はてなキーワード: プレッシャーとは
自分は話が好きではなく
無理に話そうと努力しても相手を退屈させるし、最後はもういいよお前的な感じになってしまう。
それで原因で接客の試用期間で切られたこともある
リストラにあってやっと職にありついたんだが、「全員と仲良く「なって」くださいね」ってプレッシャーかけられるし
なんか、さすがに世の中弱者ばっかりでくたびれてきたよ、という吐き捨て
私は、毎日の生活のなかで、多少の問題は抱えてはいても、そこそこ健康だしそこそこ気に入る仕事に就いているし親しい友人もいるし
税金だって、独身だからか、おいまじか?!って思うほどは納められるぐらいのゆとりはある
寝る前にぶらーっとネット巡回してると
「子育て大変」「車椅子は大変」「発達障害は大変」「ブラック勤務は大変」「○○は辛い」「○○なのにじゃあどうしたらいいの」とか
「大変言説」が、ネットの画面越しでは、新しいライフハック()とかと一緒にフラットに情報として並んでいる
あとフェイスブックやらtwitterやらでいいね!されてたりRTされてきたりね
しばらくすると、「大変」系の記事は賛否両論があってブコメも集まりやすいせいか、フラットじゃなく浮き、目立って見えてくる
「私/俺は大変だ」って言ってる人が大勢で大合唱してるみたいな気持ちになる時がある
『自分はそういう人よりも予め恵まれているのだろうから、できることがあれば何かしたいな』と思ったり
実際にも、そういった問題を「何とかできる」ようにする仕事を受けたりするときも、たまにあったり(仕事にはかなり恵まれている、そういう意味でも)
街中でベビーカーで往生してる人がいたら声かけたり、席譲ったり、募金箱があったらちょっと入れたりぐらいは、するんだけど
ネット巡回してると、なんていうかキリがないっつーか「おまえら確かに弱者かもしれないけど、要求大杉!!」って思う時がある
それはまぁブコメが沢山ついたりしていることが「無言の圧力」みたいに、私が勝手に感じているだけなんだろうけど
悪い私は「弱者ぶりやがってこのやろう、少しぐらい発言を遠慮しろや」という悪い気持ちがむくむくと湧いてくる時がある
子育て大変だろうとは思います、立派なことです。でも私だって全然大変じゃないってわけでもないんです
障碍を持って生活をしていくことは大変なことが多いし、偏見も多いし大変ですよね
でも私だって「こいつに任せて大丈夫なのか?」程度のささいなプレッシャーなら日々受けてるんですよ
でもねぇそういうことってほとんどが、今言ってもしょうがないな、ってことだから、基本的には黙ってるんだよ
福島原発の事故の後「ゼロリスク」という言葉が多くの場所で見られるようになったけど
日々楽しそうに、ふーらふらと、やりたいことだけをやっているように見える(らしい)私でも、ゼロストレスでは在りえないので
何ていうか、分が悪いなーとか、弱者ヤ○ザみたいだな、と思うことがある
そういった「大変言説」な人たちは、「私だけが大変」だと言っている人ばかりではないのも、もちろん分かってるんだけどね
何ていうか、他のもうちょっと社会的には重要なこととか私個人にとって特に重要なこととかと、一緒に並んでたりすると
なんていうか…フラットデザインが悪いのかな 笑。それともはてなだから?それともやっぱり私が悪い人間だから?
あと、話はちょっと逸れるけど、「ちょっと社会派エピソード」と「えぇ話」とかを、いいね!RTしてる人たちって
クリックしただけでいいことした気になってるんじゃない?ってのは
専業主婦をバカにして、「精一杯がんばっても不安が残るもの」なんて謙虚な考え微塵も感じさせないので、
このくらい書いてもいいだろと思ったけど、
誰かをバカにする奴はバカにしないとやっていけない奴だと寛容に思えば良かったんだろうかね。
ちなみに今のところ、あんなに愛情かけて育てたのに、というステレオタイプにはなっていないつもり。
つかよくわからない、その思考。
逆に親のプレッシャーで良い子ちゃんにならないように気をつけている。
親や周囲の期待を感じるも自分とのズレを意思伝達する良い術を知らなかったのもありますが、
受験期になってから極端な進路変更をした所で周囲がギャップがあると気付いた程です。
それは驚かれた程であったから、増田さんが指摘されたように他者と自己のイメージの幅が大きかったんだと思います。
周囲のプレッシャーから逃げて、自分のやりたいことだと思った方向へ進んだが、程なくして、逃げた事に対して罪悪を感じるになった。
逃げ切れなかったというよりも、周囲が諦めてくれなかったからだろう。会う度に「神の思し召しがある」だ。
そのうち罪悪感のせいか、私は、全うな生き方から脚を踏み外したような錯覚を起こし始めた。
自分が正しいと思えば、私は狂っているのでないかという気持ちが強くなり。逆に、間違っていたとすれば、私は従順な人間だろうと思えた。
私の人生が親に掌握されているように感じるようになり、とても強い無力感を味わうようになった。
幼い私はよく父や母から
「当時の兄は不出来だったからお前を産んだのだ」「お前はリーダーになるべき人間なのだ」「将来はお医者さんになるのよね?」
等々、言われ、私自身も何の疑いもなくそうなのだろうと思っていた。
だが、私はそんな人間ではなかったのだ。
自己の欲求にしか応えない、動物的な卑しい生き物なのだ。果たして、本当にそうなのだろうか?
