はてなキーワード: 人種とは
俺は俺のマグナムを咥えてくれる女の話を聞くぜ
ま、今そのマグナムを咥えてくれる娘が居ないってだけさぁ
ふざけんなよ、それは失礼だ、デートをなんだと思ってるんだ、そんなもんデートじゃねえお洒落してこいって声が少なくとも一部で上がるよな
たぶん女さんがサイゼでデートだぁ?ふざけんなよって言ってるのもそういうことかと
中には俺のように、そういうハレとケだったらケの日常を共有したい男もいるし、きっと女性にだって、そういう関係いいよね〜ってひともいるはず
「Among Us」というゲームが流行ってる。自分はそのゲームが絶望的に苦手だ。
10人近く集まり、8人~がクルー、2(3)人がインポスターという役割に割り振られる。
クルーはそれぞれステージのタスクをこなし、クルー全員がタスクを終了するか、インポスターを追い出しきるとクルー側の勝利。
インポスターはステージで邪魔をしつつクルーを殺す。邪魔が成功するかクルーを一定数以上殺せばインポスター側の勝利となる。
話したかったら会議ボタンを押して話し合い、怪しいと思った人をそれぞれ投票し、一定数以上集まった人が追い出される。
自分は人狼というゲームに抵抗があったが、「常に話し合う必要がなく、黙々と自分のことをやってればいい」
そこに魅力を感じ、誘われたのでやってみた。
自分の周りはいわゆる陰キャ寄りの集まりと思っていたので、自分もそっち側だ。同じような雰囲気でできるならいいかなと思っていた。
話し合いが始まるやいなや、みんなそれぞれの動きを把握しており、積極的に意見をぶつけ合っている。
〇秒前に○○にいて、○○してた。
そこには○○がいて、どこどこに行った。
○○はどこにいました?
カメラ見てた人誰ですか?
自分なんか自分の行動に精一杯で、他人のことなんて見ていなかった。なんなら他人の方が自分の行動に詳しい。
あ~そういえばそんなことしてたような。よく覚えてんな。それがどうしたの?
悪気がないのはわかってる。情報集めて盤面を詰めていくゲームなんだから。ただどうしても圧を感じてしまう。
明らかに怪しい動きをしていた人もいた。「ベント」というインポスターだけができる動きをしている人を見た。ただそれを言う隙間すら与えてくれない。誰がしたかもうっすらと思い出せない。
タイミング見計らって言えばいいのに、喉に突っかかって言葉が出てこない。言ったところで、インポスター側からうまく言いくるめられたらどうしよう。そんなことを考えてしまい、言わない。反論が苦手だからだ。その場でうまい返しが出てくるとは思えない。
自分がインポスターになると、ちょっとでも下手な動きをするとすぐばれてしまう。嘘をつくのも苦手なので詰められると簡単にはいそうですという言葉しか出てこない。
自分と組むのが嫌だったのか、うまい人が明らかにすぐばれるようなキルをしてゲーム放棄のような動きをされた。考えすぎかもしれないが、そう思ってしまう。
非常に情けない。申し訳ない。
プレイヤーは全員自分より年下。あまり差は大きくないが、年上としての自分が年下の人たちとの会話にこんなにタジタジになってるのが、非常にみじめだ。
最初はただ慣れてないだけと思って積極的に参加するようにしていたが、このゲームだけは一生無理だと悟った。
向き不向きというか、自分がいると根本的にゲームとして成り立たないのである。
自分と同じ人種だと思ってた人は、はっきりと物事や自分の言いたいことを言えるような人だった。立派だ。
そこが一番、自分のみじめさを感じるところだった。
思えば仕事でもそんな感じ。「何かある人なんでもいいので挙手を」
何かある。意見がある。メモまで用意した意見がある。だが、挙手しない。
その場では全く言葉が思い浮かばなかったが、あとになってどんどん出てくる。なぜあの場でこれを言えなかったのか。
そんなことを繰り返す日々。
今のように、文字でまとめようとするとこんなに言いたいことが言えるのにね。
くちゃくちゃ咀嚼音とゴキュゴキュ水飲む音が嫌いで、いっつもうるさい隣の席の人が昼飯を席で食べ始めるころを見計らって席を立つ生活を始めてもうすぐ一年になる。今日なんかのスナックをありえんサクサクいわせて食べていたので、その人は頬の皮膚が薄くてすごい音が響くのかなとか思い始めた。
「繊細な人」とも呼ばれるHSPがどのように考えて生きているか、一つのサンプルとして書き残したい。
私が生きる上で常に考えているのは「なるべく死にたくならないように生きる」ということだ。普通の人ならなんでもないこと、例えば道端で知らない人同士が喧嘩しているのを見かけただけでもHSPは心に傷を負う。きっと理解してもらえない感情だと思う。
