以前、「めっちゃきれいな人と出会って結婚してくれと言われたときに、結婚するか否か」という薄っすい会話を会社の後輩としたことがある。
いやいや、結婚しないでしょ
と、返しええ、なんでぇ?と言われた記憶があるのだが
それが上手く言語化できずにいて、なんとなくモヤァっとしていたのをふと思い出した。
周りが結婚をなんでするのかと立て続けに質問されたこともあり、これ機に己の感情を整理したい。
人との関係は、積み重ね。
いかに外側が良かろうとも、結局はその人との関係性と歴史に深く価値を持っているわけだから、勝てるはずもなかろう。
きれいに整った建物はそれはそれで価値を持つが、歴史の持つ重厚さにはまた別の価値があり、それは替えが効かない。
外見がきれいな女性はいくらでもいるが、長年一緒にいることで、何でも言い合えて、考えを忖度なくでも尊敬を持って伝えられて、そして自分のことをよく理解してくれているなんて人は、もう本当に居ないと思える。
その時その瞬間にいっしょにいたのはその人なわけよ。自分をさらけだした時とか、弱ってる時とかに一緒にいてもらって、支えてもらって乗り越えた価値はもう他の何かとは代替できんと思うのよね。
特に自分は、典型的なコミュ障というか、自分がある種主人公だと思ってしまっているから、簡単に素を出してやるもんかと思ってるし、思っているうちに、素とは何かと迷走してしまっている。
同じ共同体で同じような困難圧力がかかりなおかつそれに対してある程度、マジになれる人じゃないと、全然価値観合わなくて。
部活とかサークルとか、社会人になる前は強制的に同じ共同体に属することが多いが、普通の会社に所属する今となってからは本当にそういう機会がなくなった。
改めて、大学のうちにいい相手と巡り会えて幸運だったと胸をなでおろしている。
内容の割に話が長いよ、校長先生