2022-01-31

感想自由、なんてない。

プラネテスをめぐる騒動が完結してしばらく経ったが、いまだ心に残るコメントがある。

感想自由のはずだ」

こんな意見を何人かが言っていて、それなりに人気になっていた。だが私にはわからない。

感想自由、なんて誰が信じてるのか?

感想自由、とは何か?

もしそこに込められた意味が、「感想自由だが、ただし悪いことを言うと徹底的に袋叩きにされてしまう」だったなら、それはもう自由とは言えない。ゆえに何も言っていないに等しい。だから、「感想への批判はやめよう」が正しい解釈だろう。

さらに、人種性別への偏見を「個人的には奴らはクソだと感じる」と表立ってタレ流したらやはり総バッシングを受けるから対象にはフィクションへの、という限定がつくはずだ。

だが現実には、フィクションへの感想も嬉々として批判される。

「全部ちゃんと観てから言って」とか全部観ても「理解力がない」とか「フィクションを視聴する素養がないだけだろ」とか、肯定的感想にしても「XXX が個人的に好き? お前は見る目がないんだな」とか「正気を疑う」とか、悪くすると「XXX がヘイト創作だって解ってて言ってる?」みたいに言われることさえある。何なんだよヘイト創作って。

現代社会では、ネットに表出されたあらゆるすべては批判される。フィクションへの感想例外ではない。

加えてこのモラルには、表現の自由を抑圧している、という問題がある。フィクションへの感想批判を控えれば控えるほど、感想や、フィクション創作活性化するのか? そういうエビデンスってあるのか?

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