はてなキーワード: シップとは
インターネットの悪い大人が最強の資格だとか言うからなったけど、アスペぼくにはしんどいだけだったよ…でも2年働いたから自分にしては長く続いた仕事だわ。
学生の頃はこんな疫病が流行るなんて思いもしなかった。感染症センターとか「ここ10年以上まともに動かしてない笑ほこりくさ笑」とか病院の偉い人が笑いながら案内してくれてたのに。まあコロナとか関係なく病棟向いてないから辞める。じゃーな。
同期のオペ看の子は患者とコミュニケーションとりたくねーからオペナースなった✌️って言ってたけど、これが一番正解だったんじゃねーのかなって今更ながら思う。
かしこい人生を選べるのはこういう人間なんだな。自分はむかしから選ばない方がいい選択肢を常に選んできてる気がする。かしこい人生を選べないから看護師になっちゃった。
21とか22で看護師なってERとかオペ室で経験積んでシップナースなるのとかめっちゃ楽しそうだな〜
人生の分岐を、いまは看護師ルートで辿っているわけだけど、どうせ看護師になるなら高卒で看護師になって5〜6年働いてそのあと大学行ったりシップナースになったりする分岐に進みたかったな。看護師にならないルートだったら、何になるのがよかったんだろうな。無職にはどの分岐でもなっている気がするが。
増田氏が貼ったBBCの記事では以下のことにも触れられている。
「教皇フランシスコ1世は昨年10月に上映されたドキュメンタリーの中で、同性カップルにも婚姻関係に準じた権利を認める「シビル・ユニオン」を認めるべきだとの考えを明らかにしていた。」
「また昨年のドキュメンタリーでは、「(同性愛者)は神の子であり、家族の一員になる権利がある。誰も見捨てられたり、惨めな思いをさせられたりしてはならない」と述べた。」
「ローマ教皇庁はこのドキュメンタリーの上映後、教皇の発言は文脈から引き離されて引用されたものであり、同性婚を支持するものではないと説明した。」
とも書かれている。
以上から、教皇自身は同性愛者の存在自体を神の子として認めており、迫害の対象であってはならないと考えている。またローマ教皇庁の公式見解も「同性愛関係には「前向きな要素」がある」と述べることによって、同性愛者の存在を受容する方向を示している。と同時に、あくまで「婚姻」という制度概念において教義的に「祝福できない」と言っているのだ。
増田氏は「キリスト教の同性愛忌避は歴史的に同性愛者への迫害と差別の一番大きい要因だった」と言ってるが、少なくともそのようなことを繰り返してはならないという意志は、公式見解や教皇の過去の発言からははっきりと読み取れる。しかし教義上、子孫を残すための男女間の関係を「婚姻」として神が祝福を与える制度としているため、子孫を残さない同性愛者のパートナー関係を「婚姻」という制度と認めて祝福することができないとしているのである。
もちろんその教義自体が既に差別じゃないか、と言われればそうかもしれないが、そもそも古い価値観で石頭になってるのは、クリスチャンでも宗教的でもない、世俗的価値観で生きてるつもりの、増田氏も含めた現代人もそうなんじゃないだろうか?つまり「婚姻」という制度概念自体に頭を縛られ過ぎなのだ。
「婚姻」という言葉に基づく制度は、「子孫を残すための男女間の関係」に限定したままでも別にかまわない。それとは別に、世俗的法制度では性別に関係なく生活を支え合うパートナシップ関係に法的保護を与えればよいのだ。その点教皇は「シビル・ユニオン」というパートナシップ制度を認めるべきだと言ってるわけで、宗教的教義とのバランスにおいて、実質的な権利のあり方に踏み込んでるのである。
また「子孫を残すため」という点では、あくまで出産・子育て支援制度として、パートナーシップ制度とは別に親権者へ法的保護や優遇措置を与えればよい。実子がいない夫婦も養子縁組で親権者になれるのだから、同性愛カップルが親権者になって孤児を育てることだって可能だろう。ヴァチカンの公式見解も、このような方法を否定するものではない。
病院行って問題ないなら激運動不足なだけだから運動しろ。末期状態なら筋トレよりまず内側のゴリゴリになってる筋肉ほぐす方法を探したほうがいいかもしれん。
家から出たくない→健康器具買うとかストレッチ、YouTube動画とか探せばいくらでも出てくる。
家からちょっと出てもいい→近所のジムとか探せ、あんまり動かんほうがいいならヨガも悪くないけど女が多い、マシン運動も良いが、一番地蔵状態の肩が軽くなったのはプールでクロール習ったときだった。
運動したくない→長期的に見ると運動したほうが遥かにコスパいいが整体探せ。自分でできるストレッチ教えてくれるところもある。
これはスマートフォン世界3位のXiaomiから派生した、機能を絞ってより廉価にしたブランドなんだ!