自己を卑下することで周囲とのギャップを埋めようとする心理が働いたのだろうか?
対立する価値観はどちらかが妥協しなくてはいけない、と思っている。
それは実存するものではなく、私の中にいる、私や母や父、が対立しているように思える。
責任とは、私がこの両親のもとに産まれたために発生した試練を乗り越えることだろうか?
人生の責任は私に委ねられているはずだろうが、人生をより良くしていこうという気力が今はないように思える。
人生をより良くしていくというのは、私が周囲との葛藤を乗り越え、自分の人生を自分のモノだと思えるようなってからが始まりだろうと思う。
1、2年前、そんなふうになってしまいました。
あんまし難しいこと考えても解決しないし、のんびりやってこう+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜
のんびり前向きに生きていたいです。
http://anond.hatelabo.jp/20130619061242
女の話だと思って開いたら男やん。
妻がうまく泳がせて子育てした気になっているだけなんじゃ。
親の助けもないなか、妻よく決断して産んだよ、育てたよ。
6ヶ月で預けたとはいえ、「子育てを大変だと思ったことはない」って...本気?
熱だってよく出してたんでしょ?親が大変じゃなくとも、子供は大変だったよ。
それはさておき、
一般的には仕事を始めてしまえば、学生時代ほど関われないから良かったかもね。
でも一般的な大学生が徹夜で宅飲みしたりして、一生ものの友達を作っている間、
子育てより、大学時代にしかできないことは、沢山あったと思うよ。
え? え??
いやだって我が子を絶対確実にニートや引きこもりにしない方法なんか分かんねえしどうやって排除すんの。よくわからん。
「あーうちの子がニートなんて嫌だ。引きこもりになるなんて嫌だ」と念じたら叶ってニートだった子供が仕事を見つけ引きこもりが家から飛び出てくるなら誰も苦労しねえよ。むしろ親がそう思うほど子供がプレッシャー感じて心を病んで逆にそうなっちゃったりするケース普通にあるじゃん。
社会ぐるみで「障害児は嫌だから産まれたらキュッとしめてホモレズは嫌だからそうとわかったらリンチして殺してヒキニートは山か海に捨てて世の中きれいにしましょうね」なんてことをやるわけに行かないのだから、どんな子が産まれてもおおよそ親子ともども不自由なく暮らして行ける世の中になってくれるのが一番なんじゃないの? 理想論ではあるけど。
また仏智された。直上の俺がしたこと。
・その仕事したうちで失敗した部分は一緒になって解決
しかし仕事しない。ホウレンソウしない。わからないことがあっても聞かない。
なぜ??
他のことが忙しいという。趣味?友人?恋人?転職??そりゃ仕事だけじゃないさ。みんなそうだ。生きるのであればご飯も食べるのだし、外歩くには服も必要。ぜーんぶ用意しないといけないよね。
でも明らかに仕事してないじゃん。最初に上司も言ったけどさ、自分がやる気出さないと仕事してもらう意味ないんだって。
そうこうしているうちにダウン。心配なのでこちらからメール。が、返信なし。プレッシャーかけたのかね?じゃあこちらから何もできないじゃん。いったいどうしたらいいのさ?
