はてなキーワード: 宗旨替えとは
桜田五輪・サイバーセキュリティ戦略本部担当大臣の、競泳・池江璃花子選手の白血病カムアウトに対する「がっかりした」発言が非難を浴びた後、桜田の立ち取材の発言全文とやらをメディアが流したタイミングで、「ほら、実は桜田大臣はそんなにヒドいことを言っていない」「発言を切り取ったマスゴミを真に受ける情弱乙www」などと言って憚らない連中が、当初に桜田発言が報道されたタイミングで非難をしていた人たちの中からも掌返しのように出てきているのが興味深い。
結論から先に言えば、お前らのその狭苦しい情強ランドでせいぜい楽しんでろ、ってところだ。掌返し、はあ、宗旨替えですかそうですかと。
全文とやらを読んでみても、「がっかりした」というたった6文字の発言からは不快感、あるいは病的と言ってよいほどのボキャブラリの乏しさを見る以外にない。じゃあ、情強・掌返しの皆さんは、自分が白血病に限らず難病持ちだとわかったときに偉い人から「がっかりした」と言われる場面を想像してみろよ。
あるいは、ちょっと話を変えてみよう。ワーキングウーマン()のあなたは、勤務先でも重要な戦略の担い手として活躍している。今まさに、来年のゴーライブを控えたプロジェクトでチームリードを任されている。そんなあなたが、妊娠に気づいた。誠実をモットーとし、かつその誠実さのために今の地位を築いてきたと信じているあなたは、直属の上司にそれとなく妊娠を報告した。そのとき、上司が「がっかりした」と言ったとしたら、あなたはどう思う?
人間だから、ましてや立ち取材だから、多少は不注意なワードも出てくるだろうとか言っているあなた、大臣を何だと思ってるんだ?我々庶民は、「末は博士か大臣か」と比喩されるくらいの立場の人間に、そんな素人臭さを期待しちゃいないし、ましてや期待してはいけない。
大臣に同情して見せることで、実は俺は大臣に伍する人材()なのに未だこんな地位に留まっているんだとでも言いたげな、ルサンチマンにしか見えない。
桜田がサイバーセキュリティ戦略本部担当大臣のクセにPCを使用した経験がないということが、前に話題となり、非難を受けた。でも、一部にはたとえPCを使わなくたって大臣としてできることがあると、桜田を擁護して見せる人がいたものだ。じゃあ、そんなときに桜田ができることとは何だ?それこそ、適切な言葉を使ってゴールを国民に示してあげることじゃないのかね?
意識の高い()連中が「マスゴミ」と言って憚らない集団が、恣意的な情報操作をすることが多々あるのは否定しない。でも、そういうマスゴミの後出し情報で我意を得たりとふんぞり返って見せる連中だって、要は等しくマスゴミに踊らされているということ。五十歩逃げたか百歩逃げたかで競い合ったという故事と、基本的には変わらない。だったらみんな同じ穴の狢で仲よくすりゃいいのにねえ、何なんだろうこの今の日韓関係みたいな不仲ぶりは。
「時代にそぐわなくなった」って、それはマジョリティが入れ替わって、それまでマジョリティだった集団を宗旨替えさせようしているだけじゃないの?
→マジョリティだった集団が小さくなっていってマイノリティになるってことでもあるし、新しい概念や知識によってそれまでの"伝統"が形骸化するということ。
「それは時代にそぐわない考えだ」という認識こそが偏見で、その多勢で少数を押しつぶすやりかたこそ差別なのではないのかな?
→人権の概念が誤った知識に基づいた偏見の可能性もあり得るけど、無視できるほどは小さい。多数が少数を押しつぶすやり方と受け取られないような工夫は必要だと思う。
②北朝鮮が明確に中国の犬になること。その際、中国が望むならば北朝鮮は核兵器を放棄すること。
これが韓国、北朝鮮、中国、アメリカ、日本といった関係各国にとってベストの解決策なんじゃないかと思う。
①の実現はアメリカにとっては極東地域での中国との緩衝壁が一枚減ることになるので、アメリカは首を縦に振りたがらないだろうけれど、韓国が強行すれば不可能ではないだろう。韓国が中国の犬になると日本は中韓と直接対峙することになるので、アメリカよりも一層首を縦に振りたがらないだろう。しかし、アメリカにとっても日本にとっても、現状のまま北朝鮮とアメリカのドンパチが始まって、北朝鮮から核ミサイルが飛んできたり、原発を狙われたり、中核都市でテロを起こされたりするよりは遥かにマシだろう。韓国と北朝鮮が仲良く中国のポチになったところで、中国、韓国、北朝鮮が日米に面と向かって戦争を吹っ掛けてくる可能性は極めて低い。
②は容易だろう。北朝鮮が核兵器を持ちたがるのはアメリカにやられるのが怖いからだ。正式に中国の傘下に入ってしまえばその心配はなくなり、核兵器も不要になる。③も容易だろう。南北統一をすると統一後に北朝鮮王室は粛清されるだろうし、粛清まで行かなくとも統一前ほど勝手気ままに振る舞うことはできなくなるので、北朝鮮王室は統一を望まない。それを無理に統一するメリットはない。2国とも中国のポチをやるなら南北間の戦争にはならないだろう。政治的統一はせずEUのように経済交流だけ2国間で自由化すればいいのだ。
どう思う?
時々自虐を挟んで同情誘ってるけど、それは謙虚に自己抑制をしてますよーと見せかけてる。
自分はやべぇ奴なんだと言い出す人って、そう本気では思ってなくて、己のことが可愛くて正確に客観視はできてないんだよね。
他の方が言ってるように感想送ればよかったとは言わない。感想は本人のモチベ上がる可能性はあるかもだけど、送ったところで相手の活動を強制するものではないし、ジャンルにそのまま留まるとは限らないから。
というか何を作るなんて自由だし、創作する上での目的なんて人それぞれなのが創作でしょうよ。
最大限に気持ち悪いのが、なんで他人が増田の思い通りじゃないといけないのかってところ。
人の自由を認めてあげない時点で酷い。
増田の創作におけるその固定観念、何を根拠にどこまで通用すると思ってるんだろうか。宗旨替えしちゃいけない法律なんかどこにもないのに、何様目線?
