はてなキーワード: 帳尻とは
https://anond.hatelabo.jp/20201024104736
でも「受注販売にすればリスクがあまりない」という一言で、モヤっとしてしまった。
たとえば増田が印刷代と同程度の価格で頒布しているなら、営利目的ではないだろう。
しかし販売という単語を用いている時点で、増田は同人誌のガイドラインや定義については詳しくはなかったのかもしれない。だが、カバーイラストを描いた絵師や周りに同人活動経験者はいなかったのだろうか。
利益が出ないなら受注販売のスタイルをとっても問題ないから、誰も言及しなかったのだろうか。
そもそも私が、注文を受けた数だけ頒布するというのは、営利目的と誤解される可能性もあるとか、部数に悩み在庫を抱える不安、同人作家が通る苦悩をぶっ飛ばしたことへの嫉妬なのだろうか。
たしかに印刷代は安くはない。だからなるべくなら赤字は極力減らしたい。全部頒布できて印刷代と帳尻があうならそれに越したことはない。
しかも昨今の状況下で通販での頒布が増えてきている中では、受注販売というスタイルは今後、同人活動の中では主流になっていくのだろうか。
どうしても受注販売という頒布方法に引っかかってしまう。同人誌はあくまで、本を手に取ってもらう代わりに印刷代だけは頂戴しますね、というやり取りではないのか。などと、この考えがすでに古いのだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20201013174040
オーナーに軽ーくたしなめられただけなのに、ひねくれてしまったAさんの取った行動とは、オーナーの言い付けを徹底的に守ってトラブルが起きるのを待つ、というものだった。揚げ物を22時まで廃棄しないというルールを守って、保温して干からびたチキンを客に売り付け、お客様から店に苦情が入るのを待つ。また、「この店の揚げ物は不味い」とお客様に印象付けて、売上ががた落ちすればいい、と。嫌がらせとして地道過ぎる。
元々、当店の揚げ物など、調理した人が調理時間を記録していないので、一体いつからそこにあるのか不明な黒ずんだ商品が保温什器に入っていて、それをオーナーさえもが何も考えずに販売していた(味はともかくとして衛生的には問題ないと思われる)有様なので、Aさんの遠回しな抵抗で何かが変わるとは思えないけど。
そんな抵抗はする一方で、納品された商品をわざと品出ししないとか、ホットドリンクの補充をしないとか、以前と変わらない部分もある。なおこれらの仕事はAさんの仕事ではなく同じ時間帯にシフトに入る人の仕事だ。これらの仕事を完遂すると「余計に仕事を増やされる」とAさんは考えていて、わざとサボらせるのだ。
だが、カフェマシンの掃除はオーナーの命令した時間よりもずっと早くにさせる。カフェマシンの掃除がけっこう大変なので、もしも私などがやりきれずに帰ってしまうと、Aさんが自分でやらなければならなくなるからだ。
Aさんが休みの日は、大抵夕方にシフトに入れるのが私しかいないので、私とオーナーとで組んで仕事をする。そういう日はオーナー命令には絶対に従わされるので、私はAさんのいる日のようにカフェマシンの掃除を早くに行うことが出来ない。揚げ物の廃棄も勿論出来ないし、フライヤーの掃除も出来ない。お客様の多い時間帯は雑用でドタバタせずに接客に集中するというのがオーナーの方針だ。
オーナーは大抵20時前には帰ってしまい、私は30分くらいワンオペでしのぎ、Bさんの出勤を待つ。Bさんが来てくれるとやっと、私はカフェマシンの掃除が出来るし、その間Bさんはレジを担当しながらフライヤーの掃除もする。二人ともかなり忙しい。Aさんのいる日なら四時間でやることを二時間でやらなければならないからだ。
オーナーは、Aさんがいる日といない日(Bさんのいる日)の仕事のやり残し具合が大きく違うことの理由を知らず、Aさんが有能だからAさんの日は仕事のやり残しが少ないと思っている。それで、Aさんのいる日に限って、仕事量を増やすとか、厄介な仕事を押し付けるとかしてくる。Aさんは楽してお給料だけもらいたいという人だけれど、Aさんの行動が裏目に出て、Aさんの日の仕事量は増えている。
