はてなキーワード: 軽蔑とは
駅前で宇都宮候補の運動員がビラを配っていた。曰く「子供を守れ!脱原発!」
もらったビラに目を通すと「瓦礫広域処理凍結」と書いてあった。思わず目を疑った。どこぞの泡沫候補でなく、リベラル派の統一候補が、まさかこのようなトンデモ公約を掲げるとは!
はっきり言って、この一言だけで「地獄に堕ちろ」と言われて仕方がないものである。こんな公約は撤回するしかない。でなければ「アスベスト吸って死ね」と躊躇なく言うだろう。
瓦礫広域処理の危険性がデマであることは論ずるまでもない。福島県の一部地域を除けば東京都の一部地域の方が被災地よりよほどCs134, Cs137の沈着量は高く、たとえば福島第一原発からほど近い広野町・楢葉町・南相馬市あたりの一部地域と、葛飾区あたり一部地域のCs137沈着量はほぼ同程度だ。つまり、都内のゴミを処理できるのなら、少なくとも福島県の一部地域を除く地域の瓦礫を処理するのに反対する理由はどこにもない。でなければ、都内のゴミ処理にも反対しなければ筋が通らない。
他方、瓦礫処理というのは人道問題でさえある。アスベストその他の汚染物質が処理されぬままに瓦礫の中には残存している。「子供を守れ」というのであれば何よりもまずこちらを処理しなければならないはずだ。大阪の印刷工場の胆管ガンの事件で誰もがわかったと思うが、「放射能」より恐ろしい危険物質はいくらでもあるし、アスベストなどはその筆頭だろう。
というか、阪神大震災のときに被災地に住んでいた「子供」だった私は、当時誰からも「子供を守れ」という声が上がらなかったことを覚えているので、今回の首都圏の人間の「子供を守れ」にはただただ軽蔑しか感じない次第である。
阪神大震災と言えば、なぜか瓦礫を広域処理しなかったというデマが流れている。だがこれは嘘だ。
「阪神淡路大震災でも広域処理が行われました。あのときは神戸が一番大きな被害を受けたのですが、あそこは港湾エリアだったため、そもそも土地がたくさんありました。それに加えて大阪湾には、大阪湾周辺の自治体が廃棄物を処分する大阪湾フェニックスセンターという大きな処分場がありました。まず、そういったところに港湾地域の廃棄物を移動させ、そこで分けたがれきをフェニックスセンターで処分した。阪神淡路大震災のがれき全体でいうと14パーセントは被害を受けた市町村以外の県外で処分をされたという実績があります」(同氏)
つまり、どういうわけかわからないが阪神はよくて東北はダメ、なのだ。何が気にくわないのか理解できないが、とにかく被災地差別であることは間違いない。
思えば、東京の人間は2011年3月には買いだめに走ったりと「被災者ごっこ」に走っていた。あれはいわゆるsurvivers' guiltだったのだと思うが、その反動で今は被災地と自分たちの切断操作に走っているのだと思われる。
ちなみに、運動員に瓦礫反対の理由を問いただしたところ、「瓦礫は産廃扱いなのに産廃以外の施設でやろうとしているから」だそうだ。だが、それならば産廃処理の施設でやればいいだけの話であるし、そんな技術論を都知事選の争点にすることもあるまい。これも真っ赤な嘘であるといえよう。
以上のことから容易にわかるように、宇都宮候補の公約は人権派弁護士が聞いて呆れる、人権無視の非人道的なものである。
知性と誠実さとナチスであることのうち少なくとも1つは成り立たない、という名言があるが、瓦礫反対についても同じことがいえる。そして「人権派」を売り物にする公人の立場でありながらこのような悪質なヘイトスピーチをがなりたてる宇都宮候補が一番欠いているのは「良心」であることは間違いない。
遠からず東京は大地震に襲われることになる。そのとき、東北は確実に東京の瓦礫処理を拒むだろう。結果、東京はいつまでも瓦礫が横たわり、有害な粉塵が飛び交う無惨な街となることだろう。宇都宮候補やその支持者は、そのときこそ己の罪業を思い知ることになるに違いない。
オバマが大統領選に勝利したときの演説を聞いていて、あらためておもったのは、強い軍隊を持つ、強いアメリカ、という政策を堅持できなかったら、オバマは再選されなかっただろうな、ということ。