今の社会、パートナーと同棲していなければ、仕事も趣味も色々な人間関係も転職さがしも家事も全部自分でやるしかないんだよ。
マルチタスクもしなければならない。しかし、マルチタスクはそのタスクが慣れていないと、うまくいかない。新人なんだからできっこない。
だからまずすべてのやることに優先度を決めて欲しいよね。新人だったらわからないことだらけなんだから、他の時間を割いてでも教えを請いて欲しいよね。
プロっていうのは自分のスケジュール管理を厳しくやることができる人のことを言うんだよ。社会でやって行くってのは、そういう自己管理をできなきゃ。できないのであれば、実践で訓練していくしかないじゃん。
と、プログラムってのはそんなことを考えながらできていくのです。
リクナビ・毎ナビ、ハローワークで「既卒OK」でも「新卒」が大多数を占めている中でわざわざ「既卒」を取るはずもなく、
見せかけの採りますに踊らされて準備しても全く無駄だったことが個人面接でままあった。
「キミ、なんでこの年まで定職に就いてないの?」
おいおい、不況の煽りで内定取り消したり採用枠を大幅に減らしたりしたのはどこのどいつだよ
これじゃまるでバブル崩壊時のいわゆる就職氷河期世代と同じじゃないか。
扱いが正にそうで、大手も中小も零細ですらも「既卒」より「新卒」が欲しいんだとさ。
「既卒」は地獄へ直行だなんて「新卒」時代は同じように笑ってたけど、正直自分がこうなるとは思ってなかった。
朝日新聞か日経新聞に書いてあった就職率が前年比より大きく上昇してたってあるけど、そりゃ不況明けの「新卒」採用枠が元に戻っただけで
昔「新卒」だった「既卒」に空きの枠なんて用意されてないし、それを就職率に換算していないから見た目には上昇しているように見えるのは当たり前だよ。
一番の問題は、僕のようにあぶれた人間がたくさんいるのに、世の中は景気が良くなったとか就職率が良くなった、給料が上がったと明るいニュースばかり。
あの不況で何万、何十万の人達が職にありつけなかったという事実に蓋をしてこの活気振りなのだから、もう「既卒」は死ねって事なんですかね。
このまま、何もないまま30を迎えたくない。
僕だってクチがない時は就いていた事があるけど、結局優先されるのは正社員だってことが分かったよ。
正社員と同等かそれ以上に仕事をしたって貰える給料は前もって決められた額だけ。
これで無理矢理自分に納得しようと我慢したけど、半年経って突然今月までと契約終了を宣告された。
これでも既卒二年目、もう後がない。
もう報われないかもしれないけど、何とか定職に就きたい。
毎日焦りと親からのプレッシャーに押し潰されそうになって苦しい。
2012年に文系大学院を卒業して2年、その前の1年は派遣や契約で食い扶持を作ったりもしたけど、
「正社員登用あり」の文字に騙されてがむしゃらに働いても結局「登用はあっても100%じゃないよ」という意味だと気付かされた時
契約終了の宣告がちらついていた。
結局、こういう道でしか活路を見いだせないのか?
なんで世の中は「既卒」に厳しいんですか。
今年卒業の子は同じ「ゆとり」でも内定取ってるじゃないですか。
いや僕は一つ内定があったけど、取り消しに遭った。
何も信じられない。
もう逃げたい。
通勤途中にうんこを漏らしてしまうできるビジネスマンで特徴はあまり見かけたことがないので、10個挙げてみました。
件の増田は上記をしっかり踏まえて行動し出来るビジネスマンになっていただきたい。
http://anond.hatelabo.jp/20130612102930
家族が嫌いだ。
たまに2chまとめに取り上げられるような、
親が犯罪者でタイーホされていたり、借金で一家離散してたり、そういう「壮絶」な家庭、では無い。
しかし自身が成人に近づくにつれて、家族に対する「違和感」というものが、実感を持って帯びていった。
父は、典型的な内弁慶だ。家族には高圧的、逆らえば激昂し壁などを蹴り自分の威厳を示さんとばかりに脅す。
一方で他人には、簡素簡潔な会話で済ませただ愛想笑いを浮かべている。自分の親兄弟相手でもそうだ。
父が他人と話しが弾んでいるのを見た記憶が無いし、そもそも話し合っている様子自体覚えが無い。
当然家に客人を招き入れたこともほとんどない。あっても上のような感じだ。
多分、人間が嫌いなんだと思う。
母は、考えない人だ。良く言えば天然、悪く言えばバカ。何でも鵜呑みにしてしまう。
他人にも愛想よく振りまくが、何を言ってるかわからなかったり、会話が成立しない事が多い。