ブランド第一弾のF1が発売された時は、当時最先端のSnapdragon 845と液冷機構を搭載しながらも300ドル台で買えるという異次元コスパぶりに、日本のガジェットマニア特に貧乏泥ゲーマーの間でも話題となった!
5chにスレが立って覇権だと騒がれアンチやファンの間ではチンポコフォンという愛称で呼ばれた賑わいぶりだったんだ!
現在は競合他社がしのぎを削っている一方でPOCOはフラッグシップ性能を持つFシリーズを更新していない(近年はミドル帯のラインナップ中心となった)為、鳴りを潜めてはいるが、現行の最新機種の中でもPOCO X3 NFCはミッドハイのSnapdragon 732G、120Hzリフレッシュレート、5160mAhのバッテリーを積んで2万円台と超コスパぶりは健在で、マニア評価の高い機種を出しているのだ!とはいえ、日本市場に同レンジのRedmi Note 9Sが上陸してからは、わざわざPOCOを輸入するまでもなくなってしまい影が薄い存在ではあるな!
POCOを始めとしたXiaomi系ブランドはコスパが気になるけどスペックを妥協したくない低所得なギークの味方だ!
ただ一つ言わせてもらおう!
Mi系は上品で質感のいい、Redmi系はちょっと若者よりのデザインになることもあるが質感はいいブランドだが、POCOはF1の時のように筐体のチープなプラの質感を隠しきれない事もある(さながら魔改造された軽自動車だ!)し、X3のようにデザインが垢抜けないこともある(デカい背面文字はダサさしかない!だがPOCOやRealmeの中の人はカッコいいと思っているようだ!)。そのあたりは割り切るしかないぞ!今後の新機種に期待だ!
地球は回っている。
そして太陽のまわりを周っている。
いわゆる自転と公転ってやつだ。
これらが巡り巡って、太陽が地球を照りつける箇所が変わってくる。
それによって気温が上がったり下がったり、明るい時間も増えたり減ったりするんだ。
その変化を俺たちの世界では“四季”だなんて表現するけれど、この言葉を最初に考えた人はきっとロマンチストだろう。
または底抜けのポジティブシンキングだと思う。
だって客観的に考えて、季節が変わったら面倒くさいことの方がずっと多い。
それを良い事のように解釈する人もいるけれど、実際は煩わしいことだらけだ。
夏は海で遊べるけど、それは暑いことの裏返し。
秋の公園は紅葉が綺麗だなんて言うけどさ、むしろ銀杏臭くて最悪だよ。
暑いんだか寒いんだかハッキリしてなくて、優柔不断なところもダサいし。
冬は雪が積もって特有の遊び場になるけど、そのせいで交通は不便になるし、家の雪かきとか手伝わされる。
その時にできた泥と混ざった雪の塊を見て、白銀の世界なんていう奴がいたら俺は笑うね。
だけど俺たちに惑星の動きなんてどうこうできるわけもないし、グチグチ言ってばかりいられないのも確かだ。
だったら多少は前向きに考えるくらいが生きていくには丁度いいんだろう。
でも、変にこじつけるのはどうかと思うけれど。
恋愛漫画を読んでる時のタオナケを見てると、つくづくそう思う。
“恋に恋してる”っていうのは、正にああいう感じなのかもしれない。
「はあ~、今週の『君に読むトワサガ』だけど、ちょーエモーショナルよぉ~」
彼女の植物プラントを維持するためには、恋愛漫画は必要不可欠なんだ。
「マジたっとい、感じ入るわ……」
「それ先週も言ってなかった?」
「言ったかもしれないけど、それは今週言わない理由にはならないの!」
これも、いつも通りだ。
だって俺たちには、こういう恋愛モノの良さがイマイチ分からない。
惚れた腫れたで口ケンカするのが、切った張ったのケンカよりエキサイティングとは思えない。
「はあ……この良さが分からないなんて、あんた達はガキね。少しはシップー君を見習ったらどう?」
“シップー君”っていうのは、タオナケが読んでる漫画の主要人物だ。
常に主人公を気にかけて理解と共感の言葉を投げかけ、爽やかなスマイルを無料で提供してくれる。
そんな実在の人物や団体とは関係のないものを持て囃し、挙句に見習えと要求するのは俺たちよりガキっぽくないか。
それに、もし言われたとおりシップー君の真似をしても、それはそれで「あんたらキモいわ」って言ってくるだろう。
だから俺たちはこういう時に、タオナケの粗熱がとれるまで放置するしかないんだ。
健康保険適用して3割負担にすることでなんか問題って起きる??
