はてなキーワード: 義憤とは
この間のお嬢様ずんだもんの件でも思ったけど、女の中には人のファッションに厳しい奴がやたら多い。
この間、大学の女友達がとある講師のファッションをめたくそdisっていた。
曰く、「あの歳であんな丈のスカートを履くのはあり得ない」「だれが中年のふくらはぎを見たいと思うんだよ」「あのファッションは許せない、年相応の格好をしてほしい、見ていて不愉快」等など凄まじい剣幕だった。
どうも、ある種の女は人のファッションに対して並々ならぬ情熱を燃やし、自分の中の規定のファッションから外れている者に対してイライラを通り越して義憤を感じているようである。
無論、ドレスコードがある場所で場にそぐわない格好をしたり、公の場で公然わいせつにあたるような格好をするのは論外だろう。
ただ男は他人のファッションについて「まぁ別にその人がいいと思ってんならいいんじゃないの」くらいに思っている人が大半だと思う。
自分の隣に並び立つ人のファッションについては最低限頭のおかしい人だと思われない程度の格好をしてほしいと思う人も多いだろうが、件のお嬢様ずんだもんの件のように自分に関係のない赤の他人のファッションについてあそこまで怒りの感情を燃やせる人間というのは稀だろう。
彼女らのあの並々ならぬ怒りは一体どこから来ているのかを分析してみた。
ただ一言に嫉妬と言い切ってしまうと「別に私はあんなファッションしたくない!!!」「その人に似合わない格好を批判してるだけ!!!」等の発狂芸を誘発してしまうだけなので、細かく心理の動きを見ていこうと思う。
人のファッションにケチをつけたがるのは自己肯定感が低くて自他境界が曖昧なメンヘラである。
これはほぼ断定してよいと思う。
つまり、幼少期にいじめられていたか過干渉気味の親に育てられたかして、「他人の目線ばかり気にするようになった人」である。
空気を読むことを美徳として内面化し、空気を読めない振る舞いをした人を蛇蝎のごとく嫌う人。
自分の中に絶対的な価値観を形成できず、相対的な部分でしか好悪の判定ができなくなった人。
彼女らにとってファッションというのは「自分の好きな服を身につける行為」ではなく「人様から見られたときにみっともなく思われないような服を着る行為」なのである。
まぁ、自分で勝手に縛りプレイをやっているだけならそれでも別に構わないのだが、問題は「誰が見てもみっともなく思われないような服を着る行為」を常識、マナーだと勝手に思い込んでしまうことだ。
ここに自己肯定感の低さからくる自他境界の曖昧さが合体するとどうなるか。
すなわち、「世間のみんながみっともないと思うようなファッションをしている人は許されざる悪人である」といった意識を内面化してしまうのだ。
しかも、ここでいう「世間のみんな」というのはその実ただの自分の感想であるのだが、自他境界が曖昧なためその傲慢さにも気付けないでいる。
加えて、彼女らの多くはおそらく自分のことを容姿端麗ではないと思っている。
すなわち、「私は容姿端麗ではないので可憐な服装を着ることは許されない」「ブサイクが可憐な服を着たら周りを不快にさせてしまう」「私に許されたファッションは大人しい地味な格好だけ、可憐な服装は可愛い人にしか許されない」などといった意識を内面化している。
理想もプライドも高いくせに自己肯定感も低いから「世間様にバカにされてしまう!」といった強迫観念に縛られて一切おしゃれを楽しめない哀れな心理状態に陥っているのだ。
人間、眉毛を全そりして髪の毛も坊主にすれば、ブサイクと言われているあの子も可愛いと言われているあの子もみんなおんなじレベルのじゃがいもであるのだが、尊大な羞恥心が邪魔をしてそんな簡単なことにも気付けない。
「あの子が可愛いのは生まれつき!私がブサイクなのも生まれつき!努力は無駄!あの子に許されるファッションは私には許されない!」
お嬢様ずんだもんしかり、俺の大学の女友達然り、人のファッションに義憤を覚えている彼女らは、おそらくこのコンプレックスを刺激されてしまっているのだろう。
「お前は私と同レベルであるはずなのになんでそんな服装をしているのだ!」「みっともない!恥ずかしい!」
