はてなキーワード: 暗黒時代とは
サッカーについては代表にしか興味が無い人たちは喜び、戦術好きなサッカーヲタは眉をひそめている。
フランスリーグで年間最優秀監督に選ばれたりW杯で多くの人を感動させた戦うチームを作ったハリルホジッチの実績・実力を凌駕する人は日本にはいない。
そして実はハリルホジッチが言ってることは現代サッカーでは常識的なことばかりなのだ。
そこで小遣い稼ぎのサッカーライターやサッカーより野球が好きなスポーツ新聞記者は「ハリルのサッカーは日本人に合わない」という何とも便利な批判を作り出す。
ふむ、「日本人に合わない」か。
しかしグアルディオラのサッカーはただのポゼッションサッカーではない。興味がある人はポジショナルプレーで検索して欲しい。
断言するが現在の日本人選手ではあのサッカーは出来ない。育成方針からの改革が必要。
それなら好調マンチェスターシティを粉砕したリバプールのクロップ監督のサッカーならどうか?
激しいプレスでボールを奪った瞬間、複数の選手が全力でスプリントしてパスコースを複数作り、あっという間にゴール前に襲いかかるサッカー。
選手にとってはキツいがそれを1試合通じて何度も何度も繰り返す。
甘やかされた代表選手じゃまあ無理筋なサッカーで、「縦に早いだけじゃキツい」と文句が出るのは確実。
では複数チームで結果を出し続けているモウリーニョのサッカーは?
選手に極限までのデュエルを求め続け、ぬるい守備をした選手には例えスター選手だとしても厳しい言葉を投げつける。
今の代表にモウリーニョが満足するだけの守備が出来る選手はいますかね?
キツい言葉を投げつけられて陰に隠れて協会に不満を言いつける選手が出るのは確実。
結局、横パスとバックパスばかりでちっともシュートを打たず、中盤でパスを引っかけられてカウンターに沈むサッカーが「日本人に合う」サッカーなのか。
リードされると全員が焦ってポジション無視して動き回ってバイタルエリアを空っぽにして追加点を取られるサッカーが「日本人に合う」サッカーなのか。
情報の流れが速くなり新しい戦術があっという間に世界中に広がる現代サッカーにおいて、ガラパゴス化し内向きになる日本サッカーの未来は暗いとしか思えない。残念ながら。
唯一の希望は川淵-田嶋ラインを協会から一層することだと思うがそんなことは起こりそうもない。
田嶋氏が会長になったとき、これで日本サッカー界は暗黒時代に突入すると友人と話していたがまさにそうなりつつあってサッカー好きとしては辛く悲しい。
高専卒業してから、たまに高専を選択したのは良かったのか考えることがある。そのたびに、もうちょっと時間たたないとわからないなあと思っていたが、さすがに10年たったので、ここらで一旦考えを書いてみる。
結論からいうと、それなりには良かった。少なくとも悪くはない。10点満点でいうと8点ぐらいだろうか。
高専在学中は彼女いない歴=年齢の童貞でつらかった。プログラミングを学びたくて入ったのだが、思いのほか電気系の科目も多く、あまり興味がもてない授業が多いのもつらかった。けっこうな暗黒時代だった。普通高校いっとけばよかったと思ったし、高卒認定もらって大学入ろうかとも考えが、踏み出す勇気が出ず。
高専卒業後は、大学に編入した。たまたま入った学部が女性多めだったのもあり、無事彼女ができ、遅れてきた青春を謳歌した。
その後、無事就職もできたし、会社でも楽しく仕事できて、給料も悪くない額もらえている。結婚もできた。
普通高校いって、大学に入ったほうが、もしかしたらもっといい人生を送れていたかもしれない。が、今の人生も全然悪くない。むしろ良い。やりたいことはだいたいできてるし。
そもそも、たぶん普通に高校から大学受験してたら、自分が編入した大学には入れてなかった。編入は試験日さえかぶらなければ、いくつでも好きな所受験できるし、普通にはいるよりたぶん難易度は低い。
