はてなキーワード: いじられキャラとは
手紙を書いても届かないだろうし、別に本人に届いて欲しくもないのですが、なんていうか、すごくモヤモヤしているので、匿名でこっそり書かせてください。
その方が事務所を辞めて、もうすぐ1年の月日が経とうとしています。
ついこの間、プライベートの写真が流出して、少し話題になりました。大したRT数ではなかったし、それに対する反応を検索してみましたが、その方を現在も好きな方たちはとくにその話題にも触れてはいませんでした。ホッとして、良かったような、悪かったような。
おおやけの場というか色々な人に見られるような場所ではなかったのは幸いかもしれませんが、とてもじゃないけど肯定できるような行為ではありません。
私は警察でも弁護士でもなんでもないし、写真上の情報をすべてに話をしているので、その写真において実際の罪の有無を判断できるわけではないです。
しかし、成人している大人がするような行為ではないなぁとがっかりしました。
私は、その方のプロ意識というか、ステージに立つ姿が好きでした。ステージ上で踊っているとき、誰よりもかっこいいと思っていたし、誰よりも輝いていると思っていました。
事務所のタレントの中では容姿端麗なイケメンキャラというわけではなく、3枚目というか、いじられキャラや面白キャラとして活動していたこともあり、時々自信がないのかな?と思うこともありました。
そんな中、同じ事務所のタレントとグループを組むことになり、活動していくうちに、以前よりも自信を持ったパフォーマンスをしてくれるようになったと思うようになりました。
今回の写真については、辞める前の時期で、その事務所のタレントとしての活動期間中だったとのことですが、彼が「面白さ」を求められるがままにモラルのない行為をみんなに「面白がってもらえるため」に自主的に行なっていたという事実に打ちのめされました。
その行為をするように指示されたということであれば、また別の問題かとも思います。しかし、写真を撮られたということは今も誰かのスマートフォンやタブレット類などに原画データが残っているかもしれないし、写真を撮影された時点で消去するように伝えるべきだったかもしれない。撮影する行為に気付かなかったにしろ、タレントとしての脇が甘いと思いました。
今後、彼の名前を検索した人はあの画像を見てしまうかもしれない。彼のことを好きなファンは「あの写真の人のファン」と定義づけられてしまうかもしれない。私だってそうです。「あの写真の人の元ファン」です。一生インターネットには写真は出回り続けるし、一生消えません。
正直、本当に情けないです。
世の中のゴシップ写真などに比べたら、こんな写真かわいいものかもしれないけど、私はこういう形の「面白さ」は求めていなかった。お笑い芸人がネタとして披露するのであれば、まだ理解できますが、君はお笑い芸人じゃない。たくさんのファンの期待を背負ったタレントです。
君がこれから先の人生において、この写真のことを後悔したってもう遅い、どんなに反省したって消えない。同じタレントの現ファンの方からは、私が考えすぎだよって思うかもしれない。
この先、モラルのない人間だとこれから君が思われることがあるかもしれない「きっかけ」ができてしまったことが辛い。
この行為について、庇ってもあげられない。自業自得だけで済めば、良かったかもしれないけど、君はファンや今までお世話になったたくさんの人の期待を今だって背負ってるってことを忘れないでほしいし、その期待がずっと続くなんて思わないでほしい。
君のことをずっと応援していきたいって思っていたけど、今は辛い。ごめんなさい。すごく好きだったよ。静かに去っていく方もいらっしゃるだろうに、このようなファンでごめんなさい。
今までたくさんの力をくださり、ありがとうございました。本当に感謝しています。
君のおかげで、今があります。
県立米菓高校に通うチーズおかきは制球力を武器に最速128kmのストレートと多彩な変化球で抑える左の変則サイドだろうな。チーズなのにボールにノビがなく、選手として伸び悩んでいた高2の秋からサイドスローに挑戦したら、見事にハマり高3の夏大はあれよあれよと勝ち進む。
ベスト16に勝ち進んだくらいから世間からも注目を浴び始めて地方のテレビ局から取材も来ちゃってさ。女子アナの前でエースのチーズおかきは私立校には負けたくないんですって照れながら答える。同じクラスで仲の良い1番ショートひねり揚げは普段のチーズおかきをいじられキャラですけど練習に入るとマジメで〜と流暢に質問に答え、キャプテンで6番キャッチャーの海苔せんべいは緊張してかみながら絶対甲子園いくぞー!なんて言っちゃうわけよ。
そして迎えた県大会準々決勝。
相手は強豪私立コイケヤ学園。2年連続の甲子園を目指すコイケヤ学園のエース、ポテトチップスは最速154キロでノビのあるストレートと鋭く落ちるフォークが武器のプロ注目本格派右腕。4番ファーストには今大会4ホーマーのドンタコス。
試合当日の朝5時に目が覚めるチーズおかき。前日の夜には珍しく両親に試合見に来るように伝えた。
しかし、蓋を開けてみたら1-9の惨敗。7回までに0-6でエースポテトチップスは降板。2年生速球派右腕のスコーンからワイルドピッチで1点を奪ったものの、打線が続かずゲームセット。
最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。
昨日何度目かの視聴をした。
かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。
なんというか、人間の記憶は主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。
ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体もあやふやになる。
少しぼかして書いていることもある。
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クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。
何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。
喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我もしょっちゅうしていた。
私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。
そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。
男の子、女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲームが好きな人、ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。
カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。
小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。
5年生のクラスのメンバーには1年生の時からの友達も3年生からの友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。
登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。
いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)
私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか、消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。
初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。
とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動そのものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。
当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずでわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。
また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプの女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。
クラス替えをして、全然知らない、普段静かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。
多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人の対応をできるわけがない。
もしかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。
幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。
後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくまで個人間の諍いであった。
私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。
給食の時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食室から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分で牛乳を配膳した。
大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。
当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。
1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。
周囲が異変に気付き始める。
「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初のきっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているからこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名を命名した。キャッチーなあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。
しばらくしてクラスの人間が真似をし始めた。地獄の始まりである。
子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪の判断がつかないまま真似をする。
「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。
「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。
当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティは破滅に向かう。場面場面でお調子者キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団でいじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。
「〇〇菌」
誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめの様相と化した。
ランダムにペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子も露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。
愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。
今日の今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者に一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。
しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやかな小学校時代をぶち壊した。
わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキルで相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。
私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。
これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気はムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。
6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。
高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。
他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪な問題が顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラスが学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である。自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。
Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンでご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。
ある時、昼休みだったか「総合」の時間割だったかの時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。
私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。
私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。
まずは「このクラスにいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。
なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。
全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。
「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。
いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。
「手から離れた問題が雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。
私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやすい戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。
誰かに「無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。
「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいつはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。
「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。
醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生のカーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。
