はてなキーワード: ビデオテープとは
古いアニメの曲にももちろん素晴らしいものはたくさんあるけれど、自分が青春時代にリアルタイムで聴いて好きになった曲だけ3曲選んだ。
・こどものおもちゃ「パニック!/Still Small Voice」
当時好きだった女の子に「1話はだまされたと思って我慢して見て。3話まで見たらきっとはまるから」とビデオテープを貸してしてもらったのが「こどものおもちゃ」だった。
確かに1話はピンとこなかったのだけど、2話か3話か、羽山の弱みか何かを紗南が握り、
探偵の衣装に扮した紗南が羽山に迫るときにこの曲が流れてきてきたところで、「あ、これは間違いなく面白い」となぜか確信したことを今でもよく覚えている。
Bパートの最後からシームレスにエンディング曲がかかるのって、アニメではおしゃれだと感じたんだよね。
アニメのエンディング曲はいわゆるBパートが終わりきった後に始まるものだと思っていたから。
どこまで狙ったていたのかは分からないが、自分にとってこの曲のイントロは「この後どうなるの?どうなるの??」という期待感を高める、最高のイントロだ。
ちなみに、好きだった女の子とこの後どうなったかというと……言わぬが花というものだろう。
アニソン史的な位置づけとしては、NOIRで梶浦由記は「発見」され、その後の活躍につながるわけで、
そのきっかけとなったのは「salva nos」と「canta per me」で間違いないだろう。
そんなごたくはともかく、
salva nosは霧香やミレイユが手を汚して斃した者たちの魂を救済する歌だとしたら、
canta per meは、その汚れた手をもってなお、お互いを求めずにはいられず、そして手を汚して斃していく二人の魂の歌(その象徴が25話でこの曲が使われたシーン)であり、
自分はただ好きと言うほかない。
この曲は誰が歌っても名曲になるのだけど、おすすめはEmilyのカバー。聴く機会があったら圧倒されてほしい。
・フルーツバスケット「For フルーツバスケット/岡崎律子」
どれだけこの曲が好きかということを、言葉で表そうとしたけれど、どうにもまとまらない。言葉では言い尽くせない。それほど好き。
とりあえず、この人はすごく頭がいい、は天才ということでいいとしよう
天才的で、承認欲求が強すぎて犯罪まで走ってしまったのではないだろうか、と自分が思う人は色々いるような気もするが、
宮崎勤は宅八郎やマスメディアの扇動でロリコンだのアニメオタクだののイメージを視聴者に植え付けることに成功してしまっている気がするが、
宮崎勤はパズル雑誌を愛読しており、独自のパズルを考え掲載されもしている
もしかしたらgiftedと呼ぶに相応しい能力があったかもしれないが、幼女連続殺人を犯したというのは揺るがない事実であろう
酒鬼薔薇、少年Aに関しては宮崎勤のパズル雑誌のような話は自分は聞いたことがないが、
なんとなくではあるが、彼は弁護士資格ぐらいなら余裕で取得できるだろうと思う
少年Aが人間的にどうかは分からないが、知的水準が高いだろうなと思ったのは、あの赤い字で書かれた犯行声明文である
schoolのスペルを間違えたりはしているものの、知的な人間だというのは十分感じられる
本人は別人を装うための偽装工作だと供述しているが、自分には納得できない
「絶歌」を読んだわけではないが、報道されていた内容から考えるに、
少年が開設したHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」を納得させるようなものに思えた
死体に対する性的興奮、ナルシストなぐらいの筋トレ好き、ナメクジへの異常な執着などがあったようにうろ覚えだが記憶している
自分が思うに、少年Aの犯行動機は性的興奮のためでもあったと思われるが、
そのHPのタイトル「存在の耐えられない透明さ」というのはかなり的を射ている気がしたのを覚えている
しかし、それが普通の人の承認欲求のレベルではなく、自分の存在がいつも揺らいでいる、自分が存在するかどうかさえいつも不安であるとしたらどうだろうか
ラヴクラフトの「アウトサイダー」のように、他者に自分を認識されて初めて人は存在するのであり、そして自分が怪物であったことも明らかになるのである
少年Aは偽装工作と述べているが、いちいち鼻を突く挑戦的な文言は偽装工作にそぐわない
もちろん、天然でこれが偽装工作だと思っているのかもしれない
しかし、あの赤字の犯行声明は偽装工作の裏から犯人の少年Aの承認欲求が滲み出すぎてしまっている
宮崎勤は将棋も得意だったようだしパズルの能力も高かったと思われる
高校卒業後の1981年4月、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学する。このころはパズルに夢中になり、自作のパズルを専門誌に投稿したり、雑誌のパズル回答者として雑誌に名前が掲載されることもあった。