父とはお見合い結婚だ。結婚するまで父の本性に気づけなかった。
父は最初はそこそこ給料の良い会社に勤めていたようだが、私が幼い頃、突然辞めた。
母は説得したが、父は「俺を殺す気か」と母を殺す勢いで捲くし立て、辞めた。
多分、パワハラとか受けてたのかなと今は思うけど、にしても言い方ってものがあると思う。
父も一応思うことあったのかわからないけど、資格を得てどうにかしようとしたようだが、結果上手くいかなかった。
母を怒鳴り散らす日々が続いた。
更に家計が厳しくなった。
にも関わらず、父は家を買うと言い出した。
このタイミングしかないと言い張った。多分世間への見栄だったんだと思う。
もちろん母と母方の祖母は反対したのだが、父は包丁を持って脅し、強行採決された。
母と祖母は号泣していた。私は小2くらいだったが、そのときのやりとりが鮮明に目に焼き付いている。
母は父が最初の会社を辞めてから仕事を探し、当時は懸命に働いていたようだ。母が独身時代貯めていた貯金も、祖母の年金も取り崩され頭金にされた。
ちなみに父は自分の親には頭を下げられないと遠まわしにいい祖父からは一銭も援助を求めなかった。これは今でもクズだと思う。
小4くらいの頃、急に学校に行くのが嫌になって、不登校になった。
そのときは自分でもよくわからなかったけど、単に人間が怖くなったってのもあるんだろうけど、
今思うと、一番は両親に抗議してたんじゃないかな。色々考え直してくれって。
実際、父の会社辞めた経緯とかはこのとき母から聞かされた。車の中で二人っきりのときとかに、母は父のグチを言いまくってた。
母はノイローゼだったんだろう。
知りたく無い事がどんどん耳に入ってくるしなんかそういう話の後はいつも滅入ってた。
不登校になって、父は学校行け!と私を無理やり引っ張ってケツを蹴り飛ばしたりとか、今の御時世では考えられないような扱いをしてた。
朝4時半とかに信者が迎えに来て出て行く。
まあ8時ごろには戻るからある意味健全だけど、あんまりにも朝早いから父はキレまくって迎えを追っ払ったりしてた。
先生がちょくちょく様子を見にきてくれてたけど、不登校から3ヶ月?くらいしたころ、クラスみんなの寄せ書きの入った色紙を持ってきてくれた。
私は病気になって休んでるって体だったらしいけど、今思うと、賢い子は察してただろうし、めんどくさいって思った子もいただろう。
私はどっちかというと母親寄りのバカだったから、そのときはそんな邪推なんてなくてえらく感動して、同時にみんなに嘘ついてる状態に申し訳なくなって、また行くことに決めた。
そしたら、とりあえず家族は喜んでたが、母の一言に私は愕然とした。
「私が祈りはじめたから、○○は登校するようになった」
この人何言ってるんだろう?私は、クラスのみんなの支えで、行くことに決めたんだけどなあ。
でも、そういうこともあるのかなあ。とか思ってしまったりしてた。
もともとこの前から頭がぼーっとなってたけど、もうなんかますます頭がぼーっとなってた。もう意味わからなくなった。
RPGが好きだった。クロノトリガー、ドラクエ5、6、FF7、8、9、、、あのときは本当にその世界にいた。幸せだった。
中学校はずっとゲームだった。ゲームに夢中すぎて回りの友人等の扱いもぞんざいだったと思う。
いわゆる自己中と化した。
母は、大分前から専業主婦になっていたが、金が無い金が無いとか言いながら家事もあまりしなくなって、私がリビングでプレイするFF7のフィールド曲を子守唄に寝てた。
父は二つ目の会社が本社に引き上げとなり、転職したが、人と関わらなくてすむ夜勤中心になってた
朝やっても午前中で帰ってくるから、母が嫌がってた。
仕事の内容は全然話さないからよくわからなかったけど、責任が少ないプレッシャーにならない仕事を選んだんだろうなと思う。
高校に入った。とりあえず進学校に入れた。でも、文武両道は名目の武ばっかりの体育会系高校だった。
マジでゲームしかしてなかったから、案の定クラスのノリとか話題についていけなくなった。
でも不登校だけはもうしたくなかった。部活をやってみたけど人間関係が上手く行かなかったりして、ぐったりしていた。
この変で家族に思いをぶちまけるようになった。この家には愛が足りないとかクサいこと言ってた。家族みんなに鼻で笑われた。
今で言う離人症っていうのかな。自分を自分がみてるっていうか、自分から自分が半分出てる、浮いてるみたいな感覚が続いていた。
