はてなキーワード: 位置とは
種種の策動があった形跡であって理由は不明 Twitterの書き込み 発覚した理由
日時 何らかの装置を用いているし、 弱者男性は嫌いだからみんなで殺そうという書き込みがある
平成30年11月6日 ままの家に住んでいた篠原の手下が暴行、 11月9日には拡声器で反撃を食らっている 胴体もげる
令和4年2月28日 まま(佳代子)が育児放棄 ままのオヤジも、篠崎が、恫喝されました、ということ 中谷も育児放棄していなくなる
令和4年6月12日 ケースワーカー小俣(こまった)が顔合わせ、 事務所で、ここから先は自分がどうにかするといった不審な言動あり
令和4年12月1日 前日に東京都内でめった刺しにされていた都立大のなんちゃら事件があったがそれに似た延岡のみつる等が強制保護していた。
令和4年12月5日 大分県警佐伯署の67歳の、原由子とサザンのヴォーカルが発狂している。 オヴェイヴェイオヴェイヴェイもう少しの勝負じゃない、の奴
令和5年2月17日
令和5年4月17日、28日 姥ケ山自転車保管所における団藤重雄と、オレタチの書き込み そんなものはなかった!!!という
令和5年5月3日 新河岸の公営住宅へ向けて演説しているのを新河岸の民家の稚児(佐伯仁志)が確認
晴生の
何言ってんだお前、どうせマンションの同じ位置に住んでいて寝てんだろカス、今日は祝日で学校がないから活動がないだけ。
ときわ台メリーガーデンでも、広島駅周辺のマンションでも、同じような構造になってんだろうが、 15階に石村智がいて、
2階に、任介がいて、一番左の6階に篠原直樹が住んでいる。普通の人は知らないだろう。
延岡の北大路の一戸建てとマンションもそうなっている可能性が高いが、 北小路、北大路付近でやったことがないから反応を見たこともないし、あの辺はどうなっているか分からない
私も元増田に負けず劣らず無知だけど、アブラハムの宗教について言及してるのに、冒頭の以下については、ノアの7戒とモーセの10戒とを混同している模様で、間のアブラハムのことも無視していてひどいと思う
アブラハムの宗教について語るなら、「賢者ナータン」の「三つの指輪の譬喩」についても言及しておきたい。
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1158
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1187
元増田の個々の記述についてはレスであれこれついてるからいいけど、ムハンマドとイスラムについては特にもっとよく知りたい
イスラム教がキリストをどう捉えているのかなどの教義的なことはさておき、ムハンマドがガブリエルから啓示を受けて預言者となり、地域の多神教コミュニティと衝突を始めたって辺りの経緯というか動機が良く分からない。
キリストの場合は当時のユダヤ教の教義とコミュニティに対する宗教改革者としての位置づけが明確だと思うんだけど。
キリスト教の信仰の中心地から離れたところでキリスト教を説いて回ってるうちに地域の多神教コミュニティと衝突し、追い出されてメディナで一派を作って体制と規則を固めていってるうちに元のキリスト教とはだいぶ変質して宗教として確立した、みたいなものなんだろうか。
もし今この場に現れてももう一度付き合いたいとか思わない。
むしろトラウマに近くて、現れたら動機息切れ起こして泣きそうだ。
私と元カレは中学と高校が一緒で、中3のころから別々の大学に行って2年になるまで私が片思いをしてた。
お互いオタク同士で関わりも続いてたし、年に1回くらいは会ってた気がする。
大学2年の時、友人1人含めて3人で泊りがけで旅行した時があって、貧乏学生よろしく1部屋雑魚寝してたら元カレに体を触られた。
気づいた時にはキスされて、旅行が終わったあと問い詰めて付き合うことになった。
付き合ってから2週間後、私との初デートで長野に行って、セックスした。