宅八郎やマスコミの作り上げたロリコンだのアニオタだのウルトラマンの切断技が影響しただのは疑わしい
部屋に収集したビデオは視聴目的というより収集目的であったようである
このころアニメの同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープのほとんどは自ら鑑賞することはなかった。ビデオサークルでは、ほかの会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6,000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。
無理なダビングを注文する、というのは極度の完璧主義者であったのだろう
天才かどうかはともかく、狭い領域に極端に執着するタイプであったのは事実だと思う
そして、宮崎勤の犯行声明も、これもまた挑戦的な文面だったように記憶している
凡人の自分からすると、挑戦的な犯行声明など逆効果なようにさえ思う
雄弁は銀、沈黙は金ではないが、なぜ少年Aも宮崎勤も犯行声明ではここまで挑戦的な文面になってしまうのか
コンプレックスの裏返しと述べるのは簡単だが、ここにも承認欲求の拗れみたいなのを感じるのは私だけだろうか
天才的な能力を持っていたかもしれないのでありながら、ここまで非人道的な犯罪にまで走ってしまうと、その能力を役立てることも不可能になってしまう
ただ、少年Aは少年院に入っても更生が難しく、出所後も出版物や週刊誌の内容から更生できているとは思い難いところがある
座間の事件もそうだったが、凡人の自分にはまったく理解できない話である
ではあるが、怪物のように思われるシリアルキラーも人間であることに変わりはないわけで、
根本的なルールが異常であったとしても、その異常なルールを根底に考えれば、なんとなくこんな気持ちだったのではないか、と思うところはある
少年Aにしても宮崎勤にしても、正解は自分だけが知っていて、当ててみ?という優越感はたまらなかっただろうと思う
面接する側、雇う側だけが正解を知っている、就活の面接はまったく情報が非対称なゲームである
パズルを解くというのは、その挑戦に抗い、打ち勝つことで逆転する喜びなのかもしれない
初代から今の代まで本家ゲームのポケモンは一切プレイしたことはなかったが気が付いたら泣いていた。
増田は年代的には赤緑世代だったが、親から携帯ゲーム禁止令が出ていたので当時はプレイすることはできなかった。
プレイステーションは家にあったのだが、どうしてもポケモンがやってみたくて母親に強請ってみたところ、
「プレステでもポケモンができるようになったら買ってあげる」と言われたことを今でもよく覚えている。
(姉はちゃっかり祖父からGBとソフトを買ってもらっていたので揚々と遊んでいて今それなりにポケモンエンジョイ勢である)
幸いにもアニメや漫画には寛容な親だったのでアニポケや4コマ漫画劇場はビデオテープやページが擦り切れるまで見ており、例のポリゴンショック回を録画したテープは数年前まで家にあったはずだ。ポケモンカードも家庭の事情で一緒に遊ぶ友達はいなかったがそれなりに集めていたし、ゲームはできないが買ってもらった攻略本を読んだり、ポケットピカチュウを見つからないかドキドキしながら学校に持って行ったりした。
(今思えばGBはダメでなぜポケピカは買ってもらえたのだろう)
それだけポケモンが好きなら今からでも最新作を買って好きなだけプレイすればいいとは思う。
だけど大人になりこの手の育成要素があるゲームは不得手だと知ってしまった今ではどうしても二の足を踏んでしまっている。
もし子供の頃マサラタウンから旅立てていれば何か変わったのかもしれない。そんな考えがよぎる。実際はなにも変わらないのだけれど。
https://twitter.com/Yamanami_ZAION/status/1296074110246645760
https://twitter.com/levinassien/status/1296615328005283840
「お金がない」は大きな要因であろうけれど
電機屋は「次は何か?」といろんな商品を売り込もうとしたものだった
が、結局、ばかでかいステレオセットだのコンポだのは売れなかった
子供の情操教育やブルジョワの見栄用のピアノやオルガンも限界があった
全高1メートルぐらいありそうなマジンガーZとかゲッターロボとかの人形だ
しかしこんなもんあっという間に押し入れが満杯になるのでさっさと廃れた
それから幾星霜……
1990年代以降、景気は停滞し物が売れないと言われるご時世でも
VHSからDVDへの移行と、その後のブラウン管から液晶テレビへの移行だけは
恐ろしく短期間で急激に進んだ
なぜかって?
