はてなキーワード: 怨念とは
この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですから、はじめまして、小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思います。あなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。
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あなたはまず思ったことでしょう。お気に入りの自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。
わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞、アニオタ、精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫に般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔の殺意と怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドーで出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。
小学生のころから容姿をからかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり、勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています。小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!
「小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」
「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙なチラリズムの天使を無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」
「そこなんだよ。たしかに処女膜から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」
「EDになってから幽霊(アストラル)が見えるようになったとか」
「霊感商法ってやつだよ」
「まったくひどい!」
「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこを排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。
鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙な距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症の未来の恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!
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わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。
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まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています。小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会が皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」
鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。
「小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥に決闘(デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」
「というと?」
「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場はファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。
「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」
「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥はやばい」
「ですね」
「小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」
「でも、その……、よかったんでしょう?」
「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。
おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手が美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念を提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄はさらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症のメタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺の指圧師! 快楽の大銀河!
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つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。
「なあ、増田ちゃん」
「なんです、鉄男さん」
「お前、見えてるパンツをどう思う?」
「どうってどういうことです?」
「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」
「メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」
「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラとはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスのことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい、増田ちゃん」
「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」
「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」
わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分の存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン的生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析し解釈し考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠の平和がある。そこにわたしは神を見たのです。
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小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんのテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限そのものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。
「増田、おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。
「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています。
「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています。
雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。
「美しいだろう?」
「きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」
「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真も雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。
「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」
「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」
「おれには愛がある!」
璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。
