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2022-07-11

anond:20220711215527

今の上皇天皇政治的には安倍とは相いれないのは確か。

それどころか昭和天皇とも相いれないか富田メモ右派右往左往して捏造扱いしたんだし。

2016-04-21

靖国英霊には安倍の参拝なんぞよりもっと望んでいることがあるはず

なにしろ九州が未曽有の大災害に襲われている渦中であるから、ひっそりとしか報じられていない印象だが、

安倍晋三が、今日から始まる靖国神社の春の例大祭真榊奉納したというニュースが流れている。

参拝は見送ったとのこと。

例のごとく、なぜ参拝しないのか、特亜配慮なんかするな、戦没者慰霊がなぜいけないのか、などと

一部の人たちがネットで吹き上がっている。

最近はなんだが「マスゴミはなぜいちいちこんなことを報道して騒ぎにするのか?」などという発言も見られるが、

まあ「取り上げれば騒ぎになること」をとりあげるのはマスコミ仕事なのだから、取り上げてあたりまえである


自分は、靖国神社存在について、神道伝統にしたがえばきわめて特殊神社であると思う一方、

その英霊鎮護する機能を必ずしも否定しない立場だが、

なにかと「首相の参拝実現を!」と叫ぶことには反対の立場である

というか、首相などということよりも、もっともっと先に実現すべきことがあると考えている。


それはなにかといえば、天皇陛下の親拝である

英霊たちは、岸信介の孫のパフォーマンスなんぞより、今上陛下の御心を待っているはずだ。



先帝陛下は、先の大戦に敗れて以降も、定期的に靖国に親拝されておられたが、1975年11月最後靖国を訪れることな崩御された。

今上陛下は、即位以来、親拝されたことはない。


先帝陛下は、その大御心を無視して靖国神社A級戦犯合祀したことに対して不快感を持ったれており、

それが親拝されなくなった理由だという説がある

この説の傍証はいわゆる「富田メモである

個人的には、あのメモだけでは、証拠としては弱いと思うが。



今上陛下がなぜ親拝されないのかということについては、現在陛下のお立場から考えて、

少なくとも陛下のご在位の間には決して明らかになることはなかろうが、

とある新聞記者が、宮内庁役人に問うたところ

「もし、今の状況で陛下靖国に親拝されたりしたら、ハチの巣をつついたような騒ぎになる。

そんなところに、陛下がいかれるわけがない」と答えた、という話を読んだ記憶がある。


となれば、現在行政最高責任者である安倍晋三のなすべきは、

自らが「最高権力者でござい」という顔をして陛下差し置いて靖国に赴くことではなく、

陛下安心して親拝できる環境を整えることであろう。


陛下が親拝されるとなれば、やれ軍港主義の復活だのなんのと騒ぐ輩が内外からでてこようが、

それは間違っている。

しかに、先帝陛下昭和20年まで大元帥として軍を統率されていたが、

敗戦によって軍服を脱がれて以降、荒廃する日本の各地に赴き、親しく国民と接せられ、

日本平和繁栄を誰よりも願っておられたはずだ。


そもそも、先帝陛下は、日米開戦を決めた御前会議において

四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらむ」という明治大帝の御製を引かれて

その御心を示された方である


軍服威儀を正した大元帥陛下でおられるよりも、スーツソフト帽の姿で民衆に手を振る象徴天皇でおられるほうが、

望みだったのではないかと、畏れ多くも推察する。

しかしたら、庶民的君主であろうとしたが故に、君側の奸に疎まれ挙句は若くして病に倒れた父君

大正帝の御心に、思いをはせられていたかもしれない。



今上陛下が、先帝陛下の遺志を継ぎつつも、

国籍民族を問わず、先の大戦悲劇を語り継ぎ、その犠牲者慰霊することを

自らの責務として精力的に活動されていることは、近年の海外への慰霊の旅の数々をみれば、言うまでもあるまい。



先の大戦に敗れて「象徴天皇」という立場になって以降、日本天皇というのは

おそらく世界でもまれ平和主義君主である

英国王族などは、軍務につき、結婚式では嬉々として軍服に身を包んでいたりするが、

現在我が国天皇はじめ皇族方は、けして軍服などという野蛮な服装に身を包むことなく、

その居城を守るのも「兵隊」ではなく「警察官である



我が国事実上軍隊である自衛隊最高指揮官内閣総理大臣であるから、その地位にあるもの靖国神社を参拝すれば

軍国主義の復活との批判もあり得ようが、

現行憲法下で今上陛下靖国に参拝することが、軍国主義の復活につながるとはとても思えない。