テレビやビデオテープの空間を縮小できたからだろう。他に考えられない
とにかく日本の住宅事情ではデカくて場所を取る物は嫌われるのだ
ましてや今の学生や若者はバブル期のように広い部屋で一人暮らしなど無理
住居費を切り詰めるため親元住まいを続けるか極狭アパートで済ますか
でもって比較的に場所を取らないノートPCはデスクトップPCよりも割高だ
これだけは不思議でならない
全然関係ない事柄が、頭の中でくっついてしまうことがあるよね。
個人的には海外ドラマの「X-File」と磁気テープ、テープレコーダー。カセットのやつね。
子どもの頃にテレビでX-Fileが放映されてて、おっかなびっくり見てみると、すごく面白くてはまってしまい。
ビデオテープはなんか家の中で貴重品扱いでもったいなくて、古びたテープレコーダーで音だけを撮っていて。
番組がやっている間中、息を殺して変な音が入らないように気をつけて、一生懸命テレビを見ていた。
モルダーとスカリーの声は吹き替えだからね。吹き替えの印象しかなくて。
最近プライムビデオとかで本来の声を聞いて、でもそれもすばらしい演技だと思った。
でもやっぱり、磁気テープに撮っていた、中音域だけがやけに膨らんだ音声が、自分の中のX-Fileなんだよなー。
女オタクでやっていないともはやすでに人権を剥奪されかねない、今最も勢いのある、飛ぶ鳥も落とす、泣く子も黙る、超覇権ジャンル、それがツイステッドワンダーランド。
ディズニーにもヴィランズにも枢やなにも興味がなくても、ツイッターのTLに流しそうめんみたいに流れてくるからちょっと興味を持って始めたという人も多いはず。かく言う自分もその口である。
当方、ディズニーは何度かディズニーランドに行ったらくらい。小さな頃は家にディズニー映画のビデオテープがあった。まあ、話題の新作映画が面白そうなら観る。
先日、ディズニーに大変思い入れのある増田のツイステッドワンダーランドアンチ記事が一部で話題になったが、これはディズニーに大して思い入れのない人間のツイステッドワンダーランドアンチ記事である。ツイステッドワンダーランドファンには再び「お気持ち」「お気持ち」とぶっ叩かれガソリンを撒かれ火を放たれるかもしれないが、正直なところ「お気持ち」と腐される程の気持ちもない。
ただ、ファンダムがここまでの規模になると自由に好きなことを呟けるはずのTLでちらりとでもツイステッドワンダーランドに好意的でないことを呟こうものなら火を放たれるので匿名ダイアリーを書き殴る次第である。
理由はただ一つ、自分と同じように「え?これ面白いの?流行ってるけど全くわからん。自分のオタクとしての感性は死んだのか?」と慌てふためきながらトートイトートイ顔がいい〜と周囲に合わせて囀る悲しきオタク達に「君は一人じゃないよ」と手を差し伸べるためである。あと自分が書きたいからかな。書くとスッキリするからね。
以上より、ツイステッドワンダーランドファンの閲覧は推奨しない。と、記していても読む人は読むのだろう。
そもそも自分はソーシャルゲームもノベルゲームもほとんどしないので、毎日ログインしないとならないのが面倒くさいとか露骨なガチャ誘導が鼻につくとか文字送りがダルいとか細々としたソシャゲノベルゲー文化への違和感があるのだが、そんなところをあげつらうとキリがないので(1)ゲーム性(2)世界観(3)ストーリーの3つに絞って扱き下ろしていく。
(1)ゲーム性
擁護する隙もなくクソである。これはファンでさえ異論がないと思う。
このゲームがゲーム性を発揮する点は、バトル、リズミック、ノベル内の選択肢であるがどれも「ゲーム」と呼ぶにはお粗末な出来である。
バトルはガチャで集めたキャラクターをレベル上げして数字をぶつけ合うだけで、ほぼじゃんけんである。金と時間のある人間が圧倒的に有利なじゃんけんである。これ以上言及することは特にない。そもそもこのバトルはオートでとばすことが出来るのでゲーム的に重視されていないのだろう。
リズミックは、いわゆる音ゲー要素だが、まず音楽とノーツのタイミングがあっていない。この音ゲーを作った人間には致命的にリズム感が欠けている。ノーツが増えると動作が重くなって画面の動きがガタガタになるのでタイミングも合わない。