増田からAさんのためにしてあげたこと、何一つないんでしょ。徹頭徹尾、貰いっぱなしの受身のままでいたのに陰で文句を言える立場?
「好きになったものは一途だと自称する増田こそが地雷を理由にAさんを裏切った」の間違いでは?
Aさんがまるで自分のために作品を作ってくれてたみたいに、勘違いしてるところあるよね。
感情に訴えて、脳内片想いBLや百合に変換できる人達に対して綺麗で共感してもらいやすい文章を書いてるけど、あの人自分のためのA×B萌え製造機ではなくなったんだよ!悔しい!ってだけじゃない。
ROM専ならまだしも、同じ作り手の立場で描くCP変えたら即裏切り者扱いとかね。
けどそれを絶対悪と責めていいのが当然なら、誰も二次創作なんかしなくなるね。
嫌だもん、ずっと私好みの話を作り続けろなんて面倒くさいのが粘着してくるなんて。
創作者は同じものを生産し続けるメーカーなんかじゃない。思い思いのアートを紡いで作品作ってるんだよ。それをわきまえずに創作者を名乗らんでくれ。
ずっと好きなものは変わらないといいながら、もうAさんのことは好きか嫌いかわからんみたいなことを述べる矛盾はどうなのさ。
当人の作る作品好きだからカプ変わっても好き、までには至らなかったわけでしょ。
結局Aさんの作品よりカプ優先。条件付きの好意だからカプにだけ一途ってことだよね。
作る作品が地雷になった=増田にとって都合が悪くなった、だからこうやって文章公開して攻撃してOK。
これだけ都合よく使われる一途ったらない(笑)
この話がAさんに届いたとして、察しのいい人ならもしかして自分のことかと思うかもね。
Aさんではなく思い当たる人も、傷ついたでしょう。
実際Aさんのこと、傷つけてやりたいんでしょ?
悪意の意図が透けて意地汚い。
今までさんざん行動しなかったのに、遅きに失したところで遠回しに恨みつらみを吐くなんて陰湿極まりない。
つらいよーってドタバタ騒いでるけど、あなたは間違いなくつらいと話す他人の痛みは100年我慢できる。
愛憎とかタイトルでカッコつけたこと言ってるけど、Aさんはただの作品製造機であり、好きなのは一貫して萌えるA×Bだけ。
他人に供給源作ってもらえなくなった!!ヤダーー!!って話を大袈裟にしたまでのこと。
仮にもファンだったこと、自身も創作者を謳っておきながら、こんな安全なとこで自己愛に酔うってのが片腹痛い。
みんな優しい言葉コメントしてあげててめちゃくちゃ気を使ってて、ほんと聖人だと思った。
これに賛同したり許容して、中には私は過激な行為した、同じ考えだからメールしてとかくだらないことほざいてる人もいて笑うけどさ。
私が言いたいのは固定がダメ、雑食ぐらい許せってことではないよ。
やべぇ腐女子のやべぇ言いがかりだし、文章も感情的で取り留めないのでご留意ください。
めちゃくちゃにハマった。
何をやってもそのカプのことを考えてしまうくらい、これを書いている現在もハマっている。
ちなみにBLのカップリングです。ここではそのカプをA×Bとする。
なぜめちゃくちゃハマったかというと、めちゃくちゃ最高な二次創作に出会ったからだ。
人によってカプにハマるきっかけは色々あると思うが、その勢いを加速させるのは最高な二次創作との出会いであることが多いのではないか。
というか、私の場合はそうだ。
私にとってその「めちゃくちゃ最高な二次創作」はかなりの衝撃だった。
読んだ瞬間から私に決定的なカプ観を植え付けるとともに、
何度も何度も、台詞を覚えてしまうほど読み返し、「はじめにその二次創作ありき」と言えてしまうほど、私の中ではジャンル自体の象徴にまでなった。
そのくらい、一瞬で心をガシッと掴まれ、体ごと持っていかれた。引き摺り込まれたというやつだ。とにかくその作品が私に与えた影響はすさまじかった。
私は作品を読んだ後、すぐにその作者(以降Aさんとする)のツイッターを覗いて、ホームをブクマした。
…これを聞いて引く人もいると思うが、私はファンになった作家のツイッターは、鍵垢でもない限り基本はフォローせずブクマするタイプで、
さらに言うとツイートだけではなく個人へのリプライまでもくまなく見るタイプだ。
Aさんのツイッターアカウントはほとんどが日常のつぶやきで、それも一日に多くて2、3ツイート程度の、とても大人しいアカウントだった。
そういうものなんだと思ってしばらくは黙って見ていたけれど、
私はとにかく飢えていた。
私の好きなA×Bというカップリングは世に言うマイナーカプというやつで、毎日どこかで誰かが作品を更新してくれるようなカプではない。
(絶対数が少ないというのもあって、Aさんの作品は私の中でより神格化されていたんだと思う)
飢えていた私は、Aさんの語るA×Bの話がなんでもいいから見たくて、彼女のツイッターを遡れるところまで遡った。
すると、どうやら、Aさんは2、3ヶ月前まではけっこうA×Bについてあれが萌える、こういうシチュが見たい、という話をしていたし、
A×Bの妄想だけで一日に数十ツイートを費やす日も多くあったようなのだ。
