はてなキーワード: 考える力とは
https://anond.hatelabo.jp/20181104065044
8年前にも山口一男から「まったく科学ではないよ」と喝破されている。
フェミが劣化したのではなく、元々こんなものだったのに学問っぽい体裁だったから騙されてただけ。
山口 日本の社会学教育、研究では、社会学とヒューマニティと分離していないんでしょうね。ヒューマニティ自体は重要ですが、それと社会科学としての分析は意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマニティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学の学部の教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますから、ヒューマニティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究の専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本の研究者は、しばしばその境界を意識せずヒューマニティと科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンスの研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト的解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想や政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くときは思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。
最近、神が自ジャンルを撤退した話をちらほらと見かけた。感想をもらえなかった神を止められない後悔のようなものが綴られていた。ファンとしては悲しかったんだと思うし、去る神の方も辛い思いをしたんだと思う。
そんな記事を読んでいて、きっとその世界に私はいないんだろうなと漠然と感じていた。
時おり好きになった作品で二次創作を書いて、同じ作品が好きな人とTwitterで繋がってフォロワーを増やすということが多かった。増やすといっても一桁単位の話で、私の作品のブックマークも一番にしてくれたのはフォロワーのことが多かった。自分が書いたものを喜んでくれたり、楽しみにしてると言ってもらえたり、投稿ツイートにいいねがつくだけでも嬉しかった。
それから私は今のジャンルにハマった。ジャンル自体が始まったばかりで、pixivの小説タグには作品がひとつかふたつぐらいしかなかった。私はジャンルに勢いよく沼ってしまっていて、その勢いのままほぼ週に一回ペースで小説を上げた。pixiv以外の投稿サイトでも多いときには1日に3本、2000字未満の短い話を書くこともあった。数打てば当たるというもので、同じジャンルで活動を始めた人たちの目にも止まってTwitterで動かし始めていたジャンル用の別垢にもフォロワーが増えた。主は絵を描く人たちで、その人たちが絵を投稿すれば三桁のブクマいいねはあった。
私はと言えば好き勝手に書きつつもよいときは二桁の反応をもらうことがあった。Twitterでも作品に関する反応をもらえて、嬉しかった。
けれどふとpixivの小説タグを見返した時、自分の作品しかないことが唐突に怖くなった。自分がタグを荒らしているんじゃないかと恐ろしくなって、自分の作品の多くを非公開にした。その直後にジャンルがアニメ化されたこともあったのだろうけど、小説タグに自分以外の作品が多く投稿された。その事を嬉しく思って、たくさん小説を読み漁った。
どの作品も魅力的で、文章も濃厚で、自分ではできない表現を易々としていた。
それと同時に自分の作品のつまらなさを見せつけられたような気がした。実際、自分が非公開にしたあとに投稿された作品のほうがブクマ数を稼いでいた。ジャンルに人が多くないからと2桁つけばいいと思っていたブクマを、あとから投稿された作品は三桁もらっているのを見た。なんなら自分がpixivに上げたあとの作品のほうが反応があることなんてざらだった。
けれど自ジャンルで話を書くことは好きだったし、私が書いた拙いものでも好きだと言ってくれるフォロワーはいた。フォロワーがTwitterで出した小ネタを話にして、その人に喜んでもらうというのが多かった。
しかしそんなことばかり続けていると、私が考えたものはつまらないんだろうなという考えに陥ったし、自分で話を考える力が失われてしまった。自分で考えた話はどれも似たような内容になっていて、読み直して頭を抱えた。
ジャンルではじめてオンリーが行われた時、私は人生ではじめて同人誌を作ってはじめてサークル参加をした。はじめてのオンリーということもあって開始直後にどのスペースも完売していて、少部数で持っていった私の本も全部売り切れた。すごく嬉しいと思ったし、そのあと感想をいただくこともあった。
しかし、再びあったオンリーでは新刊も既刊も、半分も売れなかった。具体的な数字を出せば、30部持っていってのその結果だ。
評価されないことも本が売れないことも、結果としては自分の実力不足の問題だ。結局私の書くものは内容もワンパターンで、文体も個性がないつまらないもの。腐向けを書くにしても事を為してる描写が下手くそで、自カプの話は大体オチもつけず終わらせている。