文字が頭に入ってこなくて、同じページを何十回も読み返したりとかあった。
このままじゃ駄目だと思った。「環境」を変えないと行けないと思った。上京しよう、と思った。
一生懸命勉強して、なんとか関東の大学に入った。入学金は父方の祖父に、授業料は祖母に出してもらった。生活費は奨学金を借りた。
一人暮らしを始めた。みんな親のありがたみがわかるとか言うけど、私は逆だった。
私はバイトしながら、勉強しながら、なんとか家事やってるのに、なんで母は専業で寝てばっかだったんだろうとか、
父もなんであんなに変な働き方なんだろう、もっとやれるじゃないかとか、両親とも人と交流してないのっておかしくないかとかむしろ疑問ばかり吹き上がった。
友人の家庭環境の話を聞くと、驚くほど違っていた。父親は一生懸命働いていて、みんなで出かけたり、今日あったことを話し合ったり、、、
私は壮絶な家庭ではないけども、やっぱり、振る舞いとか、思いやりとか、常識とか、そういうことが欠落した家庭だったんだっていう実感が湧いてきた。
うちの地元はなんとなく人が良いってイメージがあって、家族団欒なんでしょとか、近所みんなで助け合うんでしょとか言われて、正直かなり苦痛だった。
自分の話をする気にはならなかった。
しかしながら、そういうステレオタイプはあるものの、大学で出会った友人達は、みんな私から見れば高い教養と常識を持った人達だった。
私は彼らにえらく迷惑をかけたと思う。根本的に常識が欠落していた。
なんとか参考にしようとして、真人間になろうと思って、いっぱい気を使った。、
またぼーっとしたりもしてたけどなんとか頑張って、無事卒業し就職できた。
就職して3年目。とにかく人の役に立つ、真っ当な人間であろうと努めてきた。
幸い職場も素晴らしい人格の方々に恵まれ、少しずつ、そうなっていけてると思っている。
しかしみんな素晴らしすぎて、自分の生まれ育った環境と比較してしまい、時折憂鬱になる。
ステレオタイプな質問が来るたび、「あなたがたのほうが、格段に幸せな家族をもっている」と言い返したくなる。
私の親は、私は、あなたたちのような、人を慮る、という事の出来る域にいない。
そういう人達は、自分のルーツに自信があるから、自分が好きだし、他人も好きになれる。それが人を愛するってことのようだ。
私には根本的にそれが不足しているから、誰かと付き合っても、自分を曝け出せないし、
真っ当に振舞おうとする余り、サプライズとかプレゼントとか色々考えすぎて無理してしまう。
そろそろ、誰かと付き合うにも結婚を有る程度念頭に置いたものになってくる。
でも、はっきり言って親を紹介なんて出来ない。ありえない。
親のせいにするなと言ってきた人もいる。でも違う。親のせいにしないために、独り立ちし、今までやってきた。
親に感謝がないわけじゃない。育ててもらったとは思わないけど、食べさせてもらった恩はある。
実際、父は直接の暴力だけは絶対振るわなかったし、母親も、その素直な性格のためにたくさん心配して、振り回されて、その中で無理していたと思う。
二人とも、無理をしたから無理できない人達になってしまったのかもしれないとも思う。
私が何か子として手助けできていれば、また違ったのかなとも思う。
ではこれから手助けしていけばいいのでは、と思ったこともあるが、
少なくとも今は、私はたくさん傷つけられた部分を無視して、その人達と接するという事が、正直言って出来ない。
しかし、先の理屈で言えば、それが出来ないと、自分を愛する事が出来ないし、他人も愛せない。
私が一番望んでいる、目指している、真っ当な人間になる事ができない。
どうすれば、いいんだろう。
「このスケジュールが守れないと年間数億円の損失が」
とかあって大変なんだけど、損失がでても、お客さんが契約解除しても、それで直ちには困らないんだな。
大きな会社なんです。
逆にスケジュール守ったら良いことあるのか?と聞かれると、まあ、そんなにないなあ。
会社内部の雰囲気で「このスケジュールと言わざるを得ない」と偉い人が決めた無理なスケジュールだし。
お客さんの契約解除を回避したとしても、そのお客さんに特殊な要件を聞きすぎて赤字増やしてる気もするし。
渦中に入ると「これができなかったら大変なことになる!」とプレッシャーが掛かったりするけど、そしてそれはまあ、それなり大変なことにはなるんだろうけど、それでも所詮は仕事だな。
俺、30代中盤の独身のおっさん。どっちかというと、むしろアラフォー。