むしろ日常ツイートのほうが少なく、当時のAさんの話題のほとんどは、A×Bや、Bという推しキャラクターについてだった。
一年ほど前には、『これからもずっとA×Bの妄想だけして生きていきたい』などと熱の入った発言までしていた。
それが、ある頃からカップリングの話をあまりしなくなり、ツイート自体も減っていき、私の知るような大人しいアカウントへと変わっていった。
その状況を私はROMとして見守るだけの、さみしいような期間がしばらく続いた。
ある日、変化が起きた。
ツイッターに、Aさんが別のツイッターアカウントのリンクを貼った。
AさんはA×Bを描いてはいるが、読み手としては雑食らしく、雑食アカウント的な位置づけとして新しくアカウントを取ったということだった。
当然、私はそのアカウントを見に行く。
そのアカウントは作られてからそこそこ日数が経過していたようで、そこでのAさんは、
元のアカウント(A×B垢とします)での大人しさが嘘のように、あれやこれやと別カプの話を楽しそうにしていた。
A×B垢に姿を見せない間、Aさんはずっとここにいたのだ。
多分、その新しいアカウントでAさんが語っていた話がたとえば、C×B(攻め違いの別カプ)の話であったなら私は、こんな記事を書いてはいなかった。
けれど、Aさんが雑食と言いながらも新しいアカウントでメインに語っていたのは、C×Aだった。
私からすると、自カプの攻めが、受けをやっているカプ。
これを見て、だから何だよ、と思う人がきっと多いんだと思う。私もそういう、雑食気質なら良かったんだけど。
でも私は、うわっ、と思ってしまった。
地雷というほどの拒否反応はないけど、好きではないカプだったから。
よりにもよってそこに行くのかよ、と思わずにいられなかった。
だけどそのアカウントでのAさんはとにかく楽しそうで、活き活きとしていた。
Aさん曰く、A×B垢ではフォロワーの地雷を憂慮してできなかった話が自由にできる!とのことだった。
それからのAさんは、C×Aの話をメインにその雑食用アカウントに常駐するようになった。
A×B垢では、ほとんどつぶやかなくなった。
Aさんは、新しいアカウントではA×Bはおろか、Bの話をほとんどしなかった。AさんはB推しだと言っていたはずなのに、まったく、名前すらもでない。
B推しの人たちが沸かずにはいられない熱い展開が原作にあったときですら、Aさんは別アカでC×Aの妄想をずっと話していた。
Aさんの心が、C×Aにハマったことをきっかけに、A×B、ひいてはBから離れていっているのだと、否が応にも察することができた。
それでも、A×Bアカウントでたまに、Bの話をしてくれるなら。
頻度は落ちてもまたA×Bを描いてくれるなら。
そう思って私は、新旧どちらのアカウントも眺めつづけた。
私はドキッとした。
焦った。
その焦りは、AさんがもうA×Bに戻ってこないかもしれないという焦りだった。
読んでいるだけのときと、一度でも自分が創作する側に回ったあとでは、カップリングへの愛着に格段の差がつくってこと。
C×Aを読むだけで満足していたAさんが、ついに二次創作を始めた。
本格的にハマる、ハマってしまう、そう思った。
Aさんは素晴らしい作品を描く。
私はそれをよく知っている。
C×Aは、A×Bの10倍以上の投稿数がある、言ってしまえばジャンル内最大手の王道カプだった。
Aさんは素晴らしい作品を描くのだ。
A×Bのときの比じゃないくらいたくさんの人に読まれ、感想を送られ、Aさんは感激していた。
Aさんの承認欲求というやつが、王道カプの勢いによってじゃぶじゃぶに満たされていくのが見えた。
絶望的だった。
C×Aでこの快感を味わってしまったAさんは、このままC×Aでの活動を続けるだろうと思った。
前ジャンルと言った。
おそらくA×Bのことだろう。
彼女にとってA×Bはもう、『前』のジャンルになってしまっていた。
ああ、と思った。
ぐるぐるしていた焦りが消えて、いっぱいの泣きたい気持ちに変わった。
そうじゃないと信じたかったけど、やっぱり、AさんはもうA×Bに飽きてしまっているんだ。
AさんはBを好きじゃなくなってしまったんだ。だってBの話、全然しないもん。
ショックだった。C×Aというカプに強い嫉妬心を覚えたし、Aさんの言う『前』ジャンルにいる私が、否定されているような気にすらなった。
ちょっと、待ってくれ、と引き留めて縋りたかったけど、何もできなかった。
なぜなら私はAさんのアカウントをフォローすらしていない、Aさんにとって何者でもない、見えない存在だ。
Aさんがどういう行動をとったところで、私はけっきょく、何もできないのだ。
それからは、Aさんの些細な発言に私はいちいち卑屈な反応をするようになった。
自分がみるみる嫌な奴になっていった。
『C×Aで××なシチュが見たい!』
『××はC×Aソングだと思う!』
…その曲、A×Bソングとして挙げてた曲だ。
『C×A界隈ほんといい人ばかり!楽しい!』
…A×Bはそうじゃなかったから楽しくなかった?