タバコ依存の治療が健康保険適用なのに??おじいちゃん、おばあちゃんが腰が痛いとか、肩が痛いとかで、形成外科でマッサージしてもらったり、シップ貰いに行ったりするのが健康保険でしかも一割負担??
まず、そこから変えてよ!!
妊婦健診で自己負担毎回5000円以上、出産も普通の病院で自己負担20万!!
しんどすぎるよ!
じゃあ病気の定義ってなに!妊婦体調悪いよ!!吐くし、腰痛いし、息苦しいし、しかも産むときめっちゃいたいよ!
死ね!!
妊婦健診助成券、出産一時金使って、その上で自己負担がこれだけ出るという話です。出産費用は4年前、都内、ごくごく普通の個人病院、大部屋でトータル65万でした。
妊婦健診、都内は一回、自己負担分だけで五千円、高い時は平気で1万するよ。妊婦健診は妊娠7ヶ月あたりからは2週間毎、妊娠後期は1週間毎と超高頻度。
健康保険適用して三割負担にした上で、三割の自己負担については今まで通り自治体(妊婦健診助成券)と健保(一時金)で負担して、個人の負担はゼロにして欲しい。
地方と首都圏の格差が激しすぎて都内の貧乏人は死にます。(健康保険適用された場合、診察代は予め点数でかっちりと決められているので、地域差は発生しません。)
ケンタッキーの魅力を語るならば
どうしても言いたいことがある。
あの秘伝のスパイスの風味は他ではマネ出来ない味わいだと思う。
揚げ物なのにとにかくぬるい。
これは声を大にして言いたい。
なぜケンタッキーは揚げたて熱々を食べられるシステムを構築しないのだ?
もしくは特別なフラッグシップ店を作り、そこ限定メニューでも良い。
話は変わるが
生の具材がショーケースに並んでいて、
好きなものを好きな味付けで注文すると、
番号札を渡され、出来るまで数分から数十分程度待つ。
その熱々の揚げたてチキン(やその他様々なお好みの具材)の美味さときたらたまらないのです。
しっとりぬるくてふにゃふにゃのケンタッキーを食べる度に思うのは
これより20倍は美味しいのに…
私は待ちます。
これ、絶対いいと思うんですが
だめ?
多少バンドがフル対応じゃなくてFeliCaもNFCも無しでもいいなら、Redmi Note 9Sが個人的にはおすすめ。
デカくて重いがまあ最近のスマホはみんなそうだ。その分バッテリーがやたら持つから良い。
数年前のフラッグシップ級のスペックで2万円台、MVNOの加入セットなら数千円で入手できるんだからお試し感覚でもお釣りが来る。
XiaomiのスマホはUIがAppleに近いので初めてのAndroidでもそう戸惑わないだろう。
ガジェットオタクなら今狙ってるのはRedmi K30 UltraかMi 10 Ultraだろう。
ただ中国版しかないので英語で使うかmorelocaleで無理やり日本語化するかして、Googleアプリを外部から導入しなきゃいけない。
けれどこの2機種は間違いなくゲームチェンジャーとなる性能と価格だ。
ZTEが画面下カメラを搭載した機種を数日後に発表する予定で、これが発売されれば最先端の一端になるかもしれない。
だがZTEやHuaweiは中国共産党と結びつきが強く対米情勢が読めないので購入はオススメしがたい。
もしFeliCa対応でないと困る、という場合はOppo一択だろう。
ただコスパではXiaomiに敵わず、比較すると低い性能のものが高く売られている感は否めない。
最新のReno3 Aも前機種からプロセッサのスペックがダウンしているという微妙ぶりなので今が買い時とは言いづらい。
中国以外で存在感のあるメーカーはASUSくらいだろうが、ASUSはもはやブランドプレミア価格のメーカーなのでファンでない限り選択肢に入らないと思う。
なぜ日本のメーカーがダメなのかが分からないのであれば、選択肢に入れても良いとは思うが、ガジェットオタクは基本的に日本の製品には目もくれない。
なんか最近VTuberがスパチャで金稼いでることにかこつけて、色々物申したがる増田が多いようなんだが
そのご意見がそもそもVTuberをちょっとでも知っていると、どうもズレている事実誤認も甚だしいと思うものばかりで
その間違いにも気づかずに、これまたVTuberを知らないであろう人たちが真に受けてああだこうだ言ってるようで
流石にちょっとVTuberとそのリスナーをバカにして楽しんでいるようで見るに堪えない
で、まだまだVTuberを見るようになって日が浅しいし、分からないことも多いながらも一リスナーとして、ご意見申し上げたいと思った所存です。
