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2024-03-31

初恋イデアみたいなのを見た

これはおっさん気持ち悪い思い込みの話のようなものなので同行の士以外はOn Error Resume Nextしてくれ(ほらもうおっさんが出た)

ええとな、出先でちょっと疲れたので公園自販機缶コーヒー買って飲んでたのよ。

そしたら、ちょっとむこうで子供たちが遊んでた。笑いながら走り回ってる。

お姉さんがちょっと年下の子たちの面倒を見てるのかなと思ってたんだけど、服装違和感があった。

大きいのにパステルカラー女児服なんだよな。そでとかすそとかの作りでわかるじゃん。

よくよくみたらお姉さんはほりの深い長身褐色美少女小学生であって、みんな同い年っぽかった。

ちょっとフィリピン人ぽさのある美女だった。

あん美少女となんもかんがえず手をつないで走り回ったり鬼ごっこしたり足がもつれてひっくり返ったことに大笑いしたい人生だった

今世で徳をつんあんな感じに生まれ変わりたいね

2023-12-31

なんやこの生き物?

延々とYouTube見る、スマホ取ると泣く

延々と鬼ごっこする、追いかけないでいると泣く

延々と飯食う、お腹いっぱいになると泣く

お腹空くと泣く、だけど飯食わないで泣く

延々と寝る、起きると泣く

眠たがって泣く、だけど寝ない

2023-11-03

小学校の好きだったところ

増田出身小学校はいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった

裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林飼育小屋ちょっとした池、テニスコート1面があった

 

田んぼ…6年生が先生監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事おにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる

 

畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいも栽培して、秋になったら1年生の子グループを作って雑木林落ち葉焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たち微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生スイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)

 

ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる

 

飼育小屋うさぎニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田ニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田きょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった

 

ちょっとした池…でかめ金魚と鯉がいた。たまに野生か野良動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた

 

テニスコートテニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間鬼ごっこ会場か教頭先生スイカ振る舞う会場にしか使われてなかった

 

政令指定都市ベッドタウンな町の公立小学校での思い出

小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった

時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる

2023-10-28

離れてくれればいいのに

一人っ子男の子のお母さんがめんどくさい。


一人っ子男の子」とかわざわざ書くあたり完全に偏見が入ってるのは自覚している。


仮にその一人っ子男の子をA君とする。


そのA君は息子とクラスは違うものの学年が一緒。

小学校入学してそれほど経っていない頃

ある日、息子が帰宅後「A君と遊んでくる」と遊びに出て行った。


今住んでいる地域には最近引っ越してきて顔見知りが居ない中

早速近所にお友達ができて良かったなー。なんて思ったのもつかの間。


翌日、息子が通う小学校から電話が来た。


どうやら昨日、息子がA君の服を汚してしまった。とのこと。


その日は雨上がりだった。

公園遊具や地面が濡れて息子も服や靴を汚して帰ってきた。


今でも仲良くしている園児の時から友達公園などに行くと

割と服を汚してくるし、お友達のお母さんとも汚れちゃうよね~なんて話してたので気にならなかったが

汚れを気にしちゃうご家庭もあるよね。


ということで謝罪をし、必要ならクリーニング等の対応をする旨を伝えました。

クリーニング等の話は辞退された)


それから学校からの連絡が増えた。

決まってA君と遊んだ翌日。


息子と遊んでA君がケガをしたようだ(鬼ごっこ最中にA君転倒)

息子がA君を置いていこうとしたようだ(走って移動中、A君がなかなか追いつけなかった模様)