そんなのをこじらせて、最終的にはジャンルのせいだと思い込むようになっていた。この頃はジャンルの公式イベントに対する不信感やイベント現場でもオタクの問題行動が目についていて、余計にジャンルに対して批判的な視線を向けてしまっていた。ジャンルを知らない友人やフォロワーに運営への不満とオタクの愚痴を語るのが日課になり、腐向けに作った垢も不満と愚痴と自分の文章への嫌悪に溢れていた。
本当は私は私が書いたものが好きだった。文章は単純でも展開がワンパターンでも致してるシーンがつまらなくても、自分が書いてて楽しいものを書けて幸せだった。でも私は誰かの神にもなれなかったし、他人の目を気にしすぎて、自分自身の神にもなれなかった。
私はジャンルが大好きだった。売り込み方は下手だったけれど、関係者の熱意は間違いなくあった。ストーリーもキャラクターも魅力的で、今まで好きにならないタイプのキャラが推しになった。はじめて現場に行くきっかけになったこのコンテンツが好きだった。
今はせめて自分自身の神に戻るために、私は自分の好きだったものとちゃんと向き合おうと思う。
私が好きな私の文章を、私が好きであれるように。
私が好きだと思ったものを、好きだと思い続けられるように。
雨の中、外出ご苦労さまです。
視界の悪い中、出かけられるのは大変でしょう。
そんなお出かけの際にお願いしたいのですが、どうか自転車に乗る時は傘を差さずカッパを着ていただきたいのと
歩行者の方は、道路のど真ん中で傘を広げるといった愚か極まりない行動を止めていただくようお願いします。
あれは便利でしたよね。わかります。ああいうのは便利だと思う人も多いと思います。
ですが、風に弱いというのもご存知ではないでしょうか?どんなに骨組みがきちんとしている傘であっても
風に煽られれば、ただの布がついた棒です。
煽られた挙げ句に道路に飛び出すという行為は、決して自然のせいではありません。
歩行者の方も車の通りが多い道路のど真ん中で傘を広げるというのは、どんなに危険かご存知ですよね。
車よりも歩行者が偉いという考えを未だにお持ちなのでしょうか?
道路の脇で危険の少ない場所で傘を広げるという行動は、なんと小学生でも分かる事なんですよ。
まさか、それなりの人生を送ってこられた先輩の方々が、そのような簡単なことも理解してないとは思いたくはありませんが、まさかご存知でない?
そんなわけありませんよね。
また、雨が上がった時も同様です。
自転車の方々は、まず危険のない場所で自転車を止められてから傘を閉じてくださるようお願いします。
運転中に傘を閉じるという行為でよそ見を向いて、わざわざ車が通りがかっている道路の中央まで飛び出すという行為をされると、どんな人でも事故にあってしまいます。
歩行者の方も同じです。
バカではないのですから、車が通っている場所で傘を横にして雨が降っていないのを確認したばかりか
その場所で傘を閉じるという行為をされると、とても迷惑です。存在自体も迷惑になってしまいます。
もっと質が悪い方ですと、折り畳み傘をいちいち全て畳んで、収納袋に入れるまでをワンセットにされる方もいらっしゃいますが
そこまでいきますと、もはや存在自体消えてほしいの一言になってしまいます。
人生の先輩方ですので、ミジンコよりも考える力をもっておられると思います。
――手法としては経済学に影響を受けつつ、世界観としてそれ採用するのではないわけですね。
山口 ないですね。社会学というわれわれの学問は自由なわけですね。悪く言えばいい加減。分析の最終的な評価にあたっては方法論的厳密さが求められるけれど、その背後には多種多様な研究者がいるんですね。エスノグラフィーをやっている人や街へ出てインタビューする事例研究をやっている人なのです。そういった研究はある意味で科学的ではないと僕は思っているけれど、彼らは時々すごくいい洞察をする。すると、彼らの洞察はデータで裏づけできるか、一般化可能か、といった問題へと発展していくので、分業だと思っています。
ただ、そういう観点から見ると、日本の社会学は総じて科学的ではないということになってしまいますね。相変わらず古典的理論家が何をどう言ったという文脈の解釈とエスノグラフィーが中心ですから。例外はたくさんいますが、やはり少数です。4000人ぐらいが所属している日本社会学会では、計量分析に真面目に取り組んでいる研究者は1割程度しかいないと聞きました(笑)。アメリカ社会学会では逆に計量分析が7割程度、エスノグラフィーや純粋理論は非常に少ない。ましてや古典理論の解釈をやっている人はほとんど希少価値を帯びているといっていいです。
山口 日本の社会学教育、研究では、社会学とヒューマニティと分離していないんでしょうね。ヒューマニティ自体は重要ですが、それと社会科学としての分析は意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマニティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学の学部の教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますから、ヒューマニティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究の専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本の研究者は、しばしばその境界を意識せずヒューマニティと科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンスの研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト的解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想や政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くときは思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。