それで本題なんですが、言ってしまえばスパチャっていうのはVTuberとリスナーという一対不特定多数の間で行われる、うまいこと言うゲームみたいなのものです。
そもそもスパチャっていうのはライブ配信のコメントに色を付けて目立たせることだ。(そのこともよく分かってない人がいるのはどうしたものかね…)
大前提としてスパチャに限らずに、配信の流れに乗せてうまいことコメントして楽しむっていう下地があるのを理解して欲しい。
リスナーは配信の流れに乗せて、コメントをする。うまいこと言えば拾われる。その拾われる確率を上げるのがスパチャ
配信の始まりに「待ってました!頑張ってね!」とスパチャ、配信の途中で離脱する時に「途中で離脱するけど、これからも頑張ってね!」とスパチャ、ぐらいのもので
後は個々の配信によって変わる。大喜利大会みたいなものが始まったり、なんとなくそういう流れになるとスパチャラッシュがあったりもする。でもそういうことは切り抜きの対象になるような珍しいケースだ。
その一方で配信の流れと関係ないスパチャや、無言のスパチャに関しては不審がられる。無視されたりもする。
つまりだ、スパチャっていうのはあれで結構、場を乱さないように空気を読んだり、面白いこと言うために頭を捻ったり、なかなか高度なコミュニケーションが求められるわけだ。
単純に推しに金を貢ぎたいってだけなら、グッズを買うなりメンバーシップに入るなり他にも方法がある事が多い。
その中で、わざわざスパチャに金をかけるのは、リスナーの一人としてみんなと一緒に配信を楽しんで、その中でうまいこと言ったり、推しに感謝の言葉を伝えたい。という願いがあるからこそだ。
VTuberとリスナーが共に面白い、良い配信を作りたいと願いがあって、その手段の一つとしてスパチャっていうのがあると思うんですよ。
それをソシャゲのガチャや、キャバクラやホストに入れあげたり、AKB商法だの、一方通行で、ただ金をかければいいってだけの娯楽と並べて語れると、なんだかおかしいなと思うわけです。
まぁ、それでも一瞬で消えるようなコメントに金をかけるのもどうかと思う意見もあるかと思いますがね。
『松尾匡「安倍政権下でなぜ日本は「縁故資本主義」になったのか、その本質的理由」 | 現代ビジネス』
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73769
この記事でも取り上げられている竹中平蔵氏が会長のパソナグループとも関係が深いとされている
サービスデザイン推進協議会については、縁故資本主義の実例と言っていいでしょう。
この記事で取り上げるべき出来事は他にもありますが、その一つは「未来投資会議令和2年1月会議抹消事件」でしょう。
以下の記事で興味深いのは竹中平蔵氏自らが内部資料の開示を積極的に求めながら、取材の返答として「内閣総理大臣(中略)が(民間議員に)指名した」としている点でしょう。
竹中氏自らの責任よりも安倍首相の縁故・責任を強調しているように見えます。
個人的にはなぜ東進ハイスクールがなぜこのような人物によるグローバルリーダーシップ講座を開講しているのか理解ができません。
「竹中平蔵氏 安倍首相の諮問会議で非公表の内部資料を国交省に開示させていた〈週刊朝日〉|AERA dot.」
https://dot.asahi.com/wa/2020042700094.html
http://www.wasedajuku.com/curriculum/jukuiku/sekaijuku/
この事件の異常性は首相官邸のサイトで令和元年12月の会議が第34回,令和2年2月が第35回とされており、
令和2年1月会議が議事録どころか存在を抹消されていることからも分かります。
議事録公表のルールについて以下サイトの「運営要領」より抜粋します。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/
(議事録)
第8条 議長又は経済再生担当大臣は、当該会議の議事録を作成し、会議に諮った上で、一定期間を経過した後にこれを公表する。
2 前項にかかわらず、議事録の公表が、我が国の利益に重大な支障を及ぼす恐れがある場合は、議長が会議の決定を経て非公表とすることができる。
もし1月会議の議事録の公表に際し「我が国の利益に重大な支障を及ぼす恐れ」があるのなら、竹中平蔵氏へどのような情報が開示されたのかが問題になるでしょう。