そして、日本の左派やリベラル派も、オバマのような路線を打ち出せない限り、政権は取れないだろうな、ということだった。
オバマさんはこんなこと言ってた。
子供たちには、借金の重みに苦しんでいないアメリカで生きて欲しい。不平等のせいで衰退したり、温暖化の進む惑星の破壊にさらされたりしない、そういうアメリカで暮らして欲しい。安全な国、世界中で尊敬され憧れられる国を子供たちに残したい。世界最強で最高の軍隊に守られる国を。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20121107-04.html
このあたり、オバマは、自分が実現すべきアメリカ社会のビジョンを明確に持ちつつ、アメリカのさまざまな立場のひとをひっぱれるリーダーとして、考え抜いているんだなと思う。
そこには、アメリカ白人男性も排除しないという姿勢があるし、強いアメリカでなければ希望が持てないひとへの配慮があると言っても良い。
アメリカ公民権運動は、アファーマティブアクションみたいな政策を実現しつつ、有色人種の地位向上を達成して、その結果として、オバマ大統領は二期目に入った。
ベトナム反戦運動は、ベトナム戦争を終わらせたかもしれないけど、軍産複合体は解体されなかった。
日本だと、たとえば、性別による差別の問題や、貧困対策といった問題にとりくむ人は、反戦であり、米軍基地には反対であり、アジア諸国に対する謝罪は終わっていないし、領土は譲ってもいいんだ、と考える人でもある、という風な印象があるよなあ。
でも、そういう立場は、どこか、世の中に対してちょっとひねくれた見方をする立場に終わってしまって、メインストリームの政治的力へと結集することはできないままで終わってきた気がする。
まあ、いろいろ、それぞれの人の思いや、願いは、簡単には運動に結実しないとか、いろいろないきさつや事情があるとして、現実問題の解きほぐしかたとかは全部とっぱらうとして、オバマみたいな立場が左寄りから出てこないと、結局右寄りの人には勝てないんじゃないかと思う。
少なくとも、右寄りの人を軽蔑して、排除しかねない姿勢の人に、より平等な社会を実現する政治はできないに違いない。
中国や韓国に対して領土問題で弱腰にならず、かといって、いたずらに空想的なナショナリズムになだれ込むのでもない、安全保障の面でも責任ある立場をとり、シビリアンコントロールを徹底して軍事力を保持し、米国との同盟関係をより対等なものに近づけるような努力を続けながら、あらゆる立場の人々が未来に希望をもち、日本列島の社会に生きることに誇りをもてるような、性別や性的嗜好を問わず社会で活躍することができ、出身の民族やどんな家族形態で暮らすかに関わらず、生活するうえで平等で十分な保障を受けることができる、そんな国をめざず政権を建てられるような、そういう方向で政治をリードする立場みたいなものはできないものか。
そんなの、ありえない、としたら、それはなぜなのかを考えたい。
地震に遭ったのはアンラッキーだけど、「リスクヘッジです」って宣言して逃げて地震に遭ったら「リスクヘッジ(笑)」ってなるのは当たり前じゃん。
それはつまり関東のヤバさ(推定)にだけ捉われていて、逃げた先には本当にリスクがないかってこと確認するの怠った(っていうかありゃ無意識的にその必要性を無視したんだろうな)ってことの証明になっちゃったんだからね。
つまり恐怖に捉われて論理を放棄し感情的に行動したってことだ。
無理からぬことだと擁護するのはもちろん可能だし実際無理からぬことなんだけど、モノ論じて食ってる人間がやるにしてはあまりにも喜劇的なバカ行為過ぎて笑われてるし軽蔑されてるだけ。
既卒3年以内だし職歴なしだからどこかあるって思ってこの3月から職安経由で探したものの、
世の中そんなに甘くなかった(文系院卒、男性)。新卒の時はあんなに、来て来て!て誘ってくれた企業さんも既卒になると門前払い。
分かってたはずなのに楽観視してた俺。
小町や2chや知恵袋などで「新卒以外で正社員目指すのは無理!」ってのをどこか軽蔑の眼差しで見てた新卒時代。
大学院で研究してたことが、大卒でもそうだけど、仕事では全くほとんど活かせない事に気付かされて30社目。