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小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート的萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙なバランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは、少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房を突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。
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最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。
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ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界はグロテスクで悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会がたくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまいます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄で希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代の無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。
しかし自殺しようかなと思ったときに毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界(アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなたが存在していてくれてありがとうございます!
ブラック運動部批判を通り越して、ブクマで運動部への怨念を吐き出していないか。
中高生の間、毎日の運動の経験がないと、成人してからの基礎体力が段違いに低くなる
ブラック企業で働くとか以前の問題で、一生にわたる健康のためにも若い頃の運動は必要だ
毎日のランニングが健康に良いということは周知されていると思うが、十代の六年間だけでも毎日の運動機会を作れば、少しでも健康増進に貢献できるだろう。
放っておいたらきつい運動など自発的にするわけのない中高生には、教育として体力づくりをさせるべきだ。
元増田にも書かれているが、適切な指導が行われない、制度が整備されていないことこそが問題にされるべきで、
運動させること自体を否定するまでのことではない。
不倫して、嫁にバレた。
離婚しようとしたけど嫁のものすごい怨念と双方の両親の圧力に耐えられず、意見を最後まで押し通せなかった。
でも不倫相手のこと本当に好きだったので、まだ関係が切れてない。
もう彼女とは関係を絶たないといけないんだけど、2ヶ月たっても、嫁と両親の圧力で自分の精神が参っても、嫁が不倫相手に慰謝料請求してもまだ切れてない。
発覚前は毎日5分ごとくらいLINEしてて、会えない日は写真を送り合って、電話できない日は音声メッセージを送り合って(トイレでこっそり送る)
できる日は朝(会社最寄りから会社までの3分)・昼(昼食後)夜(最寄りから家まで)ずっとLINEの電話してた。
(結果できなかったけど)離婚する決意までするほど好きだった相手とすぐには連絡をやめれない。
で、お互い依存してるから、少しでも連絡減らそう→LINEしない=連絡とってない→一歩進んだみたいな感じで今はTwitterでやりとりしてる。
相手から提案された。お互い鍵付きのサブアカをつくって、フォロー1 フォロワー1の状態。
リプライなど一切せず、ひたすらお互い投稿するだけ。つい質問しちゃうんだけどね。
「Twitterらしく使う」(ひとりごとっぽくいう)って使うのをルールにしてるw
で、まあそこでほぼメールやLINEに近いコミュニケーションしてる。
利点は↓
・通知音ない(設定しない)→音がならないから返信がこない不安を解消(能動的にTwitterを見に行くだけ)
過去の書き込みがなくなってくれると万が一アカがバレた時にも被害が最小限で済むんだけどね。
1対1でやりとりしてる時点で嫁からすればなんの違いもないんだけど、なぜか俺と相手の中ではひとつの逃げの手段になってる。
サービスの特徴をコミュニケーションの言い訳?なんて言うんだろう?に使ってるなあって客観的にはおもしろいけど
もういろいろ疲れた。
その人のブログとかtwitterに野球の話題が流れるのだけど、これが信じられないくらいつまらない……というか、怨念が籠もりまくっている。
姑が嫁にダメ出しするような、そんなツッコミで溢れている様子を見ると、やっぱり作家さんの作品と中の人の人間性って全く別の所にあるんだなと実感する。
選手さんとか監督さんとかもひとりの大人、人間だと思うのに、自分の所有物かのごとく、完全に馬鹿にしたコメントを垂れ流すその様は非常に醜い。
普通、自分の好きな物に対する言及というのは、知らない人が読んでもその世界が知りたくなるような、とても興味を惹かれるものになるのだけど、眺めててここまでうんざりするような物の言い方ができるという事に、逆に感心している。
日記を書くきっかけははてなに次のエントリーが飛び込んできたこと。
Wikipediaの「化学物質過敏症」の記事から、「化学物質過敏症に関する議論」の節が削除され、記事に「懐疑的意見が存在する」という事実(査読論文が出展)が消されてしまったようなのである。あらら…
私は、「化学物質は身体に甚大な悪影響を引き起こし得る」ことを否定するつもり毛頭ない。当たり前だ。
ほんの僅かでも「化学物質」(種類は問わない)が存在すれば、それは悪影響を及ぼすだろう、という過激な過敏症理論を批判したい。(洗剤の残りカスとか、濃度測定済みの建材とか)
また、高濃度の化学物質による身体影響は、「化学物質過敏症」という曖昧な病名ではなく、もっと正確な記述でないと治療の妨げになるだろう。
まず、過敏症の話の前に、疑似科学の代表として「ホメオパシー」について語らせて頂きたい。
「ホメオパシー理論」の問題点を明らかにした上で、“一部の”過激な過敏症理論がこれと似た点を持つことを示すことで、これを批判したい。
健康食品や特殊医療は数あれど、ホメオパシーほど現代科学に真っ向から対立している治療法はなかなか無いと思う。
ホメオパシーは、アレルギーなどに対し、病原物質の10倍希釈を30回繰り返したものを作り、これを服用することで、その物質に耐性が付けるというものである。
だが、10倍希釈を30回繰り返すと、コップ1杯に存在する原因物質の量は分子1個程度または0個である。
つまり、「ホメオパシーに効能がある」というのは、「病原物質の分子の個数がほとんどど0個の水溶液を飲むことに効果がある」ということを示し、『病気の原因が分子・原子に還元されない何か』に由来することを認めることなのである。
現代科学が『何か』の存在を見落としているという可能性が絶対に無いとは言えない。(例えば、18世紀末まで、科学者は空気中に二酸化炭素より多く存在する成分(アルゴン)が存在することを見落としていた。)
しかし、そんなことを言い出したら、幽霊だの怨念だのと言ったオカルトでさえ否定できなくなる。(幽霊だって存在する“証拠”はあるのだ。例えば、心霊写真など。)
この点でホメオパシーは、コラーゲン健康食品やゲルマニウムなど「有意性が無い」という実験結果によって疑似科学だと結論付けれる例とは、明らかに異なっている。(コラーゲンやゲルマニウムは、これを否定する実験結果に対して、ちゃんとした実験結果付きの反論を持ってこない。)
(仮に、実験でホメオパシーの有効性(心理効果を除く)が確認されたら大事件である。世界中の教科書を書き直すだけでは済まない事態になるだろう。)
私は「化学物質過敏症」の研究自体を疑似科学だとは思っていない。もっと正確な記述をするべきだと思うが…
それでも、一部の理論ではホメオパシーに類似したものがあるのだ。
“一部の”化学物質過敏症、機械で測定できないレベルの微量物質が原因となっている「病気」を引き起こす、というそれである。
引っ越しして新生活が始まったけど、体の調子がどうも悪い。それならば、シックハウスを疑ってみるのは良いことだろう。
信用ある業者に環境濃度測定をやってもらおう。
結果、濃度が高かったら、不調の原因はシックハウスである可能性が高い。
そうでなかったら、体の調子の悪い原因は、化学物質ではない。日射環境や食生活など別の可能性をあたってみるべきだ。
ちなみに。ホメオパシーが「病原の分子の1個程度を摂取するのは体に良い」と言ってるのに対し、過激な過敏症理論は「病原の分子の僅かでも摂取するのは体に悪い」と言っている。
だから、このホメオパシーと“一部の”過激な過敏症理論は、互いに対立し合っている理論である。
間違っても、化学物質過敏症の治療にホメオパシーに頼ったりしないようにしよう。いや、これに限らず、ホメオパシーを頼ってはいけないのだけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1763977.html
これ読んでて思ったけど、ネット上ではどうしてこうも有名税の支払い圧力が強いんでしょうね?
