はてなキーワード: 考える力とは
常々思っているのだが、新人に仕事を教えるときに、自分で考えさせると伸びないと思う。
すぐに答えや手順を教えてやった方が良い。
もともと考える余地もあまりないし、右も左もわからない新人から劇的な改善策など出てくるわけがない。
自分で考えさせたところで、無駄に時間がかかって、おまけに間違えてるのがオチだ。
作業手順を教えるのでもあえて簡略化して教えたり、
結果が間違っていた場合もどこが悪かったのかをすぐに教えず、考えてみろと放置してしまうパターンが横行している。
むしろ仕事に対して恐怖感を覚え、萎縮してしまい、緊張感から物覚えが悪くなったり、
怒られる恐怖から聞くべきことを聞くこともできず、結果さらにミスってしまうという悪循環に陥りやすい。
結果として成長を鈍化させているという残念なパターンが大半だ。
中には自分で考えて正しい答えを出せるやつもいるが、それは指導方法が良かったのではなく、もともと優秀なだけだ。
そこを理解しないと分かりあうことは出来ない。
あなたが上司に対して「コイツ全体のことなんて何も考えてないんだろうな」と不満を持つ時、上司は上司なりに今手元に揃った材料を元に何かしらは考えている。
部下も、同僚も、取引先も、それぞれがそれぞれの経験や得られる情報を元に様々な判断を行った結果を出力している。
それに対して「何も考えずに適当にコレを出してきただろ」と考えてしまうのはよくない。これは自分の精神衛生上の問題だ。
ましてや態度に出すのは最悪と言える。これは社会通念上の問題であり、それもかなり多くの分野において厄介な問題を無数に巻き込んでしまうたぐいのものだ。
人間は考える葦であると言ったのが誰だったか、生きるだけで精一杯でそんなことすら思い出せなくなってきたが、その中で少しだけ分かってきたことがある。
人間という生き物はよほど肉体的な条件反射、無条件反射を他としては、考えることなしに出力を弾き出すことは不可能に近いのだ。
皆何かを考えている。それぞれが必死になって。
もしもそれで導かれた答えが考えなしのソレとしか見えない時、足りないのは彼ら彼女らの考える力や意思ではなく、時間や情報の方であることを真っ先に思いつくようにしなければいけない。
30代帰国子女。
子供が幼稚園に入園し、小学校への入学を考え始めた時、日本の小学校に入れるのが夜も眠れないぐらい不安になってきた。
小学校の途中でアメリカから帰ってきた私は、いじめにあうどころか、物珍しさかクラスのリーダーグループに入れてもらい、長く海外で育った帰国子女としては珍しく非常にスムーズに日本に適応できた方だと思う。その後、特に問題なく中学受験・大学受験にも成功し、日本人としてきちんとこの年まで人生を送ることもできた。
それでも、日本の小学校のことを思い出すと、不安になり、子供をどうしても通わせたくないと思い、インターナショナルスクールなどを検討し始めた私を、日本生まれ日本育ちの夫は怪訝な顔で見ている。
そんな時ネットでたまたま鴻上尚史さんの、帰国子女のお嬢さんに対するアドバイスを読んで、首がふりきれるぐらい頷きたくなった。
https://dot.asahi.com/dot/2018081000019.html?page=1
そう、きっと私はこの同調圧力が怖いのだ。
みんなと一緒でなければいけないというプレッシャーに、子供ながらに悩み苦しみ、日本社会で生きていく中でそれなりに折り合いをつけてやってきたつもりであっても、まだまだそれが怖くて、子供をそういう環境に入れたくないのだ(そして私も親としてその環境に関わるのが嫌なのだ)
子供が大事にしている価値観や趣味、子供ながらに抱いている自分に対するプライドを潰してしまうかもしれない環境が迫ってきているのが不安で不安で仕方ないのだ。
ただ、一番の問題は、子供が日本の小学校に行きたがっているということ…。英語の小学校は嫌だと全面拒否をしている。
子供には英語の習い事などをさせているが、親も先生も英語が話せるのに自分だけが話せないのが苛だたしいのか、私が英語を話すと激しく怒る。