BさんはAさんほど仕事が出来ない人認定されてしまったが、Bさんはもう若くはないし、ダブルワークで昼間はよそで正社員として働いていて疲れているのでしょうがないと思われている模様。
一方私はバカとハサミは使いよう的な、Aさんが上手く使えば使える奴的な扱いを長らくされていた。が、最近は仕事のスピードが何かと速い人と認識されているっぽい。バカとだと思われているのは相変わらずにしろ。
Bさんと私ではオーナーに仕事量のことで意見をすることが出来ない。オーナーにそんなに信頼されていないからだ。オーナーと対等に話せるのは今や当店でAさんだけなのだが、Aさんはオーナーの目を盗んで帳尻を合わせる方針なので、夕勤・夜勤の仕事がカツカツ問題は解決しそうにない。
うーんそうだね、不平等は確かに良くないね、男女差別だねとか一応考えてたが
キャリアにノーダメージで出産できる職場など極々一部の社会なわけで
日本じゃ半分ぐらいが高卒で、女性の非正規率も半分以上なわけで
出産に伴って、退職、推定生涯年収の大幅減などの様々なリスクを負うのは避けられないわけで
この共働き社会において子供が欲しいとなりゃあ、タイムリミットから逆算して人生設計をしなければならないわけで
そりゃあ職業選択の時点で、早ければ中学生程度から、復職しやすい資格職を志したり、実家のそばで就職したり、出産育児に優しい職場を探したりして
「子供が可哀想」と後ろ指刺されないように、なんとか産める環境を整えて
何ヶ月も腹に子供を抱えて、地獄のつわりを乗り越えて、人生最大の痛みに耐えて、やっとの思いで産んだのをとられたらめちゃくちゃ虚しいじゃん
大卒としてさ、22歳からせいぜい33歳(粘れば40までいけないこともないのかもしれないが)までの短い期間で働きながら、「結婚相手を見つける→妊娠→出産」とか何回もできることじゃないじゃん
女が我が子を抱きたいと思ったら、自分で産むしかないわけじゃん
それにはめちゃくちゃ時間がかかるし、それなりのリスクや苦痛と引き換えにしなければならないわけじゃん
男女平等ダイジダヨネーみたいな、お花畑な気持ちでいたけど、どう考えたって出産に関して平等になることってこの先何十年かはないだろうし、その辺の不平等を親権の女性優遇で帳尻合わせてトントンでいいわ
っていうのを実際に産んで思ったので、仮に離婚することになっても親権は死んでも渡さない
数年後離婚したとして次が産める年じゃないだろうし
一応、今のところ離婚はない
結論を書く。糖質制限ダイエットの存在を忘れろ。自分で管理したちゃんとしたメシをちゃんと食ってMyFitnessPalに入力しろ。体組成計買え。毎朝体温測れ。物分りの良い忙しいおっさんはもう帰れ、この先は読まなくていい。
観測範囲内でおっさんどもが中途半端に糖質制限みたいなことをやっては失敗しまくっているのを見ていて、目も当てられない。ケト(ジェニックダイエット = 糖質制限ダイエット)の成り立ちは省略するけど、ビルダーやフィジーカーでさえ絞りに弾みをつけるとか絞り切る時期に1ヶ月程度やるようなもので、競技者でもないおっさんどもが無計画にダラダラとやるものではない。
いつまでケトを続けて、いつからどうやって食事を戻すのか、ケト中はどういうメシにするのか、を軽くでも想像して欲しい。出来る限りケトはやりたくないという結論になるはずだ。それでもコンテストのために絞り切らないといけないから競技者はケトをやってるに過ぎない。全てを忘れろ、チートデイのことも忘れろ。
いいぞ、おっさん。物忘れが激しいな。この後の食事管理のことは忘れるなよ、ブクマしとけ。
食事管理は文字通り、食うものを制御下に置く、ということだ。そのためには何をどれだけ食うのかを把握し、何をどれだけ食ったかを記録していく。レコーディングダイエットなら知ってる?食ったもの記録しただけで痩せるわけないだろ!常識で考えろ!!!マクロ栄養素の割合(= PFCバランス)と摂取カロリー量を把握するために記録するんだよ!!!最初にMyFitnessPalって書いたけど、似たようなことができるアプリなら何でも良い。