頼みのシンクタンクもバイトでなら!ってことで研究職での正社員の道はほぼ閉ざされた。
だからこの9月から気分一転してアルバイトやパート労働者として、社会経験を積むために始めた職探しだったが、
バイトやパートだと意外にすぐ見つかり現在はそこで働いている。
でも、こんな所で社会経験を積んだところで何の役に立つっていうんだろう。
それに既卒というネック、職歴なしだとどこも雇い入れてもらえない。
ハローワークが出す求人の敷居の高さ。ハロワ求人の約7割の名のある正社員登用の会社は、最低でも1年以上(通常は3年経験して社会経験者という)の社会経験を積まないと門前払いを食らう。わかものハローワークの職員もどこか他人事で冷たいし。他人事なのですが。また、マイナビやイーキャリア、リクナビなど就職サイトですら既卒には厳しい。アルバイトやパート、派遣では非常に甘いのに正社員となると厳しくなる世知辛さ。
2chなどに見られる「未経験歓迎、誰でも簡単にできます」の甘い売り文句には要注意との文字通りに危ないブラック求人が山ほどあって、
そこから未経験(バイト経験だけがあって)でもやって行ける、けどブラックじゃなくて、小さい会社でもいいから、長期に渡って働くことができ、会社に愛着を持てて、自身の環境も安定させられる、それぽっちの願いも叶えられない。
これは既卒だと贅沢な悩みなんだろうか。
既卒は就職できないの?中小ですら相手にされない……ことはないですが、正社員ともなるとハードルがかなり上がりやっぱり無理です。
今続けてるパートをこのまま続けて職歴になっても、逆にそれがネックとなる可能性もあるんじゃないか、と疑心暗鬼してる今日この頃。
9月末までは正社員は今後やればいいや!と鷹を括ってましたが、やっぱり今からでも正社員を探したほうがいいんじゃないか?
そんな気持ちでいっぱいになるのは変なのでしょうか。また、これから探すというのは遅いのでしょうか。今、人生の分岐点にいます。
http://anond.hatelabo.jp/20120922164617
とある地方公務員が日々思ったことを10のコラムに分けて書いてみた
http://anond.hatelabo.jp/20121012225331
生活保護の増大が財政を圧迫するといわれていますが、少なくとも私が務める町では財政圧迫はありません。
そもそも生活保護の財源はほとんど国が負担しています。詳しく言うと、生活保護の大半は国庫負担ですし、残りの部分につきましても地方交付税で補填されます。
したがって、実質市町村の負担は0です。いわば、中央から地方への再分配的側面が生活保護にはあるというわけです。
※ただし、大阪市のような特殊な都市は財政を多少圧迫しているでしょう。詳しく財政分析していなので半端なことはいえませんが、大阪市の生活保護の問題は全国的に見ても特殊です。
その背景には、西成地区の存在、同和被差別部落問題、在日コリアン差別の問題など多くの問題をはらんでいますので極めて慎重に検討するべきでしょう。
さて、町の零細商店主はだいたい税金の相談や、補助金の相談にお越しになります。
「ワシらが苦労しているのに、生保のくせにタバコを吸ってた、昼間からパチンコ行っている、本当に許せない」
といった内容です。
それは確かに許せない気持ちになるのもわかりますが、実際生活保護受給者は小さい零細の店で買い物をすることも多いです。
特に近くにスーパーがない場合は、そのような零細商店で買い物をしています。
地主、不動産業者ならば住宅扶助、病院なら医療扶助というよう少なからず生活保護受給者が顧客になることがあると思います。
具体例をいうと、築20年以上経った物件で、普通の人ならば住まないようなアパートも生活保護受給者が利用する事が多いです。
その際、行政が家賃を支払うので地主は食いっぱぐれません。加えて、住宅扶助上限まで家賃を要求する地主もいます。
というわけで、間接的に生活保護に恩恵を受けている人が案外多く、彼らの生活保護受給者が優良顧客になっているわけです。
生活保護の窓口には結構な頻度で市民団体を連れて生活保護に申請にお越しになります。誤解されている方もいると思いますが、そういう市民団体やら弁護士、共産党が連れてきたからビビって支給するわけではなく
