「メキシコ人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: メキシコ人とは

2023-03-18

メキシコ人

最近知り合ったメキシコ人に、「日本メキシコより怖い場所メキシコ殺人はだいたいカルテル強盗誘拐日本人はただの恨みで人を殺すから怖い」って言われてわろた

ちょっと正論っぽいのやめろ

2023-02-08

白人抵抗したインディアン英雄たち

投稿です

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

フレチャス・ラヤダス

 ヒカリラ・アパッチ族戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

2023-01-14

最近いちばん感情が動かされた動画を教えて!

俺はこれ!

https://m.youtube.com/watch?v=uQS65DOJgcw

内容としては、「メキシコで車に乗ってメインストリートから外れたところを走ってた観光客2人が、銃をもった集団に止められ、マジでビビってたら、なんかわりと友好的な感じで見逃される」というもの

止められるシーンは再生1:00くらいのところから

俺のスペイン語力で分かる範囲だと、武装したメキシコ人たちは途中で「こいつら道に迷ってんな」みたいなことを言った後結構落ち着いて、「ノープロブレム(No pasa nada)」を連呼している

いちばん最初に車内を覗き込んだあたりでgringo(外人アメリカ人)って単語も聞こえるんで、なんだ道に迷った外人かよ、君らに用はないぜ、安心して行きな、って感じの対応っぽい

武装集団については、

カルテル構成員で、目についたらマズイものがある道なので見張っていたが、さすがに外国人も見境なしに殺すことはなく見逃してくれた

武装した自警団で、犯罪者を止める目的で声をかけてきたが、外国人だったんでスルーした

というふた通りの解釈があるっぽい

YouTubeコメント欄だとメキシコ人を名乗る人たちがどっちの解釈もしてるんで、どっちが正解かは謎(後者っぽい感じはする)

 

この動画、なにがイイって、動画の中で荒っぽいことは実際起きないし、武装集団側も終始紳士的なのに、メチャクチャ怖いし、観光客のにいちゃん2人もメチャクチャビビってて、恐怖が伝播してこっちも泣きそうになるところだよな〜〜!!

互いに友好的にコミュニケーション取ろうとしてんのにあんま会話が成り立ってない感じは、海外旅行してるとき自分を見ているようで、ウワ〜……ってなる

そしてぜってえメキシコには行かねえぞと思う

コメント欄見てても、メキシコ行ったらメインストリート以外通るな!みたいな内容がすげえ多いもん

やべーよマジ どんな国だよ

 

これ、なんかよく分かんないけど、かなり心動かされたんすよね

自然の脅威でもなく、直接的な暴力でもなく、感動ストーリーでもない

このカテゴリ動画って他に知らない気がするぜ

こういう、独自体験ができる動画知らん?

2023-01-13

よどちゃん死体

メキシコだったら好きに持って行っていいって言ったら今日中にはなくなるって

同僚のメキシコ人(故郷で人を殺したらしい)が言ってて、日本にはそういうバイタリティもうないよなぁってなった

2023-01-12

解像度上げたくなかった

あんなに陽気で穏やかに見えていたメキシコメキシコ

当時の自分にとっては本当に憧れだった

長く住んで解像度を上げてみれば、自国ageして他国sageする、陰口言う、自分勝手と日本と変わらん

これなら日本住んでたほうがましだわ

今までありがとうございました

2022-11-25

日本サッカーはどのレベルまで来てるんだ?

ドイツブラジルイタリアオランダフランスや、みたいな超一流国は伝統も積み重ねも文化レベルとして行きわたっているから、さすがにそこに並んでいることはないのは当たり前

それをtier1国としよう

イングランドスペインアルゼンチンも入るかな

しかし、その強豪国をうまくいけば崩せるような国、ワールドカップグループリーグ突破は狙えて、うまくいけばベスト4あたりまで狙える国、例えばメキシコとか、ベルギーとか、ポルトガルとか、そういうtier2国と日本は並んできてると言えるんだろうか?

まあベルギー最近強くなりすぎてる感はあるが

4年前、8年前あたりに日本が自信を持ちだすとメキシコ人たちが、馬鹿、ここからが本当に大変なんだぞって言ってた記憶がある

今は彼らに並べているんだろうか

2022-10-07

映画メモボーダーライン

あらすじ:

FBI捜査官のケイト(エミリー・ブラント)がSWATチームと共に容疑者宅に突入したところ、

から死体がたくさん出てきてさあ大変!おまけに離れ小屋の地下室調べたら驚天動地の大爆発!!