母国語できちんと考える力を身につけるためにも、本当は日本語環境においてあげたいのだが、日本語かつ同調圧力が低いという環境が全く見つからない。
私立・国立の小学校も調べてみたが、小学校受験に対応している小学校は近所の公立小学校より更に同調圧力が強そうで、完全にオプションから外した(そもそも、小学校受検のために、親としてネイビーのワンピースを来て、小学校受検の塾に通わないといけないというのを想像するだけで辛い)
最終的に、子供の願いを叶えて日本の小学校に入れてあげるべきなのか、インターナショナルスクールに無理矢理入れてあげるべきなのか、悩みは尽きない(インターナショナルスクールに合格してからどちらに行かせるか悩めばいいという夫の実務的なアドバイスに従い、とりあえずひたすら願書を準備している)
職業プログラマでシステムの開発保守をやってるんだけど、色んな人が競技プログラミングにハマっているのをみてatcoderを始めてみて一ヶ月が経った。未だにF問題が解けなくて実力の無さを痛感してるけど、これ、たしかにめっちゃ面白い。アルゴリズムを考える力もつくし、これからも続けようと思う。
それと同時に、やはり競プロは業務では使えないって思いが強くなった。「アプリを作るのが好きで、趣味で競プロもやってます」って人であれば面接で速攻でとると思う。問題となるのは「競プロで青色なので、プログラミングは得意です」という言い方をする人。その時点で俺なら落とす。
普段、仕事でプログラムを書いていると可読性とか保守をどうするとか、ほとんどの時間はそういうことを考えてコードを書いている。幸いそのお陰で、自分の関わるシステムは5年以上開発を続けても苦もなく保守できる状態が保たれている。しかし、atcoderに参加してみて、競プロ中は普段と全く関係のない知識を使っていることに気がついた。いや、使っているではない、使わざるを得ないのだ。
例えば、普段の開発では単体テストを必ず書くが、atcoderでは提出時間が早いほうが有利なため、簡単な問題では単体テストが完全に無駄だという思いが脳裏に浮かんだ。システムを作るときには絶対にあってはいけない発想だ。回答を通す、という目的だけがはっきりしているのも問題だ。参加中は可読性を上げるために変数名をつける、読みやすいようにリファクタリングする、などの行為がすべて無駄と感じられてしまった。回答を通すためだけに、 ad-hoc な if 文がどんどん付け足されていく。そして、回答が通った時点ですごく達成感が出てしまい、完成したコードにはまったく興味がなくなってしまった。atcoderに参加しただけで、普段システム開発をしている自分の頭がそのような発想に至ることがあるなんて全く想像していなかったので、恐ろしくもあり、競プロのマインドはシステム開発とは全く違うと痛感させられる経験だった。
こんなマインドでプログラミングを覚えた人間は、絶対にまともな開発はできない。ひどい手癖が染み込んでいる上に、そこに自信を持ってしまっているのが非常に恐ろしい。ずぶの初心者よりももっと悪いと思う。
ちょっと前までは、テレビとかでよく取り上げられていたが、個人的には変な奴だなー税金もったいなーくらいにしか興味がなく、どちらかといえば無関心だった。それが最近嫌悪に変わってきている。なぜかを考えた。
まず嫌悪に変わった前後の主な出来事はマツコデラックスへの執拗な追及だったり、ヤジへの過度な追及だったりじゃないかなと思う。(もっと色々あると思うけど)
この嫌悪の本質は恐怖なんじゃないかな。その頭がキレるパワー系マヂキチが自分に向くんじゃないかという恐怖。
立花は NHK を倒すことを掲げ、実際確かにそれに向けて動いている。ただ彼がやろうとしていることは多大な犠牲を払った復讐だと感じる。復讐の終着点は NHK の死、犠牲は日本の社会全体。日本の社会がめちゃくちゃになる代価に、NHK を破滅に追いやる未来像を立花は思い描いてるように感じる。