自他境界が曖昧なせいでまるで自分が恥をかいてしまったかのような感覚に陥り、その防衛反応として怒りが生じてしまう。
怒りとは常に二次感情であり、その根底には大抵極度の不安があるのだ。
人のファッションにケチをつけたがる女に出会ったら批判するより同情してあげたほうがよいと思う。
彼女らは彼女らでおそらく非常に生きづらい思いをしているし、何なら心療内科の助けさえ必要な人なのだ。
そして、ある程度施工の歪みが矯正された時点で「人には人の価値観があるのよ」「人のファッションについて貴方が恥ずかしい思いをすることはないのよ」と教え諭すことができればベストなのだろう。
いずれにせよ、ネットで愚痴垢を作り人のファッションにケチをつけると自分の病状を悪化させるだけなので、この文章を読んで自分のことのように感じられてしまった人は養生することをおすすめする。
そしてそれを聞き義憤した奴らは怒りに燃えて、成功者を虐げた者を探し出して正義の名の下にリンチを実行
同じ穴のムジナ、ようこそ「加害者側」へ
お前はこの瞬間から、醜悪ないじめっ子だ、それも自覚のない一番悪質なタイプのな
腹立つ、腹立つ、腹立つ、現実じゃ報復すら許されないのに、なんでうまくいくんだよ
なんで本人は善人のまま、手を汚さずに、苦しめた奴らへ最大限の復讐が出来るんだよ
腹立つ!!!現実もそうなってくれよ!!!!迫害された側は一生迫害されて、いじめられた側は一生トラウマ抱えて生きてんのに!!!!!!
報復や復讐は罪とされる!!!!!扇動すら許されない!!!!!虐げた奴らは「若気の至りだから(笑」と許されたのに!!!!!!!
不公平だ!!!!!そして不公平な世界で「得をする側」に一生立てない!!!!!
なにより凄いのは、「日本はおかしい。なぜ連日、トップニュースがWBCなのか?」とメディアへの義憤にかられる女友だちですら、「オータニは好きだけどね」とひとこと言わずにはいられないことだ。ふだん「信用できるオトコなんていない」と、男性への不信を語るフェミ友ですら、恐る恐る「オータニってどう思う?」と聞いてみれば、「いいよね!!!」と顔が明るくなる。もちろんそれは「野球の腕が凄い」ということではなく、「何だか分からないけど、あの人凄い」という称賛である。いったい、これはどういう現象なのだろう。
大谷翔平の凄さとは何なのか……なんてことを考えていたとき、Twitterでトレンドに入っていた言葉に膝を打つような思いになった。
「大谷翔平のただしさと息苦しさ」だ。
思わず声をあげて笑ってしまう。その瞬間にスルスルと理解する。野球に関心などなく、プロ野球は特に苦手で、マッチョな男集団を怖いと感じる女ですら(私です)、オータニへの好意を語らずにはいられない理由について。
そもそも、これはTwitterで、オータニは「高校生みたいでキモい」「ネオテニー(幼形のまま成熟した状態)っぽい」とか、「欠点がない=人間的魅力がない」「無機質だ、男性のメス化だ、中性化だ」など、オータニの光を前にした男たちが「僕はオータニを認めない」というようなことを口にしたためにボコボコにされる様を見た男性ライターの有料noteのタイトルである。
つまり、オータニは一部の男たちにとり「正しく」、それ故に「息苦しい」存在ということのようだ。ライターの意向は他にあるのかもしれないが、Twitterでは思い思いの解釈でバズったのだろう。なかなかの島国的発言、ホモソ(男性中心社会ですね)の日本男子的な正直な感覚に私には見える。そしてそれ故に……オータニの正しさと、その正しさで焼かれている男たちの存在が見えるからこそ、女はオータニに希望と未来を見いだしオータニを語りたがるのかもしれない。
ある種の男性たちは、オータニが「男というだけでは連帯しないタイプの男」であることを繊細に敏感に見抜いているのだ。どこかで目にした記事だが、オータニは男どうしの下ネタに交わろうとせず、女性を性的に嘲笑する仲間をたしなめたことがあるという。そのエピソードが事実かどうかは分からないが、「そういうこと、オータニさんならあるだろうな」と思わせる説得力がオータニにはなぜかある。根拠はないが、なぜか、ある。それが先の男性たちの「オータニが性的な成人男性に思えない」発言につながるのだろう。この場合の「男」とは、間違ったことも、キモいことも、不正義も、男どうしならば……と互いに目をつむり許しあえる、ぬるい男湯で生きられる日本の男ジェンダーのことである。オータニはそのぬるま湯には入ってこない、そもそもそのぬるま湯が嫌なのでは……というのが伝わるからこそ、ある種の男たちはオータニに傷つくのかもしれない。