ましてや、自分に関わることであればいろんなものがクリティカルヒットだ。会議中の発言ひとつでも、誰かの地雷を踏み抜かないかビクビクしながら発言する。他人の不快な感情を読み取ってしまった時、汚泥を飲み込むように苦しくなるからだ。
そんなことを考えながらまともに働けるはずがない。平気なふりをしながら仕事後、休日、ベッドの上で動けなくなってまた次の日には無理やり体を起こすのだ。
きっと今の社会は私たちにとって優しい社会ではない。他人どころか自分が傷ついていることにも鈍感になって働き続けられる、その他の人間と同じ土俵にいたら壊れてしまう。
かといって、疲れないように何もしない人生、休み続ける人生も死にたくなるだろう。死にたくならないように生きるのは本当に難しいことなのだ。
きっと、わがままな人種だと思うだろう。客観的に見て自分でもそう思う。じゃあどうしたらいいんだろう。タフガイたちに使い捨てられる人生なんてごめんだが、そうしないと生活すらままならない社会が目の前にある。
このニュースについて。
ウーピー・ゴールドバーグさん ホロコースト発言で出演停止に | アメリカ人種差別問題 | NHKニュース
私は増田ではホロコーストオタクとして有名な人だ(自分でそう思ってるだけだ)が、ホロコーストって調べれば調べるほど深くて広くて細かくて、どんなに学んでもその難しさが一向に消えないくらいの難しさがある。どっかで読んだ話では、どんな歴史学者でもホロコーストの全てを知ることは無理と言われるくらいだ。
私のホロコーストに対する関心部分は偏っていて、否定論にあり、否定論の理屈を反論・批判する部分に特化しているわけだけれども、ホロコースト否定論の中心となっている欧米の否定論者は否定論を主張することを商売にしているプロなので、情報量があまりに多いため、それを調べて反論する方も大変である。欧米にはそれを細かく反論する人たちもいるので、そこを参照すれば済む部分も多く助かってはいるが、一方で知らないことも多いのでその否定論に対する反論の内容がよくわからない、みたいな悩みもないわけでもない。
そのホロコースト議論(否定論に関係ない部分も含め)で難しい部分は色々あるが、当時の一般的な認識を理解するのが難しいというのがある。何故、ナチスドイツ=ヒトラーは「ユダヤ人」を絶滅させようとしたのか? は、簡単なようでこれに答えるのはなかなか難しい。
この問題については、様々な角度からの検討がなされており、現在では明確なユダヤ人絶滅計画はそもそもなかったのではないか? とすら言われているようでもある。否定論者がうるさく言うように確かにヒトラーのはっきりした命令書や、ユダヤ人絶滅を命じたと言う明確な証拠は残っていない。もちろん、間接的な証拠はいくらでもあることは言っておかねばならないが、ユダヤ人問題の最終的な解決を最初に言い出したのがヒトラーではないことだけは確かなのである。
「ユダヤ人」って、何かわかりますか? これ、なかなか簡単に説明するのは難しいのです。単純な説明だと、ユダヤ人=ユダヤ教徒、でありそう思っている人も多いだろうし、間違いでもありませんが、ナチスドイツは「ユダヤ教徒=ユダヤ人」とは見做さなかった、と言われたら「え?」となる人もいるのではないでしょうか。ナチスがドイツの政権を獲得して2年後に発布された「ニュルンベルク人種法」、すなわちユダヤ人の公民権を明確に剥奪した悪名高い法律にはこう書いてあります。Wikipediaからコピペします。
4人の祖父母のうち3人以上がユダヤ教共同体に所属している場合は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」[18][16][3]。
4人の祖父母のうち2人がユダヤ教共同体に所属している場合は次のように分類する[18][3][16]。
ニュルンベルク法公布日時点・以降に本人がユダヤ教共同体に所属している者は、「完全ユダヤ人」
ニュルンベルク法公布日時点・以降にユダヤ人と結婚している者は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」
ニュルンベルク法公布日以降に結ばれたドイツ人とユダヤ人の婚姻で生まれた者は、本人の信仰を問わず「完全ユダヤ人」
これを読めば分かる通り、ユダヤ教徒=ユダヤ人なのではありません。「本人の信仰を問わず」とはっきり書いてあります。この法律でこのようにユダヤ人の範囲が定められたのには理由があって、そもそもユダヤ人とは何か、定義すらなかったのです。そこで、「血さえ繋がっていたらユダヤ人だ」と極端なことまで主張する人も多かったのですが、そんなことを言い出すと、ユダヤ人の範囲が膨大な人口に膨れ上がり、影響が大きくなりすぎるため、その範囲をできるだけ狭めたのがこの定義です。野放図にユダヤ人を認めると百万人をはるかに超える人口になったのが、このニュルンベルク法の定義により77万人程度に収まることになりました。この定義でも、まだまだ十分ではありませんでしたが(有名なヴァンゼー会議では、その大半がユダヤ人の範囲について確認の話だったようです)、要するにユダヤ人をなんとかするべきと考えながら、ユダヤ人がなんであるかはっきりと知っていたわけではなかったのです。
