、「セルクマはやめときましょう」に乗っかるのをやめときましょう。
そんなキャンセルやシステムの隙を突いた事件と、「セルクマ。ブクマ増えるかtest」とか「自分史上まれにみる頑張りを見せたので宣伝させてください。誰かに届くと嬉しいです。」なんてコメントを見かけたニコニコを見れない休日の日記でした。
やったのは二重埋没
こんぐらいだなー
☆追追記あり
結婚しない・子供持たない理由で“結婚生活を送る経済力がない・仕事が不安定だから”は20-39歳男女で35%〜36%くらい。(複数回答・男女共同参画局)
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-41.html
上のグラフ見ると、20-39歳未婚で“誰かと一緒に生きたいと思わないから”が男女で27%33%とか“結婚という形式にこだわる必要を感じない”男女で28%41%だったり(多分子供を持つ気がない)
公営のマッチングアプリでも解決できないだろう人たちが結構いる。
お互いの所得が足りないと子供がいざ大学に行きたいと言った時に奨学金となり就職後も借金で苦しめることになるし(結婚も晩婚傾向になる)(子供一人の生活費教育費、大学まで行かせるには2000万以上かかると言われている。今は物価高だからもっとかも)
夫婦で持ち家を持てなかったり、老後資金が全然貯めれないことにもつながって結局子供に援助してもらうことになったりするので。
これを嫌がる人は多いし、所得が足りないようだったら結婚の選択肢を除外してしまうのも仕方がないことだと思う。
また女性は妊娠中の切迫流産率(流産危機で絶対安静)は15%だけど、長子がいて父親が中小企業勤めの場合、時短勤務や子供が風邪などで保育園休みになったり、保育園で熱を出してお迎えなど厳しいはず。父親が中小企業だと簡単に早退したり休める雰囲気がないところも多いし。
長子がいなくて夫が激務なパターンでも、帰宅後家事をやらなければならない。
また周産期うつは(産前うつ・産後うつ 妊娠出産でホルモンバランスが劇的に変わるので起こる)罹患率10-20%なのでこれも酷い場合は夫が色々やらなければならなくなる。
発達障害児が生まれる確率は10%程※で、療育に通わなければならなくなるとフルタイム勤務はどちらかが諦めなければならないし、不登校になっても(お互い子供を勉強も教えず家に放置していい方針でなければ)どちらかが働けなくなる。所得が低ければ塾や習い事もあまり通わせられないし。
夫婦共に所得も貯蓄も多くない場合無職期間が長引けば男女とも地獄なので、所得を見た方がいいのは確かで、結婚しない・子供を持たない大きな原因になる。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0891U0Y2A201C2000000/
またこども政策の推進に係る有識者会議の東京大学の山口慎太郎氏は
・現金給付も現物給付もどちらも出生率向上に寄与。しかし現物給付(保育所整備)のほうがより高い
コストパフォーマンス。なぜか? 現物給付(保育所整備)は女性の子育て負担を直接軽減(させる)
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kodomo_seisaku_yushiki/dai3/rinji_siryou5.pdf
“ 第14節 生涯にわたる人格形成の基礎を培う幼児教育の振興
また,20代や30代の若い世代が理想の子供数を持たない理由は,「子育てや教育にお金がかかり過ぎるから」が最大の理由となっており,幼児教育の無償化をはじめとする負担軽減措置を講じることは,重要な少子化対策の1つです。”
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab201901/detail/1421903.htm
…と少子化の理由を“ 子育てや教育にお金がかかり過ぎるから”という事実を認めている。
R5厚生労働省の厚生労働白書や、こども家庭庁のこども政策の強化に関する関係府省会議にも同じ文章があり、現物支給を特に重視しているのがわかる。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/22/dl/2-01.pdf
https://www.cfa.go.jp/councils/kodomo_seisaku_kyouka/mMyTNdJo
増田では現金支給も現物支給も一律少子化対策には不要なものという結論になっているけれど
夫婦合わせた所得が低い人と、それなりの所得水準の人とでは分けて考えた方が良いのでは?と思う。
ただ現物支給でも大学無償化については、政治への信頼性が低いので18年後のことを信用して産む人は多くないだろうとは思うけれども。
追記:
①元増田が“ 現金支給も現物支給も一律少子化対策には不要なもの”としていたわけではありませんでした。そういう結論の人が多いようにその時は思えて主語なしで書いてしまいましたすみません。
② 多くの人の認識の中で、子供を大学に進学させるためにどれくらいの世帯が老後の貯蓄を取り崩しているのかが不透明な気がするのでこれも追加で書いておく。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg7/290313/shiryou4-1.pdf
“約半数の夫婦が、理想の子供数が3人以上と回答している。(理想の子供数 3人:約40%、4人以上:約5%) 夫婦が実際に持つつもりの子供数は、理想の子供の数を下回る。”