『私がこれだけC×Aにハマれているのは、C×Aの描き手さんの素晴らしい作品のおかげ!』
そんなつもりで言ってるわけじゃないと分かっているのに、勝手に卑屈になって、AさんがC×Aを持ち上げるたび、A×Bというジャンルに当てつけられているような気になった。
AさんがBの話をまったくしないことも相まって、AさんはC×A(A受け)の人たちに溶け込むためにA×B(A攻め)だった過去を消そうとしている、A×Bに砂をかけている、とも思った。
そんなことはないと理解していても、やっぱり勝手に、そう思った。
べつにAさんが、何か悪いってわけじゃないのに。
Aさんの中でA×BやBに対する興味が薄れたことが明らかになっても、それでもA×B垢のほうは一応、ほぼ放置アカウントのような状態で存続していた。
AさんはC×Aメインの人になってしまったけど、でもA×Bのアカウントはまだあるから、メインカプではなくなっただけで、まだきっとA×Bのことがちょっとは好きなはず。
私はそれを拠り所のように感じていた。このアカウントがある限り、やっぱりいつか、AさんはふらりとA×Bに戻ってきてくれるんじゃないかと希望を持てた。
だけど、Aさんは結局、A×B垢を消してしまった。
すごく軽い感じに、消しますね〜(^-^)と宣言して消してしまった。
さらには投稿していたA×B作品も、特に反響の大きかったもの以外ほとんどを削除した。
Aさんは雑食と称した実質C×A垢に完全に移行し、C×Aの二次創作を投稿をする人に変わった。
私はストーカー気質のやべぇ女なので、A×B垢が消えた瞬間に、AさんがC×Aアカウントでフォローしている人をすべてチェックした。
Aさんのフォローのなかに、A×BまたはB受けを扱っている人はひとりもいなかった。
A×B垢で相互フォローだった人たちとも、新しいアカウントではほぼ繋がっていなかった。
Aさんが軽いノリで消したA×B垢には、数年分の、けっこうな数のフォロワーがいた。
それらすべてを、A×Bというジャンルで得たものすべてを、Aさんは切り捨てたのだと私は感じた。
C×Aに移るために、C×Aの人たちと仲良くするために、A×Bで得た繋がりや、交流は、邪魔だったのだと。
私はそれを、裏切られたみたいに感じてしまった。
雑食と言いつつ、たぶんAさんはもうA×Bを読んだりしていないのじゃないか。きっとそうだろう。
そう思うと、Aさんが憎いような気がしてしまった。
ツイッターのつながりなんてプラレールの連結よりも軽いものだし、
ツイッターや二次創作は個人の趣味であって他人のためにやっているものじゃないし、
アカウントやジャンルの移動、垢消しなんて、気兼ねなく各々の自由にしていいに決まっている。
そのとおり。正論だ。
でも、そういう正論を理解したつもりになっても、感情的な部分っていうのはうまく抑えられない。
私はAさんと話したこともないし、A×B垢もフォローすらしていなかったROM中のROMなのに、
こんな一方的な執着を持って、自分をたいがい怖くて気持ち悪い奴だとも思う。
だからこれは、本当に、
ただの、言いがかりなんだけど、
Aさんみたいに、簡単に好きなものが変わっちゃう感覚、信じらんないよ。
同人界隈では「宗旨替え」なんて聞こえがいい言い方をするようだけど、それって要は心変わりだ。
後から現れたほうに目移りして、コロッと好きが変わっちゃう人。
その軽さ、少女漫画の女の子みたいに浮ついていて薄情に思えるよ。
私は昔から一度好きになったものは変わらずずっと好きでいるタイプだったし、
子供の頃に遊んだおもちゃだって全部とってあるようなヤバイ奴だから尚更、理解できない。
そりゃずっと同じもの好きでいたら気持ちの鮮度は落ちるし、他の新しいものを好きになってそればかりに夢中になることは私もあるよ。
だけど、好きが増えることはあっても、今まであった好きが消えたことは私はない。
嫌な思いをしたというのならしょうがない。だけど、そうじゃないのに、
「新しく好きなものができた」という理由だけで一度好きになったものを簡単に捨てられる人、どんだけ薄っぺらいんだと思う。
今まであった好きだった気持ちはどこへ行くんだ?
消えるの? 無くなるの?
人間そうやって変化するのが当たり前で、ずーっと同じものに執着し続けられる私みたいな奴が異常なのかもしれないけど。
だけど私はそういう異常な奴だから、Aさんを見てこう思っちゃうんだよ。
ずっと好きでいるみたいなこと、気軽に言うなよ。信じちゃったじゃん。
信じちゃったから、あなたのこと、嘘つきって思っちゃったじゃん。
『前』ジャンルの人から見える場所で、そんなに楽しそうにするなよ。
それを言われるたび、『前』はつまらなかったって言われているように捉えちゃうんだよこっちは。
今のC×Aで得たつながりを、Aさんは有難いですって事あるごとに言う。
言うけど、
同じように有難かったはずのA×Bで得た繋がりを、あなたは簡単に捨てたじゃないか。
だったら今のC×Aで得た繋がりも、また少女漫画の女の子みたいに好きなものがコロッと変わったときに、あなたは簡単に捨てるんじゃないのか。
それなのに、いずれ捨てる可能性があるのに、それを、今だけ大事なものみたいに扱うの、よく分かんないよ。
あなたがそうするたびに、私みたいな、他人の変化を受け入れられない異常な奴はきっと、裏切られたって思うよ。
…もちろん、好きなものに正直でいるAさんが悪いことは、ひとつもない。
これはただの異常な奴の言いがかりだ。ごめんね。
そうして私はいまだに、AさんがまったくA×Bの話もBの話もしなくなったC×Aのアカウントを、フォローせずブクマしてツイートを毎日追っている。
Aさんが楽しそうにC×AやA受けの話をするたび、つまらない気持ちになりながら、それでも見ている。
楽しくないならやめればいいのにと思うのに、やっぱり見てしまう。
自分に圧倒的な画力があって、上手な漫画が描けて、それで最高の小説が書ければ、
離れてしまったAさんのA×Bへの関心を再び取り戻せるような、そんな作品を生み出せるのに、と。
そういう、ガキみたいなことを考えてしまう。
そして毎日、悔しいと思う。
そんな作品はたぶん空想の世界にしかないんだと分かってもいる自分が。
いっそC×Aの人たちが致命傷を負うような絶望的な展開が原作に訪れたらいいのにな。
そうすればスカッとするかも、とか、性格が悪いことを考えたりもする。
Aさんの好きなC×A作家たちが一斉にA×Bにハマりだして、
Aさんも焦って「私もじつはA×B好きだったんです」みたいなこと言いださないかな。とかね。
我ながら呆れるくらい幼稚な発想なんだけど。