あと、お願いだからいきなり1200kcalに減らすとかはしないでください!!!まずは日々の暮らしで消費されるカロリー(= メンテナンスカロリー)と釣り合う分のメシを食え。なぜなら今までの食生活とのギャップを体感出来るから。メンテナンスカロリーを算出するには体組成計が必要だ。しかし市販の体組成計で精度は出ない。出ないが、他に出しようもないからその数値を使え。InBodyで測れる環境が身近にあればそこで定期的に測ると良い。メンテナンスカロリーの算出式を置いといてやる。sheet.newしろ。
よし、これで記録環境もメンテナンスカロリーも整った。次にPFCバランスをどうするかだ。アプリがデフォルトで勧めてくるバランスのままでもいいし、王道のローファット食にトライしてみてもいい。ということで俺がやってる普段使い出来るローファットパターンを紹介しておく。
Pは4kcal/g、Fは9kcal/g、Cは4kcal/gだぞ、中学で習ったよな。
意外とカーボを摂取できると思ったんじゃないか。つまりトレーニングに必要なエネルギーは確保できている。一方、気を抜くと脂質はすぐにオーバーするはずだ。とはいえ、魚やオリーブオイルのような多価不飽和脂肪酸を有する脂質であれば代謝に貢献してくれるし、むしろ意識的に摂取していこう、多少のオーバーは気にするな。部下を回らない鮨屋に連れて行け。
夜だけ糖質を抜く?セックスの予定ないのかよ。俺も無い。まあ夜だけ糖質を抜くのはケトではなくて食事管理の範疇じゃないか。トレーニングしない日であればやっても良いと思うけど、トレ前後は夜でもちゃんとカーボを摂取しよう。
タンパク質は2g説もあるが1.6gで良い。摂りすぎても無駄だし、内臓への負担も気にしたい年頃だろう。タンパク質の摂り方は好きにやれ。補助的にプロテイン飲んでもいいし、胸肉食いまくってもいい。リアルフードから摂取した方が代謝への貢献度は高いけど、現実問題無理だろ。沼?沼ね…。家庭があると難易度高くない?よほど理解力のある家族じゃないと許されない気がするし、許されるなら管理コストが最もかからない手法だとは思う。
やったな、おっさん!これで食事が管理可能な状態になれたぞ!さすが万年中間管理職代表!ただ、口先だけでやってきたようなおっさんは物事の正しい進め方を知らない。だから極端にカロリーを減らしがちだ。繰り返すけどお願いだからいきなり1200kcalとかにしないでください!!!お願いします!!!何故なら減量幅が小さくなった時の打ち手が無くなるんだよ。身体は摂取カロリーに代謝をアジャストさせてくる。だから摂取カロリーを減らせるバッファが必要なんだ。メンテナンスカロリーから始めて、毎日体重計に乗る。2週間毎に100kcalづつ削るイメージで行こう、ただし基礎代謝より摂取カロリーは下回らないようにしてくれ。じっくり進めた方が減量幅は稼げる、結果を焦るな!トランキーロ!
これを3〜4ヶ月続けたら、徐々に摂取カロリーを戻す。徐々に、が定量的じゃなくて気になるおっさんは減量期間の半分の期間で戻す、としてくれ。メンテナンスカロリーは減量当初と変化があるかもしれない。筋量増えてるといいな!
ここまで読んだおっさんに俺からのご褒美だ。クッキングスケールを買え。推測ではなく、計測。ちゃんと食事管理をやろうとするとクソ面倒で辛いから、適当に入力するようになりがちだ。その結果、自分で思っている以上にカロリーを摂取していた、ということがある。自分では1800kcalくらいだろうと思っていたが、実際は2500kcal食ってたみたいな始末。これはそういう実験結果があって、調べたら出てくる。痩せるわけがない。そして中途半端にケトに手を出しては失敗するわけだな。スケールを使う癖が付くと何がどのくらいの量なのか、目と数値を合わせる訓練が出来るからいずれ目分量がそこそこの確からしさを持つようになるぞ。
あと野菜は350g食ってもいい。野菜はゼロカロリー扱い。繊維質が不足しがちになるから350g食うくらいの気持ちでいこう。もちろんドレッシングは計量しろよ!
