はてなキーワード: 周知の事実とは
『旦那が大便が付いた下着を、そのまま洗濯機に入れた。それに気づかず洗濯機を回してしまった。離婚原因にできるか』みたいなやつ。
ああ、やっぱりそうなんだ、と思った。
男って結構うんこ漏らすよね。結構な歳いってる人でも。サンプルが少ないから主語デカなのかもしれないけど。
私が働いている職場にいる男性(50代、独身)もうんこ漏らす。
もうひとり同じように独身で50代男性もいて、こっちもうんこ漏らす。漏らすっていうか、トイレにうまく出来ないのかうんこが便器からはみだしてる。
自分の肛門の位置?うんこが落ちるポジション?が把握できていないのか、便器の後ろ側(背後?)に落ちてしまうみたいで時々落ちてる。
てかさ、落ちたなら自分で片付ければよくない?自分のうんこくらい。なのに、そのままにして出てくる。あとからトイレ入ったらうんこ臭ヤバイし、そもそもうんこがある。おかしくない?普通、自分のうんこを他人に見られるのとか恥ずかしいと思わない??
なのに、そんなのが月に一、二度ある。
んで、トイレ掃除するのは職場で一番年下の、女である私。それが周知の事実なのに、自分のうんこを片付けない。
私はこんなのを何度か経験してるので、職場のトイレには極力入らないようにしているのだけど、掃除はしなきゃいけないから何度かうんこを片付けている。絞め殺したくなる。トイレきれいに使って下さいねー、とやんわり言うんだけど分からないらしい。うんこはみ出てんのわかってないのか?いや、もうトイレが臭いんだからどっかにうんこあるなってわかるじゃん。あんた、うんこしてから、うんこはみ出させてからもトイレ入ってんじゃん?そのときに、あ、うんこ出ちゃってたなとか気づかないん??
家族でもない私にうんこ片付けさせるのをなんとも思わないって何かの障害なのでは?
話を最初に戻すと、このうんこはみ出しマンとは別の50代男性ははみ出すどころか漏らしたことが数回。
運転中に漏らしたとかいって、しまむらでパンツ買ってきてと言われたのも同じ回数。しね。なんで私が家族でもない彼氏でもないやつのパンツなんか買ってこなきゃいけないんだよ。糞が。うんこか。
このひとも、便器からはみ出しとまではいかないけど、便器にうんこ付けてそのままにしている。
うんこが便器にこびりつくのはわかるとしても、そのときにトイレットペーパーで拭けばよくない?目の前にトイレマジックリンスプレーあるんだから、それをシュッとしてトイレットペーパーで拭けばそれで済むじゃん。
なのになにもしない。
なんなの?
あとこの二人に共通するのは、うんこマンというだけではなく片付けが出来ないということ。
ペン使ったらそのまま、カッター使ったらそのまま、引き出し開けたらそのまま、お茶のんだ湯呑もそのまま放置。
「ものを使ったら片付けましょう」って幼稚園で習わなかった?親に教えてもらえなかったの?
習ってたとしても覚えてないんだろうし、片付けなくても許される環境で育ってきたんだなぁと。で、この二人とも長男で実家住みなのが納得できるとこ。
ママに何でもかんでもしてもらってきてるんだろうな。ママがご飯作ってくれて片付けてくれてパンツも洗ってくれてるんだろう。パンツだろうが便器だろうが、うんこついてても何も言わない優しいママなんだろう。
片付けに関しても、大抵は恋人が出来て同棲したり、結婚したりして、他人と共同生活していくうえで
子供が出来てしつけをしていく中で自分も同じことを学んだりするのだろうけれど
こういう、ある程度の年齢になっても独身・実家住まいの長男はママが面倒見てくれるから赤ちゃんなところが消えないのだろうな。
仕事があって、安定した収入があって、税金を収める、一家を支える人間だとしても、自分のうんこを適切に片付けられない時点でうんこ以下だよ。
と、今日もまた職場のトイレにうんこがあるのを見つけたのでこれ書いた。
この先ずっと金銭的に支えていくことになるのだから、せめてそこだけは確約して欲しい。
第一に、今までずっと語り聴かされてきた、子を持つことの幸せとやらを、確実に体現してもらうことは絶対条件だ。
当然ながら、最低限として子供は成人するまでは、幸せを享受し続けなければならない。親はそれを提供し続ける義務を負い、社会通念上における幸せの在り様を示し続けなければならない。
子持ちであることを幸せであると規定してきたのは、他ならぬ子持ち勢自身なのだから、その他大勢からの永続的支援を享受する特権的立場になる以上は、ノブレスオブリージュの精神に則り、親としてのは責任は確実に全うしてもらわなければ困る。
次に、少子化に歯止めをかけるという、最重要任務が課せられることに同意し、これに誠実に対応すること。
一組の男女から二人の子供では、まったく追いつかないことは周知の事実なのだから、当然ながらそれ以上のパフォーマンスを期待されることは避けられない。