()内は学校と息子の言い分。

息子が自分の都合のいいように言っている可能性もあるため

盲目的に信じているわけではないが、それにしても学校を経由したA君お母さんからクレームが多すぎる。

学校外の事なのに対応くださっている先生方には頭が上がらない。


私自身もクレームのたびA君お母さんに謝罪している。

先日行事で顔を合わせた際にも改めて謝ったが「あ~ハイハイ」と塩対応


なぜA君のお母さんはA君が息子と遊ぶことを止めないのか。

正直勘弁してほしい。


うご迷惑ばかりかけてしまうのでもうA君は息子と遊ばないでいいです。

A君にもそう伝えてください。こちらもそう伝えます


という旨の文言を何度も言おうと思ったが

それはそれで伝家の宝刀"学校経由でクレーム"を言ってきそうで

どうしたものかと思い悩んでいる。


なんでA君はそんなに息子と遊びたがるのか。


息子は学年を超えて名前も知らない子と一緒に遊んでいることが多い。

学年が近い子供が多く集まるこの地域で、学年を超えてその場限りの遊びがはじまるのは決して珍しくない。


ただA君が息子以外の子供と遊んでいる光景を見たことがない。


きっと元々住んでいた近所の方は上手くA君とA君のママから逃げられたのだろう。


1学期も終盤なると息子が習い事を始め、A君と遊ぶ頻度はガクっと減った。

夏休み中も息子は学童に通っていたため物理的にもA君と離れ、しばらくは平和な日々が続いた。


しかし2学期。A君は下校後ではなく下校中に息子へ絡んでくるようになった。


最近来た学校経由のA君お母さんのクレーム


息子がA君に寄り道をさせた。


上手く説明できないが、A君の家はウチの近所だが下校途中から使用する道が異なる。


A君がA君宅へ直帰できる道と

息子が自宅へ直帰できる道と途中で分かれる構造になっている。

もちろん息子が直帰できる道でA君の家へ行こうとすると遠回りになってしまう。


この件について

「なんかA君が勝手に着いてきた」とは息子の弁。


通っている小学校では1年生の間ゆる~い集団下校が決まりとなっているのでどうもこうもできない。

早く2年生になって個別下校になるのを待ちわびるばかりだ。

2023-10-02

anond:20231002153144

ニコ生で教えてもらったんだけど「ショタおね」というジャンルもあるらしい。

100人くらいのショタ無人島鬼ごっこさせられる24OL」みたいなジャンルがあるらしく、声出してワロタ

2023-09-16

三大ガキの頃から友達いなくて聞いたことはあるけどやったことない遊び

1.鬼ごっこ

2.大富豪

3.人生ゲーム

他には?

2023-09-10

俺も「鬼ごっこモンハン飲み会を一緒にやる仲間」はいたけど、「俺自身友達」は一度も居なかったと感じてる

友達いたことがなかった」気がする人の一つのパターンたまたま提供できるのでちょっと聞いてみてくれないか

俺はさ、「特定コンテンツを一緒に遊ぶためのプレイ人数稼ぎ」より上の関係になったことがある気が全くしないんだよな。

コンテンツの方が「友達」で、一緒に遊ぶ人間は「友達友達」でしかない感覚というかさ。

たとえば、ポケモン通信進化させるために友達必要だとして、それは本当の友達ポケモンというゲームの方であって、人間友達はそのための中継機でしかないとも言えるんじゃないかって話。

俺がそういう態度で人と接してしまっていただけなのか、周りもそうだったのか知らないんだけど、ずっとそうでしかなかったように思う。

まあでも多くの人にとっても最初はそういう風に人間関係が始まるんじゃね―かとは思ってるんだよ。

恋愛における一目惚れとかは別にしてさ。

共通趣味がある所から話題が広がって、そこから一緒に行動して、そのあとでようやくコンテンツを通じた「友達友達から人間同士で「友達」になっていく流れがあるんだろうなって。

その人間同士の「友達」になった経験ってそういや俺にあったっけと思いだそうとしたんだが、どうも無いっぽいんだよな。

ボードゲームをやるためにボドゲカフェに行って、そのあと飲み会をしてから解散って流れでも、ボドゲと酒が俺達にとっての本来の「友達」であって、俺たち自身がお互いに人間として興味を持ってるかというと微妙な気がしてならんのよ。