少なくとも、こうした直接的手段に出られることは問題の提起者にとって本意では無い事は明らかなのに、
「こうなることがわかっててやってる」
「実質的な攻撃者は問題の提起者」
って具合に解釈されてる。
こういうこと言う人が有名になったら凄かろうね。
彼らは有名人になったら「取り巻きを使ってマイノリティを蹴散らしたい」と自然に発想するわけだ。
「そうでしかあり得ないと言い切れる」ほどには。
下衆はどっちだよと思う事しきり。( ´Д`) <はぁー
んでさ、こうした取り巻きを抱えてる奴を叩くのは善い事だというコンセンサスが出来たとしたら、
ネット上ではたとえ正論であっても迂闊なことは言えなくなると思うんですけどね。
攻撃者は複垢なりでファンのフリして潜んでおけば良い。
被害者が何かを否定する内容を呟いたらそれに乗っかって否定対象に徹底的にイヤガラセをすればいい。
これが一度目ならキチガイに絡まれてて(´・ω・)カワイソスで済むかもしれませんけど、執拗にやられたらどうしますかね?
貴方の発言によってほぼ確実にキチガイが出動する事が常態化した暁には、貴方はなにも言えなくなるでしょうね。
「そうなると分かっていればやってはいけないこと」なのでしょう?
であれば、こうした粘着キチガイに絡まれた貴方はアカウントを消すしかありませんよね。
まぁ、「キチガイに絡まれてる方が悪い」と主張する貴方なら、
この理不尽も軽く受け入れられるのでしょう。ご立派ご立派。
ちなみにこれ、別に人手も機材も要りません。
そりゃあさー、該当記事にあるような2chの奴らならまー良いですよ。IDなんてその日限りなんだから。
はてなーやついったらーの皆様はこげなことされたらどう往なしますかね?
追記:
どんえ~ん!
上記はもはや乙武さんやはるかぜちゃんが悪いだなんだって話じゃ無いと思うんですがね…
一部の冷静な方を除けば、有名人を叩いてるか有名人に晒された人を叩いてるかの違いでしか無いんだけど。
スクラム組んで安全な位置から攻撃してるのはどっちもどっちっちゅーか、
内心の推定をこれ答えを得たりとばかりに決めつけてかかるのは名誉毀損に当たらんのでしょうか?
まぁ、上記2名はそもそもマッチョな方なんで、自己解決すると思うし、
わたしがとやかく言ったところで何にもならんと思うけどさー。
そこら辺もまた、有名税て高いなーと思う所ではありまするるー。
さらに追記:
法的に対処すればええんでない?
http://anond.hatelabo.jp/20130513092207がなんかウザい。
他にもWebサービス作ってること言及してないし、
ほんとに初心者で紹介したいのか、
アクセス数稼ぎたいだけなのかよく分からないので不信感バリバリなのだけど。
そもそもこういう増田の使い方は自分はあんまり好きじゃないな。
ブログとカラーが違うから一時的にここに投稿した、という風でもないし。
匿名ではない人たちがいるとすごく苛々する。
自分の性根は基本的に日陰者だから、日向の人たちと共存できません。
あ、釣りでしたーとIDごと後でばらすのは個人的には大歓迎です。
簡単にぐぐってフェイスブック分かるような人間がここにいることに
>都会と田舎が対立しているという文脈で
…?