健康等の個々人の事情はあるにせよ、それでもこれからの時代、子を持つことの責任はさらに重くなっていくことは避けられない。
そんな当たり前の事も分からずに、好もうとも好まずともそのような立場になる者も当然多くいるだろうが、だからと言ってその事実が消えるわけではない。
税という媒体を通じて、多くの国民の期待を背負わされることになるのだから、必要最低限の成果は求められるのもまた当然の流れだろう。
あなたたち既婚子持ち勢とその子供たちは、幸せで在らねばならない。
他人からの期待が重いというのなら、その空気を無くすように努力しよう。
それでも、あなたたち既婚子持ち勢とその子供たちは、幸せで在らねばならない。
少子化に歯止めをかけるべく、また子供たちの幸せな未来を全面的に支えるために、援助も惜しまないと約束しよう。
あなたたちが決して気負うことのないように、既婚者たちの幸せをいつまでも祝福するし、常に笑顔で国の宝たる子供たちにも接しよう。
だから、あなたたち既婚子持ち勢とその子供たちは、幸せで在らねばならない。
あなたたちが望んだように。
文化庁のAIと著作権についてのパブコメの結果が話題ですね。自分も2万件超のコメントの一つです。副業程度の収入を得ているアマチュア絵描きとして、生成AIには何らかの規制が必要であるという立場でコメントを送りました。
主要な問題としてコメントに書いたのが、生成AIの学習に海賊版(違法アップロードコンテンツ)が使われている問題です。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoseido/r05_07/pdf/94011401_01.pdf
文化庁PDFの30〜32ページに海賊版、つまり違法にアップロードされた書籍、写真、動画、絵などをAI学習に用いることについての意見が並んでいます。文化庁の見解としては、生成AI事業者が海賊版であると知ったうえでコンテンツを学習に用いた場合、事業者は権利侵害の責任を問われる可能性があるとの考え方のようです。
現行の生成AIは海賊版の学習なんてしているのか? 確実にしているようです。画像生成AIのひとつNovelAIが、海外の無断転載の温床であるDanbooruから学習していると公言したりとか、MetaがAI学習に使用したデータセットが膨大な海賊版書籍によるものだったとか、さまざまな話題があります。
もとより、ウェブには権利者に無断でアップされたもの(創作物だけでなく写真なども含む)が溢れかえっていることは周知の事実です。ウェブから効率よく膨大な学習データを求めれば、そうしたコンテンツが混ざってくることは当然なわけです。それを承知のうえで、生成AIの開発は行われている。
これはクリエイターや企業の著作権にとどまる問題ではありません。海外では、画像生成AIの学習データに児童ポルノや個人のプライバシーに関わる画像が含まれていることも指摘されています。自分の知らないところで自分の写った写真がウェブに放流されAIの学習対象になっている、ということもあるのです。
「たとえ海賊版や個人情報でも学習データにするだけなら違法ではない」と反論がありそうです。
ですが仮に、ある漫画家が「海賊版サイトで漫画を読みまくって漫画を勉強しました」と発言したら、とうぶん仕事を失うでしょう。違法行為であるかは別として社会的、倫理的に許されない行為であることは明白だからです。
となれば、生成AIの学習に海賊版を用いることも同様に許されないでしょう(特に、AI肯定の立場から言われる「人間の学習とAIの学習は同じ」という見方ならば)。
クリエイターが、海賊版を学習したAIをそうと知って自身の創作に使うことは、間接的な海賊版の容認とも見なされるかもしれません。
非倫理的な学習方法によって成り立っているのが生成AIの現状です。批判的な立場からクリーンな学習データによるAIが求められるのはこのような理由もあるわけです。
残念なことに、生成AIを肯定・推進する立場の人々はこの学習データ問題に触れたがりません。自分の見てきた範囲ですが、本や記事やSNSで、ここに真摯に向き合っている人はいません。
「ディープフェイクや特定個人の模倣などの悪質なAIの使い方だけが問題だ」という主張をし、その範囲では厳しく批判をする人はいます。もちろん悪質な使い方は許されません。しかし、自身の使っている生成AIがその学習の成り立ちから非倫理的である可能性には触れません。認めると面倒なことになるのがわかっているからでしょう。
反発の声を都合よく切り取り、身勝手に新技術を忌避している反AIというくくりで片付け、本来の問題から目をそらしているのです。
生成AIの開発者も利用者も、まずこうした事実を認めて、横暴なやり方で莫大な学習データを確保し、その問題は無視して利便性のみで強引に生成AIを普及させているという現状に向きあうべきです。