社会「科学」としての社会学に対する意識が希薄な背景には、日本では多くの社会学科が文学部にあることも影響しているのかもしれませんね。計量なんかやったって人の本音のところはわからないよ、みたいなことを言う人もかなりいました(笑)。僕は実証しなければ、一般的なことは何も言えないよって言うんですが。
家族経営のヘボ零細会社のような政治をやっている日本は、今どき世襲制とか悪夢のようなシステムで安倍のような知恵遅れギリ一歩手前の無知能をも首相にする。
長期的な戦略がゼロすぎて、教育も時代についていけてないから時代背景にマッチした人材も社会に送り出せない、これから必要とされる理系分野は途上国にすら並びそうな勢いだ。
更に意図的に高齢者で国を溢れさせ、税金を老人への過剰医療に投入し、未来への投資は渋る。少子高齢化をここまで政策でガンガン進める安倍とか日本が嫌いな国や売国奴の俺には神に見える。長期的どころか、中期的に日本の未来を見るだけでいい、少し先の日本は、老人だらけの国で競争力もない、内需も絶望的に落ち込む、消費されるのは生活必需品のみ。俺が悪魔崇拝者ならもう安倍はサタンと称してもいいだろう。
ここまで未来のない国を作りつつ、一定の支持者を得続ける洗脳手腕はさすがだ。日本人が安倍と同じような無知能集団で考える力がないっていうのも素晴らしい。
増税スパイラルに加え年金も消失させて100歳まで働こうとか言っているときはあまりのクレイジーさに震えた。もし愛国心があったらと思うと恐ろしい。ガチで発狂していたかもしれない。
安倍の最もいいところは、野心ゼロで保身にしか興味がなく、他国にいいようにあしらわれているところだ。言ってもまだGDPベースなら世界第3位にもかかわらず、超格下国にまで馬鹿にされ続ける安倍はトランプからすればパシリ以下の存在かもしれない。
罵り合ってばかり。
偉そうなコメンテーターと、庶民の代表みたいな顔したキャスターが、上から目線と下から目線で悲劇を食い物にしてる光景のほうが有害だ。
報道番組のような下劣な野次馬根性が、子供に影響を与えたら困る。
日本の子どもたちに、どれだけニュースが悪影響を与えてるだろうか?
複雑な問題を簡単に悪を断罪するようなキャスターの、あの薄っぺらいコメントが、どれだけ子供の考える力を奪っているのか考えてるだろうか?
世界は複雑に動いており、悪人を見つけてニュースがぶっ叩くだけでは何も解決しないということを理解させるために、ニュース番組は有害だ。
テレビからニュースが流れてこないようにする方法はないものか?
当分の間。
ハーフだかミックスが人種差別を語っているようだが、だからどうしたという感想以外にない。
見た目から明らかに日本人ではないとわかる自分にしてみれば、人種差別は日常だ。
おかげさまで考える力がついたしものを疑う力がついたし心も強くなった。
結論から言えば、人種差別をする心理も、人種差別をされて被害だと感じる心理も甘えでしかない。
突然の雨に降られたとき、なんと感じるのかと同じだ。
天を恨むのか天気予報を恨むのか雨に降られた自分の運命を恨むのか、ただ、それが雨だと感じるだけなのか。
なまじ人間が絡むから相手に原因を求めやすいだけで、人種差別は個人をどうにかすれば済むような問題ではない。
遭わないことに期待するだけでなく、遭ってしまったときにどう対処するかの用意をしておけばよいだけの話だ。
自分の弱いところを認めたくないために、所属しているもので埋めて見ないふりをするのだ。
だから日本人賛美の番組は視聴率を稼ぐ。心の弱い人間が、血族の優秀な姿を見て自らに置き換えては弱さから目を背けているのだ。
そうして人対人から人種対人種に置き換えて、自らが優れていると思いこんでいるに過ぎない。
その証拠に、海外に言って大声でその国に対する差別を口にする人間をまず見ることがない。
いたとしても誰もが気の狂った人間だと扱うだろう。
それはただ、数の暴力に安心し、数の暴力に恐れているに過ぎないからだ。
差別に怯える人間達を集めて数で闘おうとすれば、それは相手とやっていることが同じだ。
自らが強くなることができれば、差別一つ一つに怯える必要はなくなる。
自分よりも弱い人間たちが、虚勢を張っているだけだとすぐ分かるはずだ。
それを人種のせいにせず、正面から向き合えることが出来たとき、マジョリティに甘えているだけでは見えてこない強さと出会うことができる。
その時初めて、自分の存在は人種を超え、確固たる個人として自立できるのだ。
自分は当然日本人ではない。しかし、祖国の人間かと言われればノーだ。
自分は今を生きる自分であり、人種や国籍は今現在の自分につけられているステータスでしかない。
ゲームごとの派閥みたいなものを見ていると昨今の政治家同士のくだらないやり取りに見える。
アイマスだと「デレステ」「ミリシタ」昔は765Pがデレステ叩いてたよね
他あるっけ?