国民だろうとなんだろうと、立花は利用できるものはなんでも利用して自分の目的を果たそうとしているんじゃないかな。そして障害になり得るものはなんであろうと取り除こうとする。だから対岸の火事として見れる間はいいんだろうけど、マツコだったりヤジだったりとなにもかも飲み込んでいるその炎の勢いを見て、なにか下手なことをして自分もその炎に包まれたらと恐怖してしまったんだろう。
そして悪いことに、その妖しくも力強く蠢く炎に魅了された人たちも増えてきて、これがより一層炎を勢い付けている。これがカルト的な気持ち悪さだろう。
こうなった原因はきっと根が深い。彼をこうも変貌させてしまった腐った組織・人間、奇抜だが分かりやすい「NHKをぶっ壊す」という文句にいとも簡単に同調してしまう知識も考える力もなく政治にも興味を持たない国民、ネットや若い世代を軽視する政治体制…
根が深いからこそ、修正力的な不思議パワーが働いたとすら思う。立花のようなかき乱す分子を生み出して、それを死力を尽くして収めることでより良い社会に進化する、みたいな。
日本の未来が心配だし、無知で利用される人々がかわいそう。もっとも本人たちは利用されると自覚する頃にはもう取り返しが付かなそうだけど。そもそも無知だから利用されること自体に気付かないかもしれないけど。
ネット私刑をよくするのが現代日本だが、私刑は本来法治国家において必要のないものだ。
しかし無くならない。法が捌いてくれない悪事が多いのが原因だろう。
となると人は私刑に走る。
また既に痛い目に合っているのに叩かれる場合がある。例えば大分の孤立。
あれは「身を持って理解した」パターンなのでもう責める必要はない。どうせ救助費用かなりとられる。保護者はひーひー言いながら金を払うだろう。
対応策、教訓としては必要かもしれない。叩いてる場合では無い。明日は我が(子の)身。
まず誰が、どんな目にあい、どんな法策がとられるかとられないかを考え、どこが責められるべきなのか。そして痛い目にあったのかあってないのか。
そこを考えられないと私刑は全て取り締まられる(まとめサイトなど含め)べきであると考える。
フリプで遊べたのでプレイしてみたのだが、人間とアンドロイドの境界について考えさせられるゲームだ。
人間は「アンドロイドはプログラムされただけの機械」と表現する
感情自体も人間を模倣しただけのプログラムされたものと作中で表現していたが、神?が仮に人間を作ったとしたら、神からすれば人間はアンドロイドとなんら変わりがないのではないかと感じた。
神によって与えられた命が自我と呼べるプログラムを神からされたなら、同じだ。
それと同じようにアンドロイドも人が命を与え、感情をプログラムされたとしてそこに自分で考える力が芽生えたのなら、やはり人間と変わらないと思える。
最初から自我を持っているか、あとから自我を手に入れるかの差だけなんだなと。
この作品の面白いところは、アンドロイドにも愛が芽生え、時には母性として表現され、仲間意識と表現されたりと、多彩な感情をアンドロイドが表現している。
男性の、性的アイデンティティの堅固さって何で保てるのかよく分からない。
その辺揺らいでる男性はガチのセクシャルマイノリティが殆どで
それ以外は何の疑問も持ってないのがデフォに見える。
https://anond.hatelabo.jp/20190505075638の増田の反応見ても
これ女だったら人生で一度は似たような事考えた事あるだろと思うけど
男性(と思われる人)は皆茶化してるか理解不能という反応ばかりで
本当に男性ってこの手の事考えた事一度もないんだな、と思う。
当たり前じゃん!
じゃあはっきり言うけどさ、
女は異性を捕まえる上ではヴァギナ力(う゛ぁぎなりょく)という巨大なパワーで下駄履いてるのよ。
(別にまんこでもいいけどここではこの問題を語る時の美輪明宏の語彙であるヴァギナを使う。)
これもはっきり言って欲しいなら言うけど、そんなんかなりの割合で「NO」だろうよ。
女でなくても結婚するなら男と結婚する男が今より大勢居る筈だろ。
それ本当に聞かなきゃわかんないの?
