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はてなキーワード: 学問とは

2024-01-22

anond:20240122223016

そうじゃなく、実際にどの量子力学解釈現実説明しているのか証明することが可能なのか、ってことが実用の外側のトピックなわけ

物理学は何一つ「証明したことなんてねーんだよアホ。何かを「証明」する学問じゃないの。そういう基本を落として悦に入るのは中学生卒業して。

2024-01-21

anond:20240121162402

ネトウヨ以外にとっては社会学は一番役に立つ学問だよ

キモいネトウヨの多いプログラミングよりも世の中の役に立っている

anond:20240121162020

学問としては社会学くらい役に立た無さそう。

田舎進学校より都会の学校田舎学問より京の昼寝

日本の頑張っている企業よりアメリカのよく分からん企業

これが投資家なんだよな

2024-01-20

たぶん俺の方が学生時代学力は上なのに俺の方が間違ってるみたいにされてて草

何か、質問の前提や仮定としたもの常識学問的なものから逸してませんか。

その場合、救いようがないから、ありがとうございましたで終わりそうなところにも更に返信あるってことはありますよ。

私なんかも、回答する側ですが常軌を逸した質問質問者が正しい認知にたどりつけないものには回答や返信を繰り返しはします。

障害あるなし関係なしですが。

人間社会迷惑質問だったりもあるから

ゆのでは。

まり返信は嫌がらせのためで、その嫌がらせをすることで、せめてそういう質問する「悪者」に対して因果応報を味わってもらおう的な感じですか?

なぜそうなる?

日本語ちゃんと読めます

「救いようがないから」返信するんですよね?

ここで順接を使うのにまずちょっと戸惑いました。

だって返信はその言葉で人を導くためにするものでしょう?

でも言葉で救えない相手ということですよね?

だとしたら、救うためではなく、嫌がらせするためって意味しかとれませんが。

日本語読めます?に対しては自分の書いたこときちんと論理的解釈できます?と返したい

anond:20240120020046

仮説とは普通、問いを含むので

それだと最初からまりきってるように聞こえる。

話者から客観的情報を得るのも立派な学問だよ。

ただし話者の語りには主観が混じるのでそこに同調しすぎると結果が歪められる。

敢えて数値に頼らずに、人々の感性大事にするという意味では意義あると思うけど。

気温が高かろうが低かろうが、感じ方は千差万別なのだし。

anond:20240118190243

いやよくない?

将棋って遊戯そもそもAIをつくるためにあったと思うし

すべてのボードゲームは、一部のプロ以外にとっては、頭脳戦で頭を鍛えるためにあるし

考えなければ勝てるし、考えれば勝てるゲームにすることで

楽しい→続く→頭を鍛えるのに飽きない

だと思う。ゲームルールって「ハマる」ためにあるから

でなんで、頭鍛えるの?ってなったら、頭がよよくなるためだし

頭よくなって何がしたいの?ってなったら、学問に役立てるためだし

学問を役立ててどうするの?のはてに

コンピューターを駆使して楽に暮らせる世界にしたい」があるとしてその通り道AIが生まれた結果

ゲーム必要ないならそれでいいじゃん

ゲーム面白くなったこととAI誕生なら後者のほうが大事だし

面白ゲームをまた探せばいい

AIは対戦相手ではない、道具であり下僕だよ。

anond:20240120013407

論文自体の精度が問題なのではなくそ評価制度がないことが問題なんだよね。

駄サイクル問題なんだよ。

理系論文であれば、追試が行われ論文の精度が自ずと評価されていく。

社会学以外の文系学問論文引用数が評価基準になる。

身内で評価しあってホルホルしてるバカ学問社会学だけなんだよな。マル経ホルホルだな。

anond:20240120013407

馬鹿には分からない学問ナンバーワン

複雑さが何もなく毎回同じ結果が出る数学ADHDに向いている

社会学イライラすんのはさ

そんなことない事例がいくらでもあんのにそれを無視して結論にもってく「論文」が多過ぎんだよな。あなたたちの学問的な基準ってなんなんですか?って気分になる

2024-01-18

大学職業訓練校ではない」っていうのは結局単なる貴族主義

なら最初から学問とは最初から食うに困らない奴のための道楽」と、正直にそう言うべきなのだ

anond:20240117162333

業界団体自分たちのための職業訓練大学を作れば解決だな

anond:20240117162333

上記増田見て思ったことを適当に書く。


職業毎に適性が違うんだから学問するために作られた既存大学を下手に弄るより、業種毎に専門大学作って入試から職業適性選別しなきゃダメでしょ。

大学職業訓練校扱いするってのはそういうことだよ。

で、真っ当な人材が欲しいなら求める側が何を求めるかを明確に定めてもらわなきゃダメなんだけど、それ出来てる企業なんかほとんど無いでしょ?

