はてなキーワード: 漢検とは
駒場「最近、うちのおかんが得たい称号があるって言っててな、それを得るのを手伝ってあげたいんやけど、おかんがその称号の名前忘れてしもうたらしんよ」
内海「ほうほう」
駒場「ほんで色々聞いてんねんけどな、それが何か全然分からへんのよ」
内海「ほなね、俺がお前のおかんが得たい称号の名前、一緒に考えてあげるから、どんな特徴言ってたか教えてよ」
駒場「おかんが言うには、その称号は高等教育機関の中で与えられる最高のもので、アカデミアで職を得ようと思うと絶対必要らしいねんな」
駒場「俺もそう思ってんけどな、おかんが言うには、その称号を得たら必ず明るいキャリアが開けるらしいねんな」
内海「ほな博士号とちゃうか〜。博士号取った人が就職活動上手くいった話聞いたことないもんね。博士の主な進路は無職か失踪やねんから。じゃあ博士号とちゃうやん。他に何か言ってなかった?」
駒場「おかんが言うには、その称号を得るには度重なるストレスと挫折に見舞われるらしいねんな」
内海「ほな博士号やないか。幼い頃どれだけ神童と褒められた子でも、絶対博士過程で一回は挫折すんねんから。こんなん博士号で決まりやないの」
駒場「俺もそう思ってんけどな、おかんが言うには、大学の教員は別にその称号は取らんでもええって言ってるらしいねんな」
内海「ほな博士号とちゃうか〜。大学の教員は何がなんでも学生に博士号取らせようとしてくるもんね。教員が言う博士号のメリットなんて全部生存バイアスやねんから。博士号やのに博士号とちゃうやん、どういうこと?他になんか言ってなかった?」
駒場「おかんが言うには、はかせって読むかはくしって読むか分からんらしいねんな」
内海「博士号やないか。いやもう、はくしって言ってもうてるからね。こんなん博士号に決まりやないの」
駒場「俺もそう思ってんけどな、おかんが言うには、博士号ではないって言ってんねんな」
内海「ほな博士号とちゃうやないの。おかんが博士号ではないっていったら絶対違うやないか。今までの時間は何やってん。ほんまに分からへんやないか。」
今日は高校生で車も免許も持っているなんて日本人として最低、ありえないと炎上しましたけど、
それで盛り上がった瀬名くんにせよ、免許も車もある高校生にせよ、学生時代ないし今日ではかなりのバッシングをされているそうですけど、
車好きが高校生の分際で車の免許も車両も持っている現実を生み出した高校生と、
勉強を趣味のツールでしか思っていなく、あからさまに学歴や勉学を冒涜するために大学まで進学して卒業し、中学生で数検2級だの大学生で英検だか漢検だかの1級を取った瀬名くんと、
車やバイクという文明の産物をカスタムカーだのツーリングだの称して侮辱しているヤンキーと、
公共交通は消費物だといわんばかりにあからさまにインフラを侮辱しているいわゆる鉄道趣味と、
少なくとも瀬名くんは、茅ケ崎のgudachan(グダポン)や沖縄のゆたぼんよりも人間性の低い人なのは間違いないでしょう。
ついに車に興味あって持っている若者(しかも10代の高校生)が復活したかと注目されているけど、私なんか中1で数検2級とったからね。もっというと10歳上の高山さんなんて
「高校時代の同級生に高校時代に学校に隠れてIT系の資格とか難しい漢検とか取った人間とかいくらでもいる」
っていっているくらいだし。
大学進学率も勉強できる人もそこそこいるプレッシャー世代ですらこれ程凄まじいから、大卒率が馬鹿みたいに高いゆとり世代なんかもっとすごいんじゃないの?