同行してくるということはある程度、要件は満たしているということが担保されているのでスムーズに支給できるだけのことです。
それに手続きもだいたい、彼らが受給希望者にマンツーマンで指導するので手続きミスも少なくなるので事務作業が多少軽減されるんですよね。
生活保護というと、かつて水際作戦というものがあり問題になりましたが、現場の職員としては要件さえ満たせば支給します。別に支給を渋っても何のメリットもこちらにありませんし、逆に後で餓死なんてことになったら一生トラウマになります。
共産党というと何か全共闘と混同しているかもしれませんが、比較的穏やかな人が多いです。
あくまで生活保護に限っていえば、生活保護に限らず、多重債務、DVといった福祉現場で働いたときには何やかんやで地域の共産党のネットワークと関わることになります。
やはり、弁護士や社会福祉、医療機関など幅広くパイプをもっているので、何かと相談しやすいんですよね。民商やら医療生協やら、小さい市民団体などはお世話になりました。
地方はムラ社会ですので、やっぱり生活保護受給者は肩身を狭い思いをします。
バレると、村八分とはいいませんが町内会から徐々に距離を置かれます。
本来はそこで地域が支えるべきだと思うのですが、結局行政が面倒を見なくてはいけません。
それに生活保護受給者の大半はお年寄りで、基本的に真面目なので生活保護を受けることにかなりスティグマを感じているようです。
生活保護は権利だといくら共産党系の方が言っても、当人はあくまで生活保護は「施し」だと思っているし、周りもそう思っている。
加えて、最近の河本報道で余計に生活保護受給者を取り巻く環境は厳しくなりました。
残念なのが、生活保護など知らなかった子供が知名度が高い河本の報道をきっかけに、生活保護を受けている子供をいじめるという事例が報告されていることです。
これは昔からありましたが、それがより一層エスカレートしているように思われます。
大人はいじめはダメだというけど、生活保護受給者を軽蔑するのは良しという風潮が、何も関係がない子供に及んでいる現状はあまりに悲惨です。
生活保護も公共事業も結局バラマキだというけれど、地方においてバラマキ経済以外の経済モデルでは存続できないのも事実です。
ロクな企業もない、ましてや産業もない。結局、減税だの、規制緩和だのやったところでそもそもプレーヤーが少ない地方経済において何の効果もなく、逆に財政が逼迫したことは小泉政権期に行われた三位一体の改革でわかると思います。
それは自民党から共産党まで結局、いかにして富を中央から引っ張ってくるのか、ということが至上命題になるわけです。
当然そこには業界との癒着という問題もありますが、それを見過ごしても余りあるメリットが地方にはあるということです。
これが地方が結局中央に依存した経済構造がもたらした弊害なのかもしれませんが、もはやそれ以外に生きる道は地方にはありません。
http://anond.hatelabo.jp/20110816094649
つまり、現在行われている生活保護バッシングは言ってみれば、納税者の復讐であり、その矛先が税金の受けてである生活保護受給者です。
そして、同じく税金で生活している公務員も例外ではありません。
日々、地域と関わっているといろんな影の部分をみることになります。生活保護の家庭で育った子供たちは果たして中学校まで卒業できるのか、消費税増税によって経営が本当に回らなくなる商店主はどうなるのか、
そういった現場を知ればしるほど、この国の抱える問題は非常に根深いものがあります。
追記です
http://anond.hatelabo.jp/20121015233513
ブログを始めました
村上春樹氏本人や春樹ファンの方は気分を害すると思うので、ぜひとも読んでください。
というのは、村上春樹氏というただの小説家であって、政治や外交の素人の論説をまるで
専門家の見解のごとく新聞の一面に載せて、国民を啓蒙しようとしたからです。
なぜ、そんな人の外交に関する論説を朝日の一面に載せるのでしょうか?