毎朝体温測って代謝が下がってるか確認するみたいな話を書こうと思ったけど長くなったからやめた。誰かブコメにURL貼ってくれ。経験的にはカーボガッツリ入れるとたしかに代謝は活発になるけど一時的。減量期間の中盤か終盤に1回くらいしか使えない。睡眠時間の方が代謝に影響あると思ってる。
じゃあな、おっさん!健康的に絞った身体でまた会おうぜ!次回はサプリメンテーションだ!
最後にもうひとつだけ。土日は家族と過ごすから食事管理が難しいとかあると思うけど、1週間の総摂取カロリーで帳尻を合わせにいく位の気持ちでいいぞ!気楽に行こうぜ!
自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。
自己肯定感が低い(とされている)人は生きるのがつらい。自分が失敗してしまったとき、壁にぶつかったとき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。自分がなにか行動を起こすとき、自己肯定感の低さが足かせになり、なかなか行動に移すことができない。そんな自分が嫌になり、どんどん消極的になってしまう。ひょっとすると、予想だにしない幸福が訪れた時でさえ、自己肯定感の低さがあだになり、それを素直に受け取ることができない。あるいは、実際にはそこまで不幸でもない現実と自己肯定感の低さとのギャップを埋め合わせるために、ついつい自傷行為や自分を傷つける媒体や人に走ってしまう。周りには自己肯定感の低い人が集まり、相互に作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。結果、生きるのがつらい。
逆に自己肯定感のある(とされている)人は、不幸や失敗にいちいち落ち込まずに、どんどん新しいチャレンジをすることができ、成功体験を積み上げやすい。経済的にも文化的にも幸福な友人や恋人に恵まれ、幸せな人生を送ることができる。つまり、自己肯定感を高めることができれば、今は不幸な人も幸せになれる。あらゆる問題(仕事面、恋愛、家族関係がうまくいかないなど)が、自己肯定感の問題に還元され、幸福に必要なソリューションです的な扱われ方をされるケースさえあるかもしれません。
果たして本当にそうでしょうか。例えば、自己肯定感の高い(とされている人)が、日々の暮らしで自分の自己肯定感の高さを認識することは少ないはず。呼吸をするときに空気の存在を意識することが無いように、ごく自然に存在しているものだと思います。逆に自己肯定感が低い(とされている人)にとっては、四六時中自分を縛り付けている呪縛のようなものかもしれません。そのせいで、個別になんら関連性のない事柄を自分の不幸な想像を駆使して結び付けてしまう。文字通り概念に縛られている状態といえるかもしれません。
実際には、自己に対する否定感情は、(人によりその頻度や強度は様々でしょうが)その時の環境や本人の体調に大きく作用され、瞬間的・個別的に発生するものです。単なる推測にすぎないのですが、おそらく瞬間的な自己否定の感情が習慣化してしまい、負のスパイラルに陥ってしまっている状態の人=自己肯定感の低いと認識してしまっているのだと思います。自己肯定感が低いことを内面化してしまうと、個別の事実を冷静に観察できなくなり、本来解決可能な問題に対しても自己肯定感の低さを理由に、適切な解決策を考えることができなくなってしまいます。
(私は精神科でもなんでもないのでいち素人の考えたことに過ぎないという前提のもと)もし、あなたが上記のような状態になってしまっているとしたら、取り組むべき課題は「自己肯定感を高める」という抽象的な何かではなく、自己否定の感情を覚える個別の事柄に対し、以下の順序で対処を試みることなのかもしれません。
2.その時の外的要因(人間関係とか仕事とか)と内的要因(体調とか心理状態とか)を把握する
6.日常的なセルフコントロール(体調管理や精神管理、瞑運菜眠など)を実践してみる
詳しくは知りませんが、上記は一般的に精神診療などで用いられる認知行動療法と同じようなもので、特に目新しさはありません。長々書いてきて、結局xevraさんと同じ結論かよ
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xevra 2020/07/27