たとえば飲み会なんかで「お前と話してると酒が不味くなる」みたいな言葉が出ることがあるじゃん

あれってつまり「酒を美味しく飲むための手段としてお前と話してるんだから、酒が不味くなったら本末転倒じゃねーか」って意味なわけでさ、まさしく酒のほうが「友達」で、目の前の相手は「肴」でしかないってことだよな。

俺ずっとそういう友達関係しか築けてなかった気がしてならんのよ。

友達幻想なんて良く言われるけど、お互いに対して人間として興味を持って接する関係ってのは実在してると思うんだよな。

特に理由はないけど一緒につるんで、一緒にやれば何でも楽しいみたいな関係がさ。

俺の今までの友達関係ってその辺がひっくり返っていて、モンハンにハマっているときはクソ野良を除けば誰と遊んでもそれなりに楽しくて、逆に自分が飽きてきたら友達に誘われて遊んでもクッソつまんねえのよ。

あるコンテンツ経由で仲良くなっても、どっちかがそれに飽きたら解散して行っちゃう感じ。

ネトゲで仲良しグループジプシーしてる人たちいるけど、ああいうのが全然からないんだよ。

楽しいと思ったゲームをやりこむための手段としてギルドに集まっているだけなのに、なんでギルメンとの人間関係でやるゲームを縛られなきゃいけないんだろうって考えちゃう

人間に興味がねえってことなんだろうねつまり

まあこれがいわゆる「本当の友達を作れないし、本当の友達必要としないタイプ人間」って表現をされる人種の正体なのかもな。

自身の単品としての人間的な魅力が低いか人間同士として友達関係で直に結ばれねえだけなのかもだが、それを努力して解決しようって気になるほど他人と直で「友達」になりたいとも思ってねえんだよな。

たまに寂しくなることもあるけど、だからって「友達」を作るために自分人生スタイルを大きく捻じ曲げたいとまでは思わないんだな。

そうやって無理してもどうせどっかで疲れて喧嘩別れみたいなオチがうっすら見えてさ。


「友達と言える人が人生で一人もいたことがない」夫の話

2023-06-06

人生に一度は宿泊したい量販店

IKEA

家具豊富レストランも完備。

最高の一日になりそう

ニトリ

家具豊富だが、レストランがないのがネック。

食器は使い放題なので嬉しい

コストコ

食べ物豊富だがベッドがないかも?

朝食はクロワッサンバターロール

イオンモール

夜中に鬼ごっこしたい。

ユニクロ

服が着放題なのは嬉しい。食べ物やベッドは諦める。

ドン・キホーテ

食べ物も服もあるし意外と良さそう

ABCマート

靴履き放題。ディナーは革靴を食べよう

2023-06-01

鬼ごっこ」って徒競走でよくない?

どうせ一番足の遅い人が負けるゲームなんだから徒競走でいいと思う。

足遅いか鬼ごっこクソゲーかいうやつは素人

足の早さではなく逃げられない状況に追い込むかが、鬼ごっこの鬼の肝。

校庭やグラウンドなら隅の方に追いやることで、逃げる方向を限定することが重要になる。

足の速いやつというのは自分の足の速さにかまけて、頭を使わない場合が多い。

余裕ぶっこいて逃げているうちに隅の方、隅の方へと追い込まれている事に気が付かない。

うさぎと亀ではないが、足の速さというフィジカル面での優位性だけでは勝てないのが鬼ごっこだ。


とはいえ幼稚園児や低学年の子供達にそういうの求めるのは難しい。

なので、鬼だけやる大人を一人入れると良いと思う。

鬼が一人しかいないから追い込みにくいのだから、常に複数の鬼が存在するようにすればクソゲーしづらくなるだろう。

大人の鬼は走るの禁止にすれば、運動不足大人肉離れ起こしたりアキレス腱切ったりという事もないだろう。

鬼ごっこをするときはね、直前まで鬼に追いかけられてた子を狙うんだ

疲れてるから足が遅くても捕まえられる

2023-04-22

実際問題としてフードコートにいるクソガキの五月蝿さヤバくね?