自分じゃどうすることもできないから、自分以外のありえない力や奇跡みたいなものを空想して、そうやって自分を慰めるしかないのだ。
じつに虚しい。
たとえば一方的にフラれた恋人にすぐに新しい恋人ができたりしたら、こういう心境になるんだろうか。
つまり私は半ば恋に近いような執着を、Aさんに抱いているんだろうか。
いや、でも、こんなしょうもない感情が恋心に近いものだとは思えないな。じゃあ何なんだろうな。
今の私の中にあるきもちは、もうファンの心理とは言えないような気がする。
それは作品を楽しむというよりは、A×Bを捨てたAさんがC×Aでどんなものを描いているのか確認してやる、という思いで読んでいる。
もはや監視の一環みたいな。
純粋にAさんの作品に感銘を受けた、あの最初の気持ちが今はもうどこにもない。
Aさんが好きなのか嫌いなのかよく分かんない。
なのにAさんに執着している。
Aさんの気持ちがA×Bから離れてつらい、寂しい、という気持ちだけが、
はっきりと私の中にありつづけている。
はーー。
なにが虚しいって、こんだけの文字数で思っていることを吐露しても、まったく心に変化がないってことだ。
Aさんが楽しそうに今のカプを語るたび、遣る瀬無い思いをし続けるんだろう。
いつになったらAさんのことがどうでもよくなるんだろ。
早くそうなってほしいな。そうなってくれ。
ところでこれを読んでいる人は、ここまでの内容を一体どういう目線で読んでいるんだろうか。
うわっ世の中にはやべぇファンがいるんだな、めんどくせぇ、んなこと知らねーよ、好きにさせろ。て感じかな。
そんな事でそこまで拗らせるのはおかしいよ…他人に執着しすぎだよ…大人になれよ…。て感じか。
どっちも正しい感覚だと思う。
ただ、世の中にはこういうおかしい奴もいるんだという、それだけの話だ。
唯一救いがあるとすれば、ここに書いた煩悶はすべて私の中だけで閉じた感情であって、
Aさんになにか批判的なメッセージを送ろうとか、嫌がらせをしてやろうとか、
そういう気持ちが…まったくないとは言わないけど、
それを実行しようという気が私の中に無いことがせめてもの救いだ。
自分のわがままに他人を巻き込んじゃいけないっていう当たり前の倫理観が、ちゃんと機能してくれている。
それだけは本当に、良かった。
私は最初から最後まで一貫して、Aさんの視界には映らない何者でもない存在であり続けるのだ。
Aさんのことをちゃんとフォローして、あなたのA×B作品が何よりも好きですと一言でも伝えていたらよかったのかな。
そんなことは無いかな。どうだろう。今更か。
結局わたしは、憧れていたAさんが私と同じものを好きじゃなくなったって事実を、許せていないだけなんだろう。
それだけのことでこんな長文の駄々をこねて、精神がガキすぎて話にならんな。
こんな地雷女のいるA×Bから離れたAさんは正解なのかもしれない。
せめてまったく別のジャンルに行ってくれていたら、こんなことは思わなかったのに。
同ジャンルの苦手な別カプに行くって。大好きだった分きついよ。
いっそこの気持ちを糧に片思いストーカーBLでも描いたらいいかな。
ガハハ。
あー。ままならねぇ
両親は70手前。母は専業主婦、父も数年前にリタイアし、2人で田舎に移住して悠々自適の老後ライフを送っている。
親子関係はまずまず良好といえる。
だが一つ問題がある。
テレビでそれ絡みのニュースが流れると、口癖のように「(チィ!)また朝鮮/中国だろう!」と宣う。
産経新聞は全てにおいて正しくて、曽野綾子氏は素晴らしい人で、安倍首相はもちろんヒーローである。LGBTの権利など言語道断である。それから日本製品の品質は未だに世界最高である。就職祝いに買ってくれた本が、某明治天皇の玄孫が書いたやつだったのには閉口したな…(すぐ売った)
常日頃から喚いていたりするわけではなく、ネットに入り浸ってヘイトを撒き散らしたりはしていないのが救いではあるが…
これは今に始まったことではなく、20年くらい前、俺が小学生だった頃に確立したスタイルだ。
学生運動を小馬鹿にしつつもビートルズやフォークミュージックに傾倒した父母はしばらく平均的な「ややリベラル」だったのだが、あるとき産経新聞に出会って「真実」を知り「開眼」したらしい。近年の「ネットde真実」に比べれば年季の入った御仁である。
その頃幼かった俺も、一緒に暮らしていればそれなりに染まってくる。高校生くらいが一番ひどかった。ゴー宣の布教をした、と言えば察してもらえるだろうか…思い出したくないのでこれ以上は書かない。
俺は大学進学とともに親元を離れ(過干渉から逃れるため)色々な人と交流し、徐々に毒が抜けていった。ネトウヨ化することはなかった。幸いなことに、染まり切る素質がもともとなかったのだ。しかしそんな中でも父はブレず、今に至るという感じだ。
先述の通り、きっかけがなければそういう話にはならない。だが、サンフランシスコの慰安婦像問題がタイムリーに噴出してしまった。食事中にNHKのニュースで流れたり…するだろうな…。
そんな家に帰る。妻と息子を連れて。
息子はまだ人語を解さない年齢だが、あと数年もすれば…じいじの言ったことを素直に受け入れてしまうかもしれない。あるいは先生やお父さん(俺)の言ってることと違う!となり、話がこじれやしないか…
今まで、俺は強く反論することはなかった。反応せず適当にやり過ごしたり、一部同意/一部反対といった軽い意思表示のみ。今まではこれでしのいでいたが、いまは子供がいる。
俺は父親として何ができるだろうか。今さら宗旨替えなどできないだろ、怒らせたくない、言いたいこと言わせといてやろう、と向き合ってこなかったツケがいま回ってきている。
20世紀初頭、英国の経済学者であるケインズ卿は、主著の中で「考え方ほど強力なものはない」と説いた。つまり、人の行動要因のうち、最も影響力が強いものは、外部的要因よりもその人の内部要因、すなわち考え方だというわけだ。
ひるがえって現代の英国では、中東出身者の2世、3世となる若者たちがイスラム国(という名のテロリスト集団)へと帰属すべく、混乱を極める中東へと世代を超えた里帰りをしている。こうした若者たちが常軌を逸したテロリスト集団に忠誠を誓う要因は何だろう。ある人は欧米社会における中東系への差別が原因であるとし、ある人は貧困が原因であるという。しかし、これはあまりにも皮相的な見方ではないだろうか。どの国にも貧困と差別は存在する。それにも関わらず、なぜ一部の人々、特に豊かな先進国の若者が海外の狂信集団への参加を企図するのだろうか。