運良く爆発を逃れた相棒とくっちゃべってたら偉い人に呼び出された。どうやら背後に麻薬カルテルが関わってるらしい。

志願すれば麻薬カルテル捜査ができるらしいのでとりあえず志願しとく。

正体不明おっさん捜査官とこれまた正体不明メキシコ人おっさんとチームを組んでこれから捜査がんばるぞい!

総評

SICARIOとはスペイン語で「殺し屋」を意味する...っておっさんが主役やんけ。

まあとにかくケイトと(元)相棒がうざすぎて誰にも感情移入できないまま終わってしまった。

メキシコ麻薬戦争知識もっとあれば楽しめたのかもしれない。

続編もあるようだがもういいかな。

2022-10-06

白人抵抗したインディアン英雄たち

タスカルーサ~1540

 ミシシッピ先住民首長スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。 

・オペチャンカノウ1544~1646

 ポウハタン族の酋長ポカホンタス叔父1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。

・ササカス1560~1637

 ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ戦争白人虐殺されることとなる。 

・ポペ1630~1692

 プエブロ族魔術師スペイン宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人駆逐したプエブロ族独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペイン降伏した。

ハンコック酋長

 南部タスカローラ族の酋長白人土地侵奪奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。

グレイロック1670~1740頃

 アベナキ族の酋長フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争グレイロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた

メタカムフィリップ王)1639~76

 ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人貪欲土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアン君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカム戦死遺体戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人勝利に終わった。

・オブアンディヤック1720~69

 オタワ族の酋長英名ポンティアック交易制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合攻撃しかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。

コーンストーク1720頃~77

 ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人訪問した際に拘束され処刑された。

・ドラッキングカヌー1738~1792

 チェロキー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中心臓発作で亡くなった。

 

・リトルタートル(1747~1812)

 マイアミ族の酋長アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バル大佐戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティバーズの戦いで敗北し降伏した。

ブルージャケット1738~1810

 ショーニー族の戦士アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティバーズの戦いで敗北した。

・バッコンガヒラス1720~1805

 レナペ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティバーズの戦いで敗れた。

・エグシャワ1726~1796

 オタワ族の酋長アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争アメリカと戦い、フォールン・ティバーズの戦いで負傷した

・テカムセ1768~1813

 ショーニー族の酋長白人侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争イギリスと組んでアメリカ交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領就任するが、わず31日で病死した。

ウィリアムウェザーフォード1765~1824

 マスコギー族の戦士。1811年の大地震白人と戦えというメッセージ解釈し、交戦レッドスティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領就任インディアンへの弾圧虐殺を行った。

・メナワ1765~40頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後土地割譲同意した酋長暗殺するなど強制移住抵抗し続けた。

ピーターマックイーン1780頃~1820頃

 マスコギー族の戦士レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争活躍バーンコーンの戦いで米軍勝利した。 

レッドバード1788~1828

 ウィネベーゴ族の酋長白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。

ブラック・ホーク(1767~1838)

 ソーク族の酋長白人土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。

オセオラ1804~38

 セミノール族の戦士強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカ降伏していない

ミカピー1780~1848

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争活躍し、デイドの戦いで100人米兵戦死させた。

ビリー・ボウレッグス1810頃~1859

 セミノール族の酋長オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。

・アビアカ1760~1860

 セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍勝利した。

 

バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃

 コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。

・ワルカラ1808~55

 ユート族戦士。その知恵と武勇から砂漠ナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教入植者対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。

・カミアキン1800~1877

 ヤキマ族の戦士白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。 

レスキ1808~58

 ニスカリー族の酋長白人土地侵奪に反発し、ピージェット戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。

・テカムタム?~1864

 アサバスカ族の酋長鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。

カイルーク

 モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された

・ヌマガ1830~71

 パイユート族酋長白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人部族平和のために生涯を捧げた。

マヌエリト1818~93

 ナバホ族戦士1860~66年までアメリカ政府土地収奪強制移住政策抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。

アントンガ・ブラックホーク

 ティンパノゴス族の酋長モルモン入植者対立し、1865年ユタパイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた

マンガス・コロラダス1793~1863

 アパッチ族酋長1830年家族や同朋をメキシコ人虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉最中に捕らえられ、処刑された。

コーチーズ1805~1874

 アパッチ族酋長マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。 

・リトル・クロウ1810年頃~63

 ダコタ・スー族酋長白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。

・ドヘサン1790年前後~1866

 カイオワ族の酋長第一アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。

ホワイトベアー(サタンタ)1820頃~78

 カイオワ族の戦士第一アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレンワゴントレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年逮捕され、投身自殺した。

シッティングベア(サタンク)1800頃~1871

 カイオワ族の戦士ウォレンワゴントレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。

・ローン・ウルフ1820頃~79

 カイオワ族の酋長交渉によりウォーレンワゴントレイン襲撃で逮捕されたホワイトベアビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナパーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない

 

ローマン・ノーズ1830年代~68

 シャイアン族の戦士強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマから白人から酋長であると誤解された。

レッドクラウド1822~1909

 ラコタスー族戦士ララミーからモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウド居留地に入り晩年キリスト教改宗した。 

ハイバックボーン1820~1870

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。

 

ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893

 ラコタスー族戦士レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府平和交渉に当たった。

キャプテンジャック1837~1873

 モードック族の酋長居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワードキャンビー少将殺害されたため、インディアン戦争米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏絞首刑に処されたキャプテンジャック遺体見世物とされた。

スカーフェイスチャーリー1830頃~1896

 モードック族の戦士モードック戦争に加わり、サンビュートの戦いで勝利した

・アイアン・ジャケット1790前後~1858

 コマンチ族の酋長スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。

・ペタ・ノコナ1820頃~1864

 コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシアパーカー誘拐、妻とする。1860ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。

https://anond.hatelabo.jp/20221007130539

2022-07-31

蛇ってバグってね?

大小に差がありすぎだろ

うどんぐらいのやつもいれば、大人を5人ぐらい飲み込む大蛇までいるのバグだろ

人間日本人でもロシア人でもメキシコ人でもそんなにサイズかわんねーじゃん

デカいやつでもせいぜい2mと少し、比で言うと2倍が精々だけど

蛇は普通の蛇の10倍ぐらいザラ、ヤバすぎる

2022-06-22

anond:20220622133846

そいつジョーカー使ってるからメキシコ人ではなく人種差別対象になりにくいアメリカ人と言ったんだが

アメリカ人が優勝してもナーフしろとはお遊びで言われてたんじゃないかってこと

というかメキシコでもアメリカでも同じじゃない?

anond:20220622133440

スマブラSPにはMkLeoというメキシコ人絶対王者がいる。

もちろん全大会で無敗というわけではないが、

彼こそがスマブラSP代表するプレイヤーであることに異論を唱える人はいいであろう。

 

そして彼も、(今は異なるキャラを使うが)ぶっ壊れているキャラと称して

スティーブと同じくDLCであるジョーカーというキャラを使い、数多くの大会で優勝していた。

しかし、#BanJokerというハッシュタグが大きな騒動となったことは一度もなかった。

本文くらい読んだらどうだ

スマブラSPスティーブ禁止騒動の詳細とスマブラコミュニティについて

昨日、以下の記事話題になりTwitterトレンド入りしていた。

 

スマブラSP』にて“スティーブ大会BAN”をめぐって議論勃発。日本人プレイヤーが強すぎて

https://automaton-media.com/articles/newsjp/20220621-207583/

 

この記事を書いた方はある程度スマブラに造詣がある方だと思われるが、

公のメディアでは書けなかったところもあると感じられたので、こちらで補足しておく。

 

【目次】

1. 何が問題となっているのか。

2. なぜスティーブは嫌われるのか

3. 今回の騒動はなぜ問題なのか

4. コミュニティの未成熟さについて

 

 

1. 何が問題となっているのか。

詳細は上の記事でまとめられているのでそちらをご覧いただければと思うが、

簡単説明すると日本人の今年16歳になる選手が、

DLCであるマインクラフトキャラスティーブを使い招待制海外大会で優勝した。

その後、対戦した相手も含め、海外トップクラスプレイヤー複数が、

#BanSteve #PleaseというハッシュタグTwitterで発信した、というものだ。

 