ただ、高校生ですごい資格とか取ったって言っているけど、免許はちょっとね……。せめて英検1級とか数検1級とかだったら良かったんじゃないかなと思う。
大したことのないイジメやハラスメント、嫌だったことについて。
幼稚園編
小学生編
・苦手なザリガニを羽交い締めにされてくっつけられる
・金パクられる
・ゲームパクられる
中学生編
・小学生のイジメを引きずり、カウンセラーや教師に相談しても「気のせい」で済まされる
・後輩にバカにされる
・「お前は頭悪そうな顔なのに成績いいね」と親に言われる
・中2で漢検準2級を取得→田舎の学校では快挙→次の時に受ける同級生が増加→そのうちの1人に「あんたでも取れるんだから私にも取れるよね」と言われる(誰でも取れるじゃん)
・いい成績取っても、小学生時代私をいじめてた成績の低いヤンキーばかり評価される
高校生編
・頑張ってメアド交換したら、そのうちの1人が翌日にメアドを変更する
・何故か怖い人認定される
・たった一回の忘れ物で評価が下がる私と、それ以上に忘れ物をした子が評価が上がる不思議(ペーパーはほぼ満点、実技もどっこい)
大学生編
・サークルで副リーダーになったのにリーダーともう1人の副リーダーに無視される
・私が怒ると謝らないといけないのは私になる
社会人編
・普通にセクハラを受ける(胸を強調した方がいい等言われる、手の甲にキスされる等)
特に小中学生の頃が地獄で、会いたくないから成人式も行かなかった。
その地獄が終わっても精神的に引きずってたし、なんか頭おかしい行動いっぱいしてた。
でも今、本当に幸せになって、こうやって書き連ねても嫌な気分にならなくなってきた。
でもあの頃には二度と戻りたくない。もう一度人生やり直したくない。
同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。
県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大進学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。
自分はというと文化系と運動系の狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器と寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。
親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器の練習をしない方が厳しく怒られたし、数学で10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しか許さない」と宣言されており、真に受けた私は私立のすべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学のテストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく。
これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校の担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。
正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテストは免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対うかると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学と英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語で高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベや推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史は文化史だけ異様にできた。
身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルがキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?
専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース(翻訳・通訳など)」と「海外の大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。
なんで大学編入が英語学科に属するかというと、ほとんどの大学の編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)
授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師も日本人講師もいたが、とにかく英語。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEICや学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除、しかも学費も一部免除の特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初のTOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラスに所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。
残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなものを選択できる)の他、第二外国語、小論文対策、PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択で教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。
大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマなくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコースの人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。
【学生】
上記の通り様々なコースの人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単なテストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。