もし、そのことで国内外に誤解があるのならば、その誤解を解くことこそが、首相仕事であろう。

首相自身靖国に行かないことで近隣諸国懸念を防ぎ、陛下の親拝実現に一歩でも近づくのであれば、むしろそうすべきだ。

にもかかわらず、無用近隣諸国との緊張を高め、陛下差し置いて自らが靖国に行きたいなどという首相がいたならば、

それは、本当の意味皇室敬愛しているのでもなかれば、我が国のことを思っているとは、到底思えないのである



憲法下では、政教分離との齟齬を指摘する向きもあろうが、

そもそも現在でも陛下は、伊勢をはじめ、各地の神社天皇陵を親拝されているし、

宮中では、日夜、神道形式にのっとって、我が国の安定の民の幸福を祈っておられる。

もちろん、それは「象徴天皇」の「国事行為」ではなく、天皇家私的行事としてであって、

その区別は厳格にすべきだろうが。



皇室敬愛する愛国者のふりをして、近隣諸国へのヘイトスピーチをばらまきつつ「首相靖国参拝実現」を声高に叫び

結果として陛下靖国親拝への道を遠ざけ、英霊御霊の安らかなるを妨げるものは、

愛国者のフリをした不逞の輩というべきであろう。

2014-02-23

憲法皇室守護してもらおう」というリベラル派の情けなさ

今日皇太子誕生日らしく、皇太子憲法に関してコメントを発している。

それに関するツイートナナメ読みしたが、おそらく「リベラル派・穏健保守派・左派」、「反安倍派」の人がツイートしている

皇太子憲法平和民主主義を守ろうとしている、それに引き換え安倍首相・・・」的ツイートがやたら目立っている。

自分リベラル派の一員だが、「憲法平和民主主義を、皇室(天皇皇太子)に守護してもらう」というのは、あまりにも情けないのではないか?

苦しい道ではあるが、「皇室に頼らずに、独力で憲法を守るべき」なんじゃないか?

日本民主主義は、皇室守護してもらわなきゃ維持できないような「ひ弱な民主主義」なのか?

これじゃあ、「上から民主主義」「恩賜の民主主義」じゃないか?

日本自力民主化できずに、1945年にマッカーサー民主主義を与えられ、2014年に危機に陥りましたが、皇室によって守護されました、

という歴史では、あまりにもひ弱で情けないではないか?

皇室に頼らずに、自力民主主義を守ることが、「民主主義正統性」を保持するために、絶対に不可欠だと思う。

自分に似たような意見、「左から皇室政治利用は、苦しいけど慎むべき」という意見が、ツイッターに一人くらいいてもいいのに、全く見当たらない。

ここまでリベラル派は「ヤワ」になったのか、と思うと、情けない。

そういえば、A級戦犯合祀に絡む「富田メモ」も、リベラル派が嬉々として利用していたな。

こんな情けないリベラル派は、山本太郎の「反原発直訴・皇室利用」を批判する資格はないと思う。

2012-07-12

丹羽中国大使の発言に見る、戦前天皇制の残滓

数日前の日経に、伊藤忠OB丹羽氏が中国大使に任命される際、

外務省幹部からブリーフィングされた内容が載っていた。

あなたを任命した人は、9月にはいなくなります

(=あなた後ろ盾がいなくなりますから覚悟しておいてください)

これに対して丹羽氏は

自分を任命したのは天皇陛下なんだが・・」と回答したらしい。

日経2面には、

「これは丹羽氏の勘違いで、天皇認証しただけ。任命したのは内閣であり、

 この場合事実上岡田外相。(で、岡田外相は9月にいなくなった)」

と解説していた。

しかし、自分には、

丹羽氏は、任命権者が内閣岡田であること、天皇認証者でしかないことは知っていて、

 それでもわざと『自分天皇陛下に任命された』、と語った」

ように思える。

丹羽氏の世代、戦前生まれの世代の場合

天皇認証された認証官」というのは、相当に「名誉な地位」であり、

丹羽氏自身も「自分認証官なんだ」という思い入れがあったんだと思う。

それを戦後憲法価値観で、

あなたの任命権者は岡田外相であって、天皇じゃないのでお間違えなく」と突っ込みいれるのは、

「会話が噛み合っていない」ように見える。

いや、もっと言えば、丹羽氏の「自分を任命したのは天皇だ」発言の「真意」は、

自分天皇認証官という権威ある地位を拝している。

 そうそう簡単には、この地位を奪えないはずだ。

 自分更迭する、というのは、それはつまり天皇認証を否定することであり、

 天皇陛下にドロを塗るようなことだ、不敬だ」

ということを言外に匂わせたかったのではないか

まり、「天皇に任命された」という発言は、 

「俺の地位を奪うのは天皇を傷付けることだ」と

天皇権威を最大限利用した、極めて高度な発言、ということじゃないのか?