高専の卒業生は、けっこうできる人が多いみたいなのを聞く。それはある程度あってるが、高校→大学と進んだ人の中にもできる人は普通にいる。自分の場合大学3年でインターンしたときは技術スキルが未熟すぎて、高専でたからといって全然使いものにならなかった。修士までいって就職したら、けっこうスムーズに一人前になれた。
というわけで、自分が歩んできた道はけっこうよかったが、今だったらプログラミング学べる場所はいっぱいあるし、よっぽど高専でやりたいことがない限り、高専進学をオススメはしないかも。校則がゆるいからとか、就職率がいいからといった理由でなんとなく進学するところではない。受験勉強が高校よりなく、好きなことに時間を使えるというメリットはあるけど、大学に1年から入ったほうがトータルでみたら自由に使える時間多い気がする。
けど、PVは観たし監督とキャラデザの人のインタビューは読んだしスタッフの言葉も読んだ。
PV見る限り、なんだか面白そうで何より。時代変更問題は、原作未読だからよくわからんけど、しかし暗黒時代のNYってそれだけでわくわくするから、現代になっちゃったのちょっと残念。
しかし原作知らないながらも元は80年代の人物がスマホを持つとか、胸が熱くなってしまうなあ。でも原作知らないせいで自分の中の熱量上がらなくて残念だな。例えば幽遊白書が設定を現代に移して(←それこそ無理)再アニメ化されて仙水一味がLINEで連絡取り合ってたらくそ燃えるんだけど。
それはどうでもいいが、BANANAFISH の舞台を現代にしたのはファッションがどうこうなどと監督はいうけど実のところあれでしょ、当時の資料を集めるのが面倒臭いとか、背景に今は亡き貿易センタービルを描いたらなんか色々とあれとかそういう問題でしょ?って思った。
ファッションはまあ、現代風にオシャンティーにしてやるぜ!って息巻いてるけど、大概アニメキャラのファッションはオサレげに見えてもどこかずれてて残念な感じがするので、全く期待していない。
その構成を具体的に示すと次のようになる。
導入部の後には、まずテーゼ(命題)としてある説・論・主張を略記する。
そしてテーゼに含まれる美点、たしかにと首肯できるところを挙げる。
続いてアンチテーゼ、つまりテーゼの汚点、賛同できない点を挙げる。
最後にジンテーゼ、つまりテーゼの美点は継承しつつも、アンチテーゼとして掲げられた汚点は克服されている、素敵な第三案を提示する。
以上だ。
具体例の挿入とか論拠の提示とかの肉付けは残っているが、論の骨子としてはこの4つが揃っていれば、必須要件を満たしていると言える。
裏を返して逆に見ると、つまり対偶をとると、論の骨子が必須要件を満たしていないという時は、必ず4つのうちのいずれかを欠いていると言える。
ここからが本題なのだが、同時にここからは単なる主観でもある。
経験則で言うと、この4つのうちでもっとも欠きやすいのが「テーゼの美点」だ。
しかし、テーゼの美点を踏まえていないジンテーゼは、美点の継承 + 汚点の克服という要件の前者を欠いたものとなるために、単なるアンチテーゼの焼き直しになる。
そのような論には進歩も深化もなく、ただ話者の言いたいこと投げっぱなしジャーマンの痕跡があるだけだ。
とはいえ、一般人が何かを私的に論ずる時、常にヘーゲル流弁証法的な構成や手続きを踏むのは現実的ではない。
議論の目的が必ずしも進歩や深化を求めるものばかりではないからだ。
議員とは、主権者の幸福度をより効果的に維持・向上するよう、行政と司法をコントロールするための立法に、(少なくとも形式上は)議会での議論を通じて取り組む労働者を指す言葉だと思う。
果たして現実の議員がそのような定義に沿った実態を伴っているかについてはさて置くとして、定義からすれば彼らに求められる必須技能は以下の3つになる。
すなわち、
■ 1. 正しい目的意識
■ 2. 適切な統治能力
= 現況の中での目的への最適解を適切に見出し、行政と司法を最適解に向かうよう制御できる能力