自身の信仰を変える人はそうは多くないので、アバウトには「ユダヤ人=ユダヤ教徒」は遠からず合っているとは思いますが、少なくとも当時は人種、乃至は民族と捉えられており、ユダヤ人だけでなく、ロシア人はスラブ系民族、ドイツ人はゲルマン民族でありアーリア人などと、人種・民族として人間が区別されると考えられていたのです。この辺から話が難しくなっていくので、私にもそんな難しい話はできませんが、人種間で優劣があると考えられるようになっていたのです。その背景には、科学の発達があり、進化論があります。人種・民族の優劣は進化によって決定され、遺伝的なものであると考えられるようになっていたのです。広義的な優生思想ですが、狭義的には安楽死作戦(T4作戦)で障害者を殺したのははっきり優生学として考えられたからです。
そして、ユダヤ人達は歴史上、古くから色々と差別を受けてきたわけです。大きな話としてはキリスト教の発達と共に、ユダヤ人は社会的な差別を受けることが多くなりました。ユダヤ人が「ゲットー」に住まわせられたのはナチスドイツが初めてではなく、中世にもありました(ただしナチスドイツ時代ほど悲惨なことはなかったようです)。しかし、近世代に入ってユダヤ人に対しての偏見として大きな意味を持つようになったのは、ユダヤ人には富裕層が目立つことでした。これには理由があり、歴史的に金融的な仕事は卑しい仕事としてキリスト教社会では規制されていたのですが、ユダヤ人には認められていたからです。ところが、それによりユダヤ人(の一部)が富裕となると、資本主義の発展と共に、ユダヤ人の影響力が大きくなり、20世紀初頭、影響力の大きかった偽署『シオン賢者の議定書』に代表されるように、ユダヤ人が世界支配を企む陰謀者だのようなことまで言われるようになるのです。ヒトラーも相当程度、『シオン賢者の議定書』を信じていたとされます。そして、ドイツが第一次世界大戦に敗れ去って、不当に領土を奪われ、膨大な賠償金を課せられて国が酷いことになったのも、ユダヤ人のせいだと思われるようになったのです。こうした、社会的な悪影響をユダヤ人のせいにする考えは欧州では広く当たり前のように行われていたのです。ヒトラーもその一人だったに過ぎません。
ホロコーストが何故起きたのかについては、以上のような背景事情を認識する必要があります。だから、例えばユダヤ人を根絶させるためにユダヤ人に対する不妊治療まで行われました。ユダヤ「教徒」を問題にするならば、単純に日本がキリスト教にやったように禁教にして仕舞えばいいのですが、そんなことはしませんでした。ユダヤ人はあくまでも「人種」だったからです。ユダヤ人は特徴的な外見を持っており、当時はその外見的特徴をやたらに強調した差別広告も珍しくなく、またユダヤ人の識別図まで公式に作られたのです。これによって、ユダヤ人ではないのにユダヤ人と間違われて収容所送りになる人さえいました。ナチスドイツはユダヤ人排除政策として最初は、ユダヤ人のシオニスト(ユダヤ人の国を作るべきと考える人)と協力してユダヤ人のパレスチナ移住を推進しましたが、途中でやめています。何故なら、それではナチスの管理外にユダヤ人を温存させることになり、将来的な憂慮すべき問題として残ってしまうからです。イスラエルは欧州に近すぎると言うのもありました。だから、マダガスカル計画にように可能な限り遠くの土地に強制移住させることまで考えたのです。結果的には戦況の悪化と共にそれも不可能になり、ドイツ支配地域内で虐殺するしかなくなってしまいました。
それもこれも、ユダヤ人を人種として災厄の元凶=悪と考えたからです。未だにそのように考える人は後を立たず、反ユダヤ主義が絶えたことはありません。ウーピー・ゴールドバーグが番組を二週間出演停止になった理由は、人種問題が黒人・白人間にしかないのような印象を与えることを述べたからだとされているようですが、だとするならば、もちろんそんなことはありません。白人至上主義者の多いアメリカでは、同時にその白人至上主義者の多くは反ユダヤ主義者でもあり、ホロコースト否認論者もかなりいます。その根底にあるのはあくまでも、ナチスドイツと共通する「人種差別」であることは間違いありません。