それとも答えはNOだとわかってるのに圧迫尋問でYESにさせたいの?
ネットのコミュ障語りとか社会不適応語りとかでもわかるでしょ。
その語り手が男なら友達も居ない交際経験も無い全部閉じててずっと孤独ですってなるけど
女ならなんだかんだいって遅くとも大学では数人と付き合ってて現在も彼氏がいるとか結婚してるとかになる。
すっごい人付き合いが出来ないとか悩んでるとか孤独だとかいいながらしれっと異性のパートナーはいる。
なんでそうなるか?
ヴァギナ力じゃん。
ヴァギナがあるのでそれがニーズを生んで異性の方からアプローチしてくれるからコミュ障でもパートナーができる。
男のチンコにはそんな需要やパワーはないのでコミュ障にはなんにも起きない。
女のコミュ障には人間的魅力(笑)があって男のコミュ障にはないのか?
んなわけねーじゃん。
同じぐらい閉じた人間でもヴァギナ力があれば引き合いがあるってだけ。
これって要するに自分が異性のパートナーを獲得するに当たってヴァギナ力で下駄履いてきたという事実から目をそらしたいだけでしょ?
自分で答しってることを圧迫質問で他人の口から否定させようとしてんじゃねえ。
お前は世間的な最大のセールスポイントを取っ払っても誰かから親密になりたいと思われるほどのすげえ人間なのかと。
一見卑屈風だけどすごい自信家というか欲しがりだよね。
どれだけ肯定されたいんだよ。
世の中にそんな特別な人間いくらもいないんじゃないの?多くて1パーセント以下じゃね?
これはニヒリズムじゃないぞ。
「性的アイデンティティ」さんの空論の方が人を苦しめる妄想でしかないじゃん。
やたら特別な人間として求められたいっていうの、変なフィクションコンテンツの見過ぎじゃね?
あなたはたまたま何らかの距離が近い人間としりあって現実的なメリットの交換で距離が縮まって付き合ったり結婚したりするんです。
あなただけでなくみんなそれだけです。
別に嫌なことでも気分悪いことでもねえだろ。
事実を見ろよ。
いい大人がこの世にありもしない「特別な関係」を大真面目に語るな。中学生までだろそれ。
「最初あんたがチヤホヤされるのはヴァギナがついてるからで、それ以外に何も無ければ飽きられますよ」って厳しく言ってた。
ヴァギナついてない女装者としてはそりゃ恨み込めて言うよねそこは。
自分が魅力的な男と付き合ってこれたのはそれこそ自分の特別な才能や能力のおかげであって、お前等凡庸な女はただのヴァギナ力じゃねーかと。
で、美輪はもちろんただ恨み節するんじゃなくて「だから飽きられて捨てられたくなければヴァギナだけの馬鹿女にはならず中身を持ちなさい」みたいなこと言って励ましてたし、ほんとにヴァギナだけの頭悪い女は頭悪い男としか接点もてないだろうけど、ヴァギナが最初の突破口になったり繋ぎとめる重要な要因になったりするのは事実であって、そこを否定して何になるの?