運動、瞑想、睡眠、野菜を徹底してる人は自己肯定感と言う言葉そのものの意味が分からない。自分は自分、肯定も否定もない。ダメな所も良い所もあるただの人間だ。下らない概念に振り回される意味が分からない
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と言われるのも少し不満なので、一つ私の話をしようと思います。
私はもともと自分を自己肯定感の高い人だと思っていたのですが、最近自信がなくなってきました。というのも、そもそも自分と他人の人生に興味・関心が薄く、そのためか、強く共感したり、感動するとか、ましてや人を好き/嫌いになるとか、(物心ついて四半世紀が経ちますが)これまであんまりピンときていなかったんですね。それって自己肯定感が高いのではなく、単に自己/他己に対する関心を失っているだけではないかと思ったのです。
その意味では自分を好き/嫌いになれる人というのは(一切の皮肉抜きで)向上心のある人なんだなと思いますし、他人の人生に深く共感できるというのは羨ましくもあります。もしかしたら、三人兄弟の末っ子でまあまあ放置されて育ったこともあるかもしれません。自分を嫌いになることだって、裏を返せば自己愛が豊かな証拠だと思うのです。例えば、人が問題に直面した時に自己否定の感情を覚える現象は、私から見れば、(自己愛が豊か/理想が高いが故に)自分が劣った人間だということを直視できず、現実と理想のギャップを埋めるために、自己評価を下げることで帳尻を合わせるという、一種の防衛反応のように感じます。
壁にぶち当たった時に、自己に理由を求めるのは自分を大切にする心が備わっているからです。私のような自分や他人にいまいち興味の持てない人間は、環境や他者、自分の行動をシステマチックに整理して対策を考えます。ふわふわと物事が自己の問題を離れ、幽体離脱し、神の視点から考えている感じ。故にあまり落ち込んだりしないので、切り替えが早いとか仕事が早いといわれることもありますが、(反面無自覚に人を傷つける言葉を使ってしまうこともしばしば)本当に良い仕事、人の心を動かす言葉を紡ぐことはできないのではないか、と最近思います。
なのでもし、あなたが自己肯定感の低い人間だと自分を認識してしまっているとしたら、自分を嫌いになれることは素晴らしい才能で、自己愛と共感力の豊かな人間であること。自己肯定感の低いという概念を内面化せずに、目先の現象を都度観察し、一つ一つ対処を考え潰していくことができれば、とても感情豊で理想の高い人生をおくれるはず。そんなふうに私は考えています。
寝耳に水、寝てるネズミに。
寝てるネズミの耳に水入れてやるなよ!可愛そうだろ!
もう1試合を27球で終わらせるようなパーフェクトピッチング!
ウソです。
まあ事務所私一人なので咳をしても一人よ。
たまにこういう火の粉を浴びるような、
なんでいままでAさんとBさんとでやり取りしていた案件を
だからAさんから私であるCさんを介してBさんに連絡するという、
余計な中継プレイをしつつ、
もう一旦マイクスタジオにお返しします!ってふんぞり返って言いたいところだし、
中継先からあまりにディレイでが酷すぎて聞こえないふりもできそうなものよね。
朝の占いあるじゃない。
6時50分!とかって言う占いで今日のラッキーアイテムはプチトマトだったの。
ほんと
いきなりのそう言う連絡ってやめてほしいものよね。
午後から仕切り直しよ!仕切り直し!
うふふ。
飲んでなくなったらティーパックを入れて
昔の人の苦労が伺い知れないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
表題のとおり。
まあコンシューマーゲームの意識がまだ抜けてないんだろうけど、俺はちょっと気持ち悪いんだなあ。これ。
お前(当該キャラ)いまストーリー上めっちゃ敵対してるやん、とか。
お前まだ出てきてないやん、っていう。
PTから外すなり、じゃあ自分で勝手に縛れや、って言われると、「いやあ、でも強いしかっけぇし使いたいじゃん」とかモゴモゴ言うだけなんだけど。
極端な場合だと、ストーリー上の敵キャラとガチャで引いた同じキャラが戦闘してたりして、どういう状態?になる。
こんなん昔のゲームだったら起きなかった事態じゃない。知らんけど。
ストーリーの進行に合わせて解禁していく、もしくはいま戦ってるキャラクターは別の次元の存在云々、的なトンチを利かせる。
