はてなキーワード: 学問とは
いや講師を連れてこよう
機会があって予備校の数学の授業と司法試験の授業受けたのだが草生えましたわ
『オンライン学習にして予備校から優秀な講師引っ張ってきた方がコスパ良い』
『授業は予備校講師に任せて、公立教師はわからない子や逆にもっと学びたい子のフォローと化学実験や家庭科のフォローや体育のフォローだけやっとけ』
・・・って思ってたが、ここまでわかりやすさ+エンタメ性にはっきりと差がついちゃうのかよとね
確かにわかりやすい予備校の授業でのみ勉強してきたヤツは考える力がつかないことも起こり得そうではあるが、
専門課程に進む前に知識を詰め込む、あるいは何かをする(たとえばプログラムとか)ための知識を得てる段階で考えるも何もねーだろうよ
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業を受けたらからってどうこうなるレベルのものじゃない(そもそも高等教育もリベラルアーツとほぼ遠い)
社会で不自由しないために・詰め込んだ知識を活かすために、最低限は考える力を鍛えなければの場合も、
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業をもって考える力を養うをやりました!とか怠惰なことはやらずに
極端に思考力が弱い人がいると言う前提に立って訓練メニューを用意すべき
あと思考力を養う授業では『理解しました』といっても、極端に思考力が弱い人は覚えた数式を具体的にどう使うのかはわからないとかフツーに言い出すので、
アメリカみたいに世界中から優秀な若者が勝手にやってくる+資源があるなら学位商法やっててもオッケーだが
「みんながそれが正しいと思ってる」って論拠で話されてると思ってるのお前だけだろう。他にも多数の論拠が示されていて、その中の補強材料に過ぎない。
ただ、あなたが「自分が言っていることを正しいのに、多数派かが弾圧してきている」という妄想にとらわれているのは見えてきた。
あと、詭弁を使い倒してるのに「論理的に」って、論理学って学問がちゃんとあるんだよ。
「みんながそれが正しいと思ってる」は、お前が言うように正しいの論証にもならないが、それよりも輪をかけて相手が間違っている論証にはならない(正しさには関係ない)ので、
「民主党政権だって天動説だって地表平面説だって正しくなっちゃうよ笑」なんて事は導けない。
故に、「様々な検討の結果法律ができていて、それが指示されている」、つまり「白人だけは特別」と「人間だけは特別」に、法律では明確に差があり、多くの国で標準とされていて、日本でも圧倒的に支持されている、と言う事実、に対して「「みんながそれが正しいと思ってる」って論拠としてはバカすぎる」と抗弁したところで、あなた自身の主張の正当性を補強するものではない。
実際には詭弁をこねくり回しているだけで、ただ「論破して勝利宣言する」という事への快楽を求めているだけなので、何の意味も無いと言う指摘になってる。
(フィールズ賞とったような)それなりの数学者が30代前半にたとえば生物学や史学に興味持ってそっちに移ったら、そっちでも現大家に肩を並べる成果を出せると思いますか?
数学者は根本的な意味で頭がいいはずですが、だからといって興味持てばどんな分野でも大成できるとは限らない(むしろ別に可能性は高くない)ですか?
つまりほかの学問では数学で要求されるようなものとは別の頭の良さが要求されるんでしょうか?でも数学で要求される論理的思考力や、概念を理解する力というのは本当に「頭の良さ」の根本的なものだと思うので、それ以外の「ほかの学問で要求されるような」頭の良さの指標って何があるんだろうとは思うんです。
たとえばビジネスの世界なら、意思決定の的確さや速さが、論理的思考力と関連もありこそすれ別質な部分も大きい、頭の良さの一つとして確かに価値を持ってるのでしょうけど。
数学は研究するのに必要な前提知識もほかの学問と比べて大量な点で、文系が自負してそうな記憶力にしても同じ学者の間では数学者が高めな傾向あると思います。
哲学は神学のはしためみたいな言葉があるがそれはともかく題名は真理だと思う。
純粋数学はその成果自体がそれなりに価値を持ちうるが、ほかの学問は定量的な主張じゃないかぎりなんの価値もない「作文」でしかなく、そうでなくするには道具や枠組みとして数学が絶対必要になるからな。
・数学以外の学問の研究者は、たとえノーベル賞とってるような人であっても、望月さんとかあるいはフィールズ賞とってるような人たちに対しては「おれは数学するほどの頭がないからこの道に行ったんだ」みたいな劣等感を感じているか?