だ。
選挙演説や討論番組を観ていると、どうも耳目にする議員(候補)のほとんどすべてが、その論説に「テーゼ(ここでは議員と対立する意見や政策)の美点」の提示・継承を欠いている。
自分には資質があるから票をくれと訴えるプレゼンテーションたる演説ですら、アンチテーゼとその焼き直したるジンテーゼもどきを延々垂れ流す人たちが、どうして議会で対立意見を持つ別の議員たちと健全な議論を繰り広げられるのだろうか。
これは別に「右派は」とか「左派は」とか、枝野氏風に言うなら「上からの人は」とか「草の根からの人は」とか、そういう話ではない。
むしろ、そのいずれに属していたとしても、揃いも揃って議論のお作法が出来ていないという話なのだ。
自公について言うならば、民主党政権には本当に何も功績や合理的取り組みがなかった暗黒時代なのか、あるいは安保・改憲反対派の言うことにはまったく理解できるところはないのか、ぜひ顧みて欲しい。いや、どうせ顧みられないだろうけど。
立憲や共産党・社民について言うならば、アベノミクスは本当にすべてまやかしで格差を拡大しただけの何ら益ないものだったのか、あるいは安全保障上で米国の協力を引き出そうとみっともなくもがくことを本当に完全に無意味と断じられる客観的根拠があるのか、ぜひ顧みて欲しい。どうせ顧みられないだろうけど。
希望の党について言うならば、いや、希望の党はそもそも何をテーゼとしているのか理解が難しいので、何も言うまい。
ともあれ、テーゼの美点を継承しつつ汚点を克服する、真のジンテーゼを提示する不断の努力を見せて欲しい。
そうでなければ、対立するアンチテーゼ同士のどちらが好きかを選択するだけの、単なる人気投票に堕してしまうだろうというか、もうずいぶん長いことずっと堕したままだ。
こんな状況を見れば、プラトン先生も「ああ、やっぱ民主制ってダメだった」とニンマリ笑うだろうし、子どもは政治活動ってのは耳を塞いで言いたいこと言い合うだけのお祭りだと思うし、はてサに彼女はできないし、ネトウヨに財産はできないし、俺はオナニーして死ぬ。
入社5年目。残業は多いが未払いはなし。収入は悪くないと思ってた。
自分の市場価値をなんとなく知るために某大手転職サイトに登録した。
次々とオファーが来るがそのことごとくが今より1〜3M¥は下。
え?マジ?みんなそんな低い年収で働いてるの?
え?マジ?残業代全額出ない?おたく一部上場のくせにそのコンプラどーなの?
そんな感想ばかり抱いた。
当面は今の会社に居ながら、給与をさらに上げる交渉材料にするために評価につながる仕事を頑張るムーヴを採る。
あと入社する前にはそういう法定時間外労働は未払いの時代があったらしいので、暗黒時代に戻らぬよう組合活動を敢行。
いつでもホットライン&労基署駆け込みできるように連絡先の確認&スマホGPSログの定期保管を実施。
残業代が出ないとお嘆きの方へ:
時間外手当て、深夜労働手当て、休出手当てを各々の社則から引いて本来もらえるべき賃金を計算してみましょう
固定残業代?契約は明確にされてますか?何時間分がみなしなんですか?その額面は適正ですか?
転職するよりも労基署を焚き付けた方が手っ取り早いことが多いと思いますよ
いちどだけ自殺しようと思ったことがある。中2の時。俺はクラスでかなりハードなイジメに遇ってた。家に帰れば両親は離婚寸前でもめてるし、とにかく最悪だった。
当時、神奈川県の中学では2年次にAテストというのがあって、高校入試にめちゃめちゃ影響する重要なテストと言われてた。俺はその結果も散々だった。勉強なんかできる精神状態じゃなかったのだ。3才から一緒に暮らしてた犬も死んじゃうし、かわいいなと思ってた女子から「バイ菌」と呼ばれるし、もう死ぬしかねえと思った。
文学にかぶれていた俺は、太宰治にあやかって鎌倉のこゆるぎ岬で死のうと思った。太宰が心中に失敗した場所だ。
