アメリカ伝来の文化は30年続いたのに日本では終わってしまった。なぜかと言うと不良文化だったからだ。1990年代意向に社会がPC化し、道徳化し、マフィア的組織が淘汰され警察的組織が台頭する中、その文化の住人はそれを貫くことができなかった。結果、サブカルの台頭があった。外を見習って文明開化・近代化することで文化社会は洗練されていった。
そのサブカルが下火になったのはなぜか。越えてはいけない一線を越えたからである。底辺層が飲み込まれ、(マイルド)ヤンキー文化になり、おりこうさんが嫌気が差して離れてしまった。健気なオタクが離れし、鉄道をみればわかるがヤンキーナイズが横行した。
そんなくそみたいな失敗だからサブカルが何度も大衆から白い目でみられ、地下社会に付きまとわれ、無残な滅亡をするのである。(昔ながらの)鉄道好きがファッショの影響か最近大人しくなっているのも、車好きに社会が寛容になったのも、決して彼らが貧しくなったのではなくまさに自身の行いのまずさに危機感を覚えているからではないかと思う。
昭和・平成初期時代には鉄道趣味は若者に影響力があったが、今はそうではない。むしろの車とかの方が都市部だけ見ても各地で花を咲かせている。なぜか?当時と違い今の鉄道趣味の進化の余地がなくなったからだ。そして車とかは逆に進化を再開したのだ。
鉄道文化が若者文化として開花していった昭和末期は、珍走団問題で、車・バイクブームが下火になった。1990年代のアニメオタクみたいなものである。しかし、珍走団を倒し、自らが勝ち取った安心と自由を成長させた。あの暗黒時代に、どうにか努力して外のコミュニティから助けを得た人たちが成し遂げたことだ。
また車・バイクブームはアニメオタク文化同様にマスコミのバッシングなどで、文化が一度破綻した。これ自体はかなり不幸だが、結果的に構造の再編が進み、改革に繋がり、オタク旋風の延命などにつながった。鉄道趣味はまさにこの時期がリセットする機会ではないだろうか?
宮崎勤事件の時にアニメオタク・キモヲタはそれで生きていくこともできなくなり、他のオタクに転身した。ゲームオタクにアニオタがいるのも、キモヲタ出身の作家や漫画家が増えているのもそのためだが、彼らが外の優れたものをホームグラウンドに持ち帰ったりしたことも大きい。
これは模型好きも似ていて、アニメオタクと同時期に復興を遂げた模型好きでは、プラモデルオタクはみんな転身を経験している。つまり模型オタクは良くも悪くも一般人的な感覚がある。だから、他のみたいにくだらない慣習がなく、自立性があるんだろう。
東日本大震災前には鉄道オタクや車・バイク好きはオタク文化の構成員だったが、いまは鉄道オタクと車オタクはマイルドヤンキー文化になっている。だが日本のアニメオタク文化はいくらオタクとしてどうしようもなくなっても、それを切って伸びしろのある分野に力を注ぐことはしない。結果ボロボロになってやっとマイルドヤンキーとかに身売りされるんだろう。