今の政治家みたい。
互いが問題点を認識できていないという所と指摘されたことを受け止めず理解せずに指摘には指摘でというオウム返しの繰り返し。
まあ、政治家が世間様のやりとりを真似してたら、政治家としては無能だよねという話だけど。
なぜ人はくだらない事で諍いを起こしたがるのかがわからない。
嫌だなと思う所はスルーでいいし、間違っているのであればやんわりと指摘してあげて、それを素直に受け止めなければ放置で良いと思うんだけど。
褒めてくれたらありがとうと答えればい良いし、応援してくれたらやっぱり感謝すればいい。
それだけのことができないというのが悲しいね。
子供と違って無駄に考える力があるから対立がひどくなるんだろうなと思う。
知恵を持つというのは時としてマイナスになるよなあという典型的な例だね。
毎日のようにTwitterでくだらない政治家たちが批判と誹謗中傷を繰り返しているのを見ていると
こんな深夜に2回も地震があるとびくっとする
昨日は11時半くらいに起きたから11時までのセール行けなくてココナッツサブレ買えなかった
昼は今年初のそうめん食べた
そうめんて具が何もなくてもおいしい
2わたべた
5わ100円のそうめんだったけどかったばっかりだったからかかなりおいしくかんじた
揖保乃糸にも負けない
先日のそうめん増田にも食わせてやりたいくらいうまく茹でられた
数年ぶりに茹でたのに
んで午後は何をしてたっけ。。。
格安スマホ乗り換えとかを少し調べたりしてあとはカーニバルしてたのかな
全然片付けしてない
再プレイすると意外と覚えてる
各章冒頭のcgとかね
2章は居間のシーン
3は畳のシーン
それにしても視点がかわるとはいえ同じ話を3週させられるとさすがにちょっとタルイな
でも知識も考える力もない人間がやってももやったまま終わってしまう
なんとなく説明はされてるし小説版できっちり現実を見せてくれるけど
エロシーンはサブライターみたいな人がかいてくれたのかなあとか思っちゃう
好きだったシーンはサブヒロインルートENDと3章最初らへんのほのぼの会話シーンあたりかな
万華鏡の話したりしてるところ
でも原作やってから小説思い返すと学はほんとがんばったんだなあと思ってしみじみするなあ
でもその直前に世界の真理というか美しさは見れてはいるんだよね
聖書の話とかあったけど原作ラストの二人はアダムとイブっぽいなとか
グーグル日本語入力さんがアダムとイブのジレンマなんて候補だしたけどなんぞこれ
ただのJPOPだったがっかり
それか働き始めてすぐのころか
どっちか忘れちゃったな
でも再プレイってのもあるけど影響されるほどのなにかがあるゲームじゃなかったなあ
エロゲとしては異質ではあるけど
なんか外人がかいた本で同じタイトルで内容も同じようなやつのオマージュだったって今更しってちょっとがっくりきてるけどまあそれはそれとして
申し訳無さ、無力感を考えると涙が出てきてしまうのは変わらない
希死念慮も相変わらず消えない
結局片付けせずに死ぬのを先延ばししてるってのがもうアレだけど
甘えだと言われようが現状のまま復職しても絶対すぐやめるか休職に戻るから意味ないと思う
なんとでも思え
もういいんだ
んなことかいてたらもう空が明るくなってきやがった
夏はこれだから
あと15分でセミと鳥が鳴き始める
最近スマートニュースの広告にやたらと痩せる酵素やら脂肪が溶けるやら、怪しいサプリがよく表示されるんだけど、広告の中身を見てみると、めちゃめちゃ嘘っぽい。
というか嘘が結構あるんだけど、共通して書かれてるのが、あの芸能人も愛用!とかいうやつな。
例えば元モー娘。のあの方とかだけど、愛用してるからと言ってインスタグラムでわざわざ顔と一緒に商品の写真載せるわけないだろ。
いや、載せる人もいるかもしれんけど、前述の元モー娘。のあの人、聞いたことのないサプリやらなんやら大量にあげてるんだよ。
仕事でマーケティングやってるけど、あれめちゃめちゃ安価でやってくれるからね。TV cmでハロプロ関係使うと何千万とか億とか軽くいくけど、インスタに写真載せてもらうなんて下手すりゃ100万円切るレベルよ。人によるけど。
そんなことちょっと考えたらわかると思うんだけど、それで怪しいサプリとかなんとか酵素ドリンクを買う人がいるというのが驚きだわ。
小中高とまともに勉強せずに生きてきた人が騙されてるのか、考えるのをやめた人が騙されてるのかわからんけど、それなりに考える力を持ち続けるのは大事だなと思うわ。
アフィリエイターというのはああいう怪しいサプリやらを嘘で固めて売ってるのかな。だとするとあまり褒められたもんじゃないね。