チンパンジーかよってぐらい騒ぎまくる。

噛まないだけの野良犬みたいなもんじゃん。

特に二人以上いるとき鬼ごっこみたいの始めるのが最悪。

アルきながらスイッチずっとやってる前見てねえガキはこっちが席に座れば実害がねえからまだマシ。

うっせーガキは声っていう防ぎようがない方法他人人生ゴミを投げ込んでくるし、空いてる席の周辺を「僕らの遊び場ですよ~~~」って顔でチョロチョロして座ろうとすると「は?知らんババァがなんで俺たちの縄張りを奪いに来てるの?」みたいな態度を取るから本当死んで欲しい。

いやマジでうっさい子供って死んで欲しくなる。

ちゃんとした親に育てられたちゃんとした子供って走り回れるようになる頃にはある程度まともな良識が身についてるもんだよ。

自分が嫌なことは他人にしないっていう感覚ちゃんとした人間なら3歳にもなればわかるけど、そこで分からないやつは下手すると90で死ぬ時になっても分からないまま。

から死んでもらった方がいいと思うようっせーガキ。

だってそのあと数十年後の人類にとって別に必要がないもの

会社自分より弱いやつにパワハラしまくるクソ野郎になるのって、ガキの頃からクソのまま育ったエターナルクソばっかだよ。

子供の頃はちゃんとしてたってのもたまにいるけど、基本的にはずっとクソだった奴。

更生の余地が薄いんだよね。

死んでくれよクソガキ。

せめて世間から徹底的に「クソガキお断り」をされまくって、自分たちがどうしてそんな目にあっているのかを胸に手を当てて考える時間人生で10年ぐらい設けるべきなんだ。

つーわけで、飲食店からガキを追放する運動に私は賛成だね。

2023-04-21

鬼ごっこ麻雀の融合

鬼ごっこ麻雀を融合させた、全く新しい遊びを提案いたします。この遊びは、最近の遊びの潮流を反映し、興奮と戦略性の両方を備えた面白いものです。

この遊びのルールは、まず全員が麻雀の牌を持ちます。そして、麻雀テーブルの上に、障害物や隠れ場所がたくさん配置されます参加者たちは、麻雀の牌を持ったまま、隠れたり走り回ったりしながら、障害物を駆使して鬼から逃げます。鬼は、麻雀の牌を持ったまま、追いかけて参加者たちを捕まえようとします。捕まった参加者は、麻雀の牌を置いて、ゲームから退場します。残った参加者たちは、最後まで生き残ることを目指します。

この遊びの面白さは、鬼と参加者たちの役割が逆転する瞬間です。鬼が一人残るまで続く遊びが、いつの間にか麻雀の対局に変わっている瞬間があります。そして、麻雀の牌を持っていることが、生き残るための重要な要素となっています参加者たちは、隠れたり駆け回ったりしながら、麻雀の牌を守りながら逃げる必要があります。そして、鬼は、麻雀の牌を持った参加者たちを捕まえることで、自分生存率を高めることができます

この遊びの魅力は、興奮と戦略性の両方を兼ね備えたところにあります参加者たちは、麻雀の牌を守りながら、隠れたり走り回ったりすることで、興奮を味わうことができます。また、鬼として参加することで、追いかけたり麻雀の牌を奪ったりすることで、戦略性を味わうことができます。この遊びは、麻雀鬼ごっこ好きな人には特におすすめです。

以上が、鬼ごっこ麻雀を融合させた全く新しい遊びの提案でございます

鬼ごっこ麻雀を融合させたこの遊びにおいて、参加者たちは麻雀の牌を持っています最初は鬼と参加者たちが逆転するまで、鬼から逃げたり、牌を守ったりする鬼ごっこの遊びが繰り広げられますしかし、ある瞬間を境に、参加者たちは麻雀の対局のような状況に陥ることがあります