私は長野はちょうどお互い真ん中の位置だし、初デートにぴったりだな~と思って浮かれていた。
初セックスを完遂したあと、元彼は目に見えて連絡頻度を下げた。
もともと遠距離だったから、LINEでのコミュニケーションが日々のよりどころになると思っていたが、返事もない。
半年連絡がないのを我慢して、共通の友人に相談したら「詰めろ」とアドバイスをもらい、その日の夜に問い詰めたら返事がきた。
「今でもかわいいと思ってる。でもこんな僕のことは忘れてもっといいひとのところへ行って」
死ぬほど泣いた。
結局付き合っていたと思っていたのは私だけで、彼は私を利用し童貞を捨てた。
きれいな風に言ってるけど、まあ端的に言えばやり捨てされただけだ。
私のことなんて好きでもなんでもなかった。
こんなやつに5年半も片思いしてた私が本当にみじめで絶望して泣いた。
好きだと思ってたけど、元カレの本質を何も知らずに好きだ好きだと言っていたことに気づいて空虚すぎて泣いた。
私がしきりに東京行くよと言っても断られたし、大学見に来ない?とかも言ってくれなかったし
会うのは絶対知り合いがいない長野だったし、ヤったら連絡をよこさなくなるし
長野に行く時は地元で集合して、自分の車で迎えに来てくれた時があったけど、帰りに車内で私の髪の毛が落ちてないか探された。
元カレは大学でサークル活動に励んで、もう新しいコミュニティを築いていたから
中高の友人なんかより、同じ好きなゲームについて語れる仲間たちを大事にしたいだろう。
その中にかわいい子でもいれば、その子にアピールしたいだろう。
童貞な自分がかっこ悪いから、かわいい子に近づく前に手っ取り早く、
風俗は使わず、関西という離れた地の大学に通う「知人」程度の女で事を済ませたいだろう。
旅先で体をまさぐられてキスされたことなんて、こんなのノーカンにして、問い詰めなければよかったのにと今なら思う。
でもむしろ、こうして縁が切れてよかったのかもしれない。
おかげで素敵な夫に出会えた。
これが20の時で、もう6年経ってお互い既婚になった。
今の夫はすごく優しいし、かわいいし、ずっとこの人のことを見ていたいと思う。
なのに、定期的に今でも夢に1週間くらいしかまともに付き合ってない元彼が出てくる。
相当ショックだったのであろうあの時の自分がまだ泣いている気がする。
客観的にみればまあよくあるクズ男話だし、私もうかつだったというだけのシンプルな話なのに
中高大の5年半をそいつに捧げてきたせいで、ぽっかり穴が開いている。
なんとか同じもので埋められないかと元カレのTwitterを眺めるし、元カレの妻のアカウントまでも眺めている。
元カレだけならまだしも、その妻までって…我ながら引く。
神はサイコロを振るだけでなく、想像をはるかに超える数の部屋があるかもしれない。実際、無限にある。
約1世紀にわたり、量子力学の旗の下にある理論と観測によって、現実の理解は複雑になってきた。
物体が速度や位置といった絶対的な尺度を持っていた時代は終わった。
これは直感的な宇宙観とは程遠い。コペンハーゲン解釈として知られるようになったものでは、可能性の波があるように見えるがそうではない。
現在でも何が最終的にシュレーディンガーの猫の運命を決めるのかはまったく明らかではない。
ヒュー・エヴェレットは1950年代に、可能性のあるすべての手段がそれ自身の現実を構成していることを示唆した。
この現象を特別なものにしているのは、たまたまあなたがそれを観察しているという事実にすぎない。
エヴェレットの「多世界」モデルは、量子力学の絶対的な奇妙さを具体的なものに置き換える方法である。
可能性のある無限の多元宇宙、あるいはグローバル・ハミルトニアンとして知られるすべてのエネルギーと位置の総和のようなものから出発し、興味のあるものにズームインして、有限ではるかに管理しやすいハミルトニアンのサブシステムの中で無限を制約する。
しかし無限を理解する手段として、この「ズームイン」は足を引っ張ることになりはしないだろうか?