じゃなきゃいまだに「総合職」なんてクソ分類が幅効かせてないんだよ。

求める側が「なんかこう良い人材を頼む」みたいな雑な求人しか出来てないじゃん。

そんなのに真っ当な人材提供できる職業訓練校なんか作りようがないよ。

これから先半世紀は売り手市場が続くんだから、もうそろそろ求人側が考え方改めないとどんどん人材確保が難しくなるよ。

2024-01-17

大学職業訓練校扱いするべきである

大学職業訓練校ではない

大学学業を行うところである

 

それはわかる

ただ現代の子供は全員が「社会に出る準備のため」と称して学校へ入れられる

そこで「学業」という生き方学校から刷り込まれていくわけだ

 

これは例えるなら、野球部に入ったら「野球」という生き方を刷り込まれていくのと同じだ

子供は「学業」を刷り込まれている

その結果、目標となるのは大学という学業のゴールである

その後に社会人となって会社に務めるのは宗旨替えみたいなもんで、学業人達は基本フォローしてくれないし、そもそも詳しくない

大多数が必要なのは社会人になって働くことなのに、ルート学業となっている

 

正直この仕組みはぶっ壊れている

 

昔はよかったんだ

「ごく一部の人大学に入る」は、例えるなら「ごく一部の人プロ野球チームに入る」みたいなものだった

それが大勢が入ることになるばかりか、会社大学を通過している前提で採用してるからけがからなくなった

 

でも現状社会がそうなってることに吠えてもしょうがないので

学生大学職業訓練校としてみなすべきだ

そして可能なら高校生のうちに何の職業に就くかか、その業界研究は済ませておくべきだ

 

進路を決めるのは2年生だろうから、少なくとも高校1,2年で決めておかなきゃならない

 

まあでもそれも本人だけでは基本無理だ

親や周りの大人がかなり協力しなきゃならない

 

間違っても学問一派のことを鵜呑みにせず、話半分に聞いておく必要がある

 

ーーーー

伝わってないな

全員がって言ったのは義務教育のことだよ

本当は義務教育から職業に対して階段が敷かれているべきで、その脇道に学業があるべきなのに

今は学業への階段だけあって、社会に出る学生はどこかでその階段飛び降りルートを通っている

 

私が問題にしているのは大学というよりむしろ高校の方だ

学業へのルートばかり示すわけだからね(私立なら特にそう)

から大学選択自分の興味でするのではなく

何の職業に就くかをある程度絞ってから、逆算で選ぶ方が多くの子にとって正しい選択だと言いたい

いまの大学3年くらいになってから就職先を考えるのでは遅いんだよ

 

あと「職業訓練校扱いするべき」であって「職業訓練校になれ」とは言っていない

あくま現代における学生側の対処の話

2024-01-16

マルチの集まりに1度でも行く可能性がない

ホストに1回でも行く可能性がない

有名人信者になる可能性がない

タクシーを利用することに対する心理的抵抗がとてつもなく高い

・衣類にかけるお金限界ラインがバッグやコートなら3万円、靴なら1万円、インナーなら3千円


飲酒の機会がせいぜい3か月に1回とか


ソシャゲ課金どころかそもそもやったことないしそれは一生変わらない

文系は潰せ、理系を敬え的な言論に触れて「文系学問に熱心な人は罪なのですか?」とキョトンとしてる




こういう30歳と出会えたんだけど優良物件

2024-01-14

コスパ論の迷妄

コスパ論は排除の論理である。そしてコスパ排除論者に言いたいのは、君らミクロしか見えてなくてマクロで物を考えるってことが全然できてないってことだ。その結果、社会全体やひいては世界を亡ぼす。部分最適の総和は全体最適にならない、なんてことはもう一世紀以上前から常識だ。君らの論は、放置すると以下のような言説になる。