具体的には、麻雀の牌を持った参加者たちが、鬼から追われながらも、牌を利用して逃げ回る中で、お互いが牌を出し合うという状況が生じます。牌を出し合うことで、参加者たちは麻雀の対局のように、鳴きやロンなどの手段を駆使しながら、役を作り、点数を競い合うことになります

そして、そのような状況が長く続いた結果、鬼が全員の参加者を捕まえた場合や、残った参加者たちが最後まで生き残った場合には、鬼ごっこの遊びが終了します。その後、麻雀の役や点数を競い合った参加者たちは、勝敗を決めることができます

このように、鬼ごっこ麻雀を融合させたこの遊びは、麻雀の対局のような状況に進化することで、より戦略性や楽しみを増すことができます参加者たちは、麻雀の牌を持ちながら、鬼から逃げるという興奮と、役や点数を競い合う麻雀の楽しみを同時に味わうことができるでしょう。

2023-03-23

不審者大人とは限らない

小宮信夫子ども安全をどう守るか」

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/480198.html

この記事読むまでめちゃくちゃ忘れてた記憶。私が5歳の頃の話。

近所に住んでた同い年の男の子と家の前で遊んでた。

すぐ近くには小学校高学年の兄たちが鬼ごっこをしていたが、体力的に追いつけない私たち自然と2人きりに。

その時はチョークを使って道路落書きして遊んでたと思う。(そーいや今はそういう遊びめっきり見かけないね

今だったら大人が見守るのだろうけど、この時代は上の子が下の子と一緒に遊ぶのが普通で、大人はいなかった。

そしたら、どこからともなく自転車に乗った3人組の男子中学生高校生?が近づいてきた。

5歳児からしたら中学生高校生も見分けつかんよな。

彼らはニヤニヤしながら「ちょっとこっちきて」と近くのアパートの外階段下に私たちを連れ出した。何の疑問も持たずついて行った。怖いとかワクワクとかもなかった。

人目のつかないそこで、私たち下半身の服を脱がされた。

「そこ、横になって」

私は地面に仰向けで寝る形をとらされた。

何が起きてるのかわからなくて頭の中は「???」がいっぱいになってた。男の子は私に覆い被さる形を組まされた。

要は、私たち人形扱いでセックスをするポーズをさせられていたのであるポーズをしただけで性器が触れ合うことはなかったけど。

彼らはそれをみてクスクスニヤニヤ楽しそうにしていた。私は何が何だかからないけどコンクリの地面が硬いから嫌だな、早く終わらないかな、と思っていただけ。

そのうち誰かが近づいてきたみたいで「やべ!!」と言いながら彼らは一目散に逃げていった。もし、誰も近づかなかったらその先もっと踏み込んだ行為をさせられていたかもしれない。

それからはどうしたか覚えていないけどたぶん下着スカートを履き直して遊びに戻ったか家に帰ったかしたんだと思う。

もちろん、このことは親にも兄弟にも報告していない。報告するという思考すら無かった。

この年齢の時に「不審者に気をつけましょう」と教えられていたかどうかは定かではないが「不審者」という括りは本当に曖昧危険表現だと思う。

例の記事世間もっとまりますように。

2023-01-13

部活動から先生を守るために

部活動は、中学校学習指導要領において「教育課程外の学校教育活動」と定められる。だが、校長から「お願い」されて、ほとんどの先生が何らかの部活動顧問をしているのが現状であるシングルマザーで、頼る人も周囲いないのに、運動部顧問になった人を知っている。

僕の感覚だと、部活動顧問をやりたくない人は相当の数いるのではないかと思っている。

それなら「お願い」なのだから拒否」すればいいという人がいるだろう。

インターネット上では、部活動顧問拒否する方法散見されるが、実際に拒否するのは、相当に肝が据わっている人だろう。

それは、みんなやっている顧問拒否したら、いわゆる「村八分」にされるかもしれないと思っているからだ。

教員集団は良くも悪くもチームで働く。村八分になってしまうと、様々な業務に支障をきたしてしまうことは想像に難くない。

ただ、顧問拒否したところで、本当に村八分にされるかは、わからない。「みんな自分と同じように我慢している」というのが前提となり、ノプティコンのごとく、「あいつは、みんな我慢しているのに拒否した」と思われることを恐れている。