ここでケインズ卿の金言を思い出してほしい。何よりも人を駆り立てるのは考え方だ。もちろん、乾燥した砂漠地帯へと向かう若者たちの中には自意識をこじらせ、過激思想に染まった狂信者もいることだろう。だが、その多くは渡航直前まで通常の市民生活を送っていた一般人である(と報道されている)。ということは、通常の市民生活に浸透するごく一般的な常識の中にこそ、彼らを破滅的な行動に追い込む何かが潜んでいるとは考えられないだろうか。
健全な若者たちを追い込んだもの、近代社会の「一般常識」とは、「人は役に立たなければ生きている価値がない」という考え方だ。このあまりに妥当に思える考え方にこそ狂気が秘められている。
中東に渡航した若者の多くは、同国の他の若者と同等の高等教育を受けており、言い換えれば社会的に役立つ(と見なされるべき)存在である。彼らは教育によって社会常識と能力を身につけ、社会への参加と貢献を望む(ごく健全な)精神性を身に付けていたはずだ。だが、彼らはその意欲と能力を十分に活かすことが出来ない環境下にある。
無論、こうした差別や貧困だけが問題ならば、例えば南米や東南アジアのスラム民のごとく、それを人生の既定路線として別の生き方に適応することも出来ただろう。だが、彼らは私たちと同じように近代的な市民としての精神性を埋め込められた「一般人」なのである。
資本主義であれ社会主義であれ、近代社会おいて市民は、「人の役に立たなければ生きている価値はない」と考えられている。言い換えれば、人の役に立つことが人生の意味・意義・目的である。それは経済活動の本質でもある。だが、英国をはじめとする欧米社会は、中東系の若者たちが近代市民としてごく一般的で健全な希望を満たすことを許さなかった。結果として「人の役に立ちたい」という健全な欲求は、全く不健全で狂気の塊とでもいうべき集団への参加・貢献へと姿を変えてしまう。なぜなら、イスラム国はそうした近代市民として望ましい欲求の全てを満たしてくれるからだ。
あなたの人生には意味がある。あなたは人の役に立つことができる。あなたは必要とされている。だからこそ、私たちに参加・貢献してほしい。
こうしたメッセージが実存的な欲求を満たせずに鬱々とした日々を過ごす若者に届き、その心の隙間に棲みついたとき、彼らを押しとどめる要因、すなわち彼らを暴走させない「考え方」を欧米社会は提供できていたのだろうか。事実、イスラム国はすぐれて近代的な精神性を持つ集団であり、表面的な暴虐性と狂信性を剥ぎ取れば、そこにあるのは英国と全く同様なもう一つの近代社会であり、宗教というフックによって近代市民を惹きつける別種の帰属集団たりえるわけだ。よって、若者たちの豊かな社会から貧しい狂信団への「宗旨替え」という一見奇妙な現象は、単純に欧米社会の失敗と敗北の証左なのである。
ところで、これは私たち日本人にも無縁の問題ではない。むしろ喫緊の問題でもある。中東系の若者には(擬制とはいえ)神への信仰が残されているようだが、私たちには一体何が残されているというのだろうか。この社会による無言の死刑宣告に抗うため、私たちにはどうふるまう余地があるだろうか。自身の社会的価値の欠如を自覚し、世間という名の集団圧力に圧迫され、閉塞し、窒息したとき、私たちは静かに(そう、「誰にも迷惑をかけない」ように!)命を棄てる道しか残されていないのだろうか。
かつての武士階級にとって自死は、名誉を守る行為だ(という共通理解があ)ったが、近代市民たる私たちにとっては疑いなく、何の疑いもなく、言葉通りの犬死でしかないだろう。それとも、これも一つの考え方に過ぎないのか?
出てきた順序、というよりは、小学校で教えられる教え方が一般に浸透するのだから、それがコモンセンスになるのでその通り教えればいい、と思っている。
のだから、逆に言えば「小学校で教えられない教え方は一般に浸透してはいない」と考えられる。
そして小学校では「数字が出てきた順に掛けるのが正しい」とは教えていない。
(例の大量にブクマを集めた宗派一覧にさえ、「問題文に出てきた順が正しい順だよ派」などいない)
従って「一般人は素直に数字が出てきた順に掛ける」というのはキミの誤認だ。
しかもどこから発生したのか全く分からない、頭のどこかで所謂「ボタンの掛け違え」が発生したまま生きてきてしまったのかなあとしか思えない間違いだ。
わかったらさっさと宗旨替えしたまえ。
>一枚のバスタオルを一週間繰り返し使う
大きさ以前に個人的にここが無理、二日が限界一週間は無理
雑菌繁殖してそうで耐え難い
それはともかく
拭き心地は完全にバスタオルに軍配が上がる、あと大きいとは言え一枚で済むので干すとき割と楽
身体にも巻けるし縫うとバスマットになれる、というか別に縫わなくてもほつれ気味なのを二つ折りにして敷いたりして使えなくもない
フェイスタオルは旅行に持ち出せて便利って程度かな…最近腰の調子が悪いのであまり枚数が多いと干すのが面倒
あとバスタオルが身体に巻けるというならフェイスタオルは頭に巻けるので重宝する(長髪なので)
ともあれ
バスタオルにはバスタオルの、フェイスタオルにはフェイスタオルの長所短所があるものなのですから
わざわざ家庭で統一しないでそれぞれ自分の使う分準備すればいいじゃない
某所で物流センター業務のあるあるトークで盛り上がったから、思い出話を投下。
数年前、別に乗ったりする予定無い事務職なのに新しい社長の謎方針で社員全員がフォークリフトの免許取れって話になりまして、イヤイヤだけど試験受けたんです。腹立たしい事に自腹。
ここからが本題。フォークリフト運転の試験なんだけど、座学が2日、実技が3日。普通自動車運転免許持ってない人はもう1日プラス。こんなんで通っちゃう。
そんでね、座学がすげーの。内容に目を通したら高校1年生程度の学力は要求される内容(力のモーメント等、ベクトルの考え方やxy軸の二次元グラフの見方を理解する必要がある)なんだけれど、そこにいた自分以外の大人の大半が、明らかに理解してない。講師の人が質問すると盛大に間違える。
今まで同レベルの学力の人以外とあまりコミュニケーションとってなかったから、こんなんでも大人になれるんだって事に今更ながらビックリ。
そして座学、テストがあるんだけど、問題も答えも、 「この問題は選択問題で答えはウだからな!三番めのウ! 」とかそんなレベルで教えてくれる。寝てなきゃ落ちないレベル。
(こんな、教科書読解に必要とされる学力も無い連中に運転させたら横転事故も起こるわ)と、こないだ発生した
「重いパレットを高く持ちあげた状態で旋回して横転 」という事故を思い出したりしてました。
力のモーメントを理解してたらやんねえだろこんなんって。
んで、実技
苦戦した苦戦した!