耳で聞いてリズムを合わせることも、目で見てノーツをタップすることも出来ない。
先日、リズミックでアイテムを集めるイベントが開催されたらしいが、一回もタップせずに画面を眺めているだけでクリアできるらしい。これは不確かな情報なので「こういう噂がある」と記すに留める。
最後にノベル内の選択肢であるが、これが一向にストーリーに影響している気がしない。しっかりと検証したわけではないが、どの選択肢を選んでも話相手のキャラクターの反応は変わらない。
なぜ選択肢が設定されているか分からない。ストーリーをオートで流していると選択肢のたびに止まるからやめてくれ、とさえ自分は思った。
(2)世界観
ゲーム性がクソであることはファンもアンチも異論はないと思われるが、このあたりから意見は分かれるかもしれない。
このゲームの世界観は、基本的にハリーポッターである。これはファンも「ツイステッドワンダーランドは治安の悪いホグワーツ」「ハリーポッターが好きな人はツイステッドワンダーランドをやって!」と放言しているので共通認識としていいだろう。
パクリだ、とは言わない。全寮制の名門校、特殊な入学許可、特色ある複数の寮、マジックアイテムによる組分け、動く肖像画、住み着くゴースト、魔法史、魔法薬学、錬金術――ハリーポッターが後世の魔法学園モノに与えた影響が絶大だというだけの話である。トールキンの指輪物語以降世界中の洋風ファンタジーが様変わりし、十二国記以降国内の中華風ファンタジーへの敷居は低くなった。我々は確実にアフターハリーポッターの世界を生きている。
だが、それを架空の世界の架空の学校の設定にそのまま持ってくるのは浅はかであるとは思う。ナイトレイブンカレッジはイギリスにあるのか?
そもそも生徒は多くの国から集められているようだが、その場合のナイトレイブンカレッジの立ち位置が分からない。公立ならば他国からの生徒は留学生なのか?私立ならばスラム出身などの裕福でなさそうな生徒は学費をどのように工面しているのだろう。奨学金のある世界なのか?あったとしてそれまでろくに教育を受けていなそうなスラム出身の生徒を迎える体制は整っているのか?
世界中から優秀な魔法使いの卵を集めているなら、ナイトレイブンカレッジの政治的な立場はかなり微妙になる。ナイトレイブンカレッジはどの国に所属しているのか。卒業生の進路はどうなるのか。他国の、王族でも金持ちでも何でもない生徒は国に帰ることができるのだろうか。
というか、生徒の出身地一覧も○○の国があったかと思えば✕✕の村との表記があったりして一貫していない。国と村を併記するのはどうなんだ、という疑問もあるがこの際置いておく。便宜上、国と称しているだけで連合体なのだろうか。それこそイギリスみたいに。
登場キャラクターが「そんな奴ツイステッドワンダーランド中どこを探してもいないよ」というセリフを口にするシーンがあるので、ツイステッドワンダーランドは国名か大陸名であるらしい。
気になるところは多々あるのでこのへんにしておくが、世界観については今の所ガバガバだなぁという印象しかない。
みんなハリーポッターの前知識があるからうっすらとこんな感じかなーと隙間を埋めているにすぎない。
せっかくディズニーの世界観を借りているのに、登場人物が全員白人風イケメンなのも個人的にはがっかりポイントである。そのへんは好みなので追及しないが。
日本国内だから好みの話で終わっているが、海外展開は難しいかもしれない。
(3)ストーリー
ここが一番ファンとアンチで意見が割れるだろう。アプリのレビューには「ゲーム性はイマイチだけどストーリー、キャラクターは最高です!」という意見が散見される。
個人的には「嘘だろ」と思っている。というか世界観がガバガバなのだからそれに付随するストーリーもガバガバになるのは致し方あるまい。
1章は毒親に抑圧されていた少年寮長が周囲を同じように抑圧していたが、反旗を翻され逆ギレ大暴れというストーリーである。個人的に特筆すべき点はない。
他の生徒の命を危険に晒したのに特にお咎め無しなことにはずっこけた。退学とまでは行かずとも、寮長は辞めたほうがいい。失敗は誰にでもあるが、それを指摘され顔を真っ赤にして奇声をあげキレ散らかし周囲の人間を殺そうとする者に責任ある立場を任せてはいけない。危険すぎる。