「性的アイデンティティのゆらぎ」は、「知れ切ってる事実を否定しようとしてる変な心の動き」としか思えない。
恥ずべきことではないと思うけど別に。
動物の話で言えば
メスは最低限自分の子を産める。最低ライン保証がメス。メスというだけでニーズがある。
オスは勝ち負けが激しい。最低ライン保証が無いのがオス。オスというだけではニーズがない。
男は需要がないのがデフォだから、基本状態では誰からも狙われないの。
はなから財産無くて自分で食い扶持稼ぎなさいって言われた人間は心が安定してるだろ。
これが男。
女は女ってだけで男から狙われて引く手があるので、浮かれるし不安定にもなる。
なんかすごい財を持たされてしかもその値打ちがどんどん変動していって
上手く換金しないと損しますよ後悔しますよなんて言われた人間はどうしても心が不安定になる。
これが女。
男の競争弱者は再生産とか家族とかから一生疎外されて孤独死するけど、
生まれてからずっと財産持たない状態なので心は安定しててゆらがないわけ。
女でも真性の喪女(心身の支障でマジでニーズがないか、もしくは自ら積極的に財産放棄した者)は男と同じように安定しててゆらがないんだと思うよ。
ヴァギナ力のせいで財産防衛しなきゃいけなかったり望まない相手を追い払ったりとかヴァギナ力の負の面は大声で強調するのに、
ヴァギナ力のポジティブ面は事実として受け入れることすら出来ずに「性的アイデンティティのゆらぎ」とか変なこと言い出すの
物事をちゃんと考える力が無いからそういう支離滅裂な考えに固着する。
持たなくていい不満を持つ。
これ女だったら人生で一度は似たような事考えた事あるだろと思うけど
男性(と思われる人)は皆茶化してるか理解不能という反応ばかりで
本当に男性ってこの手の事考えた事一度もないんだな、と思う。
そりゃ男はそんなこと考えない。
男は素のままの自分が愛されるなんて妄想を持つチャンスが無いので。
稼いだり名を売ったり能力をつけたりして自分に着けた外部的なもので需要を得るんだと最初から思ってる。
「ボクが稼がなくてもボクを選んだ?」なんて聞いてくる男に好感持つか?持たないだろうに。
男でそんなこと真顔で言うのは生育環境に問題のあった何らかの人格障害者か、若い頃に素だけでモテまくったよっぽどのイケメンかだ。
(このあいだ元トップホスト42歳が「もう一度輝きたい」つってyoutubeやtiktokやるという痛々しいドキュメンタリーがNHKでやってた。
あれは男だけど「性的アイデンティティクライシス」に苛まれてる人。可哀想なあほとしか思えない。)
ヴァギナ力なしでも惹かれてくれる男を選びたいならヴァギナを切除して髪も切って男みたいに装ってから相手探せばいいじゃんよ。あほくさい。
男で言うなら「ボクはありのままのボクを愛してくれる女性とめぐり合いたいので手足の腱を切りました、子供並みの筋力と労働力しかありません」
「自分のことばっかり考えてるろくでもないナルシスト」って思うだろ。
パートナーにそんなに清い動機を求めるなら、自分は同じ問い詰めに耐えられるの?
別に異性じゃなくて同性の友人でも、長所やメリット一個一個削除していったら最終的にはクソみたいな奴になるやろ。
削除していくどっかの時点で「こんなんならこいつとそもそも親しくなってなかっただろうな」ってなるだろお前も。
そのくせなんで自分が選ばれる理由だけはこの世にあり得ないようなピュア性や絶対性を求めるんだよ。
僕にも夢ができました。必死こいて勉強して資格を取って、うんと金を稼いで、優しい奥さんと結婚して、可愛い子どもを作って、温かい家庭を築いて幸せになることです。こんなことを言ったら先生はどんな反応をするでしょうか。笑わないで聞いてもらいたい。出雲を出てもうすぐ十年が経とうとしていますが、僕はあの頃のことをどう整理をつけていいのか未だにわからずにいます。あの頃の僕は明日のことを考える力すら持っていませんでした。毎日毎日頭がおかしくなりそうだった。まともっていうものがこれっぽっちもわからなかったんです。そして今でもやっぱりいまいちわかりません。しかし、こんな頭の悪い僕でも今では多少の知恵はついたんです。だって今じゃ就職して毎日会社に行って社会人とかいう狂った連中と一緒働いて、そうやって今でも生きているんですから。(社会人という人種のがさつさには気が触れそうになります。まるで寝室に土足で上がり込んで箪笥を荒らされるかのような不快さです。)僕はどんなことがあっても幸せになりたい、そう思います。どんなことがあろうと、どんな手を使おうとも、です。それはあなたを含め僕の人生に影を落としてきたすべてのものへの復讐でもあるんです。実を言うと僕はあなたを殺してやりたいとまで思っていました。どうかこの世をさるその時は地獄に堕ちて欲しい。僕のせめてもの願いです。