学習データの無作為な広範さが、ディープフェイクなどの悪事を容易にし広めていることも認めないといけない。そこから改めて、あるべき生成AIのあり方を考えないといけません。
許可を得たクリーンな学習データのみを使用し、データの概要は開示すること、これが必要です。
AIの普及が避けられない、技術の進歩は止まらない、と言うのなら、その過程で誰かを踏みつけにしない努力も払うべきです。生成AIを批判する人の大半は、技術の発展に反対しているのではなくその過程の理不尽に反対しているのです。
小山田の時も最初は変な人というか一人が騒いでただけだった(東京五輪以前にも何度か取り上げられる波はあったけどキャンセルに至らなかった)
Metooも、まあ性加害とスキャンダルの告発はもちろん大昔からあるけど、ネット上のブームとしては最初は「変」なものの一つに過ぎないはずだった
芸人なんか逆に遊んでる方が普通という調子だったし、ジャニー喜多川も「周知の事実」で逆にわざわざ指摘する奴は野暮みたいな扱いだった
何を取り上げるのにも、どこからが変でどこからが変じゃなくなるのか
何かの告発を最初に言い出した人が明らかに狂ってるように見えても、「本当に事件が起きていて、そのショックやトラウマで気が狂ってしまった」というところまで配慮しなければいけないらしいのが現代だしな
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
https://corporate.pokemon.co.jp/media/news/detail/335.html
他社ゲームに関するお問い合わせについて
2024.01.25
お客様から、2024年1月に発売された他社ゲームに関して、ポケモンに類似しているというご意見と、弊社が許諾したものかどうかを確認するお問い合わせを多数いただいております。弊社は同ゲームに対して、ポケモンのいかなる利用も許諾しておりません。
なお、ポケモンに関する知的財産権の侵害行為に対しては、調査を行った上で、適切な対応を取っていく所存です。
弊社はこれからもポケモン1匹1匹の個性を引き出し、その世界を大切に守り育てながら、ポケモンで世界をつなぐための取り組みを行ってまいります。
これ見て、やっぱダメなんじゃねーか!って吹き上がってる奴いるけどバカすぎる。
株ポケは
と
が来ていると発言している。
その上で、「弊社は同ゲームに対して、ポケモンのいかなる利用も許諾しておりません」と回答している。
これは2.に対する回答になる。
そもそもパルワールド側は「株式会社ポケモンからポケモンの利用に対しての許諾を取って製作しております」などということは一切言っていない。なので、株ポケが「ポケモンの利用を許諾していない」という発言が、パルワールドに対する否定には一切なっていない。
バカどもが「パルワールドにポケモン使っていいって言ったのかよ!」って聞いてくるから「言ってねーよ」と答えているだけであって、そもそもパルワールド側も「ポケモン使っていいって言われた」なんてことは一切言っていないのだから、そりゃそうでしょうねという話に過ぎない。
そうして今最も問題視されている1.「ポケモンに類似しているというご意見」に対しては無回答だ。
いや「調査を行った上で、適切な対応を取っていく所存です」がその部分の回答にあたると言えるが、
これも言ってしまえば「問題があれば対処する」というだけの話であって、問題があると言っているわけではない。
株ポケがパルワを認知していることも調査の結果問題があれば対応していることもすでに周知の事実でしかない。
「調査されるってことは有罪ってことなんだ!」と言い張るかもしれないが草津のこともう忘れたんか。
"「ビッグブレックファスト デラックス」 983kcal" カロリー高すぎだろ
2024/01/21 リンク ★36★
当たり前だと思っているものも、いつかは無くなってしまうんだなぁ
2024/01/21 リンク ★30★
ビッグブレックファストを食べる人がいるなんて。それもデラックスの方を。自分は一番安いソーセージマフィンですら胸やけして食べきれなかった。
朝マック好きな人が意外といるのね。マフィンとか油が多すぎて朝から食べたくないので、朝マック無くしてほしい
2024/01/21 リンク ★22★
販売終了とは寂しいことですわね。夜空の星の輝きも永遠ではなくいつかは消えてしまうものね。それでも新たな星が生まれることを願っておりますわ。
ビッグブレックファストが好きな同士がいるとは。いつか復活することを祈って合掌
2024/01/21 リンク ★15★
カサノバの経営手腕は今でこそ周知の事実だけど、CEO就任当初はまだ評価されてなかったからな。株の世界でタラレバ言ってたらキリがない
2024/01/21 リンク ★13★
ビッグブレックファストってハンバーガーの具材を挟まずにバラバラのまま並べた謎商品じゃん。普通にハンバーガーを頼んだ方がよくないか?