別の言い方をすれば、シュレーディンガーの猫が箱の中で生きているのか死んでいるのかを容易に尋ねるかもしれないが、その下のテーブルが温かいのか冷たいのか、箱が臭くなり始めているのかどうかは考えない。
研究者たちは、箱の中身に注目し続ける傾向が重要かどうかを判断するために、ポインター状態として知られる量子の可能性が、他の状態よりも少し頑固に設定され、いくつかの重要な性質がエンタングルするかどうかを検討するアルゴリズムを開発した。
もしそうならシュレーディンガーの猫を説明する箱は、宇宙のはるか彼方に広がる可能性のある長い要因のリストを考慮しない限り、ある程度不完全である。
エヴェレットの多世界から出発して、研究チームは多世界解釈と呼ぶものを考え出した。無限の可能性のセットを取り出して、我々が通常考えないような現実の無限の範囲を掛け合わせるのだ。
オリジナルの解釈と同様、この斬新な解釈は、宇宙の振る舞いについてというよりは、宇宙を一口ずつ研究しようとする我々の試みについてのものである。
研究者たちは、このアルゴリズムに概念的な重要性はあまりないと強調しているが、コンピューター内部のような量子システムをプローブする優れた方法を開発する上で応用できるのではないかと考えている。
他の現実に、すでにその答えがあることは間違いない。
・アントワープの6人とは
ベルギーのアントワープに位置する、アントワープ王立美術アカデミー出身の6人のファッション・デザイナーの総称。6人は当初、1986年のロンドン・ファッション・ウィーク(ロンドン・コレクション)での合同展示会で注目された。
ハンドルが自分の力で戻っているんじゃ無くて、車が進むとタイヤが正面を向く力が働くので
車が動いていないときとか、クリープ程度の速度の時にはこの力は働かない(と思いましょう)
あとはハンドルを左に回すときには右手はずっとハンドルの同じ位置を触っている 左手は添えるだけ
そんな感じ
自動車教習所に通っている
その原因として「ハンドルを数回持ち替えると今自分がどれくらいハンドルを回しているかわからない」からだ
これについて家族や友人の運転を見ていると、みんなカーブや左折、右折が終わるとハンドルを離している(本当に離しているのではなく持ち手の力を抜いて添えているだけにしているイメージ)のだ
そうするとハンドルは勢いよくキュルキュルともとの位置まで戻っている
だけど自分が同じようにやろうとするとハンドルはまっすぐ戻らず回した所のままだし第一教官から「ハンドルはしっかり持って!」と怒られる
教官に相談しても「持ち替えようが常に同じ場所を握ることになるから勝手に戻らなくてもわからないなんてあり得ない」と返された
だけどやっぱり知人、家族、会社の人、みんな手を離してキュルキュルと自動でハンドルを戻してる
どうすればええねん
ゴールデンウィークで実家に帰ると、誰からもらったか知らないが、12ヶ月分のカレンダーが文字として編まれた布地が居間に掛かっていた。
しかし、カレンダーが編まれた布地なんて最大で一年しか使えないんだから、もったいない労力のかけ方じゃねえのかと思ったりする。
掛け軸しかり、もっと長年大事にされるものにこそ、布を編むなり書を書くなりの労力をかければいいのにと思ったのだ。
おそらく既製品であり、手編みでは無いんだろうが、カレンダーなんて紙でよく、毎月ペリペリとはがせばいいだろうと思ったのだ。
それでもだ。未来にはどうなるのだろう。
書籍だけでなく、あらゆる紙製品がそうなっていく。何ならホログラムになったりもするだろう。
そして、それはカレンダーにおいてもそうだろう。
そうなったとき、紙のカレンダーは、私が居間で感じたあの感覚を以て捉えられるのかもしれない。
そう考えると、布地のカレンダーも紙のカレンダーも、未来人にはまさに五十歩百歩なんだろう。
だから、私の、紙と布のその区別こそ、思考する労力をかけるような永続性を持たない。
それなら、私たちは紙のカレンダーも、布地のカレンダーのようにその労力を尊び、大事にしてもいいんだろう。