論争してても考える力がなければ論理を組み立てることができません。
②なぜ自分が上か?を考え抜く
大体論争って「どちらが偉いか」を比べる戦いです。
ネット上とはいえ、見栄をはるより実際に自分の中身を鍛え抜くことが大事です。
自分がどうすれば自信を持てるか考えましょう
論争する人はゴールが他人を貶めて優越感を得ることにあります。
なので人を貶したり揚げ足をとるスキルはずば抜けているし、
ちなみにこんなのがあっても人に憎まれても好かれることなんてありません。
彼女ができませんね。
一方偉そうなことを言う割にはこういう人々は教養がほとんどない場合が多いです。
なんとこれを書いている人もそうです。
④論争をしない
論争をしてる暇があったら自分をあらゆる面で磨きましょう。
つまり自信がないのです。
そんな奴らと関わったら更に自信がなくなります。
できない人が増えてきている。
なんでも1から10まで説明しないと理解できない人がどんどん増えている。
1つ思いついたら、そこから考えを膨らますなんて当たり前と思っていたけど、
実際は1つも思いつかずに、誰からか教えてもらうかWikiを見てるだけという人だらけ。
自分で考える事もなくなれば、察する事も見出す事も出来ない。
言われないとわからないって言う人居るけれど、言わないでも見てわかるような表情ですら、察せない人も多い。
自分が他人の変化に気づかないのであれば、相手もまた同じ事に気づかないと理解できない。
他人が気遣ってくれるのは、他人が君よりも一般的な感性を持っているからだよ。
そこも気づかない人が増えた。
理解力というか、考え方が欠如しているのが現代人の特徴だと思う。
物を扱う時だってそう。
説明書を渡しても分からないという。分からないんじゃなくて理解できないが正解なのに。
言葉で説明しても分からないという。何でも噛み砕かないと分からない人を見て思うのは、
赤ちゃんが食べ物を柔らかく一口サイズにまで細かくしないと食べられないのと同じという事。
考える力を持っているはずなのに、カンペが無いと何もできないんだなって。
本当はそうじゃないはずなんだよね、考える力もあるし、理解力もあるはず。
でも、答えが書いてないと尻込みしてしまうという感じ。
こう考えると、間違える事に臆病になってるのかなと思う。
まぁ、人によっては効率がうんたらかんたら言うんだけど、効率を求めるなら、やはり相応の理解力を持ち合わせていないといけないと思う。
理解力も持ってないのに効率を求めるのは、サルでも出来るシリーズ以下じゃないかなと。
サルだって、こうすれば良いんだって考えるのに、それすら放棄してる人が効率を求めるのは問題外。
あっちこっち飛んだけど、何にも理解しようとしない人が分からないと言い、自分から何も考えない人が、俺を理解しろみたいな事を言う。
普段から様々な事を考える人は、そういう人を見ると苛つくんだと思う。
能天気な人だって多少は考えるのに、頭を使わない人があれこれ言うんだもの、そりゃイライラするよね。
そんな人たちがあれが辛いこれが辛いと辛い辛いアピールをしてる。
何も考えない、何も理解できない、そんなあなたたちの何がどう辛いの?と。
一昔前のAIにさえ劣っているのに。
最近のはてなを見ると、はてなダイアリーやはてなハイクを止めたりはてなキーワードの編集を一時的に止めたりと、守勢に入っているようだ。はてなサービスの利用者は増加しているが、経営陣が技術的負債をなくすことができなくなっていることで、はてなの衰退を感じざるを得ない。