同サイトでの「設置根拠」では議員の構成員を内閣総理大臣が指名する者としています。これ程の大きな問題では、数多く行われている官邸の政策会議全体の信頼性が揺らぎますし、
竹中平蔵氏を指名している安倍首相の任命責任問題にもなるでしょう。
今も未来投資会議は続けられており、最新の6月会議でも竹中平蔵氏の名前が「出席者」欄に見ることができます。
この事件については竹中平蔵氏自身が未来投資会議1 月会議抹消に関する報道を一切取り上げていない点も気になります。(※注)
一方で、竹中平蔵氏が会長であるパソナグループのサイトではインサイダー取引の違法性が強調されています。
https://www.pasona.co.jp/members/regulation/notice07.html
もちろん、パソナグループ会長の竹中平蔵氏がインサイダー取引を犯すわけがないでしょう。しっかりとリーダーシップを示して説明責任を果たすことでしょう。
首の片側を怪我したりする。
「うーん、ひどいなぁ」とアザとかの確認で
鏡を使って表現したりするんだけど
何故か怪我した側じゃないほうにシップ貼ったりしてるんだよね。
何故か、反転させんの。
なんでわざわざ反転させるんだろう?
怪我してのは右側の首および右肩なのに
鏡でみたら左肩を怪我したりしてる。
しっかり編集さんはみてるのだろうか?
現在、ジョージ・フロイド氏の死をきっかけにアメリカだけではなく、世界レベルの人種差別撤廃運動が盛んだ。
ただ、この活動は結局何も意味を成さないように思う。正確には何かしらの影響は出る。コロナによる閉塞感や不況に苦しむアメリカ国民のガス抜きになったり、マスター/スレーブや白黒という既に定着した用語がコンテキストを無視して言葉狩りされたり、あるいはトランプが失脚して後のアメリカの動きが大きく変わるかもしれない。
それだけだ。アメリカでの人種差別の本質は何も解決しない。あれはアメリカの社会構造/経済構造に深く根ざしている。100年かけて作られた社会構造を変えるには100年かかるのかもしれない。少なくとも表面的な言葉狩りで悦に入ってるだけでは何も変わらないだろう。
まず、アメリカにおいて「黒人あるいはヒスパニッシュを恐れ疑うのは正しい」というどうしようもない事実がある。
言うまでもないが個人を取り出したときに善良な人は山ほどいる。私の知人にも黒人は居るが彼らをことさら警戒することは当然無い。
ならばなぜ警戒することが正しいのか? それは彼らが貧困層としてスラムに多く居るからだ。スラムには黒人やヒスパニッシュが多く居るの方が正確かもしれない。性善説にしろ性悪説にしろ衣食足りて礼節を知るので、貧民街の治安は一般的に悪い。それは教育不足によるモラルの崩壊や全うな職にありつけないため犯罪に手を出さないと生きていけないという事に起因する。かつての日本の同和差別なんかもそうなのだが「ガラの悪い地域の人間と付き合うな」というのは小市民的な処世術としては致し方ないと言わざる得ない。お金があれば犯罪をしないかと言われれば当然そんなことはないが「今日のご飯のために」盗みはリスクが高すぎるのでしないという話だ。
適切な教育を受けねば経済的に自立できず、経済的な自立ができなければ犯罪に走らざる得ず、その状態では適切な教育を与えられない。そして「中には善良な人もたくさん居る」というのは事実と知りながらも貧困層と向き合うときには警戒せざる得ない。10人に1人の犯罪に走ろうとする人間が目の前の知らない誰かとは分からないからだ。
日本から見るとアメリカは教育先進国として紹介されることもある。それは一面で事実だ。多様性を重視しリーダシップ型の人間を育てるのに適した学校も多い。
義務教育期間の授業料が無料という話を聞いたこともあるだろう。そんなアメリカで経済的な理由で教育が受けれないというのは何故だろうか。なんのことはない、アメリカの教育費はメチャクチャ高額なのだ。
アメリカに住めばわかるがアメリカの教育費は基本的に高い。何故なら学区という考え方があるからだ。
日本では文部省主導による教育指導要領によってどの小中学校も基本的には同じことを教える。同じことを教えるから原則的には設備も似たようなものだ。教室があり体育館がありプールがある。調理実習のための家庭科室や実験のための理科室、音楽室なんかもふつうはあるだろう。最近ならコンピューター室とかもあるかもしれない。そんなのは当たり前で多少の地域性や教員のスキルの優劣はあっても、日本ではどの学校に行っても誰に教わってもだいたい同じことが学べる。だが、アメリカではそんなことはない。