(その外務省幹部に通用したかどうか、知らないが)

戦後憲法では

天皇政治役割を演じてはならない」と教科書的には書かれている。

しかし、実際のプレーヤーの心の中で、

天皇権威をカサにしよう」という邪念があると、結局天皇は「政治的に利用される」のである

1960年の安保騒動のころの新聞を読むと、

安保改定デモの混乱を解決するために、

昭和天皇国民和解を呼びかける」という案が真剣検討されたらしい。

また、最近では、いわゆる「富田メモ」で、

昭和天皇A級戦犯の合祀に不快感を示した」とされた。

で、自分が「あきれた」のは、いわゆる「左派リベラル派」の方が、

嬉々として「昭和天皇平和主義者だ、靖国護持反対派だった」と声高に叫んでいる姿。

お前ら、靖国潰しのためには、天皇権威を利用する、つまり国民主権」を放棄するのか?

自分だったら、たとえ反靖国であっても、毅然として、

天皇の発言である富田メモで以って、政治右往左往するのは、

 天皇政治的影響を与えることになるので、極めて不適当」と発言する。

・・・ということで、戦前天皇制の残滓は、なかなか日本の政治から消え去らないものである

2009-01-03

その対策

さの対策。

平穏なブログ運営。だから増田で。気づかれても目をそらさず否定できる。

<中立ごっこ、未熟者と失笑されようが、物言えば唇寒しの状況は気持ちが悪い>意欲は買うが、長年の南京論争を眺めてきた増田には、新参者が手首足首を縛り氷河に飛び込む軽業師に見える。酷な言い方だが、あがいて浮上を繰り返しても、ガスが腹の中で膨らんでいるとしか思えない。如才ない奇術師パンツに剃刀を縫いこんでいる。南京論争には初心者が陥りやすいトラップがあり、反論もルーチンワークの仕掛けになっている。情熱も知識もない増田だから助言。長文も対応策のひとつ。ひるまないでいただきたい。

三項目の問題点、最後に可能性を探る。

(1)数字

<それでおたくは何人と考えてる訳?>南京事件に触れ、まず数を考える者は多いらしく、頭に浮かんだ疑問をそのまま論争に持ち込む初学が後を絶たない。四万に留意する事。四万以下の数字を主張するのは、はてサに<虐殺三十万人説を証明しろ>と迫るのと変わらない。一蹴されるのが落ちだ。数字は慰安婦強制性では虚偽説の代表的論客である秦郁彦が、廃棄処分を免れた現存する日本側文書を軸にし、明らかに不当な、不法なケースを取り上げて最低限の数を順次加算したもの。覆すには秦の著書を購入し、関連書を参照しなければならない。本末転倒で、不本意な作業を強いられる。四万以上の数を扱う場合は当然資料も増え、最終的に中国側の農村部での人口推移の調査報告まで視野に入れなければならなくなる。

<証明できるのか? 二十、二百かも知れないではないか>見出しの百の文字に惑わされてはならない。元中尉の名誉回復裁判は人数が焦点ではない(数にこだわるなら政治屋弁護士心中する覚悟がいる)。増田の知る中ではてサに「百人も殺したのだから処刑されて当然」と主張する論者はなかった。「国を挙げての士気高揚、その象徴的人物が戦後に個人の責任を問われた」事件と認識され、同情的な見方もある。産経の「捏造」、「真っ赤な嘘」が指すのは、言論統制検閲を断行した政府、それに唯々諾々と従った当時の報道人と国民に対する侮蔑だと把握しておけば足元をすくわれない。

(2)検証

テンプレネット上に大量に転がり、手軽さも手伝うのか、初心者がもっともはまりやすく、もっとも論立てが煩雑なのが細部の検証だ。手軽な詰問に対しては反論も数通りのテンプレが用意されている事に気づかないといけない。相手は気分に応じて資料を選ぶ。複数あるのは遺物の集積と相互依存で史実が成り立っているからだ。独自の疑問点を設定するには書籍の購入が必要であり、新書一冊ではまかなえない。たとえば(1)の不当、不法に言及する場合は法学踏み込むことになる。質問者をよそおって相手の出方を研究する手口も使えない。また万一資料に不信を植えつける事に成功しても、一人の証言者、一枚の写真疑問符を付けただけで終わってしまう。労多く功無し。