プレイヤーが自分でこれはもうそういうもんなんだって脳に迷彩かけない限り、なんかそういう工夫が必要になるんだと思うんだけど、公式にうまいこと処理してるゲームとかあんのかな、と思った。
…
追記。
やっぱ代表的、かつキレイに処理してるのはFGOなのかな?(疑問形なのは俺がFateの世界観をよく知らないから)。
オルタ? っていう同一人物の別属性だったり、別の時間軸から同じ人物を引っ張ったりしてこれるってのは、確かに帳尻合わせやすいよね。
というか、こういう世界観でもないと、基本ツジツマは合わなくなるんだろう。ソシャゲってそういう重箱の隅をつついていくようなもんか? ってのは別として。
たぶん大抵は、どんなめちゃくちゃな編成でクリアしようと、ストーリー上は既出の味方キャラクターが活躍しました、って展開で話が進んでくよね。このとき戦闘で運用された各キャラクターは、キャラクターっていうよりエネルギー?みたいな感じにとらえたらいいだろうか…とか、そんなことを考えてしまうので、俺は古風なんだろうかな。
わたしはもう無理。
端的に言うと一旦仕事辞めたいです。
貧乏はすごく疲れることだと知ってる。
そんな疲れることに耐えられそうな気力と体力はないよ。
もう疲れたよ。
もともと自分一人を生かすのもやっと、な体力ない系の女だったんだ。
平日なんとかかんとか仕事して(帰ったら茫然としてた。家事はほぼやらない)、土日にひたすら休んだり家事したり、それで成り立ってた。
子ども生まれたら、仕事のあとにすごい重労働、土日はワンオペ(夫の仕事の都合)。
帳尻が5冊分くらい合わなくなったわ。
職場で周りに子育てママがいなくて、働きながら子育て、がどんなもんなのかまったく思い及んでない様子。
わたしも知らなかったからしょうがないが。何もわかってもらえなくて辛い。
連休は寝るぞ〜ゲームするぞ〜って楽しそうでいいねよかったね!!!
無理です。
人より体力が激しく劣ったわたいが、子育てによりMPとHPがゼロになった状態で、時短内で、かつわたしの低い能力で、その成果出すの、無理です。
これ以上圧をかけないで…
わたしに働きながら子ども育てるなんてできるかな、とは不安には思ったけど、なんとかなると思うじゃん。子どもすごくほしくて、自分がそこそこ働けば経済的にクリアなら産むじゃん。がんばろう!と思うじゃん。
みんな共働きでなんとかやってるからなんとかなると思うじゃん。
でもしんどーーーーーーーーっ!
仕事中によくわからんタイミングで疲れたーって思って涙だらだら出てくる。よくある。
今はマスクでよかった〜
PMSでもないのに。
「みんなそうだよ〜笑」って、ほんとなの?
ほんとにみんなこんなに辛いの??????????????????
すごいねー耐えれて。
よくこういうアドバイスに「もっと手を抜いていいんですよ!」「完璧を求めちゃだめです!」とか出てくるけど
ひくほど手抜きしてっから。
これ以上抜けないー!残念!
そんな手抜いてるならがんばれよ!って思うだろうけど、ほんとに、もとの体力が、ないんだと思う。そしてメンタルが弱いんだと思う。
自分なりにがんばってるんだけど、たぶん他の人から見たら全然がんばってないんだと思う。
ファミサポも以前に週1でやってたけどあまりしんどさの改善につながらずやめたー!そもそも今コロナー!
子どもかわいいだいすき。夫だいだいだいすき。もっと大切にしたい。負担かけてごめんほんとにしんどい、ごめんね。ほんとにごめんね。
私は文章を書くのが上手いと言われて育った子供だった。この場合の文章というのは、いわゆる作文や感想文だ。
最初は単なるリップサービスだと思っていたのだが、小学中学高校と時を重ねていく中で、教師からも同級生からもそう言われ続け、作文コンクールの賞もよく貰っていたので、ああまあ平均よりは書けている方なんだろうな、と思うようになっていった。
誰もが面倒臭がるであろう読書感想文の課題も、面倒くさいとは思っていたが、決して苦痛ではなかった。本を読んで思ったことをそのまま書くだけだったからだ。鉛筆を持って、頭の中に出てきた文字をどんどん書いていけば、気がついたら全体のまとめに入っている。少なくとも、何を書けばいいのか分からなくて手が止まってしまう、という経験はなかった。
ただ、苦手なことが一つあった。それは、作文のタイトルを決めることだ。同級生はみんなタイトルを最初に決めてから本文に入る、もしくは最後にずぱっとすぐタイトルを決めていた。私の場合、本文を書き終えてから最後にうんうん悩んで微妙なタイトルを無理やりひねりだすのが常だった。