同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止めの私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後の最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。
コースの人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。
あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線で帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身で学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。
【学費】
高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除は簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準に学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)
本来国公立にしか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対に学費を無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人の努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境にお金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。
1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。
3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)
編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつは8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。
面接の練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月に試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験は受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶があいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学を卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入にチャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立や偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICでマックススコア出した人もいる。
あとTOEICのスコアで試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。
英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってからも英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。
小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人の文章センスや知識量がモノをいう感じだった。国語と世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。
編入試験の過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校で過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。
面接指導は就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生の研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。
【試験】
どの大学も小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格を覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。
第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかもバスからまた電車で移動するが乗換をミスり試験に遅刻。席に着くために荷物を通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろ楽しかった。1週間後には結果が開示され、無事合格。
そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり、面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドのライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブはギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。
進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。
上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位を大学の単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律や経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)
1年大学ライフを満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークル!バイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語の資格(TOEICスコア700前後と英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日の面接対策と小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身の編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。
大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。
色々書いたけどあくまで文系の話です。理系の編入はもっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。
東大や京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っからの文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。
あと社会人なってから編入で大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。
私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費の関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集や勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。
いよいよセンターが近づいてきて、不安な受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。
おそらく散文になると思うけどなんとなく残しておこうと思う。雨だし、帰り道1時間ほど歩きながら暇なので一発書きする。
母は器用であったが、欲のない人だった。おそらく高卒(大学に行ったと言う話を聞いた事がないのでそうなのだと思う)で働き出し、その後父と紹介婚(これも謎、お見合いではないらしい)し、私と私の兄を育て、今は犬二頭と父とで隠居生活のようなものをしている。ど田舎の山の中に小屋つきの別荘を買えるほどの生活レベルだ。
両親は昔に比べるとさらに仲が良く、昔家庭崩壊していたことがまるでなかったことのように思う。家庭崩壊は、両親の問題ではなく、私たち兄弟が荒れていたためだ。
今の私はと言うと、妻を貰い、もうすぐ30になるが子どもはなく、忙しくも充実した日々を過ごしている。
子どもを持つ年齢/環境になって、考えるのは私の両親の話で、その中でも父のことは話を聞く機会が多かったのか、たまに学生時代の話を聞かされたのを覚えている。さらに言うと、「おそらくこう言う人生だったのではないか」と言うのが、私にも想像がつくものであるため、父の人生を不思議に思うことはなかった。
一方で母のことについて考えてみると、いかんせん分からないことが多く、母は一体何者なんだろうか。
断片的な情報からの推測であるが、高卒で就職し、のちに父と出会い、25歳ほどで遅めの結婚し、その後車の免許を取り名古屋での生活に備え(出身は京都)、私の兄を身ごもり、私が幼いころにはパッチワークをしていて、家のものがそれ風のカバーやシートでいっぱいで、家に帰るとよくミシンを動かしていたと思う。私が5歳の頃には既にあったパッチワークのカバーは隠居先の別荘にて今も使われている。
のち、小学校高学年くらいにはアルバイト(お好み焼き屋)を始め、のち天丼屋に代わり、私が中学くらいにはなぜか漢検二級くらいを取り、高校生になる頃には介護の仕事を始め、ヘルパーの資格を取ったりしていた。
この時の私は、母がアルバイトを始めたこと、検定や資格を取っていることに何も感じなかったが、今改めて考えると不思議なことに思う。
彼女の何がそれをさせたのだろう。当時の父の月収を知っているが、家庭的には裕福で金銭的にも余裕はあったはずで、今の私が同等くらい稼ぐのはかなり厳しい思うくらいだ。
学歴からのコンプレックスか、手に職をつけるためだろうか、はたまたただ単に暇だったからなのだろうか。母が飲食のバイトを始め1〜2年ほどで辞めたのは、何か嫌な事があったのだろうか。その経験から資格などに目を向けたのだろうか。
本を買う時はほとんど古本で、資格の本もほとんど古本でもで揃えていた。元々、おそらく本を読む人ではないため、家にある本はオレンジページやよく分からない流行った本(五体不満足など)しかなかった。歴史書や辞典など、自宅にあった本は殆ど父のものだった。母は幼い頃に両親の離婚(私から見たら祖母と祖父)を経験していることから、家族への執着が強くなっているようにも推測できるし、70年前の離婚は今と印象が違うだろう。子どもの頃は決して裕福ではなかったらしいし、その経験からなのかほとんど贅沢をしない人だった。日曜に父と映画を2本借り、父と共に途中で寝るような人だった。
私の母はおそらく打たれ強く、色んな物事に欲がなく、家族が全てのように振る舞い、難しいことはよく分からないが口癖で、残り物を晩御飯として食べ、たまに恋愛ドラマをみてそのままソファで寝て、父の背広にアイロンをかけ、私や兄が勉強をするとよく褒めてくれた。私は今書きながら泣いてしまった。料理が得意で私はご飯をたくさん食べた。たまに父のことをお父さんではなく、◯◯ちゃん(トシノリならトシちゃんなど)と呼んでいた事もあった。髪の毛を乾かすのはドライヤーでなく扇風機だった。私や兄の些細なことでも、さも大層なことのように人に自慢した。
私は私の母のことを理解出来ない。私は矮小で利己主義で打算的な人間で、友達も少なく、自分の話をするのが苦手で、人と喋る時は嘘の自分が自分の代わりに喋っているようにしないと他人と喋れない、嘘つきの惨めなマザコン人間だ。さらに言うと私は父も好きだからマザコンとファザコンを併発しているとも言える。
と、ここまで両親を賛美した上で、私の妻と言う存在に触れると、私は自らの過去に存在する母と父を尊敬しているだけで、今は妻が世界で一番大切なので、全ての物事の中で妻を優先しており、両親と妻の命が天秤に掛かれば迷わず妻を取るくらいだ。
来週から中2の息子と私の2人で父子のふたり旅に行くことになった。
去年の夏の終わり頃に私が思いつき、ついに実現の日が近づいてきた。
そこからは青春18きっぷを使い、のんびりと移動しながらこちらへ戻ってくる計画。
移動時間がどうしても多くなってしまうので、なにか新しい3DSのゲームを買っていくことを息子と相談し、昨年リリースされたがまだ手付かずになっているドラクエXIをやることになった。息子がドラクエをやっている時間は息子のオススメゲームを借りてやってみることにしよう。
秋田では10年以上ぶりに会う知人と昼食をし(息子とは初対面なので会わせるのも楽しみだ)、岩手ではわんこそば(蕎麦が大好きな息子のリクエスト)と中尊寺(寺社仏閣好きの息子にこれは見せねばなるまい)、東京ではVRゾーンでゾーマを退治すること(私は戦士をやりたいが息子に譲ることになりそうだ)、あとは宿泊地くらいしか決まっていない。
息子は「一度カプセルホテルに泊まってみたい」と言っていたので東京ではカプセルホテルを予約した。
帰ってくる頃にはクタクタになってそうだけど、息子は来年は受験で忙しいだろうし、今年の夏を全力で楽しむことにした。
息子が大人になって夏休みの思い出を思い出すとき、その1つにしてもらえるような旅行にしたいと思う。