普通に考えたら、載せませんよね、載せるほうがおかしいです、ええ。
しかもこれって春樹氏側が論説を反日デモの翌日に朝日新聞に投稿したんですよね?
「ぼくが書いた論説のチカラで国民の目を開かせてあげたい、正しい道を示したい。だから、おたくの新聞の一面にこれ、載せてよ」
ってことですよね?
何様もツモリなんでしょうか。
その論説を載せましたかね?
新聞に飾るのやめましょうよ。
大江健三郎さんもそうだけどさ、あなたたち、ド素人の見解じゃないですか。
文章が上手で読みやすかったけど、主張自体はそんなに価値のある論説ではなかったでしょう?
文体でごまかしてますけど、その主張の根拠もあやふやだったり、根拠そのものが存在しなかったりしてましたよね?
あなたの論説の中に 主張をささえるべき接続詞 Because がほとんど出て来なかったこと。
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車買わないの自体は「純粋にあんま要らない」って話でしか無いとしても
それとは別に「自動車会社や広告代理店がムカつく」って気持ちは結構あるんじゃない今の2~30代には。
それが本当に必要かどうかではなく、
『持ってないなんて〇〇〇』って煽って脅して買わせようとするようなマーケティングが
大概もう見抜かれるて嘲笑されるようになった世の中で、
「単純に使い道が少ない」とか「コスパで検討すると割高」みたいな合理的判断とは別に
自動車を一種の旧世代価値観のアイコンとして嫌悪軽蔑する気持ちって言うのが今の若者にはある。
今の若者世代で昔の若者のように屈託なく車を消費してくれるのって
10年来の友人から相談されたが、一人で抱えきれず増田を頼る。
父親が浮気していることを知ったら、娘はどのような反応をとるだろうか。
友人はお母さんからそのことを聞かされ、証拠となるメールを見せられたらしい。
先月まで使っていた携帯のパスワードを解除し、完全なる証拠を見つけてしまった。
それに対するお父さんの「大好きです」の返事があったらしく、女性である私はクロだと感じた。
翌日、パソコンのメールから関係の始まりが随分前であることがわかる。
お母さんはその事実について問い質した。
「お前はバカか」それが友人の父の返した言葉であった。
証拠があるにもかかわらず、妻を侮辱する言葉だけを言い続けたそうだ。
見かねた友人がお母さんをかばうと、「お前を訴える」とまで言われ、
私も専門家などではないが、話を聞く限りでは友人が訴えられることはまずない、と告げた。
正直家庭内のその程度のことで弁護士も裁判官も取り合わないだろう。
調べても、そのような訴え自体が見つからなかった。
友人によると、一言も謝らず、リビングでテレビを見て笑っているという。
それだけ聞いても友人のお母さんがかわいそうだ。
お母さんは現在がんの闘病中で、職がない。
友人の稼ぎではお母さんと大学生の弟を養えないとのこと。
持ち家、車もあるとのことだが、それをどう分与するのか、
やめさせると言っている。
傍から見てると生活費を断ってしまうのは勇気ある行動であると同時に、
難しい。
どうしてそういう返答が出てくるのか理解できねえ。
おれにも、自分ではよく書けたと思うエントリに、まるで反響がない、(今のお前みたいな)表層的なあげあし取りすらない、という経験があり、リポストしちゃおうかという気持ちはわかる。でもやらない。本当に意味のあるエントリなら、ちゃんと注目されると信じているからだ。真に重要な言葉は一言発すれば足りると信じているからだ。
同じ内容を一週間たってリポスト、しかも前の記事は消す、そういう姿勢は、自分の記事の重要性と読み手の知性の両方を信じていない以外に解釈のしようがない。まったく無意味な行為であり、自覚的にやっているのなら自己欺瞞だ。自らを貶めるものだ。それはこのおれがおおいに軽蔑するところであると言ってしまっていいだろう。
つまり消してリポストの増田は馬鹿な上にプライドもない人間ってことだ。そして、プライドのない人間は、他人を攻撃したりしないから、おれとは違う。そういう意味でお前の指摘はまるで的外れだ。
いいところを見つけて褒めてくれて、
気に食わないことも言葉を選んで言ってくれて、
私の人格を否定する人のことを否定して、