(略)
そんな世界から自分の心を取り戻すために、今月はオータニが必要だったのかもしれない。ミソジニーでホモソーシャルな空気をまとっていない(ように見える)オータニさんの“正しさ”に、ようやく深い呼吸ができた。男どうしの「な?」が通じそうもない男に、ある種の男たちが感じる不安の正体を知ることもできた。そして、そんな男どうしの「な?」の通じない世界の風通しの良さを私は心から願っていて、その象徴にオータニさんがいたのかもしれない。女虐めを悦楽にする男たちの下卑た笑いをオータニの最強の光で燃やしてくれればいいのにな。
(略)
他人との怒りの話題で話が噛み合わないのは、マジでこれが原因だったのよね
ワイの強い怒りの衝動は、相手に謝罪や反省、負の感情を持ってもらうことを求めてはおらず、単純に破壊したいという衝動に基づいている
強い怒りを感じた場合、即座に反撃する。その場で、相手から謝罪を受けても、相手の反省のポーズを見ても、衝動はおさまらない
なぜなら、ワイの行動は破壊したいという衝動に基づいているから
えっ、何?破壊したいってどゆこと?っていうと、そのままだよね
ストレス解消のために皿などを壊したりする、“Rage Room” とか “Break Room” とかのサービスあるじゃん?(日本にも物ぶっ壊し体験としてある模様)
Rage Room
https://en.wikipedia.org/wiki/Rage_room
Rage room | CBC New
ただ、ワイは物や動物に対しては破壊衝動を感じない。『物が可哀想くない?』となったり、『物を作った人に対して悪いことをしている』となるため、物を壊すことに抵抗がある
また、関係のない人に対しても破壊衝動はないが・・・・・・・ーーー直接的な原因となった人や無形のものに対しては純粋に破壊したいと感じる(ホラー)
クソ雑魚ナメクジゆえ、他人に対して物理的な衝動を向けることはないけども、書ける(過去書いちゃった)範囲だと、例えば下記
この強い衝動は、水泳やジョギングをしても収まらず、瞑想や創作、ゲームや映画を楽しむために静かに留まることもできない
場合によっては食事も取れない。そもそも座っていることすら難しく、エネルギーが完全に尽きて眠るまで、対象をどう破壊するか以外にはまったく集中できない
それは1日であるかもしれないし、数週間かもしれない
怒りの対象に対しての目標が単純な破壊であるため、他人の共感を得ることもできない (むしろ、今からそいつを これからそいつを 殴り行こうか〜ってなったら怖いよね)
しかし、この強い衝動に『破壊衝動』というラベルを適用することで、ワイは以下のような認識に至りました:
以上の理由から、破壊衝動に身を任せることは避けるようにしました。万能の解決策ではないけど、多少の効果は感じてる
(そもそも、最近は怒ること殆どないけどね。気張って生きなくなったから)
あと、どんな風に考えようとも、結局、長い時間掛けて認知変えてくしかないな・・・となりました
罹災証明書を受けたり公費解体や生活再建補助金をもらうための第一のステップである被害認定作業のほとんとを県外都市部自治体からの応援職員が行っているよ。
スピード優先で「立っているか」、「立っていないか」ぐらいの判断で被害認定を行っているよ。
そのせいで倒壊は免れたものの、被災により柱がズタズタな古民家や屋根がブルーシートで覆われているような古民家に対して「被害なし」の認定を連発しているよ。
住民は避難所や2次避難中で不安でしかないなのに生活再建ができないと絶望しているよ。
一部の元気な人たちや義憤にかられた漁師たちが、市役所に2次調査申込で怒鳴り込みに来て怒号の能登弁をまくしたてたことろ、応援職員が号泣するという地獄の光景がひろがっているよ。(七尾市は漁師町です)。