見た目と趣味が若いおかげで、10歳くらい年下の、若い女の子と付き合うことがある。
でも、もう結婚の限界年齢見えてる。生涯独身を貫くつもりは、あまりない。
付き合うなら、結婚もそれなりに視野に入れとかないといけない。
若くて未来のある娘さんの人生を、たいして金も持ってない、中年のおっさんである自分が背負っていく。
そう考えると、申し訳ない気持ちになってくる。
この人を、この人相応の幸せな人生まで、自分の力で導いてやれるんだろうかと、不安になってしまう。
向こうの親御さんも、心配するだろう。
これだけ歳上なんだから、娘をしっかり導いていって欲しいという、期待も強くなるだろう。
結婚は共同作業だと思うけれど、自分が歳上であればあるほど、より強く責任を求められるように感じられる。
俺は、その責任に応えることができるんだろうかと、不安になってしまう。
世の歳の差婚ご夫婦の先輩方は、ここらへんで悩んだりはしなかったんだろうか。
子供の頃、暇さえあればドラゴンボールのコミックスを開き模写していた。
とくにピッコロさんが小学生には難しく、あの体の筋みたいなのを一生懸命描いていた。
意外と変身前のザーボンさんのような男前キャラの方がクリーチャー系のキャラより難しいのだ。
男前に描かなくてはいけない…というプレッシャーを小学生ながらも感じていたのだろう。
それと鳥山明先生の世界に出てくる乗り物は非常に魅力的で一生懸命模写した。
あの頃を思い出すと胸が熱くなる。
自分にとってドラゴンボールは青春であり、ドラゴンボールを知らない人とは会話が成り立たないくらいだ。
孫悟空が大学生でチチとの出会いがホームパーティというなんともアメリカンな雰囲気なのに「ゴクー」と「チチ」と呼び合っているシュールさ。
頭がいかれてやがるぜ…
あれは今思うと中二病だった。確実に。
「埒があかねえ」とよく使っていた。
思い出すとこんな風に死にたいこともある。
鳥山明先生は自分にとって神様のようなもので、ドラゴンクエストやクロノトリガーなんかは鳥山明先生の絵を見るだけで胸が熱くなりゲームが楽しみになったのだ。
一度は諦めたけれど、やっぱり鳥山明先生に憧れて諦めきれず漫画家をまた目指して漫画を描きはじめた。
子育てもちょっとだけ落ち着いて仕事も楽になり漫画を描く余裕が出てきた。
人生まだまだある。
好きな事を諦めてやらないで過ごすより、全力でやりたいことを楽しむ人生にしたい。
この話は、後輩へ向けて書く。
できるだけ正直なところを書こうと思う。
メンヘラーもいけるじゃん!みたいに思ってほしい。
実際、メンヘラーの強みってあるとおもう。
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私は田舎で生まれた。
大学生になって初めて自覚したが、地元では結構名家だったようだった。
両親は高卒であったし、そんな自覚はないまま育った。
自分自身で勉強をする習慣はなかったし、勉強も全く好きではなかったため、二回目のテストのときには、学内偏差値40くらいになった。
高校では、目立ちたがりだったこともあり、私のことを嫌う人もいた。
掲示板で名指しでディスられたりしていた。
そのほかにも、強いプレッシャーを感じたとき、なにかのどにものがつまるような感覚を覚え始めた。
ちょっと病んでいる人だった。
一ヶ月くらい、よく一緒にいた。
でも、その人は、突然自分と距離を置き始めた。
恋愛を知らない私は、非常に混乱した。
追いかけた。
すごく強烈な執着だった。
そして私がその人を追いかけていることについて、その人は、それが疎ましいのだと
当時つきあっていた人がいた。
その人もまた、少し病んでいた。
病んでいる人スパイラルの中で、まぁいろいろあって、自分は自殺しようとしていた。
首つり。
何十回も試行し、何回目かに、逝きそうになった。
でも、結局逝けなかった。
それが、大学二年生の秋くらい。
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②回復するまで
読み進めくうち、久々に、こころのどこかがわくわくしていることにきづいた。
私は、その本の著者にあいたいと思った。
そして、実際に著者に会った。
たくさんの話をした。
そして、社会問題についていろいろ考えるようになっていた。
賞をとったりすることもあった。
夏のインターンに積極的に参加した。
就活は、かなり楽だった。
