はてなキーワード: 就職氷河期とは
「景気が良いときほど暗いアニメが流行り、景気が悪いときには明るいアニメが流行る」
といった話を耳にするが、
そのような疑問を抱いた私は、
1985年からの景気動向指数(CI・一致指数・各年の12月の数値を採用)と、
私が独断と偏見で選んだ「その年に人気だったテレビアニメ」を、
並べて比較してみることにしたのだった。
30後半額面600万のサラリーマン
それで狭い5畳半アパートの一人暮らしだったが、ある程度の金が溜まったので、住処ぐらいはある程度のものにしても罰は当たるまいと思って一戸建てを買った。
広さは段違い、リビングは快適、最新の設備は文句なく、各部屋も完全に自分の趣味の壁紙にした。
住み始めて、するとどうだろう。以前はまるで感じなかった人寂しさを僅かながら感じることに気が付き、違和感を覚える。
この家にもう一人くらい住まわせてもいいか、ぐらい思う。
結局のところ、自分の願望が住居に最適化してあっただけで、どうやら自分は所与の箱の範囲内で最適化をはかり、それで満足してしまうらしい。
そういえば仕事がそうで、私生活も結局同じであったという話である。
よく結婚してから家を買うとか言うけど、単にそれが現在の多数派なだけで、自分のようにある程度の人の居場所が確保できてから願望(らしきもの)が生じる人間もいるのだ。
バブル崩壊を認識してるなら、オタクの収入もまた減ってることに着目しなきゃならないと思うよ
そして何なら1983年から放映されていたキャプ翼アニメを考えると、放映当時10才だった者が就職するのは約10年後の1993年頃
1993年と言えば就職氷河期と言われる時代へ突入する頃であり、キャプ翼世代が成人する時代は日本って不景気なんだよ
もちろんキャプ翼世代よりも10才上の働き盛り世代も倒産やリストラに遭ってしまったり、減給などもあり、オタクだって収入が減っているんだ。キャプ翼世代は減収どころか就職できてない可能性がある
つまり、日韓FIFAワールドカップの時代の牽引力のある成人したオタク世代は荒んでることが予測できて、そこに上手く嫌韓思想が仮想敵として機能したと考えて良いと思う
ジャップランドの本当にダメなところは、まともなマクロ経済リテラシーを持てなかったことだと思うよ
こういう話題になると、よく生産現場の非効率性が話題になるけど、
それを取り除かない限り、全ては小手先の対処療法に過ぎないと思うんだよね
ジャップランドの労働システム自体は、メディアで言われてるほど悪いもんでもなかったと思う
実際80年代はそれなりに回っていたんだし、もちろん最適化されていたとは思わないにしてもな
本当は、90年代に、痛みに耐えてだとか、将来にツケを残すなとか、
ああいう財務省のプロパガンダに煽られず、今のトヨタみたいに減税を訴えるべきだったんだよ
かつてあったほどの力を取り戻すのは無理かもしれないにしろ、
とりあえずまとまりなく思いついたまま書いてみる。
ストリップ見に行くの自体は初めてではないが、今回行った場所は初めてだった。
もう明らかに還暦を過ぎたと思われるおばあさんが局部を意図的にさらしながら踊ってるのを、もっと歳いったおじいさん達がとても有難そうに眺めていた。
俺は別にそれが目当てだったわけじゃなかったので、なんだこれ?と思って、最初はちょっと引き気味に眺めてた。
今度は別のおじいさんが、しみじみと、おばあさんと握手をしていた。「ありがとうございます」という、静かだがはっきりとした声が聞こえた。
観音様を拝む様子ってこういうのか、なるほど、って思った。
そしたら何だか涙がこみあげてきた。
この人達はたった今こうやって今日も生きる糧を得た、そして命をつないだんだ。
踊り子も、おじいさんも。
人が生きていく上で、望みや救いは欠かせない。
はたからみればこんなの、卑しくてしょうもなく映るのかもしれない。
俺も最初はそうだった。
だけどある時から、もしかしたら違うかもってだんだん思えてきた。
俺はいわゆる就職氷河期世代の、いい年して収入も人並みとは言えず、結婚もできてない、間違いなく社会の落ちこぼれだ。学ぶべきことを学べず、学んだとしても遅すぎたし、今までさんざん世の中に迷惑をかけてきたし、都合のいいようにこき使われ、利用され、汚され、踏みつけられてきて、何が尊くて何が卑しいのか、わからなくなりそうな人生だったし今もそうだ。さんざん迷ったし今も迷っている。
世の中には、救いのないぎりぎりのところでかろうじて命をつないでなんとか生きている人がたくさんいる。その姿は必ずしも傍から見て美しいものではないのかもしれない。
こんなことを知り合いにも友人にも言えない。悲しいけど言えない。理解してもらえる自信がない。所詮その程度の人間関係しか築けなかった自分が悪い。
とにかくあのお年寄りたちの姿は尊いと思った。誰かにそれを伝えたいと思った。
こうやって人は生きていけるんだって思った。
何かに似てると思った。