はてなには二つの文化が存在する。一つは、はてなダイアリーを原点としたはてな村、もう一つは2013年以降に出来たはてなニュータウンという。はてなダイアリーと増田が前者、はてなブログとはてなハイクが後者に当てはまる。そこで、それらの文化がどんなものか再確認しておきたい。
はてな村とは正にネット論壇の代名詞であった。お互いが場の「空気」に囚われることなく堂々と意見が交わされることで常に議論が活発に行われた。2ちゃんねらー等の他のネット民がゴシップや下らないネタに明け暮れている時にはてな民は着々と考える力を身につけていったのだ。はてなダイアリーが一世を風靡した理由はそれだろう。増田からは「保育園落ちた。日本死ね」や増田文学百選等世間に影響を与えた名作が数多く誕生した。Amazon echoがちょっといい話として増田を選んだ背景にはそれらの積み重ねがあるのだろう。さらにもう一つ忘れてはならないのは、科学技術を尊重する考えも存在したことだ。はてなブックマークではかつて科学技術的な内容が並んでいた。その中でHagexといったIT技術者等も登場した。
一方ではてなニュータウンでは共同体意識の強さが感じられる。そのことははてなブログのブロガー同士のつながりの強さやハイクの穏やかな雰囲気を見ても分かる。はてなハイクではハイク婚という婚約も起きた。また新規ユーザーを取り入れる柔軟性は村より優れている。しかし、お世辞にも議論が本格的に行われているとは言い難い。ユーザー同士がスターを付け合っており馴れ合っていることが分かる。はてなブログで起きている互助会問題が良い例だ。
はてなダイアリーのブログへの統合を考えると、村はもうすぐニュータウン側に併合されると予測できる。このことの背景には村の過疎化がある。はてな民の中には村を原始人が手斧を投げ合っている過疎地と揶揄する声もある。
しかし私はこのままでいいのかと言いたくなる。確かにはてな村は性格が攻撃的で排他的な雰囲気があった。それ故に怖くなって逃げた人も少なくなかっただろう。だが村が無くなれば、これまで積み重ねられたはてな民の素養や議論の精神は廃れてしまうだろう。そして馴れ合うことだけが残ることで、はてなはの質はAmebaやライブドアと同レベル、いやそれ以下に落ちるかもしれない。現に、はてなブックマークでは低俗な記事が並ぶようになって科学技術との関係が疎遠になっている。そして最終的にはてなそのものが過疎化するかもしれない。
だが何よりも、村側とニュータウン側の分断が深刻化する危険性がある。双方の文化の違いは増田とはてなハイクにて顕著に現れている。今でさえ村とニュータウンの棲み分けが進んでいるようで、少しずつはてなの議論の精神が無くなっているように思える。現CEOの栗栖義臣がはてなダイアリー(村側)で働いてきたこともあって、その精神の喪失が経営陣に暗い影を落としているのではないかと想像できる。それがはてなの衰退の一因のようにも思える。
では、村の文化が生きていくためには何が必要か。そこで私は敢えて村とニュータウンの統合を支持する。ダイアリーで書かれた記事等を全てブログにインポートする。同様に増田とハイクの統合を行うべきだ。私は統合後のサービスをマスダハイクと呼んでいる。このことは過去に書いたので是非読んで欲しい。↓
https://anond.hatelabo.jp/20190206113010
はてな村で培われた議論の精神がはてな民のエートスとして受け継がれなければならない。
そして、はてなで培われてきた全ての文化を包括してはてな民の団結を形成するために「はてな国」を成立させる必要がある。これによって、はてなは議論の精神と新規ユーザーを受け入れられる柔軟性を兼ね備えたより良いネット言論空間として生きるだろう。
今後はてなは、色んな付加価値の高い記事が揃うはてなブックマーク、ダイアリーの後継としての新はてなブログ、はてな民達が気軽にコミュニケーションがとれるマスダハイクの三つを支柱として運営するといい。そして、ネット論壇としての使命を全うして欲しい。はてなが百年後にも残っていることを祈って本稿を終えよう。
(二月八日改訂)
先日、はてなで「無料で独自ドメインあげるで」とキャンペーンをしていたのでついつい取得。(実質はお名前.comで1円販売してた.workを勧めてるだけだった)