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③メンヘラのいいところ
以上はどうでもいいし、ありふれた話であるし、「お前はメンヘラじゃない」みたいな突っ込みがたくさん飛んできそうな内容である。
ここからが本題。ロジカルなことは言うつもりはないし、全部感覚で書くけど、自分が思ったことを書く。
■メンヘラのいいところ
それは、空気が読めすぎるし、人の気持ちがわかりすぎるところ
もうこれにつきる、てかこれしかない。いやそう思わなくちゃメンヘラとしてやってられない。
でもこれは真実だ。
自意識過剰とは、自分の内面について、無駄に多く思考しているということである。
すると何がおこるかというと、
いいのもわるいのも、自分自身のいろんな感情パターンに触れることになる。
相手の行動の意図について考えを巡らせることを、自然に行ってしまうのだ。膨大な相手の心理の仮説をたて洗い出しているのだ。
そして、多分本能的に、自分にとってマイナスな仮説を重視するようになる。
だから順番としては
自意識過剰(これは生まれつきでどうしようもない)→邪推・疑心暗鬼・マイナス思考→メンヘラ
という訳である。
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それがどう就活に結びつくのか?
1ウェブテ
2ES
3GDとか
4面接
2面接でロジカルに話せること
3自己分析を土台とした、明確な将来像を持つこと
メンヘラの強みは、上にもある通り「空気が読めすぎるし、人の気持ちがわかりすぎるところ」だ
そんで、結論を出すことを忘れないようにしながら、空気を読むタイプのリーダーを演じろ。
これは、他の人にも話を聞いてみて思ったが、メンヘラ経験のあるやつが圧倒的に強みを発揮できるポジションだ。
■空気を読める力はあるが、それを表明して、リードする力が不足しているやつ
難しいことじゃない、何か自分でゴール設定をして、それを達成しろ。
なんでもいい、映像とるとか、ちょっとした勉強会開くとか、友達とカブトムシとってきてそれを駅前で売るとか
リーダーシップ(頭の中にあるものを、必要があれば他人を巻き込んで実現する能力)は、そういう風に体を動かさなければ絶対に身に付かない。
大事なことを繰り返す。
メンヘラーには、人の気持ちがわかるという貴重な能力を身につけている可能性が高い。
その能力を存分に発揮できるように、何かリーダーシップ経験を積め。
精神を病んだこともなく、大学でウェ〜イしている人たちにはない能力が、やんでいるお前にはある。
いますぐ、自分の病んだ心を、すこしでも反らしてくれるものを見つけろ、見つけろてか、すでにあるかもしれないから、気付け。
なければ、しつこく探せ。アタック回数が多ければ、それに出会う可能性もあがる。
それができたときにはもう、就活は、自己実現の手段でしかなくなっている。
以上。
実際はもうちょっと修羅なエピソードもあるが、適当にぼかしてある。
強調したいのは、自分がまじで精神がもうちょっと振れていたら死んでたかもしれないくらいどうしようもないメンヘラだったってことだ。
ちなみに今でもたまにぐじぐじしたりする。
どれか二つ選べ。三つを同時に満たすのは多分無理。
収入に関して言えば俺の場合600万のこともあれば2000万のこともあるが、一定の収入が保証されるように動こうとすると仕事の選択がどうしても保守的になる。食うためのプレッシャーから解放されて、それは精神的余裕なんだろうけれど、一方で自分の中のサバイバル的感性が錆びついてゆくのを感じる。俺の場合は、やりがいってのはどうもリスクとかなり比例しているみたいだ。
女性の賃金は上がり続け、男性の賃金は下がり続けているが、今ですら女性は大体未婚男性の上位5%程度を婚活の対象としてみてる。未婚男性の年収600万円程度がターゲット。
3.さらに、若いうちに子供を生んだ夫婦にインセンティブを与えること
あたりなんじゃないんでしょうか。でもそれにはすごくお金がかかるから、女性の意識を変えてなんとかしようってことなんだよね。
でも女性が若いうちに結婚したがっても、男性が結婚したがらなければ意味ないって。これからはゼクシィに代わって女性手帳が、「結婚したがらない彼氏」にプレッシャーをあたえる手段として使用されるようになっていくのでしょうか。
まずは若い男性に時間的、金銭的余裕を与えて、なおかつ結婚、出産によるメリットがある状況を作り出さないと。同時に「嫁、子供を養う」という責任の重さを回避するために、女性の経済的自立を促すべき。