地元居残り組と話をするのが年々楽しくなくなってきました。
彼等は実はかなり鬱屈していて、お酒が入るとネガティブなことばかり言うようになって来ました。
理解しにくい難しい話ですか?これ。
都会と田舎が対立してるとは思いません。というか知りません。
そしたらあなたが突然突っかかってきたんですよ。
だから悪くも思ってない。
「逆に東京の奴等もこっちに興味津々に違いない」みたいな発想をするんだよね。
東京に対して好意的な人は「都民も我々に好意的な関心を寄せてるに違いない」って思いがちだし
東京に変な悪意燃やしてる人は「都民も我々にネガティブな関心を持ってるに違いない」って確信する。
でも東京のメディアで地方の情報は扱われないわけよ。旅行番組以外。
(そういう地方に対する無知・無関心が素地にあったからこそ『県民ショー』みたいな番組が成立したわけで)
高卒の学歴コンプレックスって結局大学にいかないと解消されないし
逆に大学に行けば「なんだこんなもん」てなる。
それをしなかった人の人生はクソみたいになるけど
これはもう自業自得だね。
※ただイケは麗しい人の美談を冷やかす常套句の意味合いは無いだろ。
容姿でイジメたり、通りすがりの人をキモッと指差したり、仕草を真似して笑ったりするキモメンイジメの対偶。
ここまでキツイのではなくても、容姿が悪いから他人に警戒されたり、疎まれたりすることに対する反発。
「※ただイケ」の本音は「※ただしブサメンは殴る」に対する怨嗟。
キモメンイジメに対する反発が、ネットのコピペ作法に合わせて様式化したのが「※ただイケ」。
「結局のところ見た目が大事なんだろ」というのは、通りすがりの人をキモッと指差す光景に遭遇したら当然としか言えなくなる。
見た目を重要視する女性への皮肉とか、選ばれない人間の自虐の話どころじゃなくて、見た目で笑われた人間が抱く当然の怨念だよ。
去年平成24年春期プロジェクトマネージャー試験を一発合格したので私と同じ非リア充社会人向けに方法を書く。エリート野郎、社会的マッチョ、イケメン、リア充の方はこの先お断りする。
①平日の朝を制する
朝起きるのはどうってことない。前の日に1時くらいまでに寝れば5時間くらい寝れる。余裕。
淡々と会社のプリンタで過去問10年分の過去問をコピーし、ファイリングして、朝の限られた時間で
解ける問題を解く。あんまり堂々とやらない。こそこそ仕事しているフリをしてやる。
幸い飲みに行って夜更かししちゃったーみたいなことが皆無なので規則正しく生活できている。
よく言えば効率化する。悪く言えば手の抜き方を覚える。
結果はこれまでと変わらず出す。(これ大事)
残業も変わらずやる。
私は昼休み、時には仕事中に隙を見て試験勉強やってた。文章書くフリして論文のモジュールを淡々と書いていた。
仕事の息抜きにタバコを吸いに行くひと同様、私は息抜きにちょろっと勉強した。
上司に見つかったら言い訳しろ、キリッ。覚悟を決めてぬかりなくやってほしい。
土曜の朝の喫茶店は異常なほど快適だ。世間は土曜日の朝くらい一息つきたがるからな。空いているぜー。窓際の端っこの最高の席がとれるぜ。広々ゆったり勉強ができるぜ。
休日の朝起きるのがつらいって?休日を無為に過ごしたときの情けない気持ちを味わうよりか
ちょっと平日と同じように起きるくらいどうってことない。
朝起きることくらいどうってことない。余裕。
自分は基本的に5時間寝れば十分という感覚を持っているので1時に寝ても6時間は確保できる。
十分。十分。
で、喫茶店で13時くらいまで粘る。集中の波はあるが4〜5時間はそこにいるってことを目標にがんばる。
たまに音楽聞いたり、違うことやったりしてもよい。とにかく時間で目安を作る。
土曜日の勉強は昼いっぱいまでやって以上終わり。あとは好きなことして過ごす。
日曜の夜の喫茶店は異常なほど快適だ。世間は日曜日の夜に一息つきたがるからな。空いてるぜー。またしてもいい席ゲットできるぜー。
日曜日の夜をエンジョイしたいって?大丈夫、君はおそらく友達がほぼいないだろう(私もだ)。何も心配することはない、無為に一人で過ごす日曜日が充実の日曜日になるだけだ。
で、喫茶店には23時の閉店を目指してがんばる。
明日の仕事のことが気になったりするだろうが、気になれば休憩がわりにTODOリストでも作って