・同じ学者だけでなく一般人から見ても、ノーベル賞とってるような人よりも数学の第一線で研究して成果を出してる人の方が頭いいと思ってるものなのか?
学問として本に書かれていることは過去の歴史で、学問自体は現在進行形のもの。「造詣が深い」だけだと評論家にしかなれない。
内的な熱情も必要だし、長期間モチベを継続するフィジカルメンタルの管理能力や知識も必要。経済的に死なない立ち回りも必要。応援してくれる応援団がいると心強いし、死んで2,300年後に「あの人は偉大だった」と発見されないようにするためには、自分はなぜこれをやっているのか、これをやるとどんな良いことがあるのか、それがなぜ気持ちいいのか、気持ち良いだけじゃなくて新しい風景が広がる、みたいなことを対外的に説明する能力も必要。
就職率的なやつで本来その学問をする資質がないレベルの人間しか集まってこないってだけで、「数学をするのに必要な能力はほかの学問より上だから~」みたいな論調とはずれてるでしょ
その会議の取り回しの能力は研究者の立場だとしてどの場面で必要になるの?専門的な勉強は基本独学だからそんな能力はいらない。研究も頭がいい人間のワンマンプレーでするならいらない。
じゃあ学会ぐらいか?でもそれだって査読が通った時点で正しいのであり学会でまで無理にわからせる必要なく質疑応答にも「わからないのが悪い」で一蹴しても自由だろ。
新たな事実の証明という成果さえ出してくれればコミュ力は不要でないのと高卒は思う
ついでにいうなら数学以外の学問における新事実の発見は(特に生物や化学のような薬剤の配合ありきの場で顕著だろうが)運に左右さてる部分も大きいという。
でもだから頭がよくても有利にならないって言いたいならその理屈は成り立たないよね。「運なる」ものの個々の学者に与えられてる期待値は数学者になるれるようなひとだろうがそれ以外だろうが変わらないはずだから。
それなら運以外の、頭がいいことに由来するひらめきが起こる確率は頭がいいほど高いのだからやっぱ数学者が有利なんではねーの。
数学(あとせいぜい理論物理)の研究をするような人たちがほかの全学問の研究に従事すればいいと思いませんか?
数学は数論の本とかだと入門書でも修士レベルの知識がないと読めないのがあるそうです。他の学問でこんなことはそうそうないでしょう。文系なんかは別に入門書じゃなく、専門家が同じ専門家に向けて出したガチの専門書の体で出された本だとしても、下手したら高校生でも読めると言ったら言い過ぎかもしれませんが、賢い大学生なら普通に読めるでしょう。
数学とそれ以外じゃ学問としてのレベルが違いすぎるのだと思います。
つまり、今現在他の学問をやってる研究者は数学をやるのは理解力が足りず無理でしょうが、逆に数学やってるような人がほかの学問をする分には、今その学問をやってるような人たちよりもまず頭がいいので、今後もその人たちに研究を続けさせた場合に得られるものよりもより多くて高度な成果が得られるのではないかと思いました。
自由主義なのでそんなことは無理ですけど、もし成果だけで考えたなら、今数学以外の研究してる人には全員学術の場からは退いてもらって、望月新一みたいな優秀な数学者のクローンを作ってその人たちにあらゆる学問の研究をさせたほうがいいと思ったのですが、みなさんはどう考えますか?