もちろん小さな界隈で生じた事件ではあるが、

リプライ欄においてその是非についてのコメントが多数なされたり、

上記記事作成され、トレンド入りもしていることからある程度の規模での事件にはなっている。

 

 

2. なぜスティーブは嫌われるのか

おおよそは以下3つの理由であると考えられる

1. コンボが(お手軽かつ)非常に高火力であること。

2. 彼のみが持つキャラ特性があまりにも特殊であること。

3. 基本的に待ちキャラであること。

 

もう少し具体的に説明すると、

スティーブは「ブロックの生成」と「採掘」を行うことができる唯一のファイターだ。

これにより、まずはブロックで壁を作って避難をして、その間に採掘を行う時間を稼ぐ。

そして確保したリソースを使って、強力な武器攻撃方法で戦っていく、というのが基本的な動き方だ。

その特殊性故に、「これはスマブラなのか?」「見ていて面白くない」という批判が行われがちなのだ

 

しかし、スティーブがずば抜けて強力なキャラであり、

大会上位はすべて彼に占められているのか、といえばそうではないしむしろ優勝することは非常に珍しい。

また、基本的スマブラSPは非常にキャラバランスが良いゲームであり、

大会上位のキャラクターは多岐に渡るケースが多い。

 

ただ、スマブラでは特定キャラヘイトが集まりやすく、

例えば日本ではミェンミェンは弱体化調整によって下火になったものの、

一時期は登場するだけで動画に低評価が付けられる始末であった。

また、カズヤや(特に海外で)ソニック、ホムラ&ヒカリなどもヘイトが向きがちであるが、

「ホムラ&ヒカリ可愛いからOK」のような意見散見される。

 

 

3. 今回の騒動はなぜ問題なのか

結論を話す前に触れておきたいのが、

スマブラSPにはMkLeoというメキシコ人絶対王者がいる。

もちろん全大会で無敗というわけではないが、

彼こそがスマブラSP代表するプレイヤーであることに異論を唱える人はいいであろう。

 

そして彼も、(今は異なるキャラを使うが)ぶっ壊れているキャラと称して

スティーブと同じくDLCであるジョーカーというキャラを使い、数多くの大会で優勝していた。

しかし、#BanJokerというハッシュタグが大きな騒動となったことは一度もなかった。

 

まり、今回の問題は、

日本の今年16歳になる少年による海外大会1度目の優勝であるにも関わらず、

数多くの海外トッププレイヤーが#BanSteveと一斉にツイートしたという人種差別的側面もあるということだ。

彼らは「ふざけてただけ」という弁明をしているようであるが、

「おふざけ」によって多くのいじめ差別などが生まれ、また、問題になっている。

 

ツイートを行った海外トッププレイヤーの中には、

今回の海外大会において勝負を行い、対戦後握手を行っていた選手複数まれる。

こういった面従腹背の態度に、言葉を選ばず述べると本当にがっかりした。

 

一般プレイヤーが「◯◯をナーフしろ」などのコメントを行うのはしょうがないと思う。

しかし、業界トップを走るプレイヤーたちが、示し合わせて特定キャラクターをBANしろ

ツイートするのはあまりにも幼稚な行為ではないだろうか。

 

 

4. コミュニティの未成熟さについて

おそらく、プレイヤーの年齢層が若いゲームであるゆえだと思うが、

スマブラ大会動画配信時のコメント欄の治安は相当に悪い。

また、複数海外トッププレイヤー安易にこのような言動を行うなど、

プレイヤー自身成熟度も低く、上記についていずれの処罰も行われないなど緩い規範コミュニティが成り立っている。

 

自身普段から日本海外含め複数大会を観戦しているが、

これ以降はある程度の結果だけ見ればそれでいいかな、と感じている。

プロゲーマー人間的に優れている必要があるとは思わないが、それにも限度というものがある。

 

本当にがっかりした。

残念。

2022-06-01

炭水化物炭水化物でも良いだろ

メキシコブリトー白飯トルティーヤで巻いて食うんだ。

日本にはない真の炭水化物キチガイ、それがメキシコ人だ。

おかゆご飯なんてやってる日本とは格が違う。

2022-04-09

anond:20220409190820

漁師引退したCEOのコピペ

以下、コピペ

メキシコ田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。

その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師

「そんなに長い時間じゃないよ」

と答えた。旅行者

もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」

と言うと、

漁師は、自分自分家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」

旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房シエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、