ましてや、布地のカレンダー。その丁寧な目の運び。細やかな仕事の出来。機械折りとしても、しっかりとした作り。
そういう目で見ていると、愛おしさが生まれてくる。
お祭りの最後に燃やされるのを知ってなお一生懸命、色紙やクーピーで色付けたのだった。
そんな懐かしいことまで思い出せたのだった。すぐ失われるとしても費やしたあの労力は、本当に美しいものだった。
そう考えると、目の前にある布地にも慈しみが生まれ、引きちぎるように引き寄せてはゴミ袋に詰め、その役割を強制終了させる。
また、どこのご家庭にもある紙のカレンダーは、実家にも当然あった。
5月を示すそれらのカレンダーは目につく限り全てはがし、ビリビリに破ってからゴミ袋に詰める。
ゴミ袋でも、カレンダーとカレンダーの夢の共演が繰り広げられている。
しかし、そんなのに浸っていてはいけない。こんな破滅的な感情は正しくない。
なぜなら、ホログラムは滅びることはない。
永遠に生き続けるのだから、文章を編み小説を書くような労力をかける意味がある。
と思って目を開けると、カレンダーは元の位置にあり、龍は斜め上を見上げていた。
その先には、ソースのようなしみが何個か付着していた。
そう言われて出してきたとしても、大体が遠く手の届かない位置にいる海外の大学教授などばかりで、多くの一般人にとっては、実質的に専門書の中で言葉によってしか存在しない、しかも間に翻訳者を挟んで語られる概念でしかない
現代人にとっての交流の場であるSNS上で、日本語を使っていて、しかもそれなりに気軽に絡みにいける立場で、その「まともなフェミニスト」とされるのが、一体どこの誰なのか、それを「本物のフェミニスト」さんたちは誰一人として答えてくれていない
現在、暴れ回っているフェミニストを名乗る連中が偽物扱いされるのであれば、その対となる存在が決して概念上の存在だけではないことを、フェミニストたちは証明しなければならない段階に来ている
それで、「まともなフェミニスト」というのは、一体どこの誰を差しての言葉なのだ?
この場合、自分の知り合いなどという、公の場で個人名を出すことのできないような存在を持ち出すのは意味がない
まずは、表舞台に立って活動している「まともなフェミニスト」を一覧にしてまとめ、その正当性を世間に認めさせるところからだろう
神にすら依り代となる人間の名前と存在が与えられているというのに、どこの誰かも分からない存在の伝聞を通じての説法なんて、人に届くわけがないだろう
数年前転職してきた(具体的な年数は記載しない。「a few years」の数年前)上司が飛んだ。もちろん形式上は通常の手続きでの自主退職だけど、引き継ぎなども特になくクロージングもなく「いなくなった」。
私もサラリーマン人生長いから、今まで「鳴り物入り」の同僚や上司が来て、淡々と去っていくのを見てきた。中でも今回の「飛び」は印象深かったから、個人や場所を特定されない話として残しておこうと思った。
推薦図書を全員にメールで送ってきた。結局ほとんど誰も読まなかったらしいけど、私は「上司の推薦図書=実質義務」だと思っているから、アマゾンの中古本と図書館で借りることで一冊(アマゾンでも高かった)除いて全部読んだら「本が好きらしいので」と5冊持ってきて結局「義務」が私だけ5冊増えた。想像つくとは思うけど結局「読まなかった人へのペナルティ」も「読んだ人へのアドバンテージ」も特に無かった。もちろんそのあたりも最初から想定していたので特段の感慨はない。
感想?「何冊かは『読む』本じゃないよね」ということ。
仕組みやシステムを構築する時、困ったり抜けを確認するために該当箇所に当たってチェックする本だなというのが感想。
就任後一ヶ月くらいで、私を呼んで分析用のデータの作成を指示してきた。
「網羅すべき内容は?」「全部」
「どのくらいの期間で?」「できるだけ早く。3日位で」
これを聞いた瞬間に感じた。
(ああ この方自分で読んでそして我々に推奨してきた本の中身を理解してない)と。