中2の息子とどんすればそんな関係になれるんだってコメントをいただいたので、自分なりに今までの子育てを振り返ってみました。どんな子供に対してもそれが有効だとは思わないし、子どもによっては逆効果になることもあると思いますが、私は以下のようなことを心がけながら子育てをしてきました。
私は毎晩眠る前に息子も娘もハグする時間を確保するようにしてます。その時に「今日も◯◯(子どもの名前)に会えてよかったわぁ。嬉しいなぁ。また明日も元気に会おうな」と言ってから「おやすみ」を言うようにしてます。毎日会えるなんて最高に幸せなことじゃないですか。これをちゃんと伝えないともったいない。「うちに生まれてきてくれてありがとう。隣の家に生まれてこなくてよかった!」って言ってよく笑いあってます。
仕事から帰って子どもがまだ起きていたらその日のうちに、眠っていたら翌朝などにはよく聞くようにしてます。「最近学校どう?」「何か困ってることない?」「何か困ったことあったらすぐに言ってや。何があってもお父さんとお母さんはお前の味方やからな」と言うのを何回も伝えるようにしてます。
悲しいことや悔しいことがあったら一緒に悲しんだり悔しがったりするようにしてます。でもそのな中から本人が気づいていない前向きになれるポイントや、違う視点で考えれば見えてくる別の考えなども、気持ちが落ち着きつつある時に伝えて心の重りを少しでも軽くできるようにしています。
「マラソン大会で学年10位以内に入る!」と目標を立てて練習に取り組んでいた子どもが惜しくもその目標に届かない結果だった時も、まずは子どもに寄り添って悔しいね、とは言いますが私としては最後まで元気に走りきれたことだけでも万々歳なので、「でも途中でリタイアもせずに最後まで走り切れたのが最高に嬉しいよ。目標に向かって頑張ってたのはちゃんとわかってるから無駄じゃない。何の努力もせずに1位を取っちゃうより、10位に入れなかったとしてもそこに向かって努力したことの方がお父さんは嬉しいって思うよ」って本人がわかる言葉、ペースで伝えるようにしてます。また、漢検など学年のレベルからしたら取れてしかるべき級のものであっても取れたら全力で喜びます。ハイタッチしてハグして「よくやったなー!すごいやん!」って言って写真を撮っておじいちゃんおばあちゃんたちに即送信。みんなからおめでとうを言ってもらえるようにしてます。賞状を飾って何回も嬉しいなぁ、嬉しいなぁって言ってます。子どもはそんな私の姿を見て誇らしい顔をしてくれます。
「パパー、コーラ飲むー?」と息子はよくコーラのペットボトルを冷蔵庫から取り出し、グラスを片手に来てくれます(私は下戸でコーラが大好きです)。そう言われても喉が乾いていなくて、いらないときでも「いや、今はいいわ。でもありがとう」と、何かにつけて「ありがとう」と言ってます。子どもたちもそれに慣れて「ありがとう」と言うことに照れなどの感情はなく、小さなことでもお互いに「ありがとう」を言い合える関係になりました。私の父のお見舞いに行ったときにも「おじいちゃんの回復の一番の薬は君たちの笑顔だよ、一緒にお見舞いに行ってくれてありがとう」、一緒に近くの公園に出かけた時も「一緒に公園行ってくれてありがとう。たのしかった〜」って事あるごとに「ありがとう」を伝えています。
騒ぐのが好ましくない場所にどうしても子どもも連れていかなければならない場合もあります。そのような時は家を出る前など、落ち着いた時間に前もって伝えるようにしてます。「今日は電車に乗るからね。お仕事に行く人もたくさん乗ってるから大きな声で話したり走り回ったりしたらあかんよ。」とか、「今日はお父さんがお世話になってる人に一緒に会うからね。会ったらちゃんと挨拶せなあかんよ?」というように言うようにしてます。電車に乗ってテンション上がってからだと伝わらなかったりするので、家を出る前、そろそろ電車に乗る前などに段階的に伝えてます。もしちゃんと約束を守れたら全力で褒めます。「電車の中でちゃんと大人しく乗れたやん!やるやん!めっちゃ助かった、ありがとう!」って言うようにしてます。
他にもあるような気もしますが、上記のような感じです。私はもともと子どもと遊ぶのが好きなタイプの人間なので、割と子どもと普通に遊ぶ中で、人生において好ましいこと、好ましくないことを少しずつ伝えることができたように思います。
子どもと遊ぶのが好きかそうでないか、など子どもに対する考え方は人それぞれですから参考にならないことも多いかもしれませんが、うちの場合は上記のような感じで子育てをしてます。
長所がなんにもありません。真面目に考えてみたけど短所しかない。情けなさすぎて早速死にたくなってきました。
思い返せば私は子供の頃から他の人に比べて突出したものとか、特別な才能やセンスとか、そういうものがなんにもない子だったからせめていかなる時も真面目に誠実に取り組むこと、一生懸命努力する事を大切にしてきました。
でも、それって誰にでも出来ることなんですよね。努力なんてみんなが出来てあたりまえのことじゃないですか。最近その事に気付いてしまって、というかこんな簡単なことに今まで気づけなかったという方が正しいですよね、本当に今更になって自分が馬鹿だったなって思うんです。努力家で真面目で偉いねえって言われることを、褒められてると勘違いして満足してたけど、それってほかに私にすごいところがないから頑張ってて偉いって無理やり肯定してくれてただけだったかもしれないのに。
その代わり大学生活の中で頑張ったことといえば資格取得、これは本当に努力したって自信持って言えるぐらい勉強頑張りました。もちろんひとつといわずいろいろ挑戦しました。漢検、英検、TOEIC、日商簿記、FE、AP…正直、これだけ頑張ったんだから絶対評価して貰えるって思ってました。甘えてました。けど、それだって他人と比べて恥ずかしくない?って考えたら微妙だなって気付いてしまいました。別にすごくも何ともない、普通のことを必死に私頑張りました!ってアピールしてるだけなんじゃないかって思うとわざわざ書けるほど偉いことじゃないかも知れない…ってなるんです。
だいいち、本当はわかってるんですよ、結局人間としての価値で負けている私みたいな奴はきっと資格頑張ろうが何をどうしようがダメなんですよね。たぶん私は資格を取ることでみんなと同じレベルに立ててる、周りと比べて劣ってないって思い込みたかっただけなんだと思います。アホですよね。
というか就活っていざ始まってみるとこんなに自分が嫌いになるんですね。初めて知りました。
このままいくときっと親の期待にも応えられないし、それ以前に奨学金も返さないといけないから卒業までに就職先みつけないと借金地獄で絶望しかない状態になるのは予想できてるんですけど、本当どうなるんでしょうかね。就活失敗したら人生終わるって親や周りからずっと言われてて、絶対にそうならないようにしなきゃいけないというのに既にこのざまですからね。いい加減自分がゴミみたいな人間過ぎて何もかも嫌になってきました。クズですよね。本当死んだほうがいいかもしれない。
周りからはこれから自信持っていかないとだめだよって指摘されてしまいましたけど、でも仕方ないじゃないですか。私には本当に長所がなにもないって思い知ったところなのにこれ以上何をどう自信を持てと?って話ですから。