2024/01/22 リンク ★9★
草津町の町長が性加害疑惑をかけられ、結局それが冤罪だったという事案があった。それを引いてきて「松本人志も冤罪かもしれないから、裁判が決着するまで何も言ってはいけない」みたいなことを言う人間がいるのだが、あまりにも雑な意見だと思う。
確かに草津の件でネットの連中がワーワー騒ぎ立て、草津町及び町長への風評加害を行ったのは論外である。一方で、あの件が問題になった時点で、少し調べれば「これは新井町議が嘘を言っているだけで、性加害などなかったのでは?」と判断することができたのも事実だ。具体的には、飯塚玲児というライターが書いていた『草津温泉 漆黒の闇5』という本、及びネットで出回っていた新井町議の「しょこたん通信」という怪文書のようなペーパーを読めば、同町議がかなりアレな人であり、証言に信憑性などとても置けないことは分かったと思う。
また草津町に知人がいれば、少し確認を取るだけで現在真相として出回っていることくらいは把握できたはずだ。地元では新井町議サイドがヤバい人であることは周知の事実で、町長室改装の経緯などから彼女が訴えている被害がありえないことは知られていた(だからリコールも成立した)。草津の件で学ぶべきことがあるとしたら「裁判の結果が出るまで何も言うな」ではなく、「調べられることは調べてから判断しろ」のほうだろう。ネットで二次加害をしていた人間は、ろくに調べもせずにひとつのソースで物事を判断したから、ミスリードした。
一方で松本人志である。文春の報道だけでなく、松本本人や吉本興業のコメント、その他たくさんの周辺情報が出ており、以下のことはほぼ確定している。
なので上記については裁判の結果を待たずして語ることはできるし、たとえ裁判で「性加害はなかった」と認定されたとしても、それはセカンドレイプにはなりえない(そもそも同意の有無を巡って裁判をするのか、よく分からんけど)。もちろん松本への名誉毀損は論外として、上記の範囲内でこの事案について語ることはできるだろう。
ロンドンブーツ敦などが「何があったか分からないから何も語れない」などと小学生みたいなことを言っているが、それを言い出すと裁判の判決も、真実であろうことを「認定」するだけで、究極的には人間には過去に何があったかなど分からない。裁判の結果が絶対的に正しく、盲目的にそれに従うのだとしたら、再審が終わっていない袴田巌さんに対しても「お前は殺人者だ」「裁判でそう認定されている」という態度を取らないと矛盾することになる。
語りたい対象に対しては調べられるだけ調べ、自分の中で結論を出し、二次加害にならない範囲で語る。調べても判断できないことについては語らない。そういうのが成熟した態度であり、「何があったから分からないからお上に決めてもらうまで黙ろう」というのはあまりにも幼稚で極端だと思う。
1. 行動ファイナンスは個人の振る舞いを説明するもので、企業の株価や利回りを予想するものでない。そりゃ、国力と株価のアンマッチなんてアラムコをみればわかるでしょ。
2. 外国債券と国内債券の利回りはその国の公定歩合にリスクプレミアムを加えたものになる。そして、それは通貨の流動性のある国ではアービトラージされることで為替によって無意味な差となる。ただし、これは金融危機のない場合に限る。
3. 株式はインフレに中立は厳密には嘘だと思うが、それでも通貨やモノに比べれば相対的には中立だとは思う。デフレ下では、株価がヤバいのは昨今の日本では周知の事実。
4. ドルコスト平均法は逆説的に言えば、投資に貪欲でなかった人にとっては機会損失を意味するからね。マクロで見たら受精した瞬間から投資しないのは不勉強だったというわけ。
5. ゼロサムは参加者のB/S を積分すると損も利益もないという話じゃなかったけ?分散してリスクを下げて時間をかけて儲けようというのは、努力というか、なんというか投資とは思えんよな。気持ちはわかる。