きみにアドバイスしよう。

いかい、きみは毎日もっと長い時間、漁をするべきだ。

それであまった魚は売る。

お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。

その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。

やがて大漁船団ができるまでね。

そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。

自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。

その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティ引っ越し

ロサンゼルスニューヨークへと進出していくだろう。

きみはマンハッタンオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

それからどうなるの」

それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、

日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中釣りをしたり、

子ども遊んだり、奥さんシエスタして過ごして、

夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、

歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

2021-12-27

anond:20211226173018

海外日本食経営しているのは、インチキ日本人料理経験ほとんど無し)か、中国人韓国人、その他アジア人メキシコ人であって、海外日本食レストランほとんど皆無だよ。つまり日本食を知る外国人ほとんどいないので、人気っていうのは、創作料理が人気ってだけなのでは?

2021-11-28

メキシコ人が嫌いだ

よく他の作業しながら海外ドラマ見るんだけどメキシコ人が出てくると吹き替えのはずなのにずっと字幕追わなきゃいけなくなる

許せねえよメキシコ人

2021-09-09

anond:20210909093252

メキシコ留学してたけど褒められすぎる&メキシコ人優しいかゆっくりめに話してくれる+文法単語あやふやでも察して理解する能力やばい&俺が甘いか語学力が伸びなかった

2021-07-04

何かを始めるに遅すぎるということはない

もしあなたがいま無職ニートだったとしても、この人をモデルにやり直せば5年、遅くとも10年で完全に別人になれる

自分あきらめてはいけない

重度の薬物中毒を克服 48歳女性「衝撃ビフォーアフター写真

バートンさんが公開した写真。左が薬物使用逮捕された05年、右がワシントン大学卒業した現在バートンさんのFacebookより)

一方の女性は、目に生気がなく頬がゲッソリこけている。もう一方の女性は、健康的な笑みを浮かべ幸せそう。とても信じられないが、2枚とも同じ人物写真だ――。

ある女性が、自身Facebookにあげた画像米国で波紋を呼んでいる。被写体は、ワシントン州に住むジニーバートンさん(48)。幼いころから強度の薬物中毒に悩み、自殺未遂おかしたことも。更生したバートンさんが、薬物の恐ろしさを知ってもらうと公開したのが「ビフォーアフター写真」だ。

バートンさんは今年6月、米国放送局『KMTR』の取材に応じ、自身悲惨な半生を振り返っていますインタビューによると、両親はともに強度の薬物依存症だったとか。母親麻薬密売人。父親は、強盗を繰り返しバートンさんが4歳の時に逮捕され刑務所に入ったそうです。

バートンさんが初めて麻薬に手を染めたのは、6歳のころ。母親から勧められ、マリファナを吸ったと語っています。以来12歳で覚醒剤14歳クラック高濃度の薬物)、21歳でヘロインを知り、クスリを打ち続けていないとヒドい禁断症状が起きる身体になってしまいました」(米国在住ライター

バートンさんは、16歳の時に母親からクスリを買っていた男性レイプされ自殺を図る。17歳で別の男性の子どもを身ごもるも、彼はトラブルから銃で撃たれ死亡。直後に結婚したが、夫から毎日殴る蹴るの暴行を受けていた。

逮捕17回、刑務所収容3回

生活はどんどんすさんでいき、仲間とつるみ不法滞在中のメキシコ人麻薬仲介者を脅しクスリを入手する日々。違法入国したメキシコ人たちは、身元がバレることを恐れ警察被害届を出さないことを知っていたのだ。『KMTR』のインタビューには、次のように語っている。

〈すれ違う人がいれば、カバンをふんだくっていました。車を盗み、銃で人を撃ったこともあります。すべてはクスリを手に入れるため。無気力からシャワーを浴びる気にもならず、ヒドい体臭を放ちながら街をさまよっていたんです〉

バートンさんは17逮捕され、刑務所に3回収容された。毎朝「今日こそクスリを止めよう」と思っても、昼には注射をうっている。「もう死んだほうがまし。誰か私の命を奪ってくれないかしら」と、本気で思っていたという。インタビューは、こう続く。