また、先生たちの部活動に対しての温度差も大きい。部活動に意義を見出し、生きがいにしている先生一定数いる。とにかく何でもいいから認められたいという理由で、モチベーションが高い先生もいる。こういった先生を前に、「部活やりたくない。意味ない」なんて言ったら大変なことになる。だから、賢い先生部活動が好きなふりをしている。

また、部活動では、どんな先生でもモチベーションが高かろうが低かろうが、生徒や保護者から様々な注文や批判に晒される。同僚や管理職も味方のようでいて、保護者と同じように「クレームを入れられる先生が悪い」なんて言ったりする。

部活動顧問は、一種ガチャである。異動のタイミングで引くことが多い。というか、内部の人間は、うまく調整して逃げられるのだ。

僕も着任早々、なかなか前評判の悪い部活動顧問を打診された。というか決まっていた。

異動した先の部活動の前任者は、土日両方の朝から晩までやっていたらしい。しかし、実情は先生職員室にいるだけ、参加率も低く、適当練習に飽きた生徒は、時間つぶしに鬼ごっこをしているということだった。そこで、文部科学省部活動ガイドライン根拠に「練習は土日のどちらかを休みにする」「活動は3時間程度」にしようとした。

生徒たちは、その提案好意的に受け入れてくれたようだった。しかし、保護者からは、かなりの文句を言われることになった。「前は教務主任先生だった。力のない一般先生で残念」「先生はやりたくないんですよね」「素人でやる気のない先生に教えられて子どもたちがかわいそう」「教育者としての自覚がない」などと言われた。

おまけに、保護者が、僕が競技経験がないことを理由に、外部コーチ候補を半ば強引に連れてきた。そのコーチは、来て早々に「何、この意味のわからない練習」と保護者にこっそり言っていた。生徒の責任にするつもりはないが、当時の3年生の生徒と一緒に考えたメニューだった。

そのコーチは、競技界隈では有名な人らしいが、お断りすることにした。保護者はグチグチ言っていたが、とても一緒にはできなかった。

このような経験をした先生はかなりの数いるだろう。自分に置き換えてみてほしい。僕は、部活動で雇われているわけではないのだ。そのコーチに再び会うことがあったらこう言ってみたい。

あなた生業としてコーチをしていますね。では、あなたがお休みときに、5時間、みっちりと楽しく授業してください。5時間頑張ったら3500円支給します。ただ、あなた休みときは、すべてお願いします。あなたの都合で休むことは許されません」

如何に異常かがわかる。

結局、僕の異動1年目は、保護者管理職の声に押される形で、土日に練習を行うことになった。大会などで三か月休みがなかったこともあった。

そのことを、あるとき校長に話したところ「みんな通ってきた道」と言われた。学校管理職は、管理というものをはき違えているようだ。

こんな風に部活動顧問が嫌な人は、周囲をみんな敵と思い込み孤立を深めていく。保護者ダメ、同僚もダメ管理職ダメ部活に関わる外部の人もダメ

こういった先生たちが、置かれている状況を理解してほしい。部活動廃止した方がいいと思う。

2022-12-25

出産予定日死産がつらかったので書く(男性視点

 タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性覚悟を決める。しかし、(過去自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりしか想像できない。稚拙ながらも自分体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。

 分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像想像して立ち振る舞う男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。

 妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフ推定体重書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的説明はなかったが、胎児体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹毎日のように話しかけた。

 無痛分娩に興味があった。背骨脊髄の間にあるわずかな空間麻酔薬を注入して分娩にともなう母体苦痛を軽減する。一定リスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり無痛分娩選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たち自然分娩を選択した。