アメリカの学校は学区ごとに完全に独立している。これは設備の有無はもちろん、教える内容も全然違う。進化論の代わりに創造論教える学校も普通にある。何故このような独立性があるかといえば、学校の費用は学区の税金から賄われている。つまり学校の周りの地価/家賃によって学校の予算が変わる。そして、予算のある学校は良い施設と教員を揃え先程あげたような先進的な教育をしてくれる。では、そうでない学校は? 不足した設備とやる気のない教員により十分な教育を受けることができない。
しかもアメリカは日本なんて比べ物にならないほどの学歴社会だ。なので、親は子供に良い教育を受けさせようと良い学区、すなわち家賃の高いところに住む。子供のために良い学区に住むなどもザラだ。そうして比較的裕福な層が住むことで治安も安定する。市の予算があるので街も綺麗で便利になる。すると子供を持ってない層でも住みたがる。アメリカで治安はマジで大事だ。そうすると家賃はどんどん上がり、貧困層は住めなくなり下手をすると元々居た土地から追い出される。
この学区というやつは相当細かくて、道路挟んで一つで世界レベルの金持ちが住む超優良学区と経済的に弱く残念な学区が同じ地域にあったりする。パロアルトとか。
サンフランシスコ等のシリコンバレー界隈で時々問題になる不動産の高騰問題がこれだ。ただ、これはアメリカ全土で程度はさておき起こっている事だ。家賃と教育や治安といった部分が強く結びついているため、経済的弱者が這い上がる事が難しく裕福層との差分は時と共に拡大していく。
無論、アメリカは自由の国だ。アメリカンドリームの国でもある。当然、貧困層への教育も考えており特に成績上位者を特別に上級な学校に通えるようにする仕組み等も整っている。「機会の平等を!」これに関してアメリカは取り組んでいる。
しかしながらそれは上澄みを救う対応だ。伸ばすべき人をもっと伸ばす。これはとても理にかなったことだが、固定化された格差の解決にはならない。必要なのは底上げだ。
これには奇しくも日本型の「結果平等」の考え方の方が向いている。日本の教育は決して万能では無いが、格差を固定させない----すなわち富の再分配としては良く機能している。
さて、話を戻そう。
先程から経済格差の固定の問題について話してきた。では何故それがアメリカでの人種差別の問題に繋がるのか?
このような社会構造が出来たとき、100年200年前の経済的弱者は誰だっただろうか? そう、奴隷解放されたばかりの黒人たちや中南米からやってきたヒスパニック達だだ。
ここから経済格差が固定され拡大された。今以上に白人至上主義な世相も大きく影響しただろう。
ヨーロッパの時代かユダヤ人差別を筆頭とした差別はあるし、それはどの地域、どの時代でも残念ながら変わらない。日本だって同和問題とか在日問題とか色々ある。
ただ、今のアメリカでそれはより深刻だ。単なる風説とか好悪だけではなく、必要悪として「貧困地域の人間を恐れる」という事と一体化してしまっている。元々差別にあっていた人種そのものが地域で固定されかつ教育/経済の両方に負のスパイラルが入り用意に抜け出せないという最悪の状態だ。この状態では単に黒人を恐れるなと言っても仕方がない。なぜなら犯罪を犯すものも事実として多いのだ。もっと良い職をというのも難しい。それは適切な教育を受けてないからだ。そして、それは偏見をどんどん加速させていく。事実と虚実がおり混ざって差別の根はどんどん深くなる。誤解と偏見を無くせば良い生易しい話ではない。
これは政治が全うに富の再分配をして、地域経済によらない教育/地域経済によらない治安というものを打ち立てるしかない。もちろん、偏見をなくすための活動はとても大事だが同時に事実としての固定化された経済と教育の格差を解決しないと根本治療とならない。
ただ、今までのアメリカはそういう国ではないし、これからなるにはかなり長い道のりの気がする。事実、このデモのさなかでそういったことはさほど話題にはなっていない。もっと初等教育を平等にすることに力を入れる方が大事なのに。誰だって今持ってる利権を手放したくないのだが、そこから目を逸しては今回の人種差別問題もさしたる成果は得られないのだろうな。。。。