周りみんなちょー頭わりーとか内心バカにしてたんだけど、今度はこっちがバカにされるターン。
運動神経がニブいのか、誰よりもヘタクソでしたよ私。
それはもう、(バカにしててごめん、座学より実技の方が重要ですよね・・・)と宗旨替えしました。
で、あれから数年たちましたが、フォークリフトには一切乗ってません。
いつか土竜の唄みたいに深夜の倉庫でありえない事にカギ挿さったままのフォークリフト見つけても形成逆転できないだろーなーとか思いました。
なったらなったでなんとかなるし
彼らが私にできない仕事をしてくれるから、私達はおまんまを食べる事ができてるんだなぁと、冷房の効いた事務所で思いました。
オワリ
元増田みたいなキャラクターってさ、よく恋愛ものとか男の子の成長物語とかに出てくるキャラクターの一典型じゃん。それでそいつの心の奥深くに潜んでる問題の典型がhttp://anond.hatelabo.jp/20100419005827だろ。だからあながち間違っていないと思うよ。だから元増田は気づかないうちに陳腐な恋愛ストーリーの一部に成り果てているわけだな。
男にとって女はセックスマシーン以外のなにものでもない。←イマココ!
↓
↓
気になる
↓
アプローチする
↓
衝突する
↓
離れる
↓
心に迷いが生じる
↓
事件発生
↓
都合よく偶然再会する
↓
ぎこちない二人
↓
再び事件発生
↓
ふぉーりんらぶ
↓
あっさり宗旨替え「俺は間違っていた。やっぱり大切なのは愛だよ愛」
↓
元増田ですが、ブコメを読んでいて思ったこと。主に、女性の転勤と結婚について。
まず、公務員の場合、職場結婚だと転勤先の融通があるということ。
これは、少し聞いたことがあった。夫婦が同じ地域に転勤になるように取り計らってくれる、という話。
ただ一つ疑問なのは、そうした融通をしてもらった場合、夫または妻の昇進に影響はないのだろうか。
直接そうした人に話を伺う機会があまりないので、その点は不明。もっとも、多少昇進が遅れたところで、夫婦が納得していれば特に問題はないのだけど。
知り合いの知り合いに、というレベルならば、最近は結構多いと聞く。
しかし、実際に周りの独身男性と話していると、週末婚はちょっと…という人が多い。
週末婚でもOK!派がどこか私の知らないところに生息しているのか、週末婚はちょっと…派が、その主義をひっくり返してでも結婚したい相手を見つけて宗旨替えをするのか。
1.あなたの二次元児童ポルノ嗜好の原因はなんだと思いますか?
2.自分が二次元児童ポルノ愛好者なのだと初めて判断したのはいつですか?
どのようにですか?
3.二次元児童ポルノ嗜好は、あなたの発達の一段階ではないですか?
4.二次元児童ポルノ嗜好なのは、成人を恐れているからではないですか?
5.一度もセックスをしたことがないなら、なぜ、二次元ロリショタの裸(おしっこ)の方がよいと決められるのですか?あなたは単に、よいセックスの経験がないだけなのではないですか?
6.誰かに二次元児童ポルノ愛好者であることを告白したことがありますか?
その時の相手の反応はどうでしたか?
7.二次元児童ポルノ嗜好は、他人にかかわらない限り、不愉快なものではありません。それなのに、なぜ多くの二次元児童ポルノ嗜好者は、他人をも二次元児童ポルノ嗜好に引き込もうと布教しようとするのでしょうか?
8.子供に対する性的犯罪者の多くが二次元児童ポルノ嗜好者です。あなたは自分の子供を二次元児童ポルノ愛好者(特に教師)と接触させることを安全だと思いますか?
9.二次元児童ポルノ愛好者はなぜあんなにあからさまで、いつでも彼らの性的志向を見せびらかすのでしょうか?なぜ彼らは普通に生活することができず、公衆の面前で「○○たん萌えー!」とか叫んだり、キャラグッズをはめるなどして、二次元児童ポルノ愛好者であることを見せびらかすのでしょうか?
10.二次元キャラと俺たちとは肉体的にも精神的にも明らかに異なっているのに、あなたはそのような相手と本当に満足いく関係が結べますか?
11.二次元キャラとの恋愛は、完全にご都合主義なサポートが受けられるにもかかわらず、今日では、一年間に「結婚」するご主人様の半分がやがて宗旨替えするといわれています。なぜ二次元キャラとの恋愛というのは、こんなにうまくいかないのでしょうか。
12.このように、二次元児童ポルノ嗜好が直面している問題を考えるにつき、あなたは自分の子供に二次元児童ポルノ愛好者になってほしいと思いますか?セラピーで彼らを変えるべきだとは思いませんか?