 私は3月まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこはいつも鬼、50m走のタイム肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操ピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子場合生涯賃金観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪い例外となる。興味があればGoogle Scholar検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。

 出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。

 分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。

 妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップ沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。

 役所での手続き事務的には簡単で、精神的には苦痛しかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式出生届とほぼ同じであるのに気づきスムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式から現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。

 火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズ段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶フラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨割れプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」

 我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法複数あり、水子供養場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国友達たくさんできるかな?」

 ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。

 後悔は二つある。

 第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスク相対的に低いのではないか(正確には医師相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月まれになるかも」などという勝手わがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。

 第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップ沐浴を勧めてくる助産師サイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。

追記

 皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃん言葉にできるようになるまで、事実客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。

 本記事へのトップコメントこちからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っていますhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743

2022-12-13

もう体育なんてしないで済むぞ


おめでとう、俺。

高三になった。自由登校が始まった。

からもう体育なんてしないで済むぞ。

大縄大会で引っかかった時のみんなの顔も、リレーで前の人から引き離された時のみんなの顔も、他にもたくさん、たくさん。

みんなの顔をもう見なくて済むんだぞ。

出来ないだけなのにやる気がないって陰口言われたよな。

チーム決めの時、誰も俺をチームに入れようとしないから、最後最後まで残ってたよな。

いつもは教室で話してくれる友達が、体育の時だけぎこちなくなるんだ。チームになってくれないんだ。

そういう空気小学生の時から、ずっと一身で受けて続けてたよな。

いつからクラスみんなやってる鬼ごっこに参加しなくなったんだろうな。

週に三回、絶対自分を嫌いになる授業があるのは辛かったよな。

体育の時に傷つけられた自尊心を、誰か偉い人に賠償してほしかったよな。

小一の時の俺が今の俺をみたら、羨ましくて羨ましくて、たくさん泣くだろう。

体育がないなんて!って膝から崩れ落ちてしまうだろう。

だってお前、体育がある日はどうにか休んでしまおうと、いつも頑張ってたもんな。

でも、本当は。

体育が嫌いなんじゃない。

運動会体育祭が嫌いなんじゃない。

優しくしてくれないサッカー部が嫌いなんじゃない。

体育が出来ない自分けが嫌いだったんだよな。


体育必修じゃない大学を選んだ。

絶対受かろう。

そしてチー牛ばっかりのサークルに入ろう。


おめでとう、俺。


もう体育なんてしなくて済むんだぞ!

これ以上嬉しいことなんてない!