最後逮捕されたのは1212月です。これが人生ターニングポイントとなりました。麻薬中毒になった多くの人々の悲惨最後を目の当たりにし、「絶対人生をやりなおす」と決意。裁判所特別更生プログラムへ参加したんです。裁判官監視のもと、薬物依存治療教育を受けました。禁断症状が出て、言葉にできない苦しみや想像を絶するツラさも経験しましたよ。しかし、おかげで私は薬物から完全に解放されたんです〉

バートンさんは自身体験いかし、ボランティア活動を始める。教会で貧しい人々や薬物中毒者支援したのだ。健康身体を手に入れると「学びたい」という意欲がわき、40歳を過ぎてから短期大学入学。成績優秀だったため奨学金をもらい、名門ワシントン大学編入政治学を学んだ。インタビューで、彼女はこう話している。

クラスで一番年上だったから、若い人たちについていくのは大変でした。私が大学卒業したのは、48歳の時ですからね。最後まで頑張れて自信になりました。こんな私でも「やればできるんだ」という実感がわき、とても嬉しいです〉

バートンさんがFacebookにあげたのが、大学卒業式と05年に逮捕された時の写真だ。彼女言葉引用する。

〈昔の写真を見ると「あの頃の自分は道を誤っていた」と思います地獄です……。私はこの数年間で20人以上の薬物依存者のお葬式に参列してきました。中毒は死と隣り合わせ。薬物依存者には、罰を与えるだけはで意味がありません。私は彼らに、「必ず復活できるわよ」と伝え希望を与えたい〉

現在バートンさんは、大学院に進み修士号取得に向け勉強中だ。プライベートでは、同じく薬物依存を克服した男性結婚。今後も薬物依存者へ自身の壮絶な半生を伝え、支援活動を続けていくという。

https://friday.kodansha.co.jp/article/190900

2021-06-08

anond:20210607133145

メキシコ人女性の同僚に「毎日献立考えるの面倒」と愚痴ったらキレられた…→日本人は食のバリエーションに対する執念が強すぎる?

https://togetter.com/li/1724895

 

レパートリーが少ない方がいいに決まっているじゃありませんか。

それでもレパートリーを増やしたいのならレンジでチンする奴じゃなくちゃんと揚げるから揚げ天ぷらですね。

不思議に聞こえるかもしれませんが、乾いた具材に肉に粉だけをつけるから揚げより溶き卵と粉の混ぜ物をいろいろな具材につけてあげる方が簡単ですよ。

2020-08-14

anond:20200814081648

マジレスすると消費者の顔も生産者の顔も浮かんだことはないな。スーパーに並んでるアボカドを見て「これを作ってるのはメキシコ人農家の人」「これを買うのはアボカド好きな主婦」とかいちいち思うか? それと同じ。

なのは節度のないエロなの。

女の子普通ににこにこしてるのは全然いいのよ、かわいいし。

でもパンチラしてたりなんか胸と股間がやたらくっきり出てたり『奴隷娘のうんちゃら』『ロリが俺を好きでなんちゃら』みたいなタイトルが目に入るとげんなりしちゃうんだよね。

エロエロスペースで楽しんでくれ。

ほかの場所侵食しないでくれるなら文句はないよ……。

2020-08-02

ゴーストブツシマ文化盗用か?

https://wired.jp/2020/08/02/ghosts-of-tsushima-essay/

こないだの増田の言によれば、当作品は盗用だと西洋サイドが叫び日本人は無関心だという。

ただリップシンクに関してそこだけ取り上げるなら、だいぶ肌感覚が違うなという印象。

まず西洋的な肌感覚から文化盗用が先に出てくるのも非常に大陸文化的というか。

あっちは戦争に負けると文化ごと書き換えられちゃうわけだ。

負けると英語強要されたり、メキシコ人スペイン名にさせられたりする。

ようするに戦争の負け即文化剥奪意味した。

日本全体の文化剥奪GHQの一件のみで、それもだいぶ情状酌量されて全壊には至らなかった。

黒船が来ても開国するだけで済んでいるし、それこそモンゴル兵が来てもまるで映画のように神風が吹いてくれた。

要するに文化のお取り潰しは起こらなかった。

そこで日本人感覚として何を思うか。

という感じでは?

そこにナショナリズムに関する感覚はない。

売り方や職人に関する疑問は出てきても、国の問題には発展しない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん