はてなキーワード: 本が好きとは
お前は本が好きなんだが、そういう言い方を始めるなら、好きなものがビジネスシステムなのかは、改めて考える必要もある。
俺も本は好きだ。
だが俺の読書趣味の大きな部分を占めているラノベは、多くがweb掲載の書籍化になるようになって、そうなると大好きな作品だからといって買うかはまた別の話になるよな。読めるのであれば、べつにwebサイトで良かったのだ。
俺は、別に大学時代関係の学術書や文学系の本も読むから、それは買うが、これだってなろうみたいな奴から無料で出力されるならほんまに買うのかどうか。
それはかつて不可分だったが、近い将来、分離し始めるのかもしれんのだ。既にそれは一部始まっている。
一人で時間を潰すのは全く苦ではなく、自分の中に新しい物語や知識が
流れ込んでいくのがただただ楽しかった。
一人の時間に耐えられない人、
暇を潰せない人種のことを少し見下していた部分もあったと思う。
非人道的なほど満員の電車に毎朝揺られるうちに自分も上に書いた人種のようになってしまっている。
あまり本も読めなくなったし、楽器を演奏する時間も減ってしまった。
今では暇があればスマホを開いてYouTubeを開いてたいして見たくもない動画を
垂れ流しているし、
定時で上がった後も何をやればいいかわからずとりあえず居酒屋に入って
ただ酒を飲んでタバコを吸ってそこにいる人と話したり話さなかったりして
酔いが回ってこういったことも考えられなくなって気づけば眠りに落ちている。
単純に仕事によって自分の時間と体力が奪われているからそうなったとも思えない。
中高の学生生活でも9時5時くらいの時間は毎日拘束されていたわけだし
なんならそのあと塾とか部活に行ったりもしていたから自由な時間という
おそらく合ってない社風向いていない仕事をずっと続けることは
自己肯定感の低下に大きく影響する。そして低下した自己肯定感のもとでは
新しいコンテンツや創造的な趣味に取り組む意欲も湧きづらくなるのではないかと思う。
毎朝ベッドから出る意味が見出せない、1日を始めるモチベーションが湧かない。
本を開いても目線は活字をただ撫でるだけで、自分の中に新鮮なイメージや意味を
与えてくれない。世界は平板化してしまってどこに行って何をしても結局同じなんだ
という感覚がつきまとって離れない。
タイトルの通りの身分です。学生です。自分の書いている文章を客観的に見れず、もうどうしたら良いのか分からなくなってきました。文章遍歴です。長ったらしいです。
まともに文章を書き始めて一年ほどの若輩者です。二次小説を書き始めた動機は絵が下手だからというとても不純なもの。本が好きで、作品が好きで、なおかつ小さい頃から人並みよりさくさくと文章を書けるタイプだったので軽い気持ちで書き始めてしまいました。
普段は旧Twitterと支部で短編を上げています。人気ジャンルのCPで書いたものが400ブクマ付いて喜んでいる程度の薄っぺらな書き手です。
衝動で書いた一作品目に評価がついたとき、初めて文章の質というものを意識しました。そういえばこれって他人に読ませる文章じゃん、と。慌てて自分の書いた文章と、自分が大好きな作家さんの文章を比べました。適切な比喩、ちょうど良い一文の長さ、形容詞の位置、描写の順番……などなど、素人でも分かる違いが山ほどありました。それはもうバスタオルと羽毛布団くらい違いました。要するに幼稚な文章なんです。色がありません。温度もありません。パッサパサの乾パンでした。
次に文章を太らせようと思いました。もうちょっと情報量を増やそうと。そしたら今度はすごく冗長でつまらないものが出来上がりました。文字の量を増やすだけでは10Lに薄めたカルピスみたいな読むのが苦痛な作品になるだけでした。
ここまでもし読んでくださった方がいたらこいつど素人にもほどがあるだろうとお思いになると思います。字書き経験のある先輩方でしたら尚更です。ごめんなさい。
語彙を増やそうと思いました。毎日通学時に周囲の写真を撮って、匂いや気温を書き取って、その時に見た景色をメモ帳に描写しました。Web辞典と、プロの一次作家様の文章を横に並べながら。なんだかちゃんと文章を書いてる気がしてだんだん楽しくなってきました。「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる……」また比喩を使っちゃいますが、枕草子みたいな感じです。
よっしゃやるぞーと思ってまた二次創作を書き始めました。今度はプロットなるものが立ちはだかりました。起承転結というやつです。この辺りで私は、あれ、小説書くのって想像以上に難しいのでは……と気づいてしまいました。二〜三千字くらいのワンシーン切り取り型の書き方ならともかく、私は数万字に及ぶ長編に憧れてしまったのです。プロット無しの見切り発車で書くのはあまりに危険でした。しかし、見様見真似で書き起こしてみるものの全然上手くいきません。浮かぶのはつまらない展開ばかりでした。そんなこんなで今は三千から五千字のものをちまりちまりと書きながらいつか長いもの書きてぇとぼやいています。
冒頭に戻ります。本当に良い描写は脳みそにスッと入ってくるんです。たった一文で全部を分からせてくるアレです。難しい言葉も要らないし、何度も言い換えて重ねる必要もない。あれって天賦の才なんですかね。最近、解像度の高いものを書こうと思って気合を入れて書いた作品が、2週間後に読み返してみたら装飾過多、結局何が言いたいの?と思われそうな駄文になっている、ということを繰り返しています。カッコいい文章に憧れます。
ネット上の二次創作においては、流麗な描写よりもオタクに刺さる台詞のある作品のほうがたぶんウケます。自分もそういう作品は好きでした。自分自身、以前は難解な地の文なんかポイポイっと読み飛ばしてキャラ読み(?)していたわけですから。でも書き始めてから、読み手にウケるかどうか以前に自分が「こんな適当な文章で推しを表現したくない!」という執着に取り憑かれてしまったんです。もう自己満足の部分もあると思います。推しの眺めている花はただの花じゃなくて、真っ白で、透けるくらい薄くて、とても良い匂いがして……
文学オタクの扉が見えてきました。もう戻れません。知れば知るほど、私の小説はつまらない。どうつまらないのか分からないけどとにかくつまらない。引き込まれる表現が足りない。たぶん内面描写も浅いし、そもそも二次創作として、公式設定資料を読み込むのを怠っていました。なんてことだ。しっかりとした長編で評価されている方々は本当に凄いです。
自分が心底納得のいく小説が書ければきっとある程度の評価はついてきます。でも、その「自分が納得のいく小説」までにどれだけの差があるのか、具体的にどこがダメなのか、分かりません。あぁ、誰か私の小説に適切に文句をつけてくれる人居ないかな。雑魚メンタルですが最近批評が欲しいと思えるようになりました。
長々と書き連ねましたが、要するに良い作品が全然書けなくて、目標までが遠すぎて死にそうです。文章の指南書をこの前注文しました。でも本当にあんな凄いものが書けるのか……?神字書きの皆様へ尊敬と羨望と、諸々の気持ちが溜まっていきます。
文章うまいね、そんな言葉1ミリも要らないんです。いや嬉しいは嬉しいんですけど、要らないです。正直やっぱ欲しいです。でも上手くなるほうが大事です。批判が欲しい。
そういえば触れてませんでした。一次創作書けばいいじゃんっていう話についてです。私の今のモチベーションの核は、ひとえに好きなキャラを最強の文章と構成で表現したいという衝動で成り立っています。つよつよな文章で推しが喋ってる……うおお……という感動を味わいたいです。それだけです。
世の中、腹が立つ作品には批判が飛んできます。でもつまらない作品には何も言ってもらえません。ありふれた話ですが、それをとても実感しています。
ブックサンタとは自分の選んだ本を、経済的に本を買えない家庭の子どもに寄付するという活動だ。
ランダムに本を選んで贈るのではなく、その子の趣味嗜好を聞いて選んで贈るらしい。
いいじゃんそれ、と思って自分も本が好きだしやってみようと思って本屋に行ってきた。
結論から言うけど本をプレゼントするってめちゃくちゃ難しいね。
ブックサンタは毎年小学生向けの本が少ないとポスターで見たので小学生向けの本を選んでたんだが、
いや〜それ子どもにとって100%嫌な大人ムーブだな〜と気づき
いや〜普通の文庫は少し難しいか?もっとライトめな方が良いか?と気づき
次に青い鳥文庫の前に行って青い鳥文庫から出てるホームズを選んだけど、
いや〜そもそも今の子どもって一体何が好きなのか全然知らんな?と思い至り
いや決して選んだ本が悪いというわけではなく、自分のリサーチ不足・自分に子どもがいないので、これで良いのかな?ほんとに?!ちゃんと子どもに人気だよね!?大人の独りよがりになってないよね!?子どもに押し付けみたいになってないかな!?みたいな…
なんか書けば書くほど言い訳になってきてしまうな〜!言いたいことも言語化できないこんな脳みそ
でもまあきっと自分の子ども時代に空想科学シリーズがあったら絶対読んでるし、ホームズとかみたいな古典で大人にも人気シリーズの本は誰かが贈ってる率高いだろうし、いいんだろうな
また参加をするときはしっかりと子どもに人気の本を調べてから行こう
【追記】
お褒めの言葉とかもあり、ありがとうございます
空想科学シリーズが本当に人気とわかってホッとした〜楽しく読んでくれると嬉しいな!
お金の方が良い〜というのは確かにわかる感情ではあるんだけど、
誰かが自分にプレゼントしてくれた・サンタさんが来てくれたって経験も大切なんじゃないかな〜と自分は思ったので今回本をプレゼントしました
あとまたこういった取り組みをするときに自分と周りに子どもがいないと好きな本ってわかんないから、
もしよければ「こんな本好きだよ!」「こんな本好きだったよ!」を書いてもらえたら助かります
子供がクラスのAは運動が出来る、Bは友達が多い、Cは本が好きで国語が凄い、Dは運動も勉強もクラスで一番出来て性格も優しい凄い奴、そして僕は遊びを考える発想が凄いし走るのが得意、等々クラス全員と自分の良いところを教えてくれた。
私はクラスメイト全員の名前も一年では覚えられないくらい人に興味が薄いけど、人から良い所を認められたら好きになる性格をしていて、興味の薄さは困ることも多く悪い所だと思っているので、クラス全員の美点だけ把握してる子供の性格が素晴らしく感じられた。
なので、私の親に会った時に子供がこんなに素晴らしいんだよと自慢したら「お前は小学校で虐められたからね、当時は先生も虐めの認識が無くて大変だった」と返された。
自慢したかったんだけど、ひょっとして虐められてない人には、クラスメイトをよく見て名前と美点覚えてるのってわりと普通だったりするの?
タイトルの通り。
文章が書けない。正確には「小説とか随筆とか、なんか良い感じの文章を書きたいけどその能力があまり高くない上に、良いものを書こうというプレッシャーに押しつぶされて文章を書き始めることが出来ない」だ。
子供の頃から本が好きで、いつか自分も美しい文章や物語を書きたいと思っていた。
だが完璧主義というか、傑作を書こうと無闇矢鱈と意気込んでしまい、筆がまったく進まないどころか原稿の前に座ることすら出来ない。
だけど読み返すとあまりにも稚拙だったり、周りからの評価が微妙だったりして、どんどん書くことが苦手になってきた。
書きたい、という気持ちはある。でもつい楽で楽しいことに流れてしまう。
SNSを眺めていると時間は溶けていくし、ソシャゲをぽちぽちするのもまた楽しい。
「書いている自分」に憧れがあるだけで、実は何も書きたいものなんて無いのでは?或いは、周りから創作している人として見られることで承認欲求を満たしたいだけでは?
自分と向き合うのは、自分の本心を見いだすのは難しいことだ。自分自身に対しても見栄を張ってしまう己がいる。
だから、という接続詞が正しいのかわからないが、取り敢えずこの文章みたいに適当に書くことにした。
最初からフルマラソンを完走出来る人はそうそういないのだ。凡人なればなおさらの事、まずはウォーキングから始めようとそういうことだ。
私には忘れられない本がある。
親友と共に図書館へ行き、気になる本を数冊抱えながら館内をうろついていた私のもとに、親友が「これ、好きだと思う」と一冊の本を抱えた本の上に置いた。
当時私はホラー、サスペンス、ミステリーといった本が好きでよく読んでいたし、球体関節人形を数体所持していたこともあり、表紙のビスクドールの写真に心を奪われた。
帰宅し真っ先に読み、序盤はなんとも思わず読んでいたものの、読み進めていくうちに止まらなくなり、最後の最後で体中の力が抜けるような、でも気持ちは高揚している。そんな感じだったのを今でも覚えている。
それ以来ずっと「人形(ギニョル)」が忘れられなくて、でも当時まだ中学生だった私はお小遣いなどももらっておらず、自由に自分で使えるお金を持っていなかったから、すでにもう手に入らないこの本を何度も図書館で借り、何度も読んだ。
高校生になりアルバイトを始め、ある程度自分のお金を手に出来た時、まだ普及していなかったネット通販で、本当に届くのかな…?詐欺じゃないよね…?なんて考えながらびくびくしながら購入したのを覚えている。もちろんちゃんと届いた。
あれから十数年経った今も忘れられず、時々思い出したかのようにネットで「人形(ギニョル)」のことや、著者の佐藤ラギについて検索する。
読んだ当初は閲覧できた2ちゃんねるのスレッドも今はもう見ることはできないし、mixiのコミュニティも更新も止まっていた。
その後は集英社の文芸誌「小説すばる」に『スワンの涙』を連載したという情報があるのみで、執筆活動は途絶えてしまったということや、ネコ・ヤマモト名義でも執筆をしていたこととか、もうほぼ知っているし、なんにも新情報なんてないのに、ふと思い出したときに検索し、「また何も成果はなかった」と安堵する。
それまで、読書が好きですっていうと気取ってるような感じがしてあんまり他人には言わないほうがいいのかなって勝手に思ってた。
でも老若男女問わず本が好きな人って結構な数がいて、そんなに恥ずかしがらないでいいんだ〜っていうのがだんだんわかってきた。
意外な人が意外な本読んでたりするから、ときどき何かの拍子に話しかけてしまったりもする。
めっちゃガテン系のいかついお兄さんでも村上春樹読んでたりして、本って人を選ばないんだな〜いいなーと思ったことがある。
っていうのを、増田読んでて思い出した。
まあ、病院っていう特殊な空間だからこそ人は本を読むのかもしれないけど。
でもそこで、読書するっていう選択肢があることはすごく豊かなことなんではないかとも思う。
なぜ図書館で本を借りることは恥ずかしいのか?
大学図書館とか通常入手できない専門書があるところは除くが、その辺にある図書館なんぞ貧乏人のための無料本屋だろ。
実際に図書館にいるやつらはみすぼらしい恰好をしていて臭いし、長い貸出待ちまでして人気の本を借りようとしてる乞食ばかりじゃん。
本当に本が好きなら、買って出版社と著者の利益に貢献するのが本来だろ。
それができない奴らは、本に興味が無いけどなんとなく本を借りてるバカか、本に金を払うほどの余裕のない貧乏人だろ。
どちらにも思われたくないから恥ずかしいと思って借りないんだよ。
ブクマとかでも本好きが多そうな割に図書館利用者が多くて、貧乏人ばかりなんだろうな、見下しつつも多少は同情してるぞ。
オレが図書館で本を借りることで貧乏人達が本を読めなくなってしまうのは申し訳ないな、金があるなら本は購入すべきだな、という理由で恥ずかしいと思ってる部分もある。
ほんま、マジでキメえよな。
ガキの頃からこいつらのキモさについていつか語りてえと思ってたんだが、やっと気持ちのいい風が吹いてきたぜ。
研究や勉強のために使う施設であって、乞食が暇つぶしに来る場所じゃね―んだよ。
知識は共有した方が社会のためになるから税金で収蔵施設を作ってるわけ。
それを「本買うお金はないけど本が好きなんです><」なんて意味分からね―事抜かして乞食しに来るんじゃね―っつの。
いや本当、ガキの頃から嫌いだったんだよな―図書館利用頻度マウントしてくる乞食陰キャと、それをやたら持ち上げるセンコーの組み合わせ。
ゲームや玩具は金払って買うくせに本は図書館で済ませておいて「読書が趣味です」って平気で言うんだもんな。
まあコイツらが1人でイキってるなら別にいいんだよバカって本読んでも治らないんだな―って証明になってくれるのは良いことだと思う。
いやいやお前そこは「そんなに好きならちゃんと本屋さんで新刊を買おうね。既刊もブックオフじゃなくて本屋さんで買おうね」って言えよ。
なんで「無料で読むなんて賢ーい。本屋さんで買わなきゃって固執してる人って馬鹿みたいだよね~」みたいな感じになってるん?
サビ残のし過ぎで労働に対して対価を払うって概念が脳から消滅したのか?
あーマジでその可能性あるなあ……ポロっと口にしてから気づくアレよね。
でもやっぱ納得できねーよ。
「図書館で借りてます!ブックオフで買いました!」でイキってんじゃねえって!
買ってもねえくせにファンとか烏滸がましいんだよ!
エロゲ割ってる奴が「田中ロミオまじで泣けるわwww灰村キヨタカの絵えっちすぎるwww」みたいに言ってるのとかお前らキメながらネットに書き込んでるんかって感じやったやんけ?アレと同じやからな!
キメーんだよイカれてんだよ会話が成立してねえんだよ滅茶苦茶なんだよ喋ってほしくねえんだよ黙ってろよ
ふぅ~~~~~ず~~~っと心に溜まってた澱がやっと抜けていきましたわ。
超キモチー
小学校進学した頃に両親が離婚して、宗教に入れ込んだ母が選んだ土地がたまたまそこだった。田舎の人が優しいなんてことは無くて、よそ者で貧乏だったからキッチリいじめられた。
大好きな本を虐めっ子に破られた時、図書館の人に泣きながら謝ったけど酷く叱られて、居場所がまた一つ無くなった。
空き家や古い家に囲まれた、奥まった駐車場で一人で座って過ごした。冬は寒くて擦り切れた手が痛くて、家に帰ると学校でいじめられた姉が憂さ晴らしに私を殴った。
中学生になる頃、姉に反撃をしたら簡単に組み伏せられた。男に生まれて良かったと初めて思い、人に暴力を振るった事実は心をぐちゃぐちゃにした。
中学でも虐められて、無為に過ごした。不登校にだけはなるまいと、自分を奮い立たせ続けた。奨学金を借りて高校に進学した。バイトを始めて、初めて使えるお金を手にした。お金があると避けられる不便があることを知った。バイト先のまかないを貰ったとき、こんなにも美味しいご飯がこの世にあるのかと感動した。
ストレスか栄養不足か、顔全体に吹き出物が出るようになり、顔面で赤くないところを探す方が難しいくらい醜くなった。これは5年後にタバコを吸い始めてから一気に改善した。醜い痕は無数に残っているけど。
コミュ障で不細工で運動音痴だったけど、本をたくさん読んでいたから、義務教育の勉強はひとりでもそつなくできた。英語を使う会社に高卒で滑り込んで、途上国勤務を命じられた。日本に未練が何一つ無かったから、二つ返事で了承した。お酒とタバコだけが拠り所だったけど、捨て猫を拾ってからは拠り所が増えた。物乞い以外に生きるすべを知らない子供をたくさん見た。俺は全然、幸せだった。