ストーリーとしては可もなく不可もなく、個人的には退屈だが、まあ凡といったところではないかと思う。好きな人は好きだろう。
2章は王家の不貞腐れた次男坊がスポーツ大会で不正をしようとするが露見し、逆ギレ大暴れというストーリーである。1話と変わらない?そのとおりである。
この次男坊はライオンキングのスカーがモデルと思われる。今もはや懐かしさすら感じる二言目にはメンドクセーダリーを口にする典型的な「本気出せばやれるんだぜ?」キャラである。その時点で薄ら寒いがそのへんは個人の好みだ。
スカー同様王弟の地位に満足しておらず虎視眈々と王の地位を狙っている……かと思えばそうでもない。どうせ俺は王になれないんだと腐り、憎い親の金で学校を二留している。やることと言ったら温室でのサボりか校内スポーツ大会のライバル選手を襲うこと。ショボすぎて泣けてくる。それも露見したら「あーだりーこんなの本気じゃねーしおまえらが勝手にやったんだろ」と不貞腐れるダサさ。おまけに憎いはずの兄の息子には懐かれていてタジタジである。意味わからん。
スカーをモデルにしているならば、兄も甥も手にかける覚悟のある男であってほしかった。
と、ここまでやって自分はこれ以上進めることを諦めた。ストーリー、うっすーーーー。ふつーにつまらん。
どこが駄目とか、ここが駄目とかじゃなくてシンプルに退屈。なんかどっかで見たことあるストーリー(有名なディズニー映画を下敷きにしているから当たり前か?)に00年代女オタク向けの謎の風味付けがされている。10代の子には新鮮かもしれないが、古のオタクは己の痛々しい過去を思い出して体中の穴から血が流れる。
トイレの鏡で前髪をM字にかため、上目遣い(本人は睨んでいるつもり)で「咬み殺すよ……?」「俺を怒らせたら怖いよ?」とドスをきかせる女オタクが跋扈した時代があったのである。歴史は繰り返すのだろうか。
これから髪にメッシュを入れ「締め殺すよ……?」とピチピチするいきのいい女オタクが現れるだろうか。すでに現れているかもしれない。自分はそれを優しく見守ることができるであろうか。
最後に
タイトルは「人気が分からない」としたが、まあなんとなく人気の理由は分かる。はからずもタイトルが釣りになってしまった。
二次創作の場が大きくSNSに移行している昨今「バズる作品」に求められるのは綿密な世界観でも繊細なストーリーテリングでもない。「みんなが知っていること」「みんなで盛り上がれること」だ。
そういう意味でディズニーという大看板と枢やなという大先生のチョイスは大成功をおさめている。
あとは妄想力たくましいオタクがガバガバ世界観もガバガバストーリーも好きなように埋めてくれる。
我々のようなまずは原作ありき、原作を骨の髄までしゃぶるオタクはすでにオールドタイプなのである。老兵は何も言わずにただ消えゆくしかない。
オタク差別って、実際にはオタクじゃない人間のステレオタイプによって強化された。
源流をどことするのは難しいが、80年代後半の宮崎勤事件にフォーカスしてみたい。
このあたり、調べてみるといろいろ面白い。
まず、やり玉にあがるのが「宮崎勤」だが、彼は、最初は「アニメやホラー映画愛好家や大量のビデオテープ所持」としてテレビやワイドショーが紹介している。しかし、その後、ペドファイルからオタクという極めて雑な流れでオタクバッシングへとつながった。
このあたりの流れ、極めて重要なのだが、「ホラー映画のテレビ放送の自粛」なども起きており、オタクに対する規制と差別のみが強化された原因はほかにある。
まあぶっちゃけて言うと、「某自称オタクサブカル芸人」なんだよね。
この芸人というのは、宮崎勤後、かなりテレビに出まくった。言ってしまえば奇妙なキャラ付けでオタクを自称し、テレビでオタクってキモいでしょ? という偏見を持ってもらうことを仕事にしていた。
オタクのステレオタイプを強化し、妙なキャラクターづけで、「オタク評論家」としてメディアに露出しまくった。
それだけではなく、いまでいうところのストーカー行為なんかを紙面でやって裁判沙汰になったりしている。
「オタクの元祖」とかいう紹介をされると、烈火のごとくその当時のオタクが怒り出すこともある。