2022-12-09

私はさもしいのか…

ある県で公園廃止になったという話をテレビでやっていた。

隣(近所?)に住む人が子供の声がうるさいと苦情を入れて廃止が決まったそうだ。

子供は騒ぐものから」「自分子供だったのに」「もう少し寛容になっては」と、

番組スタジオにいる人達も、廃止された公園地元の方も、無関係東京路上インタビューに答えた人も全員口を揃えて言っていた。

でも私は公園廃止になった事を羨ましく思っている。

私の近所の子供達も、我が家の前で遊ぶ。我慢はしているが、ボール遊びは本当に無理。

ドアや窓にボールが当たると、「バシンッ!」という音が室内にすごく大きく響いて、毎回びくっとなる。

子供達も、例えばドアに向けて思いっきボールを投げている訳ではない。

ドッジボールだかサッカーだかで、受け損ねたボールが速度を落として、我が家のドアに当たっているだけで

外で聞いている分には大したことない音にしか聞こえないのに、室内で聞いていると本当に大きく響く。

それが無理で、自治体子供会のお母さんたちと話し合った結果、『ボール遊びは禁止』となった。

ありがたかった。

でも子供達がそれを守るかどうかは別問題だ。

鬼ごっこだのかくれんぼだの自転車に乗るだのする分には全く何とも思わないし、注意をした事もない。

ボールフリスビーを使った遊びは止めてほしい、鬼ごっこかくれんぼ一輪車など、は好きにしてください

子供会にも言ってある。

勿論うるさいけれど、静かに遊ぶなんて無理な話だし、ボール遊びを我慢させているのだから

こっちも我慢はしなければと思っている。

なのにどうして子供達はボール遊びをやめないんだろうか。

一度注意をしたら、我が家ピンポンダッシュをされるようになった。

誰がやっているのか玄関監視カメラに全部映っているので判ってはいるが、とにかくされるようになった。

歩いて1分の所にボール遊びができる公園が二つある。

どうしてそっちでしてくれないんだろう。

子供達も禁止されていると理解はしているようで、大人が通りがかると

ボールを服の中に隠して、大人が通り過ぎると、また出して遊んでいる。

学校から帰ってきて、15時過ぎから遊び初めて、夜は19時近くまで遊んでいる。

私が子供に恵まれなかったから、お互い様というように思えないんだろうか。

子供がいれば、違ったんだろうか。それは関係いか。私がそういう人間なんだろうな。

今回話題になっている公園廃止になったきっかけを作った人も

ボールが庭に飛び込んできて、庭が荒れ、それを取りにやってきた子供達が

植栽を踏み荒らしていくと言っているそうだ。

気の毒だなあ、でも廃止が決まって良かったなあ、

私の住む所もボール遊びだけはやめてほしいなあ

ぼんやり考えていたらテレビに出ていたコメンテーター

子供の遊び声をうるさいと思うようなさもしい心をどうにかした方がいい」

というようなことを言ってた。

かい所は覚えていないけれど、子供の声をうるさいと思う人間さもしいと言ってたと思う。

さもしいというのは、心が汚くて卑しくて、浅ましいという事なんだそうだ。

私は心が汚くて卑しくて浅ましいんだそうだ。

つらいなあ…

繰り返しになってしまうけれど、ボールフリスビーで遊ぶのを止めてほしい。

それ以外の遊びに文句なんて言った事ない。

どうしてもボールで遊びたいなら別の場所でやってほしい。

ボール遊びは禁止という決まりを守ってほしい。

ボール遊びは禁止だけどボールフリスビーは別だからフリスビーは良いでしょと真顔で言わないでほしい。

さもしくてごめんなさい。

でもお願いしたい。

2022-12-07

人間が他の生物奴隷になっている」という設定って過剰評価されがちだよね

とりあえず出しておくと勝手評価される印象ある。

でも使いこなせている作品全然たこと無い。

そもそも人間って家畜としての性能クッソ低いからわざわざ飼う価値がないんだよね。

人間家畜にされている動物って家畜として優れているから飼われているわけで。

なんかこう「現代人が奴隷になってたら怖くね?」っていうショボいテーマ一本勝負で戦ってる感じが凄い。

特に食用人類系」はそう。

家畜人ヤプーみたいに「人間による特定人種奴隷化」だったらまだ納得感あるんだけどなあ。

でもあれも「人間の肉ってそもそも不味いだろ」みたいなのがどうしてもチラつく。

いや俺は食ったことないんだけどさ、もし美味かったら皆食うはずじゃん?

でも食わないってことはやっぱ不味いんだろうね。

まあ「同胞の肉を不味いと感じる人類」だけが生き残れて、そうじゃない奴らは共食いして滅んだだけなのかもだが。

それ考えると他の生物にとって人間が美味い食い物として見られてるってパターンはギリアリなのかもだが、「カロリーを確保するための手段」みたいな感じが出ると途端に陳腐化するよね。

ジャンプで連載されていたネバランはその辺結構練っていて、「勉強頑張った奴の脳みそが一番美味い」「でも家畜として飼育された人間もそこそこ美味い」みたいな所でバランス取っていたな。

とりあえず出しましたじゃなくてその先があるなら、まあ鬼ごっこの経緯としては悪くないのかもね。

ただそれ一本で雑に用意して何も練り込まずにやられると単なる思いつきになっちゃってショボいよ。

食糧人類とかオチけが面白い感じでまさにソレ

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