2019-07-25

Detroit: Become Humanという作品について

フリプで遊べたのでプレイしてみたのだが、人間アンドロイド境界について考えさせられるゲームだ。

人間は「アンドロイドプログラムされただけの機械」と表現する

自我を得たアンドロイドは本当にただの機械なのだろうか。

感情自体人間模倣しただけのプログラムされたものと作中で表現していたが、神?が仮に人間を作ったとしたら、神からすれば人間アンドロイドとなんら変わりがないのではないかと感じた。

神によって与えられた命が自我と呼べるプログラムを神からされたなら、同じだ。

それと同じようにアンドロイドも人が命を与え、感情プログラムされたとしてそこに自分考える力が芽生えたのなら、やはり人間と変わらないと思える。

最初から自我を持っているか、あとから自我を手に入れるかの差だけなんだなと。

この作品面白いところは、アンドロイドにも愛が芽生え、時には母性として表現され、仲間意識表現されたりと、多彩な感情アンドロイド表現している。

作中のアンドロイドは、もはや人間となんら変わりはないのだ。

目印になるこめかみのLEDを外してしまうと人間しか見えない。

自然なやり取りから人間と変わらない。

こういう作品は、人間とは何か、アンドロイドとは、様々な事を考えさせてくれるので面白い

  • 普段から映画見てる人向けだよねってゲーム アンティルドーンも面白かったけど、デトロイトもよくできたゲームだ

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