オタクはダサくて陰湿で気持ち悪い異常者、というコンセプトのタレントを、そのままメディアが時流に乗って重宝し、その結果、オタクの差別がより強化された。
なにより反感を感じるのは、そのオタクのキャラ付けが「演じられていること」だったろう。
オタク差別は、その芸人が「気持ち悪いオタク」を演じることによって一気に広がった。
しかし宮崎勤を語っても、「そのサブカル芸人が自分を売り出すためにオタクをコケにする演出を行い、テレビがそれを利用した」ことはなかなか振り返られない。
オタク差別などないという人は、この構図を今一度振り返ってほしい。
おそらく、他の差別に対しても得られる教訓があるだろう。
染めたいかという話。
先日、友人と飲んでいた時に話題に挙がり、うまく説明できなかったのでまとめてみる。
その場はぼくを含め3人で、男性の友人M、女性の友人F。趣味を人と共有することについて、ひいては彼女が自分の趣味に関わる場合の話題になり、3人の意見は次のとおりだった。
M「彼女と趣味が共有できたら楽しい。自分が興味なかったことでも、彼女をきっかけに知れる。」
F「ぼくの言うこともわかる。」
当然、ぼくも彼女と趣味を共有できたら楽しい。彼の意見が正しい。ならば、ぼくの意見はどのような論旨だったのだろうか。
前提として、ぼくはそれなりに駄目な人間であり、これまでに趣味を人と共有した経験が少ない。「趣味とはひとりでこっそりこつこつやるもの」であり、好きであることを大っぴらにするものではない、というイメージがある。例えばアニメ。深夜アニメにハマりだしたのは小4あたりで、当時いわゆる「オタク」は今のような社会権はなく、ぼくは家族にも隠れて膨大な量のビデオテープと過ごしてきた。中学の頃に「おとぼく」の録画が姉にバレた時は脂汗をかいた。これがぼく自身の原因の1つ。
次に好みの問題。ぼくが自立していない分、ぼくは自立した女性が好きだ。相手から一方的に寄り掛かられると倒れてしまう。なので、普段はわかりやすく「歳上が好き」と言っている。彼女に頼られるというのは大変嬉しいが、依存されるとなれば話は違う。パートナーとして精神の拠り所になるのは理想的だけど、人生の意味に(必要以上に大きな割合で)組み込まれるのは辟易する。そんな感覚。そんなに変なことは言っていないと思う。
彼女が「自分の意思で、その趣味そのものに興味を持ち、楽しんでくれる」場合。これは大いにハッピーだ。彼女の人生も豊かになるし、ぼくも趣味仲間が増える。
彼女が「大好きなぼく君のために、趣味に合わせる」場合。これが駄目なのだ。気を遣われている。彼女がその趣味を楽しむためには、ぼくが必要になる。ぼくがひとりでその趣味を楽しんでいたら、誘わなかったことに怒られるようなイメージ。
また「大好きな彼女ちゃんが、ぼくなんかに合わせる」ことにも、ちょっとだけ、違和感を感じるかもしれない。ぼくたち自己肯定感低い族からすると、惚れた人が墜ちてくるように感じるかもしれない。Fも自己肯定感低い族なので、「わかる」の発言はここから来ていると思う。
結局は「趣味は好きにやりたいので、そんなに気を遣わないで欲しい」と言えばよかった話だったのかもしれない。Mの主旨と相反することでもなかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4672285805878329058/comment/YarmUI
テレビをビデオやDVDなど再生専用に使用する場合の受信契約は必要か
- 放送法では、「放送の受信を目的としない受信設備」であれば、受信契約を必要としないことになっています。ビデオテープやDVDなどの再生にテレビを使用する場合は、「放送の受信を目的としない」かどうかで、受信契約の要否を判断することになります。
- まず、ビデオテープやDVDの再生のために使用することが多いといっても、アンテナを取り付けていたり、アンテナ端子へ接続していれば、放送を受信する目的が推定されます。この場合は、受信契約の対象となります。
- 一方、アンテナを取り付けていなかったり、事業所において職員の研修専用で使っている実態がある場合など、明らかに再生専用であれば受信契約の対象外となります。
- いずれにせよ、担当の者がお伺いした上で最終的に判断させていただきます。
項目なし