漫画のcity hunterで冴羽僚が地元の町のおじいさん達と飲んでる姿だ。
ここまで書いて振り返ってみると、あのおじいさんたちの生活背景など俺が知るよしもなく、勝手にギリギリの生活をしているように決めつけてるだけかもしれないが、正直、あんまり裕福そうな感じではなかった。
そしてこの文章がネット上に明らかになった時、俺の至らぬ点がどれだけ熾烈に糾弾されることになるのか、それともかすかな知的好奇心を満たす者がいるのか、はたまた共感を得られるのか、予測はつかない。
今時高齢者や子供の人間的特性を理解できない人がいるというのは驚いた。私は学のある社会人の男性だから子供の泣き声とか高齢者の怒りやすさとかに対するこだわりはないけど、頭使えば考えるのもばかばかしい話題になんで引っかかるんだろう?欧米人だったらまともに相手にされない話題だと思う。
今の学生が社畜ならぬ家畜みたいになっていることがわからないのか?勉強が忙しすぎて時間的な余裕がない。内需云々とか景気回復云々とか言っている人が多いけど、それとこれでは問題が違う。
昔から暴言撒き散らす人間とか体罰を行使する人間とかはいて、しかも絶対数が減っているのにどうして体感的には増加しているということになっているんだろう?そんなことは30年か40年ぐらい早く言いなさいよ。
年々ストレス社会についての研究が進んできて、昔に比べて体感的なストレスは軽減されているのに、年々ひどくなっているような印象操作は許せない。体感治安だけで犯罪の増減を考えるぐらいナンセンス。
長時間労働にしろブラック環境にしろ、20世紀と比べればこれまでもかと云わんばかりに改善されているのにどうして年々ひどくなっていることになっているの?事実を調べてから言いなさい。
ふざけたこと言うな。1970年代にも不景気・就職氷河期はあったんだよ。こういう人間に限って、普通の景気という概念がわかっていない人が多い。
高学歴者率の高さとか、学力テストの成績だけ見ればそうかもしれないけど、そもそも昔とは教育のあり方とかが全然異なるので昔の世代と比べようがない。
自分は、数年前に嫁の年齢と持病から子供を諦めた者で、その時は子供がいない人生となったこと自体にはあまり苦しみは感じなくて、むしろ嫁と二人の生活を楽しめるようになったのだけど、そのうち、子供のいない老後は安楽死を迫られるんじゃないかという不安を抱えるようになってしまった。
今の日本は間違いなく老人優遇の政策を取っているけど、おそらく俺たち就職氷河期世代(団塊ジュニア世代)が老人になる頃に、いよいよ持たなくなって現役世代重視に反転するんだろうと予想している。
「人数の多い団塊ジュニア世代の老人を国はもう支えきれないので、老人福祉は削減して、老後は自分の子供か資産に面倒を見てもらうように、そして、どちらも持たない者には安楽死というオプションを与える。これで日本は復活する」
そういうことになるんだろう。
日本という共同体の持続可能性を考えるなら、資産形成や家族形成に失敗したまま老人となった団塊ジュニア世代を切り捨てるのは正しいと思う。
自分が切り捨てられる側でなければ。
実のところ、生涯子なしが確定する前の俺は、自分自身も含めて次世代の負債になるぐらいなら働けなくなったあたりで安楽死していいんじゃないか、と考えていた。
俺たち団塊ジュニア世代は、親世代の団塊世代の雇用を守るために就職氷河期に落とされ、団塊世代の老後のために今も毎月高い社会保険料を取られている、そういう被害を次の世代に繰り返すべきじゃない、という多くの同世代と同じ覚悟をしていた。
ところが、人間の脳の我が身の現状を肯定しようとする力は凄くて、もはや子供を育てる義務が発生することは無く、週末にちょっと良い外食をして、嫁の体調が良い時に年2回ぐらい休暇を取って海外旅行をして、それでも年に数百万は余裕で残り、それを全て二人だけの資産にできる嫁との生活が楽しくてたまらなくなった。
子供云々よりも、仕事が急に裁量が効いて楽しく働ける状況になったことと、ここ数年順調に昇給が続いていることの方が大きいかもしれない。
小学生の時以来かもというぐらい毎日の生活を楽しむことができるようになった。
これから嫁の病状が悪化したり、俺の体にガタが来て多少不自由になったとして、それを負担することになる下の世代には本当に申し訳ないけど、手厚い年金や介護を受け続けて、辛いことの多かった俺たち夫婦がやっと報われたこの実りの季節をできるだけ長く味わいたいという執着を二度と捨てられそうに無い。
そして、頭に書いた通り、子供のいない老後への漠然とした不安に取り憑かれてしまった。
そもそも、老後を待たずとも、嫁が動けないほど悪くなって、俺が介護のために仕事を辞めることになったら、今の生活はあっという間に吹っ飛ぶというどうしようも無さがある。
もちろん個人でできる対策として、子供がいない分資産を貯め込む努力はしているのだが、それだけではどうしても不安を鎮めることができず、統合失調症でも発症したんじゃないかと心配になるぐらい、このまま黙っていたら殺される(安楽死に追いやられる)という焦りや怒りの発作に悩まされ続けた。