障碍者お金かけて暮らし保証する必要ある? 同じお金で健常者を救済した方がコスパいいと思うけど。

年寄りお金かけてQOL上げさせる必要ある? 同じお金若者を救済して子供産ませた方がコスパいいと思うけど。

弱者男性を手間かけて世話してやる必要ある? 同じお金強者カップル支援した方がコスパいいと思うけど。

趣味とか文化かにお金かけてユタカナクラシとか保証する必要ある? 同じお金経済をまわした方がコスパいいと思うけど。

政治コストかけて民主主義とか維持する必要ある? 皆な同じ暮らし強制して独裁した方がコスパいいと思うけど。

……

その結果、人は障碍を得たり年をとったり社会的に弱い立場に立っただけで簡単人権を失い、強者権力を振りかざす、安全安心からほど遠いディストピアに住むことになるんだけど、それがコスパの果てに待つ社会だということを「コスパコスパ」唱える連中は理解もしない。自分がそういう主張をしているということを認めないばかりか、「そんなのはほかの誰かが対策すること」で「自分たちは目の前の問題についてだけ冷静に意見を言ってる」と思っている。その結果、20世紀から21世紀現在、どういう社会が訪れたか

コストかけて異民族とか異文化理解する必要ある? 侵略して征服して同化政策した方がコスパいいと思うけど。

コスパ排除の論理を突き詰めれば、すぐそこまで行く。歴史世界情勢を見れば、一目瞭然である

からコスパ論者は、自分に全体を見る目がないという認識があるならせめて黙っていた方がいい。とはいえ自分理解の及ばないことについては沈黙する、というのは意外と高い知性が必要行為なので、人類そこまで頭良くない、っていうのも悲しい現実だ。その結果やがて、そういう「普通の人々からの人気を当て込んで極論を振りかざすデマゴーグが現れて、多くの人が進んでその養分になり、社会国家破滅的な被害を受ける。なのに、喜んで養分になった人々は、全てが終わった後口をそろえて「知らなかった、騙されていた」と言い出して、自分には非がないと言い立てる。そうして数十年後、また同じことを繰り返す。世界のあちこちで。

人間の一員として生きるということは、そういう愚かさと共に歩む覚悟もつということでもある。言い換えれば、その愚かさと共に歩む覚悟がない者は、政治についても社会についても何も実のあることを語ることができない。理念だけのリベラルが常にデマゴーグに敗北する理由がこれだ(それは数や勢力というだけの意味でなく、リベラル寄りの思想の持主もまた、たやすコスパ論にからめとられて排除論者に闇落ちするということでもある)。

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さて、以下は、上記を踏まえた愚考であるぶっちゃけ読まなくていい。けど、少し暇があり、与太話に付き合ってもいいというなら、読んでいただければ幸いだ。

民主主義には「少数意見尊重」という、コスパ論に堕しないための重要な楔が打たれているのに、民主主義標榜しながら人は安易に「多数決」を持ち出して、少数意見無効化しようとする。少数意見を顧みず議論も廃した「多数決」は、現実主義でなく単なる数の暴力なのだが、近視眼的なコスパ論者にはその違いが分からない。そうして、コスパ論者、すなわち民主主義者と自認する「多数による独裁主義者は、「諸外国の脅威に対抗するため」「緊急事態対応するため」などの言い訳をつけて、やがて民主主義独裁主義で蚕食しようとし始める。「その方がコスパいいと思う」から

人間の脳のバグ、たとえば、動物的に振舞いたいというバグは、2000~3000年前ごろから宗教道徳」というパッチ発明されたことで世界的にデバッグが進んだ。結果、社会文化は大きく進展した。宗教道徳が整えば、人と人、国と国の協力が可能になり、交通が利便に、経済が発達し、国はうるおい文化が発達する。しきりに法が作られたのも、こうした理由である道徳や法が国を栄えさせるという実例を見て、またほかの国もそれを真似るようになる。こうして急速にパッチは普及した。

だがその後、宗教パッチを当てると人は神秘主義に陥り、ある一定レベル文化の発達が止まるという新たなバグが見えてくるようになった。それに対して一般に「科学哲学パッチ発明され適用されるようになったのは、割と最近のことだ。科学宗教優越する地位を占めるようになったのは、近世になってからのことだ。科学実証によって宗教優越する効果を示した。ただ、同時に道徳破壊することになる危険性についても、パッチ適用当初から危惧されてはいた。ただし、宗教パッチ害悪の方が重くなっていた当時の時代から見れば、それはまだ些細な問題に過ぎなかった。「科学哲学パッチによって、停滞していた文化学問となって更に発展し、国の規模は拡大して強大な国家が生まれた。人は世界の果てまで到達し、文化の発達を謳歌した。

ところがその先に生まれたのが、狭くなった世界における衝突と排除の論理である特に宗教パッチ効果を低下させたことによる道徳性低下の影響はやはり無視できなかった。文化の発達によって世界は狭くなり、道徳性の低い強者がより一層大きくなることで、弱者が「合理的」に使い潰される状況が起きてきた。道徳性が高いと思われる者でさえ、「善意」と「合理性」により、異文化侵略排除する帝国主義世界支配した。つまりコスパ論の時代である