マジ最高だよ!って私を認めてくれた友達がいた。
そんなわけないのに。でもすごく嬉しかった。
私に深くかかわって、それでも軽蔑せず、いつでも彼女自身の言葉を述べてくれた。
意見が一致しなくても、私そのものを否定しているわけではないのがわかった。
話すのも、からだを動かすのも、笑うのも。
親から受け取ることができなかった(それは私の側にも問題があったのだと思う)承認を
彼女は惜しみなく私に与えてくれた。
本当に、本当に、生きてて良かったって何度も思えた。
彼女が私に与えてくれたように、私は何かを与えられたのだろうか。
それが気がかりでしかたがない。
彼女は今、近くにいないが、
彼女とのことを思い出すたび
生きたいように生きようと思いなおす。
現実の男の人が恐ろしい、という感情を、いつから抱くようになったのだろう。
小学校以前、男子と女子の境は、これといってなかったような気がする。
むしろ三人のいとこと共に育った私は、どちらかといえば男の子のほうが、近しい生きものだと思っていた。かけっこや木登りもしたし、保育園の休み時間には活発に遊んだ。おえかきも好きだったけれど、おゆうぎしつが使える時には、そちらへ行った。ずっと教室にこもって遊ぶ女の子たちのことは、少し軽蔑さえしていた。
小学校に入学すると、少し雰囲気が変わった。男子と女子がふたりきりで帰ることは、おかしいことになった。あからさまにおかしい、と明言することは誰もしなかったけれど、やはり、少しだけ雰囲気は変わっていたのだ。
私にとって、小学校低学年の男子と女子の性差なんてないも同然だった。プールの時間に、全員が一緒の教室で着替えていた。ませた女子はきゃあきゃあと騒いでいたけれど、私はやはり、そういった女子を軽蔑していた。休み時間は男子とも遊んだ。体育館でくだらない遊びをするなら、断然男子相手だった。けれど一緒に帰るのは女子だった。放課後に遊ぶのは、女子のほうが多かった。男女一緒に遊ぶことも、確か、あった。
小学校中学年には、あまり外で遊ばなくなった気がする。それは眼鏡を掛け始めたからだったかもしれないし、絵を描くことの楽しみのほうが大きくなっていったからかもしれなかった。あ、それと、木登りをしていて、虫に遭遇したのがトラウマになったのもある。それから、自分の体力のなさを自覚していったから、というのも。平均よりも重い体重は、運動をするにはあまりにも不利だった。
それでも四年生からはソフトボールを始めた。理由はよく遊ぶ友達が始めていたから、という単純な理由だった。私よりも先に始めていた子が、ソフトの練習があるから、と遊びを断るようになって、淋しかったのだ。私はその子のことが、だいぶ好きだったのだろう、と今になって思う。その子の影響で、手話を始めたりもしていた。
さて、愚鈍なる小学生の私は、ソフトボールを卒業まで続けた。俊敏性はなかったけれど、それほど落ちこぼれていたわけではなかった。と思いたい。マラソン大会では決まってドベのほうにいたけれど、ソフトボールはずっと走っているわけではない。練習はまあ楽しかったし、上の学年の人はいい人たちばかりで、下の学年の子たちはかわいい子ばかりだった。と思う。思い出は美化されているので、確かではない。
小学校高学年くらいから、男女は「おつきあい」をするようになった。私は蚊帳の外の人間であった。クラスの中のヒエラルキー上位層の人間たちが、数日や数週間でつきあったり別れたりを繰り返してバレンタインに盛り上がったりするのを、私は少し近いところで見ていた。私が告白することはなかったし、告白されることも当然ながら有り得なかった。私はクラスで二番目に太っていた。私のことを「女子」とカテゴライズすること自体がおかしい。そうだ、そういえば当時の私は、「俺」という一人称であったのだった。
中学校に入学しても愚鈍な私は「俺女」であった。そういった一人称の女子は何人かいた。
入学してすぐに、私は担任に目をつけられる。すなわちいじめの主犯格として。
これについて弁明をするならば、それは「いじめ」ではなく「喧嘩」であった。私が小学校の頃から仲の悪い女子がいて、それは中学校に上がってからも続いていた。私はとにかくそいつがいることが嫌で、それはそいつにとっても同様であるはずだった。すれ違えば舌打ちをした。私はそいつにぶつかった。そういった陰湿な喧嘩の一部を、そいつは教師に告げ口をした。そう、私の行為についてばかりを、切り取った「一部」を。