http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1434.html
http://d.hatena.ne.jp/nodada/20090418/p1
において紹介されていた文書の改変。まず判ってくれるとは思うが、
決して元記事の意図それ自体を茶化すものでないことは特に記しておく。念のため。
さの対策。
平穏なブログ運営。だから増田で。気づかれても目をそらさず否定できる。
<中立ごっこ、未熟者と失笑されようが、物言えば唇寒しの状況は気持ちが悪い>意欲は買うが、長年の南京論争を眺めてきた増田には、新参者が手首足首を縛り氷河に飛び込む軽業師に見える。酷な言い方だが、あがいて浮上を繰り返しても、ガスが腹の中で膨らんでいるとしか思えない。如才ない奇術師はパンツに剃刀を縫いこんでいる。南京論争には初心者が陥りやすいトラップがあり、反論もルーチンワークの仕掛けになっている。情熱も知識もない増田だから助言。長文も対応策のひとつ。ひるまないでいただきたい。
三項目の問題点、最後に可能性を探る。
(1)数字
<それでおたくは何人と考えてる訳?>南京事件に触れ、まず数を考える者は多いらしく、頭に浮かんだ疑問をそのまま論争に持ち込む初学が後を絶たない。四万に留意する事。四万以下の数字を主張するのは、はてサに<虐殺三十万人説を証明しろ>と迫るのと変わらない。一蹴されるのが落ちだ。数字は慰安婦強制性では虚偽説の代表的論客である秦郁彦が、廃棄処分を免れた現存する日本側文書を軸にし、明らかに不当な、不法なケースを取り上げて最低限の数を順次加算したもの。覆すには秦の著書を購入し、関連書を参照しなければならない。本末転倒で、不本意な作業を強いられる。四万以上の数を扱う場合は当然資料も増え、最終的に中国側の農村部での人口推移の調査報告まで視野に入れなければならなくなる。
<証明できるのか? 二十、二百かも知れないではないか>見出しの百の文字に惑わされてはならない。元中尉の名誉回復裁判は人数が焦点ではない(数にこだわるなら政治屋弁護士と心中する覚悟がいる)。増田の知る中ではてサに「百人も殺したのだから処刑されて当然」と主張する論者はなかった。「国を挙げての士気高揚、その象徴的人物が戦後に個人の責任を問われた」事件と認識され、同情的な見方もある。産経の「捏造」、「真っ赤な嘘」が指すのは、言論統制、検閲を断行した政府、それに唯々諾々と従った当時の報道人と国民に対する侮蔑だと把握しておけば足元をすくわれない。
(2)検証
テンプレがネット上に大量に転がり、手軽さも手伝うのか、初心者がもっともはまりやすく、もっとも論立てが煩雑なのが細部の検証だ。手軽な詰問に対しては反論も数通りのテンプレが用意されている事に気づかないといけない。相手は気分に応じて資料を選ぶ。複数あるのは遺物の集積と相互依存で史実が成り立っているからだ。独自の疑問点を設定するには書籍の購入が必要であり、新書一冊ではまかなえない。たとえば(1)の不当、不法に言及する場合は法学に踏み込むことになる。質問者をよそおって相手の出方を研究する手口も使えない。また万一資料に不信を植えつける事に成功しても、一人の証言者、一枚の写真に疑問符を付けただけで終わってしまう。労多く功無し。
(ただし「功無し」は学術上に限って。目ざましい功労者にポストを提示する教育機関が現れても増田は驚かない)
(3)政治
<謝罪を繰り返させられ、外交で押し切られる隙を残すのは国益を損なう。否定派には存在意義があるのではないか>メタ視線は悪くないが、楽な筋道ではないのは胆に銘じる。最初に日中間に「南京問題」は存在しない事を確認してほしい。政府は「肯定派」であり、中国は賠償も新たな謝罪も要求していない(調査のために遺骨を発掘しろと主張する者がいたが、ビルや田畑を取り壊す政治力や膨大な費用を日本政府が負う事はない。有志による個人負担となる訳だ)。決議に反した閣僚の発言が、政治問題化しないための「強い遺憾」と「村山談話」の応酬が謝罪の内実。また外交問題ではなく国内問題とする誘導に抵抗するのは並大抵でない。はてサに<中国が怒ってる、問題だ>と、一時期の朝日の影を思い描くのは悪手だ。富田メモによって、靖国親拝中断が中国の干渉によるものとしてきた右派は、靖国を国内問題に渡らせないために「天皇」と靖国の距離を広げざるをえなくなった。辞任問題に踏み込めば、閣僚らの特権的地位について逆に問い返される覚悟が必要。初歩の問答を想定しよう。
「旧軍はバターン半島で捕虜らに最大限配慮した。非難は不当」が持論の司令が、「A区調整、全住民を安全に配慮しつつ速やかにB区へ避難させよ」と命じられたら?
「日本は資産を持ち出してまで朝鮮に富をもたらした。利他的で手本となる施策であった」と講演する政治家が、経済相か雇用対策の特命相に任命されたら?
不用意に無償の政治カードを世界に乱発する人物が、通商代表として使節団を率いるとしたら?
(バターンに関してはネット情報でカバーできる。植民地事情に関しては英国と植民地印度の貿易収支が英側の赤字であった事、双子の赤字を抱えた米国が二つの戦争を始めるほど好景気だった事、当時の日本政府と国民が、兵士の生命と財産を供出しても特アの隆盛を切望したと夢想するだけで間に合うだろう)
(4)トウハセイ
<嘲笑と罵倒では相手は聞く耳を持たない。壁に大声でがなりたて、言い返してこないとふんぞり返るようなものだ>読者を無視さえすれば、論争で宗旨替えした否定派が皆無という事実がこの主張の説得力を後押しする。ここで唯一のトラップは、はてサの多くが自身の党派性を否定していない現実だ。質問に質問を重ねるのを逃亡とみては失敗する。彼らは論争に通じ、経験から言質を取られ議論が拡散する事を嫌う(「黙らせるための問答で満足している」と左派から非難された左の論客もいたが)。<イデオロギーで記事を選る、コメ欄に同調者が群れる>といった非難は想定内なので、泥仕合に持ち込むつもりがなければ控える(泥試合が有効な左派も存在するが、医療、疑似科学がテーマ)。党派性で彼らの選択ではなく論理が歪んでいると考えるならば、事の検証が欠かせず、(2)へと戻る。膨大な過去ログを読む必要も。しかし、増田が提案できるのはこの(4)だけ。遠回りで時間は取られるが、非専門家でも順次対応可能で、一点突破も目指せる。