これに対し20世紀後半になってようやく、これではまずいという判断の下、「民主主義人権パッチ発明され普及を始めた。そのために人類は、数度にわたる世界大戦という苦い代償を払うことになったが、その教訓とともに適用されたパッチで、世界大戦の脅威をいくらか遠ざけることができるようになった。だが、何度もこれを無視した戦争が引き起こされ止まらないように、依然としてこのパッチは十分適用されていない。劣化版のパッチポリコレ棒)やパッチに対抗する新たなウィルス多数決万能論)さえ出てくる始末であり、パッチの普及にも暗雲が垂れ込めている。

それだけではない。狭くなった世界、拡大を続ける資本主義の下(拡大し続けることは資本主義の仕組自体問題で、本質的には解消不能である)、環境問題といった新たに別のパッチ必要問題が生まれてきた。それに対する「SDGsパッチ」はまだ発明されたばかりで、その有効性も不透明だ(このパッチ自体バグがある可能性もまだ否定できない)。これが21世紀の現状である

これらのデバッグ完了し、人類が「戦争」と「環境問題」という2つの危機を乗り越えるのは、一体いつになるのか。いや、そもそも乗り越えられるのか。優秀なデバッガーや啓蒙家の数がどれほどになれば、人類は生き延びられるのだろうか。

anond:20240113124037

2024-01-11

anond:20240111151102

コロナ禍におけるアマビエを見たらわかると思うけど

学問的にどうであろうが民間伝承呪いの方が母数多くて有力に見えるものから

そもそもその当時の自然科学って天災の要因を調べようとしてたの?

ブクマカの特徴

・大して勉強してこなかったくせに、慣用句みたいな「程よく知的好奇心を満たしてくれるけど学問実用からは程遠いコンテンツ」を好む。

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2024-01-09

anond:20240109225755

それは流石に無理だろうけど「改行や図表を駆使して常識範囲内でページ数稼ぎなさい」って言われた。

他の学科研究室ロボットだの衛星だのやってる中、俺は文系学問に「〇〇工学」ってつけた学科から楽勝よ。

それはクソ上司に潰されない為の練習だった

俺の中でやっぱり子供学校に行かなければいけないという結論に至った。

14歳東大合格レベルの灘高生や開成高校の子高校に行く無駄時間を削って高認でとかもいいと思ったけどやっぱりダメだ。

かったるい時間でも18までの時間はあの窮屈な教室に通う時間を過ごさないとダメだ。

人間関係人間関係の中でしか学べない。

自分なりの処世術と言うか、感情が崖から落ちない落とし所を探す為の時間

ビジネスでも学問でも絶対人間関係からは逃れられない。

引きこもり高認高学歴を何人か見てきたが、身近な人間との関係なら何とかやれても取引とかちょっと遠いけどこちから気を遣わないといけない人間関係思春期の子供みたいに全然ダメな人が多い。

自分感情を守りつつ周囲と軋轢を生まないための訓練が圧倒的に足りていない。

大人になれば時と場合によっては痛み分けはもちろん、こちらが笑って恥をかく事で場を納める場面も少なからずある。

それを学べるのは剥き出しの感情がバシバシくる10代の学校だなと強く感じた。

2024-01-07

anond:20240107133342

まさにこれが文系学問の難しいところで批判される点なんだよね。言葉定義理系ほど正確じゃないの

俺は「弱者男性」を支援必要とする男性くらいの意味で捉えてるんだけど、一方で女性より可愛そうな男みたいな理解もある。多分どちらもソースを出そうと思えば出せるし互いに批判できてしまう。こんなの数値化して厳密な定義なんてできるわけないからね。

弱者男性」みたいなネット由来の言葉に限らず、「家父長制」や「社会主義」ですらわりと文献によって言ってることが異なるんだよね。

からこそ、活動家学者自分たちの考えをより適切に表した言葉を作ったり、既存言葉特別意味を与えたりすることがよくある。

これは理系にはなかなか理解しにくい感覚だと思うし、「これだから文系は」って言われても致し方ないかなと思うけど、ここを全否定ちゃうと例えば「ミソジニー」みたいな言葉すら使えなくなっちゃうんだよね。

anond:20240107124930

社会学問の上で何十年も議論され尽くしてる話題に、素人荒唐無稽コメントを並べて、どっちもどっち(笑)とか価値観(笑)思い込み(笑)とか言い始めるの明らかにワクチン陰謀論者のそれなんだよな