結局どうしたかというと、老人福祉の維持・充実を訴える政治活動を始めた。
具体的には、地元の老健団体の賛助会員(年会費一万円)になって、その政治部門で週末に事務局のボランティアをしている。
その老健団体は、内規で不偏不党を掲げて政治活動には関わらないということになっているので、賛助会員の一部(実際は全員)が勝手にやっている「勉強会」という形の団体。
そういう曖昧な団体でも、わりと昔から活動しているからか、役所や地元議員、たまに上京して中央官庁に行くと役人や議員先生が向こうから頭下げて来るので、「いや、ああいう人種は有権者にはとりあえず頭下げる人たちなんだよ」と理性に囁かれながらも、所属欲求とか承認欲求のような感情が簡単に満たされている。
「こちらの○○さんが、若いのに手伝ってくれてるんですよ。長くお世話になりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
などと陳情に出向いた先で若手のホープのような紹介をされるとなにやら面映い。
60代後半から70代が主力の団体だから、そりゃあ、比較すれば確かに若いんだろうが、組織に歓迎されるというのは良い気分だね。
60代後半から70代というのはつまり俺の親世代、団塊世代で、「こいつらの雇用を守るために俺たちは就職氷河期を味わった、こいつらの老後のために給料から毎月高い社会保険料を取られている」とずっと憎んでいたのだけど、
実際に話を聞いてみると、こういう活動に熱心な人々は、当然ながら経済的にかなり期待外れな老後を過ごしている。
大企業で40年勤め上げたなら話は別なんだろうけど、自営業が長くて大した年金などもらっていないような例が多く、総じて俺と同じ不安と怒りを抱えている。
抽象的な理由で一つの世代を憎み続けるのにも疲れていたし、俺は彼らを許すことにした。
以前は街中や行楽地にいる子連れを鬱陶しい連中としか感じなかったのが、
「ああ、この子が俺と嫁の(文字通り)尻拭いをしてくれるかもしれないんだな、そうでなくとも俺と嫁の尻拭いをする外国人介護士を雇う社会保険料を収めてくれるんだな。親切にしてあげないとな。お母さん、ご苦労様です」
と肯定的に見れるようになった。
他人と不安を分かち合い赦しと和解を与えて、ともに現状を改善するために微力とわかっていても行動する、
そういう前向きな姿勢でいることは俺の精神に良い影響を与えているように思う。
老後問題が自分一人(と嫁)の解決不可能な問題としか思えなかった時に比べて脳への負担が減って、頭と肩が軽くなった気がする。
そういうわけで、俺と同世代で老後に不安を抱えているなら、こういう政治活動がセラピーとして効くかもしれないので試してみれば、程度の軽さでお勧めする。
こういう活動を、なんだフクシかサヨクのオルグか、と毛嫌いする人が同世代には多いというのはわかっている。
だが、実際のところ老人福祉の拡充を訴える団体の投票先で一番多いのは自民党なので、サヨク嫌いの人に向いた団体も地元で簡単に見つかると思う。
俺がいる団体がどの政党支持なのかは伏せるけど、与党系だろうが、野党系だろうが、老人福祉をイシューに投票したり陳情しに来たりする有権者の数が増えて、政治家の圧力になること自体が重要だから、みんな仲間だと思っている。
ひとつの人口統計予想として、数十年後俺たちが80歳になる頃には日本の人口構造は団塊ジュニア世代を唯一の頂点とする完全な逆ピラミッド型になる、という物がある。
この予想が当たれば、俺たち世代は有権者の数が最も多く、つまり民主的には最強の世代になる。
さらに下の世代も同じく高齢になるほど人口が多いのだから、政治家が当選するには今以上に老人優遇にせざるを得なくなる。
俺は自分の現状を実りの季節だと言ったけれど、数十年後には同世代全てが実りを得られることになる。
だから、別に政治活動を始めなくていいけど、俺は同世代に老人福祉をイシューにして投票することを考えて欲しいと思っている。
そして、何をしてでもいいからどうかあと数十年生き延びて欲しい。
就職氷河期?甘えるな。努力した人は就職できているから就職できてないのは自己責任。
この手の自己責任論により放置された大量の氷河期世代が、今だに薄給非正規で働いている。
彼らは薄給非正規ゆえに貯金も少なく、また社会保険も利用できない人間が多いと考えられる。
年齢的には40代なのでまだなんとかなっている。
しかし50代になり60代になり、身体の不調などで働くことが不可能になる人間が加速度的に増えていく。
彼らはどうなるか?一部の人間は人生詰んだと判断して自殺するだろうが、
大半はそれでも生にしがみ付くと思われる。どうやって?もちろん生活保護だ。
というわけで、今後生活保護の受給総額は爆発的に増えることが見込まれている。
その増額を支えるのは誰か?