推奨図書のうち一冊には「なんでもそうだけど 内容を明確にして対処するのが一番大事だよね」的な書物があったんだけどな、ついでに自分の仕事人生の中で「全部」と言われたデータが役に立った例は古今東西あった例はないな…と思いながらデータを取りまとめる。
…想像通り3日で作ったデータは死蔵品と化して、最後まで日の目を見ることはなかった。
推薦図書の中に「全てのデータを取得してアウトプットして活用する」的な本もあった。
だけど上司のアウトプット=資料を殆ど見たことがない。強いて言うなら文字位置がガタガタなPowerPoint位と画像貼り付けノートとして使われてたEXCELくらいかな。
データ使いこなすと言うならまずはMicrosoft Officeを使いこなしてほしいかな、と思っていたけど流石に直接そう話すわけにもいかなかった。
予感はしていたのだけど「ここ(現業)は◯◯が低迷し…」から始まった瞬間、皆の顔が微妙に歪むのを観察していた。私も現職で数社経験しているから身にしみて知っているのだけど、私が努めてきたどこの職場でも「課題も問題もある。それは皆わかってる。でも別に好きでそうなってるわけじゃないし誰かがサボってそうなってるわけでもない」。そこまでの経緯や体制など色々な原因が横たわっているからそこを改善しないとどうにもならない。それをさも「怠惰」が原因であるかのように話をしてもどのプレイヤーも得をしない。
予想はつくと思うけど、その後も会議はたくさん招集された。だけど上司から出てくるのは「課題」「問題」「事象」。いや、上司に求められているのはその3つに横たわる「原因」を分析する能力なんだ。それら3つはもう全員が理解してる。だからすぐに「会議を開くこと。そして上司の話を聞くこと」が会議の目的と化した。そして上司は目的語が大きかった。業務を遂行するうえで、顧客のどの層を想定するかは割と大事なポイントなのだけど、常に上司の口からは「お客さん」というワードだけが出てきた。それとなく傷つけないように目的語を会議中に修正した事は何回かあったけど結局最後まで変わらなかったな。
私の嫌な予感は的中し、上司の話を聞き流す人が着実に増えていった。
その結果どうなったか?上司はコミュニケーションの機会そのものを自分で減らしていった。立場上忠実(にならざるを得ない)直属の部下のみを招集しての会議のみがやたらと増えた。直属の部下は上司との会議のすぐ後に他部署との会議や自分の業務を抱えて辛そうだった。そのなかで上司はいつも5時になるとすぐログアウト。そして退社するのがルーティンになっていた。
いいか悪いか、は別として、現職の経営層は管理職に「プレイングマネージャー」であることを望む傾向が強い。仮にプレイングマネージャーでなかったとしても、課題も問題もあるわけだから暇な訳が無い、だからポジションを募集して貴方が来たんでしょう?と思うのはごく当たり前のこと。だから「イマイチ何をしているのかわからないが毎日定時で退社する上司」が現職の職場で目立ち始めるのに時間はかからなかった。
私の現職の部署はやや職場の位置が特殊で、本社の中枢部分に数人のデスクがあり、分館みたいな所で私を含む大部分のスタッフが働いている。
そんな中で、上司は分館の会議室に脇目もふらず直行して会議だけ行い(内容は少し聞こえてくるのだけど、何かが決まっている雰囲気はあまり感じられなかった)会議が終わるととてつもない速さで分館からいなくなり、分館スタッフと話す事は殆どなくなった。
コミュニケーションを嫌がる(怖がる、かもしれない。少なくとも私にはそう見えた)ものだから、メールの返信もいつも一行から三行位。「ふわっとした」疑問形で返されることも多かったから、メールの案件が上司が介入した結果結論に到達せずに途中で止まってしまう事が多かった。
承認書類も途中で止まるようになった。上司の承認が止まるものだから業務も案件も滞る。その中で招集された会議で上司の承認待ち案件について「あの案件が停滞しているのは何故?」という発言が当の上司から出てくるというギャグみたいな状況に数度直面した。