天才望月新一がもし数学ではなく生物の道に山中伸弥と同じ時期に進んでいたら、同じように(あるいは史実よりもっと早く)IPS細胞に関してノーベル賞を受賞する業績を出せていたと思いますか?
質問はここまでで以下余談です。
もしそういうことなのであれば、もうあらゆる知的作業を要求する分野は全部彼に任せちゃえばよくね?って思います。少なくとも今後クローンを作るために死後アインシュタインみたいに脳みその切片を保存すべきだと思いました。んであらゆる学問の研究を全部彼のクローンにやらせる。大は小を兼ねるということで。
https://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ431063.html
↑こういう動画あるけどさ。
コメント欄ではうまいのになんで叩かれてるのと言ってるやつに対して、絵の知識が足りなすぎるからなでけではとか言われてるんだけどね。
そもそも、絵の知識がないやにに上手いと思われることと、絵の知識があるやつに下手と思われることと、どっちの方が一票の重みがでかいとか、なんてことはなくね?
そいつが絵がうまいと思ったらそれがすべてであって、その作品の価値は単にそうやって絵がうまいと思いうやつがどれだけいるかで決まるって単純な話だよね??
そこで知識のあるやつの発言の重みづけを高くするとか、なんか目的をはき違えてるでしょ。
娯楽としての絵はどこまでも主観ありきのものであって、そこで客観的には画力はどうのこうのとかいう評価軸を持ち出すのは、かえって本末転倒だと思うんだが違うのかなあ。客観的な画力を高めることが目的じゃなくてより大勢の人を上手いと思わせることが目的でしょ。
「衆愚」の結果だとしても、知識がある人にとっては下手に見えるのに、上手いと思う人があくまで多数派なら、それがその絵の評価としの現段階での正義だよね?学問をしてるわけじゃないんだからさ(もちろん学問としての芸術もあるけど、絵の上手いと思う気持ちは民主的なものであって、学問的な意味での評価が特別重みづけされるのはおかしい)。もちろん美術の体系知に裏打ちされた作品は大衆をもよくうならせる傾向にある(からこそ手段としてそうした知識を使うことは一般には有効)かもしれないが、知識がなくてよくわからない、そういう裏打ちなくて描いた絵の方がうまいと思う人がかえって多いという場合もまたそれが結果として全てだよね。どうやっても、「この絵がうまいと思うのはお前に知識がないからだ」という態度はおかしい。民主的に行われたはずの選挙の投票結果を権力でちゃぶ台返ししてるのと同じようなものだ。
議論モドキをしようとしているのはお前ひとりだぞ。言っとくけど。
そもそも、この「反証云々」「根拠云々」って、元を辿ればエコーチェンバーで広がるデマとか陰謀論とかのレベルの「主張」について言ったものであって。
デマや陰謀論とひとくくりに言いたいらしいが、例えば「検証されていないが興味深い哲学的アイデア」みたいな微妙なもの(反証不可能なもの)だってあるだろう。
反証不可能だからといって、すべてが無価値かというとそういうわけではない。
なんどもいうが、ネットで科学や学問について語る必要性などない。
はっきりいえば、お前の言っていることのおかしな点を見つけて暇つぶしをしているだけだ。
全く関係のない話を比喩で説明した気になって楽しいか?これについては「お前の中ではそうなんだろう」としか言えないな。それこそ反証不可能だろ。
君が万に一つ億に一つアインシュタインのような常人を越える天才で、心理が見えていても、それを普遍的な言葉にできないのなら取り扱いようもない。
俺が知ってる「普遍性」ってのは、物理法則とか数理構造とか、そういう言葉を操るだけでは変えられない客観的存在のことだ。
その意味で、心理学者でさえ心理の普遍性など説明できないだろう。なぜなら物理法則ほどの普遍性が心理にあるかは不明だからだ。
しかし心理学者は、それを取り扱う方法を模索しているし、例えば表情から感情を読み取ったり、発言から性格を予測する程度なら、普遍的ではないにしろ、可能だろう。