保育園に入れそうな地域に引っ越して二年と数か月、結婚して一年と数か月、タイミングを取って二年、通院を始めてあと少しで一年。間にカンジダになったり、早生まれは困るからスキップした月もあるけれど、この周期でダメだったらと、ステップアップを勧められた。
ダメだった。
風疹の予防接種をして二年と数か月、葉酸を飲み始めて二年と数か月。
夫は早いうちに異常がないか調べてくれた。何の問題もない、花丸の付く結果。
私も種々のホルモン値や感染症の検査して、毎月卵胞の育ちをチェックして、LHサージを確認して、通水検査をしてどれも問題なかった。
原因はわからないけどできない。
だから、規則正しい生活を心がけて、夜更かしをしないようにして、毎朝基礎体温を録って、栄養バランスは婚前より豊かに、痩せ気味だったから体脂肪率を数%増やして、仕事にのめり込みすぎないようにして、でも、毎月自分に裏切られて、心が辛い、心が苦しい、心を痛めすぎるとよくないから、趣味を作って気を紛らわせて、なるべく忘れて、忘れていようと努力して、タイミング後の1週間は殆ど忘れてやり過ごすけれど、2週間めはどうしても気になって、些細な体調の変化に一喜一憂することをやめられなくて、ずっと煩悶して、結局、生理直前の体温の下落に心を冷やして、そのうちに体内を伝い落ちてくる経血に望みを絶たれるけど、泣いても仕方がないし、誰にもどうしようもないから、狂乱したくても冷静な自分がいて、どうしようもなくて、苦しくて、苦しいの。
どうしたらいいかなんて、誰も知らないから、“どうするか”を決めなければいけなくて。
今現在子供がいなくても幸せよ?私は恵まれていて、尊敬できる夫と結婚出来て、幸せ。
何なら、夫がいなくても、子供を得たいと思っていたの。
でもできない。
今までの人生、運が良かった。
落ちこぼれたけれど、私立に入れてもらえる家に生まれ育って、就職氷河期とリーマンショックの間に就職できて、浮いても受け入れてくれる職場で、年間休日120日以上で、年収も生きていくには問題なくて、夫と出会い、結婚して、祝福された。
そんなこと関係ないのは知ってる。運を使い果たしたか、なんて観測できるわけもない。
子供が欲しい。
スピリチュアルも葉酸以外の様々のサプリメントにも、縋る気はしない。結果を求めることは罪なの?すぐにできた人たちが結果を求めていなかったと?
いつできるのか、一生できないのか、誰も知らないの。
今の情緒で考えると、100万円だとか300万円だとか、予算を決めて、それで頑張ってみて、ダメだったら納得できるんじゃないか?と思うと同時に、そんな風に理詰めで考えても、いざ予算を使い切った状況になってみたら、結局諦められないんじゃないかとか、“自分というドブ”に捨てたお金が惜しくなるんじゃないかとも思う。
成果が出せない自分というドブが嫌い。でもそんなこと言ってもできないし。
私はただ子供が欲しいだけ。
今すぐ諦めたら、きっと心が軽くなる。でも、抗いたい、己に打ち勝ちたい、子供が欲しい。
「諦めたらできた」ってすごいよね、子作り以外でセックスできるってことでしょう?
私が誘わなければセックスすることはないし、誘ったくせに痛くてギブアップすることが多いから、しなくてもいい。
「したい」と思うように努力しているから常々誘っているけれど、子作りを諦めるなら、その努力を続けることができるかわからない。
私の妊孕性はもうダダ下がりゾーンに足を突っ込んでいるから、迷っていてもしょうがなくて、最も可能性の高い道を歩むべきで、そして、それでもだめなら、ある程度のところで諦めなければいけない。