でも両方とも魔法使いじゃない。外部業者やコンサルと打ち合わせを行うと、初回で外部業者が必要しているデータをそもそも持ち合わせていないことがわかり数回の打ち合わせで大半が立ち消えとなり、事前検証や打ち合わせの時間分の工数が消える結果となった。
おそらくは経営陣側が「上司の力量に一旦は任せてみよう」という判断になったのだと想像している。その一方でこうも思った「後日経営陣は確実に費用対効果を確認してくるだろう。まあ私が問われるわけじゃないからいいけど…」。
良くなかった。
基本的には与えられた条件の中で新たな費用を発生させないことを前提としているが、どうしても少額の費用(最近はサブスク的な月1000〜2000円とかの定期支払いが多い)が必要になる時があるが、そういう少額費用の決済が恐ろしく渋くなった。どれだけ費用対効果を説明する資料を作っても駄目。
その中で「稟議通過したこの件だけど、まだまだ足りないからもっともっと金を使うぞぉ」的な資料を見つけてしまいため息しか出なかったのをよく覚えている。
会社は数字でのリターンを求めてくる。でも部下とのコミュニケーション同様「ふわっとした」説明しかできなかったらしい。資料を作って見せるスキルもないからすっかり経営層から「マーク」されたらしい。
その結果、上司が分館に来て誰とも目を合わさないテーブル(デスクではなく)で黙々とノートPCと向かい合って「何か」をして、5時になると姿を消す姿を連日目にするようになった。
だけど一つだけやっておきたいことがあった。
着任後半年くらいしてから「現業の未来像をどうするか」でブレーン・ストーミング会議を行いたいと言われてメンバーが招集されたことがある。
結局はブレーン・ストーミングでもなんでもなかった。
「役員が”将来像”は『A』になると言っているから、皆『A』にするための方策を考えて」だった。
私は基本的に官僚スタッフなので、方向性として示された事をいかに実現させるかに頭を絞るのが職務だと捉えている。だがこの件は看過しているとまずいと考えて話をさせてもらった。「『A』はできない訳ではないのですが、会社の体制と対応そのものを変える必要があり現職の状況には沿っていないと考えます。恐らくなのですが『B』という考え方があり…」とホワイトボードを使って説明した。参加者全員が納得してくれ、上司も「まあいいでしょう」と話をして次の会議予定を設定した。
次の会議になった途端、上司が『A』の話をし始めた。私から「先日お話した『B』の話は役員にしていただけましたか?」と話したところ「役員は『A』と言っているから」の一点張り。結局この将来像は、微妙にどうなっているかわからない状態になっていた。
上司の退職が決まって10日後位のこと。この”将来像”とは別案件で当の役員が来ることになった。別案件とは書いたが、この別案件の作り込み方は”将来像”によって180度に近いくらい作り込みが変わってくる。私もそれで悩んで色々な絵図面を散々描いては直し、を繰り返してきた。
私が事前に”将来像”について役員に直接確認する必要があるよねという話をしていたので、自ずと役員を前にその話題に流れていくことになった。
『B』だった。
私が話した内容とほとんど一致していた。
誤解しないでほしいのは、別に自分の自慢をしたいわけじゃないということ。
少しだけ捕捉すると『A』は「0か1か」の案で、『B』は「濃淡をつける」案。
外部の方からするとどっちも似たようなものに見えるのだが、実際は業務の作り込みから顧客への応対からシステムから何もかもが違ってくる。
恐らくなのだが、役員が『B』で話したのを、上司が忖度して「役員の期待?に応えるためにはもっと厳しくしないと!『A』じゃないといけないだろう」と脳内変換したのではないかと推測している。
念の為だけど上司を責める気はまったくない。誤認や勝手な忖度は初めての案件の場合よくあること。問題はそこからどう修正するかであり、それを可能にするのがコミュニケーションだと思っている。
その会議には退職間近の上司も参加していてほとんど何も喋らなかったが、役員が『B』を笑顔で話している時に上司をちらりと見たところ、ずっと下を向いていた。