この考えが正しいとか寛容とか議論する前にまず大学行った方がいいよ

医師免許ない奴のワクチン持論なんか存在意味ないでしょ

anond:20240107093612

女性の権利なんて憲法国連人権宣言に載ってるし大学で取り扱う学問だし正当でアカデミックな内容だよね

お前がアンフェミ拗らせた情弱科学ヤバイキチガイなだけよな、学んだことも無いのに素人知識でめちゃくちゃ言ってるという

臭いから帰ってくれ

2024-01-06

anond:20240105174204

増田の経歴と研究分野はしらんけど、万が一増田に失礼なことを言ってたらごめんよ。

理系だとあまりお金のない家に生まれても国公立医学部旧帝大学部から進学してる野生の天才いるから、実家の太くないアカデミシャンも多い。

奨学金学振もあるから尚更。

あくまで私が見てきた限りだと、理系は頭のよさ一本で生きていきやすいか実家貧乏でも上に行きやすい。

理系の才能があるならあまり教育課金しなくても公立高校から公立に進学することも可能

(余談だが、男尊女卑から女に機械を触らせない地域貧乏な家庭に生まれたけど理系の才能がある女子もいる。

東工大女子枠は東京の男並みに教育課金された凡才女子ではなく、地方に取り残された英才女子を吸い上げるべき。)

実家学問に興味がないし太くもないが、学問の才能を見抜いた先生から応援を受けて、旧帝大理系学部実学文系学部に進学した地方民は案外いる。

農家のように実学系の学部しか進学させる気のない親でも、理系学部だと進学させてくれる。

ただ、本当に親が貧乏なら研究能力が高くてもせいぜい修士普通に就職するケースも多い。

文系アカデミシャンなら実家普通以上にお金を持ってる率も高い。

あくまで私が見てきた限りだと、有名大学の法学部(法経)の学生は親から多額の教育課金を受けてきた確率私立中学に行ってた確率が高い。

好きや得意を追及するハイ・ソサエティであっても、サラリーマン家庭の受験勉強漬け人間であっても。

教育課金が一番効いてくるのは文系進学かと思われる。

(余談だが、同じ教育課金を受けてきた人間でも受験以外の課金をほぼしていない場合、見た目やコミュ力、消費活動含むステータスしか興味がなく、社会競争とはあまり関係ない知的文化素養がほぼない人間になりやすい。

母親ステータスけがすべての世界に行きてるなら尚更。

麻布競馬場自身から文化素養教養を感じるが、作品からはこの手の文系私大生への蔑視を時々感じる。)

なお、文一だけはシンプルに頭のよい人が集結している印象で、教育課金の額などどうでもよくなってくる。別格。





実家の太さと研究といえば、遊んで暮らせる資産家のご子息ご令嬢がなんとなく博士課程に進学するケースもまあまあ見かける。特に旧帝大

ふわふわした気持ち博士課程に進学して思ったより研究成果がないならあっさり3年で中退して、しっかり就活もせず実家に引っ込むケースは文理ともにある。

ちゃんバリバリ研究して博士号をとって研究者になる資産家のご子息ご令嬢もいるけどね。

ふわふわ資産家は一見地味で資産であることを言わないが、よーく話を聞いたり行動を見てると、とんでもなく経済的に恵まれた家庭だとわかる。

25歳を超えてふわふわしてるし、バリバリ研究する訳でないのに進学するから一般的感性学生から異常者扱いされている。

当然浮いてる上、研究もできるわけでないならラボいじめに会うこともしばしば。

あと、長男教か親から特別扱いゆえ他の兄弟より多額のお金をつぎ込んでもらってるケースも複数見てる。

例えば他の兄弟は家から通える大学しか行かせてもらえず就活して家にお金をいれてるのに、長男だけ下宿してポスドクになっても仕送りしてもらってるとかね。

そしてなぜか彼らは口を揃えて自分実家は太くないと言う。

君らにつぎ込めるくらいには太いぞ。泣き言は奨学金借りてからな。

anond:20240106014127

三十すぎでもすでに大学で修めた学問は大半が揮発してしまい二十代前半の頃ほどの学力知識は残っていないので

今死んでも別にいいや

人生意味はないしね

宇宙を漂うゴミたまたま地球のような形をとり、地球を漂うゴミたまたま生き物という形をとっただけ

人間が何をしても、しなくても、地球宇宙も大して変わらないし、変わったとしてもそこに意味はない

ただそこにあるだけだ

生命意味はなく、人生にも意味はなし

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