私が何を言っても私が悪いことには変わりない。それは絶望的な事実であった。事実として、私はそいつの靴を隠したし、そいつにぶつかったし、そいつのことが頭に大を何個つけても足りないくらいに嫌いだった。事実として私はそいつをいじめていたのだろう。そう、つまり私が悪いのだ。私がかつてそいつに幾度となく泣かされていたという事実など、中学校の教師は知らないのだから。
加えて絶望的だったのは、そいつはかわいらしい容姿をしていたことだ。愛想のない根暗な豚と、かあいらしい人間と、どちらの言い分を信じるだろうか。後者だろう。豚は人間を妬み、そして一方的な暴力を振るったのだ。
何も知らないくせに、と豚は叫んだ。同じような豚の教師は、ああ知らないさ、と開き直った。そうか、と私は絶望した。教師は男だった。そうか、何も知らないのに、そいつのほうを信じるのか。私たちのことなんて、何も知らないくせに、知ろうともしないくせに。教師ってそういうものか。中学校ってそういうものか。男って、そういうものか。かわいいほうの言うことを、信じるんでしょう?
男子生徒とは、まあ普通に接していた。おつきあいなどの色っぽい話にはならなくて、ただ、珍獣としてうまくやっていたのではないか、と思う。珍妙な渾名で面白がられたり、怖がられたりしていた、気がする。記憶は薄ぼんやりとしていて不鮮明だ。ただ、ある日いきなり特定の男子から嫌がらせをされるようになって、それだけが、どうしても意味がわからなかった。女子は私にそうした嫌がらせをしてこなかったから、男子のそういった女々しさのようなものがさっぱりわからなくて、見えない悪意が怖くて、怯えた。
高校に入ると男子は別の生きものだった。私は一人称を改めた。女子の側で、女子の振りをすることにした。男子は恐ろしい生きものだった。中学からの友人と一緒にお昼ごはんを食べるために、その子の近くの席を借りた。男子の席だった。昼休みが終わると、その男子は先程まで私が座っていた椅子を、別の席の椅子と換えた。その事実は、友人から聞かされた。知りたくもない事実だった。
友人の話だけを聞いていると、その男子は友人に惚れているようだった。友人は気持ち悪いと言っていたけれど、ばいきん扱いされるよりも好意を寄せられるほうがよっぽど良いはずだった。
高校三年生になった私は、ひとりの女の子とおつきあいをするようになった。それはその子から頼まれてのことだった。それはばかげた話だったけれど、私はかわいいその子のことが嫌いではなかったし、失いがたい友人であったので、それを失うくらいならと、おつきあいを承諾した。その子の他に私を好きになるような人間は生涯現れないだろうという気持ちもあった。私のファーストキスはその子のものだった。性器に指を入れられた。気持ちよくはなかった。
私とおつきあいをした子には、何人かの彼氏がいた。そのことは知っていたけれど、まあ、良かった。いや、良くはなかったか。他の人と別れて、というようなことは、言った気がする。けれど色々あって、その子は結局、一人の男を選んだのだった。
私はただただ道化であった。ばかばかしい話だ。男も女も面倒だ。どうせ誰にも愛されない。ひとりでいるのが正解だ。でも、でもさあ、私だって、まっとうに、愛されたいんだよ。
高校を卒業し、眼鏡をやめ、ダイエットをした。髪を明るく染めた。ナンパをされるようになった。私はすぐに股を開いた。そうする以外に男の人とのつきあい方を知らなかった。好きな人ができた。それでも、きちんと段階を踏んでのおつきあいはできなかった。まずは酔った振りで相手を誘って、セックスをした。そんなことしかできなかった。そうするしか知らなかった。
セックスをすると、男の人は私をかわいいと言った。豚を、ばいきんを、かわいいと言うのだった。そんなことは言われたことはなかった。声を上げてエロマンガよろしく喘げば男の人は喜んだ。きもちいい、と言うと良い気分になるようだった。私の価値は性器と乳にはあるようだった。顔面には、まあ、ないんじゃないかと思う。
男友達を作るといいよ、と、幼馴染が言った。しかし、男の人と何を話したらいいのかわからない。男の人と、セックス以外に、することがあるのだろうか?