会議後、役員は次の会議に向かった。そして上司はそっと席を立った。その時、他部署の方が「◯年前にさっきの話を聞いていればこんなに時間かからなかったのに…」と言っていたのが全てを表していたと思う。
その日から10日間、上司はほとんど別館のテーブルノートPCをおいて「何か」を見ていた。手は殆ど動いていない。誰かと会話する時間は一日10分程度。それでも定例の直属部下とのミーティングは開催されるし、案件の会議には一応「出た」。そしてほとんど何も喋らなかった。
外部業者(ほとんど実現可能性のない案件を相談)から次の打ち合わせの打診がメールで入ってくると「◯◯が設定します」の一行メールで返信が入ってくる。当該◯◯さんに「どう進めます?」と聞くと「話聞いてそれで終わりだねー」と「せやな」で返すしか無い見解をいただき安心した。つまり上司が片っ端から声をかけてきた外部業者やコンサルトのルートはほぼすべてがクローズされるという結果となった。
やっと手が出るようになったのだが、他部署に関わることのため話の持って行き方をずっと考えていた。何とかうまく「敵に回さないよう」話ができた後、上司から話しかけてきて「やっぱりダメだよね◯◯部署。ところでXXのデータには当たってみた?」
‥いや違うんだと。◯◯が怠惰でやっていないのではなく、現職の業務体制で手が出ていないだけでそこに「悪」は存在しないんだと。そして私がやるべきなのは問題提起と提案まで。実務は◯◯に依頼しなくてはならないから、私がXXに当たる意義はほぼないんだと。何より私はただ一件の話をしているのではなく、背後に眠る数百件の類似ケースとその検証に手を回せない体制を改善しようとしているんだと。
純粋な親切心でそこまで言おうかなと迷ったが、意味も意義も無いのでやめた。
(退職メールではなく、普段から自分の口と文章と資料で経営陣とも部下ともコミュニケーションを怠らず「わかってもらう」努力を欠かさなければ結果が変わったかも…)と思いながら返信。
返信した30分後位に挨拶に来た。
聞いてみたところ、メールを出してすぐログアウトしたので返信は見ていないとのこと。
なので私の画面で返信をお見せした。
私の返信を要約すると「理論は大事。だけど現実とリンクさせないと殆ど無駄打ちに終わる」「コミュニケーション不在はやばい」となる。できるだけ親切に描いたつもりだった。
上司からの感想はなかった。「頑張ってください」の一言だけだった。
私も想定内だったので「ありがとうございます」と挨拶した。話を聞く限り返信を返したのは私だけのようだ。
恐ろしいのはここから。
上司が退室して10分後には「なんの支障もなく回る活発な職場」「上司がかつて通した稟議案件は(経営陣が追加コストを嫌気して)廃止になるかもしれないから準備をしておこう、と話すスタッフたち」の姿が。
…そう、最初からそんな人は「いなかった」んだよ。という扱い。
程度の問題ではあると思うんだけど、人間には承認欲求というごく当たり前の感情があるはず。これが怖くない人はいないと思う。
ローソン富士山店は、コンビニエンスストア「ローソン」の店舗の一つで、富士山の5合目に位置するユニークな店舗です。
この店舗は、富士山の世界文化遺産登録を機に、富士山を訪れる国内外の観光客や登山客に便利なサービスを提供するためにオープンしました。通常のローソンの商品に加えて、富士山にちなんだお土産や軽食、登山に必要な用品なども取り揃えています。
ローソン富士山店は、富士山の美しい景色を眺めながら、休憩や買い物を楽しむことができるユニークなスポットとして人気を集めています。また、この店舗は環境に配慮したエコ店舗としても知られ、太陽光発電や省エネ設備を導入しています。
営業期間は通常4月下旬から11月上旬までで、冬の間は休業となります。営業時間は季節によって異なり、夏場は24時間営業、その他の期間は短縮営業となる場合があります。
ローソン富士山店を訪れる際は、富士山の過酷な環境に配慮し、適切な服装や装備でお越しください。また、ゴミの持ち帰りや自然保護への協力もお願いします。
真贋チェックしないとわからないって