1週間のやるべきことを整理すればよい。
以上が黄金の鉄則だ。
みよちゃん(みよしやすゆき)という先生を信じる。以上。ステマでもなんでもない、この人の作る参考書は魂というか怨念がこもっている。自分の頭で咀嚼して教材を作っている。私はみよちゃんみたいな人間がもっともっと成功して名声を手に入れてほしいと思う。
以下に私が使った教材を挙げる。
・みよちゃんのH24年度向け参考書1冊(神の書)
・論文対策用の論文サンプルがいっぱい入っている少し大きめの白いカバーの本1冊
・過去問全部(IPAから無料で落とせる。全部印刷してファイリングする)
・ポケットスタディPM(午前対策用、直前に流し見ただけだが)
まずはじめにみよちゃん本を中心にPMBOKの9つの領域で分けて
例えば品質管理ではSLAの確認、品質計画、品質管理で・・・・というように
進捗遅れた場合はこれとこれとこれ、品質悪いときの対策はこれとこれとこれ、みたいなことを
虎の巻は常に持ち歩き常に更新して常にプリントアウトして、過去問といて行く中で覚えときたいものが
最終的には虎の巻はワードで20ページくらいになった。過去問は10年分くらいを一通り答え見ながら
といた。過去問はまともにやると時間がかかりすぎるので答え見ながらその問題のパターンを覚えて即時虎の巻に
フィードバックするのがよい。答え見てよいから数をこなしパターンを覚えよう。
論文対策は実は虎の巻編集以外にやっていない。一回も論文書かずに試験受けた。受かった。
これは虎の巻に論文を意識した「対策モジュール」を何パターンも書いていたから試験当日でも
そのモジュールの組み合わせだけで解けた。論文の構成とかの具体的指南はみよちゃんの言ってることを参考にした。
あとは実務で経験している「プロジェクトあるある」を臨場感を演出しながら散りばめて書けばよい。
まとめると私の勉強は「みよちゃんと過去問を参考に自分用のPM虎の巻を作った」である。これ以外やってない。
論文書いたことなかったが試験のときはわき上がるように書けた。書き尽くせた。家に帰ると全身が筋肉痛になり知恵熱みたいなもんが出た。
自分用の虎の巻を書くことで自分の頭の中にPMBOK体系が再構築される。
人のやつを流し見ても意味がない。自分の脳にフィットした自分のものを作らなければきっと覚えられないだろう。
(もし参考になるのなら私の虎の巻を公開しますが、需要あるかな。)
自分の頭でプロジェクト知識体系を咀嚼する。これがポイント。下手に暗記しようとしたらダメ。
以上です。よかったら参考にしてください。
仕事中に勉強すんなとか、仕事に集中しろとか喫茶店で勉強すんなボケとか言われるかもしれないが
これは自分の人生を自分で選ぶというか、自分は経歴がクズなもんでもっともっと上に上がりたいという
意識が強く、いつもこのままじゃだめだとマイナーリーグでやるよりいつかメジャーに上がりたいという
こんな人生他人から見たらつまらないのかもしれないが(いや、私から見ても確かにつまらん)、とにかく上に上に行きたいという思いで
いつも家路に着く途中の高層マンションを見上げながらいつかここに住みたいと強く思いながら
忸怩たる思いを抱えながら勉強するしか道はないという思いで土日祝日勉強に費やして平日仕事して生きている。
仕事もがんばる、勉強もがんばる、家族も大切にする、そして上に行く。
でもこんな私でもたまには今日は勉強したくないなとか1週間モチベーションが下がりっぱなしで何もしなかったとかざらにあるのだけど
そんな時はいつも自分の「なぜ勉強しようと思ったのか」に立ち返るといいと思う。強く思いを噛み締める。
そしてまた明日から本気だす、キリッ、で十分リカバリーできる。
勉強道具持って喫茶店の席に座れば必ずリカバリーできる。勉強のモチベーションはいつだって必ず復活する。
そしてそして最終的に試験の結果なんて水物なので結果は必ずしもいい方向に出ないかもしれない、だけど忙しい中で一生懸命勉強したならば一生懸命やったこと自体には満足してほしい。ダメだったらまた立ち上がってまた挑戦すればいい。立ち上がるのはしんどいんだけどもう一度立ち上がるしか道はない。
私も引き続き頑張る。皆さんも頑張ってください。