男の人は私を豚やばいきんにしてしまう。私だって、いちおう人間なのに。そんな人たちばかりではないとわかっている。けれど、私はやっぱり、男の人が恐ろしいのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120707212400
お前のような奴が、「立派なMさんになんとか傷をつけないようにしないと」と
「善意」をフル発揮したのがご覧のありさまだよ。
「あんな立派な人からこんな子供が」と言ってる時点で、お前はまだ「事実」を認めてないんだよ。
内心で先輩に同情を寄せるのは人として当然だ。
けど、それを他人に強要するな。
滋賀のいじめ自殺が炎上してるな。個人情報や顔写真出されたりして。
でも、こんなことじゃいじめをする奴は反省しないんだよ。親や親友は、いじめした奴の味方してるわけだから。
いじめをしている奴は、いじめられる奴のことを、すごく下に見てる。それこそ、同じ人間だと思ってない。
いじめられっ子でも、虫をいじめたり殺したりとか、ゲームのキャラを倒して喜んだりしたことはあると思う。
いじめをしている奴は、そういう感覚でいじめている。だから罪悪感なんて一切無いんだよ。
俺もいじめをしていた。クラス内でブスランキングを作って黒板に書いたり、地味な奴をクラスの皆が居るところで
蹴ったり踏んだりしていた。他にもおごらせたりとか、借りパクとか、色々した気がするけど、あまり覚えて居ない。
した方は覚えて居ないっていうのはその通りなんだと思う。
その俺が反省するきっかけになったのは、好きな子に告白を断られたことだった。
本気で告白したつもりだったのに、「アハハ、罰ゲームっしょ?」と断られたんだ。
好きな子は仲のいいグループにいたから、俺の普段の様子をよく知っていた。そう思われてもしょうがないことを、普段からしてたんだな。
俺の中では、好きな子は大事な存在だったから、罰ゲーム告白して傷つけたりなんて、考えられないことだった。
でも好きな子にとって俺は、誰でもからかいの対象、いじめの対象にするような、そういう奴だったんだ。
それでようやく気付いたんだ。人間の気持ちに上も下もないこと。人間の能力とか魅力には上や下があるかもしれないけど、
いじめられてもしょうがない奴、傷つけられてもしょうがない奴、感情をもてあそばれても仕方のない奴、そんな人間は居ないっていうことにたどりついた。
人並みの心がある人間は、こんなこと、生まれたときから知ってるんだろうな。
でも俺は本当にクズだったから、好きな子から思い知らされるまでわからなかったんだ。
だから、滋賀のいじめの加害者を反省させたいとしたら、匿名で攻撃することに何の意味もないんだ。
どうせ「いじめられっこのキモいやつ」が騒いでるなって軽んじて、家族や親友の言っていることしか耳に入れようとしない。
いじめの加害者は、自分が好きとか尊敬するとか思ってる人間から、軽蔑されることからじゃないと学べないんだよ。
一番効果的なのは、もし加害者がAKBのファンだとしたら、そのメンバーがブログで「人をいじめて自殺させるのは最低の行為」って書くとか。
尊敬してるアーティストとかでもいい。実力者が実名で批判することに意味があるんだ。