個人的には、「人種」という考え方にはほとんど意味がないと思っています。不当な差別を生むばかりの概念であり、悪影響しかないのではないでしょうか? 極端な言い方ですが、人種が違っても、人間でありさえすれば基本的には交配が可能なわけですから、こうした「混血」の存在こそ人種という考え方は誤っている証拠ではないか? のようにさえ感じます。
余談だがメーカー本体の社員が配属前研修で来てるのを見たことがある。中国有名大の修士にスゴいことさせるね
いわゆるドコモ、au、ソフトバンク、楽天モバイル、UQモバイルのMNO+1、その他インターネット回線を売ってる人たち
プラネテスをめぐる騒動が完結してしばらく経ったが、いまだ心に残るコメントがある。
こんな意見を何人かが言っていて、それなりに人気になっていた。だが私にはわからない。
もしそこに込められた意味が、「感想は自由だが、ただし悪いことを言うと徹底的に袋叩きにされてしまう」だったなら、それはもう自由とは言えない。ゆえに何も言っていないに等しい。だから、「感想への批判はやめよう」が正しい解釈だろう。
さらに、人種や性別への偏見を「個人的には奴らはクソだと感じる」と表立ってタレ流したらやはり総バッシングを受けるから、対象にはフィクションへの、という限定がつくはずだ。
「全部ちゃんと観てから言って」とか全部観ても「理解力がない」とか「フィクションを視聴する素養がないだけだろ」とか、肯定的な感想にしても「XXX が個人的に好き? お前は見る目がないんだな」とか「正気を疑う」とか、悪くすると「XXX がヘイト創作だって解ってて言ってる?」みたいに言われることさえある。何なんだよヘイト創作って。
現代社会では、ネットに表出されたあらゆるすべては批判される。フィクションへの感想も例外ではない。
加えてこのモラルには、表現の自由を抑圧している、という問題がある。フィクションへの感想の批判を控えれば控えるほど、感想や、フィクションの創作は活性化するのか? そういうエビデンスってあるのか?
Valentino(ヴァレンティノ) が 2021年3月末頃にやらかした『帯(kimono-belt)踏み歩き広告』が
約1年後の2022年1月末になって今更気になったので思った事をいくつか
悪気はなかったー・キャンセルカルチャーガー・自由の表現なんちゃらの逆張りは今更どうでもいいです
西陣織工業組合・博多織工業組合が正式に抗議を出しているのが全てだと思います
クリエイターなら文化の尊重以前に自分以外のクリエイターの作品に敬意を示す"フリ"くらいはしましょう
「襟を正して反省示せ」 ヴァレンティノ「ハイヒールで着物の帯踏む」CMに抗議 京都の和装団体|社会|地域のニュース|京都新聞
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/541075
>西陣織工業組合の舞鶴一雄理事長は「職人が汗水を垂らし、命を懸けて作ったものを踏まれてどう思うか。ものづくりをされている方へのリスペクトを示してほしい」と述べた。
▼ Valentino の帯(kimono-belt)ハイヒール踏み歩き広告事件を見て思ったこと
さらに横。
でも、友人に推し事(推す活動をすることね)に勤しむ人種が結構いて、だいたい3タイプいる気がする。
→いわゆるファンのイメージ。対象が好きなので大抵のことは「推しがやりたいことなら好きにやってほしい!」と言う。見返りが欲しい人もいれば見返りなどいらない聖人タイプも。なおガチ恋勢の場合、推しに異性の話が出ると理性と感情の間で病む。
2.好きなものが永続してほしくて推す
→これもファンだけど、推し個人と言うよりも推しのキャラ含めた推しの作り出すものごとを愛するタイプ。対象が消えてしまうことを推すことで防ぎたい。路線変更や本人の趣味が変わることなどで「昔のほうが好きだったな」などと離れていくこともある。
→対象の「がんばり」にお金を投げる。vtuber界隈でよく見る。推しをさらにがんばらせたがったり文句を言うなど、推すことを隠れ蓑にしてコントロールしたがるのもこのタイプ。なお、同一人物が同じようにがんばり続けても飽きるのか、わりところころ推し変する。
結婚できる出来ないって人柄よりも
「いかに傷つかずに相手の懐に潜り込めるか」っていう要素が強いのかなあと思う。
いい人だけど結婚できないって人は、たぶんちょっと傷つきやすくて人の懐に入るって行為が苦手なんじゃないかなぁって。
そういう人って女性側から見ると「いい人だけど記憶に残らない」みたいな
(※逆に言うと彼女や奥さんにひどいことをする奴は人の懐に入る際に傷ついたりしない人種だから機会を得られたんだと思う)
あなたの人柄に問題があるってことじゃなく、女性の心に残るフックが足りないってだけなのかなって思うので