「女性は家庭に!」政策だと将来嫁を養わなければいけないという不安感ばかりが増大して、ますます男性は結婚に尻込みをするんじゃないかな。
夫婦共に安定した仕事について、十分な収入があり、なおかつ時間的な余裕もある、そのうえ、結婚出産によるメリットもある。そういう状況を若い人たちに提供できないかぎり結婚・出産なんて増えないよ。
かさこ氏は「僕の知り合いにはこんな人が多い」という狭い視野で、
専門外に首を突っ込んでは非難を繰り広げるので、毎度イラッとさせられる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kasakoblog.exblog.jp/18220333/
女性はロボットではなく人間なんだから、 出産するには物理的な体力の限界点があるのは当たり前の話だ。 にもかかわらず、なんとなく就職し、 今の仕事がおもしろいわけじゃないけど、 でも何も働かないのはつまらないしと思い、 一応、働いておかないと不安だという、 根拠のない不安にさいなまれ、 気が付けば30歳過ぎになって急にあわて出すわけです。
特に女性同性のあの気色悪い同調プレッシャーや、 妬み、蔑みってすごいから、 30歳ぐらいになって、周囲が結婚したり出産したりすると、 本心で自分がしたいのかはともかく、 「私もそろそろした方がいいのかな」という、 漠然とした思いと焦りだけで決断してしまう。
それで子供が欲しいんだか欲しくないんだか、 はっきりしないまま、 でもいた方がいいよねぐらいの気持ちで産み、 産んでから育児が大変になると文句を言いだす。
わかってねーな、と思う。女性がこれ以上、計画的になったらヤバい。
計画性な女性が増えたからこそ、ギリギリまで働いて、1人しか産まない選択をしている。
経産婦は二人目を妊娠しやすくなる。だから計画性のある人は、事前相談してピルで回避する。
どうしても仕事がしたいなら、 バリバリ仕事して、そのお金で子供を預ければ、 子供も産めるし、仕事もできる。 ただそれだけの話だ。
これできたら悩んでないし困ってないよ(笑)
産めない男がとやかく言うな。
女にあれこれ言う前に、男は男ができることをやれ!
女が考えずにポコポコ産める社会を作れよ。
あぁ、これは女性の年収があがったからにも関わらず、男性にはより上の年収を期待するからです(上昇婚で検索)
女性の年収は上がりつつありますが、男性の年収は下がりつつけています。つまり平均化してきているのですが、
それでも女性は男性に年収を求め続けているためです。 社会的な変化ですね。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111101/289239/?ST=ecology&P=1
男性観点では「女性が結婚生活に求めるレベルが高すぎる」から結婚に踏み切れないのです。 経済的理由です。
『彼女の期待する生活レベルの年収に達するまでは、まだかかる』 実際には付き合ってる間も彼女の年収は上がっていくので、自然と理想も高くなるのですが。
この上昇婚ですが、年収が低い女性は相手に期待する年収も低いです。 そして若くキャリアが短い世代の方が一般的に貧しいです(男女ともにそう)
(高齢独女、高学歴独女のもつ男性への期待年収も下げればいいのにな、と思いますが難しいようです)
若い男性も、若い女性同様、金はありません。 ですので若い女性と結婚するのは必然的に「数歳年上の男性」となります。
(若い男性は数年間、女性の希望にマッチするレベルになるまで努力が必要な期間がでる)
これよく分からなかったんですが、「適齢期女性の『結婚、子どもプレッシャー』に答えない男性」って遊び人って事でしょうか?
そういう男性への配慮というか、そういう男性って結婚して子ども作るかな?と思ったんですが。
仮にそういった遊び人的な人に繁殖してもらうとなると、育児のバランスをガラッと変える必要がありますよね。 男性の育児参加ではなくて、社会が子どもの面倒を見るように切り替える必要がある。
P.S
「若い女性の方が期待する年収が低いっておかしくないか。等価交換って」「年収高い女性(一般的に高齢)の期待年収が高いっておかしいんじゃ」と思われると思います。
ただ男女ともに言える傾向ですが、「自分と近い層をパートナーとして選ぶ傾向」が男女ともにあります(Buston and Emlen 2003)