このまま被害なしとすると公的解体も補助金も支援が受けられないので、住民が七尾市から逃げ出す算段を始めているよ。
特に東京や大阪から移住してきた古民家リノベIターン勢は、2次調査まで待ってらんないので、このまま支援を受けられないなら実家の都市部に帰ることを決断し始めたよ。
電車で女性が隣に座ると許された気がするのは「男性のあるある」と書き込まれていたけど、おばさんの私も似たような感覚がある。
私自身が16歳から24歳くらいにかけて、なぜか生理的嫌悪感のセンサーが異様に鋭かった時期があって、
同時に態度に出すと失礼だし、相手に知られると怖いという気持ちもあって、
強い感情を隠しているストレスを感じている生きづらさがあったのだけど、今はもうない。
もう「嫌悪感を覚えるような元気(?)」がなくなったというか、全部の動物的感覚が鈍ったというか…。
(この全部が鈍って楽になった感じこそDon't trust over 30の源なんだろうか。生理的嫌悪感だけじゃなく義憤のような感情も消えた気がする)
だから二十歳前後の女性が隣に座ってくると、「生理的嫌悪感の感度がMAXの世代に許されたから大丈夫」みたいな偏見由来の感覚がある。
若い男、イケメン等が隣に座ったところでそういうのはない。モテてる男が警戒心を持ってなくて、ろくに知らない女からもらったクッキー食べてたりしたの見てきたから、
男はあんまり周りを見てない、男が隣に座ることには意味がないし何のお墨付きにもならない、という偏見を持ってしまう。
一番、鋭敏な生理的センサーを持っているのが若い女性だから、若い女性が隣に座ってくると「私は大丈夫な気がする」と思えるのは、
どうせこの事件あるまでセクシー田中さんなんざ知らなかっただろボケがよ
あの程度の確執なんざまともに社会人生活送ってたら何度か出会すことだろ
それを、「なんかもう嫌になったんで死にますわ〜泣」とか抜かして勝手に死ぬ方が悪いだろ
オタクくんだの弱者男性くんだのは脳みそが小さいからクリエイター視点でしか物事考えられないんだよね
原作者こそが王様!!その原作者にたてついたテレビ局、出版社、脚本家は悪!!ってなって調子こいて叩きまくってたのとかほんとに何様って感じでしんどいし、そういうやつらが原作者を錦の旗にして無駄に騒動拡大させたのが自殺原因だろ
それなのにいまだに〇〇が悪い●●が悪いと繰り返してばっか
ほんとに愚かだねえ
そろそろいい加減本気で考えなくてはいけないんだと思う。
いや、義憤に駆られるのは実際わからんでもない。若いうちは特に。
でも年取って色々経験して、世の中は思ったより単純じゃなくて、まぁ単純だったりもするんだけど、
立場が変われば正義も変わるし、お互いが正義を掲げるから戦争になるわけだ。
それなのに、なぜ炎上ネタを見つけては、正義の振りかざすバカが湧いてくるのか。
もちろん俺もはてなーで、一方的に手斧を投げることは嫌いな人種ではない。今はしないけど。
ただまぁ、結局のところ、人をいじめる正当な理由を手にしたことによるものなんだろうなと思ってしまう。
こういうことをしたやつはいじめられてしかるべきとでも思ってるのではなかろうか。
ほんとなんなんだろうね。
一節には、バッシングすることは、セックスと同じだけドーパミンが出るらしい。
それが正義の側に立つならば、糾弾されることはない絶対的安全地帯からのバッシングなので、
バッシングをやめられない奴らは、セックス依存症と大差がないのかもしれない。
ならいっそ、日々セックスでもしていれば、バッシングなんてこともしないのかもしれない。いや、より快楽を求めてするかもしれないがな。
結局のところ、炎上の度に正義の側に立つことでえられるドーパミンの虜なのだ。
彼らはこよなく愛する肉便器を決して手放したくない。
ゲームがやめれられない人や、セックス、アルコールがやめられない人、ネットストーキングがやめられない人と同じように、
バッシングがやめられないのだ。
正直わからないのだが、こんな半分以上精神が逝ってる人間のでかい声のせいでい、日本全体が不利益をこうむっているのが本当によくわからない。