本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやかな生活を台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足も修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。
学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラスの黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにかけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。
その後、地元の公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。
自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。
私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。
大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりにおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。
私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。
それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名や過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。
中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。
それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。
私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。
入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力や金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。
どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間は勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。
兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分に資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。
私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校の出身者は次々とA小学校の出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。
A小学校の時に明るかった人間やクラスのカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。
私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめの被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分の黒歴史を見るようだった。
小学校時代を猿山の大将として過ごし、学級裁判でだんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。
高校に入ってからはしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。
自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。
大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。
アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。
過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。
私は27歳になった。
人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。
職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。
でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。
これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)
二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間は自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔にしかならないからだ。
いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。
私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまりに勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。
Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか。大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊だけが目的の人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。
でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。
精神が成熟していないコミュ二ティは悲劇だ。教員のせいにすることもできない。
とんでもないくだらない理由でいじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。
イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。
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今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41
興味深い話だけど、その話をほかの人とどのくらい共有しただろうか? 他の人が見ていた「景色」について考えてみたら、物事はもう少し違って見えることはないだろうか。いや、いずれにせよ増田は絶望するかもしれないけど。以下の説明は、増田にはあくまで一つの可能性として読んで欲しい。
つまりだ。増田が「分かっていた」寺沢似の性格なんて最初からみんな「分かっていた」。高校デビューに「酔って」いたのは実は寺沢だけで、ほとんどの人は「酔ったふり」で寺沢のテンションに「合わせたふり」をしていた。ある人は悪意で、ある人は「優しさ」から、そして残りの人は「乗り」で「合わせてあげて」いた。そこでは増田にも寺沢に「合わせてあげて」いじられキャラを演じることが求められていた。そういう場は、寺沢が「どこかで道化であることに気付いて、『ほどほどの暴君』でおさめることを学ぶこと」を期待して、阿吽の呼吸で形成されるものなんだ。それは同時に「この厄介者を受け入れることは可能か」を試す、集団のテストでもある。
だが、まず増田と数人がその「乗り」を離脱した。それは仕方ない。こんな高度なコミュニケーションは「変態陰キャオタク」にはちょっと荷が重い。そして、次に脱落したのが、期待された成長を遂げられずに調子に乗り続けてしまった寺沢だった、というわけだ。寺沢は、集団によるその暗黙の試験をパスできなかったのだ。
だから、それはクラスのみんなが「手のひら返しに変わった」という話ではない。人間は、というか大多数の人間は、そんな簡単に「意図した邪悪」を行えるほど有能じゃない。今から聞いてみてもいいが、おそらくそのクラスメイトたちは、それぞれ主観的には「一貫した行動を行っていたつもり」であり、何なら、「かわいそうな寺沢に、数か月付き合ってあげた私たち」は「優しくていいことをした」人間だと自己認識しているだろう。その結果変われなかったのは寺沢の「自己責任」であり、あるいは演技に付き合ってあげなかった、空気の読めない少数のせいだ、そのせいで寺沢くんは居場所なくなっちゃったよねー、なんていうふうに記憶してるだろうな。その全体は、あるいは自覚している場合よりもずっと「吐き気を催すほど邪悪」かもしれないが。
繰り返すけど、人間と言うのは、単体でそれぞれ邪悪だったりすることは少ない。特に子供のうちはな。だが集団になると話は別だ。増田は、何も他人に絶望することはない。個々の人は、寺沢がそうだったように「いいやつ」だったりするのだ。だが、集団になると人間は、たやすく「吐き気を催す邪悪」になれる。それを覚えておくべきだ。そして、増田のような感覚を持った人間が、暴走しがちな「集団」の手綱を握ることで、この社会は少しだけましになる。そのためにも、安易な「人間不信」なんかに逃げ込まないでほしいのだ。
なるほど人間集団は簡単に邪悪になる。それは否定しない。だがそれで人間を否定したら、その先にはもう何も残らないと思うのだ。
どもども(・∀・)ノシ
今日は増田が専業主夫になった経緯をぽまえらにきいてもらおうと思うお(^ω^ ≡ ^ω^)
増田はそう裕福ではないものの、教育費を惜しまない家庭に生まれたんだお!増田はわりかし学校の勉強が得意だったから、中学受験も大学受験も第一志望に合格したで!進学したら周りが賢くて、自分なんか全然・・・みたいな話をたまに聞くけど、幸か不幸か増田は進学先でもデキる方やったんや。女の子にもそこそこモテたし、就活も無双やったんで(※無理なところは狙わなかったのもデカイ!)、人生楽勝ワロリンコ〜!!!と・・・思ってた・・・んやけど・・・・・・・
就職後、わいの配属先はざっくり言うとバックオフィス系やったんや。人生で初めて(社内とはいえ)望んだところに行けなかったわいは、人生初の挫折を味わった、と、当時は思ったもんだお(^ω^)わいの行きたかった部署に配属された同期はひぃひぃ言いながら連日残業三昧で、「俺なら絶対もっとやれる」と根拠なく思っていた・・・んだお・・・・・・・・・・
2年後、増田は自分から希望を出して、花形の部署に異動したんだお!それが地獄のはじまりだったお〜〜〜!!
端的に言うと、増田は仕事ができなかった!!その仕事では、計画を立てることや計画通りの進行はもちろんのこと、なにより臨機応変な行動が求められたんや。その柔軟さとか空気を読んだ駆け引きとかが、わいには難しかったんや・・・。
上司との相性も悪かった。上司は昔ながらの「根性があれば何でもできる!」「やる気!元気!いわき!」ってタイプで、面倒見がいい代わりにパワハラポケモンだったんだお。出来る部下、可愛い後輩のミスは全力でフォローする一方、一度ダメなやつ認定した部下の扱いはゴミ以下で、もちろん増田はゴミ側やった。
同期たちとも仲良くやってるつもりやったが、デキる面してた増田がからっきし使えないとわかって、同期の中の扱いも変わってきたんや。簡単に言えばいじられキャラになった。今思えば、いじってくれるだけマシだったしそれも気遣いだったのかもしれんが、わいには耐えられんかった・・・。その場では笑って過ごせても、家に帰ると涙が止まらんかった。こうして少しずつ、わいの心は壊れていったんや・・・。
休職を余儀なくされたわいには、復帰できる保証もなかった。当時の彼女は「支えられる自信がない」とすたこら逃げて、1年後には弁護士の奥さんになってたお。
1年後に復職したものの、すぐにまた休職するはめに・・・部署も変えてもらったんだけど・・・あからさまな窓際で、「もう自分の人生は終ったんだなぁ」と、生産性のないクリックとスクロールを繰り返すのが、情けなくて情けなくて・・・1番死にたかった時期だお・・・。
そんな時、同期の女子に飲みに行こうと誘われたんや。この同期は武士のような女で、忠義!礼儀!剛毅!みたいな・・・。とにかく自分に自信があってひるまないタイプというか、上司からのパワハラも「出るとこでんぞゴラァ」ができるし、それでいて基本は忠実・「お世辞は言わぬが上司を立てる」をやるもんだから、不思議と可愛がられているというわけのわからない女であった。増田の苦手な臨機応変が得意で、ちょっとガサツなところもあるけどとにかくデキる女やった・・・。
実は増田、この同期には一度告白されているんや。まだバックオフィスにいた頃で(女武士は最初から花形配属やった)、入社1年経ってなかったと思う。同期数人との飲み会帰りに、普通に「好きだから付き合わない?」って言われた。いやマジでびびったし、彼女がいたし、タイプじゃなかったから断った。武士は「そう」とだけ言って、その後は普通に会話して帰った。その後も態度は変わることなく、部署が一緒になってからもメチャメチャ助けてくれたんや。パワハラポケモンに理不尽精神論(まあでも一理あるっちゃある)で詰められて、軽いいじめみたいのにあった時、表立ってかばってくれたのはこの女武士だけだった。当時は「女子に守られて・・・鬱だ氏のう・・・」という思いもなくもなかったが、それをきっかけに味方が増えたし、それきっかけで「パワハラポケモンは上司であって神ではない」ってのが増田を含めて部署のみんなにも伝わったのではなかろうか。神に嫌われたら死ぬしかないが、上司に嫌われるなら道はいろいろあるのである。結局休職したんだけどね(^ω^)(ドッ)
二度目の休職はさすがにセカイノオワリ感がすごくて、出世はおろか会社にも長くはいられないとは思ってて、転職も・・・くだらないと思うかもしれんが、自分のプライドを満たすような転職先にはもうありつけない。増田を「デキるお兄ちゃん」として誇りに思ってくれてる実家に帰って腫れ物に触る扱いをされるくらいなら死にたい。金銭的な問題もあるが、今思えば当時の増田を殺しかけていたのは、他でもない自分のプライドやったんや。
会社の同期たちとは疎遠になっとった。みんなデキる子で、それぞれ活躍していたし品の良い奴らが品よく向ける「無理すんなよ」が一番プライド(←またこれ)にクるからだお。でも女武士との交流は続いていた。なぜならす女武士は規格外すぎて既に自分と比べる対象ですらなくなっていたし、女武士は憐れむ素振りを全く見せなかったからだお。気は使ってくれてたと思うが。
久しぶりの飲みの席で、女武士は転職すると話してくれた。外資のでかいとこ。海外転勤あり。素直に寂しくなるなと思った。女武士は、その頃の増田が唯一かっこつけずに話せる友人だったので・・・。
そこで「ついてくるか」と聞かれた。あっけにとられたが、「結婚して専業主夫やらないか。少なくとも金銭面での苦労はかけない」という話だった。かっこよすぎね????流石に即「抱いて・・・」とはならんし戸惑ったが、女武士に会えなくなるのは嫌だった。これが恋愛感情かはわからなかったし、まぁたぶん違うんだけど、なぜか自然に「それもありやな」と思った。
その後のことは、結論から言うと増田と女武士は半年たたずに結婚した。親は死ぬほど驚いていたし、父親は一時キレていたけどまあそれは・・・仕方ないね・・・。増田は専業主夫を数年、そこから自宅でちょっとした仕事を始めた。でも基軸は子育てと家事。専業主婦の女性が抱く不満を増田も抱き、片働きの夫が言うようなセリフをたまに女武士が吐くが、わりかし仲良くやっている。
プライドの高い増田が、どうして専業主夫の道を選べたか。それは自分でもちょっとわからない。「激務の妻を支える」という大義名分のある、単なる逃げ道だったのかもしれない。専業主夫は思ったよりも大変で(特に子供が産まれてからは)増田がヒス起こしたりもしたけれど、臨機応変な対応が身についたようにも思う。外で働くのとは違うプレッシャーがあるが、増田はこちらの方が向いていたっぽい。
妻に対する感情は、今でもよくわからない。付き合っても結婚しても、いわゆるときめき?みたいなものはほとんどなかったが、安心感がぱない。妻と一緒に住み始めたら不眠が治った。かたじけない、かたじけない・・・。増田に対しては基本的にはよきにはからえスタイルだが、たまに「いざ出陣!!!!」って場面があって振り回されるけど、妻のことはすごく信頼している。恋愛をすっとばして家族になったって感じだろうか・・・
終わり方がわからなくなってきた。とりあえず、来週は妻の誕生日なので、レモンケーキを焼くつもりだお(^ω^)(^ω^)(^ω^)!
まず初めに書いておくと、私のラボはブラックラボではありません。
先生方にもラボのメンバーにも恵まれて本当に良い研究生活を送っています。
自分は所謂いじられキャラポジションに収まることが多く、始めは嫌な思いをしていたこともありましたが、自分の気持ちよりも「何か振られた時にどう振る舞えば相手が喜ぶか」ということを優先して行動するようになっていました。
その理由としては本気で嫌がっていても相手はそう受け取ってはくれないし、例え相手に伝わったとしてもノリの悪い奴だというレッテルを貼られて人間関係が拗れる方が余程面倒くさいと思ったからです(今思うとこれが一番の原因だったと反省しています)
大抵のことは受け流せるようになりましたが、ただ一つどうしても生理的に受け入れられない弄り方があります。
「あいつらデキてない?」
「あいつ、お前のこと好きかもよ?」
といったように、第三者が勝手に友人以上の関係であることを妄想しそれを当人に押し付ける言動です。
「え、そんなことで?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
また、それを良いきっかけに実際にお付き合いまで至った方々も(もしかすると)いらっしゃると思います。
私はそのような方々の考え方を否定するつもりは一切無いですし、そのように考えられることをむしろ羨ましく思います。
ただ、私はどうしてもそれを言われた瞬間からその人のことを友人だと一切思えなくなってしまいます。
むしろ
「周りにそう思われないように相手と関わることや無駄なことを喋るのを控えよう」
なぜ自分もここまで拒否してしまうのか分かりませんが、「自分が全く対象としていない相手との関係を勝手に想像させられること」や「彼らがくっつけば面白い」という個人の感情を無視した身勝手な行動にしか思えないのです。
現在私はその人と同じ授業を取っており、顔を合わせる機会が多いのですが、顔を見るだけで吐き気や動機が止まらなくなるため、相手に申し訳ないと思いながら存在を認識しないよう努めています。
また、メッセージアプリ等でも相手から接触されるだけでも上記の症状が起こるため誰にも言えませんがブロックをしています。
今までの人生20数年間、自分は相手を不快にさせないように、むしろ自分と仲良くしてくれる相手に喜んで欲しいという気持ちで関係を構築しようと努力してきました。
それがこのようなくだらない理由で崩れてしまうことが本当に情けないし涙が出てきます。
もし私と同じ症状の方がいらっしゃいましたらどうすれば良いのかお伺いしたいです。
また、上記のような異性間の弄りを現在進行系で誰かに行なっている方は、相手が嫌がっているという可能性を視野に入れて欲しいと思います。
私も大学時代、女性の同級生から酷い仕打ちを受け精神を病み休学寸前まで追い込まれた。
あまり自己主張せず八方美人的な性格で、周りに合わせる性格が気に入らなかったからか、私が何をしているのを見ると嘲笑し、言い返すと罵倒し、話を捻じ曲げて周囲に言いふらす。
私の大切な友人にまで、その話が広がり、おとなしい性格の私は特に弁明をする気力もなく、ただただ絶望した。
私は女性不振に陥り、大学の専攻とは全く関係のない業種への就職を決めてその後海外へ渡航し結婚した。
ちっちゃいことは気にするな、というか他人のことに気にかかる必要はあるのか。
お人好しなのかもしれないけど、どうしても納得いかないことがありまして……
身近なことなんですけど、いじられキャラといじる側ってよく見る光景だと思うんですね。
私としては、悪いいじる側だと思っている人達がいまして。
その人達のいじりって自分は損をしないんですよ。というか本当にいじって終わり。いじられた側はいじられたことで存在感は増しますが、本当にそれだけ。愛情が感じられないんですよね。
テレビでさえ松本人志を例に挙げれば、仮に若手芸人をいじったとしても、番組内では自分のプライベートなどを暴露して自分自身にとっては損することを打ち明けたりすることがあります。それが笑いに繋がるからお笑い芸人は凄いと思うんですよね。松本人志は特にその塩梅を理解しているからいいなあ、って思うんですよね。
いじる、いじられるも『≒』の関係性が必要だと思うんですよね。
私は現在18歳のの女で身体醜形恐怖症と摂食障害と戦っています。
私の通っている高校は少人数制でクラス替えが無く、男女も8対2位だったので必然的に男性と仲良くなりました。その中でも特に仲良くなったのがA君でした。
A君と私はアニメと言う共通の趣味がありとても話して楽しかったです。
ずっと一緒にいたので傍から見ればカップルのように見えていたと思います。私も彼に対して好意を抱いていました。
ある時からA君は私の事を弄ってくるようになりました。
始めは「お前って○○(アニメキャラ)にそっくりだよな。」とか些細な失敗を弄ってくる様になりました。
私はどちらかと言うといじられキャラで慣れていたので受け流していたのですがある時から「お前ってデブだよな」、豚のぬいぐるみを指して「うわ、そっくり!」、顔をじっと見て「ブスやん!笑」など容姿やスタイルを貶めるようないじり方をするようになりました。
それを言われるたびに否定してしたのですが心の片隅では「私ってそんなブスなんかな?」、「私って太ってるん?」と不安が募っていきました。
段々とその不安は私の中で確信へと変わっていきました。「私はデブでブスで救いようの内人間」、「女として無価値」だと思い込むようになり自分が普通な顔だと確認する為の自撮りが止められなくなり、ダイエットの為にご飯が食べられなくなりました。
極端なダイエットと何時間も続く自撮りを心配した母に連れてかれた精神科で身体醜形障害と摂食障害と診断されました。
ガリガリに痩せた私を心配したA君がどうしたの?聞いてきた時になにかが壊れ
こうなったのはお前のせいだ。ガリになったのも自撮りが止められなくなったのもお前が私を貶めたからじゃないか!と思いをぶつけました。
A君は目を見開き口をぽかんと開け驚いた顔をしてしました。
震えるA君の声から「デブやブスなんて思った事ない可愛いと思う。弄ったのは俺の方を見て欲しかった本当は好きだった。」と告げられました。
ふざけるなよその稚拙な独占欲でこっちはメンタルをやられたんだぞ。殺したい
女に対して容姿や体型を貶める様な発言を控えて頂けないでしょうか。
仲間内で言うのは構いません。ただ本人言うのだけは絶対に辞めてください、心に深い傷をつけることになりますのでどうかお願いします。
164cm52kgだった体重が現在40キロまで落ち生ける骨格標本状態です。
死にたいです。
この世には2種類の人間がいる。やらかす人間とやらかさない人間である。私は後者の人間だ。やらかす人間とは、目があてられないほどに不器用で要領が悪く、他人からはどうすればそうなるの?と首をひねられ、挙げ句の果てには、ほとほとあきれられしまう状況にまでもっていくことのできる、悪い意味ですごい人間のことである。実際、私がやらかしたことに対して「逆にすごい」と評されたことが少なくない。
私がやらかす側の人間だという兆候はかなり前から現れていたように思える。学校生活では肝心な時に忘れ物が多かったり、時間割をよく間違えたりとか今思うと瑣末なやからしにすぎないのだが、たしかに他の人々と比較するとその分野では頭一つ抜けていた印象はあった。しかし、友達同士だったりクラスメイトといった内輪では笑って済まされるような場面が多かったので、そこまで私のやらかしは前景化しなかった。
その時から、やらかして笑いをとるスタイルを自分のものにしていた。図らずとも、私の最も得意とする笑いの取り方のひとつになってしまっていた。やらかしを笑いに昇華するという、ある種の荒業をやってのけるのは容易なことではない。今思うと、私がやらかしても、クラスメイトからはまぁあいつならそれくらいするよね、みたいな私なら許容される雰囲気が漂っていたし、それによってクスクス笑いが起きて場が和むという悪くない効果を上げていた気がしないでもない。私のやらかしは、周囲の諦観とも呼ぶべき雰囲気と嘲笑によって覆い隠されていたのだ。そういう状況だったもんだから、いじられキャラとしてのポジションを欲しいがままにしていた当時の私にとって、『やらかすこと=おいしい』という笑いの方程式が構築され、頭の片隅にあったことは間違いない。情けないことに、失敗で笑いを誘いその失敗をごまかすというなんとも残念な芸風を図らずとも確立してしまっていたのだ。今思えば、それは私なりの生存戦略だった気がする。やらかす側の人間だった私が生き延びる唯一の方法、それはやらかしによって笑いをとることだった。当時はまだ前景化していなかった私のやらかし指数の高さは自覚こそなかったが、自分の無意識においては既に把握済みだったのかもしれない。私がやらかしても事なきを得る環境をでっちあげようがために、私が大なり小なり失敗を犯しても笑ってもらえるような人間になるように、私の無意識が普段の言動や立ち回りを決定していた気がしてならない。
私がやらかす側の人間なんだと、いよいよ本格的に意識するようになったのは、大学生になってアルバイトを始めた時からだった。バイト先では、数々のやらかしをしてしまった。恥ずかしくて惨めな気持ちになるのでここではあんまり書きたくないのだが、例えばコンビニでバイトしているときは、釣り銭間違いなんか日常茶飯事だったし、作業のやり方は、5-6回教えてもらわないと絶対覚えられなかった。どんなに簡単な作業でも1回で覚えるのは不可能であった。ピ◯ーラ でバイトした時もコンビニ同様釣り銭間違いがひどく、もうなんで自分はこんなダメ人間なんだと自責の念にほぼ毎日襲われていた。やらかしても内輪では笑いで済まされるが、仕事だとそうはいかない。社会という荒野に一歩でも出ると、どんな小さな失敗でも許されないのだ。現在は、そういう事情もあってバイト恐怖症に罹患してしまい、バイトを探すこと自体は好きなので毎日かかさないのだが、またやらかしてしまうのではないかと私が犯した数々のやらかしがふと頭をよぎると、とたんに怖くなって申し込むのには二の足を踏んでしまう始末である。私にとって、なにかをやらかすことは前未来的に決定されている、避けられない宿痾みたいなものなのだ。バイトでもこんな体たらくなんだから、社会人としてはやっていけそうにないだろうと悲観している。
※下に述べるものはあくまでも個人の考えであって一般論を語るつもりはないということを最初に断っておく。
突然だが、私はできれば子供が欲しくないと考えている。
自分の中で、「親になるということ」に対するハードルがとてつもなく高いと感じられるのである。
・女、26歳
・兄と姉が一人ずつ
(兄は独身、姉は既婚で2児の母)
・根本的に自分という人間が嫌いで、自信がない。そのため、できれば自分の遺伝子を残したくないと考えている。
私は三人兄妹の末っ子で、どちらかといえば甘やかされて生きてきた方だと思う。
子供の頃の私は、いわゆるいじられキャラというやつで、同級生や友人によくからかわれたりしていた。その延長か、純粋に嫌われていたのかはわからないが、今で言ういじめのようなもの(程度は軽め)を小学校高学年~中学生くらいまで受けていた。
高校や大学は比較的平和だったが、就活でつまずきフリーターとして過ごした時期があり、やっと決まった正社員としての仕事でも、お局から嫌われモラハラに近い扱いを受けている。
ここまでくると、自分の人格には、他人に嫌われやすい、また下に見られて虐げられやすい要素があるということが嫌でもわかってしまう。
子供は一人で産めるものではないし、どんな人間になるかは結婚相手(子供の父親)にもよるだろうが、私から産まれてくる子供(今のところ予定は全くないが)には、生きづらい思いをさせてしまうのではないだろうかと思わずにはいられない。何せ母親が生きづらいと感じながら生きているのだから。
また、フリーター期間は将来に対して全くと言っていいほど希望がもてず、生きるのか辛くて仕方がなかった(今もたいがい生きづらいが)。自分の弱い部分や悪い部分を責めに責めたのだが、そんな時に私は、禁断の考えに至ってしまった。
「なぜ両親は私を産んだのだろう」
「両親の子供には既に兄と姉がいて、兄は大企業勤めで、姉は素敵な人と家庭をもち可愛い孫もいる。それで十分じゃない」
「私を産む必要はあったんだろうか。そうでないなら、産まれてこなければよかった。彼らが私を産まなければ、こんな思いをすることはなかった」
…ひどいことを考えている自覚はもちろんあるし、思っても両親に伝えたことは一度としてない。しかし、私はそう思ってしまった。両親がたくさんの愛情やお金や手間をかけて育ててくれたにもかかわらず。
こんな自分が子供を産んで育てたところで、その子が「この世に産まれてきてよかった」と思える気が全くもってしないのである。
・経済的にも、人一人を赤子から一人前に育てあげられる気がしない。
子供一人を育てるのには、最低でも1,000万、進学パターンによっては2,400~3,000万程度かかると言われている。
これも結婚相手の職業や年収によるが、よほど高収入の方でない限り専業主婦にはなれないと考えている。むしろある程度稼ぎのいい方と結婚できたとしても、仕事は続けていって何かあった時のために少しでもお金を貯めておきたい。ということで共働きということになる。
ここからは単純にお金がないという問題ではなくなるが、私自身仕事・家事・育児を毎日こなしていける自信が全くといっていいほどない。
昔から要領が悪く、料理などは時間がかかり、掃除なども手がつけられず気がつけば部屋が散らかっていることが多い。そんな人間に、働きながらの食事の支度(朝晩、お昼のお弁当)、後片付け、洗濯、片付け、掃除、その他もろもろが務まるだろうか。それだけでも不安なのに、その上子供の世話があると思うと…世の中の母親たちは本当に魔法使いか何かなんじゃないかと思ってしまう。それくらい大変なことを、彼女たちは毎日のようにこなしているのだから、尊敬せずにはいられない。
もちろん結婚相手にも家事育児に協力してほしいところだが、よほど相手に理解が無い限りは、女性である自分が、妻として母として家事育児を多めに、場合によってはほとんどを負担することを覚悟しておかなければならないだろう。「家事や育児は女がするもの」という、日本の一昔前の価値観をもっている人は、若い世代(特に男性)にも意外と多い。
また育児休暇や時短勤務といった子供がいる職員のための制度は、女性に対してはある程度認められる企業も増えてきたが、必ずしもきちんと機能しているとは限らない。また、男性に対して認められる企業はまだまだ少ない(制度上はOKでも前例が極めて少なく、定着しているとは言い難い)。
そして、子供ができると、保育園探し、節目節目の行事ごとの準備、習い事、進学の準備…と、とにかく子供関連でやるべき事が次から次へと降ってくる。それに関しては決して面倒だと思うわけではなく子供をもった以上は必要不可避だと認識しているが、それらすべてをこなしていけるとは現時点では到底思えない。きっと、完全なる自分だけの時間はなくなってしまうと思っておいた方がいいだろう。
長くなってしまったが、経済的余裕の無さや自分に分不相応の多量のタスクは精神的余裕が失われる原因になり、子育てにも悪影響を及ぼす(怒りっぽくなる、子供の話をしっかり聞くだけの余裕がなくなる、など)のではないかと考えている。我が子を育てあげるつもりでいるのが、我が子をないがしろにしてしまっては元も子もない。
最後になるが、私は「親」として生きる人々のことを心から尊敬している。
私は親になったことはないが、それらが決して容易なことではないということくらいはわかる(周囲の「親」として生きる人々に対しては、できるだけ力になりたいと思っている)。
そして、そう思うからこそ、自分が子供を産み育てる覚悟ができそうにない。
親戚などに、結婚は、子供は、と聞かれる機会が多いこの時期に、心の中で引っかかっていたことを言語化してみた次第である。
ここまで読んでくださった方には、こんなことを考えている人間もいるのだということを、心の隅に置いておいていただければ幸いである。
正直に言おう。メンバーが明るく笑ってあげるのと、ファンが笑いにするのは全く違うだろう。
雲の上のキラキラした存在、というよりも、高校のクラスに一人はいるような奴、みたいな距離感を目指すグループだとしても。
自分の好きなメンバーが他のメンバーのファンから酷い扱いを受けることが多いように思うから尚更。普段からいじられキャラ的なポジションだからって自分らも同じような扱いしていいって勘違いしてない?
脱線した。それはそうとして。
生で色々と起こしがちなグループではあるけど、メンバーのミスとスタッフ側のミスを同列にして笑うのも違うだろう?
別に悲観しろってんじゃないし、ポジティブシンキングに越したことはないが。自分の好きなメンバーがメインの曲でこんな事故が起こったら少なからず番組を恨んでしまうだろうし、ファンのノリにちょっと引いた話。
それと、あの時の他メンバーの対応について色々な反応を見て思ったことも。
せめてハンドマイクだったらなあ……咄嗟にヘッドセット貸すのも難しいだろうなあ……とは思ったが、あの場で何も出来なかったことを非情だとは思わなかった。
自分はグループ全体が好きなファンだから、他メンバーの対応については多少は色眼鏡になる。
それぞれに移動があって他に気を配りきれなかったのだろうし、落ちサビ前の時点では気付いていなかったのかもしれない。
他メンバーが代わりに歌うなどという選択肢は、彼らの中になかったのか、最善ではないと判断したのか。
分からないけど、あの時点ではあの対応こそが最善だったのだろう。
あの笑いは、嘲笑などではなかった。
会場を明るくしてくれる笑いだった。
テレビにこそ映らなかったものの、曲が終わってから他メンバーが駆け寄って励ましていたようだし、少なくとも冷たく見捨てたわけではなかった、と自分は思う。
母親が死んだ。ずっと体調が悪かったのに無理して働いて、病院に行ったときにはもう手遅れの、よくあるやつ。
父親はすでに他界しており、兄弟ふたりが残された。俺と弟。どっちもアラサー、独身。
弟は新卒で務めた会社を数年で辞め、今は長い長い充電期間。つまりひきこもりである。退職理由は社内で受けたいじめだという。弟が語ったいじめは凄惨で、精神を病むのも無理はなかった。……その話が本当ならば。
弟は昔から、息をするように嘘を吐いた。所々に綻びはあるものの、妙にリアリティを持った物語を創作するのが上手かった。すぐに咎めて問い詰めれば、目を泳がせて言い訳をした後ではあるが、嘘を認めて謝る『ことも』あった。不気味なのは、時間が経つにつれ、弟の中で嘘が真実になってゆくことだった。
例えば、弟が文房具をなくしたとする。どこにやったと父に聞かれて、弟は「クラスメイトに貸したまま、その子が転校してしまった」と答える。
文具自体は高いものではない。素直に失くしたと話しても、父はそれほど怒らなかっただろう。だがそういう場面でも嘘をつくのが弟なのだ。
弟の嘘を後から聞いて、俺は迷わず父親にチクった。弟のクラスに先週転校した子がいるのは本当。でも彼が引っ越した後、俺は弟がその文具を使っているのを見た。
その時の父の表情を、何と表したらいいのだろう。「そうか」とだけ呟いた。多分気づいていたんだと思う。
その年の年末、大掃除をしている際に、本棚の裏から転校生が持っていったはずの文具が転がり出てきた。問い詰めるとしらっとした顔で「僕のじゃない。そんなの知らない」とのたまう。どう見てもお前のだろうと貼ってあるシールを指さしても、僕のじゃないと泣く。嘘泣きじゃないのがわかってゾッとした。当然父にも雷を落とされ、弟は言い訳の方向性を変えた。転校生に手紙を書いて、ペンを返してもらったと。けれども彼の住所は答えられない。彼からの手紙や封筒ももちろんない。弟は号泣し、ようやく嘘を認めたが、それは返してもらったくだりだけで、転校生が持っていった件については頑として意見を曲げなかった。「確かに彼が持っていった。どうしてここにあるかは本当にわからない」と、誰にも信じてもらえない主張を貫いた。
その後しばらくして、弟がふとした拍子に「昔、友達が俺の物を持ったまま転校してしまった。手紙を送って返してもらったんだけど」話すのを聞いて、耳を疑った。お前嘘だと認めたじゃないか。自分の頭がおかしくなったのかと思った。父に話すと、昔と同じ表情で、やはり「そうか」とだけ言った。
弟と話していると、自分の記憶に自信がなくなる。明らかな矛盾があるのに、そこをつくと「じゃあ勘違いかな。AじゃなくBだったかも」と、本当に勘違いしている人の顔で言う。あるいは「そんな昔のこと、はっきりとは覚えてないよ!細かい所まで覚えている方が不自然だろ」と必要以上に動揺する。怖くて早く家を出たかった。
職場のいじめは、ある日突然の村八分、いやがらせや恫喝だったと言う。泣きながら母に打ち明けたらしい。
ちなみに本人は知らないが、弟が辞めた会社には、俺の知り合いも働いている。いやがらせも恫喝も、少なくとも彼の知る限りなかったと言う。ただ遠巻きにされていたのは事実で、それは優しい人には露骨に横暴な態度を取る、いじられキャラの人には面白くないいじりをしつこく繰り返していたかららしい。小さな嘘を無意味に重ねていたのもあって、前から警戒されてたっぽい。弟らしいと思った。
話してくれた知り合いに、思わず「ごめん」と言いかけたが飲み込んだ。俺は弟じゃない。弟も俺じゃない。
しばらくは遺産で生活できるだろうが、その後は……。母が死んでから、俺への態度に親しみが増した。昔から仲が良かった兄弟みたいに。今も弟の中では記憶の改変が始まっている。徐々に記憶の中の父親が、アル中のDV親父に作り変えられているのがわかる。1年も経てば、弟は虐待被害者だろう。
もうダメだ、と思う。
今は遺産があって引きこもりで、他人との接触は最低限だからいい。ただこの先、俺はまだしも他人に迷惑をかけるようなことがあるならば、と考えずにはいられない。
ここまで書いておいて悪いが、この話はすべてフィクションだ。青いカーテンを締め切った、高校の頃買った白黒のチェックのカーペットを敷いた6畳の部屋で、iPhoneと古いアンドロイドと3つのディスプレイに接続されたPCに囲まれた部屋にいる、ベッドにカービィのぬいぐるみを置いたお前もフィクション。全部嘘。
話もつまらないし、仕事もできないから一緒にいるメリットないもんな
容姿平凡なやつは、なにかメリットないと女の子に相手されないんだな
おもしろいじられキャラになって、女の子と楽しくお話したかったが、どうやらぼくはそういう枠でもないらしい
これは学生時代からずっとそうだ、非イケメンで女の子と楽しく話してるやつはどうやってるんだろう
今思うと、優しさで相手をしてくれた元カノも結婚したし、いま意中の人は、そもそもあまり相手にしてくれないし
このままじわじわと30になって、社会的に浮いた存在が確定するんだろうな
良いときは続かない、みんな何をそんなに楽しそうに生きているのか
スカスカの味気ない青春、教室の隅、そこに寄ってきて僕と話してくれたあの子は、もう他の人のもの
あの時どうすればよかったか今でもわからないけど、あの子は悪くない
こういうグジグジうじうじがダメなんだろう、無感情で過ごしたい
さあ、週末、独り身の部屋で500ml缶がすべてを洗い流してくれるだろうか
最近知ってもやもやしてることがあるので増田でこっそり吐き出す。
ほぼ既婚者で落ち着いた雰囲気。
同じ部の1人の女性と仲良くなった。
たまに2人でランチや飲みに行ったりするし、
30代後半だけど20代後半と言っても通じるくらい若く見えて可愛い人である。
結婚しているのは指輪で分かったが、お子さんもいると知った時はびっくりしてしまった。
親しみやすく可愛いので、たまに変な男に目を付けられたりしているようだ。
他にもちょろちょろ変な男の話は聞いていたのだが
同じ部のまあまあ上の方の立場の人が
飲み会の後だかそういう時に。
酔ってたとはいえ、ぎゃー!
あの!真面目そうな!Zさんが!
良いお父さんエピソードも聞いており普通に好感を持っていたのだが。
普段も何か手渡す際に何気なく手を触ってくるとか握ってきそうになるとかあるらしい。
知らなかった。気付かなかったなあ。
おええー
まともな人だと思ってたのになあ。がっかりだ。
Aさんも既婚者である。
ラブラブのようでただただうらやましい。
なんか最近また可愛いなあと思ってたら、そういう要因もあったのか。
なんて思ったりもした。
しっかし、真面目な職場だと思ってたのに
彼女を何かと見ていたり隙あらば近づこう触ろうとする男がいることに腹が立つ。
Z氏、その他、許さんZ!
Aさんは別にいいです。
あれ、書きながら改めて気付いたけど、
私、彼女のことだいぶ好きみたいだな。
を、ふと今日思い出した。
授業の最中、強烈な尿意に襲われた。休み時間まであと20分以上はあったと思う。
その一言が恥ずかしくて言えなくて、下腹部に力を溜めて一生懸命おしっこを我慢していた。
時間が経つにつれ、冷や汗が出てきて頭が真っ白になっていった。
どうしようどうしようという焦燥感に襲われて、頭はその事でいっぱいだった。
もうだめだ、と感じた瞬間、股間からじわっと温かい感覚があった。
あとはもうそのまま。
我慢したけど少しずつおしっこは漏れていって、パンツも制服もびしょ濡れになった。
幸い、当時椅子にはお母さんお手製の座布団が敷いてあったのですぐには床には垂れなかった。
じわじわと、座布団に染み込んだおしっこは椅子の足を伝ってゆっくりと床に水たまりを作っていった。
当時、机の横に雑巾をかけるというルールがあったため、急いで雑巾を床に落として足で拭いた。
壁側だったからできた荒業だったと思う。
漏らした、どうしよう、気づかれていないか。
周りを慎重に見回しながら、目線が下に行っている生徒がいないか確かめた。
いない、よかった、誰も気付いてない。
おしっこでぐしょぐしょになった制服のまま、床を拭き終えると、壁と机の間に雑巾を押し付けて、何事も無かったように授業に勤しんだ。
次の中休みか何かで友達がトイレ行こうと言ってきたので席を立った。
濃紺セーラー服は濡れ染みが目立たなかったのでトイレで下着やスカートを一生懸命トイレットペーパーで拭いた。
一生忘れそうもない出来事なのに、すっかり忘れていた。
自宅のソファでごろ寝していた時に、ふとトイレ行きたいなと思った瞬間にハッと思い出した。詳細な記憶が全部湧き上がってきた。
あの時、後ろや隣の席の子は本当に気がついていなかったのだろうか。
匂いがあったんじゃないだろうか。
誰にも指摘されず、そのままこの歳まで過ごしてきた。
https://anond.hatelabo.jp/20180923171114
上のエントリを書いた者である。DTMはパソコンさえあれば始めるのにお金はそんなにかからないし、頭を使っている感じがして生きている実感が湧くし、作品として形が残るし、趣味として結構優秀なのではないかと思っている。
この話は「素人が自己満足のアルバム3枚を作った話」であり、間違っても「素人がDTMを始めてプロデビューした話」ではない。とにかく楽しんで何らかの形になるものを作ったということ。プロにすればゴミみたいな作品群だと思うけれど、自分としては満足しているし、人に聴いてもらうと「すごい、よく作ったね」くらいの評価はもらえている。お世辞かもしれないし、そもそも音楽を作ることってかなりハードルが高く思われているから「作った事自体がすごい」ということかもしれない。
音楽的素養はない。ピアノを習っていたわけでもないし、学生時代にギターをやっていたわけでもない。完全なる素人。
ただ、学生時代はいろいろな音楽を聴いていた。CDは最終的に1000枚くらい持っていたのではないかと思う(今は全てパソコンに取り込んで売った)。ジャンルは主に洋楽ロック系が好きだけれど、クラシックから民族音楽から流行りの曲まで分け隔てなく聴いていた。
「自分で曲を作ってみたい」とずっと思ってはいたけれど、何をどうすればできるのかがわからなかったので手を付けていなかった。コードとやらを覚えなくてはならないらしいし、パソコンで何らかのソフトを使わなくてはならないらしい。何より、自分の下手くそな歌を録音するのかー。うーん、ハードルが高いな。と思って時が過ぎていった。
■初めての曲
きっかけというきっかけは特にない。社会人4年目くらいで、仕事に絶望していた時だったと思う。
学生時代の友人の中にいじられキャラの人がいたのだが、突然に「そうだ、あいつの歌を作ろう」と思い付いた。まずはアルバムリリースの特設サイトを作った。もちろんそんなサイトは誰も閲覧しない。単なる自己満足であり「おもしろそう」というのが唯一の動機だった。
で、曲を作り始めた。どこからそんな情熱が湧いてきたのか今でも疑問なのだが、とにかくそれっぽい曲を打ち込みで作った。コードなんてわかんないから適当に音を重ねていった。たくさんの曲を聴いていたのでなんとなくの引き出しは豊富だった。作詞作曲編曲全て自分。歌謡曲みたいな2分くらいの曲ができあがった。
Windowsであった。製作工程はdominoでmidiを打ち込み、SoundEngineで波形編集、audacityでミックスと手間のかかる作り方をしていた。全て手探りなのでそのやり方しかわからなかった。その歌謡曲みたいな曲はUTAUでボーカロイドに歌わせた。1曲作っただけだったが達成感があった。ここまでかかったお金、ゼロ円(もともと持ってたパソコン代除く)。
後に引っ越しを期にMacに乗り換えてGarageBandで作るようになる。
■本格的にDTMを始める
本格的に、と言っても高い機材を買ったりしたわけではない。継続した趣味としてハマったということである。コスパの良い趣味が好きだ。買ったものは下記(Mac除く)。
いまだにこれ以上買っていない。投資額たったの10,000円でかれこれ5年以上遊べている。カラオケ2〜3回分の投資額で数年ものあいだ熱中できるってすごくないか。もちろん、沼にハマるといろいろ欲しくなったりするらしいけど、今のところこれだけでなんとかなっている。
曲作りにおいて苦労した点は特にない。自分が作りたいものを作っているからだ。煮詰まる時とか、アイデアが出てこない時とか、ギターが全然上手に弾けない時とか、歌が下手過ぎてがっかりする時とかあるけれど、全てが楽しくて充実した時間である。
アルバムと言ってもコンセプトがあるわけではないし、誰に頼まれているわけでもない。10曲くらいできたら1枚にまとめる感じ。アートワークとか歌詞カードも作って、自宅のプリンタで印刷する。空のCDケースとブランクのCDを買ってきて、裏ジャケと歌詞カードをはめ込み、CDを焼けば世界でひとつだけのアルバムの出来上がり。
で、再び趣味として曲を淡々と作って、アルバムを作る、というのを3回繰り返していたらアルバムが3枚できていた。
■どんな音楽作ってるの?
もともと洋楽オルタナティブロックが好きということもあってそういうのに寄りがちな作風になってしまう傾向にある。ただ、1曲作り終えると「次は違う感じのを作ろう」と勝手に思っている自分がいる。なので、振り幅は大きいと自分で思っている。最近はEDMみたいなのも作った。
自己満足とは言えど、架空の誰かに聴かせるのを前提に作っている姿勢はある。なので、自分なりにこだわっているつもり。1曲の中で飽きさせないことを最大の目標にしている。まーでも結局は自己満足だな。
■ボーカルの録音
最初のうちはクルマで山奥やイオンの駐車場の端っこに出かけて窓を閉め切った車内で録音したり、自宅で布団をかぶって怯えながら録音したり、カラオケで録音したりしていたが、面倒になって昼間の自宅で堂々と声を張り上げて録音するようになった。特に近隣住民から怒られたことはない。
DTMを始めてから明らかに歌が上手になった実感がある。カラオケでも下手くそだったのが、今では高得点が出る。作っている最中は自分の声を何百回と聴きながら編集するので、知らぬうちに聴こえの良い歌い方みたいなものを会得したのかもしれない。DTMを始めて自己満足以外の良かったことだ。
■ギター
DTMを始めると同時にギターを弾き始めた。と言っても、ライブをするわけではないので、特に練習を積み重ねているわけではない。曲を作っている中で「こんなフレーズが欲しい」というのを下手くそなりに弾いて、あとは編集でなんとかしている感じ。なので、いまだに「コードをなんとか押さえられる程度」である。ただ、良く問題となる「F」のコードは練習して押さえられるようになった。
ベースも買ったが、録音してみると音の粒が全然揃わないし、タイミングが少しでもずれると散々なことになることがわかったので、打ち込みでやっている。
DTMをやる上で必ずしもギターやベースは必要ではない。自分も全ての曲にギターを入れているわけではない。
■曲作りのコツとか
最初は暗中模索。理論も何もない。例えば「ベースとバスドラムはなるべく合わせる」とか「コード」とか「コード進行のルール」とか全くわからずに全て適当にやっていた。最初に作ったものを今聴いてみるととにかくめちゃくちゃ。だけど、そのめちゃくちゃさに味があって、あんなものは今は作れないなとも思う。音楽は自由だ。恐れるな。
プロのミュージシャンのインタビューを読んでいると「◯◯みたいな曲をイメージした」とか「この曲の元ネタは◯◯という曲」と言っているのを結構見かける。なので、私たちも「自分の好きな◯◯みたいな曲を作ろう」というスタート地点でいいと思う。
曲作りにはいろいろなアプローチの仕方があると思うけど、私は「メロディーから作る」派である。メロディーに各パートの伴奏を乗せていく。メロディーを思い付いたはいいけれど、それに合うコード進行がわからないということが結構あって、大変に悔しい。コードにメロディーを乗せていく逆のやり方もチャレンジしてみたことがあるけれど、私には無理だった。向き不向きがあるのだと思う。
1曲の中で「ここは◯◯みたいな感じが欲しい」と思い付いたらYouTubeでその曲のその部分を繰り返し聴いて参考にすることがある。それが自分のオリジナルになる。ウェブで調べればコードも出てくるので、それを参考にすると思った通りの雰囲気になって「すげぇ」とかなり感心する。それがオリジナルになる。音楽はパターンの組み合わせでできたパズルみたいなものだと思う。
そういう経験を重ねていくと「このパターンはこれ」「こう来たら次はこう」とわかってきて捗るようになるし「これじゃありきたりだから別のパターンが欲しい」なんてことも発想できるようになってくる。楽しい。何だこの曲すごいな、という曲に出会うと制作意欲が湧いて楽しい。
なんて偉そうに書いてるけど、いまだにコード進行はよくわかっていないし、よく使うリズムパターンも貧弱である。だけど、最初の頃よりはあらゆる点において格段に進歩している実感がある。それらをほんの少しずつでも習得していく過程が楽しい。
■歌詞
伝えたいことなんて何もない。ただ、歌モノにしたいので歌詞を書かざるを得ない。「韻を踏む」「陳腐にならない」「メッセージ色が強くなりすぎない」を心がけている。音楽以上に言葉は自由だ。好きにやるのが一番。
歌詞がどうしても思いつかない時には、歌詞なしのめちゃくちゃ語で押し通すこともある。最近はいよいよ書くことがなくなってきているのでめちゃくちゃ語が多めになっている。だけど、歌詞を考える時間も好きだ。
■まとめ
とりとめのない話になってしまった。まとめるとDTM楽しいってことになると思う。没頭すると1日が余裕で潰れる。1曲が1日で完成することもあるし、半年かかっても納得いかずに悶々とあれこれ試行錯誤することもある。それら全ての時間が愛おしい。沼にハマらない限りコスパも良い。
事故だった。
特別親しい訳ではないし、最後に会ったのはみんなで集まる成人式の時の同窓会くらい。
毎日会ったり定期的に連絡してた訳じゃないからなんとなくここにいて働いててみたいなことを成人式で知ってたまに中学の同級生って何してるっけ?って時に思い出すくらい。
全然実感わかなくて、棺の中の顔を見て寝てるだけだって思った。
授業中に大胆に寝てた寝顔と同じだった。
なんの実感もなく日常生活に戻ってしまった訳だけど、葬儀に行ったら自分は泣いちゃうんだろうなと思ってたけど泣かなかった。
もちろん悲しかったけど胸を張って仲がいいって言える関係じゃなかったから、ここで泣いたら偽善なのかなとか思って泣かなかった。
また実家に帰ってアルバムとか日記とか見たら色々思い出すんだろうけど。
告別式で手紙を書く?みたいな紙が用意されてたんだけど書けなかったからとりあえずここに書いておく。
中学の時はやんちゃでいじられキャラで、でも意外にも字がきれいで。
字だけはきれいだよねーって言ったの覚えてる。
お菓子が禁止されてた中学で大胆にもお菓子を食べていじられキャラだったからかいつも見つかって怒られてたね、自分の好きな部活のことはすごい饒舌に話してたね。
いつかみんなで遊んでた夜にいきなり家にきてすごいびっくりしたけどらしいなぁって思って笑ったなぁ。
私が関わってたのは実質三年だけだけれど1クラスメイトとしてこれからはたくさん思い出すことになると思うなぁ。
お疲れ様って言葉をかけるにはまだまだ早いから言わないけどいつかめっちゃ若い君と年老いたみんなで同窓会しようね!
だいぶ待たせちゃうけど待っててね!
イケダハヤト、はあちゅうの記事は彼らがビジネスマンとして、大人として配信しているものを批判的に取り扱った。
それが嘲笑的であるという話は意味をなさない。内容は妥当だと思われる。
「いじめっ子」論理でいうなら、hagexを始めイケダハヤトもはあちゅうも田端も責任ある大人である。
その大人としての立場を顧みず冷笑的な態度をとったのはhagexに言及されたほう。hagexに「いじられた!」と言ってるばかりで的確な反論は見られない。
hagexは彼らの「いじられキャラ」「強者」などの属性とは関係なく、書かれた言葉について問題点をついている。
それを「いじめ」という言葉に堕すのは作家としてhagexを含む彼らを貶めているのと同等ではないか。
まーねー、hagexゲスだしそういう感じの言い方になるのしょうがないよねー。でもあんまおもろくないよ。そういう貶め方。
いじめであるなら不当な部分をきちんと上げて言及しましょう。容姿に対してはそうね。どんどんhagexをあげつらおう。
本人が亡くなってからしか言えないというのが本当に悲しい。
彼は私が初めて好きになったアイドルです。
中学生1年生のとき、初めて友達に見せてもらった、男性アイドルばかりを特集する雑誌に彼はいました。デビューしたばかりのそのグループで、1列に並んで、その端っこで、どこか所在なげに微笑む彼は、決して一番好みのタイプではありませんでした。
彼は歌もダンスも本当に下手くそで、どうしてアイドルになったの?と聞かずにはいられないほどの有様で、シングル曲でのポジションや、写真撮影ではいつもグループの端っこです。歌番組ではトークを振られないことも、カメラに抜かれないことだってありました。
彼が、後輩たちがメインのライブ番組にゲストで出演し、番組のトリにソロ曲を歌ったときのあまりにまばらな拍手は今でも覚えてるし、なんならトラウマです。
その人はお芝居もヘタクソでした。たぶん、声が良くないのです。独特のしゃがれ声と、滑舌の悪さと、どこかしらの『振り切れてなさ』は、彼の演技を余計にヘタクソに見せました。
ところで、彼の所属していたグループは、元々9人組だったのですが、脱退や度重なるスキャンダルによって1人減り、また1人減り、さらに1人減って、ほんの2、3年のうちに6人組になってしまいました。
7人から6人になったとき、人生で初めて、フライデーを立ち読みしたのを覚えています。彼と一番仲のよかったメンバーのスキャンダルが、数ページに渡って特集されていました。
それからグループは約1年ほど活動を休止。復活できるのか、そのまま解散してしまうのか、全く定かではない状態でした。
その頃、彼が4番手ぐらいの役柄で出演していたドラマの番宣で出たバラエティにて、司会者に『どのグループに所属しているのか』を問われて、彼はキチンと、今は活動していないのに、そのグループ名を発言しました。これは私にとって感動的な出来事のひとつです。
彼のことが好きでよかったと思いました。
それから無事にそのグループは6人組として復活、リスタートにあたって発売されたシングル曲はとても素敵な、力強い曲で、初めて聞いたときには泣いてしまいました。
それから、彼はグループの中で、『いじられキャラ』というポジションを手に入れました。少し照れが消えたのか、お芝居もちょっとだけ上手になりました。
相変わらず歌とダンスはヘタクソでしたが、彼がコンサートで唄うソロ曲は、その大体を彼が作詞していていて、とてもいい曲が多かったです。どちらかといえばサブカルチャーじみていましたが、その頃、そういうものを受け入れやすい世の中になっていたことも、彼にとってはよかったのかもしれません。
それから、すごくカッコよくなりました。
ここまで言及しませんでしたが、彼はもう、とてもとてもカッコいいのです。くっきりはっきりした濃い顔立ちなのに、品があって、知的で涼やかで、男性的なのにどこか柔らかくて、そんなアンバランスなのにバランスのとれているその顔立ちはもう、奇跡的なのです。
あと言葉の使い方も好きでした。
彼がやっていたモバイルブログや、雑誌で始まった連載など、彼の書く文書はキラキラしていて、瑞々しくて、アイドルらしくない彼だけど、こんなところはアイドルみたいなのかと思って、もっと好きになりました。
そして、それはある日、突然のことでした。
上手くいっていると思っていた6人組が、あっさりと、4人組になってしまったのです。
いなくなった2人はどちらもグループの看板で、4人組となったそのグループは『イチゴのないショートケーキ』と言われていました。
で。
ここまで書くと、もうそのグループがなんなのか。私の好きなアイドルが誰なのか。わかる方もいらっしゃると思います。
どうか、よろしければ、そのグループがまだ好きな方は、これ以上読まないでください。
私がずっと好きだった彼は、4人組になったことで端っこだった立ち位置もどんどんセンターに近づいて、そうしていつしか、アイドル兼作家という立ち位置を確立しました。
アイドルも長く続けていれば、向いていないと思われていた人でも何者かになれるのだなあと、ぼんやり思った記憶があります。
私は彼の、たぶん、賢いところが好きでした。
物事を見る角度だとか、言葉遣いだとか、その手ずから生み出される文章だとか。私は好きだった人に対して『頭が悪いな』と思った瞬間に一番幻滅してしまうので、ある意味では彼は、好きになるべくしてなったアイドルなのかなと思います。
ちなみにいえば、そのグループも好きでした。イチゴのなくなったショートケーキに、またイチゴが乗ることはなかったけれど、フルーツタルトみたいな楽しさのあるグループでした。
でもね、今はもう、解散してほしい。
つい先日、彼のスキャンダルがすっぱ抜かれました。未成年の女の子とお酒を飲んだ、飲ませた、相手は成人済と言っていた、という、あまりにもありきたりな不祥事でした。
別に、もう、13年間も好きでいたら、女性と付き合ってるから嫌だとか、女性と遊んでいるから嫌だとか、そんな感情はありません。
そもそも彼はベッド写真流失という、スキャンダルの威力としては今回の比じゃないものをフライデーされたことだってあります。
それはいい。それはいいのよ。女の子とセックスしてるの大歓迎。好きにしてほしい。
でも、その、頭の悪さに、あまりにも辟易してしまいました。また、その現場には、メンバー4人中3人がいたといいます。
「バレなきゃいい」。その通りだと思います。
でも、普通の人より当たり前にバレやすい立場であることを理解せず、社会人として、自分の関わるあらゆる機関に対して、あまりに無残なコンプライアンス意識のなさに、正直酷く落胆しました。
私は彼のことが、まだ好きです。
多分どれだけ落胆しようとも、きっとずっと、恐らく死ぬまで好きだし、そうじゃなくても、彼の誕生日は、きっと死ぬまで覚えてる。7/11が来るたびに、その日を特別な日だと思うことでしょう。
だから、これはもう私の好き嫌いの領分ですが、私の嫌いになってしまったグループと、嫌いになってしまった事務所を、もうやめてほしい。
彼のグループ、特にリーダーには、度重なるスキャンダルがありました。公式ブログでの彼女との匂わせ、音声の流失、私の好きだったグループのリーダーには、人望が枯渇しているようです。
そして今回のスキャンダル。今回、一番矢面に立っているのは、私の好きな彼ではなくてそのリーダーです。
あまりに学習能力がなくないですか。昨年彼女バレして、今回は違う女の子とのスキャンダル。一人の女の子相手にすら誠実になれないのかと思いました。もう、スーパーへ取材に行って、ジャガイモを見ながら「これはジャガイモですか?」と聞いたエピソードも笑えません。こわい。
リーダーよりスキャンダルが出ている、背の低い金髪の彼については、そのたびにきちんと釈明しているのでそれでいいです。推しでもないし、たぶん彼はそういうキャラクターなんでしょう。
ただ今回のスキャンダルで言われている『未成年の女の子』の名前が、彼が以前騒がれたスキャンダルで出てきた名前と同じだというのは、そうして彼が今回無罪であるように扱われていることは、甚だ疑問ではあります。
私が13年間好きだった、いやまだ好きな、大好きなアイドル。
できることならば、もうグループも辞めて、事務所も辞めて、イケメン小説家として、小さなファンダムを形成して、たまに小さな講演ホールでファンミーティングしてくれたらそれが一番いいかなと思います。
今朝、毎週金曜日に彼が出演している情報番組で、深々と頭を下げて、情けない言葉を並べながら謝っている彼を見て、うっかり泣いてしまいました。
嫌いになれたらいいのにね。
小中高といじられキャラだったから、昔は自分のコンプレックスをいじられる事に慣れていて、増田のくせにスカート短いな(笑)とか、増田は歯並び悪いのどうにかしないとキスもしてもらえないよ、とか言われてきたけど、綺麗にツッコミを入れて自分の三枚目キャラとしての役割を果たしてきた。
ずっと短かった髪を伸ばし、23歳くらいからモテ期がきて、いじられキャラは完全に消え去り突然チヤホヤされるようになった。
単純に嬉しかったので遊びまくって自分に自信をつけてきたけど、心開いた人に『そういうスポーティな服着ると女っぽくないよね』とか、チクリと痛いところを刺されると、夜眠れなくなるほどに落ち込むようになっていた。
痛いところというのは主に服装に関してと、自分の女性らしさに関する話だ。
ずっとお笑いキャラで少年のようだったわたしには、ファッションに関してそんなに自信があるわけではないけども、自分のセンスは信じてきたので好きな服を好きなように着ている。好きなものを着て好きな人に褒められたい。なので、男女関係なく親しい人に少しでも貶されると激しく落ち込んでしまう。心のどこかで、わたしはオシャレじゃない、と思っている。
『今日着ていたワンピース、会社で囚人みたいって言われたwwwそんなことなくない?(笑)』
と言っていた。
今の私がそれを言われたら死ぬほど落ち込んでいる。
でもこの彼女は他人の言葉にいちいち流されていない。芯を持った『そんなことなくない?(笑)』を感じた…。わたしもこうなりたい。どういう気持ちの持っていきかたをすればこういう思考回路になれるのだろうか。わたしには根拠のない自信とプライドだけがついてしまったのか。