ノリでアドセンス申し込んだら約一週間で合格した。事前にある程度は調べて受かる感じはなかったが、やってみるもんだなと。
せっかくなのでネット上では見つけられなかったり、参考にならなかった情報をまとめてみる。
同じよう理由でアドセンス申請に躊躇していたひとの参考になれば。
自分のブログで書いてもよかったけど、唐突だし、逆にgoogle先生に目を付けられて取り消されてもバカらしいし。
ゲーム系でアンテナサイトなどに登録してもらったひとも多いかと。
新URLの再申請がめんどくさかったので、やらなかったら問題なかった。
これ、ゲーム系にも限らないと思うので、もっとはてなブログ側で宣伝しておいたほうがいい気がした。
書き出し2行以内に話が理解できる構成が好きなので、僕は必須だったらアドセンスやらない。
てか、それ意識してだらだら序文やら目次付けて書いてるゲームブログマジうざいよね。
あと持ってない最新キャラを「これは強い! 人権ですね!」とエアプレビューしてるブログは全部潰れろ(過激派
・記事:120ぐらい
・文字数:ほぼ500~750文字程度、10記事に1回ぐらい書く真面目?な記事だけ、1000文字超え。
ちょうど申請時、最新記事の複数でキャラ画像を貼って「パンツ!パンツ!」と連呼してた(反省はしていない
必須だなと思ったのはプライバシーポリシーぐらいかな。これだけは申請前に作っていたほうがよさげ。
僕はサイドバーにあるプロフィールのコメント欄に「プライバシポリシー」って雑に固有ページへのリンクを置いただけ。
あ、レスポンシブデザインにしていない人はスマフォ版へのリンク作成も忘れずに(僕は3日忘れてた
あとなんかあったかな。初めての増田なので勝手がよくわからないけど、聞かれれば答えるかも。
ちなみに僕の収益目標は、はてなProの代金分ぐらい稼げればそれでいい。
それにしても合格したから言えるけど、アドセンス受からないことを記事にしてるブログって、やっぱ自分で考える力がないよね。(文章からも伝わってくる
もうすぐ1年目も終わるな。
周りの奴らの中には「あとちょっとで2年目なのにこんな簡単なことも出来ないのか??!!」って平気で行ってくる奴もいるだろ。
そうやって言われ続ける内にお前も「なんで俺はこんな簡単なことも出来ないんだろう……」ってみるみるやる気や自信を失っていることだろう。
あのな、お前は十分にやってるよ。
お前がやっていることは確かに一見すると大したことねえよ。それは事実だ。
でもそれでもお前が十二分によくやってるよ。
お前が今やっていることが上手くいかないのは、お前がそれを上手くやるための手段が不十分だからだ。
そして、その責任は会社や上司や先輩や、ないしは誰の責任とも言いようがない所にある。
お前がそれを気に病むのはただメンタルを損失してるだけだ。
たとえば、今NHKでやってる大河の中で滅茶苦茶走って通学してる人がいるだろ?
お前があれみたいに毎日走って通勤するとしたら、20kmぐらいの距離でも十二分に地獄だろうよ。
でもお前が自転車に乗ってればまあなんとか耐えられる程度の距離にもなりうるし、電車や車で通勤するんだったら何の問題もないような距離になる。
お前は今、その道を必死に走っているようなもんだ。
それを毎日電車に乗って通勤してる奴らが「なんでアイツは20kmの通勤がそんなに辛いんだろう……なんでこんな事にそんなに時間がかかるんだろう」とか抜かしてるのが今の状態だ。
遅くて当然なんだ。
遅くてもなんとかそれで食らいついてる時点で十分凄いんだ。
それが分からない奴らは、単にものを考える力を失っているだけだって割り切っちまえ。
ゆくゆくは手札を揃えてまともに勝負できるようにならないといけないし、その手札も自力で調達できるぐらいになる必要はある。
でもそれはもっと先の話だ。
今すぐやる必要はない。
まだまだ焦る必要はない時期だ。
そこで焦ってくたばるのは単なる損失だ。
お前を裏切らせようとしておきながら、そんなお前を裏切り者と呼びたがるキチガイが身内にいる不幸に絶望しなきゃならないだろうが、それは受け入れるしか無い。