俺は太宰みたいに睡眠薬を持ってなかったので、家中の薬をかき集めて持って行った。でたらめに飲んでやるつもりだった。
こゆるぎ岬に着いて岩畳の上でぼんやり突っ立ってたら「おい」と呼ぶ声がした。
振り返ると、ネプチューン名倉みたいな妙に濃い顔のおっさんが立ってた。片手にでかいビデオカメラを抱え、もう片方の手で缶ビールを握ってた。赤ら顔。完全に酔ってた。
おっさんは映画の撮影中だと言う。それだけならまだしも、俺に協力を仰いできた。浜辺でのカンフーシーンを撮りたいから、ぜひ闘ってくれという。完全にヤバイ奴だと思った。
断ってその場から走り去ることもできたが、おっさんはすぐに三脚を用意してカメラのセッティングを始めた。その様子をぼーっと眺めていると、おっさんが「よーい、スタート!」と叫んでいきなり俺に飛び蹴りをかましてきた。蹴りは俺まで届かず、おっさんは勝手に転んで派手に尻餅を付いた。俺はなぜか爆笑してしまった。おっさんがうずくまりながら「撮影は中止だ」と呟いた。
それからおっさんはなぜか俺にもビールを勧めてきた。おっさんはクーラーボックスを持参していて、中に大量のビールが入っていた。
俺は生まれてはじめて酒というものを飲んだ。ぐでんぐでんに酔った。泣きながらおっさんに洗いざらい喋った。勉強のこと、いじめのこと、両親のこと。おっさんがどんなリアクションだったかはおぼえてない。
おっさんはなぜか別れ際にヌンチャクをくれた。そして、浜から見える大きな病院の方に帰って行った。
あのおっさんは何者だったのだろうか。ひとりで酔っぱらってカメラを持ってうろついてた。中学生の俺にいきなり飛び蹴りを仕掛け、そのあとがんがんビールを飲ませた。まったくろくなもんじゃない。
でも俺は自殺を免れた。それに今もこうして生きてる。おっさんは世間的には不審者と呼ばれる部類の人だったのかもしれないが、俺にとっちゃ救いの神ってことになる。
あの暗黒時代をどうやってくぐり抜けたのか、今となってはさっぱりわからない。ヌンチャクはとっくに無くしてしまった。でもたまにおっさんのことは思い出す。こゆるぎ岬のおっさん。
りんこ(2017)は「ちなみに何度でも言うけど中世は愛国心も金次第のところがあるのでただ働きなんてサボタージュされるでしょう。」と述べ、
Mill=O=Wisp(2017)は中世こそ御恩と奉公が大事であるとの指摘をしている。
単に「中世」を暗黒時代の意味で用いるものは多いが、封建時代においては「恩賞」が重要な意味を占めたことを考えると
御恩もなしに方向を要求する現代社会は、中世よりもさらに遅れた地代というべきであり、
現代を中世に例えるのは、中世の人々に対して失礼に当たるのではないか。
「サービス残業はやらない」なんてとても寂しい。思いやりに欠けている(埼玉県、60歳代) 2ap_2編著、 2017,togetter
いやいやいや、捏造すんなコラ
昭和でも女性は守らないといけないっていう風潮が当たり前だったし
それに対しての女は口出しするな!っていうのは背中合わせであった
女はしゃしゃりでるなってところだけクローズアップして当時から非モテだった負ンコどもにとって
昭和は暗黒時代だろうけどモテてた勝ちマンコたちにとってはマッチョ男性ゲットしたら専業主婦コースの天国だった
今は全員負け組になってマンコも働かないといけなくなったから負ンコの大勝利
女性自体のステータスの底上げ運動をする人間が女性サイドにいないのでいつまでたっても特権叫ばないといけなくなった
あと欧米かぶれっていうなら和製フェミニズムは欧米かぶれですらないんですが
「私たち女性は男よりも弱くて劣ってるから守られるべきだとでもいうのか!」
彼女たちは男と対等になるために自分たちを高めて自立を促せる組織なのに
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例えば君がアイドル好きだとしよう。
でもだからといって、君自身がそのアイドルの服を着たいわけではないだろ?