(ただし「功無し」は学術上に限って。目ざましい功労者ポストを提示する教育機関が現れても増田は驚かない)

(3)政治

<謝罪を繰り返させられ、外交で押し切られる隙を残すのは国益を損なう。否定派には存在意義があるのではないか>メタ視線は悪くないが、楽な筋道ではないのは胆に銘じる。最初に日中間に「南京問題」は存在しない事を確認してほしい。政府は「肯定派」であり、中国は賠償も新たな謝罪も要求していない(調査のために遺骨を発掘しろと主張する者がいたが、ビルや田畑を取り壊す政治力や膨大な費用を日本政府が負う事はない。有志による個人負担となる訳だ)。決議に反した閣僚の発言が、政治問題化しないための「強い遺憾」と「村山談話」の応酬が謝罪の内実。また外交問題ではなく国内問題とする誘導に抵抗するのは並大抵でない。はてサに<中国が怒ってる、問題だ>と、一時期の朝日の影を思い描くのは悪手だ。富田メモによって、靖国親拝中断が中国の干渉によるものとしてきた右派は、靖国国内問題に渡らせないために「天皇」と靖国の距離を広げざるをえなくなった。辞任問題に踏み込めば、閣僚らの特権的地位について逆に問い返される覚悟が必要。初歩の問答を想定しよう。

 「旧軍バターン半島捕虜らに最大限配慮した。非難は不当」が持論の司令が、「A区調整、全住民を安全に配慮しつつ速やかにB区へ避難させよ」と命じられたら?

 「日本資産を持ち出してまで朝鮮に富をもたらした。利他的で手本となる施策であった」と講演する政治家が、経済相か雇用対策の特命相に任命されたら?

 不用意に無償の政治カード世界に乱発する人物が、通商代表として使節団を率いるとしたら?

バターンに関してはネット情報カバーできる。植民地事情に関しては英国植民地印度の貿易収支が英側の赤字であった事、双子の赤字を抱えた米国が二つの戦争を始めるほど好景気だった事、当時の日本政府国民が、兵士の生命財産を供出しても特アの隆盛を切望したと夢想するだけで間に合うだろう)

(4)トウハセイ

<嘲笑と罵倒では相手は聞く耳を持たない。壁に大声でがなりたて、言い返してこないとふんぞり返るようなものだ>読者を無視さえすれば、論争で宗旨替えした否定派が皆無という事実がこの主張の説得力を後押しする。ここで唯一のトラップは、はてサの多くが自身の党派性を否定していない現実だ。質問に質問を重ねるのを逃亡とみては失敗する。彼らは論争に通じ、経験から言質を取られ議論が拡散する事を嫌う(「黙らせるための問答で満足している」と左派から非難された左の論客もいたが)。<イデオロギーで記事を選る、コメ欄同調者が群れる>といった非難は想定内なので、泥仕合に持ち込むつもりがなければ控える(泥試合が有効な左派存在するが、医療疑似科学テーマ)。党派性で彼らの選択ではなく論理が歪んでいると考えるならば、事の検証が欠かせず、(2)へと戻る。膨大な過去ログを読む必要も。しかし、増田が提案できるのはこの(4)だけ。遠回りで時間は取られるが、非専門家でも順次対応可能で、一点突破も目指せる。

  1. 知識不足から生じる間違いに寛容な態度を貫く。ギークでは不用意な発言、勘違いが長々と槍玉にあげられる。また造語を連発する社会学者とくらべると哲学日常言語を当てるケースがあり、定義の混乱も多い。モヒカン問題とも呼ばれるが、コメントを控え、周辺に近づかなければダブスタを指摘される心配は消える。
  2. はてサを巡回し、論争に参加する。ハンドルは名無しがよい(理由は色々あるが、名無しで)。対話により未熟な否定派に(1)か(2)を認めさせる、または論理破綻を自省させる事に成功したら、巣窟と呼ばれる右派サイトに出向き実績を積み上げてゆく。

成果を胸元に突きつけられるのははてサだけではない。それは東浩紀宮台真司藤原帰一への揺るがない反証となる。

 
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