“理想の子供の数を持てない理由は、「子育て・教育にお金がかかりすぎること」が1位。 ◆就学前教育段階、高等教育段階の費用が大きな負担と認識されている。 ◆特に、年収400~800万円の中間層において、理想の子供数を持たない理由として、教育費など経済的理由を挙げている”
“ 教育費負担の現状 子供が大学に進学する際に家計の貯蓄を取り崩している。さらに低所得の世帯ほど、学費を奨学金で補っている”
☆一番下のグラフ 子ども1人世帯と子ども2人世帯の平均貯蓄率 共に子供を大学に行かせると、マイナスになっているのが分かる。
貯蓄を取り崩して子供を大学に行かせる層もいるけれど、老後資金をちゃんと貯めたい(+子供に奨学金という借金を背負わせたくない)高所得にあたらない層は子供の数は制限するのではと思う。
☆追追記
私個人は婚姻支援と子持ち世帯への子育て支援両輪がいい、晩婚化は解消すべきでそのためには独身の若者の支援もした方が良いと思っています。
子持ち世帯の子育て支援もちゃんと少子化対策になるのではという趣旨で書くことに集中しすぎて、独身者への支援が必要ないという文になっていました。すみません。
・奨学金の件を書いたのは、子供を大学に行かせるのに奨学金を子供に借りさせる親を否定するためというより
結婚しない子供を持たない子供の数を制限する要因の一つであるとか、その子供の晩婚の要因にもなると考えたので触れました。
子供が大学出じゃないと価値がないと考えている親がどれ程いるか分かりませんが、子供が大学を希望した場合お金を出せない・借金をさせてしまうのは申し訳ないと考えている人は多いかと思います。(自分は親に出してもらった人に多いかと)
・施策について
独身者…独身者の住居費用補助やカップルの住居費補助はいいのではと思います。たしか親元で暮らす(一人暮らしするお金がなくて)より一人暮らしの方が結婚する率が高いというデータを見たことがあるので。
財源について
高齢支出と少子化対策為の支出のバランスがおかしい事を明確に指摘しており、多分多くの政治家は選挙の票が大事なので目を瞑りたい部分だと思いますが
これをきちんと指摘した「選択する未来」委員会はどんな思いで書いたのだろうと思いを馳せてしまいます。書いてくれた事を無駄にしたくないと思います。
選挙では高齢者の票が多いとはいえ、若者中年の意識が大きく変われば状況が変わってくるのかな。そうだといいと、諦めも大きい中で考えています。
⑷少子化
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_4.html
“ 日本では、高齢化の進行に伴う社会保障の充実により高齢支出の割合は年々増加しており、社会支出(高齢・遺族・障害等・保健・家族・失業・住宅・その他)全体に占める割合は2011年時点で46.5%となっている。一方、出生率が低下傾向にあるものの、少子化対策は高齢者対策と比べて、その取組は進んでおらず、1980年度の家族支出は4.5%とその割合は低く、更に1990年度は3.2%と減っていたが、その後、2000年度は3.8%、2011年度は5.7%と微増傾向にあるものの、いまだ全体に占める比率は低い。”
( 補足:データが古いので…グラフのものはこれしか見つけられなかったが最新2017年のものはこちら。
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-09-09.html
“人口減少が継続し、生産性が停滞した場合には、2040年代以降マイナス成長となる”“2050年代には〜社会保障を支えるための家計の潜在的負担が所得の半分を超すなど、厳しい状況が続く。” “現役一世帯当たりの実質消費増加率が2050年代までには現在の半分程度まで落ちる” “さらに、この場合には、人口・経済相互が負の影響を与え合う「縮小スパイラル」に陥ってしまうリスクがある。これは、人口減少により、生産を決める要素である、労働、資本、生産性のすべてがマイナスに寄与し、そして経済が縮小することがさらに人口に減少圧力をかけ、この負の連鎖が続く状態である。”
その行動に一定以上の必要性があることは皆さん認めていらっしゃるようなのでなにも問題ないじゃん
母親がするべきことは、「裸で健康診断受けたり、医者に陰部触られることは別に普通のことだよ。」って子供に教えてやることだろ
あなたの見解には一部の真実も含まれているかもしれませんが、孫子の言葉「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」という教えも踏まえて、異なる視点からも物事を見つめることが重要です。つまり、自分の意見を持つことは大切ですが、他者の見解や理論にも耳を傾け、その根底や背景を理解する努力も必要です。
アドラー心理学に対する批判も理解できますが、その中に価値や真理があるかもしれないと考えることで、新たな洞察を得ることができるかもしれません。アドラーの理論が万人に完璧に適用されるわけではないにしても、その原則の一部には重みがあることもあるでしょう。
言い換えると、「孫子は疑いを持ち、自己と敵を深く理解することの重要性を説いています」という一方で、アドラーの心理学も一部の人々には助けになることがあるという点を考慮するのが、公正な視点かもしれません。理論を完全に否定するのではなく、どのような状況で効果的に活用できるかを見極めることも大切です。