家賃6万弱
近隣に大きな街が無い
家賃2万~
治安の不安を除けば博多から割と近い位置でも家賃が安いところが多い
家賃4万~5万
一応空港もある
ここ20年くらいで塩田から開発されたとのことで町ではあるが新しい良い町になっている
北は中国地方、南は高知の山に挟まれているから雨が比較的少なく災害も少ない
家賃3万~4万
正直宇多津町が一番住みたい町かな~と感じる
海が近くて小さい山があるところも地元そっくりで勝手に親近感湧いてるのもポイント高し
カスタムJSを使って特定のサイトからとうとう広告を消すことに成功した
ゲームのデータベースサイトですごく便利なんだけど広告がすげー邪魔くさい位置に不快な内容で出るのが不便だった
でもアドブロックで広告を消すと画面がまっさらになるように仕込まれていた
要素ごと消すのもNG
ユーザースタイルシートで非表示にできないようにされてるし、後から遅れて広告の要素を入れ込んでくるから単に最初にスクリプトを走らせて消すのではだめだった
神経抜いて被せ物してきれいさっぱり治したと思った奥歯に
なんか痛む?ような気がする〜でコロナ前かコロナ初期くらいの頃に一回かかりつけ行ったけど
そんときはレントゲンに上手く写ってなくて何もないし様子見ましょうで終わっちまった
それからずーっと沈黙してて、今日になって奥歯がゾンビみたいになってるって発覚だよ
ああああああ
この位置で土台残らないレベルでやられてたら実質インプラント一択だろうがあああああ
ワシャまだギリ三十路じゃぞそんなカネねえんだよおおおおおお
株価下げ止まって吹き飛べ
俺は男だけど、会社のチー牛を見てるとそう思う。
何度も同じことを聞いてきたり、逆に覚えてることでも少しでも違うパターンになると対応できなくなって、周囲の人の迷惑をかけながらやっとできる。最初から仕事を任せないほうが円滑に進む。
シャツはよれよれで靴も踵が潰れてるのをずっと履いてる。本人は気づいてないつもりなんだろうけど女性社員の時だけ妙に近い位置に立って鼻をすんすん言わせてる。
チー牛って社会生活全般でナチュラルに失礼な態度なんだけど、それを指摘しても治らないので、親に教わらなかったのではなくて親に教わっても学習できない人間がチー牛になっているんだと思う。
思えば、電車で出口付近に立ってるのに乗り降りの邪魔になっても場所をどかなかったり、エレベーターで操作盤の前にいるのに「開」「閉」のボタンを押してあげなかったり、そういう普通に生活していればできるはずの気遣いが一切できないのって、大概チー牛顔なんだよな。
チー牛顔の全員がそうだとは言わないけど、やっぱり社会生活を過ごす上で最低限のことができないやつの顔はある程度パターンが決まっている。
自分が社会に溶け込めていないのに、それを気づかずに今日も失礼な態度を取る。自分は人並みに仕事できていると思い込んでいる。
いつ気づくんだろう。きっと永遠に気づかないんだろうな。
ゲームショーで言えば、女性向けゲームのブースではイケメンのコスプレの男性を用意してるのも普通。
なので、女性コンパニオンどうこうよりゲームの世界観の再現とかでのブランディングとして、アクターやコンパニオンにどこまで求めるのが許されるかの話かと思う。
女性コンパニオンの衣装もどっちかと言うとファッションショーのモデルがブランドイメージつくってるみたいな位置かな。
男性のボディビルダーの人を立たせてるゲームのブースとかも見たことあるしな。
少し前にはキャバクラゲームショー批判とかもあったから、一概にはいえないし、線引きも難しいけど。
単に露出度高い女性見に来てる男はいるだろうし。どこまでがファッションでどこからが不用な露出なのかとか難しいから、一律辞めてしまえっていう意見が出るのも分からなくはないけど。
コミケとかで自発的にコスプレしてる文化もあるから、オフィシャルなコスプレ引き受けられるクオリティの人ってかなり高い技能持ちだよね。
欧米で批判される女性のコンパニオンをいまだに起用してるのは日本遅れているとかとは、またちょっと違う文化の発展してる気がするんだよね。