「書き終わった文章をざっと読んで、心の中に残った言葉をタイトルに使うといい」とアドバイスも受けたが、私の心の中に残るものは大抵さまざまな要素が複雑に組み合ったモヤモヤしたもので、一つの短い言葉に変換できるようなものではなかった。
「このタイトル、他にもっといいのがあるんじゃない?内容はいいのに」と教師から言われたことも何回かある。
そのような経験があったので、文章は書けるほうかもしれないがネーミングセンスはない人間だと自認していた。
高校に入って、初めて授業という形で文章の書き方を学ぶことになった。「まず」と授業の初めに教師が話しはじめた内容に、私は人生一番の衝撃を受けた。
教師によると、文章を書くときは、書き出す前にまず「書きたいこと」を決め、そしてどういう論理展開でどういう結末に持っていくのかも決めておくものらしい。周囲の同級生たちは全員「だよねー」という顔で頷きながら聞いており、それにも驚いた。私が今までやってきた文の書き方はなんだったんだ。
要するに、それまで私は後先考えずにその場その場、心の内にある思考や感情を原稿用紙にぶつけて文章にしてきていただけだったのだ。書きたい軸の内容を事前に決めることもしていなかった。だからタイトルもなかなかつけられなかった。
本来ならば、もっと早く、義務教育のどこかで論理が破綻しているだの筋がブレブレだのと教師から添削を受けて、直されていくべき悪癖だったのだろう。そうした癖を持つ人々の中で、自分はたまたま「まあまあの外見の文章」を書けていたから、チェックに引っかからなかっただけだった。
その授業を受けて以降、「まあまあ文章が書ける人」から「帳尻合わせがうまい人」へと自己評価が変わった。
改めて書き出してみると、本当に当たり前のことで、よく高校生になるまで気づかなかったなという感想を抱くのだが、当時の自分にとっては世界がひっくり返ったような衝撃だった。
かと言って、構成を決められるようになるわけでもなく。今でもタイトルをつけることも内容構成を事前に決めることもいまいちなままである。
17時までに絶対に終わらせない仕事があったとして、朝からとりかかって昼過ぎに終わらせ残りの時間をサボるといった時間配分がどうやっても出来ない
限界ギリギリまで遅らせるとその分集中力が高まって作業効率も上がるような気がする
普通にやれば3時間かかるかなという作業を15時から取り掛かって17時の締切5分前に終えたときの充実感はほんとうにヤバかった
競馬でいうなら馬群から1頭だけポツンと取り残されて最後方 そこからじゃ絶対に届かないよという位置から追い込んでハナ差ギリギリ交わして勝つ騎手の気分だ
「もし“幻の10話”に、オレの指摘したリスクよりも大きなリターンがあるなら、封殺されるのはオレだったろう。オレのことをよく思っていない上役は、当時からたくさんいたしな。だが結論は、そういうことだ」
こうして、そのエピソードはお蔵入りとなり、“幻の10話”は幻となった。
「10話の放送は、本来11話だったものを修正して話の帳尻を合わせ、それを10話として放送することで事なきを得ました」
とはいえ「事なきを得た」という解釈は、あくまで側面的な話だ。
この“幻の10話”に携わったスタッフたちは、そうは思えなかった。
「そりゃあ、あいつらからすれば不服だろうな。理由があるとはいえ、せっかく作ったものを全部なかったことにされたんだから」
この出来事は彼らから反感を買い、シューゴさんとの間に不和が生じた。
「きっかけはオレの一言だろうが、実際このエピソードに不備があることは、最終的に誰もが認めるところだ」
だが、「シューゴ監督のワンマンぶりが、自分たちの努力と熱意の結晶を砕いた」という印象が強かったのだろう。
「界隈から“ちゃぶ台返しのシューゴ”って呼ばれるようになったのは、その頃でしたっけ」
「あの件を、オレのワガママみたいに言われるのは不服だがな。オレだって、飯に虫が入ってなけりゃあ慌ててひっくり返したりはしねーよ。ましてや後始末はこっちがやってるんだぞ」
「あの時の判断は間違っていなかったと今でも思う。けれどバツの悪さは否定できない。結果としてこのスタジオはシューゴさんと、従来の制作スタイルを選んだ。一作品の一話のために、一部のスタッフを追い出して……」
残った旧スタッフが気まずそうにしていたのも、それが理由だった。