つまりは、そういうことだ。
……え、着るのか。
ひょっとして、アイドル界における暗黒時代って奴がきているのだろうか……。
確か「店員に服のサイズを尋ねてください」みたいな問題文だった。
私はその問題文にあった隙を突いて、「この店の舞台は英語圏じゃないし、店員も外国の人じゃないから、日本語で答えてもいいですよね」みたいなことを書いて、英語ではなく日本語で答えを書いてやったのだ。
察しの通り、私はもとから真面目に答えるつもりがなかった。
だが、英語の先生は、その問題で貰える点数のうち半分をくれた。
「理屈は分かりましたが、これは英語のテストなので英語で答えてください」といった丁寧な補足を答案用紙に書いて、だ。
私はその時思った。
「え、点数くれるんだ」、と。
今回学ぶべき教訓は、「屁理屈も理屈の内である」ということだ。
詭弁は人を救いはしないが、だからといって役に立たないわけではない。
……念のため言っておくが、君が学ぶべきは私の屁理屈の方ではなくて、先生の理解しようと歩み寄る方のことだからな。
つまり、回答をした時点で私の役目は終わっている。
アメリカ伝来の文化は30年続いたのに日本では終わってしまった。なぜかと言うと不良文化だったからだ。1990年代意向に社会がPC化し、道徳化し、マフィア的組織が淘汰され警察的組織が台頭する中、その文化の住人はそれを貫くことができなかった。結果、サブカルの台頭があった。外を見習って文明開化・近代化することで文化社会は洗練されていった。
そのサブカルが下火になったのはなぜか。越えてはいけない一線を越えたからである。底辺層が飲み込まれ、(マイルド)ヤンキー文化になり、おりこうさんが嫌気が差して離れてしまった。健気なオタクが離れし、鉄道をみればわかるがヤンキーナイズが横行した。
そんなくそみたいな失敗だからサブカルが何度も大衆から白い目でみられ、地下社会に付きまとわれ、無残な滅亡をするのである。(昔ながらの)鉄道好きがファッショの影響か最近大人しくなっているのも、車好きに社会が寛容になったのも、決して彼らが貧しくなったのではなくまさに自身の行いのまずさに危機感を覚えているからではないかと思う。
昭和・平成初期時代には鉄道趣味は若者に影響力があったが、今はそうではない。むしろの車とかの方が都市部だけ見ても各地で花を咲かせている。なぜか?当時と違い今の鉄道趣味の進化の余地がなくなったからだ。そして車とかは逆に進化を再開したのだ。
鉄道文化が若者文化として開花していった昭和末期は、珍走団問題で、車・バイクブームが下火になった。1990年代のアニメオタクみたいなものである。しかし、珍走団を倒し、自らが勝ち取った安心と自由を成長させた。あの暗黒時代に、どうにか努力して外のコミュニティから助けを得た人たちが成し遂げたことだ。
また車・バイクブームはアニメオタク文化同様にマスコミのバッシングなどで、文化が一度破綻した。これ自体はかなり不幸だが、結果的に構造の再編が進み、改革に繋がり、オタク旋風の延命などにつながった。鉄道趣味はまさにこの時期がリセットする機会ではないだろうか?
宮崎勤事件の時にアニメオタク・キモヲタはそれで生きていくこともできなくなり、他のオタクに転身した。ゲームオタクにアニオタがいるのも、キモヲタ出身の作家や漫画家が増えているのもそのためだが、彼らが外の優れたものをホームグラウンドに持ち帰ったりしたことも大きい。
これは模型好きも似ていて、アニメオタクと同時期に復興を遂げた模型好きでは、プラモデルオタクはみんな転身を経験している。つまり模型オタクは良くも悪くも一般人的な感覚がある。だから、他のみたいにくだらない慣習がなく、自立性があるんだろう。
東日本大震災前には鉄道オタクや車・バイク好きはオタク文化の構成員だったが、いまは鉄道オタクと車オタクはマイルドヤンキー文化になっている。だが日本のアニメオタク文化はいくらオタクとしてどうしようもなくなっても、それを切って伸びしろのある分野に力を注ぐことはしない。結果ボロボロになってやっとマイルドヤンキーとかに身売りされるんだろう。
調子に乗った鉄道好きによる、鉄道野郎と鉄道ギャルの増加のおかげで、鉄道や鉄道好きは都市から嫌われている
車・バイク好きが出て来てもいいぞ
何年かかってでもあの雪辱を晴らす
ボロボロにしてやる
その執念を感じる
今の日本死ねはガチのマジでヤバイ。加速度的に悪化していってる。
国内に目利きできない日本人の意向が入ってるせいで国内が殆ど安定していない。
さらに、日本の宝たる鉄道が平成版ヤンキー人間を育てて日本人からそっぽ向かれている。
さすが終末国家の日本
日本人の鉄道愛が強かったから日本人がみんなしらけるから私が死ぬまで「鉄道=マイナスイメージ」でいいと思う
車バイク好きの鉄道好きに対する陽気かつ横柄な態度も大嫌い 1980年代あたりにC.R.A.C.みたいなカウンターデモしえいれば1990年代には暴走族絶滅できたくせに鉄道好きご愁傷様wwwとか云うな!
キ○チ・チ○ン・ケセ○キが程のコリアンにとっての最大級の侮辱語であるように、サムラ○・○クザ・障○者は日本人に言ってはいけない最大級の侮辱語リストに入れておこう。
バイク乗りの高校生は不良旋風のせいで2012年までの30年間も暗黒時代が続いていたからなw
日本の鉄道バッシングなんてたった2年、しかも国鉄時代の多数の事故についてはバッシングも皆無だったんだし
まだまだだよ